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2011年1月の18件の記事

2011年1月31日 (月)

スタニスワフ・レム「泰平ヨンの航星日記 改訳版」ハヤカワ文庫SF 深見弾・大野典宏訳

 私が行おうとした探索の目的は、森羅万象の創造だった。これまでにない新しい、どこかまったく違う宇宙を創造したという意味ではない。私たちが現在住んでいるまさにこの宇宙である。

どんな本?

 碩学スタニスワフ・レムによる、ユーモラスな大法螺連作短編集。博学多識で行動力旺盛、論理を重んじるが、いささか頑固で癇癪持ちな泰平ヨンが、時空をまたにかけて宇宙を飛び回り、奇想天外な星の住民の文化や生態を綴る形式で書かれている。一つの舞台に拘る長編と異なり、各編ごとに多様な舞台を設定できる短編集という形式は、深く幅広い知識と融通無碍な思考に支えられたレムの芸風を活かすのに、格好の形式かもしれない。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は DZIENNIKI GWIAZDOWE, Stanislaw Lem で2003年のポーランド語版を基にロシア語版で補ったもの。日本語訳は1980年2月のハヤカワ文庫版が初版で、この改訳版は2009年9月15日発行。レムは2003年までこの作品を改定し続けたそうで、この改訳は改定に追いつく意味もある。

 文庫本で約555頁、縦一段組み9ポイント40字×17行×555頁=377,400字、400字詰め原稿用紙で約944枚の大作。文章はレムらしくやや堅苦しいものの、Fiasko に比べるとたいぶ読みやすい。まあ、レムにスラスラ読める可読性を期待する読者は、まずいないだろうけど。

収録作は?

序文
第三版への序論
増補改訂版への序論
資料に関する覚書
 いきなり頭からレムらしい仕掛けが炸裂してる。往年のレム・ファンは、この辺から「うはは、これがレムだよねえ」と一気に引き込まれるだろう。
第7回の旅
 宇宙船の故障で、ペテルギウス周辺の重力渦に巻き込まれたヨン。重力渦が引き起こす時空の歪みは、奇想天外な現象を引き起こし…
 筒井康隆風の、ドダバタ・コメディ。
第8回の旅
 地球代表として、人類に惑星連合の代表権を与える審議に出席する羽目になったヨン。ところがその審議ときたら…
 短い作品ながら、審議に出てくるエイリアンの生態の多様性は半端じゃない。「宇宙とは拡大された地球ではない」というレムの信条が存分に発揮されている。その審議で述べられる地球文明の歴史がまた、なんというか。
第11回の旅
 ツェルベル星近辺で輸送船が消息を絶った。乗組員に虐待され狂ったコンピュータが何かしでかしたらしい。保険会社が何度も捜索隊を送るが、全て音信不通となる。ヨンが調査に赴くが…
 もしかしたら、スターリン体制を風刺してるのかな?
第12回の旅
 タラントガ教授が作った、時間を自由に伸縮できる装置を譲り受けたヨン。早速装置を積み込んで、ヨンは宇宙に乗り出し…
 お話は手塚治虫っぽい雄大さなんだけど、タッチは藤子不二雄っぽい軽さと皮肉が満ちている。
第13回の旅
 全生命の中で最も優れた人物の一人とされる、嗚呼師。この思想家に憧れたヨンは、彼のまれた姐蛇星へと赴くが、途中で魚察署の三人連れに連行されてしまう。
 いかにも東側らしい、思想先行の屁理屈社会の無茶苦茶ぶりがなんとも。
第14回の旅
 ブリザルド著「狗留伝竜と蛸鹿のなかで暮らした二年間」に感銘を受けたヨン。狗留伝竜狩りに憧れ、宇宙百科事典でエンテロピアを調べるが、堂々巡りに翻弄される。「これは自分で確かめねば」とエンテロピアに出かけるが…
 狗留伝竜狩りの奇想天外っぷりが凄い。
第18回の旅
 冒頭の引用は、この作品から。宇宙論とアレを結びつけるとはw
第20回の旅
 自宅で寛いでいたヨンは、意外な乱入者に誘拐され、地球の歴史を作る仕事に就く羽目になる。ところがプロジェクトって予定通りにはいかないもので…
 宇宙の創生から人類の歴史まで、ここまで徹底的に茶化されると、後のSF作家がネタに困るんじゃなかろか。
第21回の旅
 発達した文明を求めてジフトニアに飛んだヨン。いきなり拘束された彼は、とある教団に救い出され、ともに生活しつつ、この星の歴史を手繰る。
 進歩する科学に対し、信仰はどう対応し、どうやって生き延びるのか。そもそも信仰とは何か。根底に流れるテーマは深遠であるものの、ビジュアルとして展開する風景は滑稽かつグロテスク。多数の派閥が理想をぶつけ合う様は、やっぱりレムも東側の人なんだなあ、と思ってしまう。
第22回の旅
 サテルリナのスナックにポケットナイフを置き忘れたヨン。取りに戻ろうとしたが、近辺にはサテルリナという星が沢山あって…
 多数のアイディアを一つの短編に詰め込んだ、この短編集を象徴するような作品。ここでも相変わらずキリスト教が徹底的に茶化されます。
第23回の旅
 青と赤、二重の太陽の周りを廻るエルペヤに住むブジュト人。狭いこの星で生きるために、彼らがとった方法は…
 シンプルなワン・アイデア・ストーリー。駄目だよヨン、こんな便利な物を忘れるなんて。これがあれば強襲揚陸がとっても簡単に…って、私も充分に「地球人」だなあ。
第24回の旅
 正体不明の惑星に降り立ったヨン。そこには、50cmぐらいの円盤が規則正しく並んでいた。
 今の地球にある、ありとあらゆる社会体系をトコトン皮肉っている。どうないせいちゅうねん。
第25回の旅
 ムトリアとラトリダの両惑星を結ぶ路線の途中に、石雲がある。その石雲には、正体不明の怪物が出没するという噂が…
 起承転転転…と転がり続ける法螺話。
第28回の旅
 時間が錯綜した宙域に迷い込んでしまったヨンは、彼の祖先の生涯に想いをはせる。
 序文の仕掛けと相まって、全体の構造を裏返しては包み込む、この短編集の末尾に相応しい作品。
訳者あとがき
解説 野田令子

 ドタバタ・コメディから現代社会の風刺、宇宙の創生から信仰の実態まで、博覧強記な知識と冷徹な論理で縦横無尽に皮肉りコキおろす。バラエティも豊かだし、レムの入門用としては…悪くないけど、初心者には、少々、シャレがキツすぎる、かな?

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2011年1月28日 (金)

楽屋オチでごめん

わかってます。わかってますとも。楽屋オチってのは、一般受けしないもんです。
でも、やりたいんです。

Google は賢く多機能で、最近は翻訳までやってくれる。ってんで、このブログを翻訳してもらった。

  

翻訳した結果

…うん、まあ、そりゃ、「ちくわぶ」に該当する英単語なんか、ないよね。
ないのは、しょうがないけど。
だからって、それはあんまりじゃないか。

なんで、"Lovely Idol Chikuwa" なのよ。

タイトルの背景の、パステルカラーのタータンチェックが、ソレぽい雰囲気を出してて、
妙にツボに入ってしまった。

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2011年1月27日 (木)

M.v.クレヴェルト「補給戦 ナポレオンからパットン将軍まで」原書房 佐藤佐三郎訳

諸君が軍隊をどこへ、いつ移動させたいと思っているかを知るには、熟練も想像力もほとんど必要としない。だが、諸君がどこに軍隊を位置させることができるか、また諸君がそこに軍隊を維持させることができるかどうかを知るには、たくさんの知識と刻苦勉励とが必要である。

どんな本?

 16世紀から現代まで、兵站という側面から、欧州の幾つかの戦争(戦闘)を例に、具体的に分析した本。舞台が欧州に限定されてはいるが、舞台や食生活が変わらない分、時代(技術)の変化が戦争に及ぼした影響が明確に見えてくる。特に、第二次世界大戦のロンメルとパットンの対比が面白い。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は1977年、ケンブリッジ大学出版局より出た Supplying War, Martin Van Creveld。日本語訳は1980年11月30日初版。2006年5月に中央公論新社から文庫版が出てる。本文226頁で8ポイント縦二段組、26字×22行×2段×226頁=258,544字、400字詰め原稿用紙で約645枚。

 分量は厚い文庫本程度だが、文章は堅苦しい。というか、完全に専門家向けの学術書で、読み込むにはそれなりの覚悟が必要。ナポレオンがどのように軍を展開したか、第一次世界大戦の戦況がいつどのように変化したかなど、Wikipedia で調べれば解かるレベルの事は、常識として頭に入っている者を、読者として想定している模様。

 途中、多少は数式が出てくるけど、加減乗除だけなので、あまり気にする必要はないだろう。

構成は?

序 章  戦史家の怠慢
第一章  16~17世紀の略奪戦争
第二章  軍事の天才ナポレオンと補給
第三章  鉄道全盛時代のモルトケ戦略
第四章  壮大な計画と貧弱な輸送と
第五章  自動車時代とヒットラーの失敗
第六章  ロンメルは名将だったか
第七章  主計兵による戦争
第八章  知性だけがすべてではない
あとがき

 時代ごとに章にわけ、それぞれの章で代表的な人物と、その作戦行動をとりあげ、具体的に分析する、という形を取っている。各章の末尾に、章全体の内容をまとめた「結論」があるので、私の様な素人は、そこだけ拾い読みすると楽な上に理解しやすいと思う。もっと忙しい人は、最終章の「知性だけがすべてではない」だけ目を通せばいいかも。

感想は?

