ジョー・ウォルトン「暗殺のハムレット ファージングⅡ」創元推理文庫 茂木健訳
「なあヴァイオラ、ぼくが知ってる女優のなかで、ハムレットを演じられるのは君しかいないんだ」
どんな本?
SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2011年版」のベストSF海外編2位と好評を博した歴史改変三部作の第二弾。ドイツと単独講和を結び平和を謳歌する1949年のイギリスが舞台。時系列は前作「英勇たちの朝」の数週間後。「ファージング」とは、講和を主導したイギリスの保守系政治勢力の中心一族。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
原書は Ha'Penny, by Jo Walton, 2007年。日本語訳は2010年7月30日初版発行。文庫本で縦一段組み本文約450頁+訳注10頁+三橋暁氏の解説9頁。8ポイント42字×18行×450頁=340,200字、400字詰め原稿用紙で約851枚。やや長めの長編。
前作同様イギリスはロンドンが主な舞台。翻訳物の常で同じ人物がローリアだったりミス・ギルモアだったりするほか、今回は独特の愛称もつくんで登場人物一覧は必須。シーリアがピップだったり。一応は独立した長編となっているけど、前回の事件が今作の重要な伏線になっているんで、読む人は素直に前作「英勇たちの朝」から読み始めましょう。
どんなお話?
貴族令嬢だが家出して自らの実力で舞台女優としてのキャリアを築き上げたヴァイオラに、魅力的な役が舞い込んできた。ハムレット役だ。その頃のロンドンでは男女の配役を逆転させる芝居が流行っていた。同じ舞台のガートルートはベテラン女優のローリア・ギルモアだ。しかも、初日にはノーマンビー首相とヒトラー総統が観にくるという。
そのギルモアの家で爆発があった。カーマイケル警部補は相棒のロイストン巡査部長と共に現場に向かう。被害者の一人はギルモア、もう一人はマシュー・キナスンと思われる…損壊が酷いので確認できないが。化学肥料と漂白剤による手製の爆弾らしい。
感想は?
前回はミステリの形をとっていたこのシリーズ、今回はサスペンス物となる。カーマイケル警部補&ロイストン巡査部長のコンビに、知的な若い女性の組み合わせも前回と同じ。今回のヒロインは舞台女優のヴァイオラ。彼女も登場してすぐに知的な側面を覗かせる。演出家のアントニーからオファーを受けた時の会話で、舞台全般の流れまで頭の中で組み立ててしまう。
貴族出身でありながら、それなりに生活の苦労を知っていて、女優としてのキャリアに貪欲なのも彼女の魅力。彼女が事件に巻き込まれる形で話が進む中、彼女が女優として厳しいプロ意識を維持している由が、彼女の友人の言葉から伺えるのも嬉しい。
「とにかく、あなたらしくないわ。大きな役についているときのあなたは、絶対にデートなんかしないじゃないの」
前回の事件は暗い未来を示唆する形で終わっていた。早速その示唆が現実となった模様で、舞台からユダヤ人が追放されている。ヒロインが政治に強い興味を抱いていないのも、前回と同じ。実力がモノをいう世界で生きてきた人に相応しく、差別意識も持ち合わせていないことが初登場の台詞でわかる。
「わたしの生まれは関係ないじゃないの」むっとした。「わたしは、1936年からこの世界で食ってるのよ。単にユダヤ人と思っていなかった、というだけのこと」
差別意識のなさと、貴族出身を揶揄されるのを嫌っていること、そして自分の力でキャリアを築き上げたのを誇りにしている事を、この短い文で表現しきっている。
前回はイギリスの上流階級社会を舞台にして、奉公人などを含めた家庭内の社会構造を生々しく描いたこのシリーズ、今回は舞台俳優の世界を魅力的に描いている。ロンドンの演劇界とドサまわりの関係、稽古の様子、そして上演までのスケジュールなど。特にスケジュールは驚きだった。主役のオファーから初日まで2週間とは。とんでもないハード・スケジュールだ。
スケジュールが厳しいだけに、台本などは相当に煮詰められている…と思ったらさにあらず。まあ人によるんだろうけど、この作品内の演出家アントニーは、稽古中に役者が出したアイデアも積極的に取り入れて、ダイナミックに創り上げていく。こりゃ役者も相当に頭がよくないと勤まらない。
脇役ではパーティで少しだけ顔を出す老貴族のロード・ウラプールが気に入った。やたらクセの強い登場人物が多いこのシリーズで、彼の朴訥な枯れっぷりは心地いい。今は亡き笠智衆あたりが友情出演で演じたらハマるだろうなあ。
登場人物一覧にデヴリンなんて名前が出てきたり、主人公の父が元アイルランド総督だったりと、今回はアイルランドが少し絡んでくる。イギリスとアイルランドの関係もややこしいんだよね。元イングランド貴族が土着化してアイルランド貴族になったり、南(アイルランド共和国)が密かにアルスター地方(北アイルランド)に共感してたり。私は少し調べて挫折しました、はい。
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