グレッグ・イーガン「プランク・ダイヴ」ハヤカワ文庫SF 山岸真編訳
「仮想ブラックホールがバリオン崩壊の触媒となるような、クォーク=グルーオンプラズマのコヒーレント状態を作り出すことができる。実質的に、全静止質量を光子に変換し、理論的最高効率を達成するような噴射流を得られる」 ――「グローリー」より
【どんな本?】
帯の煽り文句「SF最先端の、その先へ!」は嘘じゃない。SFのエキスをトコトン濃縮して還元しない、21世紀初頭のSFのエッジを切り開く、グレッグ・イーガンの日本オリジナル短編集。なお収録作7作中、6作は雑誌「SFマガジン」で紹介済みで、巻末の「伝播」はこの短編集が初出。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2011年9月25日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約385頁+訳・編者あとがき10頁+大野万紀の解説11頁=約406頁。9ポイント40字×17行×406頁=276,080字、400字詰め原稿用紙で約691枚。普通の長編よりやや多め、かな。
断言する。はっきり言って、読みにくい。冒頭の引用が、そのサンプル。ただでさえ難解なイーガン作品の中でも、この作品集はとりわけ濃い作品を集めた感がある。特に「グローリー」以降の後半は舞台が宇宙になり、物理学&数学に加えSFガジェットがひしめき合ってるので、更に難易度がハネ上がる。普通のSF小説の倍~4倍の時間は覚悟が必要。ナミのSFじゃ満足できないSF廃人向けの作品集であり、ある程度SFを読みなれてない人は、他の作品で経験を積んでから挑戦しよう。
【収録作は?】
- Crystal Nights / クリスタルの夜
- ハイテク企業で成功したダニエルは、AI研究者のジュリーをスカウトした。ダニエルは彼女に最新のチップを見せる。総光素子で、桁違いの性能を見せる。しかも並列処理ではない。そんな化け物チップで彼が実現しようとしているのは、「真のAI」を生み出すことだった。
「いやプロセサの実効速度は知性のレベルに関係ないじゃん」と突っ込みたいあなた、すぐに解が示されるのでご安心を。なぜ高速なプロセサが必要なのかも納得できます。 - The Extra / エキストラ
- 富豪のダニエル・グレイは悪趣味だ。所有している臓器提供用の自分のクローン、エキストラを、パーティーに招いた客の前で行進させるのだ。
臓器提供用の人クローンにまつわる倫理的問題を検証した問題作。ただし、ここに出てくるクローンは、脳を処理され、知性を持たない。訴訟のネタが笑える。 - Dark Integers / 暗黒整数
- 異なる数学体系を持つ世界との接触を描いた「ルミナス」の続編。なんとか問題を解決し、秘密を四人+一人に閉じ込めたブルーノたちだったが、「向こう」のサムから緊急通信が入った。こちらの世界が、向こうの世界を侵略しはじめた、というのだ。
命題の真偽値の違いで世界が対立する、というアイデアはそのままに、こんどは数学の命題と物理との関わりがテーマとなる。きっとこれを読んだプログラマの何人かは DarkInteger クラスを実装するに違いない。 - Glory / グローリー
- 調査員のジョーンとアンは、ヌーダー人の星を訪れた。かつて同じ星で栄えたニア人の遺跡を調査するためだ。ヌーダー人は11の国に分かれているようだが、中でもティラとガハーの二大国が多くの遺跡を領有し、また軍事的に対立していた。
出だしからイーガン節炸裂。今までいろんな宇宙船の設計を読んだけど、これは中でも極小で過激。本編とは直接関係ない部分なのに、なんでここまで惜しげもなくアイデアを詰め込むのやら。 - Wang's Carpets / ワンの絨毯
- 長編「ディアスポラ」の一部として吸収された作品。カーター・ツィマーマン・ポリスは、ヴェガ星系の惑星オルフェウスの海で、ついに生物らしき存在を発見した。人類が初めて発見した異星生物だ。絨毯のように平たい形で海をたゆたい、数百メートルの広さに成長し、数十の断片に分裂して生殖する。
となれば、当然、この作品のメインテーマは「異星生物」の正体。これがまた、実に想像を絶する存在で…。ネタのあたりはイーガンに相応しく難解極まりないので、じっくり腰を落ち着けて読もう。
ところでキャサリンがサミュエルなのは、やっぱりディレーニーなんだろうか。 - The Planck Dive / プランク・ダイヴ
- カルタン・ポリスは、チームをブラックホールに送り込むプランク・ダイヴ計画を控えていた。そこに、地球のアテナ・ポリスから二人の客人が訪れる。地球にも計画の詳細は送るので、わざわざ訪ねる必要はない筈なのだが…
「ワンの絨毯」も相当に難解だったが、これは更に過激。ブラック・ホールの事象の地平線に近づくにつれ、中の人から世界はどう見えるのか、という描写が圧巻。いやほとんど何言ってるかわかんなかったけど←をい。乱入者のプロスペロとコーデリアの対比が、いかにもこの作品の作者イーガンに相応しい視点で見事。 - Induction / 伝播
- 21世紀の終わり、各国が様々な計画を立てる中、中国の計画は独特のものだった。月の基地から、カタパルトで<蘭の種子>を、光速の20%の速度で打ち出し、人類初の恒星間航行を達成しようというのだ。
カタパルトの発想がすごい。ドイツのV-3なんてもんじゃない。地上と違い月は真空なので、空気抵抗を気にしなくていいから、まあ確かに理屈はあってるんだが。それで何を飛ばすのか、というと…
いやあ、滅多に「読みにくい」なんて評価を下さない私だけど、イーガンとチャールズ・ストロス、そして初期のスティーヴン・バクスターは遠慮なく 「読みにくい」と断言できるから気持ちいい。なんたって、「読みにくい」が悪口にならない芸風なんだもの。これぐらいハッキリと「一見さんお断り」だと、 いっそ爽やかだ。
この中で一番気に入ったのは、「ワンの絨毯」。やっぱり、ファースト・コンタクト物は感激してしまう。まあアレを人類と言っていいのか、という問題はあるにせよ。絨毯の正体も、わかるとゾクゾクしてくる。欲しいよね、一家にひとつ。まあ、あったところで用途は下世話な目的なんだけどw
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