 先に触れたように、ある程度、欧州の歴史を知っている人を対象読者としている。私が欧州の歴史に疎いせいか、後に行くに従って馴染みのある名前が増え、尻上がりに面白くなった。特に最終章は、本書のエッセンスが凝縮されている。

 単純に兵站の重要性を強調するだけの本かと思ったら、意外とそうでもない。「兵站は勿論重要だし、軽視されてきた分野ではあるけど、理屈どおりにかないのが戦争だし、時には思い切った決断も必要だよね」みたいな結論になっていた。

 とまれ兵站が戦争の性格を決めるのは確かで、18世紀あたりの戦争だと、軍は現地徴発が普通で、そのために動き続けなければならなかった、とか。止まってると近隣のものを食いつぶすので、兵と馬が飢えてしまうそうな。よって、「あらゆる包囲攻城戦は時間との競争になった」としている。特にかさばるのが、まぐさ。

 モルトケも意外と鉄道を活用できなたっかようで、ネックとなったのは二つ。列車からの荷下ろしにてこずった事と、フランスの要塞が鉄道線を遮断した事。荷下ろしの問題は、第一次世界大戦に加え、第二次世界大戦のバルバロッサ作戦でも再演される。

 ロシアの鉄道はドイツと軌間が違うので、そのままじゃドイツの機関車は走れない。だからレールを付け替えるか、荷物を載せかえるかしなきゃいけない。ドイツ軍は道路沿いに進軍したため、線路沿いにはまだロシア軍が残っていて、作業の邪魔をされた。「10月全体を通じて、予定された724列車のうち、実際に到着したのはたったの195列車だけだった」。この辺は、電撃戦の泣き所ですな。そんな列車でも巧く動けば輸送力は絶大で、「たった一本の複線の鉄道輸送能力に匹敵するには、1600台ものトラックが必要だった」とか。

 んじゃトラック輸送はというと、これも悪路で燃費が悪化した上に、高速な機甲部隊が多くの敵を撃ち漏らしていたので、「重輸送部隊のトラックの損失は、作戦開始後19日以内で早くも25パーセントに達した」。燃費の悪化は、こんな感じに描写している。

 予想していた一ヶ月当たり25万トンのかわりに、33万トン(一日9000トン)にふえたことである。100キロメートル(60マイル)走るのに必要な標準燃料消費量は、ロシアではたった70キロメートルしか保たなかった。

 次の第六章では、ロンメルとアフリカ軍団の戦いを補給面から見て、「いやロンメルさん無茶やろ」と結論付けている。ネックとなっているのは地中海ではなく、港。荷揚げできるのがトリポリだけじゃ、補給線が長すぎるでしょ。と。ベンガジも使えたけど、英空軍の空襲を受けたそうな。制空権が重要な理由の一つが、これなのね。納得。

 第七章「主計兵による戦争」では、ノルマンディ以降の連合軍の戦いを、パットンの突進と補給の面から論じている。今まで補給に苦しむ戦いばかりを論じてきた中で、この章は異色にも、慎重すぎる補給計画が侵攻の足を引っ張ったかのような論調になっているのが興味深い。

 最終章で、筆者はこう論じている。

第二次世界大戦後30年間にわたる輸送手段の発達にもかかわらず、筆者の見解によれば機動作戦のスピードは、近い将来劇的に上昇するとは思えない。

 すると、イラク戦争での快進撃の要因は、何だったんだろう?情報化による戦闘部隊の軽量化と、コンテナによる輸送効率の向上なのかな?

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2011年1月24日 (月)

ローラ・グールド「三毛猫の遺伝学」翔泳社 古川奈々子訳 七戸和博・清水眞澄監修

曲がりくねった道を通ってきたことによって、それまで信じてきた三つの事柄を証明することができた。目的地よりもそこにいたるまでの道のほうが往々にして楽しいということ、田舎道のほうが高速道路よりずっと魅力的だということ、そしてネコの化けの皮をはがすにはいろいろな手段があるということ、の三つである。

どんな本?

 著者ローラ・グールドは、納屋に出没するネズミ対策のため、二匹の雄ネコ、ジョージとマックスを飼い始める。マックスは黒で手足が白く、ジョージは三毛だった。「え?三毛猫って、雌だけじゃないの?」不思議に思った著者は、ジョージの正体を探るために遺伝学の学習を始め…

 遺伝学には素人の著者が、自らの飼い猫ジョージの神秘を解くという目標に向かって学習する過程を通して、猫と遺伝学の歴史と基礎を解説した、少し変わった趣向の一般向け科学解説書。科学に興味がある人はもちろん、猫好きの人にもお勧め。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Cats Are Not Peas, Laura Gould, 1996 Springer-Verlag New York,  日本語訳は1997年9月30日初版発行。約300頁で縦一段組み。9ポイントで45字×17行×300頁=229,500字、400字詰め原稿用紙で約574枚と、科学解説書にしてはお手軽な分量。

 翻訳物の科学解説書というと、気取った文章でお高くとまってる印象を受けるだろうけど、どうかご安心を。確かに翻訳物っぽい文体ではあるものの、素人である著者は、遺伝学の素人が、どういう所でつまづくかを、肌で理解している。そのため、なるべく専門用語は使わないようにするか、使う際も、充分に(かつ印象的なエピソードを添えて)解説しているため、無味乾燥な教科書より遥かにわかりやすく、記憶に残る形で説明している。

構成は?

 1 はじめにジョージありき
 2 ジョージはどこからやってきたのか?
 3 ジョージの祖先
 4 性に関する昔の学説
 5 遺伝学の起源
 6 科学者たちはいつ、なにを見たのか?
 7 初期の三毛ネコ論文
 8 性に関する最近の学説
 9 最近の三毛ネコ論文
 10 ネコが袋から飛び出した(秘密の解明)
   用語解説
   年譜
   あとがき
   監修者あとがき
   索引

 遺伝学の解説書とはいえ、体裁はあくまでもジョージの謎をめぐる物語風に進む。図書館に行って論文を漁る傍ら、マックスとジョージの成長や癖、生活パターンの紹介にも多くの頁を裂いている。この辺、猫好きか否かで評価が分かれるかもしれない。ちなみに著者は田舎住まいの外飼い派で、ジョージとマックスは去勢してます。

感想は?

 以下の風景を、パラダイスと感じる人には、たまらなく面白い本。

「延々と続く長い廊下があってね、(略)廊下の両側には、背もたれの真っ直ぐな藤製の椅子がずらりと並んでいる。そして、どの椅子にも、子ネコがちょこんと乗っかっているのさ」

 雄の三毛猫ジョージの謎を解く、という目的を掲げつつも、冒頭に挙げた引用のように、物語はアチコチに寄り道しながら進む。母校の大学の図書館に行って官僚的な図書館員と喧嘩したり、雄の三毛猫が出てくる物語を探したり、ジョージとマックスの散歩に付き合ったり。なぜ三毛猫は雌ばかりなのか、という謎は、早々にケリがつく。

 被毛の色に関して、二つの遺伝子の意見が異なると、三毛ネコが生まれる。(略)
 性染色体にはXとYの二種類がある。ほ乳類ではX染色体を二本もてば雌(XX)、XとYを一本ずつなら雄(XY)になる。(略)
 ネコでは、オレンジ色の被毛を発現させる遺伝子はX染色体上にある。だが、その遺伝子を置く場所はY染色体にはない。したがって、XYネコ(つまり雄ネコ)が、「オレンジがいい」という遺伝子と、「オレンジはだめ」という遺伝子の両方を持つ可能性はないはずなのである。

 この辺はややこしいのだけど、どんな親からどんな子が生まれるかを、一目でわかる「パンネット・スクエア」という図を、本書で紹介しているので、是非ご覧あれ。ところで、この本を読んで初めて知ったのだけど、三毛って、品種じゃないのね。だから三毛が親だと、子は三毛・オレンジ・黒、すべての可能性がある、と。

 お話はこの後、ネコの祖先を探ってアフリカに飛ぶ。最初にネコ(恐らくリビアヤマネコ)を家畜化したのはエジプト人だそうで。犬に比べ、意外と付き合いは浅い。欧州では魔女の相棒としてネコが嫌われる時期もあり、教会が「ネコは悪しき者である」とおふれをだしたとか。ところが、14世紀のなかば、ペストの大流行がネコを救う。が、喉元過ぎればなんとやら、15世紀の半ばに再び猫は迫害され…

 次に話は遺伝に戻り、有名なメンデルの論文に辿りつく。彼が選んだ七つの形質は、全て異なる染色体上にあったとか。エンドウの染色体は七対なので、これは天文学的な幸運と言えるだろう…または、予備実験によって「独立の法則」が成立しやすい形質を選んだ、という可能性もあるけど。

 X染色体の名前の謎も面白い。発見者ヘルマン・ヘンキングは、これを Doppelement X と呼んだため、とか。Doppelement は二重因子の意味で、Xは「未知の物体」の意味。しょうもないw

 ネタは猫ばかりでもない。「なぜ三毛猫は雌ばかりなのか」というネタの性質上、性の問題も絡んでくる。「一般的に、女の一卵性双生児は男の一卵性双生児より似ていない」など、猫が好きでない人にも、性差は興味深い話題だろう。「モザイク」や「キメラ」が、自然に発生するなんて、知らなかったよ、あたしゃ。世のクローン人間を扱うSFは、もう少し考え直す必要があるかも。…あれ?って事は、男女の一卵性双生児もあり得るのかな?

 さて。結局、ジョージの正体は、巻末近くで明らかになるが、同時にジョージへの気持ちにも気がつく。

もしかすると、ジョージも前よりは人なつこくなっている。(略)だがそのとき私はきづいた。わたしはありのままのジョージを愛しているのだ。気むずかしくて、独立心旺盛で、超然としたジョージを。

 猫の飼い主なんて、みんな、そんなもんなんだろうなあ。

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2011年1月22日 (土)

藤沢周平「蝉しぐれ」文芸春秋

稲作にかぎらず、総じて農事は、やり直しのきかない真剣勝負のようなものだということも悟った。一年に一回だけの勝負である。
 そのために手段をつくして用意がととのえられ、種が播かれ苗が植えられる。植えつけたあとも育成にしたがって作物の手入れをしないと物は育たない。そのために、たとえば田草取りの作業では、炎天下の田圃を這い回って村人は草を取るのである。そのようにして、一番草から三番草まで、領内の平野の隅々まで、人の手が三度地面を撫で回すのだ…

どんな本?

 山本周五郎と並ぶ時代小説の大御所、藤沢周平の作品の中でも最も人気の高い長編小説。架空の藩、海坂藩を舞台に、若き下級藩士・牧文四郎の成長を描く。

 というと、ナニヤラ高尚なブンガク作品みたいだけど、とんでもない。いや人物造形や心情描写がおろそかという意味ではなくて、淡い初恋や同門の仲間たちとの友情、剣のライバルとの葛藤などといった青春物の定番はもちろん、お家騒動や尊敬する父の秘密、そして剣戟アクションなど読者をひきつける要素を満載した、誰もが楽しめるサービス満点の娯楽作品。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 初出は山形新聞夕刊1986年7月9日~1987年4月11日。自分が読んだのはソフトカバー、1988年5月10日第一刷で、2005年9月30日の22刷。多くのファンに長く愛されてます。縦一段組みで本文約430頁。43字×20行×430頁=369,800字、400字詰め原稿用紙で約925枚の大作。

 量が多いが、文章の読みやすさは抜群。時代小説とは言っても決して堅苦しい文体ではなく、あの時代の雰囲気を漂わせつつも、現代の読者に不自然さを感じさせない、絶妙の職人芸を見せてくれる。構成も視点は文四郎固定、時系列も素直でこれみよがしな小細工はなし。

 ただ、最近のハリウッド映画のように、出だしの5分で観客を驚かせる…といった性急な構成ではなく、少しづつ読者を引き込んでいく雰囲気の作品なので、いきなり派手なアクションは期待しないように。その分、じっくりと描かれた世界の中で展開する物語は、お話が進むに従って吸引力を増していく。

感想は?

