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2011年3月の14件の記事

2011年3月31日 (木)

「戦闘技術の歴史 2 中世編 AD500~AD1500」創元社

ヨーロッパでは、政治や経済に由来する各種の対立は、結局は戦争に帰着するのが普通で、戦争の勝敗がしばしば歴史の方向を決定付けてきました。ですから、中世という時代についても、戦争のはじまりからその終結にいたるまでのもろもろの事実を、冷徹に分析・評価することなしに、歴史を理解することはできないといっても過言ではありません。

どんな本?

 「戦闘技術の歴史 1 古代編」に続く、シリーズ第二弾。兵器や防具の構造・威力・使い方など下世話な話から、軍の編成・布陣・戦術、それらを支える社会・経済構造など、戦闘に関わるあらゆる事柄をまとめ、豊富なイラストと多数のエピソードを紹介し、分析する。地理的には欧州大陸が中心で、東洋はモンゴルの襲来が出てくる程度。前巻に続き、図版とイラストは盛りだくさん。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Fighting Techniques of the Medieval world, Amber Books 2005。著者はマシュー・ベネット、ジム・ブラッドベリー、ケリー・デヴリース、イアン・ディッキー、フィリス・G・ジェスティス。日本語版は浅野明監修、野下洋子訳で2009年10月20日発行。

 A5ハードカバー縦一段組みで本文約345頁、45字×22行×345頁=341,550字、400字詰め原稿用紙で約854枚。翻訳物の学術書なんで、歯ごたえは覚悟しよう。章によっては結構悪文だし。前巻は主な学者の説を一つ紹介するだけだったのが、この巻では対立する複数の説を並行して紹介してるんで、誠実ではあるけれど、ちと爽快さに欠ける感がある。

 前巻の舞台が地中海だったのに対し、この巻では欧州大陸が中心。百年戦争とかシャルルマーニュとか、その辺に詳しいとより楽しめる。

構成は?

日本語版監修者序文
第一章 歩兵の役割
第ニ章 騎兵・戦車など
第三章 指揮と統率
第四章 攻城戦
第五章 海戦
参考文献
索引

 前巻で123頁まで占めていた「歩兵の役割」が、この巻では88頁までに減っている。従来の歩兵中心の戦闘から、騎兵の突撃や攻城戦の比重が高まった事を示すのかも。

感想は?

 内容は鼻血もんの充実ぶりだが、編集は不親切。よほど西洋史に詳しいか、または複数の西洋史の本を参考書にしながらでないと、ちと読みこなせない。「お前が歴史を知らなすぎるだけ」と言われたら言い返せないけど。

 例えば、第一章で「イングランドのシステム」なる言葉が出てくるのだが、これについての明示的な説明は見当たらない。恐らくは多数の長弓兵による長距離射撃を示すようだが、どうなんだろう?

 図版とイラストの豊富さは相変わらず。ただ、前巻のイラストは現代のイラストレーターが描き起こしたものが中心だったのに対し、この巻では中世の画家の絵を多く収録しているので、雰囲気が大きく違う。資料の現物なので、学術書としての迫力は増した反面、絵としての技術は未熟なので、筋肉などの躍動感は感じられない。

 騎兵の項では、ついに「あぶみ」が登場する。安定性が増した事で、今までは移動の道具に過ぎなかった馬が、騎士と一体になった「騎馬突撃」という驚異的な戦術を可能にする。これは同時に鎧の発達も促し…

 カロリング朝の騎兵における最も特有な防護装置は鎖鎧だろう。(略)実際に、シャルルマーニュは779年という早い時期にこの防具を領土の外に売ることを禁じている。803年の新たな布告では、これを敵になるかもしれない者に売る可能性のある商人に与えることを、兵に禁じている。

 F22かい。シャルルマーニュの騎兵への傾倒ぶりは相当なもので、馬の育成にも熱心だった模様。「8世紀終わりまでには、管理された種馬牧場が作られた。軍馬の代価が高かったため、この商売はきわめて利益が高く」とある。お陰で欧州の馬は品種改良が進み…

 12世紀以降に軍馬として知られる馬は、(略)バクトリア種あるいはアラブ種を選択的に繁殖させたものだった。典型的な体長が12~13ハンド(122~132センチメートル)であった中世の馬は、17ハンド(173センチメートル)の体長の馬になった。

 先に触れた鎧は武芸競技大会(いわゆる騎馬試合)の流行をもたらし、板金鎧を発達させる。重さは相当なもので。

戦場用の一式の重さは23~28キロで、槍試合用の板金鎧は、戦場での不確定さと比べると、地形も事が起こる順序も明確なためにさらに重く、41~46キロにもなっていた。

 重さに見合う防御力は戦死者も減らし、、1214年のブーヴィーヌの戦いでは、「両軍合わせて四万名が戦ったと考えられているのに、連合軍では200名足らず、フランス軍騎士では二名だけが死亡しているにすぎない」。

 ところが13世紀には歩兵が主要戦力になったせいか、大きな戦いが増え、「死亡者数が著しく増加している。(略)1346年のクレシーではフランスの諸侯9人と1200名の騎士、さらにその他の15,000名~16,000名が殺戮され」た。

 次の「指揮と統率」では、賢明な戦術として6つを挙げている。場所を選ぶ、待ち伏せ、追走からの帰還、両翼包囲、陽動攻撃、側面の方向転換。この辺は今でも変わらないね。

 メカ好きにはたまらないのが、四章の攻城戦。ウインチ(巨大なねじ)を使った弩砲(バリスタ)、5階建てにもなる四輪の攻城櫓、ねじりばねを使ったカタパルトなど新兵器のイラストが楽しい。城壁の下に坑道を掘り、後に坑道の支柱を燃やして城壁を崩す戦術とか、ワクワクしてくる。

 最後の海戦では、相変わらずガレー船が中心ながら、終盤でやっと帆船(コグ船)が登場する。商戦と軍船で同じ構造が使える事と、「投射兵器を使うときに有利になる高さだった」。1340年6月24日に始まった「スロイスの海戦こそがイングランドの長弓兵がはじめて圧倒的な力を見せつけた戦いだった」。

 「中世のほとんどの戦いは一時間以内で決着がつくものだった」「軍隊は一日に16キロから24キロほどの距離を行軍した」「兵士には給与などなかった」など、ニワカ軍ヲタには嬉しいトリビアも満載。¥4,500とお値段はちと嵩むけど、多数のイラストと図版を考えれば、しょうがないか。

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2011年3月29日 (火)

「戦闘技術の歴史 1 古代編 3000BC~AD500」創元社

歩兵が取る手段は大きく分けて二つあり、古代から19世紀にいたるまで(略)そのどちらかを専門に行うように作られていた。その両方、ということはありえない。(略)手段その一は急襲である。(略)手段その二は、少し射程の長い投擲兵器で敵を倒すことだ。

どんな本?

 兵器の構造や使い方と効果・部隊編成や基本的な戦術・それらを支えた社会的な条件など、戦闘に関する事柄をあらゆる側面から調査・分析した本。この巻では、ギリシャ・ローマなど地中海沿岸を中心に、インドまでをカバーするが、中国は全く出てこない。お堅い内容だが、地図・図版やイラストをふんだんに収録すると共に、名将や有名な戦闘のエピソードも紹介しているので、素人でも楽しみながら読める。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Fighting Techniques of the Ancient world, Amber Books 2002。著者はサイモン・アングリム、フィリス・G・ジェスティス、ロブ・S・ライス、スコット・M・ラッシュ、ジョン・セラーティ。日本語版は松原俊文監修、天野淑子訳で2008年8月20日発行。

 A5ハードカバー縦一段組みで本文約380頁、45字×22行×380頁=376,200字、400字詰め原稿用紙で約940枚の大作。軍事物のわりに文章は思ったほど硬くないが、基本的に翻訳物の学術書なので、それなりの覚悟は必要。まあ、実物を見れば否応なしに覚悟できるけど。舞台は古代の地中海沿岸なので、ギリシャやローマの歴史に通じていると、背景がわかってより深く楽しめる。
 などと言うと近づきがたい印象があるが、収録している図版とイラストの量がハンパじゃない。流麗なカラーのイラストを眺めているだけでも、素人の私はけっこう楽しめた。

構成は?

日本語版監修者序文
第一章 歩兵の役割
第ニ章 騎兵・戦車など
第三章 指揮と統率
第四章 攻囲戦
第五章 海戦
参考文献
用語解説
索引

感想は?

