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2011年5月14日 (土)

ガリー・トーブス「常温核融合スキャンダル 迷走科学の顛末」朝日新聞社 渡辺正訳

[ソルトレークシティ]ユタ大の科学者が、水素の核融合反応を実験室で持続的に起こし、水爆と同じエネルギーを産み出すことに成功、と前代未聞の発表をした。学生実験なみの器具だけで、試験管中で核融合反応が始まり、百時間以上持続したもよう。 ――ウォール・ストリート・ジャーナル

どんな本?

 1989年3月23日、ユタ大学で衝撃の記者会見が開かれる。重水にリチウム化合物を溶かした液に、白金とパラジウムの電極を入れて電流を流したところ、核融合反応が起きたというのだ。科学者のみならず一般の新聞や政府を巻き込む大騒ぎとなり、肯定派と否定派の大論争が数ヶ月続き、あっという間に熱病は去る…ごく少数の熱心な肯定派を除いて。

 著者は常温核融合に対し明確に否定的な姿勢で書いている。数多くのインタビューや資料で当時の状況を再現し、常温核融合の原理やその否定意見など科学理論的な見地、実験・論文に求められる条件など研究の実際的な側面、当事者であるマーチン・フライシュマン&スタンリー・ポンズ両教授およびユタ大学の立場など社会的な面など、多様な視点で「常温核融合とは何か」「なぜ多くの科学者が胡散臭いと感じたのか」「なぜこんな大騒ぎになったのか」「両教授はなぜこんな発表をしたのか」などを解き明かしていく。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Bad Science - The Short Life and Weird Times of Cold Fusion - by Gary Taubes1993.06。日本語訳は1993年12月25日初版発行。A5ハードカバー縦一段組みで約620頁、9ポイント45字×19行×620頁=530,100字、400字詰め原稿用紙で約1326枚の大ボリューム。お堅いテーマのわりに文章は読みやすいし、科学的な説明もわかりやすい。ただ、さすがにこの分量は胸焼けがする。

構成は?

 おもな機関と人物
 まえがき
プロローグ 記者会見
第1部 誇大妄想
第2部 集団精神錯乱
第3部 確率事象
エピローグ
 注
 取材先リスト
 訳者あとがき

 やたらと登場人物が多いので、「おもな機関と人物」はありがたい。基本的にお話は時系列順に進むので、物語としての混乱もない。多数の人物が入り乱れる事件なので、こういう素直な構成にしたのは正解だと思う。

感想は?

 先にも書いたが、著者は常温核融合否定派の立場、どころか肯定派を徹底的に糾弾する内容だ。常温核融合を肯定する論文で、フライシュマン&ポンズ、またはスティーヴン・ジョーンズの論文を引用していたら、その論文は怪しいと考えよう。

 そもそも発表が型破りだった。一般に科学的な事柄は論文を発表した後で記者会見をするのだが、常温核融合では逆だった。その理由は複数ある。一つは「ユタ効果」などと言われる「ユタ発のニュースは眉唾」とされる風潮と、それに対するユタ州の劣等感。核融合という言葉が持つ「宝の山」的な期待感。そして、最も大きいのが、隣のブリガムヤング大学のスティーヴン・ジョーンズ教授に対する「出し抜かれるんじゃないか」という焦り。

 この焦り、本人達はお隣の大学への対抗心(&猜疑心)なんだけど、政治の舞台に移ると、ライバルとして日本が何度も名指しされる。果たして喜んでいいんだろうか。

 核融合の理屈はこうだ。二つの重水素が融合してヘリウムになれば、その過程で大きなエネルギーが出る。ただ水素の原子核はプラスに荷電して電気的に反発する。融合させる手は二つ。一つは大きな運動エネルギーを与える、つまり高温にする。もう一つは衝突の確率を増やす、つまり高圧にする。

