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2011年3月 2日 (水)

セバスチャン・ユンガー「パーフェクト・ストーム」集英社 佐宗鈴夫訳

 船が浸水すると、最初に起こるのは電気系統のショートである。明かりが消え、すこしの間、照明はショートしてスパークする青い光だけになり、それが弧を描いて海に落ちていく。

どんな本?

 副題は「史上最悪の暴風に消えた漁船の運命」。1991年10月末、アメリカ・カナダの東海岸を襲った暴風雨で、六人乗りのメカジキ漁船アンドレア・ゲイル号が消息を絶つ。アンドレア・ゲイル号の遭難を中心に、アメリカ東海岸の漁船乗組員の生活と仕事の風景、暴風雨の仕組みと船が遭難する様子、そして遭難救助に赴くレスキュー隊員たちの姿を、丹念な取材で立体的に描いたルポルタージュ。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は The Perfect Storm by Sebastian Junger, 1997。日本語訳は単行本が1999年7月31日発行、2002年11月に集英社文庫に収録。縦一段組みで約300頁、45字×20行×300頁=270,000字、400字詰め原稿用紙で約675枚。小説ならやや厚めの文庫本程度かな。

 文章はよく言えば冷静で写実的、悪く言えば愛想がない文体。数十メートルの高波に漁船が揉まれるなど、映像化すればド迫力の場面が頻出するのに、文体は理知的でクールなので微妙に違和感が残る。

構成は?

まえがき
ジョーンズバンク 1896年
マサチューセッツ州グロスター 1991年
神の恵みの豊かな国
フレミッシュ・キャップ
巻揚機のハンドル
大西洋の墓場
復元偶力零点
生者の世界
地獄へ
死者の夢
あとがき
 謝辞
 訳者あとがき
 第七八永伸丸の『パーフェクト・ストーム』――魚撈長の証言

 冒頭はアメリカ東海岸の漁業の歴史から始まり、アンドレア・ゲイル号の乗組員たちの陸での生活ぶりを通し、一般的なアメリカの漁師の生活ぶりを紹介する。中盤ではメカジキ漁の風景から、暴風雨のメカニズムを解説する。終盤では遭難救助に当る沿岸警備隊と空軍州兵が登場する。日本語版に付属の、第七八永伸丸魚撈長だった西村誠司氏のインタビューは、おまけとしてはあまりに豪華。

感想は?

 漁師といえば豪快という印象があるけど、その理由がわかるような気がする。豪快でなきゃ、続かないんだろう。危険が多い上に、経済的にも浮沈が大きいのだ。

 冒頭近くでアンドレア・ゲイル号の漁の収支が細かく出てくる。一ヶ月の漁で売り上げは$141,582。諸費用が約$35,000。その内訳も細かく出ていて、はえ縄漁の漁具は二万ドルだそうだ。船長の取り分は約$20,000、船員は年功で$6,453・$5,495・$4,537など。相場が高けりゃ取り分は大きいけど、大漁の船が先に港に入ってれば相場は下がって取り分は減る。もちろん不漁も怖い。海での生活も厳しい。「一日二十時間、ニ~三週間ぶっつづけで働」くのだ。

 長さ40マイル(≒60km)のはえ縄に、無数の枝縄と釣り針がぶら下がる。えさはイカだ。釣り針は危険で、「乗組員の顔に釣り針がかかって、頬骨の下まで突き刺さり、眼窩から飛びだしてきたことがある」とか。他にも指を持っていかれた乗組員の話が出ている。

 月の満ち欠けも漁獲に影響があるとかで、「月が満ちていくときに操業する漁船のはえ縄には、小物のオスがかかりやすい。月が欠けていくときに操業する漁船のはえ縄には、大物のメスがかかる」そうな。

 中盤からは書名どおりの暴風雨の記述が続く。「どうやら平均波高は徐々に高くなっている」「イギリスの沖合いの波は、この二十年間で25%高くなっている」と不吉な予言をしている。理由の一つはタンカーからの原油流出が減った事で、海面に広がった原油の皮膜が毛管波の発生を抑え、風の影響が減るのだとか。昔の船乗りが波を抑えるために油を流したというのは、理に適ってたんだね。

 終盤近くで登場する、空軍州兵のパラシュート・レスキュー隊員の訓練が凄い。

 志願者たちは模擬ヘリコプターの機内に縛りつけられるて、水中に沈められる。なんとかうまく脱出できれば、逆さまに沈められる。これもまた脱出できれば、目隠しをされて逆さまに沈められる。

 なんでそこまでシゴくのかというと、「教官たちとしては、とにかく厳選しなければならなかったんだ」。本番で死ぬより、訓練で失格する方がマシって事ですか。

 そんな厳しい描写が続く本書の中で、異色なのが、末尾の「第七八永伸丸の『パーフェクト・ストーム』――魚撈長の証言」。後半ずっとパニック映画そこのけの場面が続いた後の、西村氏の落ち着いた語りが、アメリカ人と日本人の感情表現の違いを際立たせている。なんと、あの嵐の後、修理のため15日間ハリファックスに滞在したが、また漁を続けて日本に帰ったのは一年後だとか。氏曰く「わしら、マグロ漁船は転覆せんと思っとるんでね」。

 事実、大型汽船の真横にぶつかり、そのままその汽船を真っ二つにしてしまったとか、知らずに旧ソ連の潜水艦に乗り上げてそのまま沈めてしまった()とかいうように、日本漁船の頑丈さを示す逸話は多いようだ。

 扇情的なタイトルとは裏腹に、暴風雨に翻弄される漁船を中心に、はえ縄漁の実際や乗組員の生活、漁業が抱える問題、高波のメカニズムとその脅威など、丹念な取材に支えられた臨場感あふれる真面目なドキュメンタリーだった。

  • 沈めた潜水艦は旧ソ連所属ではなく、ペルー海軍所属のパコーチャらしい。1943年に合衆国海軍潜水艦アトゥルとして就航し、1974年にペルー海軍が買い取る。1988年にペルー沖で遠洋マグロ漁船の第8共和丸と衝突して沈没。詳しくは Wikipedia のアトゥル(潜水艦) を参照してください。

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