 お腹いっぱい。高度で包括的な内容の、どう見ても完全に専門書であるにも関わらず、豊富な図版と流麗なイラストがぐいぐい読者を引っ張っていく。だもんで、知らず知らずのうちに(一般人には)無駄な知識がついてしまう。いやファランクスだのレギオンだの知っても、実生活には役に立たないよね、どう考えても。でもイラストの見事さが、否応なしに読者の脳にファランクスの恐ろしさと弱点を読者の脳に焼き付けてしまう。

 ファランクスは歩兵の矩形陣。整列して長槍を前に突き出した軍団が、ズンズンと前進してくる。これがAD3000年ごろには南メソポタミアの都市国家で使われてたってんだから驚き。組織的に動かなきゃならんから、相当に訓練せにゃならん筈だが、よほど国家がしっかりしてたんだろうなあ。

 とまあ怖くはあるけど、弱点もある。まずは広く散開した兵からの投げ槍や弓には対抗できない。ファランクスが突進したら逃げりゃいい。また、広い平地ならいいけど、起伏の激しい土地では使えない。よく戦争物で「迂回して側面から叩く」なんてシーンが出てくるけど、その効果が実感できる。

 その辺を改善したのがローマのレギオン。歩兵大隊を分割してマケドニアのファランクスに肉薄し、グラディウス(剣)で虐殺した。槍は長くて重い分、肉薄されたら小回りが効かなくて不利になるって理屈。

 次の第二章では戦車が出てくるけど、今のM1エイブラムズみたいな奴ではない。馬やロバに引かせる、二輪または四輪の「馬車」で、武器は主に投げ槍と弓。機動力を生かしたヒット・アンド・アウェイで敵を混乱させるんですな。もちろん差動歯車なんてないから、曲がるのには相当に苦労したとか。

 象も一見強そうだけど、アレクサンドロスは一蹴してる。

「軍事力としての象の価値など疑わしいものだ。象は味方に対しする方が獰猛になる。なぜなら敵に対しては命令で動いているが、味方に対しては恐怖心で動くからだ」

 そして散開した軽装部隊が象使いを投擲兵器で攻撃すると、「多くの象は暴れだし、好き勝手に走り出した」。暴走した象は敵味方無関係に暴れまわるので、イマイチ使い勝手がよくなかったそうで。

 ハードウェアが好きな人は、第四章の攻囲戦が楽しめる。それまでも槍や兜や鎧など兵器が沢山出てくるけど、仕掛けっぽいのは複合弓ぐらい。ところがここで出てくるのは、破城槌とか投石器とか大掛かりなシロモノ。歩兵向きのガストラフェテス(クロスボウ)は今の自動小銃に該当するなら、その向かいに出てくるオクシュベレスは小隊機銃かな。ねじりばねで飛ばす矢は400メートル先の盾や鎧を貫通したそうな。

 ここでもローマは特色があって、攻城時には城の周囲を堡塁で囲んだとか。さすが土木立国ローマ。「その装備から戦法にいたるまで、ローマ軍の特徴のほとんどすべてが、ある時点でどこかから模倣し、そこから完成させたものである」って、まるで極東のどっかの国みたいだ。それでもあれだけの大帝国を築けたんだから、我が国も…

 前八世紀に攻囲戦を科学にしたのは近東の諸国であり、それがギリシア人によって改良され、ローマ人によって完成され、三世紀には東方に戻ってきたのだ。

 海戦の項では、漕ぎ手が奴隷じゃないってのが意外だった。「一団となって漕ぎうる有能な漕ぎ手となるには、何ヶ月もの厳しい訓練を受ける必要があった。大衆小説に登場する漕ぎ手とは異なり、彼らの中に奴隷の身分にある者はまずいなかった」とか。リズムに合わせていっせいに漕ぐんだから、素人を集めたんじゃ無理だよねえ。

 などといった技術の紹介に加え、有名な戦闘のエピソードが随所に出てくるのも楽しい。アントニウスとクレオパトラがアグリッパとオクタウィアヌスに敗れたアクティウムの海戦は、第三章と第五章の二回紹介している。俗説とは違い、「クレオパトラの逃亡はアントニウスの狙い通りだったんじゃね?」と解釈している。

 充実した内容でありながら、豊富な図版とイラストで素人でも楽しめる稀有な本。敢えて欠点を挙げれば、定価¥4,500と決してお安くない事。カラーのイラストが多いから、価格相応ではあるんだけど。

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2011年3月27日 (日)

上田早夕里「火星ダーク・バラード」角川春樹事務所

新しい技術や理論を打ち立てようとした時、それを "悪" だと定義できる基準は、本当に、確かにどこかにあるのかしら。その時代には全員が "悪"だと思っていても、もしかしたら十年後には、真反対の価値観が生まれて、全肯定されるのかもしれない。

どんな本?

 第四回小松左京賞受賞作にして、上田早夕里のデビュー作。舞台は未来の火星。部分的なテラフォーミングにより、活発な開発と植民が始まった時代。凶悪犯を護送中に相棒を失い、追われる立場になった刑事の逃亡と反撃を軸に、人類の業と行く末を描く骨太の本格SF。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 単行本は2003年12月8日発行。2008年10月にハルキ文庫から文庫版が出ている。単行本は縦一段組み約385頁。9ポイント45字×21行×385頁=363,825字、400字詰め原稿用紙で約910枚。文庫だと厚めの長編かな。デビュー作のわりに、文章はクセが少なく素直で読みやすい。

どんなお話?

 火星治安維持局の刑事、水島烈は30歳の地球移民だ。相棒は神月璃奈。気難しく暴走しがちな水島だが、神月とはいい相棒だ…水島はそれ以上の感情を抱いているようだが。凶悪連続殺人犯のジョエル・タニを逮捕・護送する途中、水島は「怪物」に襲われ、銃で反撃した後に気を失う。そのスキにジョエルは逃亡し、神月は遺体となって発見された。水島は相棒を失ったのみならず、相棒殺しの嫌疑をかけられる。水島が見た幻覚は何か、神月殺しは誰の仕業か。治安維持局すら信用できぬ状況で、水島は孤独な捜査を始めるが…

感想は?

 物語が始まってすぐ、未来の火星のランドスケープが圧巻。日本列島がスッポリ入る巨大峡谷ヴァレス・マリネリス。そこに大きな蓋をかぶせて作った「温室」の中に都市を築いていく。そんな「温室」をあちこちに作り、都市同士は高速道路のチューブで接続する。そうやって、人類は少しづつ領土を広げていこうとしている。地表を侵食する「都市」の中に、にょっきり立っている軌道エレベーター。先端のアンカーは、もちろんダイモス。

 惑星全部のテラフォーミングじゃ遠い未来の話になっちゃうけど、これぐらいならなんとか近い将来に実現できそうな気がする。少しづつ植民地を広げていくなら、必要な資本も集めやすい。この辺の科学と経済のバランス感覚には舌を巻いた。

 などという未来的な風景の中で、軸として展開するドラマは典型的な「追われるタフな刑事と○○」。一人で先走り孤立しがちな水島の性格付けは、追われる刑事にピッタリな役どころ。人物造型の巧さは新人離れしてる。

 その水島の相方を務める○○のキャラクターが、これまたあざといまでに狙いばっちり。性格も歳の割りにアレで、そこが実に読者の欲望をくすぐるんだけど、ちゃんと納得できる設定を背負ってる。「うへえ、見事に計算してやがるなあ」などと思いつつ、それでもやっぱり乗せられてちゃうんですよ、これが。ええ、可愛いは正義です。

 しかーし。私がこの物語で一番気に入ったのは、悪役のグレアム。優秀な科学者であると同時に、冷徹でやり手の策謀家。己の研究と価値観を絶対と信じ、理想のためには手段を選ばない。こういう、狭く偏った視野で目的を設定しながら、それを実現するための手段は広い視野で現実的な手を打つ、イカれてる癖に狡猾なマッド・サイエンティストは大好きだ。嫁さんに逃げられても、全くくじけないタフさ(というより性格の偏りっぷり)もいい。クライマックスの大ピンチで、彼が見せる研究への拘りは胸を打つ。あ、いや、まっとうな人なら「狂ってやがる」と思うんだろうけど、感動しちゃったんだから仕方がない。やっぱり、研究者ってのは、こうでなくちゃ←いやマズいだろJK

 グレアムが気に入ったもう一つの理由は、彼が科学者・工学者の業を体現している点。非倫理的でも魅力的な知識・技術の研究を捨てられない、という意味ではなくて、そもそもなぜ人が科学者・工学者を目指すのか、という部分。科学・工学が好きだから、というのは勿論あるけど、実はもうひとつ、大それた望みを多くの研究者は持っている。

 それは、革命願望。世の中を変えたい、という願い。ああ、勿論、「腐った世界を壊したい」ってんじゃなく、「もっと良い世界にしたい」って望みなんだけど。国家や制度と違い、科学や工学は、少しづつだけど、確実に世界を便利にする。自分が作った技術はいつか陳腐化して廃れるだろうけど、その後に来るのは、確実に自分の技術より優れた技術だ。だから、科学と工学は、必ず後戻りできない改革を成し遂げる。少なくとも、成し遂げる筈だと思い込んでいる。

