フレッド・ワトソン「望遠鏡400年物語」地人書館 長沢工・永山淳子訳
ワトソンは、夜は天文学者で昼間は音楽家として過ごす者は、遅かれ早かれ問題に巻き込まれることを認識していた。しかし、それに続いて何が起こるかはわかっていなかった。というのは、ハーシェルはその後の人生を、夜はまるまる天文学者、昼はまるまる望遠鏡製作者として過ごしたからである。
どんな本?
副題は「大望遠鏡に魅せられた男たち」。望遠鏡、それも天体望遠鏡の発達を軸に、天文学・光学・工学の歴史を辿ると共に、望遠鏡の開発・運用に携わった職人や学者の人生を、豊富なエピソードでユーモラスに綴る。科学と、それに関わった科学者の歴史をまとめた典型的な本だが、ユーモラスで親しみやすい語り口が特徴。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
原書は Stargazer; The Life and Times of the Telescope, Allen & Unwin, 2004, Fred Watson。日本語版は2009年4月5日初版第一刷。ハードカバー縦一段組みで397頁中、本文約310頁9ポイント45字×19行×310頁=265,050字、400字詰め原稿用紙で約663枚。標準的な長編小説の分量。
翻訳物の科学解説書としちゃ文章は読みやすい方。ユーモラスなエピソードが多く、慣れない人にもとっつきやすいだろう。単位系がインチやフィートとセンチやメートルを併記してるのが嬉しい。科学・数学の部分は中学生程度の知識で読みこなせる。科学では凸レンズと凹レンズの違い、プリズムで光を分解できる、など。数学では円弧(円の一部)と双曲線(反比例のグラフの曲線ね)と放物線(斜め上に物を投げた時の軌跡)の違いぐらい。といっても、「似てるけど違うよ」ぐらいに心得とけば充分。
構成は?
まえがき
プロローグ
第1章 強力な望遠鏡――新たな千年紀に向けての大胆な一歩
第2章 デンマークの目――望遠鏡の幕開け
第3章 謎――古代望遠鏡の囁き
第4章 曙光――望遠鏡の出現
第5章 開花――天才の関わり
第6章 進化――望遠鏡の目覚しい進歩
第7章 反射望遠鏡について――望遠鏡製作のより良い道
第8章 鏡の像――反射望遠鏡の実現
第9章 スキャンダル――法廷に持ち込まれた望遠鏡
第10章 天へ至る道――反射望遠鏡時代の到来
第11章 感心できない天文学者たち――望遠鏡のもたらすさまざまな運命
第12章 レビヤタン――金属鏡のモンスター
第13章 悲嘆の種――南天大望遠鏡
第14章 夢の光学――巨大屈折望遠鏡の完成
第15章 銀とガラス――20世紀の望遠鏡
第16章 銀河とともに歩む――500年後へ向かって
エピローグ――2108年9月21日謝辞/用語集/世界の巨大望遠鏡/訳者あとがき/参考文献/原注・出典/索引
基本的には過去から現代へ向かう素直な構成。親しみやすい内容でありながら、用語集や参考文献も充実している。
感想は?
