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2011年9月の11件の記事

2011年9月29日 (木)

ティム・オブライエン「世界のすべての七月」文春文庫 村上春樹訳

「恋に落ちる。結婚する。それから二番目の男と恋に落ちる。でも一番目の男との恋を終わられておくのを忘れていた」  1969年度卒業生

【どんな本?】

 激動の60年代やベトナム戦争の頃に青春を送った世代に目を据えて書き続けている現代アメリカの作家、ティム・オブライエンによる、連作形式の長編小説。政治闘争でゆれる大学のキャンパスで過ごしたルームメイトたちが、30周年記念の同窓会で、それぞれのわだかまりを抱えたまま再会する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は July, July by Tim O'Brien, 2002。日本語版は2009年6月10日第一刷。文庫本縦一段組みで本文537頁の大ボリュームに加え、訳者村上春樹による12頁の解説つき。9ポイント39字×18行×537頁=376,974字、400字詰め原稿用紙で約943枚。

 文章はいつもの村上節で、読みやすさは文句なし。その上で、敢えて普通の翻訳家には要求しない無茶な要求をしてみる。村上氏の文体はクールで垢抜けてるんだけど、お話によってはもちっと下品で頭悪い文体にならないかなあ。あと、冒頭は人物の性別で少し混乱するかも。ジャンやスプークが女性とは思わなかった。

【どんな話?】

 1969年にミネソタ州のダートン・ホール大学を卒業した面々が、卒業30周年記念の同窓会に集まった。大当たりを引き当てたエイミー、二人の夫と暮らす派手な行動派のスプーク、そんなスプークにゾッコンなデブのマーヴ。ベトナムで片足を失ったデイヴィッドは元妻のマーラに未練タラタラ、女性牧師のポーレットは窃盗で捕まり、徴兵を忌避してカナダに亡命したビリーは駆け落ちを裏切ったドロシーに嫌味を言いたくてしょうがない。

 それぞれが家庭をもち、または離婚し、忍び寄る老いを自覚しながら、過去の傷にとらわれている。かつてのルームメイトたちは、どんな人生を辿り、再会はどんな変化をたらすのか。

【感想は?】

 同窓会というから、数時間飲み食いして終わりかと思ったら、とんでもない。大学に泊り込み、二夜続けて明け方の三時四時まで飲めや歌えやのドンチャン騒ぎ、隅でヤク決めてラリってる奴もいれば二人でしけこんでよろしくやってる奴もいる。そんだけ馬鹿やりながら「あたしらもう歳だねえ」とか、50過ぎのええ歳こいていい加減にしろオッサンオバハン。

 とまあ、この小説の登場人物はみんな50過ぎのオッサンオバハンなんだが、どいつもこいつもええ歳こいてグダグダ悩みふらつき愚痴をこぼす、実に頼りにならないしょうもない奴ばっかり。私も昔は歳とりゃ人間って少しは成熟するのかと思ってたけど、我が身を振り返ると…いや、やめよう。まあ、そんなわけで、青少年にはあまりお勧めできない←をい。

 全体の構成は、同窓会の群像シーンと、各人物にスポットをあてる短編が、交互に描かれる形式。そんなわけで、後になるほど、各人物の造形が明確になり、物語は面白くなっていく。

 中でも最も面白かったのが、天性の女王スプークを描いた「二人の夫と暮らすのは」と、そんなスプークに30年以上も恋焦がれているデブのマーヴが主人公の「痩せすぎている」。全般的に暗くじくじくしたトーンの話が多いなかで、この二つはコミカルでテンポがいい。

 スプークが主役の「二人の夫と暮らすのは」、タイトルどおりスプークが二人の夫と結婚している、というお話。社交的で活動的、恋多き女で断るのが苦手。自分が魅力的なのを充分承知していて、欲望に忠実。つまりは我侭なトラブル・メーカーなんだが、実はこの小説に登場する女性の中じゃ、私は彼女が一番気に入った。なんというか、「スプークじゃしょうがない」って気分になっちゃうんだ。会話のテンポがいいからかなあ。

 そんなスプークに思い焦がれて30年のデブ男マーヴが主役を勤めるのが、「痩せすぎている」。笑っていいのか泣いていいのか、とにかく胸にこたえる一遍。

 長年デブだデブだとからかわれ続け、そんな自分を受け入れ道化を演じてきたマーヴ。一念発起してダイエットに挑戦し、見事に成功を収める。「あれ?俺って実は結構イケてるんじゃね?」と思い上がったマーヴ、稼業のモップ・箒工場も順調だし、「うおっしゃ、これからはリア充のマーヴでいくぜい」とばかりにガールハントに精を出す。慣れないドンファンを気取ったマーヴ君、その顛末は…。ああ、切ない。

 そんなティムの筆が生きてるなあ、と思うのが、登場人物がピンチに陥った時の描写。以下はエリーが大きなトラブルを抱える「ルーン・ポイント」からの抜粋。

駅の裏手の駐車場に、自分の車が、一週間前に停めたままのかっこうで置かれているのを見て、彼女は驚いた。自分でもよくわからないままに、彼女は予測していたのだ。世界中のどうでもいいようなディテールが、あちこちでがらりと様変わりしてしまっていることを。でも車は、何事もなかったみたいに、ちゃんとそこにあった。

 自分の人生が大きく変わっちゃったのに、世界は何事もなかったかのように続いている。この不条理感、やりきれない想い。当たり前と言えば当たり前なんだけど、なんか納得いかないんだよね、そういう時は。

 ちと古典的な面白さがあったのが、「聞くこと、聞こえること」。女性牧師のポーレットが窃盗で捕まった顛末を描く短編。いやはや、夫婦ってやつは。

 そんな「聞くこと、聞こえること」の夫婦像と対照的なのが、デイヴィッドとマーラ。お互いに相手のことを気にかけながら、胸にあるわだかまりを消せないでいる。そのわだかまりを、あまりに真っ正直にぶつけ合い、そして受け止めきれずに倒れていく。

 体の衰えを自覚しながらも、ええ歳こいて落ち着ききれないオッサンオバハンの群像劇。まああ、人間、歳とったからって、感情が消えるわけじゃないんだよなあ。

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2011年9月27日 (火)

ルイ・セロー「ヘンテコピープルUSA 彼らが信じる奇妙な世界」中央公論新社 村井理子訳

「どんな人間にだって、良い面と悪い面があることをあなただって理解しているはずです。人種差別主義をなぜやめようとしないんですか?」
「それは俺が人種差別主義者だからだ」  ――気のいい白人至上主義者 ジェリー・グルードル

どんな本?

 宇宙人を殺したと豪語する男、税金支払いを拒否する愛国主義者、ポルノ男優のスターを目指す青年、究極のワルを気取るギャングスタ・ラッパー、人種差別主義を歌う双子の少女…。いくら自由の国アメリカとはいえ、かなり世間とズレてしまった人々の素顔に、元BBCのキャスターが迫ろうとするインタビュー集。

 この本の成立過程が、ちと変わってる。

 元はイギリスBBCのテレビシリーズ「Louis Theroux's Weird Weekends」(ルイ・セローの奇妙な週末)に遡る。アメリカの変わった人々に、著者のルイ・セローがキャスターとしてインタビューする、という番組だ。かつて大人数のクルーを引き連れインタビューしたルイ・セローが、番組に登場した人々の「その後」を追いかけ、今度はボロ車でノートパソコンを担ぎ単独でインタビューに挑んだのが、本書。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は The Call of the Weird, by Louis Theroux, 2005。日本語版は2010年10月25日初版発行。ソフトカバー縦一段組み、9.5ポイントの見やすいサイズで43字×18行×344頁=266,256字、400字詰め原稿用紙で約666枚、小説なら普通の長編小説の分量。

 ポップな表紙のわりに、意外と文章は知的でお行儀がいい。もちっと下品で無教養でくだけた文章にした方が、この本にはあってる気がする。

構成は?

プロローグ
Thor Templar : 宇宙人を殺した男
J. J. Michels : 爛熟のポルノ業界の行き着く先は?
Ike Turner : 起死回生なるか?ティナ・ターナーの元夫の最晩年
Mike Cain : 究極の愛国主義を目指して
Heyley : 誠意と偽りの狭間で――売春施設の日常
Jerry Grudl : 気のいい白人至上主義者
Mello. T : それは虚勢か現実か――ハードコア・ラッパーのライフスタイル
Oscody : カルト集団ヘブンズゲイトの生き残り
Marshall Sylver : 億万長者になる方法、教えます
April, Lamb and Lynx : 母はナチスの信奉者――白人優位を歌う美少女デュオ
エピローグ
訳者あとがき
解説――多かれ少なかれ変てこな人々 村上春樹

 訳者あとがきで、本書の登場人物たちの「その後」が記されている。ちなみにアイク・ターナーの死因、日本語版のWikipedia だと「死因は公表されていない」となっているが、本書では「サンディエゴ州監察医事務所の発表によると、コカインの過剰摂取」だとか。

感想は?