 絶え間ない進歩を渇望する気持ち、未来の世界はもっと良くなるという想い、そういう思い込みというか本能というか救いがたい楽観性というか、言い換えれば「希望という病」に脳細胞を侵食されきった人間を、グレアムは象徴している。普通の人なら絶望しきってしまう状況で、それでも彼は改善の手段を求め、実現しようと足掻く。そして彼が見出した手段は、とんでもなくスケールの大きなシロモノで…

 などと熱く語ってしまったけど、それだけ人を入れ込ませる魅力が、この物語にはあるんだ、と解釈してくださいな、はい。

 以降は書評を離れた自分語りなので、嫌いな人は読み飛ばしてくださいな。

 読んでて水島と藤本の関係に、軽い腐臭がしたんだが、「作者が女性である」事を知らなかったら、果たしてそう感じたかな、と自分の嗅覚に疑問を抱いたんで。別に腐臭は嫌いじゃないけど、自分の嗅覚が正しいのか幻臭なのか、その辺がどうにも判らない。まあ、火のない所に煙を出すのが腐った世界なんで、私の脳内にそういう回路が形成されちゃったという可能性が最も高いんだけど、いい歳して腐るとは若いんだか幼いんだか。

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2011年3月26日 (土)

鷲巣力「自動販売機の文化史」集英社新書

たとえば、日本の飲料および食品自動販売機に、冷却おとび加熱装置がついているのは普通である。だが、海外でようやく見つけた自動販売機で飲料水を求めても、冬は熱く、夏は冷たい飲料水を手に入れることはまずできない。いつもほぼ常温で出てくる。

どんな本?

 自動販売機は、いつ、誰が、なぜ作ったのか。どんなしくみで、どんな物が売られ、人々からどんな風に受け取られたのか。そして今、自動販売機は各国でどのように使われ、どれぐらい普及しているのか。多くの文献や統計資料を駆使しつつ、興味深いエピソードもふんだんに加え、自動販売機を通して各国や各時代の文化と風俗を解き明かしていく。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2003年3月19日初版発行。新書で縦一段組み約244頁。9ポイント42字×16行×244頁=163,968字、400字詰め原稿用紙で約410枚。新書としては標準的な量かな。文章も親しみやすく読みやすい。年代を表記する際は、原則として西暦だが、日本の自動販売機の歴史をひもとく所では、西暦と年号を併記するなど、ちょっとした心遣いが嬉しい。

構成は?

序章 「自動販売機」の見える風景
第1章 自動販売機2000年の歩み ――古代エジプトから20世紀アメリカまで――
第2章 自動販売機大国への道 ――明治初期から今日まで――
第3章 国が違えば事情も変わる ――各国の自動販売機事情――
第4章 日米に流行る理由、欧州に流行らぬ理由
第5章 文明の利器か、文化の破壊者か
あとがき
主な参考文献

感想は?

 第1章と第2章は圧巻。自動販売機にまつわる様々なエピソードが楽しい。文献では古代ギリシャのヘロンの聖水自動販売機が最初だそうだが、「実在したか否かは不明」としている。実物が確認できるのは19世紀のイギリスで、なんと書籍の自動販売機だ。1822年のこと。

 当時は「言論の自由」を求めて、出版者たちが権力と闘っていた時代である。カーライル(Richard Carlile)は(略)急進的な思想の持ち主でもあった。(略)自動販売機による販売なら販売者を特定できずに、自分が売ったのではない、と主張できると考えたのだろう。

 読者も特定できないから便利だよね、とまで考えたかどうかは不明だが、言論の自由のために自動販売機を使うとは賢い。残念ながらカーライルには有罪判決が下ってしまったが。

 1891年には、パリでビールとワインの自動販売機が登場している。「早く提供できるし、価格は妥当だし、分量は性格だし、しかも現金払い」だそうで。いつでもどこでも、酒にまつわるトラブルの原因は似たようなもんだなあ。

 1895年にはユタ州で離婚申請書類一式の自動販売機が登場してる。モルモン教の「一夫多妻から逃れ、離婚したい女性が書類を比較的自由に申請書を入手する手段であったろう」と著者は考察する。どうも自動販売機は自由獲得の戦いと縁が深いようで。

 世紀がかわり、アメリカでは大量生産がハバをきかす。その象徴がT型フォード。本のテーマとは関係ないけど、面白いジョークなので引用しよう。

「T型フォードはけっして追い越せない。なぜなら、T型フォードを追い越しても、その前には必ずT型フォードが走っているからだ」

 そんなアメリカに、ウィリアム・ロウ William Rowe の紙巻タバコの自動販売機が登場する。多品目多価格に対応できる、「近代的自動販売機」だ。

ある業者は、当時、11セントないし12セントだったものが15セントで売れると強気に予想した。なぜならその自動販売機は、「これまで以上に便利だから」だ、すなわち付加価値がある、と。結果は予想通りになった。 

 便利、なのかなあ。まあ向こうは引き算ができない売り子も多いみたいだし。日本では遠藤嘉一氏のエピソードが面白い。時は1921(大正10)年、新婚の遠藤氏、夫婦で医療器具やゴム製品(コンドーム)を扱う商売を始めたが、ゴムを買いに来る客が奥さんを卑猥な言葉でからかうので困っていた。そこでゴムの自動販売機をぜんまい仕掛けで作ったそうな。麗しき夫婦愛。

 自動販売機の台数ではアメリカがトップだが、人口当たりの普及率や売り上げでは日本がダントツだ。その原因を、著者は「国鉄の自動券売機ではないか」と考察している。中高年は新しいものに馴染めないが、鉄道が発達した日本だと自動券売機は避けて通れない。それが人々の習慣として根付いたのではないか、と分析している。

 面白おかしいエピソードばかりを拾って紹介したけど、台数や販売金額などの数字も、「信用に足る資料があるのは日本とアメリカぐらい」という厳しい状況の中で、詳しく調べている。エピソードを拾い読みしてもよし、統計数字を抜き出してもよし。読み物としての面白さと、資料としての貴重さを兼ね備えた本でした。

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2011年3月24日 (木)

スティーヴン・L・カプラン「パンの歴史」河出書房新社 吉田春美訳

うまく作ればこのパンは、小麦の豊かな香り、春の花やドライフルーツのような香りがして、味わいが深く、かすかな塩気の後味が残る。パンの身は真珠のような光沢があるか、あるいは黄色がかった茶色で、不規則な孔はあいているが、大きな孔はできないので、きめが細かくなめらかで、歯ごたえはあるが、咀嚼しやすい。ときおりとろけるような舌触りすらおぼえる。  ――著者によるバネットのトラディションの評より抜粋

どんな本?

 副題は「世界最高のフランスパンを求めて」。フランスのパンをこよなく愛するアメリカ人著者による、現代のフランスのパンの没落と復活を描くドキュメント。パン全般ではなく、フランスパンの現代史ですな。

 第二次大戦後、フランスのパンの味は低下の一途を辿る。だが、世を憂いパンを愛する多くの職人が、「美味しいパン」を取り戻すべく毅然と立ち上がった。

 何がフランスパンを没落させたのか。そもそもパンとは何か。美味しいパンとはどんなパンか。誰が立ち上がり、どう戦ったのか。フランスのパン業界の奥深くに切り込み、その構造を解き明かす業界物の面白さと共に、美味しいパンのガイドまでついた、お得で美味しい本。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Steven L. Kaplan, Le retour du bon ain : Une Historie contemporaine du pain, de ses techniques et de ses hommes, Perrin 2002。日本語版は2004年11月30日初版発行。「一部を割愛した」とあるが、それでもハードカバー縦一段組み約468頁+横組みの索引&原註33頁の大容量。9ポイント46字×19行×468頁=409,032字、400字詰め原稿用紙で約1023枚の大著。

 翻訳物のドキュメンタリー、しかもあまり馴染みのないフランス物だが、テーマの親しみやすさも手伝って、読みこなすのはそれほど難しくない。ただ、読書中に空腹を覚えるのは、この時期ちと難かも。

構成は?

 はじめに
第1章 おいしいパン――その実践と解釈
第2章 パンをめぐるふたつの危機
第3章 白パンのウエスタン
第4章 敵と競争
第5章 パン屋と国家、あるいはパンと民衆と王
第6章 製粉業者とパン屋
第7章 モンジュ戦争と勇者たち
 結び
 謝辞
 訳者あとがき
 原註
 索引

 手っ取り早く概要を知りたい人は、最後の「結び」を最初に読むといい。この本の内容を著者が自ら26頁ほどにまとめてある。とはいえ、全般として教科書的に箇条書きにした本ではなく、物語風に多くのエピソードを並べた本なので、香りを味わうには、やっぱり本文を読むにこした事はない。

感想は?

