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2010年10月の20件の記事

2010年10月31日 (日)

アイザック・アシモフ「アシモフ自伝Ⅰ 思い出はなおも若く 1920→1954 上」早川書房 山高昭訳

日本では「アシモフ」と「アジモフ」の表記があるが、本書では前者を採った。(編集部)

 アーサー・C・クラーク、ロバート・A・ハインラインと並ぶ、どころかアルファベット順に並べれば先頭に置くべ著名なSF作家、アイザック・アシモフの自伝。現在、日本じゃアシモフの自伝は四冊出ていて、Ⅰが上下、Ⅱも上下…と思ったら、復刊ドットコムにリクエストが出てる。絶版していたとは。初版出版時は絶賛されてたんだけどなあ。このⅠ上では、ロシアでの祖先の話から始まり、1942年に海軍工廠の職を見つけるまでとなっている。

 ハードカバー二段組で420頁、しかも文字は8ポイント(普通は9ポイント)とやや小さめなため、読み応えはずっしり。原文のせいか、文章にややクセはあるものの、そのセンスに慣れればすんなり読みこなせる。アシモフの皮肉たっぷりの文章のクセを掴んで慣れるには、科学解説書やSF小説より、彼自身の性格が良くわかる本書が一番向いてるかも。

 では彼は本書で自分をどんな人間と看做しているか、というと。

  • 幼い頃は神童と言われるほどに頭が良かったが、少々それを鼻にかける節がある。
  • 世知に疎い優等生だが、口の減らない毒舌家で、タチの悪いイタズラ小僧でもある。
  • 強力な集中力を持つ版面、道を歩く時などに何気ない風景などへの注意力には欠ける。
  • 親の躾のせいか、ワーカホリックだ。
  • ユダヤ人だが、ほぼ無宗教だ。

 まあ、ありがちな小賢しい理系の青少年ですね。

 ロシアに産まれたユダヤ人であるアシモフ一家は、一旗挙げるためアメリカに移住し、ブルックリンに住み着く。幼いアイザック少年は、標識の意味が知りたくて近所の少年少女を追い掛け回し、彼らから読み書きを学ぶ。賢明さを尊ぶユダヤ人の伝統のせいか、彼の父は読み書きできるアイザック少年に感心して、早速小学校へとアイザック少年を押し込む。親の期待が高いのも良し悪しで。

 「65点しかとれない人間が65点とってきたら、それはすばらしいことであり、誉めなければならん。しかし、100点とってこれる別の人間がいて、95点とってきたら、彼は間違ったことをしたのであり、恥ずべきである」

 などと父に言われ、神童の悲哀を味わう羽目になる。そんなアシモフ少年に、辞書を送るお父様は流石。そのお父様、何年か工場で真面目に働いた後に、キャンディーストアを開店する。店には雑誌も多量に置いたから、アイザック少年はそこでパルプ雑誌と出会い…とは、ならないのが現実の辛い所。

 表記としては「アシモフ」「アジモフ」どっちが正しいの?というFAQにも、ちゃんと解を提示してます。

「ここに、has, him, of という三つのきわめて単純な英語の単語がある。これを has-him-of というふうにくっつけて、それをふつうに発音してみたまえ。次に二つの h を抜かして、もう一度、発音する。そうすれば Asimov と発音したことになる」

 シャイで出不精なアイザック青年、それでも自分で書き終えた小説を、憧れのジョン・W・キャンベルに持っていく。キャンベルはリーダーシップに溢れるのみならず、作家の指導者としても一流だった模様で、駆け出しのアイザック君に見事なアドバイスをしている。

 「アシモフ、小説の書きだしに手こずるのは、不適当な個所から書きはじめるからなんだ。それも、たいていは、前すぎるせいだ。話のもっと後の個所を選んで、やり直してみたまえ」

 かの有名なコレも、キャンベルとの会話から生まれた、とアシモフは告白している。

ロボット工学の三原則
  第一条 ロボットは人間を傷つけてはならない。
        また、傍観することによって人間に危害をひきおこしてもならない。
  第二条 ロボットは人間の下す命令に従わねばならない。
         ただし、その命令が第一条に抵触する場合を除く。
  第三条 ロボットは、第一条および第二条に抵触しないかぎり、自分の身を守らねばならない。

