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2011年4月26日 (火)

長谷敏司「あなたのための物語」ハヤカワSFシリーズJコレクション

「子どものころ夢見た《未来》のようでなかった、現在に対する復讐です。ですから、進歩した素晴らしい世界を子孫にわたしたくて、仕事をしているわけではありません。ただ、この復讐の連鎖が、世界を便利にしてきたのだとも、わたしは思っています」

どんな本?

 デビュー作「戦略拠点32098 楽園」がライトノベル・SF双方の話題となり、「円環少女」シリーズが好調な長谷敏司による本格長編SF。「SFが読みたい!2010年版」国内編で堂々2位に輝いた話題作。余命半年を宣言された科学者サマンサと、実験体の仮想人格《wanna be》を通し、<死>の意味を正面から見つめ、読者に問いかける。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2009年8月25日初版発行。ソフトカバー縦ニ段組で約300頁。8ポイント25字×19行×2段×300頁=285,000字、400字詰め原稿用紙で約713枚。量は標準的な長編かな。

 分量はそれほど重くないが、内容はずっしり重い。ライトノベル出身の作家らしい読者サービスも全くない。SFとして魅力的なアイディアを惜しげもなくつぎ込んでいるにも関わらず、内省的な内容と重苦しい雰囲気のために、強い圧力で読者の高揚感は押しつぶされる。軽快なアクションが続く爽快な娯楽作を期待してはいけない。静かに自意識の中を奥深く探る、苦く冷たく身も蓋もない、だからこそ読者に強い衝撃を与える作品だ。

どんなお話?

 時は西暦2083年、舞台はアメリカ西海岸のシアトル。主人公は成功したベンチャー企業ニューロロジカル社の創設メンバーで研究者のサマンサ・ウォーカー35歳独身。開発中の新製品 ITP(Image Transfer Protocol)は、人間の脳神経を記述し、ナノロボットで擬似神経を構成する…つまり、人間そのものを記述・編集・複製できる技術だ。

 サマンサたちは ITP の動作検証用に仮想人格《wanna be》を作り出し、創造性を実証するために小説を書かせる。だが、研究を主導するサマンサの体は病魔に蝕まれ、余命半年の宣言を受けた。

 理不尽な運命に憤りながらも、現実主義者で独身のサマンサには仕事以外にすがるものがない。現行ヴァージョンの ITP に残る欠陥の解決に向け、研究に打ち込もうとするサマンサ。だが、病魔がもたらす苦痛は、サマンサの人としての誇りを無情に奪い去っていく。そして《wanna be》は、サマンサに向け物語を綴り始める。

感想は?

 重い。ずっしり、重い。そして、身も蓋もない。この作品のテーマは、<死>だ。それも、突然の事故死ではない。病気によりじわじわと命を奪われていく過程を、死にゆくサマンサの立場で赤裸々に描いている。

 主人公のサマンサは、研究者としては優秀だが、性格は意固地で協調性に欠ける。だが地位を鼻にかけるわけでもない。単に社交性に乏しく、徹底してリアリストなだけだ。こういった「あー、いるよね、そういう奴」的な彼女の人物造型は見事で、この物語の切実さを増している。

ミス・ウォーカー、あなたは本当に現実と対面せずにいられないし、他人にも対面させずにいられないのですね

 彼女が病魔に蝕まれ、苦しむシーンも凄い。何がすごいといって、身も蓋もないのが凄い。単に苦しむだけではない。排泄物にまみれてみっともない姿を晒し、人としての尊厳を奪われていくシーンは、読んでいてひたすら苦しい。肉体的な痛みは余裕を奪う。短気になり、礼儀や人を思いやる気持ちがどんどん蒸発していく。ただでさえ社交性に乏しく辛辣なサマンサが、研究室の地雷と化していく。サマンサもそれを自覚しながら、どうすることもできない。

