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2011年3月27日 (日)

上田早夕里「火星ダーク・バラード」角川春樹事務所

新しい技術や理論を打ち立てようとした時、それを "悪" だと定義できる基準は、本当に、確かにどこかにあるのかしら。その時代には全員が "悪"だと思っていても、もしかしたら十年後には、真反対の価値観が生まれて、全肯定されるのかもしれない。

どんな本?

 第四回小松左京賞受賞作にして、上田早夕里のデビュー作。舞台は未来の火星。部分的なテラフォーミングにより、活発な開発と植民が始まった時代。凶悪犯を護送中に相棒を失い、追われる立場になった刑事の逃亡と反撃を軸に、人類の業と行く末を描く骨太の本格SF。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 単行本は2003年12月8日発行。2008年10月にハルキ文庫から文庫版が出ている。単行本は縦一段組み約385頁。9ポイント45字×21行×385頁=363,825字、400字詰め原稿用紙で約910枚。文庫だと厚めの長編かな。デビュー作のわりに、文章はクセが少なく素直で読みやすい。

どんなお話?

 火星治安維持局の刑事、水島烈は30歳の地球移民だ。相棒は神月璃奈。気難しく暴走しがちな水島だが、神月とはいい相棒だ…水島はそれ以上の感情を抱いているようだが。凶悪連続殺人犯のジョエル・タニを逮捕・護送する途中、水島は「怪物」に襲われ、銃で反撃した後に気を失う。そのスキにジョエルは逃亡し、神月は遺体となって発見された。水島は相棒を失ったのみならず、相棒殺しの嫌疑をかけられる。水島が見た幻覚は何か、神月殺しは誰の仕業か。治安維持局すら信用できぬ状況で、水島は孤独な捜査を始めるが…

感想は?

 物語が始まってすぐ、未来の火星のランドスケープが圧巻。日本列島がスッポリ入る巨大峡谷ヴァレス・マリネリス。そこに大きな蓋をかぶせて作った「温室」の中に都市を築いていく。そんな「温室」をあちこちに作り、都市同士は高速道路のチューブで接続する。そうやって、人類は少しづつ領土を広げていこうとしている。地表を侵食する「都市」の中に、にょっきり立っている軌道エレベーター。先端のアンカーは、もちろんダイモス。

 惑星全部のテラフォーミングじゃ遠い未来の話になっちゃうけど、これぐらいならなんとか近い将来に実現できそうな気がする。少しづつ植民地を広げていくなら、必要な資本も集めやすい。この辺の科学と経済のバランス感覚には舌を巻いた。

 などという未来的な風景の中で、軸として展開するドラマは典型的な「追われるタフな刑事と○○」。一人で先走り孤立しがちな水島の性格付けは、追われる刑事にピッタリな役どころ。人物造型の巧さは新人離れしてる。

 その水島の相方を務める○○のキャラクターが、これまたあざといまでに狙いばっちり。性格も歳の割りにアレで、そこが実に読者の欲望をくすぐるんだけど、ちゃんと納得できる設定を背負ってる。「うへえ、見事に計算してやがるなあ」などと思いつつ、それでもやっぱり乗せられてちゃうんですよ、これが。ええ、可愛いは正義です。

 しかーし。私がこの物語で一番気に入ったのは、悪役のグレアム。優秀な科学者であると同時に、冷徹でやり手の策謀家。己の研究と価値観を絶対と信じ、理想のためには手段を選ばない。こういう、狭く偏った視野で目的を設定しながら、それを実現するための手段は広い視野で現実的な手を打つ、イカれてる癖に狡猾なマッド・サイエンティストは大好きだ。嫁さんに逃げられても、全くくじけないタフさ(というより性格の偏りっぷり)もいい。クライマックスの大ピンチで、彼が見せる研究への拘りは胸を打つ。あ、いや、まっとうな人なら「狂ってやがる」と思うんだろうけど、感動しちゃったんだから仕方がない。やっぱり、研究者ってのは、こうでなくちゃ←いやマズいだろJK

 グレアムが気に入ったもう一つの理由は、彼が科学者・工学者の業を体現している点。非倫理的でも魅力的な知識・技術の研究を捨てられない、という意味ではなくて、そもそもなぜ人が科学者・工学者を目指すのか、という部分。科学・工学が好きだから、というのは勿論あるけど、実はもうひとつ、大それた望みを多くの研究者は持っている。

 それは、革命願望。世の中を変えたい、という願い。ああ、勿論、「腐った世界を壊したい」ってんじゃなく、「もっと良い世界にしたい」って望みなんだけど。国家や制度と違い、科学や工学は、少しづつだけど、確実に世界を便利にする。自分が作った技術はいつか陳腐化して廃れるだろうけど、その後に来るのは、確実に自分の技術より優れた技術だ。だから、科学と工学は、必ず後戻りできない改革を成し遂げる。少なくとも、成し遂げる筈だと思い込んでいる。

 絶え間ない進歩を渇望する気持ち、未来の世界はもっと良くなるという想い、そういう思い込みというか本能というか救いがたい楽観性というか、言い換えれば「希望という病」に脳細胞を侵食されきった人間を、グレアムは象徴している。普通の人なら絶望しきってしまう状況で、それでも彼は改善の手段を求め、実現しようと足掻く。そして彼が見出した手段は、とんでもなくスケールの大きなシロモノで…

 などと熱く語ってしまったけど、それだけ人を入れ込ませる魅力が、この物語にはあるんだ、と解釈してくださいな、はい。

 以降は書評を離れた自分語りなので、嫌いな人は読み飛ばしてくださいな。

 読んでて水島と藤本の関係に、軽い腐臭がしたんだが、「作者が女性である」事を知らなかったら、果たしてそう感じたかな、と自分の嗅覚に疑問を抱いたんで。別に腐臭は嫌いじゃないけど、自分の嗅覚が正しいのか幻臭なのか、その辺がどうにも判らない。まあ、火のない所に煙を出すのが腐った世界なんで、私の脳内にそういう回路が形成されちゃったという可能性が最も高いんだけど、いい歳して腐るとは若いんだか幼いんだか。

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