 実は藤沢周平を読むのは初めてで、ナニかと構えてたんだけど。
 「もっと早く読んどきゃよかったあああぁぁぁ!」
 なんというか、「面白い小説ってのは、こういうんだよ」という、お手本のような小説だった。

 牧文四郎、15歳。午前中は居駒礼介の私塾に学び、午後は空鈍流の石栗道場で剣を磨く。剣の腕は将来を期待されているものの、学業は、まあ、アレだ。塾と道場で同門の親友は二人。細身で背の高い島崎与之助は、江戸の塾への留学を薦められるほどの秀才。早くに父を亡くした小和田逸平は、百石の小和田家当主で、少々がさつだが一本気な奴だ。

 同門にも嫌な奴はいる。先輩の矢田作之丞は温厚だが、師範代の佐竹金十郎は根性一本やりの脳筋野郎だ。なまじ腕が確かで修行も真面目なので、下手に文句も言えない。山根清次郎は、塾で島崎与之助に席次を抜かれた逆恨みで、なにかとつっかかってくる。

 最近は隣の小柳家の娘、12歳になる ふく が色気づいたか、裏の小川で顔をあわせても、そっけない態度で挨拶もしない。なんか俺、悪いことしたかなあ。

 小和田逸平は、既に既に元服を済ませている。島崎与之助は学問で身を立てるだろう。この間の嵐では、見事な智恵でお役目を全うした父・助左衛門の姿を見た。血はつながらぬながらも、改めて尊敬の念を強める。だが、その父の周囲に、なにやら怪しげな男たちの影が…

 道場の帰りに買い食いしては、カアチャンに叱られる文四郎。そのカアチャンは、がさつな逸平を嫌い秀才の与之助を歓迎する。こういった関係は、昔も今も変わらないなあ…などと思って油断したところに、突然の事件で当時の社会の厳しさを突きつけ、読者に冷や水を浴びせる。

 事件に巻き込まれた文四郎から遠ざかる者もいれば、今までと変わらぬ者もいる。乗り越えようと必死に足掻くうちに、自然とできるつながりもある…吉か凶かは不明だが。やがて父の騒動の実態が見えてくる頃、その影響は文四郎の身にも迫ってくる。

 静かに始まった物語は、進むに従ってアクション場面も増え、大きな騒動へと広がっていく。巻末近く、文四郎が決める啖呵の気持ちよさったら。

 読みやすさ、面白さ、ともに山本周五郎と張り合うだけあるなあ。ただ、周五郎の作品で見える風景が、長屋の続く町並みなのに対し、周平氏の作品だと。

 広いんだ、風景が。

 土手の上から見る、延々と続く緑の田圃、みたいな感じで。ああ、川沿いに散歩したくなった。

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2011年1月20日 (木)

犬村小六「とある飛空士への恋歌 5」小学館ガガガ文庫

いつかあなたのような立派な大人になりたいと、あなたみたいなかっこいい男になりたいと、そんな気持ちをこの舞にかえて…

どんな本?

 大海原の中にぽつぽつと島が浮かび、海の中心には水が噴出す聖泉が存在する、奇妙な世界を舞台として、空を飛ぶ事に憧れる若者達の恋と友情を描いたシリーズの、堂々たる完結編。前回の終盤では読者をトコトン煽りまくる形で終わり、首を長くして待っていた読者も多いだろう。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 奥付には2011年1月23日発行とあるが、書店には1月18日に並んでいた。文庫本縦一段組み約320頁、9ポイント42字×17行×320頁=228,480字。400字詰め原稿用紙で約572枚。文章はライトノベルとしての読みやすさを備えつつ、妙なクセは少ないので、ライトノベルの入門用としてはお勧め。ただ、ギャグのセンスが少しオヤジ臭いかも。

 ライトノベルのシリーズ物とはいえ、この作品は1~5巻の通しで一つの長編と見ていい。この巻で世界観や登場人物などの紹介は全くなされないので、読みはじめるなら素直に1巻から読もう。「いきなり5巻物の長編はちょっと…」という人には、同じ世界を舞台とした「とある飛空士への追想」を勧めます。

感想は?

 綺麗で、感動的なフィナーレ。文句なしに娯楽の王道を行く、恋と友情、そして若者の成長物語。

 追放の形で聖泉を目指したイスラ艦隊は、「空の一族」の襲撃にあい、大損害を受ける。危機の中、「風呼びの少女」としての能力を取り戻した、クレアことニナ・ヴィエント。彼女の力を確認した「空の一族」は、和平の代償として、ニナの身柄を要求する。

 唐突な要求に戸惑いつつも、今まで全く話の通じなかった「空の一族」と、交渉の余地があると知ったイスラの面々は、代表団を仕立てて交渉に赴く。戦力では圧倒的に劣る上に、補給も効かないとはいえ、切り札である「風呼びの少女」は当方が握っているのだ。できる限りの譲歩を引き出そうと、外務長アメリア・セルバンテスは奮闘する。

「小娘を招待した覚えはない。貴様らの主をここへ連れて来い」
「空の一族では年齢と性別が人物を測る指針であることは理解しました」

 その頃、カルエル,アリエル,ベンジャミン,ナナコたち寮生は、クレアを生贄にするというイスラの方針に憤りつつも、何もできない自分達の非力さを嘆いていた。

 作者が「ロミオとジュリエットを意識した」と言う言葉、確かに事実だった…というと、「カルエルとクレアは悲恋に終わるのか~」と嘆く方も多かろう。まあ、その辺は誤魔化しとくけど、読めは「うへえ、そうだったのか、こりゃ一本取られたね」と関心すること請け合い。ヒントの一つは、表紙。

 さて。主題となるカルエルとクレアはいいとして。世界の謎も一端は明らかになったとはいうものの、完全に解き明かされたわけではない。また、この巻で新たに登場した魅力的な人物も、後半ではほぼ完全に無視された格好になっている…恐らくは、意図的に。私なら、意地でもアリーにくっついて離れないんだが。だって、執着があるのって、アリーぐらいでしょ。←まだアリーに拘ってます

 という事で、同じ世界を舞台にした、でも違う人に焦点をあてたシリーズが続きそうな雰囲気なんだけど、どうなんでしょうねえ。あのお方の特異能力の謎も放置だし。是非とも続けて欲しいんだけど。

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2011年1月19日 (水)

アハメド・ラシッド「聖戦 台頭する中央アジアの急進的イスラム武装勢力」講談社 坂井定雄・伊藤力司訳

 わたしは本書で、いま中央アジアで誰が戦っているのか、なぜ戦っているのかを説明したいと願っている。(略)わたしはカギとなるプレーヤーたちは誰なのか、主要な問題は何なのかを、明らかにしようと努めた。しかし、本書が読者の疑問のすべてに答えを出すとは期待しないで欲しい。

どんな本?

 アフガニスタン情勢の解説本としては現時点で最高傑作の「タリバン」の著者による、現代中央アジア情勢の解説本。主なプレーヤーとして登場する国家は、カザフスタン,キルギス,トルクメニスタン,ウズベキスタン,タジキスタンの五カ国。対するイスラム勢力として、IRP(イスラム再生党),ヒズブット・タハリール(HT),ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)が登場する。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Ahmed Rashid 著 "JIHAD: The Rise of Militant Islam in Central Asia"(Yale University Press, New Haven & London, 2002)。日本語版は2002年4月19日発行、えらく急いで出してるなあ。ま、前作があれだけの傑作なんだから当然か。A5ハードカバー縦一段組みで約370頁。9ポイント43字×17行×370頁=270470字、400字詰め原稿用紙で約677枚。前作に比べると、訳文はやや急仕事の感が残るかな。

 ただ、解説している状況そのものが複雑なため、わかりにくさを文章のせいにするのは、短絡的かもしれない。前作は舞台がアフガニスタンに限定されている上に、プレーヤーもタリバンという判りやすい焦点があった。しかし、今作では、入り組んだ国境線が象徴するように、各国の利害が複雑に絡み合っている上に、イスラム勢力も多数が入り乱れている。おまけにパキスタンやロシアなど周辺国が、気まぐれに態度を変え、更に状況を複雑怪奇にしてるんで。

構成は?

まえがき 正体不明のイスラム武装勢力
序章 中央アジアのイスラム戦士たち
第一部 中央アジアのイスラムと政治――過去と現在
 第1章 征服者たちと聖者たち
 第2章 ソ連時代の地下イスラム運動
 第3章 独立後の10年間
   カザフスタン――浪費された巨大な資源
   キルギス――狭間に捕らわれて
   トルクメニスタン――指導者崇拝の下で
   ウズベキスタン――嵐の真ん中に
   タジキスタン――失われた一つの機会?
第二部 1991年以降の中央アジアでのイスラム運動
 第4章 イスラム再生党(IRP)とタジキスタン内戦
 第5章 ヒズブット・タハリール(イスラム解放党=HT)――カリフ制の復活
 第6章 ナマンガニとウズベキスタン・イスラム運動(IMU)
 第7章 ナマンガニと中央アジアのジハード(聖戦)
 第8章 新グレート・ゲーム? 米国、ロシア、中国
 第9章 中央アジアと隣人たち
 第10章 不確かな未来
訳者解説
付属文書 ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)による「ジハードのよびかけ」
用語解説
注釈
索引

 序章で軽く中央アジア諸国の歴史をおさらいし、第一部では中央アジア諸国の政治事情を解説する。第二部では、前半で各イスラム武装勢力を紹介し、後半で関連諸国との関係を解説している。

感想は?

 著者の主張を極めて荒っぽくまとめると。
 「抑圧的な独裁者が貧富の差を放置して、穏健なイスラムまで弾圧するから、急進的な原理主義者がはびこるんだ。
  普通に職に就けて普通に食えて普通にお祈りできりゃ、ドンパチなんか誰もやらねーよ」
 …なんか、すっごく、当たり前で常識的な意見に思えますが。

 そういう常識的な結論にたどり着くために、著者はややこしい中央アジアの歴史をわかりやすくまとめ、大量の資料を漁って現状を分析するだけでなく、中央アジアをくまなく旅して秘密のベールに包まれた武装勢力にまでインタビューしている。

 ロシアの南下でロシアの支配下に入った中央アジアは、それを引き継いだソ連により、スターリンの都合のいい、すなわち各民族同士が争いあって統一勢力を形成できないよう、恣意的に国境線を引かれる。入植したロシア人は綿花など換金作物を促進し、無茶な灌漑でアラル海を干上がらせ土地を疲弊させる。ソ連の支援で生き延びてきた各国は、ソ連崩壊で支援を失うが、原油などを輸出して自立しようにも、パイプラインがソ連経由であるなど、ソ連のインフラに頼らないと何もできない。

 そういった苦しい状況で権力を握った中央アジア各国の権力者は、自らの支配権強化だけに関心を集中する。例えばカザフスタンのナザルバエフ。

 2000年6月、ナザルバエフはさらに権力を強化した。かれに生涯を通じた政治的、法的権利を保障し、かれの家族全員に対して、過去と未来のいかなる行為も免罪とすることを認めた法律を、議会で可決させたのである。

 そういうのを日本語では絶対王政と言います。トルクメニスタンのサバルムラト・ニヤゾフ大統領も、かなりキてる。

 1991年、ニヤゾフが自らの像を立て、「トルクメンバシ(トルクメン人の父)」と記した肖像写真を国中の壁や街角に飾り立てたのに始まり、個人崇拝はビル、街路、全市までかれの名前を付けるまでに至った。かれの亡母の崇拝すべき像も立てられ、かれの生地と出身校は神殿になった。

 某上半島かい。
 彼らは手強い政敵になりそうなイスラム勢力を弾圧する。土着のイスラム勢力は、共産主義体制化で地下活動を余儀なくされたため、強力な組織を持たない。そんな空白地帯に、例えばサウジのワッハーブ派など他国の原理主義勢力が入り込む。