 この本のテーマであるパンの味の低下は、最初の「はじめに」で、その深刻さを訴えている。

「近代」にけるパンの質の低下を最も激しく批判したのメグ・ボルティンというアメリカの女性ジャーナリストが今はなき「パリ・メトロ」誌に書いた記事であったというのは、別に驚くべきことではない。ひとりあたりのパンの消費量が19世紀末の750グラム(一説には900グラム)から今日パリで135グラムに低下した…

 日本でもごはん離れが騒がれたけど、フランスのパン離れも酷い。「いったい、なんで?」と読者を曳きつけておきながら、第1章では「パンのつくりかた」を論じて焦らす。いけずだけど、ここで焦って読み飛ばしてはけない。ここで説明する天然酵母とイーストの違い、第一次発酵=ポワンタージュなどの用語が後に重要な意味を持ってくる。

 さて。フランスのパンの危機を招いた原因だが、著者は一つに特定していない。黒パンを嫌いひたすら白い色のパンを求めた消費者、その消費者に応えるためそら豆などの添加物を加えたパン職人、そんなパン職人に媚びる製粉業者、そして機械の導入やイーストの採用など工程の変化。

 機械化はパン生産の時間を短縮する。便利に慣れた消費者は、焼きたてのパンを求め始める。そんな消費者の要求に応えるため、パン職人冷凍装置の導入など更なる機械化を進める。

 職人と消費者だけでなく、近年のパンには様々な勢力や組織が関わってくる。大量生産・大量消費を狙うパン・メーカーやスーパーのチェーンは顧客を奪う。週35時間労働を規定した労働法は、重労働を必要とする伝統的なパン作りの継承を阻む。価格の上限を定めたフランス政府の規定、政府の保護を求め競争を嫌うパン職人の組合なども、職人の向上心を阻害する。

 そんな厳しい状況の中で、毅然と立ち上がったのがパン職人たちだ、と著者は賞賛する。消費者の自然志向も追い風になった。今までブルジョアの象徴だった「白いパン」ではなく、「純粋」や「有機」が評価され、伝統に立ち返ろうとするパン職人を後押しする。

 パン職人たちのアプローチは様々だ。共通しているのは歴史に学びながらも常に工夫を怠らない点だけで、完全に伝統に沿った作り方をしている職人はいない。多かれ少なかれ機械化を取り入れつつ、むしろ積極的に機械を使いこなそうとする人が多い。ドミニク・ゼブロンに至っては、チェーン店のカルフールと契約し、原材料・工程から販売に至る全てを見直し、「バゲットをすっかり変えてしまった」。

 セブロンのライバルと目されるのは、エリック・カイザーだ。代々続いたパン屋に生まれ、若い頃にはフランス中を巡って新旧の製造法を学ぶ。製粉業者への仕様書には詳しく要望を書き、そら豆やビタミンCなどの添加物は一切認めない。だが、同時に挑戦的で大胆な製品も作る。例えば、パン・ド・パリーヌはそば粉を使う。店では窯をカウンターの後ろに置き、消費者の目前でパンを出し入れし、最終工程に至るまでの自らの責任を明らかにする。某漫画で出てきたアレは、彼がモデルなのかな?

 最終工程が家庭に任されている米と違い、パンは職人が生地を作って焼く。ご飯を炊くのは一時間もあれば充分だけど、パンはコネて発酵させるので、丁寧にやると二十時間以上もかかる。窯だって一般家庭に装備するのは難しい。ご飯の炊き方も工夫が必要だけど、最近の炊飯器は優秀だから、素人でもかなり美味しいご飯が炊ける。

 パン職人が消費者との間に入るため、米とは随分と様子が違い、多くの物や組織が関わってくる。そのため、身近で単純な食べ物のように思えるけど、実は細かい違いがある事がわかった。例えば、生地から作ってるパン屋と、冷凍生地を他から買って焼くだけの「パン焼き人(ベイカー)」は違う。

 などの知的興味が満たせるのはいいが、どうしようもなくフランスパンが食べたくなるのは困り物。でも大丈夫。王者、メゾンカイザーは日本でも出店してます。いい時代だなあ。やっぱり、バケットモンジュでしょ。

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2011年3月21日 (月)

SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2011年版」早川書房

書評を書くの、めんどうじゃないですか! ――北上次郎

 2009年11月1日~2010年10月31日までに発行されたSF小説を中心に、ホラーやファンタジイなど周辺領域の書籍や映画などから、アンケートの人気投票などで「お薦め品」をリストアップし、語ったムック。新鋭作家や翻訳者の対談なども載っている、一種のおまつり本。

 私は最近SF以外の本を読むのに忙しくて、新作SFから遠ざかっていたため、国内編のベスト10は全て未読だった。上田早夕里氏とか、全然知らなかったし。小川一水氏と山本弘氏、それと大森望氏の暴れっぷりが凄い。海外編で読んでたのは「ジェイクをさがして」と「跳躍者の時空」のみ。ガミッチ君の人気ぶりは意外だった。

 意外といえば、「スワロウテイル人工少女販売処」が「星の舞台からみてる」より上位なのも、意外。でもまあ、「星」はテーマがテーマだけに、ウケる市場は限られてるのかも知れない。その分、市場に当てはまる人には強い魅力があるんでしょう、たぶん。本木氏も「リミッターを外す感じで書いています」と言ってることだし。

 河出書房の奇想コレクションをはじめ、短編集が豊富に出たのも昨年の特徴。本書内で繰り返し語られるように、アンソロジーの出版が活発になったのも、短編市場を豊かにしている。私も昔は「ホークスビル収容所」や「忘却の惑星」など、アンソロジーを読み漁って面白そうな作家を探した経験があるんで、こういう傾向は若いファンへの布教に役立つでしょう、きっと。

 その大暴れしてる小川一水氏のアンケート回答が、P.W.シンガーの「ロボット兵士の戦争」。まあ、確かに面白いし、大抵のSFファンなら胸が熱くなる部分も多いけど、この発想はなかった。

 各出版社の2011年の予定では、早川書房の飛浩隆氏に期待と不安が半々。あの遅筆作家に何があったんだろ。河出書房新社の、マイクル・コニイの「ハローサマー・グッドバイ」の続編は信用していいんだろうか。東京創元社からは、ついに「ブルーマーズ」が消えてしまった。なんてこったい。

 特別企画「オールタイム・SF映画ベスト50」は偏ったメンバーによる偏った映画のガイド。高橋良平氏が「惑星ソラリス」を「何度も寝てる映画ですよ」とバッサリ切ってるのがいっそ爽快。そして「ダーク・クリスタル」が地味にランクインしてるのも嬉しい。いい映画ですよ、地味に。

 って事で、とりあえず上田早夕里氏に挑戦してみようと目論んでます、はい。

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2011年3月19日 (土)

フェリペ・フェルナンデス=アルメスト「食べる人類誌」ハヤカワ文庫NF 小田切勝子訳

 1920年代には、プリモ・デ・リベラ将軍が、産業化時代の仕事のパターンに合わせてスペインの食事時間を "近代化" する計画を立て、午前11時に簡単な昼食をとることを定めたが、その時点で彼の独裁政権は運が尽きた。

どんな本?

 副題は「火の発見からファーストフードの蔓延まで」。本書は、多様な視点で食を総括する。煮炊きから電子レンジに至る調理、飼育から「緑の革命」までの食糧調達、小麦からジャガイモなど作物の移植・流行・変遷、そしてレシピからマナー等の「食べ方」。
 食事をあらゆる角度から見直し、文献を掘り起こし、分析する事を通して、人類の歴史を独特の観点から見直す、美味しい文化人類学書。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Near a Thousand Tables - A History of Food, by Felipe Fernandez Armesto, 2002。日本語訳は2003年7月に早川書房が単行本を発行し、2010年6月15日にハヤカワ文庫NFで文庫化。
 本文と解説が縦一段組み約465頁に加え、巻末に横組みで原註27頁がつく。9ポイント41字×18行×465頁=343,170字、400字詰め原稿用紙で約858枚・堂々たる長編のボリュームですな。

 人類史というおカタい内容にも関わらず、身近で興味深いテーマも手伝って、思ったより読みやすい。文化人類学を修めた人によくあるパターンの皮肉なユーモアや、ちょっとしたトリビアを随所に散りばめており、複雑でバラエティに富んだ内容ながら、読者を惹きつける力は充分にある。

構成は?

 はじめに
第一章 調理の発明――第一の革命
第ニ章 食べることの意味――儀式と魔術としての食べ物
第三章 食べるための飼育――牧畜革命:食べ物の「収穫」から「生産」へ
第四章 食べられる大地――食べるための植物の管理
第五章 食べ物と身分――不平等と高級料理の出現
第六章 食べられる地平線――食べ物と遠隔地間の文化交流
第七章 挑戦的な革命――食べ物と生態系の交換
第八章 巨人の食物――19世紀と20世紀の食べ物と産業化
 解説/小泉武夫
 原註

 大雑把な構成として、過去から現代に向かう形で綴っている。第一章は文明の黎明期の火の発見から始まり、第八章は食品産業の発展から現代の食事事情で終わる。章どうしで多少時代が重複するが、各章内も時系列で過去から今へと向かう流れの中で、豊富なエピソードを紹介していく。

感想は?

