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2011年1月24日 (月)

ローラ・グールド「三毛猫の遺伝学」翔泳社 古川奈々子訳 七戸和博・清水眞澄監修

曲がりくねった道を通ってきたことによって、それまで信じてきた三つの事柄を証明することができた。目的地よりもそこにいたるまでの道のほうが往々にして楽しいということ、田舎道のほうが高速道路よりずっと魅力的だということ、そしてネコの化けの皮をはがすにはいろいろな手段があるということ、の三つである。

どんな本?

 著者ローラ・グールドは、納屋に出没するネズミ対策のため、二匹の雄ネコ、ジョージとマックスを飼い始める。マックスは黒で手足が白く、ジョージは三毛だった。「え?三毛猫って、雌だけじゃないの?」不思議に思った著者は、ジョージの正体を探るために遺伝学の学習を始め…

 遺伝学には素人の著者が、自らの飼い猫ジョージの神秘を解くという目標に向かって学習する過程を通して、猫と遺伝学の歴史と基礎を解説した、少し変わった趣向の一般向け科学解説書。科学に興味がある人はもちろん、猫好きの人にもお勧め。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Cats Are Not Peas, Laura Gould, 1996 Springer-Verlag New York,  日本語訳は1997年9月30日初版発行。約300頁で縦一段組み。9ポイントで45字×17行×300頁=229,500字、400字詰め原稿用紙で約574枚と、科学解説書にしてはお手軽な分量。

 翻訳物の科学解説書というと、気取った文章でお高くとまってる印象を受けるだろうけど、どうかご安心を。確かに翻訳物っぽい文体ではあるものの、素人である著者は、遺伝学の素人が、どういう所でつまづくかを、肌で理解している。そのため、なるべく専門用語は使わないようにするか、使う際も、充分に(かつ印象的なエピソードを添えて)解説しているため、無味乾燥な教科書より遥かにわかりやすく、記憶に残る形で説明している。

構成は?

 1 はじめにジョージありき
 2 ジョージはどこからやってきたのか?
 3 ジョージの祖先
 4 性に関する昔の学説
 5 遺伝学の起源
 6 科学者たちはいつ、なにを見たのか?
 7 初期の三毛ネコ論文
 8 性に関する最近の学説
 9 最近の三毛ネコ論文
 10 ネコが袋から飛び出した(秘密の解明)
   用語解説
   年譜
   あとがき
   監修者あとがき
   索引

 遺伝学の解説書とはいえ、体裁はあくまでもジョージの謎をめぐる物語風に進む。図書館に行って論文を漁る傍ら、マックスとジョージの成長や癖、生活パターンの紹介にも多くの頁を裂いている。この辺、猫好きか否かで評価が分かれるかもしれない。ちなみに著者は田舎住まいの外飼い派で、ジョージとマックスは去勢してます。

感想は?

 以下の風景を、パラダイスと感じる人には、たまらなく面白い本。

「延々と続く長い廊下があってね、(略)廊下の両側には、背もたれの真っ直ぐな藤製の椅子がずらりと並んでいる。そして、どの椅子にも、子ネコがちょこんと乗っかっているのさ」

 雄の三毛猫ジョージの謎を解く、という目的を掲げつつも、冒頭に挙げた引用のように、物語はアチコチに寄り道しながら進む。母校の大学の図書館に行って官僚的な図書館員と喧嘩したり、雄の三毛猫が出てくる物語を探したり、ジョージとマックスの散歩に付き合ったり。なぜ三毛猫は雌ばかりなのか、という謎は、早々にケリがつく。

 被毛の色に関して、二つの遺伝子の意見が異なると、三毛ネコが生まれる。(略)
 性染色体にはXとYの二種類がある。ほ乳類ではX染色体を二本もてば雌(XX)、XとYを一本ずつなら雄(XY)になる。(略)
 ネコでは、オレンジ色の被毛を発現させる遺伝子はX染色体上にある。だが、その遺伝子を置く場所はY染色体にはない。したがって、XYネコ(つまり雄ネコ)が、「オレンジがいい」という遺伝子と、「オレンジはだめ」という遺伝子の両方を持つ可能性はないはずなのである。

 この辺はややこしいのだけど、どんな親からどんな子が生まれるかを、一目でわかる「パンネット・スクエア」という図を、本書で紹介しているので、是非ご覧あれ。ところで、この本を読んで初めて知ったのだけど、三毛って、品種じゃないのね。だから三毛が親だと、子は三毛・オレンジ・黒、すべての可能性がある、と。

 お話はこの後、ネコの祖先を探ってアフリカに飛ぶ。最初にネコ(恐らくリビアヤマネコ)を家畜化したのはエジプト人だそうで。犬に比べ、意外と付き合いは浅い。欧州では魔女の相棒としてネコが嫌われる時期もあり、教会が「ネコは悪しき者である」とおふれをだしたとか。ところが、14世紀のなかば、ペストの大流行がネコを救う。が、喉元過ぎればなんとやら、15世紀の半ばに再び猫は迫害され…

 次に話は遺伝に戻り、有名なメンデルの論文に辿りつく。彼が選んだ七つの形質は、全て異なる染色体上にあったとか。エンドウの染色体は七対なので、これは天文学的な幸運と言えるだろう…または、予備実験によって「独立の法則」が成立しやすい形質を選んだ、という可能性もあるけど。

 X染色体の名前の謎も面白い。発見者ヘルマン・ヘンキングは、これを Doppelement X と呼んだため、とか。Doppelement は二重因子の意味で、Xは「未知の物体」の意味。しょうもないw

 ネタは猫ばかりでもない。「なぜ三毛猫は雌ばかりなのか」というネタの性質上、性の問題も絡んでくる。「一般的に、女の一卵性双生児は男の一卵性双生児より似ていない」など、猫が好きでない人にも、性差は興味深い話題だろう。「モザイク」や「キメラ」が、自然に発生するなんて、知らなかったよ、あたしゃ。世のクローン人間を扱うSFは、もう少し考え直す必要があるかも。…あれ?って事は、男女の一卵性双生児もあり得るのかな?

 さて。結局、ジョージの正体は、巻末近くで明らかになるが、同時にジョージへの気持ちにも気がつく。

もしかすると、ジョージも前よりは人なつこくなっている。(略)だがそのとき私はきづいた。わたしはありのままのジョージを愛しているのだ。気むずかしくて、独立心旺盛で、超然としたジョージを。

 猫の飼い主なんて、みんな、そんなもんなんだろうなあ。

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