 比較的民主的だったのが、キルギス。そのキルギス、ロクな地下資源がなく、内陸国なんで周辺国と関係が悪化すると経済が破綻してしまう。隣国のウズベキスタンとカザフスタンはキルギスの民主路線を快く思わず、またイスラム原理主義勢力の弾圧を求め、カザフスタンは提供していた石油と天然ガスを止める。中国も、キルギスのウイグル人が新疆ウイグル地区の反乱を煽っているとしてキルギス政府を非難、キルギス政府も抑圧的な政策を取る羽目になる。

 原理主義勢力でも、比較的暴力的ではないのが、ヒズブット・タハリール(HT)。なのだが、その主張は凄い。今時、カリフ制ですぜ。

イスラムのシューラ(評議会)で選出されるカリフが、高度中央集権制度の下で独裁的権力を握ることを前提とする政治構造を想定している。カリフは軍隊、政治システム、経済、外交を掌握する。イスラム法(シャリーア)が国法に、アラビア語が公用語になり、一方で女性の権利は制限されるだろう。

 そんなイスラム武装勢力と深く関わっているのが、アフガニスタン。例えばパンジシールの獅子アフマド・シャー・マスードはタジク人で、タジキスタンを補給基地にしていた。対するタリバンは、ウズベキスタン・イスラム運動(IMU)と相互に退避地域を提供しあっている。IMUはタリバンと組んで麻薬の密売に手を染め、中央アジア各国に麻薬中毒患者を量産し、アフガニスタン・タジキスタン国境を警備するロシア国境警備隊の将校まで腐敗させている。

 そのタリバンと結びついているのがパキスタン軍統合情報部ISIで…などと、話はどんどん広がり、アメリカ・中国・サウジアラビアを巻き込んでいく。

 本書がカバーする範囲は広く、かつ記述は詳細で深い。私がここに挙げた部分は、本書の限られた一部分でしかなく、視点が大きく偏っている、とお断りしておく。是非、あなた自身の目で、本書の内容全般をご確認いただきたい。

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2011年1月17日 (月)

古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」文春文庫

これはフィクションだってあなたたちは言うだろう。
おれもそれは認めるだろう。でも、あなたたち、
この世にフィクション以外のなにがあると思ってるんだ?

どんな本?

 第二次大戦当時。米軍の上陸に備え、帝国陸海軍はアリューシャン列島のキスカ島より撤退した…四匹の軍用犬を残して。残されたのは、ジャーマン・シェパードの正勇と勝とエクスプロージョン、そして北海道犬の北。そして生き延びた犬たちの子孫は、アメリカで・朝鮮で・ベトナムで・アフガニスタンで・シベリアで、人間達が引き起こす動乱に巻き込まれつつ、逞しく20世紀を駆け抜ける。

 「アラビアの夜の種族」で奔放な想像力を見せ付けた古川日出男による、激動の20世紀を舞台とした、犬たちの大河ドラマ。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 単行本は2005年4月発行。文庫本は2008年5月発行。文庫本で9ポイント縦一段組み382頁。39字×18行×382頁=268,164字、400字詰め原稿用紙で約671枚。ときおり犬に語りかける詩的な文章は、力強いリズムがあって、巧くノリが合えば心地よく読める。

感想は?

 犬、それも軍用犬が主人公の大河ドラマ…といえば、キワモノを想像しそうだが、とんでもない。これぞ大河ドラマの王道を行く、アクションあり過酷な運命あり切ない恋ありファミリーの愛情ありの、濃ゆ~いドラマがぎっしり詰まった、娯楽小説の力作にして傑作。

 キスカ島に取り残された犬たちは、やがて米軍と遭遇し、それぞれの運命を辿る。優秀な軍用犬として軍に残る犬もあれば、民間に払い下げられる犬もいる。それぞれに子をなし、広大な系譜を作り、世界中に散らばっていく。

 多くの子孫達は、様々な飼い主に出会う。ブリーダーに飼われドッグショーの花形となる犬もいれば、北の地で犬橇を曳く犬もいる。血筋を愛でられ純血種として番う血筋もあれば、あらゆる血を飲み込む犬もいる。運命を飼い主に翻弄されながらも、犬たちは難しく考え込まず、犬の本能に従って逞しく生きていく。時には野良にもなるが、そこは犬。人と違って貧乏だからってガックリきたりはしない。

 沢山のドラマが詰まっている中で、私が最も気に入ったのは、怪犬仮面の物語。メキシコの裏家業の二代目のボンボン、幼い頃に父親の裏商売を知った上に愛犬を失って落ち込むが、教会で啓示を受けて開き直る。「天の国でのイヌの幸福を願う前に、やることあるだろう。まずは反道徳の代償、払いなさい!」なんともまあ、気さくなジーザスなこと。

 反省したボンボン、怪犬仮面としてルチャ・リブレ(メキシコ流のプロレス)にデビューする。ルチャドール(プロレスラー)として観客を楽しませる事で、反道徳の償いとし、心置きなく家業に励むのでありました。いいのか、おい。全般的に舞台は寒い地域が中心のためか、殺伐とした雰囲気が多くを占めるこの作品の中で、このボンボンの能天気さと割り切りの良さ、そしてノリの軽さは異彩を放っている。あいや、裏家業なんで、やっぱり硝煙の匂いは付きまとうんだけど、どしても南国風の明るい感じになっちゃうんだよね。

 当初は二代目にありがちな線の細さを感じさせたものの、立ち直りの早さと抜きん出た行動力で、ぐいぐいと物語をひっぱり、舞台をアチコチへ広げていく。このテンポのよさが、ひたすら気持ちいい。

 軍用犬として続く系譜は、銃弾飛び交う戦争へと駆りだされる。朝鮮で、ベトナムで、アフガニスタンで。飼い主を変え、所属国家を変え、戦場を変え。走り、唸り、噛み付き、戦い、番う。

 犬を中心に据えて人の20世紀を俯瞰するという、奇想天外にして前代未聞な形を取りながら、出来上がった作品は王道の大河ドラマ。一見、「変なお話」に見えるけど、実はど真ん中に剛速球を投げ込む、正攻法にして真っ向勝負の物語でありました。

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2011年1月16日 (日)

クルト・マグヌス「ロケット開発収容所 ドイツ人科学者のソ連抑留記録」サイマル出版会 津守滋訳

「候補者は慎重に選ばれており、投票者はこれらの候補者に同意しているので、投票用紙に何かを書き込んだりする必要はありません」

どんな本?

 表紙に曰く「第二次大戦後、スターリンに連行されたドイツ人V2ロケット科学者による秘録!」。
 ナチス・ドイツの崩壊に伴い、V2の開発者達は二つの運命に分かれた。片方はアメリカに、もう一方はソ連に。アメリカに渡ったヴェルナー・フォン・ブラウンなどの活躍は多数の資料があるが、ソ連に拉致された人々の記録は少ない。科学者が垣間見た、スターリン時代のソ連社会の様子と、そこに住む人々の生活が生き生きと描かれていて、「鉄のカーテンの向こう側」に興味がある人には、格好の資料。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Raketensklaven, von Kurt Magnus, 1993. 訳は1996年3月発行。A5ソフトカバー約300頁。45字×19行×300頁=256,500字、400字詰め原稿用紙で約642頁。著者のクルト・マグヌス博士は、ジャイロスコープの専門家だが、科学的・技術的な記述は必要最低限に抑え、数式も出てこない。その分、ソ連での生活や、ソ連の官僚たちとの対立、そしてロシア流の研究の進め方などが日常的で平易な言葉で書かれていて、理系アレルギーの人にも自信を持ってお勧めできる。

構成は?

   ドイツ人科学者のソ連抑留記録――訳者まえがき
   歴史への証言――まえがき
Ⅰ 拉致された科学者たち――赤い檻の中のドイツ人
Ⅱ ロケット開発の日々――ゴロドムリャ島収容所
Ⅲ ドイツへの帰還――失われた七年間
   主な参考文献

 視点は著者の一人称固定、お話の流れも原則として時間軸どおりなので、構成的な混乱は全くない。

感想は?

 スターリン体制のソ連の素晴らしさが、嫌というほどよくわかる。冒頭、著者は同僚に癖を指摘される。

「ホームで待っているとき、先生はいつも鞄を前後に揺らしておられます。これは意味もなくそうされているのか、あるいは一種の条件反射なのか、そこが知りたいのです」

 回答は…ソ連抑留時代についた癖。そうしないと、市場でスリに財布を抜き取られるそうです。ソ連に泥棒はいないはずなんだけどなあ。でも、ロシア人は嫌な奴ばかりって訳じゃない。

 ロシア人の同行者なしで電車に乗ると、しばしばロシア人の乗客から話しかけられた。
 そのなかには、戦争の経験とドイツ軍の占領時代の遺恨をぶつけてくる者もいた。(略)こういう場面では、必ずといってよいほど、ほかのロシア人がわれわれの味方をし、はてはロシア人どうしの口論になった。

 統制経済だけど闇市はあって、モノによっちゃ10倍以上の価格差だとか。でも逞しい庶民は配給制にも巧く適応します。飲食店じゃお茶は配給切符なしに飲めて、角砂糖が二つついて2ルーブル。この砂糖、闇市で売れば5ルーブル。原価率40%、いい商売だよね。売り子も心得たもので、ドイツ人の某夫人がお茶を百人分注文すると、角砂糖二百個だけを渡したそうな。

 庶民はいいけど、お役人はどうしようもない。当初、A4ロケットの復元を命ぜられるのだが、ドイツから持ってきた筈の資料が出てこない。「輸送中に紛失した」と説明されるが、強硬に「なきゃ仕事できねーよ」と抗議すると、案の定、ちゃんと後から出てくる。

 開発・研究も非効率。一流のロシア人専門家コロリョフらは著者らと別の場所で仕事をし、著者たちの下には未熟な若い技術者が派遣される。高度すぎる問題にロシア人技術者はついてこれないので、何度も同じ質問を繰り返す。
 官僚の猜疑心の凄まじさを示す例の一つが、著者がK.E.ツィオルコフスキーの全集を注文したエピソード。ロケット好きにはロシア人のロケット技術の先駆者として有名な人ですね。ところが、この全集が届かない。なんと、ロシア人の責任者が邪魔していた。

「君がこの島で働いており、ロケットに関心を持っているという事実を、人に知らせてはならない」

 さて、ロシアはA4ロケットを復元するも、発射実験は二回失敗する。原因究明に呼び出された著者たちは、迅速に問題を解決するが。

「私は大臣から、最初の二回の発射実験の失敗が、ドイツ人専門家のサボタージュによって生じたものでないかどうかの調査を命じられました。短期間で失敗の原因が除去されたことに、大臣は疑念を抱いています」

 キレますよ、普通なら。なんで優れた仕事をして疑われにゃならんのか。向こうで盛んな "壁新聞" の意味も、実に巧妙。政治スローガンに加え、同僚への批判も記事として掲載する。よって職場で抗争・嫉妬・悪意が渦巻き、上に立つ者は統治しやすくなる、と。んじゃヒップホップは…って、考えすぎだといいけど。

 退屈を紛らわすために著者らは素人芝居を始めるが、ここにも当局がチャチャを入れる。オスカー・ワイルドでも「バンバリー」はいいが、「カンタヴィルの幽霊」は不許可となる。「幽霊などというものはこの世には存在しない」から、だそうで。よくもまあ、そんな地でファンタスチカなんて育ったなあ。

 他にも、スターリンがゼンガーに強い関心を持っていた事、スパイを育て運用する手口など、面白いエピソードが詰まっている。こんな状況じゃ開発なんてボロボロだよね、と思うけど、現実には今でもロシアのロケットは費用対効果で優れた市場競争力を維持している。よくわからん世界だよなあ。

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2011年1月14日 (金)

「神林長平トリビュート」早川書房

 現在、死は死亡率のトップを占める。いずれ百パーセントになるだろうという予測さえもが存在する。死で死ぬなんて間抜けなことだ。そうした意見は今でも根強い。  ――死して咲く花、実のある夢 円城塔

どんな本?