 いわゆる「と学会」的な本かと思ったら、微妙に違う。いや、そういう部分は充分にあるんだけど、それとは別に、著者ポール・セローの私小説的な面が相当に混じってる。

 「ヘンな人」のインタビューとなれば、当然焦点は取材対象の「ヘンな人」になるだろう、と私は期待したのだが、それは微妙に裏切られた感がある。その代わりに入っているのが、著者ポール・セロー自身に関する記述だ。なぜヘンな人々に興味を持ったのか、取材前にどんな準備をしたのか、相手にどうやってコンタクトを取ったのか、そして取材中にどんな事を考えたのか、など。

 つまりは相手を珍獣扱いせず、普通に人として接して、「なんとか親しくなりたい」という普通人の感覚と、「どうにかして相手の懐に入り込んで本音を引きずり出してやる」というブン屋根性の入り混じった気持ちで接していて、それを馬鹿正直に書いているのだ。加えて以前のBBC番組の取材の様子なども挿入され、ちとややこしい構造になっている。

 多くの章は、取材対象の人物を探すところから始まる。この時点で相当に苦労していて、例えばポルノ俳優を目指すJ.J.マイケルズの行方を、同業者の大半が知らなかったりする。売春婦のヘイリーも別の街に移っていて、セローは彼女を探しアチコチの売春宿を渡り歩く。

 そのためか、全体を通して読むと、単なるインタビュー集というより、取材旅行記といった雰囲気になった。それはそれで「ほう、ジャーナリストはこうやって取材するのか」という面白さもある反面、肝心の「ヘンな人」が主役になってない、という不満が少々残る。

 こういった「煮え切らなさ」が前面に出ているのが、ギャングスタ・ラッパーのメロウ・T。薬物取引や人殺しの前科を匂わせるギャングスタ・ラッパーたち。彼らは本当にワルなのか、それともヤラセなのか。ヤラセにしては、実際に死人が出ているのは、どういうことか。ポン引きを自称するメロウ・Tにインタビューしつつ、「どうも彼の本音を引き出せてないよなあ」とポール君はボヤいている。

 まあ引退してるならともかく、現役のヒール(悪役)で売ってる芸能人が「実はイイ人」なんて言われたら商売上がったりだしなあ。この辺は Wikipedia の上田馬之助の項が面白い。マスコミが彼の施設慰問を記事にしようとしたら、「悪役のイメージが壊れるからやめてくれ」と断ったそうです。うはは。

 逆にそういう人の「ヘンさ」「普通さ」が充分に書かれている章もある。「気のいい白人至上主義者」のジェリー・グルードルがそれ。徹底したユダヤ陰謀論者で、狂信的なクリスチャン。「ユダヤ人を絶滅させる」と物騒な事を公言する老人でありながら、ポールがノートパソコンを喪失したと聞くと色々と世話を沸く。基本的には気のいい老人なんだが、なんでこうなっちゃうのやら。

 爆笑したのが、「 爛熟のポルノ業界の行き着く先は?」。なんといっても、出てくる作品のタイトルが酷い。これは是非ご自分でご確認いただきたい。いや所詮シモネタなんだけど、「よく考えるよなあ」と感心してしまう。当時の米国のポルノ業界は過激化する一方で、その内容も無茶苦茶。毎週400本も新作が出たら、そりゃ競争は厳しくなるよなあ。向こうじゃTMAみたいなのはウケないのかしらん。まあTMAは極端だとしても、初心者向けの王道型ってのは常に一定の需要があると思うんだけど、違うんだろうか。

 音楽好きとして興味深かったのが、「起死回生なるか?ティナ・ターナーの元夫の最晩年」。問題のティナの事に触れられるとナーバスになるのは当然としても、肝心のステージに関しても意外と繊細。既に50年ものキャリアを積み上げ、ブルースやソウルの世界じゃ文句なしの評価を得ている彼でさえ、ツアーの前には不安を感じて精神が不安定になるそうな。ミュージシャンにとって、ツアーってのは相当にプレッシャーのキツいものらしい。

 人種差別主義者の信条がキリスト教原理主義とナチズムの混合物だったり、カルトを抜けたはずの人が相変わらずかつての生活を懐かしがってたり。読了後は、人間って奴が更にわからなくなる。

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2011年9月22日 (木)

ウィリアム・パウンドストーン「選挙のパラドクス なぜあの人が選ばれるのか?」青土社 篠儀直子訳

本書が問うているのはごく単純な問いだ。公正な投票方法、表割れに左右されない投票方法を編み出すことは可能だろうか?ごく最近まで、答えは絶対にノーであると、識者の誰もが言っていた。彼らは、ノーベル経済学賞受賞者ケネス・アローの仕事を引き、その有名な不可能性定理を持ち出したものだ。

どんな本?

 公正な、少なくとも最も有権者の不満の少ない投票形式は、どんなものか?様々な選挙方式を紹介し、それぞれの利点と欠点、そして欠点が露呈した具体例を挙げ、理想の投票形式を探求する。

 とはいっても、本書は無味乾燥な解説書ではない。

 実際の選挙は生臭い。ライバルのスキャンダルをあげつらうネガティブ・キャンペーンもあれば、「敵に敵は味方」として政治姿勢が全く異なる候補を支援する時もある。本書では、基本に数学のモデルを置きながら、同時に計算高い候補者や投票者の行動の配慮も忘れない。

 選挙方法の模索に尽力した科学者・数学者の生涯や、アメリカ史上で有名な選挙戦、そして今実際に新しい選挙制度の導入に尽力している人々を紹介しながら、ドラマ仕立てて各種の選挙方式を学べる、典型的な「面白くでタメになる」本。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は William Poundstone, Gaming the Vote; Why Elections Aren't Fair ( and What We Can Do About It ), New York; Hill and Wang, 2008。日本語版は2008年7月8日第1刷発行。ハードカバー縦一段組みで本文約366頁。9ポイント47字×19行×366頁=326,838字、400字詰め原稿用紙で約818枚、小説なら長めの長編の分量。

 翻訳物のわりに、日本語の文章は比較的自然な方だが、元々の文章がクセが強いようだ。ややスラッシュドットや O'Reilly っぽいセンスがある。読者として現代のアメリカ人を想定しており、アメリカの文化や風俗に通じていないとツラいかも。例え話にディルバートが出てきたり。

 また、アメリカの政治情勢も常識レベルには必要。とはいえ民主党と共和党の違い、ニクソンとケネディの対決ぐらいだけど。「数学は苦手」という人は、ご安心を。足し算が出来れば充分理解できます。

構成は?

 プロローグ 魔法使い(ウィザード)とトカゲ(リザード)
Ⅰ 問題
 1 ゲーム理論
 2 ビッグ・バン
 3 票割れ小史
 4 アメリカで最も邪悪な男
 5 ラン、ラルフ、ラン!
 6 スポイラーの年
Ⅱ 解
 7 キリバスのトラブル
 8 新しい鐘楼
 9 即時決選投票
 10 循環なんてこわくない
 11 バックリーとクローンたち
 12 バッド・サンタ
 13 ラスト・マン・スタンディング
 14 ホット・オア・ノット?
 15 出席すれども投票せず
Ⅲ 現実
 16 民主主義の未来の姿
 17 ブルーマン大当たり

用語解説/謝辞/訳者あとがき/ウェブサイト/文献/原注/索引

感想は?

 登場人物は大きく分けて三種類に分かれる。学者と政治関係者と民間人だ。学者は選挙の理論を考え、政治関係者は制度を利用し、民間人はよりよい選挙方式を実現しようする人。その中で、読んでて最も面白いのが、学者のエピソード。浮世離れしているというか(知的)欲望に忠実というか偏っているというか。

 冒頭のクルト・ゲーデルから、いきなり爆笑。不完全性定理で数学者を絶望の淵に叩き込んだ、あの人。ナチスを逃れアメリカに逃れたゲーデル、1947年に市民権を取得しようと思い立つ。審査の立会人は親友のアルベルト・アインシュタインとオスカー・モルゲンシュテルン。それまでノンポリだったゲーデル、熱心にアメリカの政治システムを学び始める。ところが審査の前日、ゲーデルはとんでもないことを言い始める。「合衆国憲法に論理的矛盾を見つけた」と、大真面目に。困った人だ。

 ツレのモルゲンシュテルンも変わった人で、「重要な新しい発見に出会うと、モルゲンシュテルンは自分の研究を放り出して、まるでステージ・マザーのようにその新しいアイディアを売り込んで回るのだ」。研究所内の広告屋とでもいいますか。彼の貢献として最も有名なのが、フォン・ノイマンのゲーム理論。

Q:ジョニー(フォン・ノイマン)、モリゲンシュテルンの貢献というのは、ほんとうのところどういうものだったんだい?教えてくれよ。
A:オスカーがいなかったら、わたしは『ゲームの理論と経済行動]を書くことはなかったよ。

 本書で扱うモデルの大半は、日本だと小選挙区制で知られるモデルだ。つまり、ひとつの議席を複数の候補者が争う形。勝手な想像だが、大選挙区制だとモデルが複雑すぎて扱うのが難しいんだろう、たぶん。

 候補者が二人なら、大きな問題は起きない。ところが、三人以上になると、奇怪な現象が起きる。

 例えば、一般に保守系と思われる共和党が、超リベラルな"緑の党"を支援したケースが語られる。「スポイラー」と言われる状況だ。共和党と民主党が熾烈なトップ争いをしている所に、緑の党が候補者を立てる。緑の党は、主に民主党の票を奪う。この場合、共和党は緑の党を支援すると、ライバルの民主党に対し有利になるのだ。