 トマカク型核融合は水素&重水素または重水素&三重水素を閉じ込め、一億度ほどの高温に熱する。対して常温核融合は、金属(パラジウム)内に重水素を閉じ込める事で水素の密度を高める。

 …というと説得力がありそうだが、これが科学の怖いところ。桁が違うんですな。フライシュマン&ポンズはパラジウム内の実効圧力を1027気圧と計算したが、現実にはせいぜい1.5×105気圧程度で飽和する。ゼロが20個以上も足りない。科学では「定量的」な事柄が重要なんですね。

 発表したフライシュマンとポンズは、いずれも電気化学では優れた実績を持つ優秀な科学者だった。ところが核に関しては素人で、この辺の簡単な試算すらできていなかった。発表当時も、物理学者は一斉にマユツバ扱いした。畑違いの人がケッタイな事を言い出すというパターンは、この手の騒ぎの定番だろう。

 実験そのものも相当にお粗末で、対照実験をやっていない。生データも発表しない。再現性もないし、追実験に必要な条件も不明確だ。実験装置もお粗末で、ポンズは過剰熱を問題にするが、肝心の装置の接触が悪く、電源に触れただけで電圧が上下する始末。そして、本来なら中性子が多数出るはずなのに、中性子は全く計測していない。

 追実験で余剰熱を確認した、という報告もいくつか入るものの、週末の実効電圧の変化に無頓着だったり、重水と軽水の電気抵抗の違いを無視していたり。いずれも追実験がないのも共通していて、巧くいかない実験の事は無視して、「成功」した実験だけを報告している。

 終盤近くに出てくる「ラングミュアの『病んだ科学』の症状6項目+1」は役に立つ。

  1. 観測される現象は、いちばん大きいものでも、ありやなしやの瀬戸際でしかない。また、現象の大きさは、これを生んだ原因の大小にほとんど関係しない。
  2. 現象の大きさはたいてい検出限界すれすれのところにある。
  3. 精度この上ない形で現象が報告される。
  4. お粗末な実験の割には、すばらしい理論が考え出される。
  5. 批判に対しては、その場その場で適当な言い訳がある。
  6. 信者と不信者との比はおおむね五分五分まで行くが、やがてゆっくりゼロに近づく。
  7. 不信者は絶対に効果を再現できず、信者だけができる。

 物語が進むに従いポンズは猜疑心の塊になっていく。この辺は読んでいて胃が痛くなってきた。にも関わらず著者は容赦なくポンズの疑惑を追い詰めていく。

 科学的な面だけでなく、アメリカの研究者の立場も克明に綴られている。結果を出さねば干上がるが、いい加減でも派手に論文を出していればとりあえずは食いつなげる研究者の立場、そんな科学者に振り回される学長など管理職の悲哀、結果次第で掌を返すように冷酷になる企業や政府などのスポンサーなど。

 綿密な取材の基づいた著作だけあって、読み応えは充分。少々しつこすぎるぐらいの感すらある。少し前も「ゲーム脳」なんてケッタイなネタが出た。畑違いの工学者が論文発表前にマスコミに発表するなど、見事なパターンを示している。常温核融合の論争に首を突っ込むなら、否定肯定いずれの立場であれ、必携の本だろう。

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コメント

私の常温核融合の理論は30年くらい前に考えられていた
金属内に封じ込められたDクラスタがその空間が狭く圧縮されて融合する
という点を個別に、DクラスタがD2、狭い空=金属内のTサイトと、
説明したものです。
金属表面に入ったD-とその近傍のサイトに入ったD+があり、
D+がD-のTサイトに入ってTサイト内にD2が形成される。
このTサイトが縮小して、もともTサイトの大きさに戻るので
D2が縮小して、d-d間隔が小さくなる。
ここで大切なのは金属表面に電子があると性能が大きく低下すること。
つまり、表面電位を制御する仕組みがいまの常温核融合炉にはありません。

投稿: 児玉紀行 | 2020年4月27日 (月) 18時20分

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