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2011年2月の15件の記事

2011年2月28日 (月)

藤沢周平「凶刃 用心棒日月抄」新潮文庫

 元締役人はわが金を惜しむがごとくに出費を惜しむと言われるが、ほんとだなと思っていた。藩の金を預る役人が、あまり気前がよくても難があるかも知れないが、理由のある出費を惜しむのはただの役人根性に過ぎぬ。

どんな本?

 時代小説の名手、藤沢周平の人気シリーズ用心棒日月抄の、第四部にして堂々の完結編。

 今作は全三作と全く趣が違う。今までは連作短編の形だったのが、今作は一つの長編となる。また、今作は設定が前作から16年後であり、主人公の又八郎も40代半ば。今までは若さに任せ無茶をしていたが、今作では歳相応の落ち着きをみせる。前作から流れた16年の歳月が、本作の読みどころ。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 Wikipeda によれば、初出は「小説新潮1989年3月号から1991年5月号まで断続的に掲載」。単行本は1991年に新潮社より刊行。1994年6月に新潮文庫で文庫化。私が読んだのは文庫で2006年9月の36刷。12年に36刷だから、毎年3刷を重ねてる勘定になる。根強く愛されてます。

 文庫本で縦一段組み、本文が約430頁。9ポイント38字×16行×430頁=約261,440字、400字詰め原稿用紙で約654枚。長編としては標準的な長さ。文章は相変わらずの読みやすさだが、内容が謎解きの要素が強く、登場人物も多く入り組んでいるため、注意深く読まないといけない。まとまった時間をとって、一気に読むのが吉。

どんなお話?

 某藩の藩士、青江又八郎。今まで三度、事情により脱藩して江戸で暮らし、舞い戻る。江戸では浪人仲間の細谷源太夫と共に、剣の腕を活かした用心棒稼業で糊口をしのぎ、藩命を果たしてきた。若い頃は日々の米にも困ったが、今は40も半ば、近習頭取の役職につき、百六十石の禄がついている。愛妻由亀との間にも三人の子ができ、仕事も家庭も順調だ…下腹も順調に育っているのが困りものだが。

 近く藩命で半年ほどの間、江戸勤めになるので、その準備をしていたところ、特に面識もない寺社奉行の榊原造酒より呼び出された。かつて又八郎が関わった藩の秘密組織、嗅足組を解散するにあたり、江戸の鍵足組を仕切る佐知への伝令を頼まれたのだ。だが、鍵足組の周辺には、藩内の不気味な動きと共に、公儀隠密も跳梁していた。

感想は?

 渋い。所々に飄々としたユーモラスな描写が見られた前三作に比べ、今作はどっと重くシリアスな雰囲気で話が進む。何が重いかといえば、それは前作以降に流れた十六年の歳月。

 主人公の又八郎は下腹が出て、己の剣への過信もなくなる…どころか、年取った体を不安がる描写がアチコチにある。今まで空いた時間は自堕落に寝て過ごしてたのが、今作では自ら道場で朝稽古までしている。随分と変わったなあ。

 歳月が最も残酷に出ているのが、かつての気のいい相棒、細谷源太夫。彼との再会シーンも相当に厳しいが、彼の娘とのシーンはもっと酷い。私は細谷が好きだったので、悲しかったよ。でもまあ、彼の性格を考えると、やっぱりこうなっちゃうのかなあ。でもなあ。なんだかなあ。

 前作までと違い、今回は堂々と藩命を受けて江戸に出てきているので、用心棒稼業で日銭を稼ぐ必要がないので、細谷と組んで活躍する場面は少ない。その分、今作で又八郎の相棒を勤めるのが、ヒロインの佐知。嗅足組の指揮者に相応しく、調査に乱闘に活躍するばかりか、私事でもイロイロと、まあ、アレです。又八郎もげろ。

 起居も前作までの町人長屋ではなく、藩の長屋で賄いつきだ。今までお櫃の底を恨めしげに眺めていた又八郎、今作では飢える心配だけはなくなっている。そのためか、食事シーンはかなり贅沢になった。随所でそれとなく故郷の名産、「醤油の実」や「カラゲ」を紹介している。体重が気になる人は、深夜に読むのは避けるべし。ちなみに「醤油の実」とは。

醤油のしぼり滓に糀(こうじ)と塩を加え直して発酵させ熟成したもので、素性は貧しい喰べ物である。しかしその独特の風味には捨てがたいところがあって、近ごろははじめから醤油の実そのものを作る糀屋も城下に現われ、この貧しくて美味な副食は、上下を問わず城下の家々で愛用されていた。

 貧しい者から富める者へ広がった食物なんだもの、そりゃ美味しいに決まってる。白い炊き立てご飯によく合いそう。終盤近く、つぐみを食べるシーンもあって、これがまた腹が減るから困る。

 解説は川本三郎氏。あっさりと見所の場面のネタを割っちゃってるんで、解説を先に読む癖のある人は要注意。素直に本文を読み終えてからにしましょう。

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2011年2月27日 (日)

藤沢周平「刺客 用心棒日月抄」新潮社

「ええと、深川の川浚い人足。これは寒うございましょうな。とすると、ほかには米屋の臨時雇い、長禄寺の石垣積み、と。これは力仕事か。ええーと、紅梅屋の旦那のお供、おや、これは駕籠の片棒のご注文だった」

どんな本?

 なんとか宿敵の大富静馬を討ち果たし、晴れて帰参を果たした青江又八郎。馬廻り百石の禄は戻ったものの、吝い間宮中老からは何の臨時手当もなし。せめて由亀とイチャイチャの新婚生活を送ろうか…と思ったのもつかの間、またもや血生臭い密命を受け、脱藩する羽目に。

 時代小説の名手、藤沢周平の人気連作短編シリーズ第三弾。今までは又八郎が用心棒として請け負う仕事の比重が高く、藩関係が脇に回っていたが、今作では藩からの密命の比重が高くなり、より連作としてのまとまりが強まっている。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 初出は小説新潮1981年11月号~1983年3月号。単行本の初版は1983年7月に新潮社から。文庫本は1987年に新潮文庫より。私が読んだのはソフトカバーで2003年1月30日初版、2004年10月25日の二刷。縦一段組みで本文約336頁、10ポイントの見やすい文字はおぢさんには有り難い。42字×18行×336頁=254,016字、400字詰め原稿用紙で約636枚、文庫本ならやや厚め、かな。

 熟練のエンタテナー藤沢氏の看板作品だけあって、読みやすさは抜群。時代小説らしく、当時の言葉遣いの会話も多いんだが、リズムがいいためかスイスイ読める。もちろん、物語の面白さが読者を引っ張ってる部分は、充分にあります。

収録作は?

陰の棟梁
 せめて細谷源太夫の仕官だけでも世話して欲しいと間宮に頼む又八郎だが、十石二人扶持の水番しかない。それでも一応細谷に問い合わせたところ、やはり断りの手紙がきた。大富派の処分は最小限となり、寿庵様には釘をさす程度。これで一安心と思ったのもつかの間、また不穏な事件が…
 江戸で苦労しただけあって、又八郎もいろいろとちゃっかりしてきてる。それでも、間宮みたいな齢経た狸には手玉に取られるんだけど。
再会
 三たび江戸に戻った又八郎、今回は慣れたもので、長屋を決めたらすぐ職探し、さっそく相模屋の吉蔵を訪ねる。手駒が増えた吉蔵は大喜び、喜んで払いのいい仕事を回してくれた。が、これがクセ物で、凶暴な夜盗に狙われた下屋敷の警護、決して楽な仕事じゃない。
 今作のメイン・ヒロインを張る佐知が、やっと登場する。佐知との仲を怪しむ吉蔵に、又八郎はあれこれ言い訳してるけど、実際、吉蔵の懸念どおりだよなあ。
番場町別宅
 敵の行方は知れないが、敵は既に手を回していた。佐知の配下の娘、はるが拉致されたのだ。懐にも余裕があることだし、佐知と共に探索に動く又八郎。
 「ああ、作品の主題が大きく変わったな」と感じさせる一作。今までは用心棒稼業の記述が先にあり、藩命が後という形式が中心だったのに対し、ここでは用心棒稼業が後になっている。その用心棒稼業も慣れたもので、見事な貫禄を見せる。
襲撃
 今度の仕事は安いが、気心の知れた細谷と一緒だ。まあさんと孫娘の警護で一日二百文。それも仕方がないと引き受けはしたものの、このばあさんがとんでもなく口煩い上に人使いが荒い。
 気楽な一人暮らしに慣れてきた又八郎のダメ生活ぶりが、なんとも人間臭くていい。序盤と最後に激しいアクションを入れる、いかにも映像向きの作品。珍しく最後にオチがついてる。
梅雨の音
 ついに佐知までが襲われた。なんとか命は取りとめたものの、先立つ物がない。ということで、慣れた用心棒稼業に精出す又八郎。今度の仕事は一日二分、なかなか美味しい仕事だ。護衛する相手は四十前後の浪人だが、金回りは悪くなさそうだ。
 護衛相手が狙われる理由が、なんともはや。又八郎、他人事じゃないぞ。
隠れ蓑
 今度の仕事は、珍しく相模屋を通さず細谷が持ってきた。細谷と交替で、商家の旦那を送り迎えして一日一分。こりゃいい仕事だわい、と思ったが、さすが商家、銭勘定はしっかりしている。
 護衛対象の商人の六兵衛の人物像が光ってる。危険はあっても妾宅通いはやめない徹底した助平根性、でも商売は商売として必ず朝には店に居る商人魂。商人は逞しいねえ。
薄暮の決闘
 なんと、細谷に仕官の望みが出てきた。中間の雇われ先で腕を見せる機会があり、気に入られたとのこと。又八郎の仕事はご隠居の警護。歳はとっても足は達者で、よく出歩いていたのだが、どうも最近は耄碌したらしく、何者かに怯えている模様。
 この作品は、最後のアクションの緊迫感がいい。やっぱり、八双は小物・曲者の匂いがして、どうもなあ。ああいう正攻法こそ、強敵に相応しい。
黒幕の死
今作の最後を飾るに相応しい、謎解きとアクション全開の作品。

 刺客という物騒なタイトルに相応しく、前作に比べユーモアは控えめで、アクション主体に仕上がってる。佐知との仲も、まあ、大人っぽくアレです。今までの飄々とした軽さに変わり、人生の先行きの不安も時折漂って、時の流れと又八郎の成熟が感じられる、三部作の終幕に相応しい作品。あ、いや、この後に長編の「凶刃」が続くんだけど。

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2011年2月26日 (土)

ベルナール・ウェルベル「蟻の革命」角川文庫 永田千奈訳

「世界が変えられないなら、何のために生きるというの?」
「楽しむためさ。快適な生活、たわわな果実、顔に受ける雨の温かさ、草にねころぶこと、太陽のぬくもり、最初の人間、アダムの時から、みんなそうなんだ。アダムは知識を得ようとしてすべてを駄目にした。人は何も知る必要なんてないんだ。ただ、今あるものを甘受するだけでいいのさ」

どんな本?