 ということで、記憶に新しいブッシュJr・ゴア・ネーダーの例も出てくる。バラク・オバマの肩書きが「上院議員」になってるのも、感慨深い。

 肝心の選挙方式。我々日本人に馴染み深い「各有権者が一人の候補者に投票する」方式は、相対多数投票という名前で出てくる。著者はこれをあまり高く評価せず、範囲投票を最も高く評価している。他に紹介されるのは、ボルダ式得点法→Wikipedia・即時決選投票(IRV)→Wikipediaの比例代表制・単記移譲式投票(STV)→Wikipedia・コンドルセ投票→Wikipediaの投票の逆理・累積投票・是認投票・範囲投票。

 累積投票は、例えば有権者全員が持ち点10を持ち、それを各候補者に配分する。是認投票は、有権者が全候補者に対しYESかNOかを投票する。範囲投票は是認投票の拡張版。有権者が、各候補者を、10点満点で何点かを評価する。

 感心したのが是認投票の例。数人の仲間と食事に行く際、複数の案で意見が分かれた時、これで行き先を決めると手っ取り早いよ、などとアドバイスをくれる。中華料理店が二つ、洋食屋が一つで、10人中6人が中華を好み4人が洋食の場合、相対多数投票は票割れを起こして洋食になりかねない。そこで、レストランの名前を読み上げ、各員が手を挙げるなどでYESかNOかを表明し、最も多くのYESを勝ち取った所に行けばいい。もっとも、大阪人なら、「全部の店を食い荒らす」という解を見つけるかも。

 著者お勧めの範囲投票、ここじゃ満点を仮に10点としたけど、ありがちなのは5段階評価。「最高・良い・普通・悪い・最悪」で評価する形って、アンケートとかじゃ良くあるよね。Amazonの書評やGoogleの星とか。面白いのは、表現による親しみやすさの違い。「点数」を「五段階」に代えただけで、ぐっとわかりやすくなる。

 現実には選挙制度が政治状況を作り出す面もあるよ、と著者はちゃんとクギをさしている。現行の選挙制度が二大政党制を作り、「穏健派」を多く排出している、と。適切であるからと言って、それが現実に施行されるとは限らない。数学と政治と言う対極的な世界を橋渡しする本書の末尾で、ケネス・アローの言葉が巧くそれを表現している。

 科学者であれば、「おやおや、わたしが去年言っていたことは間違いだったよ!」と言える。それが、先端を行く寛容な知的進歩というものだ。だが政治だと、これはかなりまずいことになる。

 翻って日本の選挙制度を見ると、抜本的な選挙制度改革は話題にならず、区割りでガタガタしている。あまり頻繁に変えるのも問題だけど、全く進歩がないってのも、なんだかなあ。

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2011年9月19日 (月)

ロバート・チャールズ・ウィルスン「クロノリス 時の碑」創元SF文庫 茂木健訳

「だから俺は、表通りが大っ嫌いなんだ」

どんな本?

 時間封鎖・無限記憶と続くシリーズで鮮烈に登場したロバート・チャールズ・ウィルスンによる、キャンベル記念賞受賞の長編SF。近未来のアメリカを舞台に、超科学を持つ未来からの侵略(?)を受けて激動する社会情勢と、その荒波の中で右往左往しながらも足掻きながら日々の生活を続ける人々を描く。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は The Chronoliths, by Robert Charles Wilson, 2001。日本語版は2011年5月31日初版。文庫本縦一段組みで本文466頁+堺三保の解説7頁。8ポイント42字×18行×466頁=352,296字、400字詰め原稿用紙で約881枚。長めの長編。

 舞台は近未来の地球、それも主に(小説の舞台としては)馴染みの深いアメリカ合衆国でもあり、SFのわりに舞台背景を理解するのは難しくない。時折「ミュー粒子」だの「カラビ・ヤウ空間」だのと難しげな言葉が出てくるけど、「ナニやら先端的な物理の話なんだろう」ぐらいに考えておけば充分。主人公も分かってないし。

どんな話?

 2021年のタイで、若きプログラマーのスコット・ウォーデンは自堕落な日々を送っていた。貯金はスッカラカン、妻のジャニスとは険悪。怪しげな商売をしている悪友のヒッチに誘われ、明け方の爆音の元を野次馬根性で覗きに行ったのが運のツキ。そこには一夜で突然「記念碑」が建っていた。当局に捕まったスコットが尋問されている間、5歳の娘のケイトリンは急病で苦しんでいた。

 その記念碑には、文章が刻まれていた。「2041年12月21日、タイ南部とマレーシアをクインが下した」由を祝する、戦勝記念の碑だった。

 クインとは何者か?未来は独裁者に牛耳られるのか?なぜクインは記念碑を過去に送ったのか?未来は決まっているのか?正体不明の碑に人々は浮き足立ち、社会は騒然とする中、スコットは…嫁のジャニスに愛想をつかされていた。

感想は?

 いかにもSFテイスト満開っぽいカバーとは裏腹に、実は生活感溢れるキャラクター小説っぽい内容だった。世界が変わっていく中で、家族のために悩む人々、という点では、ナンシー・クレスの諸作品と感触が似ているかも。

 まず主役のスコット君が嫌な感じに等身大というか尻が青いというか、どうにも情けない。出だしから女房子供づれでタイに「沈没(*)」している。しかも幼い娘が病気で苦しんでるというのに、悪友と一緒に野次馬に出かける始末。そりゃ愛想つかされるって。

*沈没:貧乏長期海外旅行者の俗語。旅先に順応しすぎて(または怖気づいて)、次の目的地に移動するキッカケがつかめず、宿に長期逗留してしまう状態。

 とまれ、そこんとこ自覚してるのがスコット君の憎めない所。「こりゃ女房に見放されても仕方ないよなあ」と反省し、「せめて娘のケイトの前じゃ良き父でいよう」と奮闘するあたりは真面目というか小市民的というか。この小市民的な「いやだって俺一般人だし」的なボヤキは繰り返し出てきて、「おまい主人公だろ、世界をなんとかせい」と突っ込みを入れたくなるんだが、あくまでスコットの悩みの中心を占めるのは家族のことばかり。

 という典型的な巻き込まれ型の主人公なわけだが、実はそこらへんもこの小説の重要なテーマの一つになってるから、この作者はあなどれない。ええ、全部クインが悪いんです。

 情けないスコットと対照的に、元気いっぱいに暴れまわるのが変わり者の理論物理学者、スー(スラミス)・チョプラ。トコトン空気を読まない分、鋭い洞察力と行動力を備えた彼女は、ぐんぐんとクロノリスの謎に迫っていく。そんな彼女の純粋さ(?)に惹かれ、報われない騎士役を引き受ける、彼女のスタッフのレイ・モーズリー君のけなげさが泣かせる。

 情けないスコット君ではあるが、頼れる悪友もいる。意外な所で再登場するヒッチがそれ。出だしではタイで怪しげな商売をしてたヒッチ、後半では実に頼りがいのあるオッサンとして見せ場をさらっていく。

 彼らが生きるアメリカ社会は、基本的に今の延長ではあるものの、そこにクロノリスの暗い影が次第に大きくなっていく。これが巻き起こす社会の混乱が、この作品のもう一つの読みどころ。あの国の人って、よく言えば独立心旺盛、悪く言えば連邦政府への抜きがたい不信感みたいのがあって、それがリバタリアンの血脈を維持する土壌となっている。と同時に、バイブル・ベルトには狂信的なクリスチャンが多い。

 この物語でも、人々はクロノリスの出現を様々に解釈して、それぞれの思惑を実現しようと組織を作り、運動を始める。ある者は政府や軍を動かし、ある者は草の根レベルで地下組織を編成する。こういった政治・社会的な運動が巻き起こすアメリカ社会の混乱も、この作品の特徴。民間レベルでの政治運動が根付いているアメリカならでは、という展開なんだけど、それに適応しようとするスコット君の奮闘も、いかにもアメリカ的。

 アメリカ的といえば、もう一つ「ああ、アメリカだなあ」と感じさせるのが、家族の関係。主人公のスコット君に絡む人物が、見事に皆さん結婚生活の破綻を経験してるか、または独身ばかり。社会の方もそういう人々の生き方に対応しちゃってるのが、なんとも。スパっと離婚しちゃうアメリカ型がいいのか、ズルズルと家族の形を維持する旧来の日本みたいのがいいのか。

 SF的な見せ場は、クロノリスの出現シーン。こういう現象はなかなか斬新だと思う。どっかからエネルギーを調達せにゃならんわけで、そうすると…と勝手に解釈したんだけど、多分この解釈は間違ってると思う。

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2011年9月17日 (土)

フレッド・ワトソン「望遠鏡400年物語」地人書館 長沢工・永山淳子訳

ワトソンは、夜は天文学者で昼間は音楽家として過ごす者は、遅かれ早かれ問題に巻き込まれることを認識していた。しかし、それに続いて何が起こるかはわかっていなかった。というのは、ハーシェルはその後の人生を、夜はまるまる天文学者、昼はまるまる望遠鏡製作者として過ごしたからである。

どんな本?