 「死を見つめて」なんてテーマは、娯楽小説だと美談じみた悲劇になりそうだが、この作品は…まあ、それは読んでのお楽しみ。

 この作品のもうひとつのテーマは、「人間とは何か」。ITP(Image Transfer Protocol)はグレッグ・イーガンの TAP を連想させる。これについて、著者は正直に「まちがいなくイーガンの影響は受けている」と語っている(「SFが読みたい!2010年版」のインタビュウ「任された未来にSFで応えたい」にて)。

 この ITP がまた実に魅力的。「人間をいかようにも記述できる」んですぜ。それをどう使うかというと。

「悲しい」という感情伝達と同じ方法で、他人の知識や経験や、特別に機械編集した神経配置を脳内に移植することもできるからだ。ITP は、個人の人体というハードウェア環境を平均化して、脳内情報の一元管理を可能にする、"人間のOS"になる。

 …すんません、今これを書いてて私が思いついた応用例は…ああっ、追求しないで下さい。ええ、そうです、どうせ私はエロ親父です。まあ、そこまで行かないまでも、ITP で何ができるか、という点を、この作品はいくつか追求している。SF として、この辺は相当に盛り上がる場面なんだけど、作者の抑えた筆致と、内省的な内容がSF的な興奮に冷水を浴びせかける。

 ところが現行の ITP には色々と問題があって…と、これが物語後半で大きな読みどころ。このアイディアだけでも、かなりスリリングな作品になると思うんだが、あくまで作品全体の中では添え物的な役割に留まっている。なんとも贅沢な小説だよなあ。

 ITP や 《wanna be》・環境セルなどの小道具は、いかにもサイバーパンク以降の現代SFを思わせるが、文章の大半はサマンサの自問自答で、ニューウェーヴ的とも言える。恐らく著者はニューウェーヴなんか意識せず書きたいように書いたのだろうけど、ならニューウェーヴは既にSFの一スタイルとして定着した、という事なんだろうか。

 イーガンが冷酷な理論で割り切ってしまう部分を、この作品では切り捨てられる者の立場で記述していく。無意識に物語を見出してしまう人間という存在と、その予告された終末。私たちが日ごろ目を背けている部分に、容赦なく目を向けさせる、重く苦しい小説。

 2011.04.27 追記。

 ITP 問題の解決に、著者はサマンサ案とケイト案の二つを提示してる。私が ITP を使う立場で考えると、サマンサ案の方が穏当に思える。

 人が使う道具は、クセがつく。わかりやすいのは靴で、人によってすりへる場所が違う。私の場合、親指の内側に穴が空く。これは一時期軟式テニスをやっていたせいで、親指の内側に力を入れる歩き方がクセになっているからだ。で、実際、ある程度すり減った方が、足に馴染んで履きやすいのですね。

 もう少し複雑な道具だと、自動車の EFI がある。ドライバーのクセをICが覚えて、それに適した燃料制御に適応していく。だから数週間も他の人に車を貸すと、車の性格が変わってしまったりする。

 私は、問題発生時には、メーカーお仕着せのクセで稼動するより、自分がつけたクセで稼動してほしい。問題が起きた時でも、私は自分のスタイルを貫きたい。今まで自分が積み上げてきた方法を、継続してほしい。他の誰かさんが考えた「普通」を、押し付けられたくない。誰かから押し付けられなければならないなら、それは他の人ではなく、過去の自分であってほしい。

 だが、提供する側からすると、これはあまり嬉しくない解決法でもある。というのも、問題が起きているのかいないのか、ITP の中身を覗かないとわからないからだ。ケイト案だと、問題が起きた際に、利用者も周囲の人も、違和感を感じて「何かが起きている」事がわかる。しかし、サマンサ案だと、いつもと同じで、「何も起きていない」ように見えてしまう。副作用がなきゃいいけど、あった場合は、兆候が見過ごされ問題が悪化してしまう。エンジニアリングとしては、どっちがいいのかしらん。額に動作確認用の LED でもつける?いや LED じゃ色気がないから、ネコミミで←結局それかい

 仮に何の副作用もなかったとして、機械的に過去の慣性で生活するとしたら、それは「生きている」と言えるのかしらん。うーむ。

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