 8人の若手作家による、SF作家神林長平のカヴァー集。ポップ・ミュージックだと、ビートルズやグレイトフル・デッドのカヴァー集などが結構あるんだけど、小説家では珍しい。一種キワモノ的な印象もあるにはあるが、作家それぞれで料理の仕方が違っていて、統一感とバラエティの双方が味わえて面白かった。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2009年11月15日発行。A5ハードカバー縦一段組み約290頁。43字×18行×290頁=224460字、400字詰め原稿用紙で約562枚。元がややこしい屁理屈の多い神林作品ながら、可読性については厳しい要求にさらされるライトノベルの市場で鍛えた人が多いためか、オリジナルより読みやすい作品が多かった。とまれ、さすがにあのトボけたリズムまで再現した人はいなかった。

誰が何を書いてる?

序文 ――敬意と挑戦  神林長平
狐と踊れ  桜坂洋
 元は、薬で抑えないと胃が体から抜け出してしまう奇妙な世界で、胃を失った男の物語。これを桜坂氏は、逃げ出した胃の一人称による冒険物語にアレンジした。
 真面目に考えれば、元の世界は馬鹿馬鹿しいわけで、その馬鹿馬鹿しさを徹底的に突き詰めて大馬鹿な法螺話に仕立て上げてる。冒頭にコレを配したのは正解だと思います、はい。神林作品は小難しい理屈が多くて、読む側としちゃ少々力んじゃうんだけど、コレでドッと肩の力が抜けた。公園にタムロする胃たちの可愛らしさったら。
七胴落とし  辻村深月
 原作は、少年少女だけがテレパシーを使える世界で、まもなくテレパシーを失う少年の葛藤を描く。最後の一行が衝撃的だった。
 アレンジという点では、これが最も見事。原作は少年期の恐れと苛立ちに満ちた、陰鬱でトゲトゲしい印象なのに対し、これは実にほのぼのとして懐かしさと切なさに満ちている。やっぱりねえ。だから人は猫が好きなのかな。
完璧な涙  仁木稔
 原作は、砂漠化した地球で、感情を持たない少年・宥現と、不老の少女・魔姫が、戦車から逃げる話。
 二木氏のアレンジは、原作の挿話。何処とも知れぬ無人島で一人で暮らす男の前に、突然女の赤ん坊が現れ、消える。それから何度も、その子は男の前に現れ…
 エンディングは、いかにも神林らしい世界解釈。仁木さん、よくわかってらっしゃる。
死して咲く花、実のある夢  円城塔
 異世界に迷い込んだ3人の兵隊が、「自分達は死んでいる」という仮説を検証する物語が原作。
 「死とは何か」というテーマに対し、いかにも円城塔らしくシュレディンガーの猫や数列のトリックで、読者を煙に巻いていく。
魂の駆動体  森深紅
 原作は自動車が全て自動操縦となった世界で、老人達がクルマを再生させる物語。
 機械好きの青少年の心を揺さぶる原作に対し、なんとまあ、真っ向勝負を挑んだものだ。この作品は老人達が「クルマを再生させる」場面、メカ好き青少年にとってのハイライトを、見事に描ききっている。具体的には、エンジンの設計者と、車両の設計者が組んで、手に入るパーツでガソリン車を復活させようと試みる、「油臭い」お話。
敵は海賊  虚淵玄
 原作は、跳梁する宇宙海賊に対し、海賊対策課の刑事ラテル・相棒の「黒猫」アプロ・戦闘艦ラジェンドラが挑む活劇またはドツキ漫才。
 この作品は、研究目的で開発され、自意識が芽生えた人口知性体の一人称で語られる。自我とは何か、価値とは何か。結末で明かされる正体、それを考えると、作品中で語られる価値観は、いかにも相応しい。
我語りて世界あり  元長柾木
 個性が失われた世界で、アイデンティティを取り戻す物語が原作。すんません、覚えてないです。
 女子高生の殲戮佳がコーヒーショップで友達とたむろって騒いでいると、うざい白人が「もう少し、静かにしてくれませんか」などと絡んできて…
 よくも悪くも厨二病が炸裂している。白人の名前には大笑いした。
言葉使い師  海猫沢めろん
 原作は、テレパシーが発達した世界で、禁じられた言葉の使い手 "言葉使い師" との交流を通し、言葉の本質に迫る。
 テーマはそのまま、全く異なった世界で、やはり言葉の持つ力、言葉の機能を突き詰めていく。子供向けのお伽噺のような語り口でありながら、味わいはディックのように目が回る酩酊感がある。
各編・巻末解説 前島賢

 幻想的・哲学的な話が多いなかで、とことんマテリアルな感触に満ちた「魂の駆動体」と、「大人への成長」という原作と同じテーマを扱いながら、原作とは全く違った味に仕上げた「七胴落とし」が良かった。どっちも知らない作家だけど、今度から注目してみよう。

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2011年1月13日 (木)

椎野秀聰「僕らが作ったギターの名器」文春新書

椎野、ノイズやディストーションも音のうちだ!  ――Vinnie Vincent

どんな本?

 モーリスやグレコ、ディ・アンジェリコなど多くのギター・ブランドでギターの設計に携わった著者による、ギターの設計・製造やリペアに関するエッセイ集。登場するギターも H.S.ANderson HS-1 Mad Cat(テレキャスター・モデル)などのソリッド・エレクトリックから Vesta Graham VGS-2000 などセミ・アコースティック、Sofia などフル・アコースティックから果ては H.S.Anderson BB1 などベース・ギターに及び、ギター小僧は勿論、楽器好きにはたまらない本だ。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2010年9月20日発行。新書で約250頁。42字×16行×250頁=168000字、400字詰め原稿用紙で約420枚。文章は静かに語りかける雰囲気で親しみやすく、分量も軽いためあっさり読み通せる。が、あなたが往年のギター小僧なら、アチコチで泣かされ、意外と読み通すのに時間がかかったとしても、私の責任ではない。

構成は?

前口絵 著者が設計・プロデュースした傑作13点
はじめに
第一章 サウンドデザイナーの仕事
第二章 楽器とサウンド ――楽器の価値を考える
第三章 ギターの歴史 ――ギターのルーツから現代まで
第四章 エレクトリックギター ――半世紀の進化と様々なタイプ
第五章 ギターと木材 ――木を知る事は、ギターを知る事
第六章 21世紀のギター ――モノ作りの現在から未来へ
あとがき

 表紙を開いて最初の口絵、H.S.ANderson HS-1 Mad Cat に一目惚れしてしまった。あいや、テレキャスター好きなんで。さすがにブリッジは3ピースじゃなくてストラト同様の6ピースになってる。

感想は?

 楽器製作者の著作とは珍しい。ましてやエレクトリック・ギターを手がける人なんて、この本以外は滅多にあるもんじゃない。著者は「サウンド・デザイナー」と自称していて、実際にカンナ等を使う職人ではなく、企画から原材料の調達,設計など幅広い工程を担当している。いわば、プロデューサーといったところか。

 そんな視野の広い著者のこと、実際の利用者であるミュージシャンとも積極的に関わっていく。冒頭に挙げた Vinnie Vincent の台詞の「ディストーション」は、エフェクターのディストーションではなく、まさしく「歪み」の意味だ。どんなに巧くチューニングしても所詮ギターはモノ、弦を強く張ればネックの反りが変わる。微妙な狂いは絶対に出てくるけど、それも味のうちなんだよ、的な意味。まあ、ヘヴィメタルなんて、チョーキングやアーミング,フィードバックやオーバードライブなど、「歪み」や「雑音」を積極的に利用する所に魅力がある音楽ではあるけど。

 ちなみに「エフェクター」というのは和製英語で、「シグナル・デバイス」が一般的な呼び方だそうです。エフェクターという言葉を広げたのは福田幾太郎だ、と著者はバラしてます。
 読んでて身につまされたのが、この下り。

 遠鳴りするギターを上手な人が弾くと、とても素晴らしい演奏になる。下手な人が力任せに弾くと、楽器の良さは、どこへともなく退く。楽器が閉じてしまい、下手がそのまま演奏に出る。誤魔化しの効かない分、プレイヤーにとっては、怖いギターでもある。

 私がフェンダー・テレキャスターに抱いてる複雑な感情が、モロにこれ。ロイ・ブキャナンに持たせれば軽やかに歌いだすテレキャスが、私が持つとキンキン声のチェーンソーに変わってしまう。残酷な楽器だよなあ。でもそこは惚れた弱み、貢いじゃうんですよ、色々と。

 70年代のフォーク・ブームの功罪を語るあたりは、今の「けいおん!」ブームと少し重なるかもしれない。「その前のエレキ・ブームでは、レコード屋の客は楽器屋に寄らなかった。フォーク・ブームでは、音楽ファンが同時に楽器屋の顧客にもなった」と、「聴く音楽から弾く音楽」へ変えた功績を挙げる。お陰で楽器メーカーは大喜び、「当時、世界のギター生産の、実に60%が日本で生産されていた」そうな。

 反面、粗製濫造で粗悪品が巷に溢れ、ギターの印象を悪化させてしまった、とも語る。「適正な弦高とテンションに調整されたギターで少し練習すれば、Fコードは誰にでも押さえられる。そうでなければ、ギターにどこか問題があるのだ」と。唯ちゃんがギー太を可愛がるのは、実に理に適っているわけです。いいよね、レスポール。グラマーでゴージャスというか、深みと迫力が同居した、贅沢な音だし。
 おぢさんの身に沁みるのが、この下り。

エレクトリックギターの登場から半世紀以上が経過した今日、塗装はボロボロにはがれ落ち、浜に打ち上げられた流木のように角の取れてしまったエレキギターがある。年季の入ったそうしたギターを、頭の白くなったミュージシャンが使っている光景をよく見かける。彼等にとって、歴戦の勇者のような面構えのギターは、人生のパートナーにも等しい相棒に他ならない。

 ああ、ロリー・ギャラガーには、長生きして欲しかったなあ。
 他にも、弦用の鋼を求めたらディ・アンジェリコに辿りついてしまった話や、日本の高精度のコイル巻きがピックアップ製作の障害になる話、ジェームズ・バートンと行き違う話など、ちょっと楽しい挿話も沢山入ってる。

 後半、第四章と第五章は、PLAYER誌あたりの読者なら常識かもしれないけど、これから読み始めようという人には入門用として格好のお勧め。図版が少ないのが、チト辛いけど。

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2011年1月12日 (水)

海堂尊「イノセント・ゲリラの祝祭」宝島社

 だが、この俺を甘く見てもらっては困る。俺の上昇志向の欠落ぶりは筋金入りだ。尻尾を振って依頼に飛びつくだろうなんて、読みが甘すぎる。

どんな本?