 副題は「大望遠鏡に魅せられた男たち」。望遠鏡、それも天体望遠鏡の発達を軸に、天文学・光学・工学の歴史を辿ると共に、望遠鏡の開発・運用に携わった職人や学者の人生を、豊富なエピソードでユーモラスに綴る。科学と、それに関わった科学者の歴史をまとめた典型的な本だが、ユーモラスで親しみやすい語り口が特徴。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Stargazer; The Life and Times of the Telescope, Allen & Unwin, 2004, Fred Watson。日本語版は2009年4月5日初版第一刷。ハードカバー縦一段組みで397頁中、本文約310頁9ポイント45字×19行×310頁=265,050字、400字詰め原稿用紙で約663枚。標準的な長編小説の分量。

 翻訳物の科学解説書としちゃ文章は読みやすい方。ユーモラスなエピソードが多く、慣れない人にもとっつきやすいだろう。単位系がインチやフィートとセンチやメートルを併記してるのが嬉しい。科学・数学の部分は中学生程度の知識で読みこなせる。科学では凸レンズと凹レンズの違い、プリズムで光を分解できる、など。数学では円弧(円の一部)と双曲線(反比例のグラフの曲線ね)と放物線(斜め上に物を投げた時の軌跡)の違いぐらい。といっても、「似てるけど違うよ」ぐらいに心得とけば充分。

構成は?

 まえがき
 プロローグ
第1章 強力な望遠鏡――新たな千年紀に向けての大胆な一歩
第2章 デンマークの目――望遠鏡の幕開け
第3章 謎――古代望遠鏡の囁き
第4章 曙光――望遠鏡の出現
第5章 開花――天才の関わり
第6章 進化――望遠鏡の目覚しい進歩
第7章 反射望遠鏡について――望遠鏡製作のより良い道
第8章 鏡の像――反射望遠鏡の実現
第9章 スキャンダル――法廷に持ち込まれた望遠鏡
第10章 天へ至る道――反射望遠鏡時代の到来
第11章 感心できない天文学者たち――望遠鏡のもたらすさまざまな運命
第12章 レビヤタン――金属鏡のモンスター
第13章 悲嘆の種――南天大望遠鏡
第14章 夢の光学――巨大屈折望遠鏡の完成
第15章 銀とガラス――20世紀の望遠鏡
第16章 銀河とともに歩む――500年後へ向かって
 エピローグ――2108年9月21日

謝辞/用語集/世界の巨大望遠鏡/訳者あとがき/参考文献/原注・出典/索引

 基本的には過去から現代へ向かう素直な構成。親しみやすい内容でありながら、用語集や参考文献も充実している。

感想は?

 お堅くなりがちな内容でありながら、語り口はとってもユーモラス。例えば冒頭の引用は、天王星を発見したウイリアム・ハーシェル(1738~1822)のエピソード。

 ドイツのハノーバーに生まれ19歳でロンドンに移り、ウィルヘルム・フリードリヒから改名する。オクタゴン教会の専属オルガン奏者として成功したが、天文学にのめり込み、理想の望遠鏡を求め自ら望遠鏡作成に手を染め、いずれも高い評価を得る。成功した音楽家から天文学者に転向ってだけでも相当に変わってるのに、天文学でも天王星を発見し、望遠鏡製作ではジョージⅢ世に愛されスペイン王にも納品している。彼の妹カロラインの「お兄ちゃん萌え」っぷりも凄い。

 特に笑ったのが「ビッグバン」という言葉の由来。これを名づけたのはフレッド・ホイル(1915~2001)。そう、頑固な定常宇宙論者で、SF者には「10月1日では遅すぎる」で有名なホイル。彼が「1948年のラジオ番組でこの考え方(ビッグバン宇宙論)をけなして名づけた呼び名だった」。なんという皮肉。

 冒頭「デンマークの目」で登場するのはティコ・ブラーエ。当時の天文学者の仕事は、というと。

16世紀、占星術は、天文学と同様に科学的探究の目標と位置づけられ、給料に見合った働きをしている天文学者は皆、裕福で著名な人々やその他の人に対して、占星術で運勢を占うことが期待されていた。

 民間じゃ天動説が支配的な時代だしねえ。
 デンマーク&ノルウェイ王フレデリックⅡ世よりヴェーン島を得て天文台を作る。さすがに望遠鏡はまだ登場せず肉眼での観測となるが、位置を正確に測るには大掛かりな装置(というより建物)が必要なわけ。だけでなく。

科学的発見を上手に公表するには、書きものにして頒布するのが良いと気づいた彼は、ウラニボルクに印刷機を設置した。紙の不足で本やその他の出版物を作れなくなりそうなときには、大きな製紙工場を建て、その動力源である上から水をかける方式の直径7メートルの水車へ水を供給するために、ヴェーン島の南半分にダムと貯水池を作った。

 データを残すためにダムまで作るってのは凄い。
 実際、彼の残した豊富なデータがケプラーに受け継がれ、惑星の軌道が円でなく楕円である由が明らかになり、地動説の精度が飛躍的に上がって…という物語は有名だけど、領主としちゃ過酷な人だったようで。

 望遠鏡の発明者ははっきりしない模様。黎明期では1608年にオランダの総督マウリッツに特許または保護金の申請だ出ている。そう、マクニールの「戦争の世界史」で、常備軍設置や教練など優れた軍事改革者として持ち上げられるオランニュ公マウリッツ。ところがマウリッツ、あろうことか敵の最高司令官スピノラ侯爵に望遠鏡を見せている。油断なのか牽制なのか。軍人の度し難さを示すエピソードは他にもあって。

 1614年11月、フランスとポルトガルが植民地の支配権をめぐって戦ったとき、ブラジルのグアクサンドゥバ沖で海戦が起こった。戦いが小やみになったとき、ポルトガル軍の司令官が敵の動きをチェックするために望遠鏡を使った。しかし彼は、作戦を指揮するためにリスボンから査察にきた軍の高官によって仕事に連れ戻された。高官は頑固に言った。「こら!望遠鏡を覗いているときではないぞ。そんなことをしたって私たちの仕事も敵の数も減らないんだからな」

 当時の望遠鏡は凸レンズを使った屈折望遠鏡。これには二つの問題があっった。一つは球面収差。レンズのカーブの理想は双曲線なんだけど、当時は球面しか作れなかった。レンズが小さけりゃ誤差は少ないんだけど、大きくなるとマズい。もっと困るのが色収差。プリズムで有名なように、光は色によって屈折率が違う。この色収差、球面収差の1200倍とニュートンは計算してる。

 これをどうやって解決するかというと、案は二つ。一つはレンズを鏡で代用する反射望遠鏡。もう一つは違う種類のガラスを組み合わせて色収差を吸収するアクロマートレンズ。

 今は大口径の光学望遠鏡は反射望遠鏡が主流だけど、当時は良質な鏡がなかった。なんたって、銅を磨いて鏡を作ってるんですぜ。重いわ曇るわ反射率は低いわで、ニュートンは反射望遠鏡に辛辣な評価を下している。

 人物に焦点を当てて書評を書いちゃったけど、後半は科学的発見・工学的発達の連続がワクワクする。星の光を分光器にあてたアマチュア天文学者のウィリアム・ハギンズ(1824~)が天体物理学への道を切り開き、「星雲」の正体を突き止める。ガラスに銀メッキの鏡が反射望遠鏡の明るさを倍にし、写真が長時間露光で暗い星も観測可能にする。カール・グーテ・ジャンスキー(1905~1950)は電波望遠鏡を生み出す。

 大気のゆらぎによる妨げを受けない電波天文学者たちは、配列した望遠鏡を使って天体の細部まで描き出す方法を開拓し、0.001秒角(1/1000秒角)の分解能を得るのは今や当たり前になった。地上の光学天文学者は、うらやましげにそれを見るのみである。

 エピローグでは、天文学者の夢が語られる。SF者は必読ですぜ。
 現代じゃティコ・ブラーエのように紙の不足に悩む事はないし、記録や軌道計算はコンピュータが勝手にやってくれる。写真だってCCDが優れた感度を達成してる。どころか大気の影響を受けない軌道上にまで観測衛星を打ち上げている。観測環境が向上した今後、天文学はどんな勢いで発展していくんだろう。長生きしたいなあ。

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2011年9月14日 (水)

スタンレー・ミルグラム「服従の心理」河出書房新社 山形浩生訳

その教訓とはつまり、しばしば人の行動を決めるのは、その人がどういう人物かということではなく、その人がどういう状況に置かれるかということなのだ、ということである。

どんな本?

 俗に「アイヒマン実験」と呼ばれ、多くの小説などで引用される、有名な心理学実験の成果報告。

 場にいるのは三人。実験者、被験者、役者。被験者は「教育における罰の効用を調べる」と言われ、実験に参加する。被験者が問題を読み上げ、役者が答える。役者が間違えると、罰として被験者が役者に電撃を与える(実際には電撃はなく、役者は苦悶の演技をしているだけ)。実験者は、被験者に、誤答が続くと次第に電圧を上げるよう指示し、役者は苦悶の訴えを強くしていく。どれだけの被験者が、どの時点で、実験の継続を拒否するか。

 それはどんな目的で、どのような手順で、どの程度の規模で、どんな対照実験があったのか。その結果は。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Stanly Milgram "Obedience to Authority : An Experimental view" (Harper & Row, 1974)。直訳すると「権威への服従――実験的な観点から」。日本語訳は2008年11月30日初版発行。私が読んだのは2009年1月30日の第二刷。有名な本だけあって、地味に売れてる模様。

 ハードカバー縦一段組みで約310頁。9ポイント46字×18行×310頁=256,680字、400字詰め原稿用紙で約642頁。小説なら普通の長編の分量。真面目な学術書だが、山形氏の訳は抜群に読みやすい。さすがにライトノベル並み、とはいかないけど、内容の硬さの割にはスラスラ読める。

構成は?