 フランスの作家、ベルナール・ウェルベル(ウエルベル)による、ファースト・コンタクトSFであり、「蟻」「蟻の時代」に続く三部作の完結編。もちろん、コンタクトの相手は、蟻。そう、誰もが知っている、地面に巣を作る、昆虫の蟻です。センス・オブ・ワンダー溢れるエイリアン・蟻の生態も魅力ながら、日本SFとも英米SFとも違うフランスSFの新鮮な味わいに満ちている。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は La Revolution des Fourmis by Bernard Werber, ALBIN MICHEL, 1996。「蟻の時代」から5年後の刊行。日本語訳は2003年9月25日に角川文庫より発行。文庫本で縦一段組み、本文が約780頁。8ポイント42字×19行×780頁=622,440字、400字詰め原稿用紙で約1557枚の大長編。

 刊行に間が空いたために著者の文体が変化したのか、訳者が変わったためか、文書が少し詩的になっている。「星々の蝶」ではそれが心地よいリズムを生み出してたけど、この作品では、そこまで徹底しきれていない。

 冒頭に「これまでのあらすじ」を一頁にまとめてあるが、これで前作が理解できる人はまずいないと思う。素直に第一作目の「蟻」から読むのを薦めます。

どんなお話?

 19歳の女子高生ジュリー・パンソンは、父親とフォンテーヌ・ブローの森を散策している時に、アタッシュ・ケースを拾う。中には、大きな厚い本が入っていた。「相対的かつ絶対的知の百科事典 第三巻」エドモン・ウェルズ。

 赤アリの103683号改め103号は自由を求めて人間達の庇護下から脱出し、ただ一人(?)で故郷のベル・オ・カンへ向かっていた。『指』とのコンタクトに成功した事、そしてベル・オ・カンに危機が迫っている事を知らせるためだ。

 物語は、「相対的かつ絶対的知の百科事典」の入手をきっかけに変貌する女子高生ジュリーの認識と運命、フォンテーヌ・ブローの森で起きた殺人事件を追う敏腕警視のマクシミリアン・リナール、そしてお馴染み赤アリの103号の大冒険の合間に、エドモン・ウェルズの遺作「相対的かつ絶対的知の百科事典」の怪しげな抜粋を挟む、お馴染みの形式。

感想は?

 「蟻」「蟻の時代」に比べると、読み手に慣れが出来たせいか、多少インパクトは弱まったかな、という印象。このウェルベールという作家、何せアクの強い人だけに、初見の新鮮さが薄れるのは仕方がない。

 それを本人も判っているのか、この作品では人間パートにも力が入っている。なんたって、主人公は長い髪の美少女ジュリーですぜ。しかも黒い服がお気に入りの、繊細な大人しい子。いいねえ、神秘的で。ジュリーが例の百科事典に触発され、少しづつ変わっていき、仲間とめぐり合って…というのが、人間パートの重要な軸。

 ところで230頁、彼女の歌を例える場面で「パット・ベネタール」とあるのは、パット・ベネター(Pat Benatar)ではなかろうか。おぢさんはハートのアン・ウィルソンとマジェンタのクリスティーナ嬢を思い浮かべました、はい。

 一見、ニューエイジ風のオカルトかぶれな雰囲気があるかと思えば、あっさりと次のシーンでそれを茶化す、真性なのかネタなのかわからない正体不明な所もウェルベルの魅力。それはこの作品でも健在で、相変わらず「相対的かつ絶対的知の百科事典」は胡散臭さプンプン。鵜呑みにせず、ちゃんと正誤を確認しましょう。

 赤アリの103号、かつては若き兵士だったのが、ここでは齢三歳の老兵となっている。だが老いたとはいえそこは兵士、今作でも冒険の旅を繰り広げる。ベル・オ・カンへの帰還の旅も、最初は一人だったのが、すぐに仲間tめぐり合い…。その後、とんでもない運命が103号に降りかかる。つくづく、落ち着かない主人公だよなあ。

 お馴染みマッチ棒のパズルも健在。「蟻」では4つの正三角形、「蟻の時代」では6つの正三角形だったのが、今回は8つの正三角形を作れ、ときた。とまれ、今回の回答は反則な気がする。そりゃ、ルールには明記されてないけどさあ。

 イチャモンついでに、もうひとつ。人類と動物の軍事同盟の話が出てくるけど、もっと古くて有名なのがあるのに、なんで出さないのかなあ。戦は機動力がキモですぜ。

 「ああ、フランスの作家だなあ」と感じるのが、食事のシーン。ウズラ・エスカルゴ・カエルなど、人によってはゲテモノとすら取られかねない食材を、美味しそうに食べている。こういう多様な食材へのチャレンジ精神は、流石フランス料理を生み出した国だけあるなあ、と関心してしまう。この辺は、中華料理を生み出した中国と似ているかも。

 この三部作の主題を、今作中で綺麗にまとめてある。ネタばれを避けるために一部を改変した上で引用する。

 第一巻ではふたつの文明の出会いを描く。第二巻ではその対立が主題だ。だが、ふたつの文明はお互いを壊滅させることなどできないと気づき、協力関係を結ぶ。それが最終巻だ。
 ”<出会い、対立、強力>、ふたつの異なる考えが接触するとき、そこにはきっとこの三つがあると思う”

 果たして、人類と蟻は協力関係を結べるだろうか。

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2011年2月22日 (火)

チャイナ・ミエヴィル「ジェイクをさがして」ハヤカワ文庫SF 日暮雅通他訳

 オルフェウスが振り返ったのは、愚かさのせいじゃないんだよ、ジェイク。神話というのは、辛辣なものだ。オルフェウスは、妻がそこにいないんじゃないかと不安になったからじゃない。前方に見えた光に恐怖を感じたからなんだ。

どんな本?

 ペルディード・ストリート・ステーションで脚光をあびた新鋭作家、チャイナ・ミエヴィルの短編集。ペルディード・ストリート・ステーションがそうであったように、この短編集でもSF・ホラー・ファンタジイの垣根を軽やかに飛び越え、いずれともつかない彼独特の世界を展開している。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は2005年の Looking for Jake, Macmillian。日本語版は2010年6月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約470頁。9ポイントで40字×17行×470頁=約319,600字、400字詰め原稿用紙で約799枚、文庫本としてはかなり多い。
 全般的に文章はモタつき気味で、決して読みやすい文章ではない。これは半ば作家のスタイル、もう半分は意図的なものだろう。というのも、ホラーの要素を含んだ作品が多いので、サクサク読むタイプの小説ではないからだ。

収録作は?

ジェイクをさがして 日暮雅通訳
ある日突然、ロンドンは崩壊してしまった。ぼくが列車の中で居眠りをしていて、目を覚ましたときには、「この世界を体系づける原理が崩壊」して、みんなばらばらになってしまった。
 混乱し、崩壊したロンドンで、親友のジェイクを探す「ぼく」。ミエヴィルお得意の、「変容したロンドン」を舞台にした物語。
基礎 柳下毅一郎訳
 その男は、優れたリフォームのアドバイザーだった。建物を見て、どこが悪いのか、なぜ悪化したのか、どこをどう修繕すればいいのか、修繕に必要な費用はいくらか、正確に見積もった。一戸建てでも、アパートでも、ビルでも、その男は決して間違わない。
 人には見えない物が見え、人には聞けない声が聞ける。それは特技でもあるけど、同時に…。レイ・ブラッドベリの「十月はたそがれの国」の雰囲気にも似た、ファンタジックなホラー。読了後、謝辞を読むとよいです。
ボールルーム 田中一江訳 エマ・バーチャム、マックス・シェイファーとの共作
 わたしは、その展示場の警備員だ。警備会社からの派遣だが、その職場は好きだった。特に託児所の隣にあるボールルームは、幼い子供たちに大人気で、若い子持ちの夫婦の集客に優れた効果を発揮していた。
 捻りに捻った作品が多いミエヴィルにしては、驚くほど直球で定石どおりの、ホラーというより怪談物語。
ロンドンにおける"ある出来事"の報告 日暮雅通訳
 わたし、チャイナ・ミエヴィルの元には、多くの郵便物が来る。ところが、その郵便物は誤配だった。間違いに気づいたのは、封をあけてからだった。その中身は、奇妙なメモや議事録で…
 間違って届いた怪しげな書簡集というスタイルで書かれた、奇妙奇天烈な物語。こういうのを読むと、つくづくミエヴィルは分類不能な作家だよなあ、と感じる。奇想にも程がある←褒めてます
使い魔 日暮雅通訳
 その魔法使いは、ホンモノだった。金の匂いを嗅ぎつけてハッタリをかます商売っ気もあるが、同時に優れた力も持っていた。
 魔法使いと使い魔といえばラブコメ…には、なりません。むしろキタキツネ物語かな。とっても嫌なキタキツネだけどw
ある医学百科事典の一項目 古田泉訳
 バスカード病、またの名を蠕虫語。最初の患者、プリモシュ・ヤンシャは、スロベニア北部で盲目の司祭に本を読む仕事についていた。
 医学百科事典の形を借りた、アイデア・ストーリー。
細部に宿るもの 日暮雅通訳
 ぼくは以前、あの黄色い家に通っていたことがある。母のいいつけで、朝食を家の主のミセス・ミラーに届けていたんだ。彼女の家には、よく客が訪ねてきていた。
 「悪魔は細部に宿る」ですか。解説を読んで、元ネタがあるのがわかった。
仲介者 日暮雅通訳
 今日は、職場のパンの中に筒が入っていた。いつもの通り、モーリーは中身を見ず、指示に従って筒を公園の一番東のゴミ箱に隠す。
 いつのまにやら、ワケのわからん秘密(?)組織の片棒を担がされてしまった男のお話。
もうひとつの空 日暮雅通訳
 アンティークショップで見つけた窓が、私は気に入った。つくりは雑だし、ガラスは歪んでいる上に、濁っている。美術品というわけでもないが、なぜが気になった。二度目に見かけたときも売れ残っていたので、買いこんで取り付けた。
 これもまたレイ・ブラッドベリの初期の短編を思わせる、不気味で不安な気になるホラー。
飢餓の終わり 田中一江訳
 97年に、ぼくはエイカンに出会った。みんな彼が乱暴だと言うし、事実乱暴だったけど、ぼくは彼がよくわからなかった。「インターネットは時代遅れさ」って彼は言ってたけど、実は…
 ミエヴィル流のサイバーパンク。ヘビースモーカーで凄腕の「ハッカー」エイカンは、カウボーイそのもの。
あの季節がやってきた 日暮雅通訳
 ついに、待ちに待った季節がやってきた。子供っぽいって言われても、僕はこの季節が好きなんだ。娘のアニーは14歳になるけど、それでもプレゼントを心待ちにしてるのはわかる。
 ミエヴィルには珍しく、ユーモラスな短編。まあ、こういうのを茶化すには、モンティ・パイソン風のキツいギャグが一番いいよね。
ジャック 日暮雅通訳
 みんな、ジャックのことを話したがる。そりゃそうさ、ここじゃジャックはヒーローだからね。でも、おれは違うぜ。そりゃパートナーってわけじゃないけど、おれは本当にジャックとの仕事をしたんだ。
 ペルディード・ストリート・ステーションで鮮やかな活躍をみせる、「お祈りジャック」のサイド・ストーリー。というか、ペルディード・ストリート・ステーションだとジャックはちょっと顔を出すだけなんで、ジャック物としてはこれが今のところ最も詳しい作品かもしれない。
鏡 田中一江訳
 変容し、荒んだロンドンの町。モンスターが闊歩し、人間同士も相争うロンドンで、その男ショールは、一人で生き延びていた。
 ロンドンを食い荒らすモンスターたちの正体が見事。実は結構昔からあるアイディアのような気もするけど、執拗で詳細な描写が、痛いほどのリアリティを生み出している。
前線へ向かう道 日暮雅通訳 画:ライアム・シャープ
 コミック作品。あの日、私はバスの停留所で浮浪者を見かけた。そして、兵士も。それから、帰還兵らしき者をよく見かけるようになり…
謝辞 日暮雅通訳
訳者あとがき 日暮雅通

