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2011年5月の19件の記事

2011年5月31日 (火)

鵜飼保雄・大澤良編著「品種改良の世界史 作物編」悠書館

歴史は、人間が死に直面する戦場をほめたたえはするが、生に不可欠な農耕地について語ることを軽蔑する。また、王の私生児の名は教えるが、小麦の起源については何も語らない。 ――アンリ・ファーブル

どんな本?

 「品種改良の世界史 家畜編」に続くシリーズで、作物編では農作物の歴史と現状を綴る。イネ・コムギ・トウモロコシなど穀物から、テンサイ・サトウキビなど加工用作物、トマト・タマネギなど野菜、ブドウ・リンゴなど果物に加え、園芸用としてバラも扱う。前作同様に各作物について歴史や考古学資料から原種を推定するなど社会学的な側面、市場動向など経済的な側面、そして含有成分や遺伝子構造など科学的側面と、それぞれ総合的な見地で記述してゆく。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2010年12月28日初版発行。著者は鵜飼保雄/谷崎隆俊/太田正次/佐藤和広/山田実/春日重光/河瀬眞琴/大澤良/森元幸/岩永勝/島本義也/永富成紀/加屋隆士/望月龍也/生井兵治/小島昭夫/山田昌彦/國賀武/阿部和幸/武田善行/福井博一。A5ソフトカバーで本文約544頁+用語集4頁+編者あとがき2頁+参考文献23頁+索引14頁。9ポイント48字×19行×544頁=496,128字、400字詰め原稿用紙で約1241枚の大著。

 文章そのものは読みやすいが、倍数体やトランスポゾンなど遺伝学・栄養繁殖や矮生など植物学用語が頻出する。特に前半に顕著なのが困りもの。ところが有難いことに、末尾に「用語集」がついている。せっかくなんだから、用語集は冒頭に置いて欲しかったなあ。

構成は?

はじめに 鵜飼保雄
第1章 イネ 谷崎隆俊
第2章 コムギ 太田正次
第3章 オオムギ 佐藤和広
第4章 トウモロコシ 山田実
第5章 ソルガム 春日重光
第6章 アワ 河瀬眞琴
第7章 ソバ 大澤良
第8章 ダイズ 鵜飼保雄
第9章 ジャガイモ 森元幸
第10章 サツマイモ 岩永勝
第11章 テンサイ 島本義也
第12章 サトウキビ 永富成紀
第13章 トマト 加屋隆士
第14章 イチゴ 望月龍也
第15章 アブラナ科作物(ブラシカ) 生井兵治
第16章 ネギとタマネギ 小島昭夫
第17章 ブドウ 山田昌彦
第18章 カンキツ 國賀武
第19章 リンゴ 阿部和幸
第20章 チャ 武田善行
第21章 バラ 福井博一
 用語集
 編者あとがき
 引用(参考)文献
 索引
 著者略歴

 遺伝学・植物学の素人は、まず「用語集」から読みましょう。専門用語がビシバシ出てきます。各章は独立しているため、興味があるところだけを拾い読みも可。各章内は、だいたい「特徴」「起源」「伝播」「品種」「現状」といった流れ。家畜編でだとモノクロの写真しかなかったけど、作物編の後半はカラー写真が多く、特に「バラ」の項はなかなかの迫力。

感想は?

 イチゴが野菜だとは知らなかった。いやあ、お恥ずかしい。アブラナ科の品種の豊富さにもビックリ。ナタネはともかく、キャベツ・ハクサイ・ダイコンまで含んでいるとは。

 家畜編ではロバート・バークウェルが脚光をあびてたけど、作物編ではロシアのニコライ・イワノヴィッチ・ヴァヴィロフがスターを務める。「世界各地を何回にもわたり精力的に探索調査して、栽培植物を集めてまわ」り、単純な方法で明確な熱論を出した。

  • 植物の変異は地球上の特定の地域に局在している。ここを「多様性中心」と呼ぶ。
  • 種の起源地では遺伝的に優性の形質が多く、そこから伝播した二次的地域では劣性形質が多い。
  • 栽培植物には二種類ある。
    1. 古代から栽培された一次作物:コムギ・オオムギ・イネ・ダイズ・アマ・ワタ
    2. 畑に雑草として生えていた二次作物:ライムギ・エンバク・ダッタンソバ・ナタネ・ニンジン・トマト・クローバ・ライグラス

 20世紀の品種改良には遺伝学が重要な役割を果たす。ここでは、質的形質と量的形質の違いも大事。

  • 質的形質:花色や刺の有無など表現がはっきりしていて分類しやすく、環境の影響で変化しにくい。ふつう一個または少数の遺伝子に支配される。
  • 量的形質:収量や開花期など重さ・長さ・時間で測る。環境の影響を受けやすい。多数の遺伝子が関与する。

 全般的に家畜編と比べ遺伝子工学的な内容が充実してるのも、作物編の特徴。特にアメリカが開発した一代雑種が大きな影響を及ぼしてて、例えばイネだと1890年の1ヘクタールあたり約2トンが1950年には3トン、2010年には5トンを超えてる。最近はどの品種も病気や害虫への耐性が改良の重要な目標になっている。

 遺伝学が苦手な人は、用語集に続けて第17章のブドウの項を見るといいかも。作物編だと倍数体が重要なキーワードとなるんだけど、その辺を巧く説明している。

 ブドウは一般に二倍体で、1番から19番までの19本の染色体を二本ずつ、計38本の染色体を持つ。(略)片方は母親に、他方は父親に由来する。一つの染色体に乗っているDNAが着色する働きを失っても、もう一つの染色体上のDNAが機能すれば果皮は着色する。

 伝統的な品種改良の手法もわかりやすい。

…突然変異が起きた細胞だけから構成される枝ができることがある。その枝が目に見えるちがいがあった場合、(略)「枝変わり」と呼ぶ。(略)枝変わりの枝を台木に接木して増やせば、新しい品種を栽培することができる。

 拾い読みする人に是非とも読んで欲しいのが、第10章のサツマイモ。著者の岩永氏がサツマイモに抱く熱い想いがひしひしと伝わってくる。わざわざ独立させたコラムで、「こんなに素晴らしいんですよ!」とサツマイモを売り込んでます。

  • 粗放的作物:雑草の繁殖を抑えるので手がかからず、収穫期も長いので労力の自由度が高い。
  • 環境保全的:栄養吸収力が強く音頭条件さえ満たせば土壌が悪くても収量が期待でき、農薬使用量も少ない。
  • 気象災害:風害に強く土壌浸食も防ぐ。水分蒸発も防ぐので干ばつに強い。

 おまけにビタミンA・B1・C・カリウム・カルシュウムなどミネラル豊富で食物繊維も沢山…などと言われると、つい焼き芋が食べたくなるでしょ。享保飢饉でもサツマイモを栽培してる鹿児島じゃ餓死者が出るどころか、逆に人口が増えた。19世紀半ばじゃサツマイモを栽培してる西日本の藩は国力が充実し、明治維新につながった、とまで持ち上げる。

 第二次戦争後も代用食として活躍したけど、それがアダになり「戦争時代の苦しさを連想させるサツマイモは食卓から遠ざけられて、最近の生産量は最高時の14%に減少している」。世界でも生産量が多いのは中国・ナイジェリア・ウガンダ・インドネシア・ベトナム・カンボジアと続き、日本は7位。やっぱり貧しい国が多いんだよね。戦後生まれが増えた今こそサツマイモは売り込みのチャンスなのかも。近所のスーパーの焼き芋もすぐ売り切れちゃうんだよなあ。

 と、優れた作物であるイモも、災害をもたらす時もあって、有名なのがアイルランドのジャガイモ飢饉。単一品種で塊茎で増えるクローンだから病気が流行れば一網打尽。ところが原産地のアンデスだと、「一つの畑にいくつもの品種を混ぜて栽培する習慣が伝統的に存在した」。賢い。

 もう一つ、ジャガイモで賢いと唸ったのが、フランスのA・A.・パルマンティエの工夫。保守的な民衆にどうやってジャガイモを普及させたか、というと。

 1773年にパリ郊外の畑でジャガイモの試作をおこない、柵で囲った畑を昼間は警備員を配して厳重に守った。これほど厳重な警備をするからには美味いものに違いないと民衆に思わせ、夜間は警備の手をわざとゆるめて盗むにまかせた。

 対するロシアは法令で強制したけど「悪魔の食物は受け付けない」と一揆が起きたとか。
 そのロシア、意外な事にソバ大国。「ライ麦の代わりはあってもソバの代わりはない」そうな。ウクライナもソバ好きで、「そばカーシャ(粥)は母、ライムギパンは父」だとか。

 他にもテンサイからの製糖で「ドイツの科学は世界一~」だったりアメリカじゃ機械収穫に合わせてトマトを品種改良したりエチオピアじゃ国情不安定でソルガムの品種改良が頓挫したりと、お国柄が垣間見えるのも楽しい。

 ところでネギの生産量は日本が世界一で、欧米はタマネギばかり。ナガネギはほとんど生産・流通してないんだよね。ここはぜひ初音ミクさんに頑張ってもらって…

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2011年5月29日 (日)

正田陽一編「品種改良の世界史 家畜編」悠書館

 家畜とは「人間が利用する目的で野生動物から遺伝的に改良した動物」である。
 我々人類の祖先が。野生動物を捕えて飼育し、人間の管理のもとで繁殖させ、長い年月をかけてその有用性を高める方向に育種して、野生の祖先種とは明らかに区別しうる特徴を備えるにいたった動物が家畜である。

どんな本?

 ウシ・ウマ・ヒツジ・ヤギ・ブタ・ニワトリなど、家畜として飼われている動物について、家畜化されてきた歴史や代表的な品種の特徴と来歴、また現代の育成事情や品種改良技術の概要などを総合的に語る。雰囲気、農業大学畜産科の一回生向けの教科書、といった感じ。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2010年11月5日初版発行。著者は松川正/伊藤晃/楠瀬良/角田健司/天野卓/三上仁志/田名部雄一。A5ソフトカバーで本文約437頁+参考文献5頁+索引5頁。9ポイント48字×19行×437頁=398,544字、400字詰め原稿用紙で約997枚の大著。

 著者が日本語ネイティブなのがありがたい。ときおり説明なしにホモやヘテロなど遺伝学の基礎用語が出てくる事を除けば、ほぼ日常的な言葉で語られるため、それほど難しくない。この辺は、競馬が好きな人なら詳しいと思う。

構成は?

総説 家畜育種の歴史と遺伝学の進歩 正田陽一
第1章 ウシ(肉牛) 松川正
第2章 ウシ(乳牛) 伊藤晃
第3章 ウマ 楠瀬良
第4章 ヒツジ 角田健司
第5章 ヤギ 天野卓
第6章 ブタ 三上仁志
第7章 家禽 ニワトリ/シチメンチョウ/ウズラ/アヒル/ガチョウ 田名部雄一
 参考文献
 索引
 著者略歴

 一般向けの解説書を期待する人は、最初の総説だけ読めば充分かも。章ごとに著者が違うことでわかるように、各章は独立しているので、興味があるところだけを拾い読みしてもいい。それぞれの章内の構成は、基本的に「起源と特性」「伝播と発達」「系統(品種)」「世界の現状」「日本の現状」といった流れになる。
 ところで我々日本人に縁の深いブタがウマとヒツジとヤギの後になってるのは、何か意味があるんだろうか?

感想は?