 人類史とか聞くと思わず構えちゃうけど、食べ物の話だと親近感がわく。読者の興味を惹くという点では、テーマ選定で既に成功だろう。文明の起源では欠かせない「火の発明」も、本書ではそれを「調理の発明」と捉え、「食べ物を変質させるからではなく(略)社会を変容させるからである」としている。

 焚き火は、そのまわりで人びとが食事をともにするとき、親交の場となる。調理とは、たんに食べ物を煮炊きする方法ではなく、決まった時間に集団で食事することを中心にして社会を組織する方法なのである。

 親しい人と共に食べる食事が美味しいのは、誰でも知ってるよね。逆に、人と親しくなるには、飲食を共にすればいい。だから人は歓迎会だの結成会だのと理由をつけては、宴会をする。ところがこの習慣を、現代の火、即ち電子レンジが壊している、と著者は警告する。便利ではあるけど、同じテーブルでいっしょに食べる必要がなくなり、「われわれを前社会的な進化の段階へと引き戻す」と。

 飼育というと普通は牛や羊や豚を思い浮かべるけど、著者は牡蠣とエスカルゴを例に出し、「軟体動物(巻き貝)が始まりなんじゃね?」と意外な説を展開する。「小さくて扱いやすい生き物は、大量に手に入るのなら、大きな猟獣より利点が多かったはずだ」と。そういえば、日本の遺跡も貝塚が多いなあ。

 狩猟は古代から乱獲がつき物で、「南フランスのソリュートレ近くには、旧石器時代に猟師に追われて崖から落ちた一万頭の馬の骨が眠っている」そうな。現代の狩猟といえば漁。ここでも乱獲は付きまとい、「20世紀には、漁獲高が40倍近くに増加した」。

 今、東京近郊ではちょっとした米騒動が起きてるけど、著者はジャガイモを持ち上げている。曰く、「充分な量を食べれば、ジャガイモだけで人間の体に必要なすべての栄養分を摂取できる」。実際、「ジャガイモは現在、小麦、コメ、トウモロコシについで世界の食糧消費量の第四位に位置している」とか。

 ジャガイモは高地アンデスから世界に広まった。一般に庶民は食に関して保守的なのに、なぜジャガイモは成功したのかというと、これが戦争だってんだから切ない。「ジャガイモは地面の下に隠れているので徴発をまぬがれ、農民はほかにの食べ物が不足すると、ジャガイモを食べて生き延びた」「ジャガイモの分布域はヨーロッパで戦争が起こるたびに広がり、それは第二次世界大戦までつづいた」。なんだかなあ。

 現代の洒落たレストランは、食事の皿を少しづつ運んでくる。けど、昔は一気に全ての皿を並べていた。これ、フランスが発祥だと思っていたけど。

19世紀のなかばには、ロシアが起源とされ、"ロシア風サービス" と呼ばれる給仕スタイルが西洋で流行した。これはまずフランスではじまり、そこから周辺諸国へ広まったようだ。(略)給仕の慎重かつ優雅な所作は、富裕層の後援のもとで独自の専門的な訓練を経て上演される、新しいかたちの演劇だった。

 つまり、スマートなウエイターや綺麗なウエイトレスに見とれるのは、正しいのですね。メイド喫茶はまさしく原点回帰なのです。そんな風に、食習慣は変わっていく。「イギリスでは、お茶のために何もかもが止まる五時のお茶の習慣はなくなった。昼食を一日のメインの食事とするドイツやイタリアでさえ、出勤日の時間を節約するためにオフィスのカフェテリアで食べねばならない」。

 しかし、ちゃんと古きよき習慣を守り続けている人々もいる。冒頭の引用は、スペイン人が家族との食事を大切にする様子を表すエピソード。

 小難しい歴史も、食べ物を介すと一気に親しみやすく楽しくなる。「インド カレー伝」とか「チーズのきた道」とか、この手の本って、つい手が出ちゃうなあ。

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2011年3月18日 (金)

吉川良太郎「ペロー・ザ・キャット全仕事」徳間書店

「猫は媚びる。だが猫を所有することは誰にもできない」

どんな本?

 第2回(2000年)日本SF新人賞受賞作にして、吉川良太郎のデビュー長編。近未来のフランスの暗黒街を舞台に、孤独と自由を愛するチンピラ・クラッカーのペロ-が、街を支配するパパ・フラノの鎖から逃れようと足掻く。ハイテクと猫と暴力を散りばめた、ちょっとしゃれた雰囲気のハードボイルド猫SF。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 初版は2001年5月31日。ハードカバー縦一段組みで約360頁。9ポイント41字×17行×360頁=250,920字、400字詰め原稿用紙で628枚。長編としては標準的な分量。「文学の芳香」というから少し構えて読み始めたが、スマートな文体のわりに意外と読みやすい文章だし、お話もアクションが多くてサクサク読める。

 序章と終章を含め全19章からなっていて、各章は必ず奇数頁から始まる。柱やノンブルもちょっと凝ってるし、頁の上は大き目の余白を取るなど、デザインには相当気を使っている模様。

どんなお話?

 舞台は近未来のフランス、パパ・フラノが支配する<パレ・フラノ>。若きテクニカルのペローは、故買屋アルベールの店で掘り出し物のソフトを手に入れた。エジプトの秘密警察からの流出品で、名はアヌビス。サイバネ手術をした動物を通信衛星経由で操り、見たもの・聞いたものをリアルタイムで転送する。つまりは動物に憑依するシステムだ。

 いい気になったペローは猫を買い込み、覗きで得た情報を元に強請屋商売を始める。ここはパレ・フラノ、国家の法の埒外にある。各国のVIPが集い、ある者は表沙汰に出来ないビジネスをまとめ、ある者はここだけで発散できる欲望を満たす。だが、幸福な時は続かないもので、ついにフラノ・グループの幹部シムノンに捕まり…

感想は?

 ハイテク・ノワールというオシャレでクールな第一印象とは対照的に、SFの、いや物語の大きな魅力、変身願望を叶えてくれる、原始的・本能的な快感を刺激する作品だった。

 猫になりたい。しなやかな四肢で壁に飛び上がり、街を駆け抜けたい。高い所から飛び降りで、キャット空中三回転を華麗に決めたい。そんな欲望を実現させたのが、この物語だ。主人公のペローは、アヌビスを介して、アメリカン・ショートヘアーの猫に憑依し、街を駆け、壁を走り、車の下にもぐる。ああ、気持ち良さそう。

 憑依する動物に猫を選ぶことでわかるように、ペローも自由を愛する人間だ。ソフトメーカーに4年間勤めながら、その生活を「週給奴隷」と自嘲する。母が亡くなった時でさえ、「悲しくはなかった。余計な世話をやく必要などない」とドライな反応を示す。

 パパ・フラノの幹部シムノンに首根っこを押さえられても、まず考えるのは逃げ出すことだ。ここで反撃を考えず、自分が自由になりさえすればいい、と考えるあたりにペローの人物造詣の妙がある。復讐など考えない。たとえ敵であろうとも、関係さえ絶てればそれでいい。徹底して人に無関心なのである。

 そんな彼が、ただ一人賞賛する人物が、用心棒稼業の女性、シモーヌ。手の甲と頬にアメリカン・ショートヘアーの子猫の柔毛を植えるなど、肉体に様々な改造を施している。もちろん、スタイルはダイナマイトだ…いろんな意味で。腕利きだでパパ・フラノのボディガードすら請け負うが、あくまでもそれは対等な契約仕事だ。

 自由を愛するペローやシモーヌと対照をなすのが、ファミリーの幹部でペローに首輪をつけるシムノン。若く知性的で優秀な暗黒街の顔役に相応しく、平時は極めて礼儀正しいが、必要な時は容赦なく暴力を使う。彼のイヤミな丁寧さと、突然にキレる豹変振りはゴッドファーザーを彷彿とさせる。当然、そんな彼のペット(?)は…

舞台となる世界の国際情勢が、偶然にも現実の中東情勢と重なっているのも、いいスパイスになっている。「アヌビス」は、エジプト政府が革命で転覆し、そのドサクサで流出した、という設定になっている。

 「文学の芳香」と銘打ってあるので、さぞかし気取った内省的な内容かと思ったら、とんでもない。「アヌビス」をはじめワクワクするガジェットは盛りだくさん、登場人物も鮮明な印象を残す曲者揃い、<パレ・フラノ>など舞台装置も仕掛けがわんさかで、サービス満点の娯楽作品でありました。

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2011年3月14日 (月)

中山秀太郎「機械の再発見」講談社ブルーバックス

 古来、機械の種類は非常に多いが、それらに使われているもので基本になっているのは、てことか滑車、ねじ、歯車、カムなど紀元前に考案され使用されてきたものなのである。

どんな本?