 ペルディード・ストリート・ステーションは百鬼夜行というか怪人大行進というか、モンスター大好きな人向けの大サービスって感があった。それが、この作品集だと、ウルトラQや怪奇大作戦的な、ホラーともファンタジーともつかない、「不思議な感触」の話が多い。アメリカのドラマだと、トワイライト・ゾーンに近いかな。

 お話の骨組みはエドガー・アラン・ポーやレイ・ブラッドベリの流れを汲みつつ、それをポスト・サイバーパンク風のスタイリッシュな文体で現代に蘇らせた、そんな印象がある。一見カッコいいけど、実は思いっきりおバカな作風なんじゃなかろか。「あの季節がやってきた」には、何度も爆笑した。

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2011年2月20日 (日)

デイビッド・モントゴメリー「土の文明史」築地書館 片岡夏実訳

我らの土がなくなれば、我らもまた、出て行かねばならない。剥き出しの岩を耕してなんとか食う術を見つけられないかぎりは。  ――トマス・C・チェンバレン

どんな本?

 副題は「ローマ帝国、マヤ文明を滅ぼし、米国、中国を衰退させる土の話」。2008年度ワシントン州図書賞一般ノンフィクション部門受賞作。今も昔も文明の基礎は農耕による食糧生産だ。ところが、その農耕が、その基盤である土(土壌)を損ない、次々と食い潰し、文明を崩壊させてきた。そのプロセスを検証し、メカニズムを解き明かし、同じ事が現代でも起きていると警告する。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Dirt: The Erosion of Civilizations by David Montgomery, 2007 Regents of the University of California。日本語訳は2010年4月15日初版発行。ハードカバー縦一段組み、本文338頁+索引・引用・参考文献24頁。8ポイント50字×18行×338頁=304,200字、400字詰め原稿用紙で約761枚の大作。

 ハードカバーで8ポイント、この時点で相当の威圧感があるだけに、読む側もそれなりの覚悟が出来てるせいか、思ったよりは読みにくくなかった。

構成は?

第一章 泥に書かれた歴史
第ニ章 地球の皮膚
第三章 生命の川
第四章 帝国の墓場
第五章 食い物にされる植民地
第六章 西へ向かう鋤
第七章 砂塵の平原
第八章 ダーティ・ビジネス
第九章 成功した島、失敗した島
第十章 文明の寿命
引用・参考文献
索引

 第一章と第二章は、本書を読む上での基礎知識を物語風に提示する。第三章以降、基本的に過去から現在に向かう形で、多くのエピソードを紹介していく。

感想は?

 要は土壌保全の重要性を訴える本。なのだが、その方法が手厳しい。メソポタミア文明から現代のアメリカまで、みな同じ経緯で農業が土壌を損なってきた、と何度も繰り返し具体例を提示して説明するのである。じゃ、それはどんな経緯なのか、というと。

  1. まず土が肥沃な谷底で農耕を始める。土が肥えているので作物は良く実る。
  2. 豊かになるので人口が増える。だが土地は痩せて収穫が減ってくる。
  3. 増えた人口を養うために、斜面の木を切り倒して耕作面積を広げる。
  4. 木がなくなった斜面から土壌が流出し、岩が剥き出しの荒地になる。
  5. 使えなくなった土地を捨てて、もっと急な斜面を耕作しはじめる。

 3~5のプロセスは、他にも羊や山羊の過放牧などがあるんだけど、その辺は本書を見てもらうとして。文明が栄えれば人口が増えるけど、その人口を支えるための農地はどんどん痩せていき、更に多くの土地が必要になってくる。使い捨てに出来る土地が充分にあるうちはいいけど、いずれ尽きる。その尽きた時に、一気にカタストロフがやってくる、そういうシナリオです。

 このプロセスから逃れていた例が、エジプト。毎年ナイルが溢れ上流から肥沃なシルトが流れてくるので、継続してコムギが収穫できた。が、換金作物の綿花栽培を企み、アスワン・ハイ・ダムを作った事で、事態は悲劇に変わる。洪水がなくなりシルトはダムの湖底に沈殿する。痩せた土地を化学肥料で維持しようにも、小農は肥料を買う金がない。また、人工的な灌漑で年に複数回作物が収穫できるが、灌漑水は塩分を含んでいるので、塩害が広がる。

 先に「土の科学」を読んでいたんで、「土が痩せる」ってのはどういう事なのか、多少は具体的なイメージが持てたんで助かった。その理由の一つは三大肥料、窒素とリンとカリウムが尽きる事。

リービッヒは、植物の成長がその植物の必要量に対してもっとも供給の少ない物質に制限されることを発見した。

 なら、足りない分を補えばいいじゃん、ってんで登場したのが化学肥料。その効果は目覚しく、「1961年から2000年の期間、完璧に近い相関関係が、世界的な化学肥料使用量 と全世界の穀物生産高の間に存在する」。ところが、それほど事は簡単じゃない。リンの鉱脈や、アンモニアを作るのに必要な石油が有限ってのもあるけど。

 一般に大規模農園は、一つの作物を集中して作る単作農業だ。「そのため一年の大半、土地は裸のまま放置され、侵食されやすくなる」。風に飛ばされ雨に流され、土そのものが失われていく。第六部では、土壌浸食・疲弊が南北戦争の要因ではないかと、興味深い分析をしている。

 全般的に、科学的というより社会的な分析が多いこの本、ちゃんと土を守る事の利害計算もしている。それによると、土壌浸食による損害は全米で440億ドル、全世界では4000億ドル。対して侵食を土壌生成速度に抑える投資は、全米で60億ドル。明らかに黒字なのに、なんでそうしないか、というと、その理由は様々。短期的に引き合わなかったり、機械化された大規模農場には向かなかったり。

 つまりは社会的な対策が必要で、その成功例としてティコピア島とキューバを挙げている。ソビエト崩壊で化学肥料の供給が途絶えたキューバは、否応なしに有機農法に転換せざるを得なくなった。強力な独裁体制と、経済制裁で世界市場から孤立した状況が幸いし、有機農場と都市菜園の推進により、「2004年までにハバナのかつての空き地は、市の野菜供給量のほぼすべてを生産するまでになった」そうな。

 文明の各章の冒頭は引用句で始まっていて、これが実に気が利いてる。例えば第七章は、これ。

砂塵を一人で止めることはできないが、一人で引き起こすことはできる。  ――職業安定所

 この記事の冒頭は、第九章の始まりを引用した。間の第七章は、これ。

土を損なう国は、国自体を損なうことになる。  ――フランクリン・D・ルーズベルト

 正直言って、今まで有機農法を「胡散臭い」と思っていたのだが、どうも考えを変える必要があるようだ。これ一冊で判断するのは早計だろうけど、他の本を読んでみようかな、という気になった。ハウス農業と土壌の関係とか。

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2011年2月17日 (木)

藤沢周平「孤剣 用心棒日月抄」新潮社

 だが、危険を恐れていては、米櫃は満たされないのである。話に乗ったと言ったとき、又八郎はさっきのぞいて来たばかりの米櫃の底を思い出した。

どんな本?

 やっと国許に帰り、扶持も戻った青江又八郎。お家騒動も片付き、許婚の由亀ともいい感じだし、あとは祝言を挙げて…とはいかないのが辛いところ。お家騒動の余震は続く、どころか城下に公儀隠密まで出入りして、下手すりゃお家取り潰しになりかねない事態。などと中老の間宮に泣きつかれ、あわれ又八郎、はした金で江戸に舞い戻る羽目に。

 時代小説の名手、藤沢周平の人気連作短編シリーズ第二弾。藩の命運がかかった密命を負いながらも、しがない用心棒稼業で今日の米代を稼ぐ、青江又八郎の奮闘やいかに。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 初出は小説新潮1978年秋季別冊~1980年3月号。単行本は1980年7月に新潮社より刊行、1984年に新潮文庫に収録。私が読んだのはソフトカバー、2002年12月20日初版で2004年9月15日の二刷。縦一段組み約380頁、10ポイント42字×18行×380頁=約287,280字。400字詰め原稿用紙で約719枚。

 量こそ多いものの、文章の読みやすさは抜群。お話の面白さと登場人物の魅力も手伝って、あれよあれよと読み進み、最後の「春のわかれ」では、残り少ない頁数を恨めしく感じます。

収録作は?

剣鬼
 やっと国許に戻り、禄にありついた青江又八郎。このまま平穏無事な日々が続いてくれれば…と思っていた所に、中老の間宮からの呼び出し。どうせロクな話じゃなかろうと思って出かけたら、やはり難題を持ち込まれた。大富静馬が機密文書を持って江戸に出向き、それを公儀隠密が狙っているという。文書の奪還を命じられ、再び江戸に出向く又八郎。
 前作末の「最後の用心棒」で鮮烈な印象を残した二人の新キャラクター、大富静馬と佐知が再登場し、今作での活躍を予感させる。口いれの相模屋吉蔵も相変わらずの様子。用心棒仲間の細谷源太夫は、ちとお人よしに拍車がかかった雰囲気。腕は立つんで荒事じゃ頼れる相棒なんだけどねえ。
恫し文
 名が売れてきたのか、用心棒稼業も順調な様子。今度の仕事は呉服物の越前屋、二人三日飯つきで一分。ちと安いが、長く続きそうなので悪くない。新しい相棒、米坂八内は四十近く、貧相な雰囲気で頼りない。寝たきりの女房を心配して毎晩家に顔を出す。無口で着物も擦り切れてるし、大丈夫なのかねえ。
 新たな用心棒仲間の米坂と、初めて組む仕事。一見朴訥で鈍そうな男だけど、はてさて。奥さんの病状を考えるに、泊り込みの仕事はかえって良かったのかも。
誘拐
 商売繁盛とはいいながら、次の仕事は子供のお守り。十三歳の女の子の身辺警護で二日で一分。こりゃ美味しいわい、と出かけた又八郎。護衛相手のゆみはけなげに一人で暮らし、煮炊き洗濯掃除も立派にこなす。
 冒頭、新妻の由亀から来た手紙を読み返す又八郎が可愛い。幼いながらも立派に家事をこなす、ゆみちゃんが健気ったらない。つか又八郎、自分の汚れ物ぐらい自分で洗えよw 
凶盗
 中老から催促は来るが金は来ない。これだから苦労知らずは。さて、仕事はというと、細谷・米坂・青江の三枚看板まとめてという豪勢な仕事。とまれ豪勢だけあって、内容も相応しい。最近江戸を騒がせている残忍な野党団から、泊り込みで店を守ってくれ、という物騒なものだった。
 「恫し文」に続く、派手なアクションが楽しめる作品。貧相な見かけによらず、米坂もなかなかの活躍を見せる。つかず離れずの佐知との仲も、ちょいといい感じで…
奇妙な罠
 大仕事を片付けたためか、今度の仕事は三日で一分と安いが、その分内容は楽だ。なんたって、隠居の別宅の留守番である。しかも飯は向こう持ち、食っちゃ寝の生活なら悪くない。細谷は病気の子供を抱え、払いはいいが危険な仕事をやってる事を思えば、恵まれたほうだろう…
 職場について早速米櫃を覗く又八郎。なんというか、貧乏暮らしが板につきすぎ。とてもじゃないが、お家の大事を巡って公儀隠密と密かに命のやりとりをしてるようには見えない。そんなんだから…。エンディングでも商売っ気が抜けないのには爆笑した。
凩の用心棒
 藩の仕事が一段落ついて長屋に戻ると、奇妙な知らせが入っていた。米坂の妻からの使いだ。不審に思って出かけると、米坂が帰ってこない、という。愛妻家の米坂が帰らないとは、よほどの事だ。確かに仕事が仕事だが、ああ見えて米坂、なかなか腕はたつ。不吉な思いを抱えつつ、探索に向かう又八郎。
 バタバタと又八郎が駆け回るが、この作品で光ってるのが、米坂八内の意地。苦しい暮らしでありながら、用心棒稼業なりの誇りというかなんというか。
債鬼
 地震と火事はなんとか過ごしたものの、風邪をひいて寝込んでしまった又八郎。病み上がりでキツい仕事はできないからと、楽な仕事を求めたら、これがなんと高利貸しの用心棒で…
 昔も今も借金の取立てってのは変わらんもんで。
春のわかれ
 いよいよもって、藩の仕事も大詰め。ついに宿敵の大富静馬を追い詰め…

