ベルナール・ウェルベル「蟻の革命」角川文庫 永田千奈訳
「世界が変えられないなら、何のために生きるというの?」
「楽しむためさ。快適な生活、たわわな果実、顔に受ける雨の温かさ、草にねころぶこと、太陽のぬくもり、最初の人間、アダムの時から、みんなそうなんだ。アダムは知識を得ようとしてすべてを駄目にした。人は何も知る必要なんてないんだ。ただ、今あるものを甘受するだけでいいのさ」
どんな本?
フランスの作家、ベルナール・ウェルベル(ウエルベル)による、ファースト・コンタクトSFであり、「蟻」「蟻の時代」に続く三部作の完結編。もちろん、コンタクトの相手は、蟻。そう、誰もが知っている、地面に巣を作る、昆虫の蟻です。センス・オブ・ワンダー溢れるエイリアン・蟻の生態も魅力ながら、日本SFとも英米SFとも違うフランスSFの新鮮な味わいに満ちている。
いつ出たの?分量は?読みやすい?
原書は La Revolution des Fourmis by Bernard Werber, ALBIN MICHEL, 1996。「蟻の時代」から5年後の刊行。日本語訳は2003年9月25日に角川文庫より発行。文庫本で縦一段組み、本文が約780頁。8ポイント42字×19行×780頁=622,440字、400字詰め原稿用紙で約1557枚の大長編。
刊行に間が空いたために著者の文体が変化したのか、訳者が変わったためか、文書が少し詩的になっている。「星々の蝶」ではそれが心地よいリズムを生み出してたけど、この作品では、そこまで徹底しきれていない。
冒頭に「これまでのあらすじ」を一頁にまとめてあるが、これで前作が理解できる人はまずいないと思う。素直に第一作目の「蟻」から読むのを薦めます。
どんなお話?
19歳の女子高生ジュリー・パンソンは、父親とフォンテーヌ・ブローの森を散策している時に、アタッシュ・ケースを拾う。中には、大きな厚い本が入っていた。「相対的かつ絶対的知の百科事典 第三巻」エドモン・ウェルズ。
赤アリの103683号改め103号は自由を求めて人間達の庇護下から脱出し、ただ一人(?)で故郷のベル・オ・カンへ向かっていた。『指』とのコンタクトに成功した事、そしてベル・オ・カンに危機が迫っている事を知らせるためだ。
物語は、「相対的かつ絶対的知の百科事典」の入手をきっかけに変貌する女子高生ジュリーの認識と運命、フォンテーヌ・ブローの森で起きた殺人事件を追う敏腕警視のマクシミリアン・リナール、そしてお馴染み赤アリの103号の大冒険の合間に、エドモン・ウェルズの遺作「相対的かつ絶対的知の百科事典」の怪しげな抜粋を挟む、お馴染みの形式。
感想は?
「蟻」「蟻の時代」に比べると、読み手に慣れが出来たせいか、多少インパクトは弱まったかな、という印象。このウェルベールという作家、何せアクの強い人だけに、初見の新鮮さが薄れるのは仕方がない。
それを本人も判っているのか、この作品では人間パートにも力が入っている。なんたって、主人公は長い髪の美少女ジュリーですぜ。しかも黒い服がお気に入りの、繊細な大人しい子。いいねえ、神秘的で。ジュリーが例の百科事典に触発され、少しづつ変わっていき、仲間とめぐり合って…というのが、人間パートの重要な軸。
ところで230頁、彼女の歌を例える場面で「パット・ベネタール」とあるのは、パット・ベネター(Pat Benatar)ではなかろうか。おぢさんはハートのアン・ウィルソンとマジェンタのクリスティーナ嬢を思い浮かべました、はい。
一見、ニューエイジ風のオカルトかぶれな雰囲気があるかと思えば、あっさりと次のシーンでそれを茶化す、真性なのかネタなのかわからない正体不明な所もウェルベルの魅力。それはこの作品でも健在で、相変わらず「相対的かつ絶対的知の百科事典」は胡散臭さプンプン。鵜呑みにせず、ちゃんと正誤を確認しましょう。
赤アリの103号、かつては若き兵士だったのが、ここでは齢三歳の老兵となっている。だが老いたとはいえそこは兵士、今作でも冒険の旅を繰り広げる。ベル・オ・カンへの帰還の旅も、最初は一人だったのが、すぐに仲間とめぐり合い…。その後、とんでもない運命が103号に降りかかる。つくづく、落ち着かない主人公だよなあ。
お馴染みマッチ棒のパズルも健在。「蟻」では4つの正三角形、「蟻の時代」では6つの正三角形だったのが、今回は8つの正三角形を作れ、ときた。とまれ、今回の回答は反則な気がする。そりゃ、ルールには明記されてないけどさあ。
イチャモンついでに、もうひとつ。人類と動物の軍事同盟の話が出てくるけど、もっと古くて有名なのがあるのに、なんで出さないのかなあ。戦は機動力がキモですぜ。
「ああ、フランスの作家だなあ」と感じるのが、食事のシーン。ウズラ・エスカルゴ・カエルなど、人によってはゲテモノとすら取られかねない食材を、美味しそうに食べている。こういう多様な食材へのチャレンジ精神は、流石フランス料理を生み出した国だけあるなあ、と関心してしまう。この辺は、中華料理を生み出した中国と似ているかも。
この三部作の主題を、今作中で綺麗にまとめてある。ネタばれを避けるために一部を改変した上で引用する。
第一巻ではふたつの文明の出会いを描く。第二巻ではその対立が主題だ。だが、ふたつの文明はお互いを壊滅させることなどできないと気づき、協力関係を結ぶ。それが最終巻だ。
”<出会い、対立、協力>、ふたつの異なる考えが接触するとき、そこにはきっとこの三つがあると思う”
果たして、人類と蟻は協力関係を結べるだろうか。
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