 「チーム・バチスタの栄光」で鮮やかにデビューした海堂尊による、白鳥・田口コンビの医療シリーズ第四弾。今回は大きな事件は起きず、主な舞台は厚生労働省の会議場となる。とはいえそこは海堂尊、相変わらずAi(オートプシー・イメージング)を巧く広報すると共に、厚生労働省の闇をバッサリと切り裂く。医療行政への強烈な政治的メッセージと、メリハリの利いたわかりやすい(そして面白い)ドラマを見事に両立させている。

 東城大学病院の不定愁訴外来で平穏な日々を送る田口の元に、高階病院長から依頼が来た。なんと厚生労働省で講演をしろ、というのだ。しかも、黒幕は厚生労働省の火喰い鳥こと白鳥圭輔。単発の講演と思って渋々と依頼を受けた田口は、いつの間にか委員の一人として定期会合に出席する羽目になる。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2008年11月21日第一刷発行。ハードカバー縦一段組み約364頁。今は文庫本が出ている。文字は10ポイントとやや大きめだが、行間は詰まり気味。364頁×18行×40字=262,080字、400字詰め原稿用紙で約656枚。元々スピード感のある彼の作品の中でも、前作や螺鈿迷宮で多用された大げさな比喩も少なく、読みやすさではシリーズ随一だと思う。

 ロジカル・モンスター白鳥をはじめ、アクの強い人物が多数登場するこのシリーズ。できれば第一作の「チーム・バチスタの栄光」から読むのがベストだが、この作品に限れば最初に読んでもついていけるだろう。

感想は?

 今までのシリーズでは、これが一番好き。前作の「ナイチンゲールの沈黙」「ジェネラル・ルージュの凱旋」そして「螺鈿迷宮」が、陰鬱なシーンが多く音楽で言えば短調の作品だったのに対し、今作はコミカルとさえ言えるほど明るい場面が多いのがいい。今回の「事件」は本編でキチンとケリをつけた上で、末尾のヒキでは意味深な台詞で閉め、次回作への期待を煽る手腕は、最早ベテランの職人芸の感さえある。

 色々な点で、作家としての自信に溢れた作品だ、と思う。今まではミステリという枠を意識してか、何かしらの事件を中心に物語が展開していたのに対し、今回は芯となる事件がない。基本的には会議での論戦という、地味で見栄えのしないシーンがハイライトだ。ナイチンゲールとジェネラルで使われたオカルトじみた大げさな仕掛けもない。にも関わらず、ドラマとしてはシリーズ中最高にエキサイティングで面白い。

 というのも、やはりテーマそのものの掘り下げが良く出来ているからだろう。この作品こそ、作者が書きたかった作品なんだろうと思う。というのも、この作品の主題、そして田口が出席する会議の議事が、ズバリ「解剖と Ai」なのだから。

 現代の日本だと、死因を調べる場合、大抵は解剖する。ところが、この解剖、時間と費用が半端ではないため、往々にして嫌われるし、現実問題として体制的に多くの遺体を解剖できる状況でもない。そこで、精度は解剖に劣るにせよ、手間と費用は安く上がる Ai を併用しましょうよ、というのが作者の主張だ。

 ところが、この主張に対し、様々な立場の人が様々な事情で反対を唱えている。法医学者、法学者、解剖学者、そして厚生労働省の技官など、それぞれに各自の事情を抱えている。こういった現実にある議論を、作者は見事に会議で戯画化して見せるのだ。この戯画化はややデフォルメ過剰であるものの、白鳥をはじめとした他の登場人物も極端にデフォルメされているために、巧く作品世界にマッチしてしまう。そこまで計算してやっているとしたら、作者は恐るべきアジテーターである。

 ミステリ作家の仮面を脱ぎ捨て、医療行政改革の扇動者という素顔を晒し、その上でなお娯楽作家としての豪腕を示した今作。コミカルな演技を楽しみながら、シリアスなテーマへの理解を深められる、海堂尊ならではのおトクな作品。

 ただし、一つだけ文句が。氷姫の出番がないのは悲しい。

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2011年1月11日 (火)

ジョージ・オーウェル「カタロニア賛歌」ちくま学芸文庫 橋口稔訳

 捜索は全部で二時間かかったが、この間ベッドを探そうとはしなかった。ずうっと妻がそこに寝ていたからだ。(略)刑事たちも共産党員であったろう。しかし、かれらはスペイン人でもあった。女性をベッドから追い出すなんて、とてもできることではない。

どんな本?

 1937年、スペイン内戦に共和国軍側の義勇兵として参戦した、イギリスの作家ジョージ・オーウェルによる従軍記録。戦線全般を俯瞰する視点ではなく、あくまでも一兵卒である著者の視点で描かれている。そのためか、フランコ率いるファシスト側の記述はほとんどなく、共和国側の記述が大半だ。軍としては寄せ集めで内輪揉めが絶えない共和国軍の酷い内情、特にコミュニストを痛烈に批判すると同時に、南国気質で感情豊かなスペイン人への共感も溢れている。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Homage to Catalonia、1938年の出版。日本語の文庫版は2002年12月10日発行。約370頁×38字×17行でざっと239020字、400字詰め原稿用紙で約598枚。古い本のわりに訳文は現代的で、意外なほど読みやすい。視点はオーウェル固定、時系列も一直線の素直な構成なので、戦記物のわりには理解しやすい。ただ、1936年のスペインという我々には不案内な舞台な上に、同時代のイギリス人向けに書かれているので、若い読者は風俗的な部分に戸惑うかもしれない。ロバとラバの違いや、石の鍬とか出されてもねえ。
 なお、この文庫版は、末尾に1942年に書かれた小文「スペイン戦争を振り返って」(Looking Back On Spanish War)を収録していて、これが本編のまとめ的な役割を果たしており、読者の理解を助けている。

感想は?

 本書の内容を簡単にまとめると「くたばれファシスト、汚いぞコミュニスト、でもスペイン人はいい奴ばっかりだ」かな。

 当時の共和国軍は、多くの勢力の寄せ集めで、現代日本の自衛隊のように統一された組織ではない。他国から参加した義勇兵も、志願の窓口となった組織により、それぞれの勢力の指揮下に入る。スペイン内戦では、ここでどの組織に入るかで、立場が大きく変わってしまう。この本を読めば、そういった寄せ集めの軍の欠点が、嫌というほど理解できる。

 書名の「カタロニア賛歌」が示すように、舞台はスペイン北東部のカタロニア、オリンピックのあったバルセロナのある地方だ。著者はそこで POUM(Partido Obrero de Unificacio'n Marxista、統一マルキスト労働党)の義勇兵として参戦し、フランコ率いるファシストと戦う。参戦当初、カタロニアはアナーキストが支配していた。労働者が権力を握ったバルセロナに、著者は感動している。

壁という壁には、ハンマーと鎌や、革命党の頭文字が描かれていた。教会はみな破壊され、聖像は焼かれていた。(略)だれも「セニョール」や「ドン」を、「あなた」をさえ使わなかった。みんな相手を「同士」「きみ」と呼んだ。(略)チップは法律で禁じられていた。エレベーターボーイにチップをやろうとして、ホテルの支配人に叱られたのは初めてだ。

 政治的な問題だけでなく、鷹揚でのんびりしたスペイン人気質も著者は気に入った模様。

 義勇軍に参加した外国人はみんな、最初の二、三週間の間に、スペイン人を愛することを学び、同時にかれらのもつある特性に腹を立てさせられる。(略)スペイン人がうまくやれるものはたくさんある。しかし戦争はいけない。かれらの能率の悪さ、とくにこっちがおかしくなるほど時間を守らないことには、外国人という外国人が驚かされる。

 スペイン人だけじゃない。インド人もそうですよ。低緯度地方の人って、みんなそうなるのかねえ。ファシスト側の兵に投降を呼びかけるシーンも、スペインらしくて笑える。

「バターのついたトーストだぞ!」かれの声がさびしい谷間にこだまするのが聞こえる。「ここに坐って今バターつきのトーストを食っているんだぞ!すてきなバターつきのトーストだ!」叫んでいる男だって、ぼくらと同じで、もう何週間も、何ヶ月も、バターなんて見たことがないに決まってる。

 この呼びかけ、それなりに効果はあたらしく、ぽつぽつと脱走者がいたそうな。
 戦記物にありがちな勇ましい戦闘の場面は控えめで、寒い夜の辛い歩哨や、不潔な前線での生活をボヤくシーンが多い。虱に悩まされるくだりは、実際に兵卒として戦った人ならではの説得力がある。

ズボンの縫い目に産みつけられた小さな米粒のような白く光る卵がかえると、おそろしい速さでふえてゆく。反戦論者は、虱の拡大写真をパンフレットにつけたら、効果をあげることだろう。(略)どこで戦った兵士もすべて、睾丸を虱にはいまわられていた。

 著者が属した POUM はトロッキストで、大きな後ろ盾もなく組織としては弱小で装備も貧弱だ。友軍のPSUC(Partido Socialista Obrero Espan~ol、カタロニア統一社会主義政党)は、ソ連共産党が支援する勢力すなわちコミュニストだ。貧弱な装備でロクに訓練もしていない義勇兵が前線を支える間に PSUC は兵を訓練して装備を整え、街で勢力を誇示する。

前線に出されることのない警備団や国境監視隊のほうが、われわれよりよい武器を与えられ、はるかによい服装をしているのだ。これは、どの戦争でも同じことだったのだろうと思う。

 やがてPSUCは共和国軍の主導権を握り、友軍であるトロッキストやアナーキストと市街戦を始める。他国の左翼系新聞も酷いもので、PSUCの言い訳を真に受けて、滅茶苦茶な報道をする。以下、デイリー・ワーカー紙のフランク・ビトケアンの記事。

戦闘においては、実際にあらゆる種類の武器が私用された。かれらは何ヶ月も前から、それらの武器を盗み出して、かくしていたのだ。その中にはタンクもあった。

 「兵舎を人民軍と一緒に使ってるのにタンクなんか盗めるわけねーだろ、だいたい、んなモンどこに隠すんじゃい」とオーウェルはカンカンに怒っている。

 末期のPSUCは、POUMなど他勢力の粛清まで始める。前線から戻った兵を捕まえては牢にブチ込むのだ。ところが前線の雰囲気は全く違って、負傷したオーウェルは病院の隣のベッドに寝るコミュニスト側の兵に煙草を貰って笑いあうのだ。「バルセロナじゃあ、撃ち合った仲かもしれないな。」

 本編だけだとオーウェルは単なる理想主義者のように思えるが、付属の「スペイン戦争を振り返って」を読むと、「革命軍は装備で負けたんだよ」と冷徹な現実を直視している。彼が今のイラクやアフガニスタンを見たら、何と言うだろうか。思想傾向は全然違うけど、意外とコリン・パウエルと気が合うんじゃないかと思う。

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2011年1月 9日 (日)

機本伸司「スペースプローブ」ハヤカワ文庫JA

 「大体、この宇宙や人間存在の不思議を、どうやって説明するというの。科学なんかで説明しきれていないじゃないの。そんなもので、未知の存在の不可解さは解明できるはずもない。むしろ科学的に説明できないものこそ、私たちが探しているものじゃないの?」
 「馬鹿馬鹿しい。科学的に説明できないようなものなんか、探しにいけるか。そんなものを見つけても、どうやって人に説明するんだ?」

どんな本?

