板倉光馬「あゝ伊号潜水艦 海に生きた強者の青春記録」光人社
シュルシュル……頭上を航過するスクリュー音が、生で聞こえた。と思った瞬間!目も眩むような鋭い炸裂音と、ビシッと鉄の鞭でなぐられたような衝撃を感じた。と同時に、艦内の錆銹(さび)がドッと噴き出し、電燈が消えた。艦が真っ暗になった。
どんな本?
第二次大戦の太平洋戦線で、帝国海軍の潜水艦艦長として従軍し、何度も死線をくぐりぬけ生還した著者による、緊張感あふれる従軍記録。書名から伝わるように、著者の姿勢はいかにも当時の海軍の軍人さんらしい死生観が漂う。と同時に、お話そのものは下手な娯楽小説を遥かに上回る迫力とスリルに満ちている。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
昭和44年(1969年)11月25日初版発行、私が読んだのは昭和46年(1971年)8月25日の第10刷。2年間で10刷も刷るとはタダモノではない。今は光人社NF文庫から文庫版が出ている。
A5ソフトカバーで縦2段組、本文約223頁に加え「日本海軍の潜水艦小史」と「用語の解説」、著者あとがきの「われは勇者に非ず」がつく。8ポイント24字×21行×2段×223頁=224,784字、400字詰め原稿用紙で約562枚。軽めの長編小説といったところか。当時の匂いプンプンな文体だが、現代かなづかいなのも手伝って、意外と読みやすい。とまれ、電探(レーダー)や大発(上陸用舟艇)などの用語は、詳しい人には常識なんだろうけど、ズブの素人はちと手こずるかも。
文体の話が出たついでに。「飛電」など当時無理に作った言葉も出てくるかと思えば、距離はマイルで表現し、艦内を漂う水を「フリーウォーター」と呼ぶなど、潜水艦運用の専門用語はカタカナ言葉を使うあたり、「海軍さんはハイカラ」という印象そのままなのが興味深い。
構成は?
第一章 伊号潜水艦、ハワイへ
第二章 ミッドウェーでの死闘
第三章 決死補給作戦の日日
第四章 ふたたび戦場へゆく
第五章 "霧の魔界" に屈せず
第六章 北の海に消えしもの
第七章 南海の苦闘の末に
日本海軍の潜水艦小史(福井静夫)
用語の解説
われは勇者に非ず
ほぼ時系列順に話が進み、あいまに新米時代の思い出話が挟まる形。基本的に著者の視点で語られるが、戦局全体を語る際は「神の視点」が入る。付録の「日本海軍の潜水艦小史」は、本書の背景説明として、とても役に立つ。
感想は?
著者の語りの巧さが光る。出だしからいきなり危機で、敵の爆雷攻撃を食らう場面から始まる。ここでじっくり爆雷の恐怖を読者に叩き込んでおいて、次に海中で身動きできなくなるシーンが続く。蒸し暑い艦内、炭酸ガス濃度は上がり…と息詰まる描写は見事。
ここでやられてたら、こんな本を出版できるわけないんだから結末はわかってるんだが、著者の筆力は読者をぐいぐいと物語に引き込んでいく。やっと浮上して新鮮な空気を入れる場面では、こっちも溜息をついた。冒頭に緊迫感溢れるシーンを持ってくる構成の妙は、ハリウッド映画の常套手段だ。著者はどこでこんな手口を学んだのやら。ところで先任将校ってナニかと思ったら、帝国海軍じゃ艦長に次ぐナンバー2って事なのね。
冒頭で悔しい思いを散々させた後に、一章の末尾では帝国海軍の潜水艦隊が米国西海岸で大暴れする話が続く。陸では群集が騒いでいたというから、大胆な話だ。スピルバーグの映画「1941」の元ネタかしらん。あれ見て笑いすぎたため、暫くアゴが痛かったのを覚えている。ここで著者は「潜水艦の本来の仕事は通商破壊戦だ」と主張し、この主張はこの後も何回か繰り返され、「インド洋で暴れまわりたい」という思いを隠さない。
南方の海に対し、次の戦場ベーリング海は霧に閉ざされる魔の海だ。隠密行動が取り得の潜水艦にとっては有利に思えるが、GPSもない時代。天測に頼っているため、霧が晴れないと自艦の位置すらわからない。ところが敵は優秀なレーダーを持っているため、下手に浮上すれば自らの存在を敵に教える事となる。「水面を見ると、あたり一面お化けのような巨大な昆布のジャングルで、海水の色まで変わっている」など、ヴェルヌの海底二万マイルを髣髴とさせる描写も楽しい。
そんな北の海で、艦内のチームワーク向上のため宴会を開く著者。酔い覚ましに出た甲板から摂氏0℃近い海に落ち、それでもなんとか生還して "不死身" の異名を頂戴する。この後の会話が微笑ましい。
「艦長の強心臓に感心していますよ」
「どっちの心臓だ?」
「両方ともですよ。艦長こそ、要注意人物ですな」
親睦を図る目的は充分に達した模様。
太平洋では緒戦こそ華々しいものの、ミッドウェー後はジリ貧が続く帝国海軍。著者も潜水艦本来の業務はほとんどなく、大半の任務は物資や人員の輸送だ。大局的に見れば「んな事やってたら、そりゃ勝てんわなあ」な方針なんだが、ブーゲンビル島の陸上部隊の様子を見ると、「なんとか補給してやりたい」と思いなおす。ここで敵攻撃機に甲板から帽子を振って煙に巻くシーンは、豪胆で爽快だ。
前に読んだ「信濃!」でも感じたが、潜水艦の艦長というのは我が強いというか、わが道をいくタイプが多い。この著者もその典型で、少尉任官後にも艦長を殴るなどという大変な事をやらかしている。常に艦隊に付き添い、艦隊司令の命に従う駆逐艦とは違い、原則として無線封鎖状態で単独行動が長く続く潜水艦は、そういう人じゃないと勤まらないんだろう。
戦友が次々と消息を絶つ中、なんとか本土に帰還した著者に下りた辞令は…。ここで本作は終わっている。緊迫感の中にもユーモアが漂う本作だが、結末はひたすら苦い。この結末といい、どうにも太平洋の戦記は生々しすぎて苦手だ。
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