ジョルジュ・ペレック「煙滅」水声社 塩塚秀一郎訳
北方を護る魔物は、あらゆるパワー、悪、狡猾さの権化と考えられた。南方の魔物は暗黒と幻法の頭目であった。東方の魔物は、玉の緒を産む泥の権化であった。残る方角を護るのは、物の怪の親玉だった。
どんな本?
「このSFが読みたい!2011年版」で、海外文学を担当する牧眞司が「いかなる基準で測っても不動の最高位」と絶賛した作品。フランスの実験文学集団「ウリポ」から燦然と現われた作家、ジョルジュ・ペレックが著す、実験文学の怪作。その特異な文体により翻訳不能とまで言われた作品が、塩塚秀一郎の被虐的とすら言える凝った翻訳により、やっと日本語化された。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
原書は Georges Perec, La Disparition, Denoel, 1969。日本語版は2010年1月10日発行。A5ハードカバー縦一段組みで本文約320頁、8ポイント50字×20行×320頁=320,000字、400字詰め原稿用紙で約800枚。やや長めの長編って程度。
文章は、はっきり言って不自然。「だ・である」調の会話が、突然べらんめえ調になったりする。とまれ、これで訳者を責めるのは無粋というもの。なぜって、不自然さは意図的なものだからだ。その意図のわりに、意外と読みにくくない…のだが、その意図に気がついたとたん、読む速度が落ちてしまう。「んな無茶が本当に可能なのか?」などと意地悪な検証をはじめ、「この不自然な文章は、本来は何を意味しているのか?」などと気を回しながら読む事になり、なかなか進まない。お陰で話の本筋を見失い、何度も読み返す羽目になる。じっくり、腰を据えて読もう。掛け値なしにそれだけの価値は保障できる。
どんなお話?
アッパー・ボンは、眠れず悩む男だ。困ったボンはドクターを訪ねるが、「前頭洞が狭まったようだ、オペが避けられん」と残酷な宣告を受ける。オペは事無く終わったが、それでも眠れぬのは変わらず。まあ苦痛はなくなったが。ボンの幻覚は、この世の隠されたあるモノを象るのだった。
感想は?
上の「どんな話?」で翻訳者の真似をしたけど、ホンの数行で音を上げました、はい。無茶だわこりゃ。よく訳しきったなあ。この壮絶な仕事は絶賛に値します、はい。
「訳者あとがき」が、この野心的な作品を存分に語りつくしている。反面、この小説の重要なネタもバラしている。まあ、バラさなきゃ解説できないから、仕方ないんだけど。もしこの作品のトリックを知らないなら、それに気づくまで「訳者あとがき」は読まない方がいい。この壮絶な仕掛けに気がついたとき、あなたは作者と訳者の見事なコラボレーションに嘆息するだろう。ちなみにこのトリック、ぐぐれば一発で出てきます。押すなよ、押すなったら。
そのトリックを、作者はあの手この手で読者に伝えようと試みる。冒頭の引用も、そのひとつ。これは作品中の至るところで示唆されているので、アタリをつけるのはそれほど難しくない。タイトルの「煙滅」もそうで、つまりは何かの消滅または欠落を示している…こんな風に。
<語れぬもの>をそのまま名指しすることは避けつつも、他の方法を使ってなんとか語るだけでなく、それとなく指す、連想させる、他の要素を全部挙げるなどの方法で、もっとうまく判然と語る。そんな破天荒な軽業は我々を唖然とさせ、当のテクストがナンセンスではなく<読まれうるもの>だと納得させてくれるだろうが、それでもテクストすのものが深く読まれることはまずなかろう。
お話は、その欠落をめぐるミステリーだ。ボンの幻覚も、失われた何者かを示すもの。一見意味不明に思えるが、ネタが割れると「おお、そうか!」と感嘆・爆笑するだろう。そして、この果敢な試みの結果を、「テクストすのものが深く読まれることはまずなかろう」などと韜晦しているのもいい味出してる。
いやほんと、トリックに気を取られてると、どうしてもお話を追いかけるのがおろそかになっちゃうんだよね。でも大丈夫。ちゃんと「前文」の前に、「役柄」として主な登場人物の一覧がついてる。読了後に気がつきましたよ、あたしゃ。ああ悔しい。
その肝心のお話は、というと、これもまたミステリ仕立て。不眠症と幻覚に悩むボンは、やがて行方を絶つ。ボンが遺した手がかりを元に、何人かが集い、ボンの失踪と、遺したメッセージの謎を解こうと追跡を始める。ガロアの群論のテクストと式、蛮族の風俗、動物学、様々な他国語のテクスト。それらが意味するものは何か。だが、謎の真相に近づくにつれ、彼らもまた…
謎のヒントとして、古今東西の有名な文学作品の一部が引用されている。闇鍋の如くブチまけられた多くの引用は、それもまた訳者による強引な加工がなされている。白鯨の長文引用の最後には大笑いした。ありゃ著者と訳者の悲鳴だとしか思えない。
さて、この引用、「なんか作者はフランス人の癖に、やたら日本の事情に詳しいなあ」などと思ったら、これもまた訳者の「超訳」の賜物らしい。まあ、そりゃそうだよね。なんで中原中也が出てくるのかと思ったら、そういう事ですか。
ミステリの常で、ストーリーの重要な部分はどうしても物語の末端近くに凝縮して語られる。ここで語られる失踪した人物たちの背景事情は、アラビアン・ナイト風の奔放な想像力の賜物だ。いやあ、やっぱりこういう物語は砂塵舞うアラブの地が似合う。
登場人物の名前や全体の章だてまで変えて「原作者の意図」に拘った訳者の、知恵と工夫と執念が光る作品。「並のアイディアじゃ満足できない」とお悩みでヒネクレた作品をお望みの「すれっからし」なあなたにこそ、自信を持ってお勧めできる。
実はこれを書く前に軽くぐぐったら、頭良さそうなサイトがうじゃうじゃ出てきてビビった。こんなのデイヴィッド・バーリンスキの「史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理」 以来だ。まあ、これの頭の良さは、「アルゴリズム」と別の方向だけど。などとビクビクしつつ読み始めたところ、文学に素人の私もワクワク楽しみながら読めた。ダラダラと思索や心理描写が続く小難しい「文学」とはだいぶ毛色の違った面白さが満載だし、「ゲージツはちと苦手で…」という方も是非お試しあれ。
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