 素人の私にとっては、冒頭の総説から読み応えたっぷり。まず「家畜化しやすい動物種」の特徴を箇条書きでまとめてある。曰く。

  1. 群居性が強く順位制で群れの秩序を保つ。ヒトがボスになれば群れをまとめやすいのですね。
  2. 雄が性的に優位で配偶関係が不定。都合のいい雄の子をハーレムで沢山作れば品種改良しやすい。
  3. 大胆でヒトに慣れやすい。
  4. 草食性または雑食性で、なんでも食べる。
  5. 環境への適応力が強い。
  6. 性質が温順で行動が遅鈍。

 野生動物が家畜化する過程で起こる変化も共通しているそうで。

  1. 体格の小型化:飼料が不足しがちなため。例外はウマ。
  2. 頭骨の短縮:下顎骨が小さくなる。イノシシは第一世代の10年の飼育で短縮があったそうな。
  3. 繁殖能力の増大:性成熟の早期化・繁殖季節の消失・一腹産子数の増加。
  4. 変異の増大:同種内で系統間の違いが大きくなる。チワワからセントバーナードまであるイヌが代表。
  5. 自己防衛力の低下:ただし病気には強くなる場合もあります。ま、当然だよね。

 キチンと系統だった家畜の品種改良は18世紀のロバート・バークウェルが始まりだそうで、厳密な基準を設けて優れた固体を選んで繁殖させ、近親交配も駆使し、親子関係の記録もした。それまで家畜は勝手に交配してたわけです。その結果は目覚しく、1700年の食肉用雄牛の平均体重170kgは1786年に380kgになったとか。

 乳牛も16世紀には年間の乳量が500~700kgから、現代は1970~75年のアメリカで7336kg、2000年には9630kg。ここ30年の急激な成長の主な原因は「凍結精液を中心とする遺伝資源の国際商品化」だとか。和牛だと1947年には7%だった利用率が現在では99%だってんだから凄い。評価の高い種雄牛は10万頭以上の子を残すとある。畜産ってのは、ハイテク産業なわけです。

 野生種と交雑可能な家畜も多いけど、ヒツジは面白い。なんと、染色体の数が違っても問題なく雑種が残るとか。ヒツジは染色体が54本、ヨーロッパムフロンとアジアムフロンも54本。ウリアルは58本でアルガリは56本。

イラン高原ではアジアムフロンとウリアルの雑種集団が自然に形成されており、染色体数54~58本までのさまざまな交雑種が生息している。中には、アジアムフロンとウリアルの交雑だけではあり得ない55本や57本の染色体数をもった雑種もみられる。

 ウシやウマはヨーロッパが支配的な中で、中国が大きな役割を果たすのがブタとニワトリ。ま、いずれもヨーロッパで改良され20世紀に再輸入されるんだけど。その中国、近年の養鶏の伸びが凄まじい。1970年の鶏卵生産量1,533トン→2005年に24,348トン、肉だと971トン→14,689トン。なんと15倍の伸び。

 皮肉なのが野間馬。寛永年間に松山藩が農民にウマの増殖を委託し、大きい(4尺=121cm)以上のウマは買い上げた。小さいウマ同士の交配が続き小型化したが、小型のウマは急斜面や細道、農作業で有用だった。明治政府は大型の軍馬を必要としたので小型ウマの生産を禁止したが、ミカンの収穫に不可欠なので密かに繁殖し、1988年に日本馬事協会に日本在来馬と認定される。波乱万丈っすなあ。

 と、まあ、遺伝学と歴史を行ったり来りしながら、じっくり読みましょう。あー、ヤギ肉のカレー食いてえ←結局それかい

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2011年5月27日 (金)

GoogleBooksの関連書籍一覧の仕様は?

 Google のサービスに、Google Books がある。一部の書籍は全文検索ができるし、電子ブックも販売している。その中で、見つけた頁が、これ。

カナート イランの地下水路

 え?と思ったのが、関連書籍の項。

 なんと、10冊中の9冊まで、私のブログでレビューしている。ちなみに、「カナート イランの地下水路」も、レビューしてます。「なんで Google は俺の趣味をここまで詳しく知っているんだろう?」と思ったが、真相は逆ではないかと考え直した。

 なんたって Google だ。人手で関連書籍を調べているわけじゃあるまい。プログラムで自動生成している、と考えるのが自然だろう。となると、後はプログラムの仕様だ。たぶん、こんな感じじゃないかと思う。

  1. 販売実績があれば、同じ購入者が同時に購入している書籍を挙げる。同時購入がなければ、同じ購入者が近い期間に買った書籍を挙げる。
  2. 未だ売れていなければ、web を漁ってレビューしている頁を探す。同じサイトでレビューしている書籍の中から、リンク関係などで比較的「親密」であると思われる書籍を挙げる。

 つまり、今のところ「カナート イランの地下水路」は売れていなくて、かつ、レビューしている人も少ない。Google のプログラムが参考に出来るのも私のサイトしかないために、このような結果になった…んじゃ、ないかな。

 そういう目で見ていくと、私のサイトの「カナート イランの地下水路」からリンクを張っているのは、以下2冊。

  1. 世界文明における技術の千年史 アーノルド・パーシー
  2. パリ職業づくし クライン=ルブール,F.

 逆に、「カナート」にリンクしているのが、以下3冊。

  1. インドカレー伝 リジー・コリンガム
  2. 戦争の世界史
  3. メガネの文化史 Richard Corson

 直接のリンク関係がないのが、以下4冊。

  1. ヨーロッパ祝祭日の謎を解く アンソニー・F・アヴェニ
  2. 史上最大の発明アルゴリズム デイヴィッド・バーリンスキ
  3. 疫病と世界史
  4. 「信濃!」 J.F.エンライト

 「祝祭日」と「疫病」は、教科で言えば社会科に属するから、まあわからんでもないけど、なんで「アルゴリズム」と「信濃」が出てきたのやら。たぶんリンク先のリンク先、みたいな関係なんだろうけど、すると仲立ちしたのは「戦争の世界史」かな。

 イカモノ食いで興味の赴くまま本を読んでると、たまにこういう驚きがあるから面白い。

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2011年5月26日 (木)

阿佐田哲也「麻雀放浪記 4 番外編」角川文庫

「俺はちがう。好いとるけん打つとたい。麻雀でやられるなら、殺されてもよか。あんたも、あそこまで打てる腕があろうもン、やっぱりそうたい。よかことか悪いことかわからんばってん殺されてもよか思うちょるもん、やめられんとたい」

どんな本?

 戦後の混乱期から始まった傑作博打シリーズも、この四巻でついに終幕。「番外編」と銘打つこの巻では、今までの主人公「坊や哲」は脇に回り、変わって新人の李億春が主役を張る。哲から主役を奪うだけあって、この男の圧倒的な存在感は、読者の背筋を凍らせるだろう。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 初出は1972年1月~6月に週刊大衆連載。私が読んだのは角川文庫版で1979年10月30日初版、2001年5月25日発行の46版。読み継がれてるなあ。文庫本で本文約321頁、解説は山本溶朗の7頁。8ポイント縦一段組み42字×18行×321頁=242,676字、400字詰め原稿用紙で約607枚。

 文章そのものは娯楽小説に相応しい読みやすさ。ただ、主人公の李億春が福岡弁なので、慣れないと少し戸惑うかも。とまれ、大半は語尾が変化する程度で、完全に意味不明な単語が出てくるわけじゃないので、ご安心を。

 麻雀勝負も「読み」が重要なのは前巻と同じ。同時にこの巻では「技」も駆使したバトルが展開されるので、人間相手に打った経験が多い人ほど楽しめる。私は人の捨て牌は全く読めない素人なので、大人しく勉強させていただきました。

 主役は李で、シリーズ主人公の哲はあまり活躍しない。ただ、ドサ健が重要な役を担っているため、出来れば予め一巻だけでも読んでおいた方がいい。また、前半は関西風のブウ麻雀の勝負が続くので、二巻も…とか言い出すと、結局は素直に一巻から読みましょう、という結論になる。

どんなお話?

 昭和30年頃、北九州。李億春は、その雀荘に巣くっていた。はした金しか持たず、そこでボーイの様な真似をして宿と食い物にありついていた。そこに飛び込んできたのが、ネクタイを締めた一人のよそ者。「カモがきた」と勇む李、店には「コマゴロウ(玄人)が来た」と警告し、勝負を挑もうとするが…

感想は?

 博打は、怖い。博打打ちは、もっと怖い。

 前巻で描かれていたのが、復興の波に乗り定職に就いた者と、未だ戦後気分で獣の様な生活を送るバイニンの対比。ただ、その二者を分ける境界は、比較的あいまいで、本人次第で行ったり来たりできた。ところが、この巻で主役を務める李億春は、もはや引き返せぬところまでドップリとバイニンの世界にハマっている。

 かつて哲が憧れた生き方を体現していたのがドサ健なら、李は哲の純粋?さを持ったまま、バイニンになりきった男と言っていい。役者こそ違えど、まさしく「こうなっていたかもしれない哲」だ。

 麻雀が好きで、勝負が好きで、強い者と打ち合うのが好き。不安定な生活は宿命と受け入れ、駅や路肩で寝ることも厭わない。勝負となれば手段を選ばず、狙った獲物は食いついて放さない。

 「俺に好きなこと、やらしちゃくれんのか。――(略)方々で無茶して、そのたんび人でねえようなあつかい受けたばい、おのれがいたずらしたんだから、恨むなァおのれしかねえが、俺はおのれも恨んじゃおらん。なんといわれようと俺の好きなことをしたんじゃけん、こげなことぐらい当たり前だ。ばってん、ここまで来て好きなことを押しとおさずにひっこむんなら、(略)無くした意味がなかろうもん。――どんでもあンたに喰いついてやる。迷惑だろうが、離れんからそのつもりでいてくれ」

 前巻まではユーモラスでさえあったバイニンの生き様だが、彼の場合は既にホラーの域に達している。とにかく打ちたい、そのために金が必要なら、犯罪すら辞さず金を手に入れる。その知恵と執念と実行力を他の事に活かせばひとかどの人物になれるだろうに、なんでバイニンになってしまうのか…いや、やっぱり堅気になるのは無理な気がしてきた。

 「…出目徳のおっさんと打ちあった夜のことを思い出してみろい。そりゃァ、あんな晩ばかりじゃない。獣みてえに他人の食い残しを突っついたり、雨風ン中でも一人すごさなきゃならねえ。だが月給とりにあんなすばらしい晩があるか」

 対する哲は、大人しく月給とりになりきろうと四苦八苦している。彼なりにカイシャに溶け込もうと、幾つかの職場を転々としながらも、シャカイジンとしての仮面を作り上げていく。

「――だがね、足を洗ったために、僕はどうにか今日まで生きてこれたよ」

 獣の本能の赴くまま強敵を求める李は、やがて関東の雄、上野のドサ健に狙いを定め、あらゆる手を尽くし利用できるものは全てを利用して、彼の元に辿りつこうとする。その心情は、あまりに一途で切ない。腐女子ならずとも、李の想いは恋を連想せずにおれまい。

 戦後の混乱期で「なんでもあり」の時代。剥き出しの欲望と意地がぶつかりあう社会。それでも人は、何かしらの規範を求める。ドサ健も李も、彼らなりの規範を持ち、厳しくそれに準じていた。ただ、その規範は、復興していく社会と、あまりに折り合いが悪すぎた。巻を追うに従い、彼らの規範と世間とのズレは拡大し、最終巻では埋めようのない亀裂の象徴として李に結実する。

 昭和期の読者は、「そうなったかもしれない自分」を、ドサ健や李に投影しつつ読んだのかもしれない。だが、この作品は平成になった今でも新しい読者に愛され続けている。獣のようなドサ健や李の生き方は、愚かで刹那的で破滅的ではあるけれど、同時にどうしようもなく人の本能を惹きつける魅力がある。人間ってのは、厄介な生きものだなあ。 

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2011年5月25日 (水)

阿佐田哲也「麻雀放浪記 3 激闘編」角川文庫

彼等に怨みはないが、何故だか私は容赦しない気持ちになっていた。体を張らない安全博打で遊んでいるような野郎は大嫌いだ。奴らは博打をナメてるが、博打ばかりでなくこの世のいろんなものをナメて暮らしてる。糞、それなら博打で大怪我をさせてやるぞ。

どんな本?

 戦後日本の荒れた社会を舞台に、その日暮らしの博打打ちの、刹那的で熱く鮮烈な生き様を描く人気シリーズ第三弾。復興の兆しが見え始めた東京で、定職に就き片手間に麻雀をやる新世代の打ち手と、復興の波に取り残され明日をも知れぬ浮浪生活を続けるバイニンたちの葛藤を描く。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 初出は1971年1月~6月に週刊大衆連載。私が読んだのは角川文庫版で1979年10月30日初版、1993年5月20日発行の29版。こういう「刷れば売れる」コンテンツを持ってる出版社は強いよなあ。文庫本で本文約308頁、解説は伝説のプロ雀士・古川凱章の6頁。8ポイント縦一段組み42字×18行×308頁=232,848字、400字詰め原稿用紙で約583枚。

 文章の読みやすさは保障つきの職人芸。重版の実績がその証拠。ただ、読みこなすには、麻雀の知識と経験が前二巻より重要になってくる。というのも、この巻では、対戦相手の捨て牌の読みが勝負シーンの重要な要素になっているからだ。同時に心理戦の部分も大きいので、人間相手に打った経験が豊富な人ほど楽しめる。ちなみに私は素人なので、ありがたく教科書として読ませていただきました、はい。

どんなお話?

 焦土から復興の芽が出始めた東京。闇市や復員服は次第に消えていき、人々は定職を見つけ落ち着いた生活を取り戻しつつあった。だが哲は相変わらずの住所不定、博打で荒稼ぎしてはすぐ使い尽くす日々。ところが右腕が故障して激痛が走るようになり、「技」が使えなくなる。食い詰めた哲は烏金を借りる羽目になり…

感想は?

