足立紀尚「修理 仏像からパイプオルガンまで」中公文庫
「修理では、すべての工程ができなければ仕事になりません。逆に言うと、なんでも自分でやれるところが仏像を修理する仕事のおもしろい点です」
どんな本?
小はペン先から大は赤レンガ建築まで、古い物は刀剣から新しい物では競輪用フレームまで。身近な畳からからくり人形など珍しいもの、眼鏡やふとんのように工場で大量に直すものからベスパのように3年かかりのものまで。あらゆるモノの修理の現場を訪ね、修理の方法や仕事振り、そして職人の人柄や修理の道へ入ったきっかけなどを記したルポルタージュ。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
元は雑誌「モノ・マガジン」で2001年3月から50回にわたって連載した「修理モノの現場」。2004年5月にポプラ社から単行本で出版したものに、幾つかの記事を追加して加筆・訂正し、2007年6月25日に文庫化した。縦一段組み約267頁、8ポイント41字×18行×267頁=197,046字、400字詰め原稿用紙で約493枚。小説なら軽めの長編ぐらいの分量。各記事には1~2枚の写真があるので、文章の量はその8割程度になる。
元が雑誌記事だけあって、文章は親しみやすく読みやすい。また、個々の記事は5頁ほどで、それぞれは独立しているため、気になった部分だけを拾い読みしてもいい。とはいえ文章の量もそれほど多くないので、読み始めれば一気に読める。一日にこなせる仕事量や価格など具体的な数字も多く出てくるので、資料としての価値も高い。
構成は?
第1章 実用品――大事に使えばちゃんと壊れる
第2章 伝統の技――時間を超えて生きている
第3章 みんなが使う大きなもの――安全のために快適のために
第4章 レアモノと愛用品――この世にひとつの大切なもの
第5章 変わったモノ――こんなふうに再生します
あとがき
解説 森谷正規
全5章で、各章は更に5頁ほどの記事6~9本からなる。畳やライターなど、読者がお世話になりそうな記事では、末尾に店舗の電話番号まで入っているのは親切かも。
感想は?
モノ・マガジンなめてました。もっとオシャレで軽薄なカタログ的な本かと思ったら、とんでもない。確かに文章は軟らかめで読みやすい文体だけど(いやわかりやすい文章を書くのは難しいって事は知ってます)、内容は本格的なルポルタージュと言っていい。
読んで「言われてみればそうだよね」と思った点の一つは、最初に引用した「修理する人は全工程を理解してなくちゃいけない」って事。仏師も新規作成なら木工・彫工・漆工の分業だが、修理は一人でするとのこと。とはいえ、今の工業製品のように仕様書が残ってりゃともかく、昔の工芸品は現物しかない。
「人形の修理をする過程では、先祖たちがおこなってきた人形作りの技術の粋を間近にたどって知ることにもなりました」
と、御所人形修理の伊東氏は、修理を通して人形制作の技を知ったとか。似たような事を登山靴のICI石井スポーツ登山本店の中氏も「靴を修理することで、世界中のさまざまな登山靴づくりの技術について知ることができる」と語っている。御所人形修理だと顔のヒビ割れ補修が多いそうで、他の部分との色合いの違いを目立たせないため、「人工的に昔の感じを出す技術」を試行錯誤で確立したそうな。
そういった芸術品に対し、イロモノ的な位置にあるのが「からくり人形」。でも意外と設計は良心的で、「茶運び人形は誰にでも分解できるようになっている」とか。「山車からくりは人形師によって定期的にメンテナンスされるが、一般向けの茶運び人形は(略)素人にも修理しやすいように設計されている」。昔の Mac に ResEdit がついてきたようなもんですか←違うと思う
修理といえど、敢えて遺さねばならぬ傷もある。例えば刀剣では、「実戦で使われた時の刀傷を直すことはしません」だそうで。ルアーも「剥げた色やバスに噛み付かれついた歯型は直さない、使い込んだ感じが出ている方がカッコイイ」。ジッポのライターも、「使っているうちに自然にできたキズというのは、その人が愛用してきた歴史ですから」と、キズを残す。そのジッポ、最も多いのは「本体とキャップをつないでいる蝶番の交換」だとか。
私の常識は世間の非常識と気付かされたのが、プレミアム・ギター。「中古のプレミアム・ギターと呼ばれる市場が存在していることは、一般の人間には理解しにくい」って、そうなの?バイオリンでも古いものってプレミアがつくよね。楽器って一般的に古いものほど高い評価を受けるもんだと思ってたけど。50年代のテレキャスターの乾いた音を愛でる気持ちって、普遍的なものだとばっかり←をい
読んでて最も楽しかったのは、スクーターの記事。登場する長澤氏のベスパへの愛がひしひしと伝わってくる。「これまで30台くらい乗り換えてきました」と語る長澤氏の店舗はベスパ・ファンの溜まり場になっているようで、「お客さんも、とにかくスクーターの話をするのが好きな人が多い。また長澤さんも、ベスパについて語り出すと話が止まらない」。だもんで昼は接客に忙しく、修理の仕事は夜に自宅でするそうな。「珍しい型のベスパを修理するうちに、だんだん愛着が募ってきて、持ち主のもとに戻すのが悔しくなることもある」って、おいおい。
異彩を放っているのが、「映画」。古い映画をDVD化する際に、フィルムについた細かい傷(スクラッチ、素人言葉で「あめふり」)を消す仕事だ。同時に経年変化でセピアや赤っぽくなった色も直す。どうやるのかというと、パソコンの動画ソフト。他が物理的なのに対し、これは電子的な作業だ。色々あるもんです。
ベスパの長澤さんほどではないにせよ、修理を仕事にしている人は、その対象に多かれ少なかれ愛着を持つ人が多い。「職人の技」とか言って持ち上げるけど、実は好きでやってるとしか思えない人が大半だ。著者も「いわゆるモノマニアではなくて、気に入った物を徹底的に使う実用主義者だ」と言いつつ、若い頃はジッポのライターに憧れ煙草を試している…幸い挫折したようだが。インタビューの対象者が持つ、モノに拘る気持ちを充分に理解できる著者だからこそ、スクーター等の楽しい記事を書けたのではないか、と私は思うんだけど、どうなんでしょうねえ。
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