ジョー・ウォルトン「バッキンガムの光芒 ファージングⅢ」創元推理文庫 茂木健訳
その場しのぎの安寧を得るために、本質的な自由を放棄する者は、自由にも安寧にも値しない。
――ベンジャミン・フランクリン(1759)
唯一われられが恐れねばならないもの、それは恐怖それ自体である。
――フランクリン・D・ルーズベルト(1933)
どんな本?
SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2011年版」のベストSF海外編2位を獲得した歴史改変三部作、ついに完結。1960年、ドイツと単独講和を結んだイギリスは、ナチス・ドイツ同様のファッショ体制に傾倒し、ファージング・セットの独裁が続く。前作から約10年後のロンドンを舞台に、物語は完結編に相応しい盛り上がりを見せる。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
原書は Half A Crown, by Jo Walton, 2008年。日本語訳は2010年8月31日初版発行。文庫本で縦一段組み本文約462頁+訳注6頁+村上貴史氏の解説12頁。8ポイント42字×18行×462頁=349,272字、400字詰め原稿用紙で約874枚。やや長めの長編。
これもロンドンが主な舞台。洋物はベッツィがエリザベスだったりするんで、登場人物一覧は必須。独立した長編としても読めるけど、前作・前々作の登場人物が重要な役を担うんで、素直にシリーズ開始の「英勇たちの朝」から読み始めましょう。
どんなお話?
幸いにもオックスフォード大学への入学が決まったエルヴィラは、カーマイケル伯父と親友のベッツィに引きずられ、社交界にデビューする羽目になった。ベッツィのお母様のミセス・メイナードは快く思っていないみたいだけど。ミセス・メイナードが娘の結婚相手に、と考えているサー・アラン・ベリンハムの誘いで、ファシストのアイアンサイド団の集会の見学に誘われた。
監視隊、俗称ゲシュタポの隊長となったカーマイケルは、信頼できるユダヤ人部下のジェイコブスン副隊長と共に、密かにユダヤ人を海外に逃亡させていた。欧州大陸で過酷さを増すユダヤ人迫害に、イギリスも追従しようとしている。各国首脳が集まる平和会議の警備計画を煮詰めていたところに、招かれざる客、ウィンザー公エドワード八世も参加するとのニュースが飛び込んで…
感想は?
前作を読み終えて早速これに取り掛かり、気がついたら午前三時だった。このシリーズ、尻上がりに面白くなるなあ。お話が盛り上がってるのはもちろん、やっぱりヒロインの魅力が光ってる。
前々回は若妻、前回は若手女優だったヒロイン、今回はぐっと若くなって、大学進学を控えたエルヴィラちゃん。若いだけあって未熟な部分も多い反面、体力と行動力は飛びぬけてる。ほとんど勘当されてたり家出してたりしながらも、貴族の血を引いてた今までのヒロインと違い、正真正銘の平民出身なのも新鮮。オックスフォード進学を目指すなど、知的な部分は共通してるのは嬉しいところ。ああ、ロイストン…
シリーズ三作を通じて「もう一方」の主役を務めるカーマイケル、なんとこの巻では「ゲシュタポ」と呼ばれる監視隊の隊長に納まってる。それでも人格は変わらず、スカウトしたジェイコブスンと共にこっそり「影の監視隊」なんてものを作ってるあたり、しぶとくなったなあ。
社会状況は悪化の一途らしく、相変わらずノーマンビーが首相を務めてる。今まで出番の少なかったノーマンビー、今作ではラスボスに相応しくネチっこく物語に絡んでくる。やっぱり悪役はこうでなくちゃ。尊大で憎たらしい悪役がいると、物語は引き立つよねえ。
序盤で意外な人が登場するのを始め、今までシリーズに出演した人たちが再び登場して活躍するのも読みどころ。序盤から懐かしいあの方が登場して、貴重な話を聞かせてくれます。
前々作では上流階級の家庭事情、前作ではロンドン演劇界を楽しめたように、今回の読みどころは社交界。あまり気乗りしない様子のエルヴィラちゃんではあるけど、それでもちゃっかり雰囲気は満喫している模様。もっと気楽なもんかと思ったけど、かな~りハードです。精神的にも、肉体的にも。あれだけ思い切ったことをするだけあって、彼女は昔から奔放だった模様。
その舞踏会の場面で登場する魅力的な脇役が、レディ・マルコム。彼女が見せる長年連れ添った夫婦の機微は、高いテンションが続くこの物語の中で、心地よい落ち着いた雰囲気を醸し出す。いや結構変な人なんだけどね。
ファシズムが猛威をふるう国際情勢が描かれていく過程で、つくづく感じるのが、落ちぶれたとはいえ未だ「連邦」として君臨している大英帝国の栄光。そう、他国にない英国の特徴が「イギリス連邦」だ、って事。カナダ・オーストラリア・ニュージーランドなど、かつての植民地が、独立した政府と軍を持ちながら、それでも女王陛下を元首としていて、イギリス人も現実はともあれ心情的には連邦内の国に親近感を抱いている。
それとは対照的なのがアイルランド。前回は仄めかすだけに留まったアイルランドが、今作では重要な要素として絡んでくる。史実でも第二次世界大戦ではイギリスの圧力を撥ね退け中立を貫くという、肝の据わりっぷりは筋金入りのアイルランド、今作でもあの国らしく頼もしい頑固ぶりを見せてくれる。日本外務省のアイルランドの頁の二国間関係の項は必読。
帆船小説じゃセコい裏切り者が定番のアイルランド人だけど、アレはイングランド人によるイングランド人向けの大衆娯楽小説だからそういう役になるんで、アイルランド人の立場だと違う主張があります。そこんとこ誤解なさらぬよう。いや私アイリッシュ贔屓なんで。
尻上がりに面白くなるこのシリーズ、今作の終盤は怒涛の展開。こういう展開って、やっぱりイギリス人なんだなあ。
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