 剣の腕が立つとはいえ、所詮は人。空の米櫃を眺めて溜息をつく又八郎の姿で何度笑ったことか。にしても、食うに困った経験のないお偉方ってのは、困ったもんです。

「それがしの暮らしの金は?」
「そのぐらいは自分で才覚しろ。二年禄を離れても、べつに窶れもせずにもどって来たではないか」

 いや、その間、どれだけ苦労したことやら。藤沢氏が月給取りに人気がある理由が、つくづくよく判る。使われる立場ってのも、辛いよねえ。

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2011年2月16日 (水)

久馬一剛「土の科学 いのちを育むパワーの秘密」PHPサイエンス・ワールド新書

「ムギは肥料でとるが、コメは地力でとる」

どんな本?

 ド素人向けの土壌学の入門書。土壌学が何かについては Wikipedia の土壌学の項を見ていただくとして、この本では農学部教授の著作に相応しく、農業の土台として土壌を見ている。入門書とはいえ新書であり、あくまでも読者は素人を想定していて、正確さや土壌学の基礎固めより、読み物としての面白さを優先している模様。副題からニューサイエンス的なアレを心配したけど、その辺はまっとうな本だったので安心した。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2010年7月2日発行。新書で縦一段組み、本文約190頁。9ポイント39字×15行×190頁=約111,150字、400字詰め原稿用紙で約278枚。比較的軽く読める新書の中でも、これは特に軽い方かな。一部に窒素酸化物などを表す分子式が出てくるけど、窒素のN・酸素のO・水素のH・リンのPぐらいを覚えておけば充分。文章も「理系の教授」っぽくなく、くだけた雰囲気なので気楽に読める。

構成は?

まえがき
第1章 土とつながるいのち
第2章 呼吸する土
第3章 土はどうやってできたのだろう
第4章 モンスーンアジアの水田とその土
第5章 日本の畑の土が水田を広めた?
第6章 いま土が危ない
第7章 土の中の生きものたち
第8章 土を肥やす
第9章 土を生かす
あとがき
参考文献

 そもそも「土」とは何か、土にはどんな種類があってどんなモノを含んでいるのか、それはどうやって出来たのか…と、学者さんらしく順々に説いていき、第6章あたりから現代社会の抱える問題を語る、という素直な形式。第4章や第5章など、日本の農学者らしく水田に多くの頁を割いているのが嬉しい。

感想は?

 この本を読むきっかけは、単純な疑問だった。「麦は連作が効かないけど、米は連作が効く。なんで?そもそも、土が痩せるって、どういうこと?」その疑問の解は、おぼろげながら解かった。

 農作物が育つために重要な肥料は、主に三つ。固定窒素とリンとカリウム。19世紀末だと、窒素がボトルネックになっていた。カリウムは植物の灰をリサイクルして賄っていたし、リンも動物の骨などの堆肥を使っていた。

 さて。イネなんだけど、陸生のイネ、つまり陸稲だと、やっぱり連作障害が起こるのですね。つまり、水を張るのが重要な鍵を握っているわけ。

 土の中には様々な生物や細菌がいる。水を張ると酸素供給が途絶え、好気性の細菌や菌類が死に、嫌気性の細菌が繁殖する。生態系が大きく変わるので、病原性の生物の繁殖が抑えられる。

 嫌気性の生物は還元作用を促進させ、土のphを上げる(酸性を中性に近づける)。phが上がるとリン酸が溶けやすくなる上にリン酸鉄も還元されるので、イネはリンを充分に吸収できる。

 さて、問題の窒素。水を張ると嫌気的な条件になるので、有機物が蓄積されやすく、土中の窒素含有量が増える。また、生物的窒素固定量も大きい。土中のクロストリディウムなど嫌気性細菌と、イネの根元のシアノバクテリア(藍藻)が窒素を固定する。これは10アールあたり3~4kgで、畑の2~3倍。稲籾で150~200kg、一石(玄米で150kg)程度に該当する。

 また灌漑水がカリウム・カルシウム・マグネシウム・ケイ酸などをもたらすので、塩分含有量の少ない日本の水でも、カルシウムやマグネシウムは一作に必要な量の何倍もの量が、灌漑水で得られるとか。

 とまれ、実は窒素も1913年に工業的なアンモニア合成が可能になり、これが20世紀の農業の飛躍的な発達を促し、爆発的な人口増加を招いたわけですが。

 肥料で怖いのが、リン。実は日本のリンは完全に輸入に頼ってる。アメリカは1998年に輸出制限を始め、中国も2008年から高い輸出関税をかけている。20世紀前半に各地でリン鉱脈の発見が相次ぎ、今後90年ほどは枯渇の心配がないとはいえ、ちと不安になるなあ。

 危ないといえば、怖いのが塩害。低緯度の乾燥地だと天気もよく病原菌も少ないんで、灌漑すりゃ作物はよく育つ。ところが、そういう所の土や水は塩分濃度が高く、日本の10~20倍もある。私もインド西部で生水を飲んだ経験があるが、しょっぱかった。

 そこに水をまく。水は一端、下に向かうが、やがて土中の塩分を溶け込ませながら毛管現象で上に上り、蒸発する…地表に塩分を残して。
または、下に溜まった水が地下水位を上昇させ、塩分の濃い地下水が地表に溢れる「ウォーター・ロッギング」なる現象もある。

 排水路や配水管で土中の地下水位を低いままに保てば予防できるんだが、数十年後の塩害に対応するため高い投資をする余裕はないそうな。

 マレーシアやインドネシアの湿地帯はいかにも農地に向きそうなんだが、これも長持ちしないとか。一般にこういう所は泥炭地で、多くの水を含んでいる。そこを排水すると、スカスカになる上に泥炭そのものも分解して、地盤沈下する。沈んだ分だけ、更に排水路を深くしなきゃいけない。また、土が二硫化鉄を含む場合が多く、それが分解して硫酸になり、土が強い酸性になって植物の育成に適さなくなってしまう。

 農業の事ばかりを紹介したけど、前半部は土の素材や生成過程など、地学的な内容が中心で、後半への基礎固めといった感がある。後半でも、日本でのマツタケ不作の原因の推測など、面白話は多い。水と光さえあれば植物は育つと思ってたけど、それほど単純ではないんだなあ。

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2011年2月15日 (火)

藤沢周平「用心棒日月抄」新潮社

裏店の女房たちは、内職をし、亭主と一緒に日雇いに出かけ、井戸端談義に身が入ったあげく女同士で摑み合いの喧嘩をし、甲斐性のない亭主の尻を叩き、言うことをきかない子は殴りつけ、精気に溢れているが肌の手入れまでは手が回らない。

どんな本?

 時代小説の名手、藤沢周平の人気連作短編集。わけあって北国の某藩を出奔し、浪人となった青江又八郎。若く腕は立つが禄も財も家族もない長屋暮らし。口入れ(職業斡旋)の相模屋吉蔵に仕事を回してもらうが、剣の腕を活かせる仕事は滅多になく、普請手伝いや人足ばかり。たまに来る払いがいい仕事は、身の危険を感じた依頼者が持ち込む用心棒稼業で…

 漫画「シティハンター」の原型の感すらある、ユーモアあり謎解きありアクションあり人情ありの、サービス満点な娯楽作。大江戸版ハードボイルドとでも言いますか。又八郎が請け負う用心棒稼業の主旋律に、吉良 vs 赤穂浪士の副旋律を添え、更に又八郎を狙う刺客という裏旋律まで絡めた贅沢なお話作り。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 元は小説新潮の連載で、1976年9月号~1978年6月号まで。書籍は1978年8月に新潮社より出て、1981年3月に新潮文庫で文庫化。私が読んだのは2002年11月発行のソフトカバー、縦一段組み約430頁。10ポイントの読みやすいサイズで42字×18行×430頁=約325,080字、400字詰め原稿用紙で約813枚。分量は多いが文章の読みやすさは抜群。お話の面白さも手伝って、アッというまに読み終えてしまった。こんな事なら、続く「孤剣」「刺客」「凶刃」も一緒に借りてくれば良かった。

収録作は?

