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2011年10月15日 (土)

三島由紀夫「美しい星」新潮文庫

 その瞬間に彼は確信した。彼は決して地球人ではなく、先程の円盤に乗って、火星からこの地球の危機を救うために派遣された者なのだと。さっき円盤を見たときの至福の感情の中で、今まで重一郎であった者と、円盤の搭乗者との間に、何らかの入れかわりが起こったのだと。

【どんな本?】

 現代日本文学でも独特の地位を占める三島由紀夫の作品の中でも、特異な位置にある長編小説。敢えて「空飛ぶ円盤」や「異星人」など当時はキワモノとして扱われていたSF的な要素を中心に据え、東西冷戦下で核の脅威に怯える時代を背景に、超越した視点から「人類のあるべき姿」を模索する一家を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 Wikipedia によれば「作者37歳の作品。1962年(昭和37年)、文芸誌「新潮」に連載され、同年10月に新潮社より刊行」。1967年新潮文庫で文庫化。私が読んだのは2006年5月25日の46刷。文庫本縦一段組みで本文約357頁。9ポイント38字×16行×217,056字、400字詰め原稿用紙で約543枚。標準的な長さの長編。

 62年の作品の割りに、意外と文章は読みやすい。三島由紀夫は「仮面の告白」ぐらいしか読んだ経験がない私は、もっと修飾語過多の耽美的な文章を予想していたのだが、この作品に限れば控えめ。セーターがスウェータアだったり、オート三輪が出てきたりと、時代を感じさせる部分はあるものの、全般的には驚くほど現代的な文章。

【どんな話?】

 52歳の大杉重一郎は、突然「自分は火星人である」という認識に目覚めた。最初は笑っていた家族も、やがてそれぞれが別々の星から来た者であると悟った。妻の伊余子は木星人、長男の雄一は水星人、長女の暁子は金星人だ。世知に富む重一郎は、家族を守るため、自分たちの秘密を守り、「普通に生活せよ」という方針を立てた。

【感想は?】

 まず連想したのが、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの短編二つ。「ビームしておくれ、ふるさとへ」(ハヤカワ文庫SF「故郷から10000光年に収録」)と、「たおやかな狂える手に」(ハヤカワ文庫SF「星ぼしの荒野から」収録)。どちらも「自分は異物だ」という認識を拭えない者のお話。

 だた、上の両者が、異物である由を単独で認識しているのに対し、「美しい星」の一家は四人である点が、大きく違う。その為か、ティプトリーJr の作品の主人公が孤独と劣等感を感じているのに対し、この一家はむしろ優越感を感じている。「私たちは愚劣な地球人とは違うのだ」という、ちと鼻持ちならない感覚。

 そういう高みから見下ろす視点の者たちだけに、やたら言う事はデカい。ソ連の核実験で緊張した東西関係を憂慮し、新聞を読んでは演説を始める。

「フルシチョフとケネディは、早速会って、一緒に簡単な朝飯でも喰べるべきだ。御馳走はいかん。御馳走は頭の働きを鈍くする」

 「御馳走はいかん」って、なんじゃそりゃ。つかオッサン、演説する前に働けよ。そう、重一郎は(今のところ)無職という設定になっている。事業家の倅で芸術家肌。ありがちなボンボンだね。そのくせ世界に目的や統一感を求め、人々が勝手気ままに生きている事に不満を抱く。

 東京へ遊びに出かけるたびに、つぎつぎと新築される巨大なビルの、昼間から蛍光燈をともしている窓々が、重一郎に恐怖を与えた。人々は声高に喋りながら、確実にそれらの窓ごとに働いていた。何の目的もなしに!

 いや、アンタが分からないだけで、皆さんそれぞれ目的を持って働いてるんだって。その目的は生活費かもしれんが。
 この重一郎が火星人である自覚に目覚めたきっかけが、円盤の目撃体験。つまり、この小説は、UFO信者の内面を記した作品、とも読めるわけ。

 そういう視点で読んでいくと、「なんで人はUFOを信じてしまうのか」「あの人たちは何を考えているのか」を読み解く、貴重な資料にもなっている。ビリーバーとの会話が無意味である由を、嫌というほど実感できるだろう。彼らにとっては、「自分は世界の真実を知っている特別な存在なのだ」という優越感を支える、重要な根拠なのだから。

 一家の四人がそれぞれ出自が違うって時点で、設定が無茶なのは明らかだ。敢えて無茶な設定にする事で、「つまり彼らはビリーバーなんだよ」と読者に提示してる、と解釈したんだが、この解釈に同意する人は少ないだろうなあ。

 UFO信者という現代的なテーマを扱っているためか、悪役の造形もクッキリして分かりやすい。序盤で登場する村木屋のおかみとか、酷いなんてもんじゃない。

「なるたけ高く悪いものをつかませるんだよ。あの家じゃ誰もわかりゃしないんだから」

 と、見事に嫉妬と羨望に凝り固まったオバハンに作られている。これは地の文の描写で、一家視点ではないのだけれど、「ビリーバーが見る世界はこんな感じだよ」と言いたいのかなあ、と思ったんだが、さすがにこれは無茶か。

 この悪役の酷さは、終盤に登場する三人組も同様。彼らがデパートで買い物するシーンも、「ええ年こいた野郎が何やってんだか」と言いたくなる。このズッコケ三人組が重一郎と対決するシーンでは、リアスで重厚な議論が盛り上がった所で、イカれきった茶々を入れる。この茶々の意味、「連中の偉そうな理屈の正体は、こんなもんですぜ」という作者のメッセージと解釈したのは、きっと私だけだろう。奥野健男氏の解説とは真っ向から対立してるし。

 さて、「自分はエイリアンだ」などと夢見がちなこの一家だが、それでも現実は一家の世界に容赦なく侵入してくる。実も蓋もない現実に対し、高所から見下ろす一家は、異星人であるという設定とどう折り合いをつけ、どう対応するのか。終盤は、解散の危機を迎えたカルト教団の内情を思わせる、ピリピリした緊張感がある。

 一見SF的なテーマだが、むしろビリーバーの正体を戯画化した作品、と考えたほうが分かりやすいかも。著者がどっち側かは気になるところだけど、それは、まあ、昭和史のロマンってことで。しかし、この原稿を受け取った新潮の編集者は、戸惑っただろうなあ。

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