 麻雀シーンは、恐らく今までの巻で最もテクニカルで読み応えがある…んじゃ、ないかな。「最初に落とした牌がこれで、リーチがこれ」みたいな記述が多々出てくる。捨て牌から待ちを読む問題を、幾つか読者に呈している。私はスジぐらいしか判らないんで読み飛ばしたけど←をい。はい、降りるときは現物しか出さないベタ降りです。

 じゃつまらないかというと、とんでもない。読みながら大笑いの連続。なんてったって、あの哲がサラリーマンになっちゃうんだから。まあ、定職に就くったって、そこは哲。その経緯といい勤務実態といい、スチャラカ社員なんて生易しいもんじゃない。入社に備え履歴書を書くところからして、これ。

「――現住所、不定、ってのはこれは変だな。特技、麻雀、サイコロ、ってのもちょっとなあ。履歴書ってのはもっと、景気がよくなくちゃいけねえ」

 バイニンの世界じゃ騙し合いに慣れてる哲でも、まっとうな社会のタテマエには慣れてないようで。この後に履歴書を書き直すんだが、この内容がまた酷い。「うはは、こりゃ酷え」と笑ってたけど、勤め先がこれに輪をかけたデタラメぶりで、哲もそれに張り合うように無茶やってる。

 と、哲が定職につく、というエピソードでもわかるように、この巻から伝わってくるのが、復興が始まった当時の日本の闇雲なエネルギッシュさ。履歴書の特技に麻雀なんぞと書く哲のような奴ですら、とりあえず職に就けてしまう就職事情。羨やましい?とんでもない。そこにはちゃんとウラもあって…

 世の中は大きく変わり始めてる。素人に麻雀が流行りだしたのはいいが、カモが増えてバイニンが暮らしやすくなったかというと、実態は逆だ。素人は危険を避け仲間うちだけで打つし、雀荘も胡散臭いバイニンを嫌う。時にはわざと打ち込んで旦那衆のご機嫌を取りながらハシタ金をカスめるなら食っていけるが、とことんムシる旧来のバイニンの住処は狭まる一方。そこに台頭してきたのが新世代の打ち手。

 「そうだな、たしかに変わった。強え奴はまだ居るが、博打打ちって職業はもう駄目らしいな。この頃の強え奴は、みんな他に職ってものを持ってるんだ。つまり、他に職があるから安心して勝てるんだろうな」

 と、定職を持つ打ち手と、出目徳に代表される旧来の打ち手の対立が、この巻のテーマとなる。これは同時に、復興の波に巧く乗れた者と、乗り遅れた者の葛藤でもある。稀代の無頼漢ドサ健を生まれつきのバイニンと認め、彼を目指し修羅場で足掻いてきた哲。いきがかりとはいえ月給取りとなり、「普通」の人生を垣間見た彼が、土壇場で己の正体を突きつけられるシーンは、目が醒めるように鮮やかだ。

 前巻ではほとんど出番のなかったドサ健、ファンの強い希望があったのか、この巻では少しだけ顔を出す。相変わらず強欲で強引、弱みを見せたら付けこまずにはおれない糞野郎で、私は安心した。やっぱりドサ健はこうでなくちゃ。

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2011年5月24日 (火)

阿佐田哲也「麻雀放浪記 2 風雲編」角川文庫

「指だろうが足だろうが、千切ってどっかへ持っていくがいいや。手前等が力ずくで何をしようと文句は言わねえ。俺だっていかさまをやる人間だ。今まで力で、金を奪って生きてきたんだ。力に泣くのはしょうがねえ。だが、その力に頭を下げることだけはしねえんだ。覚えといてくんな」

どんな本?

 傑作ギャンブル小説シリーズ第二弾。戦後の混乱期、ただでさえ明日の見えない世の中で、腕と意地と度胸を頼りに一か八かの賭博に明け暮れる、愚かで刹那的な博打打ちたちの熱い生き様を描く。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 初出は1970年1月~6月に週刊大衆連載。私が読んだのは角川文庫版で1979年9月30日初版、1999年6月20日発行の41版、平均して年2回の版を重ねてる勘定になる。文庫本で本文約322頁に加え、江國滋の解説5頁。8ポイント縦一段組み42字×18行×322頁=243,432字、400字詰め原稿用紙で約609枚。

 文章の読みやすさは相変わらずだが、この巻は舞台が関西のため、関西弁の台詞が多くなる。まあ、普通にTVでお笑い番組やバラエティなどを見ていれば大抵の人にはお馴染みだし、あまり問題はないでしょう。

 続き物であるにも関わらず、この巻は登場人物が大幅に入れ替わり、また舞台も関西に移るため、この巻だけでも独立した物語として楽しめる。ただ、私としては、ドサ健の出番が少ないのが肩透かしを食らったようで大いに不満。前巻で問題に挙げた二つ、戦後の風俗と麻雀に関して、この巻はかなり改善されている。詳細は後述。

どんなお話?

 昭和26年10月、未だ戦後の匂いを残す東京。ドサ健や出目徳と白熱した勝負を繰り広げた坊や哲だったが、今はヒロポンにやられ、ヤクザの犬に成り下がっていた。東京に居場所をなくした哲は、西へと向かい再起をはかるが…

感想は?

 あの哲が修羅場をくぐり、若くはあってもかなりふてぶてしくなってる。前巻で「僕」だった第一人称が、この巻では「俺」になり、ヤクザ相手にいっちょまえの口をきくまでに成長した。

「ことわっとくが、世話になったからって忠義立てするとは限らないぜ。そんなの人間じゃねえ、犬だ。俺ァ勝手に生きるんだ」

 前巻の問題だった戦後の風俗も著者はそれとなく気を使い、冒頭から貨幣価値を説明している。これがまた、この作品世界にあった表現で、娯楽作家・阿佐田哲也の手腕に感心してしまう。

 昭和26年頃の六百円は、ストリップをのぞいてコップ酒を軽く呑み、丼飯が食えた。むろん、金というほどのものじゃない。でもドヤ街の段ベッドになら、それで一週間は寝ていられた。ヒロポンのアンプルが、ルートからの直販で25円だった頃だ。

 貨幣価値と同時に、当時の社会背景と作品の雰囲気を、たった三行で伝えきっている。決して教科書には載らないだろうけど、簡潔明瞭に意味を伝えると同時に殺伐とした空気も漂わせる、小説の出だしとしちゃ最高に研ぎ澄まされた名文と言っていい。

 もう一つの問題、麻雀についても、この巻は大きな障害とはならない。この巻で主に戦われるのは、ブウ麻雀とツモ打ちルール。当時の関西のローカル・ルールらしいのだが、いずれも細かい点より順位が重要な要素となる。役の大小の意味が薄れるため、細かい点数計算が出来ない素人にも(傍で見ている分には)充分楽しめるルールとなっている。勝負の決着も、この巻では牌の読みより心理戦の趣が強い。

 いっぱしのバイニンになった哲だが、まだまだ青さは抜けきらない。「どうやって稼ぐか」に徹しきれず、「面白い勝負」に拘ってしまう。そんな哲が、海千山千の関西の化け物どもに立ち向かい、どこまで通用するか。

 この作品のもう一つの側面は、当時の浮浪者たちの生態を描いている点。最近では吾妻ひでおの「失踪日記」が有名だけど、その先駆的な作品としての面白さもある。哲も、金が無いときは駅や路肩で寝る生活だ。

 浮浪者は、こんな場合、つまり小金を握っているとき、酒を呑もうとは思わない。わずかの金で安堵して、ひっくり返って寝てしまおうとも思わない。そんな奴は本格的な浮浪者じゃない。

 いや、「本格的な浮浪者」と言われても。
 前巻に続き、この巻でもロマンスはある。ヒロインの名前がちと酷いが、この小説じゃ仕方あるまい。

「いや、俺はヤミテンは嫌いさ。リーチをかける。大きい手だからな」
「大丈夫なの、そんなこといって。リーチしたらもう手は変えられないのよ」

 前巻も博打打ちの業の深さを実感させる結末だったが、この巻では博打そのものの恐ろしさを痛感させられる。これを読んで、それでも賭博にはまり込もうという人が、どれほど…いや、やっぱり、いるんだろうなあ。

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2011年5月23日 (月)

阿佐田哲也「麻雀放浪記 1 青春編」角川文庫

「冗談言うねえ。人間、あくせく働くようになっちゃおしまいだ。この頃は皆まともになりやがって、チンチロリンの場も立たねえよ」

どんな本?

 日本の誇る傑作ギャンブル・ハードボイルド長編シリーズ。戦後で焼け野原になった東京を舞台に、やさぐれた男たちが意地と欲望をむき出しにして、技と頭脳でぶつかり合い、喰らいあう。発表当時は日本に麻雀ブームを引き起こした、昭和を代表する娯楽小説の金字塔。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 初出は1969年に週刊大衆に連載。私が読んだのは角川文庫版で1979年9月30日初版、1986年9月30日発行の20刷。「出せば売れる」定番商品ですね。文庫本で本文約322頁に加え、畑正憲の解説6頁。8ポイント縦一段組み43字×18行×322頁=249,228字、400字詰め原稿用紙で約623枚。

 娯楽小説だけあって、文章の読みやすさは文句なし。

 ただし問題は二つ。ひとつは昭和の風俗で、例えば円の価値が今と全く違う。だいたい100倍~400倍ぐらいすれば、今の感覚に近くなると思う。まあ、この辺は作中でも説明されてるけど。他にも「銀シャリ」や「輪タク」など、当時の言葉が出てくるんで、若い人にはピンとこないかも。ストーリーは若い人こそ楽しめるお話なんだけどねえ。

 もう一つはご想像通りの麻雀。何せ麻雀勝負の緊迫感がこの物語の大きな魅力なんで、よく知っている人ほど楽しめる構造になっている。私は「幾つか役は知ってるけど点数は計算できない」レベル、要は「ドがつかない程度の素人」で、著者の出す謎かけは全く理解できなかったが、その辺はキチンと作品中で謎解きしてくれるのでご安心を。とりあえず麻雀漫画を楽しめる程度の知識があれば、娯楽小説としての面白さは充分に堪能できる。

どんなお話?

 昭和20年10月、東京。終戦直後の東京。焼野原の上に闇市が立ち、浮浪者も珍しくなかった。(旧制)中学を辞めた僕は、毎日フラフラと出歩いていた。仕事にありついたと親には言っていたが、そんなアテなんざありゃしない。月給日には給料袋を持っていかにゃならん…などと悩んでいると、勤労動員で知り合った博打狂いの上州虎に出会う。こりゃいいや、とチンチロ博打に連れて行ってもらい…

感想は?

 ドサ健に痺れる。いや現実に自分の周囲にいたら迷惑極まりない奴だけど、物語の人物としては頭の中に住み着いて離れない強烈な魔力を持っている。憑かれるってのは、こういう状態を言うんだろうか。

 博打の小説だけあって、出てくる連中はロクデナシばかりだ。中でもドサ健はライバル的な位置なんだが、この巻では完全に主人公の坊や哲を食ってる。イカサマはする、女は食い物にする、人は騙すとしょうもない奴のクセに、この物語の中では燦然と輝くヒーローに見えるから怖い。いやどっちかというと深い闇を背負ってるんだけど。

 登場人物の大半は博打打ち。真面目に働いて稼いでる素人を、騙しすかして食い物にする、つまりは社会の寄生虫だ。にも関わらず、連中の生き方には人の根源に訴える魅力がある。所詮は言い訳に過ぎないにせよ、奴らの台詞がいちいちカッコいいから困る。

「あンたは健と五分につきあおうと思った。でもこの世界の人間関係には、ボスと、奴隷と、敵と、この三つしか無いのよ。相棒ってのは、どっちかがおヒキ(手下)の関係よ。お互い対等の関係なら、健としちゃ、あンたを敵(客)と思うのが当然よ」

 物語の冒頭、主人公は多少博打が強いだけの素人だ。話が進むにしたがって、彼は玄人の世界を少しづつ学んでいく。その世界のなんと殺伐として、だが魅惑的なことか。

「お前はもう、俺たちのやり口を知りすぎている。このまま放すわけにはいかねえんだ。天和技も十枚爆弾も、俺だけの秘儀じゃねえ。この世界の玄人が共同で守っている技なんだからな。玄人の規則を守っておとなしくしているか、それとも玄人全部を敵に回すか、その二つの道しかお前には無いんだ」

 なんであれ、腕一本で食っていこうとするなら、それなりの苦労もある。彼らが腕を磨く努力を怠らないシーンでは、「普通に働いた方が楽じゃね?」と思ったりもする。何をやっても刹那的になってしまう、そんな自分の生き方に意地になってしがみつく、どうしようもない男たちの業が、滑稽でもあり切なくもあり。

 娯楽物語だけに、ロマンスもちゃんとある。か、そこは博打打ち、一筋縄じゃいかない。ここでもドサ健の言葉が猛毒を持って読者の胸に突き刺さる。私は、この台詞が最高に好きだ。

「いや、手前なんざどうなってもいいんだ。だがあン畜生は――」
「俺のために生きなくちゃならないんだ。何故って、この世でたった一人の、俺の女だからさ。俺ァ手前っちには、死んだって甘ったれやしねえが、あいつだけにはちがうんだ。あいつと、死んだお袋と、この二人には迷惑をかけたってかまわねえのさ」

 …今、落ち着いて考えたら、この人、周囲に迷惑をかけまくりなんですけど。ま、いっか、ドサ健だし。
 他にも進駐軍を相手にするシーンでは、当時の日本人の立場が痛いほどよくわかる。終戦直後の風俗を描いたという意味でも、格好の教科書と言えるだろう。いや教科書には思いっきり向かない題材だけどね。

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2011年5月22日 (日)

大井篤「海上護衛戦」朝日ソノラマ 文庫版航空戦史シリーズ24

「日本の経済および陸海軍力の補給を破壊した諸要素のうち、単一要素としては、船舶に対する攻撃が、恐らく、最も決定的なものであった」  ――米国戦略爆撃調査団(U.S. Strategic Bombing Survey)報告書 The War Against Japanese Transportation

どんな本?