犬を飼う女
 国を出奔して三ヶ月、なんとか長屋に寝床を確保した又八郎。大家に口入れ屋を紹介され吉蔵を訪ねたものの、美味しい剣道場の手伝いは同じ浪人の細谷に攫われ、残ったのは商家の妾の犬の番。そりゃ情けなくはあるが、又八郎にも生き延びねばならぬわけがあるのだ。
 「用心棒、おおカッコいい、さぞかしハードボイルドで…」と思わせといて、妾の犬の番。細谷に仕事を攫われる場面といい、垢じみた生活感を見事に出している。
娘が消えた
 犬番が成功したためか、次に入った仕事は商家の娘の用心棒。「もちっと侍っぽい仕事はないのか」などというものの、なにせ三日で一両と払いがいい。「こりゃ当面は食えるな」と素早く計算するなど、浪人暮らしも板についてきた様子。
 一応の主題紹介が終わったところで、ここから副旋律の吉良 vs 赤穂浪士が始まる。師匠の読み、外れていたのか、読んだ上での企みなのか。
梶川の姪
 珍しく吉蔵から又八郎に仕事を持ちかけてきた。なんと、ご大老の柳沢さまの仕事だ。しかも浪人二人を所望ということで、細谷と組んでの仕事となった。
 今までは商売敵だった細谷との、初めての共闘となる。腕は立つが食い意地が張った細谷、なんか可愛らしくて憎めない。
夜鷹切り
 米も残り少ない上に仕事にあぶれて憂鬱な又八郎、彼に声をかけた夜鷹は長屋のおさきだった。「変な男に追われている」と訴える彼女に並んで歩くと、確かに男がついてくる。手持ちの寂しさもあり、暫く彼女の護衛を努めるが…
 相変わらず酒と飯に釣られる細谷が憎めない。まあ、主人公の又八郎も飯に釣られて夜鷹の用心棒をやってるんだが。
夜の老中
 一日二分、二日で一両という美味しい仕事にありついた又八郎。美味しいだけあって楽じゃない。あの細谷まで怪我をしたという、危険な仕事だった。
 子沢山というから安産型のおばさんを想像したんだが…細谷もげろ。あの技は、「蝉しぐれ」にも登場してたような気がする。実際のモデルがあるんじゃないのかな。っかし、男女の仲ってのは。
内儀の腕
 大仕事を成功させたためか、相模屋もいい仕事を回してくれるようになった。住み込みで商家の若内儀の身辺警護。払いはいいし食事つきだ。相方の塚原は四十過ぎで腕も冴えないが、ここは先輩としていい所を見せないと…
 茶屋の女のラブレターの代筆で小遣い稼ぎする細谷、鈍いようで結構チャッカリしてる。そんな手紙を受け取った男が哀れだw 女からの文だと思ったら、髭面が書いてるんだもんなあ。
代稽古
 川原の砂利取り人足の仕事でくたびれ果てた又八郎に、やっと侍らしい仕事が回ってきた。剣道場の手伝いだ。喜び勇んで出かけるが、早速値切られる。それでも二食付に釣られて引き受ける又八郎。
 冒頭から又八郎と吉蔵の微妙な関係が伺えて面白い。それでも美味しい仕事を回されると、コロっと態度を変える又八郎が純朴というか、まだ江戸に慣れていないというか。
内蔵助の宿
 今度の仕事は大仕事だ。十日で五両と払いはいいが、場所は川崎の外れ、ご大身の用心棒だ。危険な香りはするものの、暮れで物入りな事でもあるし、張り切って出かけるが…
 今まで少しづつ大きくなってきた副旋律の忠臣蔵が、いよいよ明確に姿を現す。内蔵助のキャラクターが、藤沢氏の独自の解釈で楽しい。
吉良邸の前日
 もっこ担ぎの人足仕事もなく、米も炭も切れた又八郎。ここ三日は朝夕に粥をすするだけで、昼飯は抜いている。国許からの刺客は、ついに物頭まで動員し始めた。不承不承、気が進まぬ警護の仕事を引き受けはしたが…
 細谷との貧乏談義が身に沁みる。仕事を引き受ける動機が、あんまりと言えばあんまりだけど、説得力がありすぎ。
最後の用心棒
 ついに江戸を離れることになった又八郎を見送る、細谷と吉蔵。だが、又八郎を送るのは二人だけではなかった。
 やっと又八郎出奔の顛末が明かされる最終章。他の書評を読むと、この短編に登場する人物が、後に続く「孤剣」「刺客」「凶刃」で重要な役割を果たすそうな。

 最初は江戸に不慣れで朴訥な感もあった又八郎が、次第に浪人生活に慣れ、弛緩していく様子がリアルだ。残り少ない米を眺めて「あとどれぐらい食いつなげるか」などと勘定する場面も、なんというか。時代と用語と得物が違うだけで、お話の構造はハードボイルドの王道である探偵物と似ている。それをどこまで美味しくできるかが作家の腕の見せ所で、そういう点じゃ藤沢氏は抜群の安定感がある…って、二作しか読んでないけど。シティハンターなら海坊主に該当する細谷の、強面な食いしん坊という親しみやすいキャラクターが光ってる。

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2011年2月14日 (月)

松本仁一「アフリカを食べる/アフリカで寝る」朝日文庫 寝る編

「この列車ってほんとに国際的ね。いろんな国の人と話ができるって素晴らしい。――ここに黒人が乗ってきたら台なし」

どんな本?

 「アフリカで食べる」の続編。著者の松本仁一は、82年より朝日新聞社のナイロビ支局長を努め、90年からは中東アフリカ総局長としてカイロに駐在する。というと、いかにも切れ者の秀才を想像するだろうが、とんでもない。この本から思い浮かべる松本は、常にアーミーナイフとしょうゆの小瓶を持ち歩き、珍しい動物の肉を見るととりあえず刺身にしてビールで一杯やる、とっても気さくで器用でワイルドな男なのだ。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 元は「アフリカを食べる」「アフリカで寝る」の二冊の単行本で、1996年発行。1998年にそれぞれ文庫本になり、更に2008年の改版のついでで11月30日に合本となった。「アフリカを食べる」編は約217頁。「アフリカで寝る」編も約216頁で、8ポイント41字×17行×216頁=150552字、400字詰め原稿用紙で約377枚。ブンヤさんの鍛えられた文章は、とっても読みやすい。

構成は?

Ⅰ アフリカを食べる
      マサイの人々と(ケニア)
      海で
      野で
      戦場で
      イスラム世界で
 あとがき
 文庫へのあとがき
Ⅱ アフリカで寝る
      宿で
      家で
      空の下で
      車中で
 対談 久間十義×松本仁一
 あとがき
 合本へのあとがき
 解説 渡辺満里奈

 元々は朝日新聞夕刊の連載記事。各章は、4~8頁の短いエッセイ10個ほどから成る。それぞれのエピソードは独立しているので、気になった所だけ拾い読みしてもいい。

面白い?

 小学生でも名を知っている偉人が何人か出てくる。その中でも終盤、南アフリカのネルソン・マンデラのエピソードが圧巻。まずは、その舞台となる南アフリカのアパルトヘイトの現状から。

 アフリカにも寝台列車があって、その一つが南アフリカ共和国のブルートレイン。ケープタウンから首都プレトリアまでの約1600km、特等から五等までの5クラスがあり、すべてが個室で特等にはバスまでついている。五等でも約5万円、高いようだが観光シーズンでは一年前でも予約が埋まる人気ぶり。冒頭は、そんな列車の食堂車での会話のひとコマ。まあ、そういう国だったわけです。

 そんな国で活動するマンデラ氏、捕まって終身刑を宣告され、刑務所にブチ込まれる。ケープタウン沖のロベン島、本土まで11km、海流も早くサメもいる。そんな過酷な監獄にいながら、くじけないのが彼の凄いところ。

 強風の翌日は、浜辺に打ち上げられたコンブを拾う仕事が囚人に課せられる。コンブにはムール貝やアワビがいっぱいくっついているし、ロブスターまでいる。囚人たちは熱中して貝やエビを集め、ドラム缶でシチューを作る。看守も日頃はロクな物を食べていないので、彼らにも食べさせて共犯にしてしまう。

 以後、海草採りの労役の日は、看守黙認のシーフードの日となる。囚人たちは強風を待ち望むようになった。マンデラは、労役をレジャーに変えてしまう能力を持っていた。

 そんなマンデラは、白人の看守までも魅了する。「ブラント、勉強しろ。島にいるうちに学位をとれ」「ブラント、早く結婚して家を持て。家は大事だ」など、18歳の新任看守に声をかける。苦境すら楽しみに変え、自然と仲間を励まし、敵すら魅了する。そりゃ政敵からすりゃ、危険極まりない人物だよなあ。そんな南アフリカのケープタウン、日本のマグロ漁船が立ち寄るけど、金払いがいい割に約束を守るため、「礼儀正しくていい人」と評判は上々だそうで。

 ケニアの注意書きの立て看板も、宗主国イギリスの影響か、ユーモラスなものが多いそうで。泊まったロッジのそばに池があり、バーで一杯やりながら水を飲みに来る野生動物、象やインパラやバッファローを眺められる。その水場の看板には、「水を飲んでいる動物たちを驚かさないでください」と書いてある。ところが、その裏には。

「酒を飲んでいる人間達を驚かさないで下さい」

 巧い。そんなケニアで、日本の米作り指導が潰れる話が切ない。もとより米は作っていたんだが、直播きで草取りもしないため、10アールあたり2.5俵しか取れない(日本では10俵)。青年協力隊が田植えを指導した。手間はかかるが3.5俵程度まで収量が増え、農民も熱心に相談にくるようになった。
 が、しかし。隣のタンザニアが食糧危機になり、日本やタイが米を送った。タンザニアじゃ米は贅沢品で、日頃はトウモロコシを食べる。人々は支援の米をケニアで売りトウモロコシを買った。ケニアの米の価格は暴落し、協力隊の指導も無駄になった。

 ところが身になる支援もある。イタリアがガーナにトラクター百台の支援を決める。国連食糧農業機関(FAO)は知恵を使う。トラクターを30台減らす代わりに修理工場を作り、ガーナの若者に修理を仕込んでくれ、とイタリアに頼む。トラクターは希望する村に市場の1/3の価格で10年ローンで売り、巡回講座でトラクターの手入れを村人に仕込む。高い金を出して買ったトラクターなんで、村人も真剣に手入れする。隣の地域に日本がタダで配った百台のトラクターは一年で八十台が動かなくなったが、イタリア製は8年たってもピカピカだった。

 スーダンのイスラム法導入は唐突で、軍が市内の酒屋や飲食店の酒を没収した後、大統領がラジオでイスラム法導入を宣言したそうな。しかも法の全文は公布されないままってんだから、無茶苦茶だ。大統領がイスラム過激派の支持を取り付けるためにイスラム法を導入し、市民がそのツケを払った格好、と著者は分析している。イスラムでありがちな公開処刑も目撃したが、群集の大半は沈黙していた。ところが。

国営スーダン通信のタイプ刷り英字紙は、「刑の執行に立ち会った市民は、拍手と歓呼の中で偉大なるアッラーの名をたたえた」と報じた。APとロイターはそれを転電した。

 イスラムの胡散臭さ・不合理さはカイロでもぼやかれている。ラマダン明けは聖職者が前日に観測して深夜にラジオで発表する。コンピュータで計算してカレンダーに書き入れりゃよさそうなモンなのに、聖職者の猛反発で没になった。著者はボヤく。「つまりは聖職者の特権維持が目的だろ」

 アフリカの社会問題の深遠を覗くという読み方もできるし、変わったグルメの紹介本としても楽しい。また、濃ゆ~いアフリカ旅行記としても、最高に充実している…残念ながらガイドとしては役に立たないけど。蔵前氏といい、「仁一」って名前の人は、旅行記の書き手としての才能に恵まれるんだろうか。

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2011年2月13日 (日)

松本仁一「アフリカを食べる/アフリカで寝る」朝日文庫 食べる編

 ココヤシの若い花枝がつぼみをつけると、夕方、その先を切り取り、ビールびんなどの空きびんに枝を差し込んでくくりつけておく。枝からしたたる樹液が、朝までにはびんにいっぱいになる。そのまま置いておくと、糖分が多いので自然に発酵し、昼ごろには酒になっている。

どんな本?