 序文
 謝辞
第1章 服従のジレンマ
第2章 検討方法
第3章 予想される行動
第4章 被害者との近接性
第5章 権威に直面した個人
第6章 さらなる変種やコントロール
第7章 権威に直面した個人 その2
第8章 役割の入れ替え
第9章 集団効果
第10章 なぜ服従するのかの分析
第11章 服従のプロセス 分析を実験に適用する
第12章 緊張と非服従
第13章 別の理論 攻撃性がカギなのだろうか?
第14章 手法上の問題点
第15章 エピローグ
 補遺1 研究における倫理の問題
 補遺2 個人間のパターン
 原注
 参考文献
 序文(2004年版) ジェローム・S・ブラナー
 訳者あとがき

 前半、第1章~第9章までが実験の報告で、第10章以降は考察に宛てている。有名な実験だけに批判も多く、補遺では批判への反論が中心となっている。訳者あとがきでも、訳者なりの反論を試みている。

感想は?

 この研究の目的は、組織的に行われる残虐行為のメカニズムを探る事だ。著者はその原因の一つに、「人が権威に服従する傾向がある」としている。「命令されたからやったんだ」ってやつ。

 実験の概要は先に挙げたとおり。最初の電撃は電圧15ボルトで、15ボルトづつ上げていき、最終的には450ボルトまで上げる(と、被験者には説明するが、実際には電流は流れず、役者が苦しむ演技をするだけ)。

 で、どこまで被験者は続けるか。事前にアンケートを取ったところ、「最後まで実験に付き合う奴は滅多にいない」という予想だった。

 実験は、色々と条件を変えてやっている。役者が隣の部屋にいて、声も聞こえないが、壁をたたく音が聞こえる場合だと、被験者40人中26人が最後まで付き合った。65%ですな。声だけ聞こえる場合は25人、同じ部屋だと16人。最後に、「暴れた役者が実験器具から離れ、被験者が役者に触れて器具を接続しなおす」条件だと、最後まで行くのは12人。被害者との「距離」が近づくほど、服従しなくなる。まあ、予想通りだね。

 ところが、電撃を与える役を、別の人が担当するように替えると、40人中37人が最後まで付き合ってる。自分が最終的に手を下さないでいいとなると、ヒトってのは割り切っちゃうわけ。どころか、もっと怖い現象まで出てくる。

多くの被験者は、被害者を害する行動をとった結果として、辛辣に被害者を貶めるようになっていた。「あの人はあまりにバカで頑固だったから、電撃をくらっても当然だったんですよ」といった発言はしょっちゅう見られた。

 「いじめ」や差別がしぶとい原因のひとつが、これなんだろうなあ。
 「ヒトって本来サドなんじゃね?」というヒトが本来持っている攻撃性に原因を求める説に対し、実験者が席を外す、被験者が電撃の強さを好きに選ぶ、などの対照実験を通じてコレを否定している。後者では、被験者の大半が最低レベルの電撃で済ませている。

 他にも、「同調」を調べる実験もしている。被験者は3人となり、途中で同僚(のフリをした人)が実験の中止を申し出て、実験を途中で放り出す。同僚二人が放り出した場合、最後まで実験に付き合うのは40人中4人。人には付和雷同する携行がある、ということ。

 現実の残虐行為は、長期間の洗脳や、軍などのキッチリした組織に組み込まれた形で起こる。この実験では、初対面の学者に「実験に協力してくれ」と頼まれる、それだけだ。とまれ、その学者は高名なイェール大学の教授なわけで、権威では、ある。

 実はその辺も対照実験していて、そこでは民間の研究会と身分を偽っている。ところが、その結果はイェール大学での結果と大きく違わなかった。役割が固定されちゃうと、そこから抜け出すのは、結構難しいわけ。

 ただ、いずれの実験も、サンプル数40というのは、統計的にどうなんだろう?
 当時はベトナム戦争が続いてた。エピローグでは、その辺を皮肉っている。

 アメリカ中の大学で、この服従実験について講演するたびに驚かされるのだが、若者たちは実験の被験者たちの行動に仰天して、自分なら絶対にそんな行動はしないと断言するのに、その同じ人が数ヵ月後には軍にとられて、被害者に電撃を加えるのとは比べものにならないような行動を、良心の呵責一切なしにやってのけるのである。

 いや現実にはトラウマに悩まされる人も多いわけで、当時は戦争後遺症が知られてなかったんだろうなあ。

 人が社会を形成し運営していく上で、権威に服従する傾向は、むしろ絶対に必要なことでもある。自営業の人だって、主治医の指示には従うだろうし、買い物の行列には並ぶ。ただ、それが行き過ぎちゃうと、地下鉄サリンみたいな事になる。社会や組織は所詮人が作るもので、完全ではありえないけど、改善の余地はある。山形氏も「訳者あとがき」で色々提案してるけど、私は徹底した情報公開が効果的じゃないか、と思っている。

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2011年9月12日 (月)

榊涼介「ガンパレード・マーチ2K 5121暗殺」電撃文庫

「サムライじゃのー、加藤は。そんなことしたら、俺ら全員、南鳥島に島流しぞ。来る日も来る日も太平洋の荒波を眺めて暮らさにゃならん。それでもよかね?俺は覚悟はできとる。原さん親衛隊の若宮は幸福のあまり死ぬかもしれん」

どんな本?

 オリジナルは2000年9月28日発売の SONY PlayStation 用ゲーム、「高機動幻想ガンパレード・マーチ」。昨年PSPのゲーム・アーカイブで再発売されたが、それまでは中古市場でも販売価格が¥4,000程度(新品は¥4,800)を維持し続けたなど、多くの伝説を誇る化け物ゲーム。

 そのノベライズとして2001年12月に始まったこのシリーズも、もうすぐ10年目で30冊目(ガンパレード・オーケストラを含めると33冊目)。作家の榊氏も息切れするかと思いきや、むしろ年を追うに従い刊行ペースが増し、今年始まった「ガンパレード・マーチ2K」シリーズは既に5冊目。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2011年9月11日初版発行。文庫本で縦一段組み約280頁も前巻とほぼ同じ、安定してるなあ。8ポイント42字×17行×280頁=199920字、400字詰め原稿用紙で約500枚。テーマが戦争で登場人物の多くが軍人や政治家だけにお堅い言い回しは多いが、あくまでライトノベルとしての可読性は充分に維持している。

 とまれ、長いシリーズだけに小説独自の登場人物も多く、5121小隊の面々にもオリジナルの属性が付加されている。これから読む人は素直に「5121小隊の日常」から入る事を薦めます。

どんな話?

 北海道動乱にもカタがつき、やっと平和になった日本。とはいえ軍も政府も機能を停止したわけではなく、むしろ予算の取り合いは活発になっている。南方の資源地帯回復のための海兵増強を主張する善行、シベリア居留地の開発を優先すべきとする山川と牧島。その会議を終えた善行は、何者かに拉致される。

感想は?

 桜沢レイちゃん、大活躍。一番美味しい場面で一番美味しい所をさらっていきます。トレードマークの黄色い工事用ヘルメットはそのまま、今回は真紅のミニ・スーツ。テレビ新東京のローテンシュトルムとでも言いますか。そのうちファッション誌が特集するかも。「魅惑のヘルメット特集、デキる女はツバ有りアメリカン!」とか。しかし久萬はブレないw

 そのレイちゃんスペシャル久遠をデザインした原さん、片手間にやったのかと思ったら、案外と丹精こめて仕事した模様。初対面じゃあれだけイジめたのに、めげない人にはちゃんと目をかけるのね。この二人が並んでTVに映るシーンがあったら、オヂサンたち大喜びだろうなあ。

 肝心のお話はというと、皆さんの想像通り。北海道にもちょっかいを出そうとした海の向こうの某国が、アレコレと触手をのばしてくる、という筋書き。今まで謎に包まれていたアチラの状況が、少しづつ見えてくるのもこの巻の読みどころ。近年の現実の政治状況を反映してか、結構ヤバい感じに仕上がってます。

 ヤバいといえば、巻を追うごとにアブなくなってきた森さん、今は広島の壬生屋家に居候中。どちらも無愛想で不器用で生真面目でブラコンだから、相性はいいんだろうなあ。この二人の化粧品談義とか、どうなるんだろう。分子式を持ち出す森に頭痛を訴える未央ちゃんって感じかな?