お堅くなりがちな内容でありながら、語り口はとってもユーモラス。例えば冒頭の引用は、天王星を発見したウイリアム・ハーシェル(1738~1822)のエピソード。
ドイツのハノーバーに生まれ19歳でロンドンに移り、ウィルヘルム・フリードリヒから改名する。オクタゴン教会の専属オルガン奏者として成功したが、天文学にのめり込み、理想の望遠鏡を求め自ら望遠鏡作成に手を染め、いずれも高い評価を得る。成功した音楽家から天文学者に転向ってだけでも相当に変わってるのに、天文学でも天王星を発見し、望遠鏡製作ではジョージⅢ世に愛されスペイン王にも納品している。彼の妹カロラインの「お兄ちゃん萌え」っぷりも凄い。
特に笑ったのが「ビッグバン」という言葉の由来。これを名づけたのはフレッド・ホイル(1915~2001)。そう、頑固な定常宇宙論者で、SF者には「10月1日では遅すぎる」で有名なホイル。彼が「1948年のラジオ番組でこの考え方(ビッグバン宇宙論)をけなして名づけた呼び名だった」。なんという皮肉。
冒頭「デンマークの目」で登場するのはティコ・ブラーエ。当時の天文学者の仕事は、というと。
16世紀、占星術は、天文学と同様に科学的探究の目標と位置づけられ、給料に見合った働きをしている天文学者は皆、裕福で著名な人々やその他の人に対して、占星術で運勢を占うことが期待されていた。
民間じゃ天動説が支配的な時代だしねえ。
デンマーク&ノルウェイ王フレデリックⅡ世よりヴェーン島を得て天文台を作る。さすがに望遠鏡はまだ登場せず肉眼での観測となるが、位置を正確に測るには大掛かりな装置(というより建物)が必要なわけ。だけでなく。
科学的発見を上手に公表するには、書きものにして頒布するのが良いと気づいた彼は、ウラニボルクに印刷機を設置した。紙の不足で本やその他の出版物を作れなくなりそうなときには、大きな製紙工場を建て、その動力源である上から水をかける方式の直径7メートルの水車へ水を供給するために、ヴェーン島の南半分にダムと貯水池を作った。
データを残すためにダムまで作るってのは凄い。
実際、彼の残した豊富なデータがケプラーに受け継がれ、惑星の軌道が円でなく楕円である由が明らかになり、地動説の精度が飛躍的に上がって…という物語は有名だけど、領主としちゃ過酷な人だったようで。
望遠鏡の発明者ははっきりしない模様。黎明期では1608年にオランダの総督マウリッツに特許または保護金の申請だ出ている。そう、マクニールの「戦争の世界史」で、常備軍設置や教練など優れた軍事改革者として持ち上げられるオランニュ公マウリッツ。ところがマウリッツ、あろうことか敵の最高司令官スピノラ侯爵に望遠鏡を見せている。油断なのか牽制なのか。軍人の度し難さを示すエピソードは他にもあって。
1614年11月、フランスとポルトガルが植民地の支配権をめぐって戦ったとき、ブラジルのグアクサンドゥバ沖で海戦が起こった。戦いが小やみになったとき、ポルトガル軍の司令官が敵の動きをチェックするために望遠鏡を使った。しかし彼は、作戦を指揮するためにリスボンから査察にきた軍の高官によって仕事に連れ戻された。高官は頑固に言った。「こら!望遠鏡を覗いているときではないぞ。そんなことをしたって私たちの仕事も敵の数も減らないんだからな」
当時の望遠鏡は凸レンズを使った屈折望遠鏡。これには二つの問題があっった。一つは球面収差。レンズのカーブの理想は双曲線なんだけど、当時は球面しか作れなかった。レンズが小さけりゃ誤差は少ないんだけど、大きくなるとマズい。もっと困るのが色収差。プリズムで有名なように、光は色によって屈折率が違う。この色収差、球面収差の1200倍とニュートンは計算してる。
これをどうやって解決するかというと、案は二つ。一つはレンズを鏡で代用する反射望遠鏡。もう一つは違う種類のガラスを組み合わせて色収差を吸収するアクロマートレンズ。
今は大口径の光学望遠鏡は反射望遠鏡が主流だけど、当時は良質な鏡がなかった。なんたって、銅を磨いて鏡を作ってるんですぜ。重いわ曇るわ反射率は低いわで、ニュートンは反射望遠鏡に辛辣な評価を下している。
人物に焦点を当てて書評を書いちゃったけど、後半は科学的発見・工学的発達の連続がワクワクする。星の光を分光器にあてたアマチュア天文学者のウィリアム・ハギンズ(1824~)が天体物理学への道を切り開き、「星雲」の正体を突き止める。ガラスに銀メッキの鏡が反射望遠鏡の明るさを倍にし、写真が長時間露光で暗い星も観測可能にする。カール・グーテ・ジャンスキー(1905~1950)は電波望遠鏡を生み出す。
大気のゆらぎによる妨げを受けない電波天文学者たちは、配列した望遠鏡を使って天体の細部まで描き出す方法を開拓し、0.001秒角(1/1000秒角)の分解能を得るのは今や当たり前になった。地上の光学天文学者は、うらやましげにそれを見るのみである。
エピローグでは、天文学者の夢が語られる。SF者は必読ですぜ。
現代じゃティコ・ブラーエのように紙の不足に悩む事はないし、記録や軌道計算はコンピュータが勝手にやってくれる。写真だってCCDが優れた感度を達成してる。どころか大気の影響を受けない軌道上にまで観測衛星を打ち上げている。観測環境が向上した今後、天文学はどんな勢いで発展していくんだろう。長生きしたいなあ。
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