 朝日新聞社のナイロビ支局長だった著者が、取材でアフリカの様々な所を訪れた際に出会った出来事や、アフリカ各地の社会事情を、「飲む・食べる」事を通して綴るエッセイ集。アフリカらしく羊の頭や羽アリなどワイルドなものもあれば、援助物資の乾パンなど社会背景を反映したエピソードもある。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 元は「アフリカを食べる」「アフリカで寝る」の二冊の単行本で、1996年発行。1998年にそれぞれ文庫本になり、更に2008年の改版に伴い、11月30日に合本となった。「アフリカを食べる」編は約217頁。8ポイント41字×17行×217頁=151249字、400字詰め原稿用紙で約379枚。「アフリカで寝る」編も約216頁。文章はブンヤさんらしくこなれた日本語で、そこらの小説より遥かに読みやすい。が、スラスラ読めるかというと、内容が強烈なので…

構成は?

Ⅰ アフリカを食べる
  マサイの人々と(ケニア)
  海で
  野で
  戦場で
  イスラム世界で
 あとがき
 文庫へのあとがき
Ⅱ アフリカで寝る
  宿で
  家で
  空の下で
  車中で
 対談 久間十義×松本仁一
 あとがき
 合本へのあとがき
 解説 渡辺満里奈

感想は?

 合本なんで、一つの書評で済まそうと思ったんだが、気になった箇所に付箋をつけながら読んでたら、面白エピソードが多すぎて付箋だらけになってしまった。ということで、書評は「アフリカを食べる」編と「アフリカで寝る」編に分けることにした。

 表紙が強烈で、骨を齧るマサイ族の男の写真。こりゃ期待できそうだな、と思ったら最初のネタがいきなり「ヤギの骨」。表紙のお話ですよ。マサイの若者にヤギをご馳走になったエピソードで、「脂っこく、甘く、とろけるようなうまさ」だそうな。ただ、自宅で食べた時はあまり美味しくなかったとか。やっぱり、食事もシチュエーションが大事だよね。

 「マサイの生活は、牛を飼うという目的に向けて、感動的なほど完成されている」そうで、有名なライオンを殺す儀式も、ライオンから牛を守るために必要な技能を身につけるため。戦士としても優秀で、銃で武装する奴隷商人を槍で撃退した。お陰でマサイ地区より奥に住む部族は、奴隷にならずに済んだ。

 はいいが、なまじ成功したため、極めて保守的になり、今でも遊牧生活に拘り続けている。マサイに比べ弱かったトルカナ族は新進の気質に富み、農耕や漁業は勿論、ラジオや銃も取り入れ、今はマサイに牛戦争を仕掛けている。なお、銃はワニを仕留めるのにも使います。漁業用の網を破られるんで。

 著者は結構イケる口で、お酒もよく飲んでいる。バーに入ったら、賑やかだったのが警戒されて急に静かになったそうな。そこでビールを注文したら、密造酒チブクが出てきた。これの飲み方が面白い。

一口飲んだら、隣の客に渡すのだ。順に回し飲みして、終わったらその人が次の一杯を買う。(略)私も、一口飲んでから隣に回した。これで、「飛び込みの外国人」は仲間として認知されたらしい。みんなのおしゃべりが再開した。

 ったく、飲兵衛ってのは、どこでも変わらないなあ。冒頭の引用はタンザニアのヤシ酒。ヤシ酒の原料はココヤシだそうです。夕方まで置いておくと発酵しすぎて酸っぱくなるので、飲みごろは正午から午後二時ぐらいまで。だもんで、飲兵衛は昼から一杯やってる。「だからアフリカは発展しないんだ」という意見もあるそうだけど、別に発展しなくてもいいんじゃないか、って気にもなってくる。うーん。

 ここで農業の技術指導をしていた「とっかん」こと山賀望幸氏の話が泣かせる。彼の車で走り出し、集落に差し掛かると人が飛び出して止められる。顔なじみが「ヤシ酒を飲んでいけ」と誘うのだ。集落に差し掛かる度に彼は呼び止められ、酒を振舞われる。目的地に着いた時には山賀氏はべろべろになっている。そこまで現地の人に好かれるとは。

 エチオピアの難民キャンプでは、日本外交協会が送った乾パンが喜ばれている。難民に給食するにはボランティアの手が足りないので、調理が不要の乾パンが重宝するそうな。この乾パン、氷砂糖を同封していたんだが、子供たちは氷砂糖が食べられるとは知らず、道に捨てていた。なんだかなあ。

 とまれ、支援もいい事ばかりじゃない。マリの旱魃で地方農民が首都バマコに流入した際、救援組織は郊外に難民キャンプを作って小麦粉や魚の缶詰などの食料を配給した。ところが難民は配給の食糧を町の市場で叩き売った。町の食糧市場は暴落したため、近隣農民も食えなくなり、難民キャンプに雪崩れ込んできた。

 市場崩壊の例として興味深いのがモザンビーク。インド洋の近くで魚介類が豊富なはずなのに、街には海産物がない。独立直後は魚介類が沢山あった。が、政府が漁業を統制し、キロいくらの公定価格で政府が買い取る。魚の種類やイキのよさは無関係なので、漁師はやる気をなくした。農業も同様で、稲作の集団農場を作ったはいいが水が足りず苗が全滅。水が少なきゃトウモロコシに転作すりゃよさそうなもんなのに、役人曰く「この農場は稲作用なのです。コメ以外のものをつくることはできません。それに、国営農場の土地を個人が勝手に使うと罰せられます」

 おカタい話も面白いけど、それとは別に著者の器用さ・健啖ぶりにも感心した。インパラやキリンを刺身にし、ショウガじょうゆで食べる。岩場のウニはその場でスプーンで食べ、つぶ貝は海水でゆでる。ナイルのうなぎは白蒸しした上で串をさし、自家製のタレをつけて蒲焼にする。紅海のレストランでは、シェフにロブスターの刺身の作り方を披露する。しょうゆの小びんとわさびは、旅行の必需品だそうだ。さすが、旅慣れてらっしゃる。

 などと、とりとめのないまま、「アフリカで寝る」へと続きます。

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2011年2月11日 (金)

榊涼介「ガンパレード・マーチ2K 北海道独立 1」電撃文庫

「あのねえ、あなた、何を育てているわけ?ここは整備員を育てるところなの」
「整備員といえども人間味がないといかん」

どんな本?

 元は2000年9月28日発売の SONY PlayStation 用ゲーム「高機動幻想ガンパレード・マーチ」のノベライズのシリーズ。ゲームもカルト的な人気を誇り、10年前のゲームであるにも関わらず、昨年は遂に PSP に移植され、今も新しいファンを獲得し続けている。

 根強くカルト的な人気はノベライズも同じで、シリーズの始まりは「5121小隊の日常」は2001年12月15日発売。以降、こちらも10年近く25冊(ガンパレード・オーケストラを入れると28冊)の刊行が続いている。ゲームをベースとしながらも小説は独自のストーリーを展開し、最近はオリジナルの登場人物の活躍も増えてきた。

 昨年の「逆襲の刻 極東終戦」で一応の完了と思われたが、あとがきも解説もなく、そっけないエンディングに多くのファンをやきもきさせた挙句、突然の新シリーズ刊行と相成った次第。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2011年2月10日初版発行。文庫本で縦一段組み本文約280頁。8ポイント42字×17行×280頁=199920字、400字詰め原稿用紙で約500枚。ライトノベルのわりに変な口調も少なく、相変わらずの読みやすさ。冒頭、13頁ほどでシリーズ全体の「いままでのあらすじ」をまとめてある。とはいえ、今まで25冊(ガンパレード・オーケストラを含めると28冊)も続いた長いシリーズだけに、登場人物も異様に多いのだが、登場人物一覧はついていない。

 ということで、これから読み始める人は、素直に「5121小隊の日常」から入るのを薦める。ユーモラスな短編集だし、とっつきやすさもシリーズ随一で、幕開けに相応しい一冊です。

どんなお話?

 ハミルカルを滅ぼし、青森の幻獣軍も撃退して、首の皮一枚でなんとか生存の余地を得た日本。しかし、自衛軍の損傷は凄まじく、いまだ多くの師団・旅団の戦力は50%にも満たない状況だった。生命線とも言える青函トンネルは回復したものの、多くの戦略物資や重工業を担う北海道からの補給は途絶えがちだった。

 今まで謎に包まれ、青森血戦でも不気味な沈黙を続けていた北海道。軍の精鋭を温存した彼の地は、いったい何を考えているのか。復興のため多量の物資を必要とする本州に対し、補給を渋る彼らの本意は?

どうだった?

 口絵を見て、いきなり爆笑。樺山の爺様の悪役顔が、あんまりにも見事すぎ。軍産複合体の首魁に相応しく、いかにもな悪党顔だもんなあ。「ゴブリンが化けてる」と言われても信じちまいそうな面構え。

 冒頭で、さっそく新しい人物が登場する。雪中の脱走者・香澄ちゃんと、それを追いかける北海道の軍の面々。樺山財閥との強い結びつきも示唆され、どうにも不気味で物騒な感じ。

 カーミラは相変わらずの傍若無人ぶりで、ハンス君をいじめている。全巻の末尾で素敵な法被姿を披露したハンス君、やはり客商売は向いていない模様。そりゃそうだよな、あの目つきで「いらっしゃいませ」とか言われても、客は寛げんわ。温泉旅館の旦那には最も向かないタイプ。つか、カーミラ、わかっててやらせたんじゃないのか?

 滝川、「数学と国語と英語と、理科と社会全般が苦手」って、そりゃ学科は全滅って事だろ。まあ、どうせ誰も滝川に学科なんて期待してないけど、森の手前、そりゃ恥ずかしくないのか。将来は財布を握られ尻にしかれるの確定だな。でも、森の尻って、敷かれ心地よさそう←をい

 尻にしかれるといえば、壬生屋と瀬戸口。こちらも瀬戸口は髪結いの亭主よろしく、忙しく日々を過ごす未央ちゃんの隣で、のんびりやっとります。今作では、なんと彼女の家族も登場。なかなか眼力鋭いお父様だけど、そこは壬生屋家。まあ、婆様の話から察するに、そういう家風なんだろうなあ。

 整備学校に押し込まれた整備班の面々、狩谷は真面目な姿勢と論理的な講義が受け、それなりの人気を博している模様。一方、例のガン細胞共は、というと、やっぱり増殖の機会を狙い、堂々と稼業に励んでいる。のはいいが、それを人間味と言っていいのかどうか。むしろ人間やめますか、ではなかろうか。にしても、新品とは、モテているのかいないのか。

 裏表紙には「もうひとつの撤退戦」以来、久しぶりのカット。今回は坊ちゃまと真紀ちゃん、懐かしの制服姿。そういや、タライって設定もあったなあ。

 前巻に続き、この巻でも「あとがき」はなし。「逆襲の刻」同様、今回も長いシリーズとなりそうな予感もあるが、北海道の沈黙より、榊さんのメッセージがないのが怖いよ、あたしゃ。まあ、このハイスピードな刊行ペースに「あとがき」まで期待するのは贅沢なんだろうけど、ファンってのは、身勝手なモンなんです。

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2011年2月10日 (木)

疋田智「自転車とろろん銭湯記」ハヤカワ文庫NF

「銭湯は禅だ」
「なぜならば熱い湯に入るとアタマが無になるからだ」

どんな本?

