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2011年6月21日 (火)

K・エリック・ドレクスラー「創造する機械 ナノテクノロジー」パーソナルメディア 相澤益男訳

 医師の目的は、病気の組織を健康にすることである。しかし、薬と手術による治療では、組織による自己修復を活性化するにすぎない。ところが分子マシンを使えば、もっと直接的に組織を修復できるのだ。まさしく医療の新時代到来である。

どんな本?

 SFやアニメでお馴染みの「ナノテクノロジー」「ナノマシン」という概念を、一般に啓蒙した原典として有名な本。科学者が書いた本だけあって、警告はあるものの、全般的に技術の進歩を吉兆と捕え、「皆さんにはワクワクするような未来が待っていますよ」と読者を「挑発」するトーンで貫かれている。

 ナノマシンばかりが注目されるが、実際の内容は、当時進行しつつある二つの技術革新を根拠として、科学技術の進歩の加速と、それが社会にもたらす「革命」を予言した本だ。技術革新の一つは書名にある「ナノテクノロジー」であり、もう一つは情報技術である。原書が四半世紀前の1986年出版なので、その一つ、情報技術の革新は既に我々の生活に入り込み、身近な存在となっている。現実と比べ検証しながら読むと楽しいだろう。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Engines of Creation - The Coming Era of Nanotechnology, by K. Eric Drexler, 1986年の出版。日本語版は1992年2月1日初版発行。ハードカバー縦一段組みで本文約323頁。9ポイント43字×18行×323頁=250,002字、400字詰め原稿用紙で約626枚。

 一般向けの科学解説書だけに、内容はそれほど難しくない。が、読み進めるのは結構しんどい。問題は二つ。

 まずは、言葉の問題。「ヌクレオチド」や「リボソーム」などの専門用語は出てくるが、巻末の用語解説を参照しよう。ただ、著者が創造した言葉、「アセンブラー」や「レプリケータ」などと混在してるのは困りもの。

 もう一つは、訳の問題。時折、酷い悪文がある。また、単語の使い方も配慮に欠ける。例えば217頁。「鉛の原子は、82個の陽子と100個以上の中性子だ。ニュートロンを分離すれば数分の間に崩壊してしまう」って文、「ニュートロン」なんて使わず「中性子」に統一すればいいのに。下訳を複数人使い、それを相澤氏が監修したんだろうけど、監修作業がちと雑な感がある。

構成は?

  訳者まえがき
  まえがき(マービン・ミンスキー)
  謝辞
Ⅰ部 未来の展望
 1章 つくる機械
 2章 変化の原理
 3章 予測と計画
Ⅱ部 可能性のプロフィール
 4章 豊かにする機械
 5章 考える機械
 6章 地球を越えた世界
 7章 治療する機械
 8章 開かれた世界での長寿
 9章 未来への扉
 10章 成長の限界
Ⅲ部 危機と希望
 11章 崩壊する機械
 12章 戦略と生存
 13章 事実を見出す
 14章 知識のネットワーク
 15章 満ち足りた世界、そして時間
  あとがき1990
  日本語版あとがき
  用語解説
  参考文献
  索引

 一般読者にとって、用語解説は必須。

感想は?

 今読むと、ちょっと複雑な気分になってくる。四半世紀前に書かれた本なので、予言の一部は既に成就しちゃってるのだ。

 もう一度、本書の概要を述べよう。本書は、二つの技術革新、すなわちナノテクノロジーと情報技術の進歩を根拠として、科学技術が社会を大きく変革する、と予言している。

 そのうち後者、つまり情報技術の革新は既に身近なものとなっている。例えば、本書で「ハイパーテキスト」と呼んでいる機能、つまりはウェブだ。これが、格好の検証材料になってしまった。

 まず、当っている部分。「情報を効率的に集めるには、分散化が必要だ」とある。「すべての人に書かせ、使う度ごとに、自動的に制作者にロイヤリティーを支払うシステム」を提案しているが、現実には広告が巧く機能している…私のように見栄と自己満足という得体の知れない欲望で書く人もいて、その成功モデルは Wikipedia だろう。