 滑車・歯車・てこなど、力や「動き」を伝え変換する、様々な機構の基礎を解説した本。機械というより、それを構成する部品のしくみと原理を紹介している。例えば歯車でも、単に回転数を変える平歯車から始まって、力を増幅する(または精度を上げる)ピニオンとラック、間欠運動を実現するつめ車など少しづつ複雑な物に続き、最終的には自動車の差動歯車(デファレンシャル・ギア)まで、豊富な図版でわかりやすく解説していく。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 1980年4月20日初版。私が借りたのは1990年3月30日の第12刷。地味に版を重ねてます。縦一段組みで本文約210頁、9ポイント43字×16行×210頁=144,480字、400字詰め原稿用紙で約362枚。量は少ないし、文章も当時のブルー・バックスにしてはかなり読みやすい上に、ほぼ1~2頁に一個の割合で図版が豊富に収録されている。時折数式が出てくるけど、面倒くさかったら読み飛ばしても大きな問題はない。

 が、意外と読み終えるには時間がかかる。というのも、図版を見て動きを想像しながら読むので、個々の図をじっくり見ながら読み進める羽目になるからだ。タルく思えるかも知れないが、動きが想像できた時の「おお、なるほど!」という驚きと喜びを味わいたければ、丁寧に見ていく方がいい。

構成は?

まえがき
1 機械の再発見
2 機械の基礎メカニズム
3 力を拡大する話
4 速度を変える技術
5 力をためる技術
6 運動をコントロールするアイデア
7 《リンク装置》をもつ機械
8 《一方向運動》をもつ機械
9 《逆止め弁》をもつ機械
10 《止まる》ための機械
11 《歯車》をもつ機械
12 永久機関などを話題として

 単純な個々の部品から始まり、少しづつ複雑な機構に進み、終盤では複数の部品を組み合わせた実用的な装置を解説する、という形で進む。特に2章はじっくり読んで、しっかり理解しましょう。この手の本によくあるパターンで、後に行くほど複雑だが身近で現実的な話になってきて、どんどん興味深く面白くなっていく。

感想は?

 「え、いまどき歯車なんて…」と思ってたけど、とんでもない。図をじっくり見ながら読んだのだが、「おお、そうだったのか!」「うは、すごい、これがあれば何だって作れるぜ!」的な楽しみに満ちた本だった。

 紹介されているものは歯車とクランクが多いかな。単純なクセに便利だと思ったのが、バイメタル。黄銅とインバー(鉄・ニッケル)を貼り合わせただけの単純なシロモノ。熱くなると、黄銅とインバーの膨張率が違うので、反ってくる。コタツなどのスイッチに使えば、「丁度いい熱さ」で電源が自動的に切れるのですね。

 こういうフィードバック系の制御装置というのは感心しちゃうのが多くて、ワットの蒸気機関の調速機も見事。回転数が上がると、自動で蒸気の供給量を減らす仕組み。今ならEFIなどICで細かく制御できるけど、こういう素朴な仕組みの方が見ていて面白いよね。

 「力をためる」で最初に出てくるのが、ばね。板ばねは紀元前2世紀からあったけど、コイルのばねが登場するのは15世紀。早速コイルばねの時計が1460年ごろに作られましたとさ。

 コイルのばねは自動車のサスペンションにも使われてるけど、飛行機の脚はもっと複雑。シリンダ内に油が出入りできる小さな隙間をあけておき、この隙間に油が流れることで衝撃を和らげている。ジャンボ・ジェットとか、個々の脚にはとんでもない力がかかるもんなあ。

 《一方向運動》をもつ機械では、シャープペンシルとボールペンが印象的。シャーペンって、ノックすれば芯が出るけど、指を離すと芯はとまる。それはどうなっているのか、というお話。ボールペンも、ノックするとペン先が出て、もう一度ノックすると引っ込むタイプがあるけど、あれはどうなっているかというと…

 他にもトイレのウォーター・ハンマー、ドア・クローザー(ドアをゆっくり自動で閉める装置)、コーヒー・メーカー、体重計、シリンダー錠など、身近で興味深い「機械」のしくみが続々と出てくる。

 最後の方では噂のスターリング・エンジンが出てくる。なんと発明は内燃機関より早い1816年。熱差を使うから回転数は上がらないと思いきや、模型でも1000回転/分を実現してるというから驚き。最近は軍用潜水艦でも実用化されたそうで、今後が楽しみな機構だよね。

 約10年間で12刷。ベストセラーとまでは言えないまでも、地味に版を重ねるのも、読み終えてみれば納得。奥付で面白い本を探すって手は、結構使えるかも。

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2011年3月12日 (土)

無事です

かなり揺れたけど、今のところは無事です。
本棚が倒れて中身を床にブチまけたけど、なんとか復旧できました。
ガスが自動で止まってたけど、既に復旧させました。
停電もなく、今はのんびりしてます。

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2011年3月11日 (金)

榊涼介「ガンパレード・マーチ2K 北海道独立 2」電撃文庫

「原さん、それじゃ足りん。靴下をはかせないと凍傷に……狩谷、俺のポシェットにピンク色のヒヨコマークが付いたソックスがある。それを履かせないと彼女は死ぬ」

どんな本?

 2000年9月28日発売の SONY PlayStation 用ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」のノベライズ。2001年12月の「5121小隊の日常」から始まったシリーズは根強い人気を誇り、10年近く続き今作で27冊目(ガンパレード・オーケストラを入れると30冊目)となる。

 さすがにこれだけ続くとお話もゲームから離れ、ゲームの舞台は熊本限定だったのが、今作では北海道が主な舞台となる。登場人物も小説独自の人物が増えてきた。ゲームに登場する5121小隊の学兵達も濃ゆい性格の人物が多いが、今作ではおぢさん・おばさんが若者に負けじとスポットを攫う。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2011年3月10日初版発行。文庫本で縦一段組み約280頁。8ポイント42字×17行×280頁=199920字、400字詰め原稿用紙で約500枚。なんと前作と測ったようにほぼ同じ分量。前巻に続き、今巻も解説もあとがきもなし。それだけならともかく、挿絵もないというのは、ライトノベル的にどうなんだろ。その代わり、29頁の特別短編「片岡歳三の受難と幸福」を収録している。文章は文句なしに読みやすい。ただ、前巻に比べユーモラスなシーンが多いためか、やや登場人物の口調のクセが強くなっている。

 これだけシリーズが続くと登場人物も相当に増えてる上に、表紙の萌を見れば明らかなように、ゲームの登場人物にも小説独自の属性が付与されている。読み始める人は、素直に「5121小隊の日常」から読み始めましょう。短編集だし、とっつき易いです。

どんなお話?

 北海道に逃れた樺山は、知事の小笠原に北海道共和国独立を唆す。北海道への強行偵察で上陸した舞と速見は、雪中の逃避行を余儀なくされる。相変わらずの戦争後遺症に悩む森と滝川。その頃、少しづつ心を開き始めた香澄に、ハンターの魔の手が伸びつつあった。はたして狩谷は彼女を守れるのか。

感想は?

 吉良潤イチ押し。前巻では小笠原の添え物のような扱いで、オフィシャルな顔しか見せなかった彼女、今作では大胆な活躍を見せ、心地よい啖呵を切ります。いやあ、クールで毒舌な知的美人っていいよね。藤代さんが成長したら、ああなるのかなあ。次巻では是非口絵をお願いします。

 そんな彼女に救いの手を差し伸べるのが、実に趣味の悪いアレで…。某氏の疫病は相当に感染力が強いらしく、組織のアチコチに浸透している模様。そりゃ警戒するわなあ。敵も己の目を疑うだろうから、多少は時間稼ぎになるだろうけど。

 ここ暫くメインヒロインの座が危うくなっていた舞、今作では見せ場が結構あります。ガンパレード・オーケストラ緑の章でもヤられていた舞、今作ではやっと運命の恋人と出会えた模様。しかしあのツケの回し方は、原の教育の成果と言っていいのかな。滝川と森に対抗意識を燃やしているけど、ソレは…まあ、いっか。

 話が盛り上がってくるとしゃしゃり出てくる変態短ズボン。今回もどこからか騒ぎを聞きつけて、勝手にもぐりこんできます。なんだかんだ言いつつ、奴が出てくると一気に雰囲気が明るくなるんで、実はムードメーカーとして欠かせない人材なのかも。本人は必死に否定するだろうけど。しかし生徒会長閣下も懐が深い。やや線が細い感のある息子の教材としては、それなりに役に立つとでも思ってるのかしらん。

 暗い予感の話が続く本編に対し、末尾の特別短編「片岡歳三の受難と幸福」は温かい後味の掌編。浅井総合研究所の内幕が少しだけ覗けます。つか浅井、「ひどい男だね」とか言ってないで止めろよw しかし、そういう所でそういう風に職能を活かしますか。これだから軍人上がりは。

 全般的に、今まで暗い雰囲気が続いていたのが、今巻ではユーモラスな場面が多く、シリーズ開始当初の感触が戻ってきた模様。特別短編も読後感が爽やかだし、今後もこんな風に短編を挟んでくれると嬉しいなあ。矢吹家の一日とか。

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2011年3月 9日 (水)

デイヴィッド・R・ウォレス「哺乳類天国」早川書房 桃井緑美子・小畠郁生訳

「巨大なものに退屈なものはない。湧き起こる感情がどんなものであれ、かならず心を揺さぶられる。科学者が苦労してよみがえらせたすばらしい過去を人々に披露しようとするとき、その時代には巨大な生き物がいたのだと述べたがるのはそのためだろう」
「しかし、同時に小さい生き物もいた。いかめしくも尊大でもないが、小型の動物たちは支配者たる爬虫類よりも重要だった。その存在はやさしく柔和なものが出現する兆しである。小さい生き物が地球を引き継ぐのだ」

どんな本?