 疋田智、またの名をエッセイスト町田忍。38歳の月給取りの彼が、自転車で走りながら都内の銭湯を巡り、あれこれと銭湯に関する薀蓄を傾け…といっても小難しい本ではない。まさしく「とろろん」とした雰囲気で、「とりあえず風呂に入ってのんびりしようや」的な脱力感が味わえるエッセイ集。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 奥付は2005年5月15日発行だが、最終頁にこうある。

本書は2001年4月に朝日出版社より刊行された「銭湯の時間」の取材を元に新たに書き直したものです。

 文庫本で縦一段組みで本文約260頁。9ポイント39字×17行×260頁=約172380字、400字詰め原稿用紙で約431枚。量的には手軽ですね。文章もテーマである銭湯に相応しく、「ありがちなオッサンのおしゃべり」的な感じで、親しみやすく読みやすい。

構成は?

プロローグ
第一章 自転車でふらりと銭湯
第二章 働くヒキタくん(自転車通勤途中に見つける銭湯)
第三章 銭湯での出会い
第四章 湯けむりの向こうの女たち
第五章 銭湯は夢か幻か
少し長いエピローグ

 10頁程度のエッセイ一本ごとに一つの銭湯を紹介し、そのエッセイ5~7本で章を構成している。各章の冒頭や最後に、ペンキ絵や全国銭湯事情など、銭湯に関する1~2頁のコラムが入る。それぞれのエッセイやコラムはほぼ独立しているので、気になった部分だけを拾い読みしてもいい。

感想は?

 「自転車と銭湯」という組み合わせが意外だったが、実は都内だと結構アタリなのだな、と感心した次第。

 <自転車は点を線にし、線を面にする>
 都市圏での生活を長く続けていると、いつしか街が点の集まりになっていく。「点」とはもちろん鉄道の駅とその周辺のことだ。(略)
 自転車ならどこにも地続きで行けるから、赤坂も六本木も紀尾井町も麹町も実は隣町だということにいつしか気づいていく。

 などと自転車で走り回る過程で銭湯を見つけ、400円(今は450円)という安い料金に惹かれて入ってみると…湯船が大きいんだよね。お湯の中で手足を伸ばせるってのは、気分いいよねえ。アチコチ巡ってみると、同じ銭湯でも様々な違いがあることに気がついてくる。

 銀座ではレトロな金春湯に感心し、千駄ヶ谷では江戸っ子らしく鶴の湯の熱い湯に堪える。同じ鶴の湯でも船堀の鶴の湯は東京温泉の黒湯を堪能する。チョコレート色の黒湯は東京の温泉の特徴で、化石化した海藻のエキスが入っているそうな。高級住宅街成城には先頭がないが、その隣の祖師谷にあるそしがや21は、とってもゴージャスで大繁盛。

 公衆浴場だから、様々な人が来る。戸越銀座の中の湯では祭りではしゃぐ北関東弁を操る金髪の若者が闊歩し、鎌田では珍しくスキンヘッドのご同輩二人とスキンヘッド談義をかわす。が、やはり、最も目立つのは、背中のモンモン。そう、銭湯では、不思議なくらいモンモンによく出会うのだ。とはいえ、やはりオンとオフは使い分けるのか、まずもって銭湯じゃ騒ぎを起こさないんだよね、あの人たち。

 報復絶倒なのが、第四章。ここではかぐや姫の有名曲「神田川」の歌詞にでてくる「ふたりで行った横丁の風呂屋」を探し、疋田氏と奥様が神田川沿いの銭湯を訊ねて回る。ところがその神田川、今は河岸も整備され中じゃ鯉が泳いでる。「あれ?変だぞ、こんなオシャレじゃなかったはずなのに」とか思いつつ、古代ローマ風の贅沢な作りの永福町・ゆあみランド永福を堪能する。下ネタに付き合ってくれる奥様って、素敵だよねえ。

 役に立つのが、最後のエッセイ。河川沿いの土手の上のサイクリングロードを走ると、銭湯の煙突を見つけやすいそうな。いい事を知った。
 最後に、参考までに、東京都浴場組合の URL を挙げておこう。 →http://www.1010.or.jp/index.php

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2011年2月 9日 (水)

ベルナール・ウエルベル「蟻の時代 上・下」ジャンニ・コミュニケーションズ 小中陽太郎・森山隆訳

 アリの世界では、触覚の節から発信するフェロモンの匂いで会話をする。フェロモンは、隊内から外にでるホルモンで、空中を飛び、他のアリの体の中に入ることができる。あるアリが、感じたことを伝えたいと思うと、全身を使って発信する。すると、まわりのすべてのアリが、そのアリと同じ感情を持つことができるのである。

どんな本?

 フランスの作家ベルナール・ウエルベルによる、極上のエイリアン小説「蟻」の続編。前作の奇妙奇天烈ながらも合理的、ある意味残酷ながらも調和的な世界観はそのままに、新たに昆虫好きの男の子の妄想を具現化したような、ワクワクする仕掛けをわんさかと追加した、センス・オブ・ワンダーに溢れるファースト・コンタクトSF。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Le Jour Des Fourmis, Bernard Werber, Albin Michel 1991。私が読んだのはジャンニ・コミュニケーションのハードカバー上下巻、1996年5月26日の初版。2003年に角川から文庫が出ている。縦一段組みで9ポイント、上巻約305頁+下巻約267頁。42字×15行×(305頁+267頁)=約360360字、400字詰め原稿用紙で約901枚。長編としては、やや長め。

 訳も前作と同じコンビ。文章も前作同様、普通に物語を語る素直な文章なので、スイスイ読める。ただし、登場人(?)物や舞台背景は前作を踏襲しているので、いきなりコレから読むのは無茶。一応は「これまでのあらすじ」が載っているけど、荒唐無稽すぎて意味わかんないと思う。素直に前作の「蟻」から読み始めよう。

どんなお話?

 前作同様、大きく分けて二つのパート、つまり人間パートと蟻パートからなる。時間は前作の一年後、舞台は前作と同じ(たぶん)フランスの都市フォンテーヌブロー。

 人間パートでは。敏腕警視メリエスと雑誌記者レティシア・ウェルによる、フォンテーヌブローの殺人事件の謎解きを軸に進む。密室で三人が死んだ。セバスチャン,ピエール,アントワーヌのサルタ兄弟だ。三人とも化学者で、殺虫剤などを作るCCG社で働いていた。外傷も凶器もないが、みな恐怖によって表情が変形していた。

 読みどころは蟻パートなのも、前作と同じ。ベロ・キウ・キウニに代わる新女王シリ・プー・ニを得て、更なる進歩を遂げた赤アリの都市ベル・オ・カン。新し物好きで知識を重んじる新女王シリ・プー・ニは、多くの技術改革を成し遂げ、新技術開発にも余念がない。前作で多くの冒険から生還した歴戦の勇者103683号改め103号に、新女王は大きな任務を課す。

「<指>がこの世界を侵略しようとしている。大軍を率いて<指>を討伐せよ」

感想は?

 相変わらず真性なのかネタなのか判らないベルナール君の奇怪な妄想は、この続編でも健在。やはり読みどころは103号が率いる「十字軍」の試練に満ちた冒険と、彼らが披露する新兵器・新戦術の数々。

 前作でも自走砲や戦車など男の子大喜びのガジェットでサービスしてくれたが、今作ではなんと空軍と海軍が登場する。地表と地中に加え、空中と水上まで蟻が制覇するとは。最早ベテラン兵の貫禄がついた103683号改め103号、大部隊の遠征軍を指揮する傍ら、パイロットとしても大活躍するんだからたまらない。どうやって飛ぶのかというと、ヒントは前作で仄めかされてます。

 「黒く平べったい虐殺魔」が行き交う東の果てを越え、十字軍が目指すは<指>の本拠地。その途中、同じ昆虫である蜂や白アリ、鳥やトカゲの襲撃をかわし、正体すらわからぬ<指>を、皆殺しにできるのだろうか。

 こういったアリの大冒険の場面は、前作と変わらず魅力的なアイデアに満ちている。今作はそれに加え、エドモン・ウェルズの遺した著作『相対的かつ絶対的知識のエンサイクロペディア』が随所に引用され、これが語る人類史上の不思議な出来事や、奇妙な生物の生態が、カレーライスのラッキョウのように読者の頭脳を巧くリフレッシュする。例えばトコジラミ(南京虫)の生殖行動。例えばコンテナ船の冷凍庫に閉じ込められた男の話。例えばアカキア(アカシア)・コルニゲラとアリの共生。ちょいと、【方向】の一部を引用しよう。

 大昔から、人間は太陽の動きを追い、この火の玉がどこに沈むかを追求したのである。ユリシーズ、コロンブス、アッチラなど、皆西の方にその謎の解答があると考えていた。西に向かって進むことこそ、未来を知ることに通じたのである。

 すると、シリ・プー・ニが東に十字軍を送り出した理由は…

 まあ、このエンサイクロペディア、「どう考えても怪しいだろ」的な所が多々あるんだが、生物の生態に関しちゃソレナリに信用できる部分があるからタチが悪い。じゃオカルト万歳なのかというと、ユーピア実験の失敗のエピソード等も入っていて、この辺が、ベルナール君が真性なのかネタなのか悩む所以。とりあえず、彼が幼い頃は昆虫好きな少年だったのは確信した。

 ただ、ハードウェアの描写は彼の苦手とする分野らしく、これが「星々の蝶」でも散々だったんだよなあ。その分、エイリアンとしてのアリの描写はブッチギリのセンス・オブ・ワンダーを持っている。そんなわけで、メカ描写の悲惨さを許せるか否かが、SF者としての評価の分かれ目。

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2011年2月 7日 (月)

ベルナール・ウエルベル「蟻 上・下」ジャンニ・コミュニケーションズ 小中陽太郎・森山隆訳

六本のマッチで四つの正三角形を作るには、どうしたらいいか?

どんな本?

 フランスの元科学ジャーナリストによる、長編SF小説。SFとはいってもアメリカのヒューゴー・ガーンズバック風にハードウェアに凝るサイエンス・フィクションとはだいぶ感触が違う。なんたって、主人公(?)は、蟻ですぜ、蟻。というと「ガンバの大冒険」風に「努力・友情・勝利」の物語かというと、それも違う。徹底的に蟻の生物学的特徴に拘った、奇妙奇天烈で、ある意味グロテスクな世界観の魅力に溢れた、極上のエイリアン小説。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Les Fourmis, Bernard Werber, Albin Michel, 1991。私が読んだのは1995年3月15日発行の第二刷。今は角川から文庫で出てる。縦一段組みで上巻約225頁+下巻約220頁=約445頁。42字×16行×445頁=299040字、400字詰め原稿用紙で約748枚。長編としちゃ、ちと長めかな。

 元はフランス語だけど、案外と文章は読みやすい。最近の英米SFにありがちな、よく言えばスタイリッシュ、悪く言えば気取った文体ではなく、普通に物語を語る雰囲気の、とっても素直な文体。

どんなお話?