 著者は帝国海軍の海上護衛総司令部参謀として軍司令部戦争指導事務に勤務し、太平洋戦争時の海上輸送を指揮した。日米双方の資料を漁り、戦時の海上輸送事情を大量の表で明確な数字で示すと共に、当時の政府と軍の戦争指導体制および連合艦隊の決戦主義を冷徹・理論的かつ痛烈に批判する。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 旧版は昭和28年(1953年)3月に日本出版協同株式会社より「海上護衛戦」として出版。次いで昭和50年(1975年)8月に株式会社原書房より「海上護衛参謀の回想」として出版。昭和58年2月に朝日ソノラマより「海上護衛戦」として文庫で出版。今は学研M文庫より「海上護衛戦」として刊行されている。不死身か、この本は。

 文庫本で縦一段組み約370頁に加え、付録に表と地図が約30頁。9ポイント41字×18行×370頁=273,060字、400字詰め原稿用紙で約683枚。戦後すぐ出た本にしては、文章は驚くほど読みやすい。ややユーモアのセンスが当時風である事を除けば、21世紀の今でも充分通用する。

構成は?

 文庫版の発刊にあたり
 新版を世に贈るにあたり
 旧版のはしがき
第1章 開戦計画における大誤算(開戦前)
第2章 国力かまわず前線へ前線へ(昭和16年12月から同18年8月まで)
第3章 戦争指導の転換期(昭和18年9月から同年11月まで)
第4章 「海軍に二大戦略あり」(昭和18年12月から同19年2月まで)
第5章 決戦準備の輸送、資源蓄積の輸送(昭和19年3月から同年5月まで)
第6章 崩れ去る夏の陣(昭和19年6月から同年8月まで)
第7章 南ルート臨終記(昭和19年9月から同20年3月まで)
第8章 開戦(昭和20年4月から同年8月終戦まで)
付表

 話は開戦直前の第1章から始まり、素直に時系列に沿って進む。となればご存知のとおり状況は悪化の一途を辿るわけで、その辺は覚悟しましょう。

感想は?

 戦後十年もたたないうちに、よくこんな本が出せたなあ、というのが最初の感想。著者は元海軍軍人でありながら、古巣の海軍を徹底的にコキおろしている。感情的に文句を言うだけならともかく、当時の日本の備蓄量・船腹量や輸送力、造船能力に喪失量など、「これだけ必要なのに、これだけ失ってる、そして新規に追加できるのはこれだけ」といちいち具体的な数値を挙げ、やたらと合理的というより現実的に迫ってくるんだからたまらない。

 肝心の内容は、「航空戦史」というシリーズ名や、海上護衛戦という勇ましげなタイトルとは裏腹に、戦闘場面はほとんど出てこない。代わりに出てくるのは船腹量などの数値と、海軍内の組織変更や会議の様子などだ。資料の調査も丹念で、国内はもちろん、米軍の資料にも当たり、双方をつき合わせている。それにより、著者が明らかにしようとしているのは。

 元々、あの戦争は、ABCD包囲網で窒息しかけた日本の経済を、南方の資源を確保する事で打開するのが目的だった。となれば、南方からタンカーや商船で物資を本土に運ばねばならない。敵もそれを承知しているわけで、当然輸送船を狙ってくる。非武装の商船は敵の潜水艦や航空機のいいカモだ。よって海軍が責任を持って護衛し、または船団を組むなどの工夫をして、被害を最小限に抑えなければならない。

 …と、思うよね、普通。ところが、肝心の海軍は、艦隊決戦を求める連合海軍に引きずられ、輸送船の護衛は片手間どころかほとんど放置、というか何も考えていない。護衛用の艦は老婆艦で指揮官も乗員も予備役の二線級か素人、しかも海軍は艦隊決戦に血道をあげて、地味な護衛戦は戦術すら持っていない有様。

日本海軍には、昭和18年12月10日まで、つまり、太平洋戦争が半分以上をはるかに過ぎるまで、護衛専門ないし対潜作戦専門の航空隊は一つとして編成されていなかった。いな、それどころか、いろいろな航空戦術のうちに護衛航空戦術とか、対潜航空戦術とかいうものは少しも特別に研究されておらず、一人もその訓練に精魂をつぎ込んでいたものはなかった。

 「南方の物資が目的で戦争を始めたのに、それを運ぶ海路の安全を確保しなけりゃ意味ないだろ!」と著者は本書の全編を通して怒りまくってるわけです。

 開戦当時は勢いに任せてイケイケ気分。当初の米軍潜水艦の魚雷は質が悪く、攻撃を受けても大きな被害は出なかった。フィリピンのキャピテ米国アジア艦隊の根拠地への攻撃も成果をあげ、「日本海軍機の爆弾がキャピテ魚雷格納庫に命中し、おさめてあった233本の潜水艦用魚雷が雲散霧消してしまった」。欧州を重視した米国の戦略も手伝い、帝国海軍は勢いに任せて戦線を拡大するが、延びた補給線は、ただでさえ厳しい船舶事情を圧迫する。

 政府の輸送計画も場当たり的で、どの物資の輸送を重視するかを考える部署が存在しない。農林省は燐鉱石を、海軍は石油を、陸軍は部隊輸送を、民間の鉄鋼企業は鉄鉱石を、それぞれ独自で護衛総司令部へ嘆願に来る。「政府は補給計画も持ってないのか」と、ここでも著者は不満をぶちまけている。

 なぜこんな無様な政府になったのか、なぜ海軍は艦隊決戦に拘ったのか、そういった部分にも容赦なく著者は切り込む。戦艦大和の沖縄特攻に虎の子の重油を奪われるに至り、最後に癇癪玉を爆発させる。

「国をあげての戦争に、水上部隊の伝統が何だ。水上部隊の栄光が何だ。馬鹿野郎」

 あなたが「勇ましい軍人のお話」を読みたいなら、この本は薦めない。「あの戦争は日本の名誉の為に戦ったのだ」と考える人なら、これを読んでも不機嫌になるだけだろう。むしろリベラルや左翼系の人こそ、この本を高く評価するはずだ、と私は思う。

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2011年5月20日 (金)

ダイ・シージェ「孔子の空中曲芸」早川書房 新島進・山本武男訳

 ある日、帝は易者にこう訊ねた。「影武者どもが、朕そっくりにものを考えるようになったなら、ついに、この心も静まるのであろうか?」
 易者曰く、
 「私にはそう思えませぬな。陛下はその日より、影武者たちの影武者におなりあそばせるでしょう」

どんな本?

 フランスで活躍する中国系の小説家、ダイ・シージェの四作目にあたる長編小説。「SFが読みたい!2011年版」で海外文学担当の牧眞司氏曰く「カタ破りの愉快において、(トマス)ピンチョン作品を凌駕する」と評する奇書。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は L'acrobatie ae'rienne de Confucius, Dai Sijie, 2009。日本語版は2010年10月25日初版発行。A5ハードカバー縦一段組みで本文約240頁。9ポイント43字×18行×240頁=185,760字、400字詰め原稿用紙で約465枚。長編としては手軽な分量かな。舞台は16世紀末の中国だが、文体は中国風ではなく、欧米の翻訳物っぽい雰囲気がある。解説を見ると相当に厳しいスケジュールで翻訳した模様だが、特に文章が荒れている所も見当たらない。

どんなお話?

 時は16世紀末、場所は中国。主人公は明朝末期の皇帝である正徳帝。常に四人の影武者を従えていた彼は、五札の君と呼ばれた。奇行で知られた帝は、宮殿内に動物園を作り、毎夜獣と戯れると噂されていた。空に凶兆が現われたとき、彼は都を離れ、巨大な船で旅に出る。ビルマからの戦利品である動物、すなわち犀のつがいと象一頭とアフリカ原産の全身が黒い生き物を連れて。

感想は?

 「艶笑譚」とあるが、ここはむしろ今風に「エロギャグ小説」と言った方がいい。語り口こそトボけた感じで静かだが、内容はおバカなシモネタ満載のトタバタ喜劇だ。

 そもそもタイトルからして人をくってる。その意味がわかった時は脱力したよ、あたしゃ。んなモン五人でシンクロさせるなw しかも、そのネタをマシンガンの如く連続して繰り出してくる。ギャグってものをよくわかってる人だ。やっぱり、基本は繰り返しとリズムだよねえ。

 モデルとなった正徳帝、奇行で知られているそうだが、それなりに能力も持っていたようで、「たとえば1517年、北の国境線における蒙古軍との戦で、帝は作戦を成功させ、生涯初にして唯一の戦功を挙げた」とか。ところが奇行で高級官僚に怨まれていたため、「学者たちが賞辞を送ることを拒んだため、高官たちはこれを戦勝と認めなかった」。なんだそりゃ。

 さて、物語は巨大な船での旅が中心となるのだが、この船がまたふざけている。三百人の宮女を乗せるのはまだいいとしても、その中に色街を再現するってんだから無茶苦茶だ。当然、娼婦役は宮女が勤めるのはいいとして、場末の雰囲気を出すために茶屋や酒場も用意し、わざわざ不潔にして埃っぽくするってんだからマニアック。こういう「意図的に汚す」なんて芸は、よほど余裕がないとできない。

 色方面のハイライトは、狩りのシーン。舞台がこれまた中国の伝統的奇書で有名な場所で、ソッチ方面の妄想を爆発させている。ここでは犀と虎の対決が見ものというかナニ考えとんじゃというか。いやそんなモン張り合ってどうすると思うんだが、やっぱりそこは男の業とでもいいますか。

 業といえば帝の業の深さも相当なもので、後半で帝が自らに課すアレも、まあ気持ちはわからないでもないけど、男として。歯ブラシとか真珠とか、そっちの伝説は色々あるけど、ここまで無茶やったって話はさすがに。

 ギャグの方向性としては、先に呼んだ「宇宙飛行士オモン・ラー」と似たネタもある。お偉方が大真面目におバカな真似をする、ってネタ。オモン・ラーでは単に偉ぶってるだけだけど、こちらはさすが中国四千年。スケールが違います。映画化したら…いや、無茶だろうなあ、さすがに。エキストラの費用だけでも凄まじい額になる上に、中国政府が撮影許可出さんわ、絶対。

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2011年5月19日 (木)

トーマス・ヘイガー「大気を変える錬金術 ハーバー、ボッシュと化学の世紀」みすず書房 渡会圭子訳 白川英樹解説

「イギリスをはじめとするすべての文明国家は、いま死ぬか生きるかの危機に直面している」
「人類を飢えから救うのは化学者である……われわれが死に直面する前に、化学者の働きによって世界的な飢餓の時代は先延ばしされ、われわれの息子や孫たちは、将来を過度に心配することなく生きられるようになるだろう」  ――サー・ウイリアム・クルックス、1898年英国科学アカデミー会長就任演説より

どんな本?

 20世紀の人類を救った偉大な発明、化学肥料。それにより農業の生産性は飛躍的に向上し、人口の急激な増加を可能にした。空気を肥料に変えるハーバー=ボッシュ法を発明した二人の化学者、フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュは、後にノーベル賞を受賞する。だが、二人が活躍した時代は、同時に二つの世界大戦が戦われた時代だった。偉大な化学者二人の波乱万丈の生涯を追い、現代科学の発展と歴史の皮肉を綴る。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は The Alchemy of Air ; A Jewish Genius, a Doomed Tycoon, and the Scientific Discovery That Fed the World but Fueled The Rise of Hitler, Thomas Hager。日本語版は2010年5月20日初版発行。A5ハードカバー縦一段組みで本文約293頁に加え、解説9頁+索引・出典・参考文献29頁。9ポイント46字×18行×293頁=242,604字、400字詰め原稿用紙で約606枚。みすず書房というとおカタい印象があるが、これは物語風で意外と読みやすい。

構成は?

 はじめに 空気の産物
第Ⅰ部 地球の終焉
第Ⅱ部 賢者の石
第Ⅲ部 SYN
 エピローグ
 謝辞
 解説 白川英樹
 参考文献
 出典について
 索引

 「第Ⅰ部 地球の終焉」は、ハーバー=ボッシュ法が登場する前、天然肥料を列強が奪い合う舞台背景を、ドタバタ喜劇風に紹介する。二人が登場するのは「第Ⅱ部 賢者の石」以降。

感想は?