 「神様のパズル」で鮮烈にデビューした、機本伸司の長編SF。2030年、公転周期4千年の彗星 "邇基"(にき)の地球再接近(50万km)に向けた無人探査機「こめっと」が、《怖くない》《ライト・ビーイング》というメッセージを最後に消息を絶つ。計画の責任を取り辞職した天野貞彦は、日本初の有人月着陸計画のクルー5人に相談を持ちかける。「地球の周囲50万kmを廻るニュートリノ発生源がある、有人月着陸計画で調べられないか」と。5人は、カラオケボックスに集い、裏計画のプランを練る。まずはもう一人のクルー、船長で狸野郎の橘をどうやって丸め込むかだが…

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2007年7月に単行本として出版、文庫は2010年6月15日発行。約410頁×18行×41字でざっと302,580字、400字詰め原稿用紙で約757枚。全般的に会話が多いのはライトノベル風だけど、登場人物の口調はごく普通の若者らしく極端なクセはないので、変な口癖にアレルギーがある人にも安心…と思ったが、約一名、やたらオヤジっぽい話し方の人がいた。

感想は?

 「神様のパズル」が最近の理論物理学をダシに、天才少女の心の痛みを描いていたように、この「スペースプローブ」も、近未来の有人宇宙飛行とファースト・コンタクトをダシに、宇宙への夢から醒めきれない若者の煩悶を描いている。天才と評されるが、イマイチ科学に納得しきれない石上香蓮と、頑なとさえ言えるほど真面目で努力家の科学青年、曾我部臣太のコントラストも、デビュー作に似ているかも。

 前半はカラオケボックスでの討論が中心で、これが実に青臭くて胃に痛い。具体的な方法の検討ならいいんだが、方針を固める時点での議論が、いかにも真面目な学生の議論っぽい。この辺は従来のSFに出てくる宇宙飛行士像と大きく違っていて、最後まで違和感が残ったのは私の頭が固いせいかもしれない。

「どんなに正当化しても、テロと変わらないんじゃないの」
「違う。テロなんかじゃない。強いて言えば、レジスタンス。これこそ、宇宙船に人間を乗せる意味じゃないのか。ロボットにこんなことができるか」

 …やっぱ、宇宙飛行士は、航空自衛官から選ぶのが正解じゃね?

 日本総合開発機構(JUDO)宇宙探査局も、所詮はお役所。本来ならば提案書を提出して承認を取るべきなのだが、そうするには証拠が微妙すぎる。お役人って奴はリスクを嫌うので、承認される見込みは極めて少ない。おまけに上の承認を待っていたら、いつまでたってもラチがあかない。そうしているうちに、邇基は彼方に去ってしまう。

 ってんて強引な方法を取るにしても。有人月着陸計画には大金がかかっている。税金に加え、基金を造って一般の人からも基金を集めた。強引な計画変更は、夢を託してくれた人への裏切りではないのか?

 等など。この辺、例えば笹本祐一ならマッド・サイエンティストが手段を選ばず己の欲望に任せて動くだろうし、小川一水なら若手のやり手官僚を登場させるだろう。谷甲州なら老パイロットが活躍するだろうし、野尻泡介なら民間でやっちゃうかも。複数の若者が話し合いながら計画を練る、というあたりが、今風といえば今風か。

 さて。月までの距離は38.4万km、ニュートリノ発生源 "ミトラS" は50万km。確かに距離的には微妙で、月への有人着陸を省けば推進剤等は足りそうな気がする。とはいえ、笹本祐一や野尻泡介に慣れたすれっからしには、チト辛い描写が多々あるのは確か。その辺は、まあ適当にスルーしましょう。

 お話は終盤で急展開の連続となる。じっくり、慎重に、読み進めよう。

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2011年1月 7日 (金)

デイヴィッド・バーリンスキ「史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理」早川書房 林大訳

アルゴリズムは
有限の手続きであり、
定まった一組の記号で書かれ、
厳密な指令に支配され、
1,2,3……という個々のステップを踏んで進み、
これを実行するのに、洞察力も才気も直感も知性も明敏さも必要なく、
遅かれ早かれ、終わりにいたる――そのようなものである。

どんな本?

 「ゲーデル、エッシャー、バッハ」+「アインシュタインの夢」。著者は主張する。数学の最も輝かしい成果は、微積分とアルゴリズムだ、と。その上で、アルゴリズムとは何か・アリゴリズムはどのように成立したのか・成立に関わった数学者達の生涯などに加え、多数の幻想的な挿話を散りばめた、(おそらく)一般人向けの解説書。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書はDavid Berlinski, The Aduent of the Algorithm: The Idea That Rules the World ( Harcourt, 2000)。翻訳は2001年12月31日初版発行。A5ハードカバー縦一段組み約393頁。解説によれば原書は「文学的というか凝った文体」だそうで、訳文にも幾分はその影響が見える。まあ、それなりの覚悟は必要って事で。加えて、内容が数学・論理学であり、再帰的というか自己言及的というか、そういうややこしい概念が頻繁に出てくるんで、決してサクサク読める本ではない。

構成は?

まえがき デジタル官僚
プロローグ 宝石商のビロード
第1章 スキームの市場……ゴットフリート・フォン・ライプニッツ
第2章 疑いの目……ジュゼッペ・ペアノ
第3章 疑り屋のブルーノ……ゴットロープ・フレーゲ
第4章 貨物列車と故障……ゲオルク・カントル
第5章 ヒルベルト、指揮権を握る……ダーヴィット・ヒルベルト
第6章 ウィーンのゲーデル……クルト・ゲーデル
第7章 危険な学問
第8章 抽象への飛翔……アロンゾ・チャーチ
第9章 テューリングの仮想機械……アラン・テューリング
第10章 遅すぎた後記(ポストスクリプト)……エミル・ポスト
第11章 理性の孔雀
第12章 時間対時間……ジョン・フォン・ノイマン
第13章 精神の産物……クロード・シャンン
第14章 多くの神々の世界
第15章 クロス・オブ・ワーズ
エピローグ キーウェストにおける秩序の概念
謝辞
訳者あとがき

 "……" 以降の人名は、私が勝手に補ったもの。基本的に歴史の流れに沿って記述は進む。原則的には各章一人の数学者にスポットをあてる形ではあるけれど、決してその規則に縛られているわけではない。例えばヒルベルトやゲーデルは後の章でも度々登場するが、7章は丸々幻想的な挿話に費やされている。

感想は?

 正直に告白します。「わっかんね~よ!」

 「アルゴリズムとは何か」を解説する部分はあるものの、決して「数学の教科書」じゃあ、ない。だから、キッチリと厳密な手続きに沿って解説するわけではなく、例え話などを多用している。つまりは「理解させる」のが目的ではなく、「伝える」事を目指しているのかもしれない。文学的な表現や幻想的な挿話も、「雰囲気を伝えること」が目的だとすれば、まあ納得はできる。とりあえず、数学が苦手な人がこの本で「アルゴリズムとは何か」を理解するのは、無茶だと思う。

 一般に数学は、基礎が出来てないと次に進めない。その理屈だと、この本も1章でつまづいたら、後は読むだけ無駄、となってしまう。そういう不安を抱えながらも、とりあえず意地で読み進めてみた。目次を見ると、テューリングとかノイマンとか、馴染みの名前も出てくるし。すると、実は後になるに従って、むしろ判る部分が増えてくる。

 例えば、ゲーデルの帰納的関数・チャーチのラムダ変換・テューリングのテューリング機械・ポストの機械。この四つは同じ概念を表現している。この辺、「ゲーデル・エッシャー・バッハ」にも似たような記述があった。まあいい。異なった形式の異なった記述で、同じ概念を表現できてしまう。これは一見不思議な気もするが、Firefox や Winamp のヘヴィ・ユーザーなら「スキンを変えたって事ね」と解釈するかもしれない。

 ゲーデルがもたらした危機について、テューリング機械で解説した挿話は理解の助けになった。

一つのテューリング機械は、ひとつの関数を計算できる。
全てのテューリング機械を集めれば、全ての関数が計算できるはずだ。

本当か?

1.各テューリング機械に番号をつけ、関数 g(x)=f(x)+1 を考える。
2.f(x) は、x 番目のテューリング機械の計算結果を示す。
3.g(x)も関数であるから、番号がついているはずだ。
4.仮に番号を35としよう。その解が10だとする。
5.なら、1.の右辺から f(x)=10 で、f(x)+1 の値は 11 となる。
6.だが、4.から g(x)は10 の筈だ。これは 5. の解と違う。

 …困りましたね。

 幻想的な挿話は、こういう効果を狙ったものなんだろうか。数学や論理学は往々にして人間性を感じさせないので、物語を好む読者から敬遠されがちだ。そういう読者を惹きつけるために、数学者自身の生涯を引き合いに出したり、例え話を使う手法は、よく見かける。ただし、そういった手法は、やりすぎると逆効果になり、余計に難解さが増す場合もあるし、誤解を招くケースも多い。この本は、それを逆手にとって、難解さそのものを伝えようとしているのか?

 この書評を書く前に Google で本書の書評をいくつか漁ってみたが、私が日頃読んでる本の書評と全く違う傾向の、頭が良さそうなサイトがゾロゾロ出てきてビビった。皆さん、ちゃんとこの本の内容を理解して楽しんでいる模様。すると、一般向けの解説書というのは勘違いで、ある程度の基礎が出来ている人向けの本なのかもしれない。

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2011年1月 4日 (火)

スティーヴン・キング「図書館警察」文芸春秋 小尾芙佐訳

図書館警察の厄介になるべからず!
よいこは本の返却日をかならず守りましょう!

どんな本?

「ランゴリアーズ」に続く、アメリカのベストセラー作家スティーヴン・キングのホラー中編集。収録作は「図書館警察」「サン・ドッグ」の二編。いずれもアメリカ東部の小都市を舞台とした物語。特に「サン・ドッグ」は、キングが好んで描くキャッスル・ロックを中心に物語が展開する。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Four Past Midnight Ⅱ,1990年の作品。日本語版は1996年10月1日第一刷。既に文春文庫が文庫版を出している。ハードカバー縦二段組で約410頁、分量は充分。文章はいつものキング節で、翻訳物にしてはかなり読みやすい方だと思う。

収録作は?