 肝心の士魂号、今回はほとんど登場シーンなし。いや一部で出てくるんだけど、この配役と舞台は酷いw もう少しカッコつけさせてやれって。なんというか、隠密行動がトコトン似合わないやっちゃ。

 さて、表紙に出てくるのは裏方代表の加藤と新井木。整備の連中は相変わらずで、特にイワッチはここでもマイペース。平穏に安んじないというか、常に常識では対応不能な状況を作り出してる。狩谷と中村の対立も通常通り。微妙に担当機の性格を反映してるのも面白い所。滝川が本能で戦術を編み出し、森が日本語に翻訳し、茜が理論化し、狩谷と加藤が整備と補給を含めた運用体制をマニュアル化すれば、自衛軍が汎用的に使えるモノになると思うんだけど、それが彼らの幸福につながるかといえば、うーん。

 ちょいと真面目な話、大きく頷いたのがこの辺。この巻では文部省が絡んで若年層の教育方針がテーマのひとつになってるんだけど、それについて。

 「…なぜ、日本自衛軍が本土決戦に勝ち続けたかを我々も分析しました。それは、兵が自らの頭で判断ができる、ということです…」

 兵器の稼働率は整備兵の教育レベルに比例するんだよね。中東戦争がいいサンプル。その稼働率に大きな問題を抱える二足歩行戦車部隊の一員として、舞ちゃんも果敢に教師役にチャレンジ。担当教科は、ご想像のとおり。まあ彼女に「生活」や「生物」なんかやらせたら、大変な事になるのは目に見えてるけど。統率力はあるんだから、案外と適正はあるのかも。しかし親分と対面できなかったのは、無念だろうなあ。

 帯には「2Kシリーズ完結」とあるけど、今回もあとがきも解説もなし。ナニやら舞台を含め大きく動き出しそうな状況でこの巻は終わってるけど、また暫くヤキモキさせられるんだろうなあ。いやホント、広報体制なんとか考えて下さいなメディアワークスさん。

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2011年9月10日 (土)

笹本祐一「ARIEL vol.10」SONORAMA NOVELS

「岸田おまえ、地球を売ったな?」

どんな本?

 「ライトノベル」という言葉すらない黎明期から優れた作品を連発した笹本祐一の代表作でもある人気シリーズにして、2005年星雲賞受賞作の完結編。

 地球侵略を狙う悪の宇宙人。それを迎え撃つは天才科学者岸田博士率いる SCEBAI が開発した巨大二足歩行ロボット ARIEL と、それに乗り組む三人の美女と美少女。行け、ARIEL、戦え、ARIEL。地球の平和は SCEBAI にかかっている!

 …ごめんないさい、嘘です。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2011年5月30日第一刷発行。新書版で縦二段組で本文約432頁+あとがき4頁+イラスト担当の鈴木雅久氏によるおまけ4頁。8ポイント23字×17字×2段×432頁=337,824字、400字詰め原稿用紙で約845頁。文庫本19巻と20巻の合本だけあって、普通のライトノベルの約2倍の分量。

 文章の可読性は相変わらず安定した読みやすさ。ただ、航空宇宙関係のマニアックぶりは前回同様の濃さなので、好きな人は期待しよう。敢えて言うなら、ハウザー父子がちとややこしいかも。ハウザー"艦長"がタレ目の倅、ハウザー"艦隊司令"がとーちゃん。

 完結編だけあって、今までの主要登場人物がほぼ勢ぞろい。曲者が揃ってるんで、素直に1巻から読みましょう。

掲載作品は?

第48話 グランド・フィナーレ
第49話 帰還軌道
第50話 国連脱出作戦
第51話 SCEBAI最終決戦
第52話 星へ続く道
プラス1話 終わりなき戦い(中篇)

 「終わりなき戦い」、この巻で完結かと思ったら、なんと次巻へ続くとは。既に最終巻が2011年7月20日に ARIEL EX として出ている。

どんな話?

 お祭りオープン・フリートの余興のはずの模擬戦。不穏な勢力の侵入で制御不能のバトルロイヤルになるかと思われたが、ハウザー艦長と ARIEL の活躍?で平和裏に終結した。その陰で、潜り込んだ岸田・天本・羽那は着々と仕事を進め、同じく潜り込んだ由貴・ナミ・エミと接触する。人類と異星人のファースト・コンタクトの成果は、美亜の腕にかかる…

感想は?

 笹本氏、やりたい放題。前回の読みどころはシャトルと ARIEL のランデブーだったのに対し、今回の読みどころはシャトルの帰還プロセス。一般に打ち上げは注目されるのに、帰還のシーケンスは軽視されがち。なだけに、この巻の凝りまくった描写、特に軌道上のシーンは貴重。相対速度秒速0.1mとか、どうやって調べたんだか。地球脱出速度が秒速約11kmだから、0.001%の速度差かあ。軌道調整のリアリティも半端なく、ラリイ・ニーヴンの「スモーク・リング」を髣髴とさせる迫力。「上は後ろ、後ろは下、下は前、前は上」だっけ?

 それに続く大気圏内の発想も見事。準備万端てぐすねひいて待つ連中に対応するためとはいえ、この発想は…。まあ、あそこの連中って、実はお祭り好きでノリがいいから、こういう事になるかも。

 巻を追うに従いメキメキと頭角を現してきた由貴ちゃん、この巻でも岸田博士と張り合って着々と手を打ちまくります。どこまで計画でどこからがアドリブなのか全く分からないあたりも、岸田博士に通じるものがあって。

 前々巻あたりから低気圧だった絢ちゃん、前巻ではおとなしいな、と思ったら…。いや ARIEL の担当がアレだし、こりゃヤバいよねえ、と思ってたら、そうきますかあ。まあ普段の彼女の性格から、どうなるかしらん、と心配してたんだけど、これは。

 今までほとんど見せ所のなかった主役メカの ARIEL、終盤にきてやっと見せ場の連発。特に最高なのが、羽衣をまとった飛行シーン。これは見ほれます。だから女性型にしたのね←違うと思う

 異性人サイドでは、相変わらず無駄な抵抗を続けているハウザー"艦長"ながら、もはや参謀副官のデモノバが完全に包囲側に移った模様。こりゃ降伏は時間の問題だなあ。

 ライトノベルらしく爽快で安心のストーリー、曲者ぞろいの登場人物、それなりに説得力のある異星人の社会、そして笹本氏の趣味炸裂な軌道上の描写。思いっきり出鱈目っぽい滑り出しのシリーズでありながら、完結編では見事な本格SFに持っていくとは。こりゃ星雲賞も当然と、納得のシリーズでありました。

 さて、おまけの「終わりなき戦い」。笹本氏、きっとP・W・シンガーの「戦争請負会社」を読んでる。

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2011年9月 8日 (木)

遠藤欽作・帆足孝治「コンコルド狂想曲 米、欧、ソ三つどもえの夢の跡 -超音速旅客機に明日はあるか-」イカロス出版

 英仏両国の5万人以上が直接・間接に関わりをもつことになったコンコルド計画は、大西洋横断飛行時間を3時間半に短縮したのみならず、世界中のどこへでも12時間以内で飛んでいけるスピードを持っていた。

どんな本?

 イギリスとフランスが威信をかけて開発に挑んだ SST(Super Sonic Transport, 超音速旅客機)、コンコルド。その開発には両国の政治的な綱引きから規格の不統一、開発費の高騰や騒音など多数の難関と共に、航空王国を自負する米国の US/SST とソ連の英雄ツポレフが率いる Tu-144 がライバルとして立ちはだかった。

 残念ながら引退してしまったコンコルドを軸に、第二次世界大戦後の英・仏・米・ソによる、航空機開発の歴史を辿る。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2008年8月29日第一刷発行。ハードカバー縦一段組み341頁。10.5ポイントの年寄りに優しいサイズで41字×15行×341頁=209,715字、400字詰め原稿用紙で約525枚、標準的な長編小説の分量。

 ジャーナリストの著作だけあって文章は読みやすい。ただ、テーマがテーマなので「後縁フラップ」や「カナード」などの専門用語は出てくる。「ターボジェット」と「ターボフラップ」の違い、バイパス比等も知っていると楽しみが増す(Wikipedia のジェッドエンジン参照)。アメリカの部分ではヤード・ポンド法で記述してあるのが、素人にはちと不親切かも。この世界の常識なのかな。

構成は?

 まえがき
序章
第一章 コンコルド出現前夜
第二章 欧州のプライドをかけたSST「コンコルド」
第三章 ソ連製SST、Tu-144 とコンコルド就航
第四章 ジャンボジェットかSSTか 出遅れたアメリカ
第五章 パンナムとTWAが後押しした US/SST
第六章 ボーイング2707への一本化と航空天国の挫折
第七章 コンコルドの終焉と次世代SSTの可能性
 あとがき

お話は基本的に時系列順に進む。書名ではコンコルドのみに焦点を当てているように見えるが、実際は第三章はソ連、第四章~第六章はアメリカの航空業界に焦点を当てている。

感想は?

