フェリクス・J・パルマ「時の地図 上・下」ハヤカワ文庫NV 宮崎真紀訳
三次元空間の旅には飽き飽き?
ついに時の流れに乗って、四次元空間を旅することができるようになりました。
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【どんな本?】
スペインの新人作家を対象とした2008年セビリア学芸協会文学賞を受賞し、SFマガジン編集部編「SFが読みたい! 2011年版」でも、白背のNVレーベル・見慣れぬスペイン作家という二重のハンデを乗り越え第三位を獲得したダークホース。1896年のロンドンを舞台に、SFの父H.G.ウェルスへのオマージュと、二重三重の仕掛け、そして時を越えた冒険とロマンスをたっぷり詰め込んだ、波乱万丈の娯楽長編小説。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は El mapa del tiempo, by Fe'lix J. Palma, 2008。日本語訳は2010年10月15日発行。文庫本で上下巻、縦一段組みで約404頁+396頁=800頁。9ポイント40字×17行×(404頁+396頁)=544,000字、400字詰め原稿用紙で約1360枚の大作。
訳文は(恐らく意図的に)大時代な雰囲気をかすかに残しながらも、現代日本語としての読みやすさを充分に配慮した親切設計。
【どんな話?】
1986年のロンドン。富豪の息子アンドリュー・ハリントンは、自らの無為な人生を終わらせようと決意した。彼の人生を決定付けた、貧民の巣窟ミラーズ・コートで。そこは、彼が出会ったただ一人の愛する女性、娼婦メアリー・ケリーを失った場所だ。
事態を察した御者のハロルドは心配したものの、アンドリューのいとこチャールズ・ウィンズローの馬車が同じ場所に急行するのを見て、胸をなでおろした。御者ごときが主人の人生に介入するのは無理でも、チャールズ坊ちゃんが間に合ってくれれば…
【感想は?】
サービス満点。作者の語りにトコトン翻弄された。
全体は三部からなり、それぞれが緩く関連した連作の形をなしている。そして、全ての部で、H.G.ウェルズが重要な役割を演じる。そう、この作品は、ウェルズの名作「タイム・マシン」へのオマージュだ。
第一部で主人公を務めるのが、富豪の息子の若者、アンドリュー・ハリントン。運命の恋人を殺人事件で失った彼が、失意のどん底で見つけたかすかな希望。それは、タイム・トラベルだった…
とくれば、どうウェルズが絡むのか、読者の多くは見当がつくと思うけど、一筋縄ではいかないのが、この小説。
なにせ、冒頭からして、「語り手」が活動写真の弁士よろしくベラベラしゃべり始める。「いまどき語り手が読者に語りかけるとは、なんと大時代な、これはスペイン文学の伝統なのか、この時代の雰囲気を出すためなのか」などと余計な事を考えつつ読み進むと…
こういう大時代な仕掛けが生きるのも、この作品の舞台あってこそ。19世紀末のイギリス、大英帝国は世界の海を支配して上り調子。蒸気機関が実用化されて科学の世紀が幕を開け、ロンドンはイケイケ気分。文化はやたらと気取ったヴィクトリア朝ながら、ほんの少しづつ女性解放の気配が漂い始めている。
ヴィクトリア朝の雰囲気で笑ったのが、アンドリューの父ウィリアムの商売。今じゃ考えられない皮肉な顛末が待ってる。当時の雰囲気を伝えるには、格好の素材。よくもまあ、こんなエピソードを持ってきたもんだ。
通信や出版が活性化し始めた時代でもあり、実在の人物やモノが随所に顔を出すのも、この手の小説の楽しいところ。H.G.ウェルズは当然として、殺人鬼の切り裂きジャックやエレファント・マンも重要な役割を果たす。
そのウェルズの生涯を綴っているのも、この作品の楽しみの一つ。なかなか苦労した人のようで、幼年期~青年期は絶望と希望を行ったりきたり。その絶望をもたらすのが肉親だからたまったもんじゃない。ちょっとした挿話として語られてるけど、ここは読んでて実に引き込まれた。ウェルズがヴェルヌをライバルとして多分に意識しながらも、信念を持って独自の路線を築き上げた様子は、どちらかというとヴェルヌ派の私も素直に頷いてしまう。
逆に息苦しかったのが、第二部。主人公は貴族の娘クレア。彼女と「英雄」のロマンスが第二部のテーマ。第一部で見事な背負い投げを食らったばかりの読者なら、「この作家、油断できんぞ、どんな仕掛けが用意してあることやら」と気負って読み始めるものの…
いやあ、「英雄」の立場になる事を考えると、これはどうしたものやら。喫茶室ABCのシーンは、爆笑の連続。まあ出会いがアレだからスンナリと行くわきゃないとは思うものの、これは酷い。微笑ましい若者カップルに付き合うウェルズおじさんも、まあ、あれだ。
「SF」なんて言葉はなく、「科学ロマンス」と呼ばれていた時代。まさしく「科学ロマンス」の名に相応しい、ガジェットと仕掛けと冒険と恋、そして想像力溢れる娯楽作でありました。
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