アンドルー・チェイキン「人類、月に立つ 上・下」NHK出版 亀井よし子
「われわれは月への道を選ぶ!われわれは60年代のうちに月へ行き、それ以外にもさまざまなことをする道を選ぶ--それが容易だからではなく、困難であるがゆえに」 --1962年9月12日 ジョン・F・ケネディ
トム・ウルフの「ザ・ライトスタッフ」の続編と言っていいだろう。アメリカ合衆国が激動した60年代の最後に残された希望、有人月飛行を目的としたアポロ・プロジェクトの全貌を描くドキュメンタリー。宇宙飛行士をヒーローと崇める人々を読者として想定しているらしく、物語の中心はニール・アームストロングなどアポロに搭乗した宇宙飛行士を中心に据えた群像ドラマだ。ロケット・マニアが期待する技術的な詳細は控えめで、間違っても数式などは出てこない。その分、「実際に月に行った24人中の、存命中である23人にインタビューした」とあるように、宇宙飛行士たちの英雄的な姿は存分に堪能できる。全般的に英雄譚というか、プロジェクトXっぽく勇ましく感動的な雰囲気が漂っている。
ハードカバー上下巻、共に400頁を超える大ボリュームでずっしりと読みごたえがある。やや固めの文章だが、ドキュメンタリーの翻訳書にしては、専門書や戦争物に比べればかなり読みやすい。ただ、著者の補注が異様に多くて、しかも各巻の末尾にあるのは不親切かも。つまらない注なら読み飛ばせるんだけど、下手すると本文以上に面白いから読み逃せない。編集の手間は増えるけど、頁の下か端に置くなどの配慮が欲しかった。
上巻は冒頭にあげたケネディの演説から始まり、理知的でクールなヒーロー、ニール・アームストロングのアポロ11号をクライマックスとして、アポロ12号のピート・コンラッドと愉快な仲間たちで終わる。下巻は悪夢のアポロ13号で幕を開け、計画の再生を架けた14号へと続き、予算の都合で打ち切りが決まり最後のアポロとなった17号の残照を描き、最後に各宇宙飛行士の現在の姿を紹介して終わる。
時は1962年、冷戦たけなわの時代。宇宙開発でソ連の後塵を拝した合衆国は、デカい花火を打ち上げる。「60年代中に有人月飛行を実現させる」と。空軍・海軍・海兵隊から選りすぐりのテスト・パイロットを集め、始まったのが有人宇宙計画マーキュリー・プロジェクト。その詳細はトム・ウルフの「ザ・ライトスタッフ」に詳しい。それを引き継ぐジェミニ・プロジェクトを経て、ついに始まったのが月を目指すアポロ・プロジェクト。
上巻は悲劇で幕を開ける。1967年7月27日、アポロ1号の火災で三人の宇宙飛行士の命が失われたのだ。アポロ計画のトラブルだと、後は悲劇の13号ぐらいしか知られていないが、他にも細かいトラブルが多数発生していた事が、この本でわかる。例えば月着陸の手順。目視とレーダーの併用で地面との距離を測るのだが、月の表面は細かい粉塵で覆われている。これが着陸船のロケット・エンジンの噴射で舞いあがる。月には空気がない分、早く収まりそうなもんだが、なにせ重力が地球の1/6なので、なかなか粉塵が地面に落ちず、ほとんど目視が効かない状態で着陸していたそうな。ニール・アームストロングの着陸でも、着陸に適した平坦な地形を見つけようと予定より長くエンジンを噴射したため、残る燃料は20秒分しかなかったとか。
アームスロトングの着陸シーンは他にもトラブル頻発で、実に手に汗握るシーンの連続だ。制御コンピューターはコード1202の警告を表示する。飛行士にコードの意味なんか解るはずもない。ちなみに1202の意味は「仕事が多すぎて計算が追いつかない」だそうで、動画再生ならコマ落ちする状態ですね。笑っちまうのが着陸の瞬間。着陸船の足には着地を感知するための針がついていて、これは着地の衝撃で引っ込む設計だったのが、アームストロングの着地があまりになめらかであったために、引っ込まなかったとか。巧すぎるのも考えモンです。そんな完璧超人のニールに続くのが、ホットなピート・コンラッドと愉快な中間たち。
「これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」 --ニール・アームストロング
「やったぞ。いやあ、ニールにとっては小さな一歩だったかもしれないが、ぼくにとっては長い一歩だ」 --ピート・コンラッド
下巻の冒頭は、映画にもなった悲劇のアポロ13号から始まる。おりしも合衆国はベトナムの泥沼に足を取られ、NASAにも予算削減の波が押し寄せてきた。徹底した情報公開で、失敗を「偉大な勇者達の冒険譚」に変えたとはいえ、失敗は失敗。20号まで予定されていたアポロ計画も、17号で打ち切りが決まった。月行きのチケットが減り、宇宙飛行士同士の競争にも熾烈さに拍車がかかる。それに割り込もうとしたのが、地質学者を代表とした科学者たち。今まで宇宙飛行士は軍上がりの敏腕テスト・パイロットばかりだったのに対し、フィールド・ワークに長けた科学者を飛ばせ、と異議を唱えたのだ。
ここまで読んで始めて気がついたのだが、アポロ計画の目的が極めて政治的である、という点だ。科学の進歩のために飛ばしていたのではなく、まさしく「アメリカが人を月に送る」という、国威発揚の生臭い目的なのである。よって、調査を重んじる科学者より、「とにかく安全に飛ばして帰ってくる」事を目的とした工学者やプロジェクト・マネージャーと、マシンを巧く扱えて危機の対応に長けたパイロット出身者が主導権を握っていたのだ。とまれ、着陸船やルナ・ローバーなどの機器も大きく進歩していて、月での探索時間やペイロードが飛躍的に伸びていく様は、ガジェット大好きな私にはたまらない展開だった。
「政治的目的なんかでやっていいのか」という疑問はあるにせよ、明確な目標があれば組織は一丸となる。子供の頃に月着陸に熱狂した私は、「科学は人類の明るい未来を切り開く」という感覚を、もはや本能に近い部分で持ち続ける事ができた。「宇宙開発は子供に夢を与える」なんて言葉は使い古されているけど、今から思えば、それは案外と真実だったな、としみじみ感じている。これが過去の物語であるのが悲しい。日本の子供たちのために、「映画はやぶさ物語」でも作って欲しい…って、本当は私が見たいんだけど。
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