 また、文献検索の効率化も利点として挙げている。紙の本に比べ、検索が高速化するため、研究・開発を加速する、と。検索は Google という決定版があるし、最近は GoogleBooks で本や雑誌をスキャンして取り込んでいる。

 外れている部分もある。例えば「人々に公開の話し合いの場を提供する事で、優れた意見だけを掬い上げるしくみができるだろう」という意見。残念ながら、今の2ちゃんや Twitter はノイズの方が圧倒的に多い。むしろデマの拡散装置になってしまっている部分すら、ある。まあ、この辺は、コミュニティー、2ちゃんなら板によりけりなのかも。

 なにより、最大の見落としは、人々のコミュニケーションへの欲望を失念した点だろう。2ちゃん・mixi・Twitter など、有名なサービスの共通点は、人々のコミュニケーションを促す点だ。オンラインRPGも、大抵はチャット機能がついている(やったことないけど)。まさかハイパーテキストが出会い系の道具になるなんて、流石のドレクスラーも想像できなかったようだ。

 とまれ、ハイパーテキストがドレクスラーの予想を超えたヒットになったのは事実。ただ、彼が思ったほど高尚な形ではないけど。「科学者や工学者って、大衆の下世話な欲望を見落としがちなよなあ」などと考えつつ。

 本書のメインディッシュは、もう一つの技術革新、ナノテクノロジー。こちらは未だブレイクスルーが訪れていない分、予言が持つ期待感も色褪せていない。

 私の様な者に嬉しいのが、DNA修復技術。どうやって欠陥を見つけ出すかというと。

 実際には、修復マシンはDNAを数個の細胞と比較し、修正したコピーを作り、これをスタンダードとして、組織全体のDNAをチェックして修復するのである。数本の分子鎖を比較することによって、修復マシンの信頼度は自然の修復酵素をはるかに凌ぐようになるのである。

 多数決で多数票を獲得した配列を正常と看做すわけです。ああ、早く実現してくれ、頭髪の砂漠化が加速しているんだ。ちなみにドレクスラー博士は、裏表紙の写真を見る限り額の両脇からM字型に進行するタイプの模様←をい。
 私は昔から人体にナノマシンを入れる事にひとつ懸念があって、それは細胞内にナノマシンなんかを入れる余裕があるのか、という事。細胞が膨れ上がって「脳が痛え」状態になったら嫌だなあ、などと思ってたんだけど。

 細胞内にはこれくらいのスペースはあるものだ。脳細胞さえ、リポフシンといわれる無害な廃物が10%ぐらい占めても、正常な機能を保っている。

 これはひと安心。このマシン、どれぐらいの速度で仕事をするのか、というと。

 アセンブラーの作業は実に速い。カーボニックアンヒドラーゼとかケトステロイドイソメラーゼのような酵素は、一秒あたり100万個の分子を変換できる。(略)アセンブラーのアームの長さは、人間の腕の 1/5千万 程度であるので、人間の腕よりも5000万倍も速く動くことができるに違いない。

 そういえば細胞分裂は20分ほどだったっけ。
 この本のもう一つの主題は、新技術に対する社会の対応。例えばバイオスタシス(肉体凍結・蘇生技術)に対し、世間の反応がイマイチ鈍い理由を6個挙げている。1)今はまだ細胞修復マシンがない 2)小さなマシンにはドラマがない 3)とても信じられない 4)素晴らしすぎて本当とは思えない 5)今は医者が使っていない 6)まだ動作が証明されていない。

 2)ではコンピュータの例を挙げている。事実は平凡で、「相互にオン・オフできる電気スイッチを小さくできる」だけ。だがその結果は、コンピュータや携帯電話となった。5)も、外科手術で使う麻酔の例を挙げている。

 1846年、モートンとワレンはエーテル麻酔を発表し、「時の大発見」と世界を驚愕させた。(略)
 それでも、1839年までは、痛みを克服するなどということはとてもできない夢であると、多くの外科医が考えていた。アルフレッド・ヴェルポー博士は、「外科手術の痛みをなくすなどとはまったくの妄想でしかない(略)」と言明したほどである。

 今はまだ物語の中にしかないナノマシン。だが、それが実現したら、どんなに素晴らしいことか。まずは毛母細胞の修復をぜひ←しつこい

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