 ハリウッド映画の原作と言っても通用するぐらいに、波乱万丈でドラマチック。因縁の対決・勝利への執念・相次ぐ困難・虚をつく発想・大胆な賭け・栄光と挫折・国家の悲劇、そして友情と、ワクワクする娯楽作品に必要な要素がギッシリ詰まってる。科学に興味がない人でも、戦時下で浮沈の激しい人間ドラマが好きな人なら、きっと楽しめる。

 フリッツ・ハーバーはドイツに生きるユダヤ人。19世紀後半のドイツのユダヤ人は上級公務員にこそなれないものの、他の国よりは寛容だった。科学で国家に貢献すれば国民もユダヤ人を認めてくれる、そう考えたハーバーはアンモニア合成を成功させる。従来の高温にする方法ではなく、高圧を利用する方法だ。

 目処がついたハーバーは、BASFに売り込む。ハーバーの方法は有望だが、ビジネスとして成立させるには効率向上と大規模化が必要だ。担当となったのは、機械にも詳しい化学者のカール・ボッシュ。ボッシュは、当時としては画期的な手段に出る。大人数の化学者を雇ってチームを組み、一つの目的に向け組織的に「発明」するのだ。

 この発明の過程がエキサイティングで楽しい。今でこそ民間企業がチームを組んで新製品を開発するのは珍しくないが、同時としてはマンハッタン計画に匹敵する偉業だった。適切な触媒を求めての右往左往、次々と改良されていく機械。鋼鉄シリンダーの水素腐食を防ぐ工夫には脱帽した。「どうせ防げないなら生贄を差し出せばいい」と、シリンダー内部を取り替え可能な安い鋼の保護材で覆う。保護材は水素に侵されるが、定期的に交換すればいい。

 ボッシュの活躍で化学肥料は商業ベースに乗るが、ここに歴史の皮肉が訪れる。第一次世界大戦の勃発だ。化学肥料工場は、少しの工程変更で爆薬工場にもなる。ドイツに大量の硝酸塩を提供するBASF。「もしハーバー=ボッシュ法で爆薬に必要な硝酸塩がつくれなかったら、第一次世界大戦は一年か二年、早く終わっていただろうと推測する歴史研究かもいる」そうな。そのころ、ハーバーは悪魔の発明・毒ガス開発に取り組んでいた…

 ハーバーもボッシュもドイツのために頑張ったが、戦争は負けた。トンデモ科学に手を出すハーバー、事業拡大に余念のないボッシュ。いずれも巨額の賠償金からドイツを救うために奮闘する。だが、やがてナチスが台頭し、ユダヤ人の排斥が始まる。心痛の中、カイザー・ヴィルヘルム研究所を追われ、ハーバーは死ぬ。ハーバーの追悼式で示される、ボッシュの友情はあまりに切ない。

 化学肥料・合成石油、そして大規模化学工場と、ボッシュの文明への貢献はあまりに偉大だ。だが、同時にそれは戦争を支え拡大する結果ともなった。彼らを悪く言う人も多いだろうが、戦勝国に生まれていたら、彼らの評価も違っていただろう。

 ユダヤ人でありながら、キリスト教に改宗してまでドイツのために尽くしたハーバーの誠意は、最後にヒトラーに裏切られる。それでも、同僚の科学者達が、ハーバーへの敬意の誇示を躊躇わなかったのが、せめてもの救いか。

 恐らく彼らによって救われた生命は、十億を超えるだろう。品種改良による「緑の革命」も、科学肥料なしにはありえなかった。だが、それは同時に人口問題を先送りしてツケを膨らませただけなのかもしれない。化学肥料の増加は環境への負担を増大させ、今は有機農業が脚光を浴びている。

 二人の人生、二つの世界大戦、そして地球全体の環境。様々なスケールで、あまりに多くの問題を、この本は読者に突きつける。真面目に考え込むもよし、眩暈を起こして戸惑うもよし。「科学者の伝記」というカテゴリに収めるには、本書はあまりにドラマチックでヒトの本質に迫りすぎている。

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2011年5月17日 (火)

山本弘「去年はいい年になるだろう」PHP研究所

唐沢俊一「最初は『来年から雑学ブームが来て、テレビに出演する機会が多くなって忙しくなる』って書いてあったから喜んだんだけど、その後がデタラメなんだよね。『岡田斗司夫が50キロの減量に成功して、ダイエット本を出してベストセラーになる』とか」
「ははは、そりゃありえない!」

どんな本?

 「心はいつも15歳」がキャッチフレーズの山本弘が、傑作「アイの物語」を乗り越えるべく挑んだ、長編私小説SF。SFマガジン編集部編「このSFが読みたい! 2011年版」でも国内編5位にランクイン。あの2001年9月11日の悲劇を踏まえ、ロボットと倫理、そして人類のあるべき姿を夢想しする。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 初出は月間文庫『文蔵』2008年8月号~2009年9月号連載。それに加筆・訂正し、2010年4月16日に初版発行。ハードカバー縦一段組みで約422頁。9ポイント45字×19行×422頁=360,810字、400字詰め原稿用紙で約903枚。堂々たる長編ですね。文章はいつもの山元節で、ライトノベル出身らしく抜群の読みやすさを維持しつつ、本格的なSFを展開している。

どんなお話?

 2001年9月12日。人類は、「ガーディアン」に制圧される。彼らは謎の飛行物体で飛来し、各国の兵器を無効化した。「自然災害やテロを防ぎ、人類を保護するために24世紀からやってきたロボットだ」と語る彼らは、実際に多数の地震を予言し、またテロや大事故を未然に防ぐ。

 制圧と言ってもガーディアンは兵器を無効化しテロを防ぎ地震予報を出す程度で政治には介入しない。そのせいか日本は平穏で、せいぜいが保存食やトイレット・ペーパーの買占めが起こった程度。SF作家としてはいくつかのネタが使えなくなって参ったなあ、などと思っているところに、当のガーディアンの一体が現われ…

感想は?

 まずは警告。「アイの物語」と「神は沈黙せず」を未読の人は、本書を後回しにして、ソッチを先に読みましょう。本書で両作品の重要なネタをバラしてる。なんでこういう勿体無い事をするかなあ。どっちも読んでないという人には、「アイの物語」を薦めます。両方共に傑作だけど、「アイの物語」の方が、分量も少ないし連作短編形式なんで、とっつき易いと思う。

 と警告したように、この物語、多分に読者を選ぶ所がある。誰向けかというと、多少は日本のSF界を知っていて、山本氏の作品もいくつか読んでいる人向け。まあ、この辺は私小説という形をとる以上は仕方がないんだろうけど、今まで特撮やオカルトなど濃ゆいネタに題材を取りながらも、決して一見さんお断りではなかった彼にしては、ちと珍しい傾向。

 逆に彼の周辺の人間関係を知ってる人にとっては、ニヤニヤするシーンの連続。冒頭の引用は「と学会」の様子で、そりゃ信じられないだろうなあ。この辺は抱腹絶倒しました、はい。意外と俺たちって大変な世界に生きてるんだなあ。ガーディアンの出現で苦境に立つ作家、逆に仕事を得る人、それぞれの微妙な立場の違いがわかって実に楽しい。ほんと、ちょっとした違いなのにねえ。

 他にも自作への思い入れを語る部分はなかなか熱い。とりあえず「フェブラリイ」を忘れてないのに安心しましたよ、あたしゃ。そうかあ、美葉は書いてて楽しかったのかあ。また、あーいう気楽なコメディも読みたいなあ。作家として星雲賞へのこだわりも正直に語ってて、ちょっと意外に思ったり。星さんでさえ気にするぐらいだしねえ。「SFが読みたい!」も気になっているとは。

 さて、物語はトコトン善意に溢れている(ように見える)ガーディアンが人類に介入してどうなるか、というのが本筋。このガーディアンの行動原理が、モロ に山本氏の倫理観を反映しているのが興味深い。その上で、こういう物語にするあたりが、やはりSF者というかなんというか。善意に溢れているとはいって も、別に人類を完全支配するわけではないので、その辺はご安心を。そういう意味では、J.P.ホーガンの「断絶への航海」がいい比較対照になるかな。あれも示唆するだけで支配はしない存在が重要な役割を担っていた。

 相変わらず読者の吸引力は見事で、未来からの善意?の訪問者なんて無茶なテーマを、私小説という徹底して地に足についた形式にする事で、糠みそ臭いまでの生活感を醸し出している。「ほお、家庭では関西弁で通してるのか」などと妙に感心したり。

 この私小説という形式、なんでこういう形にしたのか、それは結末近くになって明らかになる。つまり、この作品は、特定の誰かに宛てた物語なのだろう。つまりは原稿用紙900枚を費やした私信なわけで、はいはい、ごちそうさま。読んでもらえるのかしらん。 

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2011年5月15日 (日)

河合幹雄「日本の殺人」ちくま新書

 刑事訴訟法の規定で原則とされていることと現実が違っているわけである。このような食い違いはよくあることである。むろん法律違反をしているわけではない。原則には例外があり、例外のほうがほとんどなだけの話である。

どんな本?

 日本では殺人事件が増えているのか・どんな人が殺人を犯すのか・組織的な犯罪は多いのか、など、日本の殺人事件の実情を資料や統計から読み取ろうとする。また、後半では、逮捕後の犯罪者がどのように扱われるかを、拘留・服役・そして出所後の生活などから解き明かす。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2009年6月10日初犯もとい初版発行。新書で縦一段組み約262頁。9ポイント40字×16行×262頁=167,680字、400字詰め原稿用紙で約420枚。新書にしてはやや分量が多目かな。文章は新書らしく読みやすさに気を配ってはいるものの、やはり法律関係の話になると、どうしても漢字やお堅い言葉が多くなるのはご愛嬌か。

構成は?

 まえがき
第一章 殺人事件の諸相
第二章 捜査、刑務所生活、そして出所後
第三章 ひとを殺すとはどういうことか
終章 社会的大転換の裁判員制度
 あとがき
 参考資料・文献

 「終章 社会的大転換の裁判員制度」の冒頭、「まとめとして」の数頁で、この本の内容を著者自ら巧く要約している。全部を読むのが面倒くさい人は、ここだけ読めば著者の主張は伝わるだろう。

感想は?

 書名からワイドショーっぽい扇情的な内容を期待したのだが、全然違って至極真面目な本だった。まあそんなモンを期待するほうが間違ってるんだろうけど。むしろ著者はマスコミがワイドショー的な事件報道を苦々しく思っているようで、随所にマスコミ批判が出てくる。

…「相次いでいる」という表現は、増加しているといえばよさそうなものであるが、実は大幅に減少していたので、増加といえばウソになる。そこで、使われたのが「相次いでいる」という用語である。

 はい、今後はマスコミが「相次いでいる」って言葉を使ったら気をつけます。こういう印象と現実の違いは冒頭でも指摘していて、例えばヤクザのテッポウダマがビビって実行前に自首した場合でも、統計上は殺人事件(殺人予備罪)として扱われるそうな。ちなみに処分は起訴猶予が相場だとか。

 殺人がどれぐらい起きているかというと、2002年の統計で10万人あたりの殺人発生率が、日本は1.2、仏4.1、ドイツ3.2、英3.5、米5.6。しかも日本の多くは心中だそうで。加害者と被害者の関係でも子殺しが1/3で、核家族内だけで過半数を超える。面識がないのは10%強と、滅多にない。

 厳罰化の実態も興味深い。2004年の改定で厳罰化したように見えるけど、80年代から実際の量刑は上がってきていて、判決に大きな影響はないそうな。本書はこういう現場と書類の違いをアチコチでバラしていて、冒頭の引用もそう。刑事訴訟法では、警察は逮捕後48時間が過ぎたら送検か釈放かせにゃならず、送検なら検察に送って拘置所に身柄を移すのが原則だけど、現実には留置所に留め置くのが大半だそうで。

 まあ、その方が巧く行くって現実はあるにせよ、それを「例外のほうがほとんどなだけの話」と言ってしまうのは…うーん。個人的には実情に合わせて少しづつ法を変えるのが理想だと思うんだけど、どうなんだろ。

 留置所・拘置所・刑務所の違いも書かれている。留置所は警察の管轄で取り調べ中に入る所で、看守は警官。拘置所と刑務所は法務省の管轄。拘置所は未決拘留者と死刑囚が入り、そこそこ自由がある。刑務所は受刑者が入る。どっちも国家公務員の刑務官が管理する。緊急時に備え職場近くの官舎住まいだそうで。

  刑務所も種類があって、累犯者&ヤクザと初犯にわけ、更に長期と短期で分けるので大雑把には4種類がある。下手に若い犯罪者をヤクザと一緒にしたら、スカウトされるとか。そりゃそうだわな。なお殺人犯は主人としちゃ比較的扱いやすいというのも意外。服役囚で最も多いのが薬物中毒、次いで窃盗常習犯。

 ジャンキーが扱いにくいのは当然として、窃盗常習犯は「身寄りがなく、寝泊りできる家屋もなく、身体的にも健康でなく、知能は知的障害にギリギリ判定されない程度」「年齢はかなり高い。(略)日本では40代、50代の順に犯罪者が多く」とある。殺人犯が云々というより、他が酷すぎるんですね。なお、「もっとも扱いにくいのは、放火犯」だそうです。

 酔っての乱行が減った原因として、飲み屋のレイアウトが変わり隣のグループと充分な空間が確保された点を挙げたり、男女の諍いによる事件じゃ別居可能な経済的条件が重要ではないか、などと、学者にしては現場の事情を重視してるのも本書の特徴かも。法律関係の人って机上の空論を振りかざすって印象があったけど、改める必要がありそう。

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2011年5月14日 (土)

ガリー・トーブス「常温核融合スキャンダル 迷走科学の顛末」朝日新聞社 渡辺正訳

[ソルトレークシティ]ユタ大の科学者が、水素の核融合反応を実験室で持続的に起こし、水爆と同じエネルギーを産み出すことに成功、と前代未聞の発表をした。学生実験なみの器具だけで、試験管中で核融合反応が始まり、百時間以上持続したもよう。 ――ウォール・ストリート・ジャーナル

どんな本?