図書館警察
 サム・ピーブルズは、アメリカ東部の小都市ジャンクション・シティで保険と不動産を扱う、自分一人の小さい事務所を開いている。地元に馴染むため入ったロータリークラブの会合で、突然スピーチをやる羽目になった。なんとか原稿を仕上げ、バイトのナオミに見てもらった所、「良い出来ね、詩やジョークを引用するともっと良くなる」との事。アドバイスに従い、図書館で「アメリカ愛読詩集成」と「講演者必携」を借りた。ここの司書のアーデリア・ローツがいけすかない威圧的なオバサンで、「貸し出し期限は一週間です、図書館警察にあなたを追跡させたくはありませんですから」なんぞと脅す。

 と、ここまでくれば次の展開は想像がつくだろうし、実際、そうなる。が、そこから先がキングの腕の見せ所。意外な人物の意外な素顔が、次々と出てきて、読者に鮮烈な印象を残す。ほんのチョイ役かと思われた人物が明かす、感動的な挿話の連続に翻弄されっぱなし。
 物語の構造としては IT に似ていて、主要な登場人物は、目の前の敵と同時に、過去の亡霊にも立ち向かわねばならない。恐ろしく忌まわしい現実を直視し、勇気と誠実さを武器に、それにケリをつけようとする人物達の姿は清々しく頼もしい。
サン・ドッグ
 ケヴィン・デレヴァンは、15歳の誕生日のお祝いに、父のジョンからポラロイド・カメラを貰った。喜んだケヴィンは早速使ってみたが、どうもおかしい。撮れる写真ときたら、変な黒い野良犬ばっかりなんだ。学校のベイカー先生に相談すると、「雑貨屋エンポーリアム・ガローリアムのポップ・メリルなら直せるかも」との事。そのポップ・メリル、海千山千の業突張り爺さんで…

 キングご用達のキャッスルロックを舞台にした物語。解説によると「ニードフル・シングス」の前日譚との事。他にもクージョなんて名前が出てくるんで、キングのファンには嬉しいおまけが潜んでるっぽい;すんません、キングの作品には詳しくないんで細かくは勘弁して下さい。他にも「ダンウィッチ」とか、そっちの趣味の人が大喜びのイースター・エッグがアチコチに埋め込まれている。

 アメリカン・ホラーの定番である奇妙な古物で溢れる雑貨屋が、重要な役割を担う作品。とはいえそこはキング、雑貨屋の内情にまで踏み込んで語っているのが斬新な所。胡散臭さがプンプン漂うポップ・メリルの、アコギでこすっからい人物像が見事。彼が行商に出るくだりも、奇矯な人物のオンパレードで楽しい。あの姉妹なんて、実にいい雰囲気を出してる。そういった奇人変人と、成長期の息子 vs 白髪の出始めた親父の父子関係が、鮮やかな対比を見せている。

 図書館警察では、地方都市を舞台とした新参者と地元民の関係が、サン・ドッグでは田舎町での父と子の関係が、映画的な写実感で描かれるのも見所かも。こういう、日本とは少し違う「現代アメリカの普通の市民感覚」を、楽しみながら自然に味わえるのも、キングの作品の面白さの一つなんだと、私は思っている。

 ところでこの本、年末に図書館で借りたんで、貸し出し期限は明日なんだよね。キチンと返さないと…

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2011年1月 2日 (日)

西成活裕「渋滞学」新潮選書

京都の市内循環バスを待っていたときのこと、なかなか来ないと思ったら、急に同じ方向のバスが2台続けて来た。しかも前のバスが大変混んでいて、後ろは比較的すいていた。皆さんにもこんな経験はないだろうか。

どんな本?

 道路の自動車の渋滞に始まり、人の混雑・アリの行列・インターネットの輻輳など、流れがある所に現れる渋滞。その渋滞の発生原因から避け方・防ぎ方などを、現実の統計データと数学モデルの双方から探り、一般読者向けに解説した本。工学者が著した本だけあって ASEP などの専門用語も出てくるが、冒頭の引用でわかるように、なるべく身近で具体的な例を挙げて、読者の興味を惹き理解を助ける工夫がなされている。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 2006年9月20日発行。B5ソフトカバー縦一段組み約250頁。数学的・工学的・統計的な内容ではあるが、読者としては一般の人を想定しているため、数式などは控えめであり、また図版やイラストを多く収録していて、素人にもスラスラ読める。数学が得意で食い足りない人向けには、各章の最後に要点がまとめられているので、そこだけを拾い読みしてもいい。

どんな構成?

まえがき
第1章 渋滞とは何か
第2章 車の渋滞はなぜ起きるのか
第3章 人の渋滞
第4章 アリの渋滞
第5章 世界は渋滞だらけ
第6章 渋滞学のこれから
参考文献
あとがき

 各章とも構成が巧い。最初に誰にもわかる具体例を出し、読者に「おお、それなら俺にもわかるぞ!」と思わせる。例えば第1章ではホースの水を例に出し、「先を絞れば水は勢いよく出るよね、でも車は道が細くなると渋滞する、違いは何だろう?」と、誰もが感じる疑問を提示し、次に解を示す。「なるほど、これで一つ賢くなった」と読者がいい気分になった所で、次第に専門的な話題へ移っていく。「いかに理解させるか」に加え、「いかに読者を楽しませるか」にも気を配った、科学解説書のお手本のような構成といえる。

感想は?

 ASEPだのセルオートマトンだのと専門的な言葉も出てくるわりには、例として提示される現象などが身近で興味深いモノが多いためか、飽きずに楽しく読めた。現実に応用できそうな知識が詰まっているのも嬉しい。例えば、第1章の待ち行列理論の「リトルの公式」。

待ち時間×人の到着率=待ち人数

 1分間に平均して客が2人来て、20人待っているとする。この場合、待ち時間はどうなるか?待ち人数を到着率で割ればいいのですね。とすると、20人÷2(1分間に2人)=10で、約10分という計算になる。

  高速道路の渋滞の原因も興味深い。1位がサグ部で35%、2位が事故で29%、3位が合流部で28%。料金所は4位で4%と意外に少ない。サグ部とは穏やかな上り坂になる所で、大抵の車が自然とスピードが落ちるため、自然渋滞になるそうな。

 渋滞で迷うのが車線変更。走行車線と追い越し車線の2車線ある所だと、実は走行車線の方が速く流れる場合が多いとの事。しかし、「本音をいえば、この結果は本書に書きたくなかったのだ」って、おい。

 人の流れでは、非常口などの扉からの脱出も興味深い。整然と並ぶ集団と、先を争う集団と、どちらが速いかというと。「ドア幅が人の肩幅よりちょっと広い70cmより広ければ競争したほうが早く、70cmより狭いと譲り合うほうが早い」とか。このモデルでは、もうひとつ面白い結果が出ている。競走しあう場合、避難口の近くに障害物を置くと、避難時間が短くなる場合があるとか。

 冒頭の引用は、バスのダンゴ運転。最初のバスはバス停での客の乗り降りに多くの時間が取られ、次のバスは客の乗り降りが少ないので追いついてしまう。電車では、このアンゴを防ぐ目的で「時間調整のため当駅で暫く停車します」と相成る。しかし、「この理屈がわかってもイライラが治まらない人には、イタリアにしばらく住んでみることをお勧めする」って、んな無茶なw でも確かに、公共交通網が発達していない所で暫く過ごすと、電車の待ち時間が気にならなくなるんだよね。

 新潮選書というシリーズ名で、てっきり社会学的な内容かと思ったら、意外と理学的な内容なのに驚き、「これは難しそうだな」と思ったら、身近で現実的な話題が多いのに再び驚いた。新年早々意外な拾い物で、なんか幸先いいなあ。

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2011年1月 1日 (土)

スティーヴン・キング「ランゴリアーズ」文芸春秋 小尾芙佐訳

「ぼくに訊いてもだめなんじゃないかな。ラリー・ニーヴンかジョン・ヴァーリーがこの飛行機に乗っていなかったのは、かえすがえすも残念だ」

どんな本?

 ご存じアメリカのベストセラー作家、スティーヴン・キングのホラー中編集。収録しているのは二編、「ランゴリアーズ」と「秘密の窓、秘密の庭」。「ランゴリアーズ」は大仕掛けの群像劇で、いかにも映画にしたら派手な特撮が映えそうなのに対し、「秘密の窓、秘密の庭」は、じっとりと手に汗握るサイコ・スリラーに仕上がっている。

いつ出たの?分量は?読みやすい?

 原書は Four Past Midnight Ⅰ,1990年の作品。日本語版は1996年9月一日第一刷。今は文春文庫から文庫が出ている。ハードカバー縦二段組で410頁、読み応えはたっぷりだが、文章の読みやすさは言うまでもない。キングの作品というと、現代アメリカの有名人の名前や商品名が頻繁に出てくる印象があるので、慣れないと戸惑いがちになる、という印象があったけど、この作品集に限れば、そういうクセは比較的控えめ。

収録作は?

ランゴリアーズ
 ロスアンゼルス発ボストン行き、ボーイング767の夜行便で、それは起こった。国際線のパイロット、ブライアン・エングルは、東京→ロスアンゼルスの仕事を終え、ボストンに帰宅するため、アメリカン・プライド29便に乗客として乗り込んだ。疲れのため離陸直後に眠ったエンゲルは、小さな女の子の悲鳴に叩き起こされる…なんと、11人を除いて、乗客が全て消えていたのだ。

 異常な現象で危機的状況に取り残された者たちによる、生存をかけた群像劇。怪しげな推理を披露する作家、一見マトモそうながらワケありで危険な匂いを放つ凄腕の男、イキがって肝の据わった所を見せたがる若者、この期に及んでビジネスの事しか考えないヒステリックなビジネスマン、ヤク中っぽい雰囲気のパンク少女など、いかにもドラマっぽくエキセントリックな登場人物はさすがキング。特にトラブルメーカーのビジネス・アニマルなクレイグ・トゥーミーと、可憐な盲目の少女ダイナ・ベルマンの対比が見事。ダイナかわいいよダイナ。
 物語もキングらしく二重底三重底で、「これ以上酷い状況はあるまい」と思ったら更に…という感じで、話が進むにつれどんどん絶望が深くなっていく、娯楽物語のお手本の様な筋書き。
 ラストシーンは目に見えるような鮮やかさで、「こりゃ映画にしたら映えるだろうなあ」と思ってたら、やっぱり映像化されてた。そりゃそうだろうなあ。 
秘密の窓、秘密の庭
 「あんた、おれの小説を盗んだな」
 人気作家モートン・レイニーの家に、突然男が現れ、盗作されたと喚きだした。ジョン・シューターと名乗る南部訛りの男は、剽窃の言いがかりをつけ、「秘密の窓、秘密の庭」という小説の原稿を置いていった。妻のエイミーと離婚して以来、モートンの筆は進まない。シューターが置いていった原稿をしぶしぶ読み始めると…

 平穏な日常に突然訪れる招かれざる客と、それに乱されていく平和な日々。たった一人の狂人のため、モートンの精神はギリギリと締め上げられていく。前作「ランゴリアーズ」のように派手なシーンはないものの、それが逆に真綿で首を絞めるように、否応なしに恐怖とパニックを盛り上げる。

 両作品の冒頭、キング自身が序文で舞台裏を紹介している。コアなファンにはたまらないおまけかもしれない。しかし、私も正月から何を読んでいるのやら。

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