 書名からコンコルドが主役の物語かと思ったが、後半はアメリカが主役になっていた。この世界でのアメリカの存在感の大きさがよく分かる。開発費高騰による航空機産業のリスキーさ、世界中に(元)植民地を抱える欧州の事情、そして、直接は書かれていないが、太平洋路線の長距離航行が中心となる日本の市場の特異性も伝わってくる。

 世界初の実用ジェット旅客機は英国のデハビランド・コメット。1949年7月27日に就航したはいいが、1954年1月10日に「エルバ島上空高度1130mで突然消息を絶った」。3ヶ月の飛行停止の後、飛行を再開するも再び事故発生。その原因は、有名な金属疲労。

 高空では与圧するので内から外に圧力がかかるが、低空では外気圧と同じになる。機体は膨張と収縮を繰り返し、ついには亀裂に至る。原因を解明し改良したコメット4型を1958年に送り出すも、市場はボーイング707とダグラスDC-8に攫われていた。
 ってんで巻き返しを図る英国、ライバルのフランスと組んでSST開発に乗り出す。意外なのは、その滑り出し。

 最初は、両国がお互いに似たような飛行機を作ろうとしているのだから、それぞれが開発資金の調達に苦労するよりも、できる部分を協力し合いながらやったらどうだろう、といった程度の思い付きから始まったのである。たとえば双方が同じ計器や空調システムを使用するだけでも大きなコスト節約になる。

 一つの機体を開発するという大げさな目標ではなく、統一規格を制定して部品やシステムの互換性を高めよう、程度の小さな話が、膨れ上がってコンコルドになったわけ。これにイギリスのEEC(現在のEU)加盟が絡み、両国の話し合いは進んでいく。

 コスト節約が目的だったのに、開発費は…。当初1億5千万ポンドの予定が、1972年には10億7千万ポンド。ポンド下落とインフレなど経済的な背景のほか、要求仕様や新装置増設に比例して増える機体重量がエンジンを大型化させ、それが燃料タンクを大きくして…といった技術的な問題も関係してくる。典型的なデスマーチ。ああ、胸が痛い。

 そこに突然登場したのがソ連の Tu-144。初飛行は1968年12月31日。なんと機内は抑圧されておらず、「このため4人の乗組員は与圧スーツを着用していた」。「これでやっと30年の苦労が実った。我々はついに世界の一番乗りを果たしたのだ」とつぶやいたのは多発の輸送機・爆撃機の設計を得意とするアンドレイ・ツポレフ老。

 有名なB-29のデッドコピーTu-4のエピソードも出てくるのには笑った。貴重な Tu-144 の写真も収録されてて、たしかにカナードを除けばコンコルドにそっくり。パリのエア・ショーでアエロフロートのパリ支店長が自らコンコルドのタイヤ屑を拾ういじましさすら漂うスパイ活動などのエピソードも楽しい。
 1977年のエア・ショーで話題を攫った Tu-144、しかし「翌1978年6月10日には早くも運行を停止」。燃費が異様に悪い上に連発するトラブルが寿命を縮めた。

 満を持して登場するアメリカは、テスト飛行一万時間を課し、北米大陸上での超音速飛行禁止などの嫌がらせを始める。コンコルド導入を決めかけていたパンナムに対し、幻の US/SST をちらつかせて牽制する。などの暗い話が中心だが、ボーイング747の成功物語は楽しい。

 実際、ボーイングでは、747の生産が始まった後になっても、将来床下の巨大なカーゴルームが埋まるほどの貨物需要が出てくるとは確信がもてず、レントン工場に設置されたモックアップを使って、床下にソファーやカウンターを置いて、豪華なラウンジやサロンを設けるなど、余剰スペースのより有効な使い道を研究していたほどである。

 意外と謙虚。

 747は、最新型の747-400、747-8を含めてこれまで1520機以上が売れている。100機売れれば上々と考えていた当時のボーイングにとってはとんでもない誤算である。

 「プログラミング言語C」も似たような経過を辿ったんだよなあ。
 軍用機の話も「SR-71の存在は配備後に公開された」、「1964年にはB52の性能は限界に近づいていると考えられた」など、興味深い。今 Wikipedia のB52の項を調べたら、「1962年に最終号機を納入し終えてから半世紀近くなるが未だに就役を続けており2045年までの運用を予定している」って、どんだけ長命なんだよB52。

 米国政府がハッタリかまして開発を推進した US/SST、ボーイングの可変翼2707案を採用したはいいが技術的な問題は開発費を膨れ上がらせ、折からの環境問題への関心の高まりや原油高も相まって1971年3月24日に「上院は US/SST プログラムの中止を正式に決定」。先頭に立って中止を訴えたのがウィスコンシン州選出の民主党上院議員、かの有名なウィリアム・プロキシマイアー。そう、あのNASAの天敵プロキシマイアー議員。ロッキードのおとなしいダブル・デルタ案だったら US/SST は実現してたのかなあ。

 結局、2003年10月24日のブリティッシュ・エアウェイズの旅客便を最後としてコンコルドは引退する。今後の展望として、著者は、コンコルドにはチャーター便の利用が多かった点を根拠として、「旅客層は多くはないが確実に存在する」と分析している。その上で、10人~12人乗り程度のビジネス・ジェットが有望だろう、と述べている。いい線ついてると思う。

 航続距離の問題で、太平洋路線が中心の日本には馴染みの薄かったコンコルド。F-22などはアフターバーナーを使わないスーパークルーズを実現しているし、技術的には超音速飛行のハードルは下がっているはずなんだけど、商売となるとモトが取れないと実現しない。それでもガルフ・ストリームなどで研究・開発は続いている模様。何か突破口となるモノが出てきて欲しいなあ。

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2011年9月 5日 (月)

高橋克彦「竜の柩 新・竜の柩 霊の柩」祥伝社

「死ぬのはヤツらだ」

どんな本?

 ミステリや歴史小説での実績を誇り、直木賞受賞作家でもある著者による、人気オカルト長編シリーズ。人類の歴史に陰に潜む「龍」の謎を追う、博覧強記のTVディレクター九鬼虹人と愉快な仲間たちが繰り広げる壮大な物語。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 今は祥伝社文庫に「竜の柩」として6巻にまとまっている。

  1. 竜の柩:発表は1989年。私が読んだのは祥伝社 NON NOVEL。1993年8月31日初版第一刷発行。新書縦二段組548頁。25字×19行×2段×548頁=520600字、400字詰め原稿用紙で約1,302枚。
  2. 新・竜の柩:祥伝社 ハードカバー上下巻。1992年6月30日初版第一刷発行。9.5ポイント縦一段組み43字×20行×(319頁+283頁)=517,720字、400字詰め原稿用紙で約1,295枚。
  3. 霊の柩:祥伝社 ハードカバー。2000年2月20日初版第一刷発行。9ポイント縦一段組611頁。45字×20行×611頁=549,900字、400字詰め原稿用紙で約1,375枚。

 全部合わせて原稿用紙約3,972枚、4000枚近い。文章は人気作家だけあって抜群の読みやすさ。一部、テーマの謎解きに関わる部分の薀蓄がズボラな読者には煩雑かも。そこが美味しい部分でもあるんだけど。それと、「首を振った」という言葉を、著者は承諾や肯定を示す動作として使ってるんだが、つまり「首を(縦に)振った」って意味なのね。

どんな話?

 歴史番組を得意とするTV番組制作会社アクト・ナインのディレクター、九鬼虹人。時間をかけた丁寧な作りの番組は品質がよい上に視聴率も稼ぐ。親しい富豪の宗像から、彼に依頼が入る。「安東水軍の本拠地があったとされる十三湖近辺の土地を買いあさっている者がいる、現地に行きその正体を調べてくれ」と。津軽王国や義経北行伝説の残る土地へ、九鬼はクルーを率いて向かう。

感想は?

 困った。色々と。

 伝奇小説だ。だけなら、問題なく「娯楽大作」と言える。ところが、著者はカバーで「私は真性です」と言っている。「コレはネタじゃないよ」と宣言しているのだ。困った。私はバリバリの懐疑派なんだ。けど、最初の「竜の柩」を半ばまで読んだ時には、急いで「新・竜の柩」と「霊の柩」を入手し、熱中して読み続けた。要は、面白かったのだ。

 と、いうことで。懐疑派の諸氏には、ネタという事にして読むことを薦める。真性だと思うと、色々と突っ込み所があって素直に楽しめない。ネタと思い込み、かつ波長が合えば、楽しめる。

 文庫は6巻構成だ。これは正解だろう。「竜の柩」と「霊の柩」は、それぞれ前半と後半で全く雰囲気の違う物語になってる。とすると(今のところは)5部構成、という事になる。

 冒頭の一部は、九鬼たちが龍の謎を追い、津軽から始まる旅の物語だ。ネタ元は「東日流外三郡誌」と「竹内文書」、それに「古事記」。「え?偽書でしょ?」と思ってナメちゃいけません。ちゃんと、「うん、偽書だよ」という姿勢で書いてます。雰囲気はMMRに近い。取材の過程で出会うモノゴトに対し、九鬼が「…ということなんだ」と解釈をし、クルーが「なんだってー!」と納得するパターン。

 そのモノゴトというのが、小さく寂れた神社だったりするのが、第一部の味。神社の由来や奉られている神の系譜について九鬼が、いわゆる正史の部分と九鬼の推理を混ぜて薀蓄をたれる。日本に住んでいれば、近所に神社の一つや二つはあるだろう。「これだけ小さい神社にも、そんな由来があったとは…」と感心し、「んじゃ、近所のあの神社の由来は…」などと好奇心をそそられる。

 第二部では、一気にユーラシア横断の旅となる。といっても、立ち寄るのはインドとパキスタンとトルコ。ここでもインドのヒンディーの神々について、九鬼の薀蓄が炸裂する。エンディングには唖然呆然。そういえば、高名なダマスカス鋼の原産地はインドだったはず。

 第三部(新・竜の柩)は、第二部の驚愕のエンディングから素直に続く、異郷での冒険物語。この辺から主役が九鬼の一人舞台から、愉快な仲間たちにもスポットがあたるようになってくる。なんといっても東と純のドツキ漫才がいい。腹時計で時間を測る楽天家で脳筋の東、実は空手の達人のクセに代えのパンツの心配をする純。