 「恐竜絶滅以後、進化の主役たち」と副題がついている。18世紀末のジョルジュ・キュヴィエから現代のスティーヴン・ジェイ・グールドまで、(古)生物学者たちの論争・政争を通して、進化論の成立と変転を、(古代)哺乳類の研究を中心に描くノンフィクション。学者たちが欲や妬みにまみれ、政治工作やメディア攻勢など様々な策を弄して競い争う姿を、人間臭くなまなしく描き出す。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Beasts of Eden - Walking Whales, Dawn Horses, and Other enigmas of Mammal Evolution by David Rains Wallans, 2004。日本語版は2006年7月31日初版発行。翻訳文は、イマイチかなあ。冷静な文体だけど、科学解説書というより人物列伝の部分が多いんで、もう少し扇情的というか柔らかい文章の方が内容にあってる気がする。

 ハードカバー縦一段組みで本文約410頁、45字×19行×410頁=350,550字、400字詰め原稿用紙で約877枚。長めの長編ぐらい。加えて「原註」と「主な参考文献」が46頁。巻末の地質年代表は、とっても親切。

 「訳者あとがき」の末尾に「付録としてこの絵(ルドルフ・ザリンガーの『哺乳類天国』)のカラーの全図が添付されている」とあるけど、私が借りた本にはついてなかった。ちと問い合わせねば。

構成は?

プロローグ 壁画と化石と
1 カタコンブの厚皮動物
2 ジキル博士とストーンズフィールドの顎
3 哺乳類の起源
4 高貴なる征服
5 恐ろしい角と鈍い脚
6 ミスター・メガテリウムとプロフェッサー・ミロドン
7 地の果ての火獣
8 巨獣(タイタン)の行進
9 五本指のウマとミッシングリング
10 姿を見せないドーン・マン
11 獣のナポレオン
12 愛と理論と
13 キノドンからスミロドンまで――シンプソンの総合説
14 移動する大陸
15 祖先をたどって
16 動物相を吹き飛ばす衝撃
17 シェルハンターの逆襲
18 よみがえるシンプソン
19 キジルクム砂漠の風泥棒
20 蛇が差しだす果実
21 真猿類をめぐる抜きつ抜かれつ
エピローグ 新生代の自然公園
 訳者あとがき
 解説/小畠郁生
 主な参考文献
 原註

感想は?

 スティーヴン・ジェイ・グールドは論争だとやたら好戦的で攻撃的という印象があったけど、どうもそれはグールドだけの特質じゃなくて、古生物学者は全般的に攻撃的な人が多い、というか扇情的な言葉で論争する文化があるんだな、と変に納得した。学歴に拘らず実績重視であり、妙にトンガった人が多いみたい。

 いきなり第二章に出てくるイギリスのリチャード・オーエンの変人ぶりを示すエピソードが面白い。16歳で医師の徒弟になり、死体解剖の仕事を手伝う。最初はビビっていたが、やがて「この仕事の虜になる」。

守衛に金をつかませて刑務所に忍び込み、自宅で解剖するつもりでその男の頭部を盗み出したが、凍てついた坂で足を滑らせて落としてしまう。…男の首は坂の突き当たりの家の戸にぶつかった。私は勢いあまって、扉を開けると同時に中に飛び込んだ。悲鳴がして、女の服の裾がさっとひるがえった。

 モンティ・パイソンのギャグかい。逆にクールなのがアメリカのオスニエル・マーシュ。

ジョージ・ハルという不心得者が聖書の『地中の巨人』を信じる聖書原理主義者をいっぱい食わせてやろうと、石膏で三メートルの巨大な人形を作ってニューヨーク州北部のカーディフという小村に埋めた。…大評判になり、悪ふざけの犯人たちはしばらくそれを見世物にして荒稼ぎした。だが、マーシュは人形をひと目見るなり指摘した。
 「もしこの巨人がわずか数年でも地中に埋まっていたなら、軟らかい石膏にありありと残る彫り痕は地下水に洗われて消えているはずだ」

 そこで止めときゃカッコいいのに、余計なひと言を加えるあたりが古生物学者の伝統か。

 「古い物でないのは一目瞭然なのに、誰一人それを見抜く科学者がいなかったとは驚きだ」

 原著者は断続平衝説がご贔屓らしく、ジョージ・ゲイロード・シンプソンの項でそれとなく伏線を張っている。

 今日でも化石の実物を見たことのない書き手は、剣歯ネコの犬歯は「定向進化」によってどんどん大きくなり、ついには大きくなりすぎたせいで剣歯ネコは絶滅したのだと述べたがる。(略)初期の剣歯ネコと最後の子孫とは、牙の大きさがほぼ同じだった。この動物が繁栄した約4000万年あまりのあいだに、犬歯はときにランダムに、ときに多様な体の大きさと習性に応じて利点となるように、さまざまな大きさに変化したのである。

 なんでそうなるのか、ってのを説明するのが断続平衝説。

「平衝」とは、うまく適応している種は周囲の環境が変化しないかぎりほとんどへんかしないという意味であり、「断続」とは、環境が変化して適応がうまくいかなくなると新しい種が急激に進化するため、移行期の形態が化石記録に残りにくいということである。

 種は急速に出現・絶滅し、いったん安定状態に入ったら、あんまし変化しないって説ですな。リチャード・ドーキンスはそれに対し「ま、程度の問題じゃね?」と宥めてたような気がする。

 後半になると、大陸移動説・小惑星衝突説・DNA解析技術と刺激的な話題が飛び出してくるのだが、文章はそれぞれに対し意外と冷静に述べている。人物像に深く切り込むテーマだけに、余震が続いていて、あまし明瞭に書けないのかしらん。

 お話はイェール大学ピーボディ博物館の壁画、ルドルフ・ザリンガーの筆による「哺乳類の時代」を狂言回しに進む。やはり絵の持つ影響力は大きいんだなあ。

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2011年3月 6日 (日)

ジョージ・R・R・マーティン他「ハンターズ・ラン」ハヤカワ文庫SF 酒井昭伸訳

「おまえの心臓は鼓動している。おまえは気体を交換している。おまえがそれらをしているのは、ひとつの目的のためだ。目的を持っていながら目的を持たないことは、相互に矛盾する。おまえの言語は欠陥が多く、幻影としての状態を表現できる。おまえの目的は、われわれがその人間の居場所をつきとめる手助けをすることにある。おまえに目的がないのなら、おまえの存在という幻影は消去されなければならない」

どんな本?

 <氷と炎の歌>で売れっ子のジョージ・R・R・マーティン、編集者・アンソロジストとして活躍しているガードナー・ドゾワ、それに若手(というほど若くもないけど)のダニエル・エイブラハムの三人による長編冒険SF。ドゾワらしいひねくれた設定の世界と、マーティンらしい人間臭く利己的な登場人物たちの行動の対比が鮮やかだ。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Hunter's Run by George R. R. Martin, Gardner Dozois and Daniel Abraham, 2007。日本語版は2010年6月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約477頁。9ポイント41字×18行×477頁=352,026字、400字詰め原稿用紙で約881枚。一巻の長編としてはやや厚めかな。文章はいつもの酒井さんで、翻訳物の雰囲気と読みやすさのバランスは見事。ただ、主人公がガラの悪いメキシカンなので、多少お行儀が悪いのはご愛嬌。

どんなお話?