以後、アイザック・アシモフ「アシモフ自伝Ⅰ 思い出はなおも若く 1920→1954 下」早川書房 山高昭訳 に続きます。

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2010年10月27日 (水)

デジタルカメラが直った

 修理を頼んでいたデジタルカメラが直った。「数週間かかる」といわれていたが、一週間だ。早いもんだなあ。店員さんが修理期間をサバ読んだ可能性もあるけど、それならそれで商売が巧いと褒めるところだろう。

 商売が巧い店員といえば、某所でネクタイを買った時の事を思い出す。就職活動用のネクタイだった。慣れない私は散々迷った末に選んだのだが、その際の店員の言葉は今でも嬉しく覚えている。

  「私もその柄が好きなんですよ」

 ありがちな「お似合いです」より、遥かに嬉しかった。

 デジタルカメラは、2点の部品交換と1点の調整となった。交換一点目は「カード認識と電源不良」で、電装基盤作動不具合。もう一つは、「レンズ駆動作動不具合」で、レンズの交換。調整はAF精度の調整。幸い、保障内で収まったため、無料で済んだ。ラッキー。

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2010年10月26日 (火)

山本弘「詩羽のいる街」角川書店

 セカイのハレ晴レ。今日もまた何処かでハレ晴レ。第七版。を見て、幸せな気分になる人向け。

「あたしの体験では、自分が正義だとか善人だとか愛にあふれてるとか真実を知っているとか思ってる人って、いちばん厄介なんですよね。どれほど人に迷惑をかけていても、自分が間違っているっていう自覚がないから、反省の生まれようもないんですよ」

 僕は、漫画家を目指し持込みを繰り返している。自信作のネームを持ち込んだのだが、編集から無茶な改変を要求された。辻褄を合わせるために思い悩んでいたが、煮詰まったので散歩に出かけた。公園で座っていると、髪の長い若い女性が数人の小学生の男の子を連れてやってきた。子供たちはトレーディング・カードを集めているらしい。眺めていると、彼女が仲介し、子供たちの間に複雑な三角トレード・四角トレードを次々と成立させていく。その様子に興味をそそられ眺めていた僕に、彼女は妙な誘いをかける。

 「ねえ、これからデートしない?」

 「心はいつも十四歳」山本弘が、言いたい放題を言いまくる連作短編集。山本弘といえば、いわゆるサイエンス・フィクションが思い浮かぶが、これはだいぶ違う。現代の日本を舞台にしているし、特別なガジェットも出てこない。主人公の詩羽も、風変わりではあるものの、いわゆる超能力という程でもない。そんなこんなでSFかどうか怪しいが、「すこし、ふしぎ」という便利な言葉もあるわけで、ここは無理矢理SFの篭に押し込めておこう。ISS(国際宇宙ステーション)やペルセウス座流星群など、ソレっぽいネタも扱っている事だし。

 ハードカバー350頁ちょいで、四本の連作短編からなっている。文章はいつもの山本節。クセは強いものの、慣れた人には心地よい文章だ。冒頭の「それ自身は変化することなく」から、漫画やアニメに耽溺している人に対して、凄まじい吸引力があるんで、読書の秋とはいえ寝酒代わりに読むのはいささか危険かも。いえ体験談じゃないですよ、違うに決まってるじゃないですか、あはは。

それ自身は変化することなく
 この作品のヒロイン詩羽と共に、物語のもう一人の主役、賀来野市を紹介する、長めのイントロダクション。ネギなのは意味があるのかないのか。いや深読みのしすぎだよね、きっと。つか武藤さん、それでよく商売やってられるなあ。
ジーン・ケリーのように
 一話と打って変わり、「自殺するのに、とてもいい日だった」などと物騒な話題で始まる。自殺を試みる中学生の少女の前に、転がり落ちてきた詩羽。
 今でも小中学校の課題図書は古臭いシロモノばかりなんだろうか。確かに「ご冗談でしょう、ファインマンさん」は文句なしに面白いけど。しかし、薬のオチはヒドい。
恐ろしい「ありがとう」
 多数の固定ハンドルを使い分け、各所の電子掲示板を自作自演で荒らす。市立図書館の本を破損する。見知らぬ家に、家庭不和を招く手紙を投函する。特に動機もなく、小さな嫌がらせを積み重ねる「俺」。
 やっている事のセコさから、ピンポンダッシュに励む小学生を思い浮かべたけど、そうきたか。こういう動機だと、ほんと、どうしようもないんだよね。
今、燃えている炎
 賀来野オールスター・キャストで送る、今作品のフィナーレを飾るに相応しい最終章。冒険物語?に相応しく、各地を廻りながら、今までの伏線がスルスルと回収されていく様子が実に心地いい。
参考資料
 わざわざ、ここに参考資料を挙げたのには、ちゃんと訳がある。つまり、この作品のネタになった本や資料を公開しておりまして、詳しい人なら、「おお、このネタはソレか!」と見ながらニヤニヤ出来てしまうという、なんともお得な二頁なのですね。