 1989年3月23日、ユタ大学で衝撃の記者会見が開かれる。重水にリチウム化合物を溶かした液に、白金とパラジウムの電極を入れて電流を流したところ、核融合反応が起きたというのだ。科学者のみならず一般の新聞や政府を巻き込む大騒ぎとなり、肯定派と否定派の大論争が数ヶ月続き、あっという間に熱病は去る…ごく少数の熱心な肯定派を除いて。

 著者は常温核融合に対し明確に否定的な姿勢で書いている。数多くのインタビューや資料で当時の状況を再現し、常温核融合の原理やその否定意見など科学理論的な見地、実験・論文に求められる条件など研究の実際的な側面、当事者であるマーチン・フライシュマン&スタンリー・ポンズ両教授およびユタ大学の立場など社会的な面など、多様な視点で「常温核融合とは何か」「なぜ多くの科学者が胡散臭いと感じたのか」「なぜこんな大騒ぎになったのか」「両教授はなぜこんな発表をしたのか」などを解き明かしていく。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Bad Science - The Short Life and Weird Times of Cold Fusion - by Gary Taubes1993.06。日本語訳は1993年12月25日初版発行。A5ハードカバー縦一段組みで約620頁、9ポイント45字×19行×620頁=530,100字、400字詰め原稿用紙で約1326枚の大ボリューム。お堅いテーマのわりに文章は読みやすいし、科学的な説明もわかりやすい。ただ、さすがにこの分量は胸焼けがする。

構成は?

 おもな機関と人物
 まえがき
プロローグ 記者会見
第1部 誇大妄想
第2部 集団精神錯乱
第3部 確率事象
エピローグ
 注
 取材先リスト
 訳者あとがき

 やたらと登場人物が多いので、「おもな機関と人物」はありがたい。基本的にお話は時系列順に進むので、物語としての混乱もない。多数の人物が入り乱れる事件なので、こういう素直な構成にしたのは正解だと思う。

感想は?

 先にも書いたが、著者は常温核融合否定派の立場、どころか肯定派を徹底的に糾弾する内容だ。常温核融合を肯定する論文で、フライシュマン&ポンズ、またはスティーヴン・ジョーンズの論文を引用していたら、その論文は怪しいと考えよう。

 そもそも発表が型破りだった。一般に科学的な事柄は論文を発表した後で記者会見をするのだが、常温核融合では逆だった。その理由は複数ある。一つは「ユタ効果」などと言われる「ユタ発のニュースは眉唾」とされる風潮と、それに対するユタ州の劣等感。核融合という言葉が持つ「宝の山」的な期待感。そして、最も大きいのが、隣のブリガムヤング大学のスティーヴン・ジョーンズ教授に対する「出し抜かれるんじゃないか」という焦り。

 この焦り、本人達はお隣の大学への対抗心(&猜疑心)なんだけど、政治の舞台に移ると、ライバルとして日本が何度も名指しされる。果たして喜んでいいんだろうか。

 核融合の理屈はこうだ。二つの重水素が融合してヘリウムになれば、その過程で大きなエネルギーが出る。ただ水素の原子核はプラスに荷電して電気的に反発する。融合させる手は二つ。一つは大きな運動エネルギーを与える、つまり高温にする。もう一つは衝突の確率を増やす、つまり高圧にする。

 トマカク型核融合は水素&重水素または重水素&三重水素を閉じ込め、一億度ほどの高温に熱する。対して常温核融合は、金属(パラジウム)内に重水素を閉じ込める事で水素の密度を高める。

 …というと説得力がありそうだが、これが科学の怖いところ。桁が違うんですな。フライシュマン&ポンズはパラジウム内の実効圧力を1027気圧と計算したが、現実にはせいぜい1.5×105気圧程度で飽和する。ゼロが20個以上も足りない。科学では「定量的」な事柄が重要なんですね。

 発表したフライシュマンとポンズは、いずれも電気化学では優れた実績を持つ優秀な科学者だった。ところが核に関しては素人で、この辺の簡単な試算すらできていなかった。発表当時も、物理学者は一斉にマユツバ扱いした。畑違いの人がケッタイな事を言い出すというパターンは、この手の騒ぎの定番だろう。

 実験そのものも相当にお粗末で、対照実験をやっていない。生データも発表しない。再現性もないし、追実験に必要な条件も不明確だ。実験装置もお粗末で、ポンズは過剰熱を問題にするが、肝心の装置の接触が悪く、電源に触れただけで電圧が上下する始末。そして、本来なら中性子が多数出るはずなのに、中性子は全く計測していない。

 追実験で余剰熱を確認した、という報告もいくつか入るものの、週末の実効電圧の変化に無頓着だったり、重水と軽水の電気抵抗の違いを無視していたり。いずれも追実験がないのも共通していて、巧くいかない実験の事は無視して、「成功」した実験だけを報告している。

 終盤近くに出てくる「ラングミュアの『病んだ科学』の症状6項目+1」は役に立つ。

  1. 観測される現象は、いちばん大きいものでも、ありやなしやの瀬戸際でしかない。また、現象の大きさは、これを生んだ原因の大小にほとんど関係しない。
  2. 現象の大きさはたいてい検出限界すれすれのところにある。
  3. 精度この上ない形で現象が報告される。
  4. お粗末な実験の割には、すばらしい理論が考え出される。
  5. 批判に対しては、その場その場で適当な言い訳がある。
  6. 信者と不信者との比はおおむね五分五分まで行くが、やがてゆっくりゼロに近づく。
  7. 不信者は絶対に効果を再現できず、信者だけができる。

 物語が進むに従いポンズは猜疑心の塊になっていく。この辺は読んでいて胃が痛くなってきた。にも関わらず著者は容赦なくポンズの疑惑を追い詰めていく。

 科学的な面だけでなく、アメリカの研究者の立場も克明に綴られている。結果を出さねば干上がるが、いい加減でも派手に論文を出していればとりあえずは食いつなげる研究者の立場、そんな科学者に振り回される学長など管理職の悲哀、結果次第で掌を返すように冷酷になる企業や政府などのスポンサーなど。

 綿密な取材の基づいた著作だけあって、読み応えは充分。少々しつこすぎるぐらいの感すらある。少し前も「ゲーム脳」なんてケッタイなネタが出た。畑違いの工学者が論文発表前にマスコミに発表するなど、見事なパターンを示している。常温核融合の論争に首を突っ込むなら、否定肯定いずれの立場であれ、必携の本だろう。

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2011年5月11日 (水)

榊涼介「ガンパレード・マーチ2K 北海道独立 3」電撃文庫

「何度も煮込んで、肉の臭みを取って、はじめて黄金のスープが得られるもんぞ。然るに、百の徹底を九十点の妥協でごまかしとる。残りの十を化学調味料で破壊的にごまかしとる! 海苔でけばけばしく飾ることなんぞいらん、にんにくを安易に使うな、ハンパで大きいばかりのチャーシューは国家を破滅させるっぞ」

どんな本?

 元は2000年9月28日発売の SONY PlayStation 用ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」。開発に予算をつぎ込みすぎて宣伝費ゼロという無茶な伝説を持つこのゲーム、ファンもカルトな人が多いのか今でも評判が高く、2010年には PSP に移植されゲームアーカイブスでついに念願の復活を遂げた(Sony ソフトウェアカタログ)。

 そのノベライズである当シリーズも根強い人気で、2001年12月発行の「5121小隊の日常」で始まったシリーズも今作で28冊目(ガンパレード・オーケストラを入れると31冊目)となる。

 ゲームは熊本を舞台に圧倒的な物量(?)を誇る幻獣を相手に、寄せ集めの学兵部隊「5121小隊」に加わって3ヶ月間生き延びる、というもの。ノベライズが続くうちに5121小隊は歴戦の強兵となり、ついにこの「北海道独立」では、人間を相手として戦う場面も出てくる。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2011年5月10日初版発行。文庫本で縦一段組み約280頁。8ポイント42字×17行×280頁=199920字、400字詰め原稿用紙で約500枚。この巻も前作とほぼ同じ分量。いつもどおり解説・あとがきはなし。ファンをやきもきさせた挿絵のきむらじゅんこ氏もなんとか復活。軍が中心の物語だけに少々堅い言い回しが多いものの、そこはライトノベル。学兵中心に話を進めることで、充分な読みやすさを確保している。

 とまれ小説オリジナルの登場人物も多い上に、舞台背景も相当に込み入ってるため、読むなら素直に「5121小隊の日常」から読み始めましょう。

どんなお話?

 召集に応じて漆黒の一号機に乗り込んだ壬生屋の前に現れた白銀の巨人。今までは剣を持てば無敵だった壬生屋が、珍しく苦戦する。事態の元凶である樺山の暴走は止まらず、知事の小笠原は更なる苦境に追い込まれる。大原との会談を終え戻った吉良は、本間と共に小笠原の説得を試みるが…

感想は?

 来須大活躍。今まで若宮とのコンビだったのが、石津を加えてスリーマン・セルになったためか、随所で都合よくコキ使われてます。前の「逆襲の刻」でもそうだったんだけど、彼が活躍する場面って、やたら記述をあっさり片付けちゃうんだよなあ。やっぱりヘソが嫌いなのかしらん(違うと思う)。しかし若宮の同僚って、なんで無口な奴ばっかりなんだろ。

 そんな来須と対照的に、ほとんと戦闘では活躍しないくせに美味しいところをさらっていくのが滝川。前巻でも蓄積した疲労が心配されていた滝川、この巻ではついに…。山口防衛戦で彼が被弾したシーンもよかったけど、この巻のシーンも泣かせてくれます。

「待てよ、冗談じゃねえ!…この子はとってもいい子なんだ」

 そんな滝川に付き合う山川君。茜といい滝川といい、どうも彼は問題児を押し付けられる運命にあるようで。つか、滝川、意外と真面目に報告書出してるのね。まあ茜と違って素直に人の助言を聞き入れる奴だから、巧く指導してやってくださいな山川君。

 報告書の他にも、登場人物の抱える秘密がいろいろと明らかになるこの巻。先行偵察に出た中村も、意外と有能で几帳面なところを見せます。今までカーミラにやられっぱなしだったハンス君も、この巻では珍しく反撃に出る模様。そりゃ似合わぬハッピなんぞ着せられりゃ、文句のひとつも言いたくなるってもんで。

 秘密といえば、茜の人知れぬ苦労もなかなかのもの。あのスタイルを貫き通す陰で、そこまで用心を重ねていたとは。しかし秘密を握られた今、彼の運命はどうなることやら。まあ、今更弱みが増えたところで、たいして変わらない気もするんだけど。

 小説オリジナルの登場人物では、二正面作戦を強いられ苦戦が続く橋爪、やっと彼にも頼もしい(?)援軍が現われる。敵が幻獣なら、最高に頼れる人なんだけど、こっちの戦線では果たしてどこまで戦力になるやら。歴戦の勇者、合田隊長の指導が鍵を握るのかな。

 終盤近く、なんとか結集を果たそうとする5121小隊。だが、ここにも精神汚染は浸透し、思わぬ裏切り者の登場で感動の再会は阿鼻叫喚の修羅場へと急転する。反撃を試みる舞、しかし裏切り者への同調者は続出し… ゴブリンまで巻き込むとは、さすが世間の荒波で揉まれただけのことはある。

 舞→萌→素姐と来た表紙。次は誰なんでしょうねえ。ここはひとつオリジナル・キャラクターを代表して桜沢レイちゃんを←をい

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2011年5月10日 (火)

ヴィクトル・ペレーヴィン「宇宙飛行士オモン・ラー」群像社ライブラリー25 尾山慎二訳

「会議があったのは七月十五日だ。つまり七月十五日までわれわれは戦後を生きてきた。そしてその日以来もう一ヶ月経っているが、いまやわれわれは戦後を生きているんだ。わかるかな、どうだ?」

どんな本?

 ロシアSF界の一大潮流ターボ・リアリズムの第一人者、ペレーヴィンの初期代表作と言われる長編。インタープレスコン賞中篇部門、青銅のカタツムリ賞(いずれもロシアのSF関係の賞)受賞のほか、「このSFが読みたい!2011年版」海外編でも、軽視されがちなロシア作家というハンデを乗り越え、フリッツ・ライバーの「跳躍者の時空」とテリー・ビッスンの「平ら山を越えて」を抑え8位にランクインした怪作。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書はОМОН РА, Виктор Олегович Пелевин、1992。キリル文字なんで綴りには自信なし。日本語版は2010年6月24日初版発行。

 ソフトカバーで新書より少し大きめのサイズで縦一段組み、本文約175頁。9ポイント42字×16行×175頁=117,600字、400字詰め原稿用紙で約294枚。短めの長編というか、長めの中篇というか。

 ロシア文学というと異様に長い内省的な文章がダラダラと続く退屈なシロモノという印象があるが、この作品には当てはまらない。文章の長さは常識的だし、会話も多い。物語の起伏も激しいが、視点は主人公固定、時系列も一直線で混乱はない。ギャグもたんまり入っているが、感情を抑えた冷静な文体なので、生真面目な顔した芸人がドツキ漫才をやっているような雰囲気があって、ツボに入ると笑いが止まらない。

どんなお話?