 第四部(霊の柩前半)は、著者が好きな舞台らしく、ノリノリで楽しみながら書いているのがよくわかる。オヤヂ臭い説教まで飛び出してくるのには笑った。「アシモフ自伝」と同じ細かい拘りがあって、これが舞台の空気を巧く伝えている。意外なゲストの登場も楽しい。つまりメイド喫茶はカフェのリバイバルなのね。

 第五部(霊の柩後半)も、マニアックな舞台。そりゃあの土地じゃこのネタだよね、と納得。なんだけど、問題は脳筋の東。ここでは彼が大暴れして、爆笑の連続。あんなモン相手に物怖じしないというかブレないというか。いや確かに適切な対応なんだろうけど、適応力ありすぎ。

 とまれ、色々と突っ込みたい部分もあるのは確か。いや本ネタに関わる部分じゃなく、この作家の芸風の問題で。とりあえずは二つ。

 まずは、濃厚な昭和臭。ギャグ(なのか決め台詞なのか)のセンスが、どうにも。「死ぬのはヤツらだ」って、今の人がどれだけ分かることやら。煙草のポイ捨ても気になる所。当時はそれがハードボイルドだったんだけど、今の時代じゃ…ってのもあるし、たかが20年かそこらでこれだけ倫理観が違っちゃうとすると、この大仰なネタじゃどうなることやら…というのもあって。

 次に、メカへの無頓着っぷり。神話の由来や文字には徹底して拘っている反面、「マシンガン」はないでしょう、と。状況的に射程距離より携行性を重視して短機関銃だろうけど、なら UZI とか M3 とか具体名を書いて欲しかった。「ヘリコプター」ってのも、ちと。思わず航続距離を調べちゃったよ。あの状況だと直線距離で片道500km以上、CH-47 なら航続距離2,060kmで大丈夫だねえ、とか。南波は、この辺に拘りがあるはずだし、こういう細かい部分の描写が迫真性を作り上げるわけで、神話などの部分との解像度が違いすぎるのが、どうにも「作り物」感を読者に与えてしまう。まあ、だからこそネタと割り切って楽しめた、ってのもあるけど。

 今のところは「霊の柩」が最新刊なんだけど、かなりの謎が放置されている。書き進めるうちに作者が面倒くさくなっちゃったのか、実は続きがあるのか。人間関係の部分もそうだし、連中がこっちに来た目的とか。中でも、最大の謎はタイトル。なんで「竜の柩」で、「龍の柩」じゃないんだろう?これだけ字に拘ってる作者なんだから、何か意味があると思うんだが。

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2011年9月 1日 (木)

坂口恭平「TOKYO 0円ハウス0円生活」大和書房

「工夫するのが好きなのよ。そしてこの生活は工夫すればするほど面白くなっていくわけよ」

どんな本?

 東京の路上生活者の、「家」と暮らしのルポルタージュ。隅田川沿いに立ち並ぶブルーシート・ハウスの中はどうなっているのか、それはどう作るのか、居心地はどうか、家財道具は何があり、どうやって調達しているのか。そこに住む人は、どうやって収入を得て、どんなスケジュールで生活しているのか。我々の目の前にある、意外性に満ちた生活を追う。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2008年1月25日初版発行。私が読んだのは2008年4月5日の第二刷。評判は上々の様子。ソフトカバー縦一段組みで本文約274頁+3頁の「おわりに」、冒頭にカラー写真が4頁。9.5ポイント45字×17行×274頁=209,610字、400字詰め原稿用紙で約525枚。標準的な長編の長さ。

 著者は著作が専門ではないようだが、それが逆に気取りのない読みやすく親しみやすい文章を生み出している。内容の面白さも手伝って、特に前半はサクサク読める。要所に手書きのイラストや地図があり、これが著者の人柄を効果的に伝えている。

構成は?

 はじめに
第1章 総工費0円の家
第2章 0円生活の方法
第3章 ブルーの民家
第4章 建築しない建築
第5章 路上の家の調査
第6章 理想の家の探求
 おわりに

大きく分けて2つの部分からなる。前半、第1章から第3章までは、この本の主人公である、鈴木さんのルポルタージュ。後半の第4章から第6章は、著者である坂口氏の半生記。

感想は?

 「路上生活者のルポルタージュ」と聞けば、辛気臭い社会系の内容を想像するかもしれない。が、とんでもない。これは、偉大なハッカー、それも Wizard を超え Guru の域に達しつつある賢人の記録だ。または、今ここに既に存在しているサイバーパンクな世界のレポートでもある。

 ハッカーとは何か。私は、「工夫をするのが大好きな人」という意味でハッカーという言葉を使う。この本の前半に登場する鈴木さんは、まさしくハッカーそのものだ。

 路上生活者、いわゆるホームレス。ところが、ここに登場する鈴木さんはちゃんと「家」がある。隅田川の河川敷遊歩道に、廃棄物を使って自分で家を作り、そこで寝泊りしている。とすると、ホームレスという言葉は適切ではない。

 この「家」が見事で、廃材・段ボール・ビニールシートを組み合わせ、すべて0円で調達したものでできている。「ここにあるものは酒と食べ物以外、全部拾ったものです」。例えばビニールシートは、隅田川の花火大会で捨てられた物を拾った。釘も「新品でも落ちているし、道具箱ごと捨てられているのもあるもんね」。

 ちゃんと電気もある。自動車用のバッテリーを使い、ラジカセやテレビを使っている。バッテリーの調達法も見事だし、廃棄までキチンと考えている。「12ボルトで大体の電化製品は動くんだよ、実は」。煮炊きもする。朝食のメニューは「白米、味噌汁、納豆、おしんこ」だ。煮炊きは拾った保温鍋を使う。ご飯の炊き方も見事。

 ご飯は炊飯器を使って炊く。といっても、市販の炊飯器は家庭用の電源でしか動かない。それでどうするかというと、炊飯器の中の釜をそのままカセットコンロで直火にかけて炊くのだ。そして炊き上がった釜はそのまま炊飯器に入れる。これで電源を付けなくても十分保温されるそうだ。

 今度、試してみよう。
 路上生活者は不潔という印象があるが、少なくとも鈴木さんは違う。家には風呂もあるのだ。台所・物置・玄関・収納兼用だけど。「週に一回ぐらいは銭湯に行くけどね。銭湯は天国だよ」だそうなので、結構な頻度で入浴している勘定になる。

 住み心地もちゃんと考えている。床下に隙間を作り、「夏は下から上に風が抜けるよ」。冬は「この隙間に綺麗に新聞紙をかぶせていくと…」「あ、全く風を通しませんね」。

 ところがこの家、月に一度国交省の手入れがあって、定期的に撤去しなきゃいけない。が、そこも考えたもので、この家、ちゃんと分解・移動・再構築可能になっている。「釘が甘く入っているだけなので分解が可能」。撤去に3時間、再構築に2時間。しかもついでに掃除するから、清潔でもある。

 鈴木さんの凄い所は、こういった工夫を周囲の人に惜しげもなく分け与える点にもある。路上生活を始めた当初は「みんな、冷たい水ばかり飲んでいるんだ」。その後カセットコンロを路上で見つけ、コーヒーを作って周囲にふるまった。

 「そしたら、すごいことが起きたわけよ」
 「うちにお湯を求めて仲間たちがたくさん集まった」
 「そして、うちらが住んでいるところには、コーヒーや紅茶、日本茶、いろんなものを持った人たちが列を作って並んだんだよ。しかも、うわさを聞きつけた知らない人たちも集まってきて…」

 「食べる人類誌」にもあったけど、人は火に集まる習性があるのかも。かくして情報のハブとなった鈴木さん、知識を交換し知恵を分け合い、暮らしを便利にしていく。

 仕事もしている、。アルミ缶の収集だ。自動販売機を回るわけではない。ちゃんとゴミ出しの日時に合わせ、毎日コースを巡回するのだ。黙って持ってくるのではない。予め、ちゃんとゴミを出す人に事情を話しておく。

 「全部正直に言うわけよ。私はこれで生計を立てていますので、もしよろしかったら、ここのアルミ缶を毎回ください、って」
 それで、オバちゃんはどう返してくるのか?
 「毎週出すから来なさい、だよ」

 商品知識もある。缶コーヒーは鉄なので使えない。「缶コーヒーにはたくさんの糖分が入っているため、アルミニウムだと金属が溶けてしまうらしいんだよ」「最近出ているブラックコーヒーはアルミの缶だよ」。当然、仕事の後のゴミ袋は綺麗に結びなおす。

 後半に出てくるオジサンも驚き。なんと、ソーラーパネルで発電している。欲しいものはコンピューターだそうで、何に使うのかというと…

 「電気量の確認や、ソーラーパネルの角度調整、周りの天候、気温などの調査、とまぁ、この家の脳味噌のような感じで使いたいのです」

 それ、インテリジェント・ビルそのものですぜ。どころか…

「それで、最終的には人間の脳とも接続して、家と人間の両方をコンピューターで制御したりしてみたいんだよねー」

 後半は著者の半生記なのだが、この著者も相当に独特の人だ。子供のころ、ファミコンに興味を持って考えたのが、「ファミコンの中になりたかった」。で、何をしたのか、とういうと。今で言うテーブルトークRPGをゼロから創りだし、ゲームマスターを勤めている。本人は気がついてないけど。

 最後は鈴木さんが夢を語るシーンで終わる。なんというか、つくづく凄いことを考える人だ。
 Hack が好きな人は必読。のほほんとした文体だが、内容は驚きと感動に満ちている。

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