 時は遠未来。人類は宇宙に進出したが、そこは幾つかの大種族が支配する世界だった。新参で技術も持たない人類は隅に追いやられ、あてがわれるのは辺境で未開の星系のみ。星系間の航行には数百年の時間がかかるため、各植民惑星は強い自治権を持つ。

 舞台はそんな植民惑星のひとつ、サン・パウロ。メキシコからの移民ラモン・エスペホは、鉱山師だ。ひとりで前人未到の山に入り、鉱脈を見つけて稼いでいる。街で飲んでいたラモンは、はずみでエウロパ大使を殺してしまった。ほとぼりを冷ますために山に入ったラモンは、奇妙な人工物を見つけるが、そこで謎の異種属に捕獲されてしまう。異種属から、脱走した人間を追う猟犬役を命じられたラモンは…

感想は?

 デーモン・ナイトの「なぜSFの主人公は中産階級の白人ばかりなのか」という不満への回答としてメキシカンを選んだそうだけど、これが大当たり。孤高を気取るマッチョ志向で、一発あてる事を夢みる山師というラモンの人物造形は、この作品の主人公に相応しい。

 山師という商売は洋の東西を問わず胡散臭いものらしく、ラモンも街では場末の酒場に出入りする、貧しい荒くれだ。植民惑星サン・パウロでは、先に移民したブラジル系がはばをきかし、メキシカンは一段下に見られている。もうひとつ上のレベルに目を上げれば、この世界だと人類は弱小種で、先に宇宙に進出したエニュなどのおこぼれにあずかって生きている。

 こういう世界観を読者に納得させる上で、メキシカンという造形が効いてくる。「つまりこの宇宙での人類の立場は、今のアメリカでのヒスパニック系の立場みたいなもんだよ」と、直感的に理解できるのだ。

 そういう底辺の立場にありながら、威勢だけはいいラモン。開幕から酔って喧嘩し、山に高飛びする羽目になる。ここでの自然描写とサバイバル生活の模様が、冒険スペース・オペラの定番に沿っていて、なかなかエキゾチックで楽しめる。こいうのは土着生物のデザインが重要なんだけど、ベテラン山師のラモンまで怯えさせる凶暴な○○の命名が見事。

 スペース・オペラで欠かせないのが、異星人。この物語でラモンを捉える異種属が、これまた傲慢で冷酷なわりに論理的。ラモンの扱いも実用一点張りのくせに、妙に間抜けなのが笑える。「人間を理解するため」に立小便を覗くんですぜ。この性格、なんか最近見たなあと思ったら、某QBだった。

 中盤以降はラモン&異種属と獲物のチェイスとなるのだが、ここでもドラマ作りに慣れたマーティンのこと、謎は二重底三重底。獲物の正体、異種属の来歴、そしてこの世界の秘密に至るまで、あっと驚く展開が待っている。

 そして、エンディング。このエンディングでも、ラモンの人物造形が光ってる。マーティンとドゾワだから一筋縄じゃいかないだろうと思ってたけど、裏切られたわ、いろんな意味で。いやあ、爽快ですよ、ええ。やっぱり、冒険物語はこうでなくちゃ。

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2011年3月 2日 (水)

セバスチャン・ユンガー「パーフェクト・ストーム」集英社 佐宗鈴夫訳

 船が浸水すると、最初に起こるのは電気系統のショートである。明かりが消え、すこしの間、照明はショートしてスパークする青い光だけになり、それが弧を描いて海に落ちていく。

どんな本?

 副題は「史上最悪の暴風に消えた漁船の運命」。1991年10月末、アメリカ・カナダの東海岸を襲った暴風雨で、六人乗りのメカジキ漁船アンドレア・ゲイル号が消息を絶つ。アンドレア・ゲイル号の遭難を中心に、アメリカ東海岸の漁船乗組員の生活と仕事の風景、暴風雨の仕組みと船が遭難する様子、そして遭難救助に赴くレスキュー隊員たちの姿を、丹念な取材で立体的に描いたルポルタージュ。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は The Perfect Storm by Sebastian Junger, 1997。日本語訳は単行本が1999年7月31日発行、2002年11月に集英社文庫に収録。縦一段組みで約300頁、45字×20行×300頁=270,000字、400字詰め原稿用紙で約675枚。小説ならやや厚めの文庫本程度かな。

 文章はよく言えば冷静で写実的、悪く言えば愛想がない文体。数十メートルの高波に漁船が揉まれるなど、映像化すればド迫力の場面が頻出するのに、文体は理知的でクールなので微妙に違和感が残る。

構成は?

まえがき
ジョーンズバンク 1896年
マサチューセッツ州グロスター 1991年
神の恵みの豊かな国
フレミッシュ・キャップ
巻揚機のハンドル
大西洋の墓場
復元偶力零点
生者の世界
地獄へ
死者の夢
あとがき
 謝辞
 訳者あとがき
 第七八永伸丸の『パーフェクト・ストーム』――魚撈長の証言

 冒頭はアメリカ東海岸の漁業の歴史から始まり、アンドレア・ゲイル号の乗組員たちの陸での生活ぶりを通し、一般的なアメリカの漁師の生活ぶりを紹介する。中盤ではメカジキ漁の風景から、暴風雨のメカニズムを解説する。終盤では遭難救助に当る沿岸警備隊と空軍州兵が登場する。日本語版に付属の、第七八永伸丸魚撈長だった西村誠司氏のインタビューは、おまけとしてはあまりに豪華。

感想は?

 漁師といえば豪快という印象があるけど、その理由がわかるような気がする。豪快でなきゃ、続かないんだろう。危険が多い上に、経済的にも浮沈が大きいのだ。

 冒頭近くでアンドレア・ゲイル号の漁の収支が細かく出てくる。一ヶ月の漁で売り上げは$141,582。諸費用が約$35,000。その内訳も細かく出ていて、はえ縄漁の漁具は二万ドルだそうだ。船長の取り分は約$20,000、船員は年功で$6,453・$5,495・$4,537など。相場が高けりゃ取り分は大きいけど、大漁の船が先に港に入ってれば相場は下がって取り分は減る。もちろん不漁も怖い。海での生活も厳しい。「一日二十時間、ニ~三週間ぶっつづけで働」くのだ。

 長さ40マイル(≒60km)のはえ縄に、無数の枝縄と釣り針がぶら下がる。えさはイカだ。釣り針は危険で、「乗組員の顔に釣り針がかかって、頬骨の下まで突き刺さり、眼窩から飛びだしてきたことがある」とか。他にも指を持っていかれた乗組員の話が出ている。

 月の満ち欠けも漁獲に影響があるとかで、「月が満ちていくときに操業する漁船のはえ縄には、小物のオスがかかりやすい。月が欠けていくときに操業する漁船のはえ縄には、大物のメスがかかる」そうな。

 中盤からは書名どおりの暴風雨の記述が続く。「どうやら平均波高は徐々に高くなっている」「イギリスの沖合いの波は、この二十年間で25%高くなっている」と不吉な予言をしている。理由の一つはタンカーからの原油流出が減った事で、海面に広がった原油の皮膜が毛管波の発生を抑え、風の影響が減るのだとか。昔の船乗りが波を抑えるために油を流したというのは、理に適ってたんだね。

 終盤近くで登場する、空軍州兵のパラシュート・レスキュー隊員の訓練が凄い。

 志願者たちは模擬ヘリコプターの機内に縛りつけられるて、水中に沈められる。なんとかうまく脱出できれば、逆さまに沈められる。これもまた脱出できれば、目隠しをされて逆さまに沈められる。

 なんでそこまでシゴくのかというと、「教官たちとしては、とにかく厳選しなければならなかったんだ」。本番で死ぬより、訓練で失格する方がマシって事ですか。

 そんな厳しい描写が続く本書の中で、異色なのが、末尾の「第七八永伸丸の『パーフェクト・ストーム』――魚撈長の証言」。後半ずっとパニック映画そこのけの場面が続いた後の、西村氏の落ち着いた語りが、アメリカ人と日本人の感情表現の違いを際立たせている。なんと、あの嵐の後、修理のため15日間ハリファックスに滞在したが、また漁を続けて日本に帰ったのは一年後だとか。氏曰く「わしら、マグロ漁船は転覆せんと思っとるんでね」。

 事実、大型汽船の真横にぶつかり、そのままその汽船を真っ二つにしてしまったとか、知らずに旧ソ連の潜水艦に乗り上げてそのまま沈めてしまった()とかいうように、日本漁船の頑丈さを示す逸話は多いようだ。

 扇情的なタイトルとは裏腹に、暴風雨に翻弄される漁船を中心に、はえ縄漁の実際や乗組員の生活、漁業が抱える問題、高波のメカニズムとその脅威など、丹念な取材に支えられた臨場感あふれる真面目なドキュメンタリーだった。

  • 沈めた潜水艦は旧ソ連所属ではなく、ペルー海軍所属のパコーチャらしい。1943年に合衆国海軍潜水艦アトゥルとして就航し、1974年にペルー海軍が買い取る。1988年にペルー沖で遠洋マグロ漁船の第8共和丸と衝突して沈没。詳しくは Wikipedia のアトゥル(潜水艦) を参照してください。

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