 物語は大きく分けて二つのパートからなる。一つは人間、もう一つが蟻。

 まずは人間パート。鍵屋のジョナサン・ウエルズは、伯父エドモン・ウエルズの遺産であるアパートに引っ越してきた。妻のルシー・子のニコラ・愛犬のウーラザットと一緒だ。アパートには鍵のかかった地下室があったが、伯父はジョナサンに書置きを残していた。<何があっても絶対に、地下室に行ってはならない!>

 続いて蟻パート。赤アリの都市、ベル・オ・カンは、冬眠から目覚めようとしていた。ベル・オ・カンは周囲の64の姉妹都市と連合を結ぶ協力な都市で、宿敵の白アリや北の小型アリと長い戦いを続けている雄アリの327号は仲間に誘われて遠征隊に加わり、狩りに出かける。幸い獲物にありついたが…

感想は?

 蟻パートが、とっても素晴らしい。現実に知られている蟻の生態を活かしつつ、奔放な想像力で肉付けされた彼らの社会は、ジャック・ヴァンスやラリイ・ニーヴンが創造するエイリアン社会に勝るとも劣らぬ、新鮮な驚きに溢れている。これぞまさにセンス・オブ・ワンダー。

 よく知られているように、蟻は社会的な動物だ。同じ種でも、個体ごとに異なった役割を果たす…どころか役割ごとに肉体まで大きく違い、巣全体で一つの生命として生きている感すらある。生活圏も地中にトンネルを掘って、複雑な巣を作る。巣の中は目的に応じた様々な部屋に分かれていて、中にはキノコを養殖する蟻までいる。

 蟻パートの出だし、327号が冬眠から目覚めるシーンから、私は一気に蟻の世界に引き込まれた。変温動物である蟻にとって、熱はどんな意味を持つのか。以下、ベル・オ・カンの住民が目覚めるシーンから。

 透明な血液が静脈のネットワークを自由に循環できるように、身を震わせている。血液は最初固まっているが、だんだんに溶けていき、そして液体になる。徐々に心臓のポンプが動き出し、血液を体のすみずみにまで押しだしていく。

 もはや生物というよりサイボーグやロボットに近い雰囲気だ。彼らがコミュニケーションをとる方法も、我々人間とは全く違う。一つはフェロモンで、多様な匂いが様々なメッセージを運ぶ。仲間の識別、狩りのルート、パニック、そして危険信号。もう一つは…カバー裏をご覧あれ。

 白アリや他の昆虫・動物や鳥たちとの戦いの模様もエキサイティング。単にしがみついて噛み付くだけではない。飛び道具も使えば戦車まで開発する。ハードウェアだけでなく、それぞれのハードウェアや地形・気候に応じ、ソフトウェア、すなわち陣形や戦術も使い分け、戦況により続々と新規な戦法を創出していく。上巻のハイライト、小型アリとの決戦シーンは、アクションあり新兵器ありアイディアありで、ハリウッド顔負けの手に汗握る展開が続く。日本人としては、川中島か関ヶ原か、といった感じ。

 当然ながら、蟻は倫理観が人と全く違う。それが生存の役に立つなら、同種の個体でも平然と肉体を改造する。群れの中心である女王アリは勿論、幼虫の世話しか目にない乳母アリ、戦闘を担当する兵隊アリ、生殖の為に生きる雌アリ。他にも同じ種とは思えぬ凄まじい変化をした貯蔵アリや、番兵アリにはびっくりした。

 倫理観といえば、ラスト近く、雌アリの56号のアレもショッキング。彼女が生まれた目的、今まで生きてきた目的を考えれば至って合理的な行動ではあるものの…種が違うってのは、こういう事なんだろうなあ。

 センス・オブ・ワンダーに溢れた異星人が大好きな人には、文句なしにお勧め。そこらのスペース・オペラなんかより、遥かに異質で不気味で、けれどとっても合理的で納得のいくエイリアンに出会えます。ただ、人類と交流できるかというと…

 そうそう、訳者あとがきは一部ネタバレありなので、あとがきを先に読む癖のある人は要注意。物語全体に関わるものではないけど、重要な謎を解いちゃってる。

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2011年2月 4日 (金)

フィリップ・ショート「ポル・ポト ある悪夢の歴史」白水社 山形浩生訳

 その後三年にわたり、人口七百万のうち百五十万人が、サロト・サルの発想を実現しようとして犠牲になる。処刑されたのはごく少数、残りは病死、過労死、または餓死だった。
 自国民のこれほどの割合を、自らの指導者による単一の政治的理由による虐殺で失った国は他にない。

どんな本?

 映画「キリング・フィールド」で有名な20世紀の悪夢、カンボジアの大虐殺を引き起こしたクメール・ルージュ。そのボスであるポル・ポトの伝記の形を取りながら、20世紀後半のカンボジアの歴史を掘り起こす。登場人物も基本的にはポル・ポトおよびクメール・ルージュを中心としながらも、元国王のシアヌークの私生活にも多くの頁が割かれ、ベトナムのレ・ズアンやレ・ドク・トも重要な役割を果たす。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Phip Short, Pol Pot: Anatomy of a Nightmare(Henry Holt, 2004)。日本語訳は2008年2月10日発行。容量が凄まじい。A5ハードカバー縦一段組みで本文~あとがき約680頁に加え、巻末の「注と出所」が約200頁。45字×20行×680頁=612000字、400字詰め原稿用紙で約1530枚。そこらの本なら三冊分の大容量。

 山形さんの文章そのものは日本語として読みやすい方なんだけど、いかんせん内容が複雑すぎる。登場人物がやたらと多く、それぞれ本音と言う事が違う。当時のカンボジアの国内情勢も烏合離散の繰り返しで、ベトナムや中国など周辺諸国の思惑もねじれまくってる。おまけにクメール・ルージュの連中は途中で名前を変えるんで、注意深く読まないと何がナンやら。

 という事で、中身はとっても充実しているものの、それだけに読むにはソレナリの覚悟が必要。

構成は?

  謝辞
  発音表記など
  序文
第一章  サル
第二章  光の街
第三章  反乱軍への参加
第四章  カンボジアの現実
第五章  胎動
第六章  理性の突然死
第七章  浄化の炎
第八章  黒服の男たち
第九章  未来完了
第十章  世界のお手本
第十一章 スターリンの病原菌
第十二章 崩壊した理想郷
  後記
  訳者あとがき
  登場人物
  注と出所

 出てくる人物がやたら多い上に、馴染みのないカンボジア人やベトナム人の名前なんで、登場人物があるのはありがたい。「注と出所」があるのはいいが、本文中に「注がある」由を示す印(例えばこんなの*)がついてないんで、どの文章に注や出所がついてるのか分からない。約200頁も使って出展には細心の注意を払ってるのに、これは勿体無い。

感想は?

 量といい質といい、クメール・ルージュの興亡を知るには格好の一冊。その分、解像度が高すぎるんで、手軽に概略を把握したい人にはお勧めできない。とまれ、カンボジア情勢は複雑すぎるんで、「手軽に概略を把握する」なんでのが、そもそも無茶なんじゃないかって気もする。

 後にポル・ポトと名乗るサロト・サルが育った20世紀初頭のカンボジアは、「バッタンバンの州知事でさえ百人以上の妻を持って」いる国。男尊女卑で長幼の序列は厳しい、封建主義社会。クメールは上座部仏教を根底としたインドに近い文化で、中国文化で儒教社会のベトナムに劣等感を交えた敵意を持っている。共通点は、どちらもフランスの植民地という事。

 富農の倅サロト・サルはパリに学び、留学生仲間とともに共産主義に目覚めて帰国する。独立を求めるカンボジアは多様な派閥が相争う内戦状態で、中でもベトナムが支援する(というよりベトナムの傀儡)共産主義勢力が勢いを増している。ベトミンを恐れるシアヌークは欧米にカンボジア独立の保障を訴える。

「我々は共産主義の奴隷状態がどんなものか知らない。だがフランスが課した奴隷制ならよく知っている」

 当時のシアヌーク、やる事はともかく、スピーチは巧い。以降もシアヌークは度々顔を出すのだが、カンボジアの国家運営はともかく、政治争いで生き延び復活する手腕には、やたらと長けてる。
 サロト・サルはベトナムで共産主義革命の手口を学ぶ。だが、その共産主義はマルクスや毛沢東のモノとは全く違う、クメール流のものだった。

 毛沢東が労働組合のまとめ役から共産党員として歩み始め、ホー・チ・ミンが甲板員やロンドンのレストランの皿洗いを経験したのに対して、サロト・サル、ヌオン・チェア、イエン・サリ、ソー・ピムをはじめとするカンボジアの主導者は、だれ一人として労働階級の生活を経験したことがなかった。かれらは農民か農家の出身の学生か、その両方だった――工業はかれらに理解できないものだった。

 シアヌークおよびロン・ノル統治下のカンボジア国民の窮状も相まって、カンボジアでは革命の舞台が整う。ベトナムの力を借りてカンボジアを席巻するカンプチア統一戦線は、ベトナム人が主導する国内の共産主義勢力を、次第にカンボジア人主力に置き換えていく。当初は比較的穏やかだったクメール・ルージュの支配だが、やがて爆撃からの避難を理由に強制移動が始まる。

「すべてが協同所有になると、家畜も家禽も病気になって死んでしまった。農作物にも被害が出た。だれも農作物や田畑の世話をしなくなったからだ」

 私的財産を否定した集団農場計画は、最初からコケる。ところが共産党は、「清く誠実な社会を作る」という目標で、自らの失敗を省みない。教養のある者は腐敗の元凶として殺される。その根底には、農村生活者による都市生活者への妬みがあるのでは、と著者は指摘する。

 一般的な社会組織に携わる人数が削減されるほど、生産に寄与する人数は増加し、国家はより早く富を手にできる。したがって合理的な社会秩序化のためには非生産的活動の規制に努め、できる限り多くの人々を生産活動に携わらせなければならない。

  こういう単純な思考で国民の尻を叩くが、クメール人ときたら。

シアヌークは1950年代に村を訪れたアメリカ人の援助専門家の体験をあげている。かれは米の収穫高が倍になるからと村人たちに化学肥料を使うよう説得した――「確かに収穫期になると倍の作物が実り、人々は喜んだ。(中略)(だが翌年に)ふたたび訪れた専門家は、農民たちが農地の半分しか耕していないのを見て愕然とした。『農地の半分を耕せば同じだけ収穫できるんだから、全体を耕す必要はないでしょう』」

 著者は理由を農民の無欲と怠情または知恵と言ってるけど、実際はどうなんだろ。必要以上に働いても、無駄になるような収税制度だったんじゃないだろうか。

 まあいい。こういうクメール人を働かせるために、クメール・ルージュは自由市場を導入する代わりに、恐怖と強制による支配を使う。無茶なようだけど、これが最初は巧くいっちゃうんだ。都市住民はともかく、農民には最初から自由なんてなかったから。ところが次第に…

 なんでこうなったのか。その解は、人それぞれだろう。そして、それぞれの解は、少しづつ正解を含んでいるんだと思う。

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