 親父は飲んだくれで、母親は早く死んだ。父は僕を警官にしたがったようだが、僕は空を飛びたかった。そして、幼いころに行った国民経済達成博覧会で自分の運命を知った。僕は宇宙飛行士になって、月へ行くんだ。親友のミチョークと共に。

 …というと宇宙飛行士を目指す少年の爽やかな成長物語のようだが、とんでもない。今はなきソビエト連邦社会の出鱈目っぷりと、そこで生きるロシア人を徹底的におちょくりまくる、グロテスクなまでに毒と風刺がたっぷりつまったドタバタ悲喜劇だ。

感想は?

 あらすじは主人公のオモン・ラーが宇宙飛行士の候補生になり、宇宙開発の現場で働くというお話。なのだが、著者曰く「本書はソヴィエトの宇宙開発についてではなく、ソヴィエト人の内面の宇宙をテーマにしたもの」だそうで。

 まあ確かにロケット関係の科学的・技術的側面の描写は無茶苦茶、というか「銀河ヒッチハイクガイド」や「馬の首風雲録」なみのやりたい放題。その出鱈目っぷり毒舌ぶりは「おいおい、ロシアでこんなん書いて大丈夫なのかよ」と読んでいて心配になったが、ソビエト崩壊は前年の1991年なのであった。それにしてもよく書けたなあ。度胸があるというかなんというか。まあ、こういう本が出て賞を取れるなら、ロシアの未来は悪くない気がする。

 ただ出鱈目なりに、時折マニアックなくすぐりも入ってて、宇宙開発に詳しい人は思わずクスッとしてしまうから油断できない。ベルカとストレルカ(Wikipedia)とか、いったいどういう人を読者として想定しているのやら。それとも、ロシアじゃ有名なのかしらん。私は古川日出男の「ベルカ、吼えないのか?」で知ったんだけど。

 こういった細かいネタを挟みつつも、著者の奔放な妄想力は暴走しまくる。

「…テクノロジーの面でわれわれは西側に勝利できなかった。(略)なぜならマルクス主義はなにものにも打ち克つ真実である…」

 正しいはずのマルクス主義が、現実にはアメリカの後塵を拝している。この矛盾を解消するためにソビエトが取った方法は、というと…いやあ、三段ロケットの切り離し方法も無茶だけど、ICBMの制御方法も、よくもまあ、んな方法を考えたもんだと感心する。もっとも、そういう手口の先達は我が国なんですけどね。

 他にも来ソしたキッシンジャーを歓待する方法とか、ソビエトの核兵器の実態とか、月面車のエンジンとか、凄まじいブラック・ジョークの連発。笑っていいのか泣くべきなのか。いや私は笑い転げましたけどね。ロシア人って生真面目って印象があったけど、こういうジョークを言わせると最高にいいセンスしてる。中でも私が気に入ったのが、これ。

「ある一行が火星に向かって飛んでいたんだ。丸窓から向こうをのぞくと、ようやくそばまで来たことがわかった。そしてふと振り返ると、全身赤ずくめの小柄な男が厚刃のナイフ片手に立っていて一言、『どうされました、ソヴィエトから出るおつもりですか?』」

 これ、NASAだと、税務署員が来るんだろうなあ。

 ちなみに、上の矛盾、今はイスラム諸国が抱えてたりする。「ユダヤ教は Version1.0、キリスト教は Ver2.0、俺たちは Ver3.0、なのに、なんで俺たちが Ver2.0 に負けてるんだ?」って疑問。その疑問の回答が「きっとユダヤとキリスト教はズルしてるに違いない。正義の鉄槌を!」となって911につながる。そう考えると、この作品、中東が騒がしい今こそ、読まれるべき作品なのかもしれない。

 以下、余談。

 この作品ではコケにされまくってるソビエトの宇宙開発だけど、実際にはトップを争う実績を残しているし、今も大型ロケットでは老舗の貫禄を見せつけている。費用の安さも相まって、業界では大きなシェアを維持している。

 この作品の主題からして技術的な描写の出鱈目さは意図的であるのは明らかだけど、同時に著者がその辺に詳しくないのも確かだ。まあ、それが問題になる作品じゃないけど。ロシアSFといえば他に有名なのはストガルツキー兄弟なんだが、彼らも決して科学的・技術的な詳細に拘る作家ではない。

 ロシアじゃ野尻泡介や谷甲州、またはスティーヴン・バクスターのような作風は受けないのかしらん。ロケットの実績を見る限り、優れた能力を持つ科学者や技術者は豊富にいるはずなんだけど、そういう人材と出版界は断絶してるんだろうか。科学の分野じゃアメリカと得手不得手は違う国なんで、そういった異なる分野で活躍している優秀な科学者・技術者、またはその卵が書いた、おもいっきりサイエンスしてる作品が読みたいんだけど、無理なのかなあ。

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2011年5月 9日 (月)

ドゥーガル・ディクソン「アフターマン 人類滅亡後の地球を支配する動物世界」ダイヤモンド社 今泉吉典訳

5000万年後の世界では、どんな動物が生存しているだろうか。その様子を、進化学と生態学の基本原理のあれこれを組み合わせて、私は想像してみた。

どんな本?

 5000万年後。人類が滅亡した地球では、どんな生物が繁栄しているのだろうか?この子供っぽく、ある意味おバカな問いに対し、科学的な知識に趣味と妄想を加え、楽しみながらも誠実に考察し、流麗なイラストを多数添えて図鑑風に答えた本。冒頭の引用にあるように、進化学・生態学に加え、大陸の移動による気候や環境の変化なども併せ、一見荒唐無稽ながらもちゃんと理論的な裏づけのある、面白くて楽しい世界を展開させている。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は AFTER MAN by Dougal Dixon, 1981。日本語版は2004年7月8日初版発行。ハードカバー縦一段組みで約243頁、9ポイント42字×18行×243頁=183,703字、400字詰め原稿用紙で約460枚…だが、紙面の1/3~1/2近くを図版やイラストが占めている。

 日本語訳は元東京科学博物館・動物研究部部長の今泉吉典氏が監修。日本語の文章は素人向けの科学解説書として標準的な読みやすさだろう。ただ、一部、専門用語の使い方で、植食動物(草食動物?)や剣歯トラ(サーベル・タイガー)など、「ああ、いかにも専門家が訳した文章だなあ」と思わせる部分がある。

 とまれ、この本の魅力の多くは、登場する動物たちのイラストにある。奇想天外ながら、生き生きと動き出しそうな迫力に満ちた未来の動物たちの魅力は、表紙を見れば明らかだろう。

構成は?

発刊に寄せて デズモンド・モリス
序文
進化 細胞遺伝学 自然選択 動物の行動 種類とその発生 食物連鎖
生命の歴史 初期の生物 爬虫類時代 哺乳類時代 人類時代
人類後の生物 人類後の世界
 温帯の森林と草原
 針葉樹林
 極地とツンドラ
 砂漠:乾燥の地
 熱帯草原
 熱帯林
 島と島大陸
未来 生物の運命
付・系統樹 用語解説 索引 謝辞

 この本のハイライトは、なんと言っても「人類後の生物 人類後の世界」。各気候区分を、更に草食動物・捕食動物・林床など生態学的なニッチに分け、それぞれを文章3頁+イラスト1頁で紹介していく。その前の「進化」と「生命の歴史」は生物学の「おさらい」なので、忙しい人は読み飛ばしてもいい。

感想は?

 ミーチング可愛い~!

 舞台は5000万年後の地球だ。地殻の運動で北アメリカ大陸はアラスカがシベリアとつながり、南アメリカは大きな島となる。アフリカ大陸はヨーロッパにつながって地中海は山脈が盛り上がる。オーストラリアはユーラシアにぶつかって南シナ海が内海になっている。うーん、そうなりますか。

 そんな世界で繁栄しているのは、哺乳類と鳥。それはなぜかというと。

系統進化という階段の末端近くに位置する動物ほど、進化の速度が速い傾向にあることはまちがいない。また、属の存続期間が短いものほど、そのあとを占める新たに進化した属がより速やかにあらわれる。(略)進化の度合いが大きい陸の生物の属の入れ代わりは、海の生物の場合より激しい。

 他にも、幾つかの法則に従って未来を予測している。

  • ベルクマンの法則:系統が同じなら、極地近くに住む動物の方が体が大きい
  • 植物は、動物より進化の速度が著しく遅い
  • 植食動物は植物の蓄えているエネルギーを、最高で10%ぐらいしか活用できない。奇妙なことに、この10%という利用率は、食物連鎖の各層に共通している。
  • 過酷な環境条件では、適応できる動物の種類はごく限られているため、種一つ一つの個体数が多い。

 で、ミーチング。ツンドラの土中に巣を作る囓歯類で、草やコケで要塞を作っていく。なんかシロアリみたいだ。いや昔ハムスターを飼ってたんで、こういうのに弱いのよ。ハムスターも基本的に穴の中で暮らす生き物なんで、こういう設定は妙に説得力を感じてしまう。

 笑っちゃうのが、クレフト・アンテロープ。長い角を持つ有蹄類なんだけど、背中にでっかい「うちわ」を抱えてる。まるでステゴサウルス。うちわの役割はというと、つまりはラジエーター、冷却版です。しかも、このうちわにはもう一つ秘密があって…

 恐竜みたいといえば、ランディホーンとジャイガンテロープもなかなかの迫力。哺乳類としてはサイに似てるけど、むしろプロトケラトプスやトリケラトプスから襟巻きを削除した、みたいな雰囲気がある。このご先祖さんというのが…いや変わりすぎだろw なんとうメタボリック。

 表紙を飾っているのは、ナイト・ストーカー。孤立した火山列島で進化した、という設定だと、「そりゃ奇妙でも仕方ないか」って気になる。あの変な格好にもちゃんと理由があって…まあ、ご先祖がアレじゃあ、変な姿なのも仕方がないか。

 著者は齧歯類がお気に入りのようで、温帯では齧歯類の末裔を繁栄させている。イラストを見ると、顔や体は鹿っぽかったり狼っぽかったりするんだけど、尻尾が兎だったり鼠だったりする。まあ確かに雑食性で繁殖力も強いけど、ウチのハムスターはお間抜けだったんで、ちと不安だなあ。

 …などと、妄想を逞しくしながら見ていると、いつまでも飽きない本であります。

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2011年5月 7日 (土)

山尾悠子「歪み真珠」国書刊行会

人は暗いところでは天使に会わない。塔で、壁に囲まれた庭園で、丘の糸杉の下で、微光に満ちた曇天がずり落ちる沼地で、少女は幼いころから折々におなじ天使を見た。  ――アンヌンツィアツィオーネ

どんな本?

 独特の作品世界で寡作ながら根強いファンを持つ山尾悠子による、幻想小説の掌編集。「このSFが読みたい!2011年版」国内編でも堂々7位にランクインし、異彩を放っている。

 この作品集は大きく分けて二つの傾向に分かれる。メルヘン・神話・聖書など伝説に題を取った作品と、日陰に入れば眠る人が棲む街など「少し変わった街」をテーマとした作品だ。いずれも短いながら、決して軽く読み飛ばせる作品ではない。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2010年2月25日初版発行。ハードカバーで本文約220頁。10ポイント39字×13行×220頁=111,540字、400字詰め原稿用紙で約279枚。分量は非常に軽い。

 ではあっさり読み通せるかというと、とんでもない。文章は平易でわかりやすく、むしろ詩のようにリズムがあって読みやすいのだが、内容を理解するのに古典の素養が必要だったり、「敢えて語られぬこと」が重要な鍵だったりで、参考資料を紐解きながら何度も読み返す必要がある。

収録作は?

ゴルゴンゾーラ大王あるいは草の冠
 蛙の王国に奇病が侵入し、国を統べるゴルゴンゾーラ大王は悩んでいた。民は食欲を失い動けなくなり、産まれたおたまじゃくしにまで奇形が発生し始めた。未曾有のの危機に手をこまねいていた彼の元に、隣国の蛇の女王が訪れ…
 ゴルゴンゾーラ大王と蛇の女王との掛け合い漫才が楽しい。可愛らしいメルヘンかと思っていたら…
美神の通過
 乙女たちは、美神の話でもちきりだ。荒れ野に美神が降臨し、通過していくというのだ。何の変哲もない荒野に降臨する美神の目的や、相応しい捧げ物など、噂の種はつきない。乙女たちは捧げ物を手に荒野を訪れ…
 テーマはイギリスの画家 Edward Burne=Jones(エドワード・バーン=ジョーンズ、Wikipedia)の絵、The Passing Venus「通り過ぎるヴィーナス(あるいはヴィーナスの死)1880ー98」。Google で画像検索すると…うーん。
娼婦たち、人魚でいっぱいの海
 死火山の麓、海辺の娼館通り。ここを訪れるのは船乗りたち。男たちは、おこの女たちについて、様々な伝説を伝えてきた。朝、散歩に出かける娼婦が海に撒く残飯に群れる人魚を見た、という証言もあって…
美しい背中のアタランテ
 俊足のアタランテは、「女だから」という理由で、冒険に出るアルゴー船の選から漏れ、憤っていた。養い親の雌熊は彼女を宥めるのだが…
 俊足のアタランテはギリシャ神話に登場する、俊足で有名な乙女(Wikipedia)。
マスクとベルガマスク
 美しい双子のマスクとベルガマスク。幼いころから入れ替わって遊ぶ。魔王クリングゾルの劇場でも二人の美貌は大人気で…
聖アントワーヌの憂鬱
 幼い王女に憑いた悪魔を払う聖アントワーヌ。その美貌の故に幾多の誘惑に誘われ、耐えてきた彼の元に現われたのは、馴染みの悪魔で…
 キリスト教の聖人アントニウス(Wikipedia)を題材にした掌編。読んでて「いいから悪魔とくっついちゃえよ」と思った私はもうダメかもしれない。
水源地まで
 私の恋人は少し変わっている。水源地の管理の当番が回ってくる魔女なのだ。気のせいか彼女の仲間も似た雰囲気で、みな堂々たる美女なのだ。
 現代日本を舞台に川沿いの道を気持ちよく彼女とドライブ…と思っていたら、妙な世界が侵入してくる。けど、そこで生きている人々は、意外と普通だったりする。
向日性について
 そこに棲む人は、不思議な性質を持っている。日が差すと普通に活動するのだが、日陰に入ると横たわって眠るのだ。
ドロテアの首と銀の皿
 歳の離れた夫とフウの木屋敷で過ごしてきたが、夏の終わりに夫は急死した。その年の秋には、幾つかの出来事があった。フウの木の根方には白いむすめが立ち、村はずれを練り歩く笛の音を聞き、義理の姪は不可思議な現象を引き起こし…
 描かれている事柄はホラーなのに、彼女の筆にかかると全く違う感触になってしまう。作品中には不気味で残酷なシンボルが満ち溢れているのに、私の印象に残っているのは布団に包まって食事をかきこむ騒がしい老人たち。
影盗みの話
 大量に流通している有名な冊子、通称赤本。それは<影盗み>と呼ばれる者たちについてまとめた本だ。私も実際に何人かの<影盗み>に逢った事がある。地味というか普通の人たちで…
 <影盗み>という不思議な異名の人々、どう特別なのかが語られていくのだが、最後の最後で主題は…。見事にやられました。
火の発見
 上下に果てしなく伸びる、円筒形の宇宙。その内部には回廊が幾重にも重なり、空洞を太陽と月が規則正しく通過する。ある日、太陽は以上燃焼を起こし…
 円筒形の宇宙というから、こりゃバリトン・ペイリーばりの奇想SFか…と思ったら全然ちがう。
アンヌンツィアツィオーネ
 幼いころから、彼女は同じ天使を見ていた。決して正面からは姿を現さないソレを、彼女は天使だと認識できた。自分の守護天使だと彼女は思っていたが…
夜の宮殿の観光、女王との謁見つき
 幼いころ、私は母に連れられて夜の宮殿に行き、女王に謁見した。私は空腹だったが、女王は次から次へと料理の大皿を片付けていた。
夜の宮殿と輝くまひるの塔
 夜の宮殿、謁見の間に女王は玉座に坐っている。立派な顔立ち、堂々たる体躯。そして彼女の胸から背にかけ、一本の青銅の剣が刺さり、刃は背中に突き抜けている。
紫禁城の後宮で、ひとりの女が
 紫禁城の後宮、その女には多くの女官と宦官が仕えていた。だが居並ぶ官たちは、みな彼女の視線をさけ、目立たぬように身をすくめ…
後記

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2011年5月 6日 (金)

ウィリアム・H・マクニール「世界史」中央公論新社 増田義郎・佐々木昭夫訳

このように、経済的分業という強みが中東の社会階層の一番底まで徹底したとき、文明ははじめて完全に、そして確実に不滅の物となった。人間人口のどんな重要部分も、もはや交換と相互依存の網の目からまったく外れて生きることがなくなった。たぶん、このことが、鉄器時代の最大の成果だろう。

どんな本?

 ずばり、世界史の教科書。全般的に特定の人物より技術や気候・地形などを重視する唯物論的な観点が強く、同時に当時の思想・文化や社会構造なども、歴史の方向性を示す重要な要素として詳しく解説している。著者はカナダ生まれでアメリカ育ちだが、内容は西洋一辺倒ではなく、中東・インド・中国はもちろん、南北アメリカ大陸に加え、日本にも多くの頁を割いている。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は A World History by William H. McNeill, 1999年の第四版。日本語訳は2001年10月7日初版発行。今は中公文庫より上下巻で文庫本が出ている。

 A5ハードカバー縦一段組みで口絵47頁+本文+索引+参考文献で668頁、合わせて700頁超えは本というよりもはや鈍器。試しにキッチン用の秤で重さを調べたら850gありました。9ポイント48字×20行×700頁=672,000字、400字詰め原稿用紙で約1680枚。そこらの長編小説なら三冊分の大容量。

 歴史の教科書だけあって内容は濃いが、威圧的な外見とは裏腹に意外と文章そのものは読みやすい。とはいえさすがにこの分量だし、テーマも世界史と大きいだけあって、あっさり読める本ではない。まあ、これを読もうって人は、それなりの覚悟が出来てる人だろうけど。

構成は?

 第四版への序文
 序文
第Ⅰ部 ユーラシア大文明の誕生とその成立 紀元前500年まで
第Ⅱ部 諸文明間の平衡状態 紀元前500―後1500年
第Ⅲ部 西欧の優勢
第Ⅳ部 地球規模でのコスモポリタニズムのはじまり
 訳者あとがき
 参考文献
 索引

 地図や図版も豊富に入っている。ただ、地図はいまいち見にくい。モノクロ2階調で表現しているため、各国の勢力範囲を斜線や網目で区別している。これに陸地と海の区別も加わると、かなりゴチャゴチャした感じになる。カラーにしろとは言わないが、スクリーン・トーンを使うかグレイスケールで色分けするなどして欲しかった。

感想は?

 おなか一杯。質量共に圧倒的で、今は目が回っている。

 マクニールの特徴は、身も蓋もないほどの唯物史観かも。人物名は多々出てくるけど、それぞれの生涯や性格などはほとんど語られない。かわりに語られるのは、社会的な勢力分布や各員が代表する利益など。物語としてみると、やたら登場人物が多いわりに、それぞれの人物像はカキワリ程度に抑えられている。だもんで、やたら人の出入りが激しい舞台を見ている気分になる。

 歴史のお勉強といえば人物名と年表を覚えていくモノ、と思い込んでいる人は、「それじゃあ退屈じゃないか」と思われるかもしれないが、実はそうでもない。高名な人物の性格付けは薄い分、当時の社会情勢や価値観などに筆を割いているので、個人はわからなくても舞台そのものは理解できる。

 本書によれば、最初の文明はメソポタミア、つまりティグリス・ユーフラテス河畔で起き、それをエジプトが引き継いだ、という流れになる。インダス文明と黄河文明は、それとは別に勃興した。ここで著者は犂の発明を重要視している。焼畑農業は数年で移動する必要があるが、犂はより広く耕せるため、休耕地を合わせれば定住が可能になる…それは同時に税を取り立てられる、という意味でもあるけど。

 ところがメソポタミアでは、法典で有名なハンムラビの時代に、すでに塩害が出ている。また、水利を握るには上流の方が有利なため、帝国は次第に上流の方に移動していったそうな。

 戦闘技術だと、当初は戦車が無敵だった、と説いている。ところが、これを覆すのが騎馬。とまり、戦車ってのは乗馬が発明される以前の戦術なわけです。著者は強調してないけど、この本を読む限り騎馬の発明は歴史上かなり重要な要素で、それというのも、以降、文明国家は騎馬を操る蛮族に度々侵略されては弱体化または滅亡、という繰り返しになるのですね。

 大きな流れで言うと、もうひとつ興味深いのが、覇権の移動。エジプトからギリシャに覇権が移った後、ギリシャの辺境だったローマに移行する。ローマの滅亡後は、ローマ時代に辺境だった西欧に移る。そして、二次大戦後は西欧の辺境だったアメリカとロシアが覇権を握る。前の時代に辺境だった地域が、文明の衰退と共に次の時代では覇権を競う形になっている。なら、アジアは中国の衰退と共に日本が覇権を…握りかけて潰れました、はい。しぶとく頑張ってるけど。

 中東問題の根の深さが、イスラム教的な世界観にある、という主張も切ない。イスラム教によれば、正しき民であるムスリムが、異教徒に負ける事はありえない。だが現実にはイスラエルは連勝し、イスラム諸国は武力じゃ西欧に歯が立たない。どうなってるんだ?というジレンマが、現代のムスリムを苛んでいる、と著者は述べている。

 シーア派とスンニ派の対立も、相当に根が深い。シーア派から見るとスンニ派は簒奪者であり、よって打ち倒すべき敵、という事になってしまう。これじゃ仲良くできるはずがない。要は跡目争いなんだけどね。

 現代の社会情勢に対し、著者は「全体的に見て、経済、社会の変化の早さからすれば、世界情勢がこの程度の平和を保っているのはおどろくべきである」と述べている。実際、この本を読む限り、人類の歴史は戦争の繰り返しだ。まだ私は歴史的な視点で現在を見れるほど冷静にはなれないけど、少しだけ世界の見方が変わった気がする…気がするだけかもしれないけど。まあ、一週間程度で消化できるほど、甘い本じゃないって事で。

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2011年5月 5日 (木)

iPod:"その他"が大きくて曲が転送できない時の対処法

 私の iPod nano(以後 iPod と略す)は第一世代の2Gモデルだ。いつものように PC につないで同期しようと思ったら、「容量が足りない」と言われた。同期しているプレイリストを見ると、容量は 1.6G 程度で、余裕で入るはず。iTunes の下のグラフを見ると、確かに「オーディオ」は 1.6G なのだが、「その他」が約 1.7G と異様に肥大している。

 「あれ?Podcast でも紛れ込んだのかしらん?」と思ったが、確認すると同期してない。写真やメモも使っていない。結局最後まで原因は不明だったが、色々と試してなんとか復旧したので、うろ覚えながら方法を記録しておく。

現象

  • iTunes と iPod を同期しようとすると、容量が足りない。
  • PodCast・写真・連絡先などは同期していない。同期しているのは特定のプレイリストのみ。
  • 同期するプレイリストは iPod の容量より小さい。
  • iPod をディスクとして使用していない。
  • 「その他」が異様に肥大している。

環境

  • WindowsXP Home Edition Version 2002 Service Pack 2
  • iTunes 10.2.2.12
  • iPod nano 最大容量 1.83GB ソフトウェア・バージョン 1.3.1

対処の概要

 手順は大きく分けて2段階。1.iPod を初期化してカラにする → 2.再設定して曲を転送しなおす。PC ならフォーマットして再インストールって雰囲気。
 所要時間は20~30分ほど覚悟して欲しい。大半は曲を転送する時間なんで、iPod の容量が大きいほど時間がかかると思ってください。

対処の詳細

  1. iTunes を起動して iPod を PC に接続する → iTunes の左袖に iPod が出る。
     
  2. iPod を空にする:以降は iTunes での操作。

    1. 左袖の「デバイス」から、あなたの iPod を選ぶ。
    2. タブ「ミュージック」を開き、「音楽を同期」のチェックを外す。
    3. タブ「Podcast」を開き、「Podcastを同期」のチェックを外す。
    4. タブ「写真」を開き、「写真の共有元」のチェックを外す。
    5. タブ「情報」を開き、「連絡先の同期元」のチェックを外す。
    6. タブ「概要」を開き、以下のチェックを全て外す。
      • この iPod の接続時に iTunes を開く
      • チェックマークのある曲だけを同期
      • ビットレートの高い曲を 128kbps AAC に変換する
      • 音楽を手動で管理
      • ディスクとして使用する
    7. 初期化する:タブ「概要」の、「バージョン」の項の「復元」ボタンを押す。
       
    →容量の「その他」が0.01GBになり iPod がカラッポになる。
     
  3. 再設定する:要は iPod の再インストール。私の場合は特定のプレイリストを転送するんで、以下の手順となる。

    1. タブ「概要」を開き、次の2項目をチェックする。
      • この iPod の接続時に iTunes を開く
      • チェックマークのある曲だけを同期
    2. タブ「ミュージック」を開き、以下の操作。
      1. 「音楽を同期」をチェックする。
      2. ラジオボタン「選択したプレイリスト、アーティスト、アルバム、およびジャンル」を選ぶ。
      3. 「空き領域に曲を自動的にコピー」のチェックを外す。
      4. 同期させたいプレイリストをチェックする。
      5. 右下の「同期」ボタンを押す。
        →曲の転送が始まる。20分ぐらいかかる。

おわりに

 iTunes の左袖「デバイス」で iPod を見た際に出る、窓下の「容量」グラフの意味を、自分は誤解していたらしい。あれ、 「現在の iPod はこうなっている」という意味だと思っていたんだが、どうやら「iTunes でこの設定だと iPod はこうなるよ」という予測を表示してるっぽい。

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