 タイトルに女性名の入る連作短編集といえば、多くのSF者は、かの名作「おもいでエマノン」を連想する。この作品集もエマノンに似た構造をしていて、詩羽に関わりあった人たちの視点から、彼女の姿を描いていく。年齢不詳で黒髪ロングなのも、お約束に添っている。エマノンと違うのは、彼女が旅を続けているわけではなく、賀来野市に住み着いている点。作者の頁を見る限り、参考にしたイベントはあっても、特にモデルとなる街があるわけでもない模様。それなら、別に私が住む街でも構わないわけで、読了後は、自分の住む街を、少し違う目で見てみよう、そんな気になってしまった。


以下、書評から外れた駄文三題←「書評も駄文じゃねーか」とゆー突っ込みは却下。ネタバレ含みます。要注意。

 一題目。実はこの作品、国家という存在に喧嘩を売ってる。詩羽の生き方が流行ると、国家はとっても困った事になる。なぜって、彼女、税金を払ってないでしょ。おまけに、国家の重要な業務の一つ、貨幣発行を否定しちゃってるし。

 二題目。いい加減、ヒトは善悪、または正義と悪という価値観を捨ててもいいんじゃなかろか。親切と迷惑に置き換えれば、争いの多くは消えるんじゃないかと思う。快と不快・損と得という対立軸は残るけど。

 三題目。既に現在、詩羽の一部は実現してて、商業的に成功しているんだ。一六銀行もそうだし、今ならこれね。あれを元に、幾つかの問題を解決すれば、もう少し拡張する余地はあるなあ。

  1. わざわざ御用聞きにこない。イチイチ自分でデータを入れ、検索しなきゃいけない。
    入出力の手間が面倒なのが問題。これは、ある程度まで技術的に解決できる。まず、「要らないモノ」。少し将来の話になるけど、RFID と IPv6 がそのカギになる。RFID でモノの使用履歴はある程度把握できる。IPv6 で家庭内 LAN を構築すれば、それをデータベース化して、使ってないモノを自動的にリストアップするのも可能だ。「欲しい」は、Google のメールアラートの様な検索ロボット等で実現できる、というか既に実現している気がする。それでも、マウスとキーボードとモニタという不細工なインタフェースは、大きなネックかもしれない。
  2. 三角トレードや四角トレードが不可能。
    単純なトレードに対し検索空間が爆発的に増えるという問題はあるにせよ、理論的には不可能じゃない。
  3. 交換ではなく、貨幣を仲介している。
    上の 2. を解決するために、今は貨幣を仲介している、と考えれば、実は 2. と 3. は同時に解決するんだよね。
  4. 現状の仕組みは合意成立から実際の交換まで時間がかかりすぎるので、生鮮食料品などは無理。
    「欲しい・要らない」を入力する手間の問題を解決できれば、後は地域を GPS 等で絞れればイケそう。
  5. 取引の当事者が、互いを信頼できるとは限らない。今作では、詩羽が信頼を保障している。
    これを保障してるのが、貨幣と言えるのかも。

 …と考えたけど、最大の問題は残るんだよね。そうやって解決しても、詩羽とデートできないじゃないか。

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2010年10月25日 (月)

アーサー・C・クラーク「楽園の日々 アーサー・C・クラーク自伝」早川書房 山高昭訳

  • 第一法則 著名だが年配の科学者が、なにごとかが可能だと言えば、それはまずまちがいなく正しい。しかし彼が不可能だと言えば、たいていの場合は間違っている。
  • 第二法則 可能性の限界を知る唯一の方法は、それを超えて不可能の段階に入ることである。
  • 第三法則 充分に進歩した技術は、魔法と区別できない。

 SF作家アーサー・C・クラークが、アメリカのパルプSF雑誌「アスタウンディング」の歴史と、それにまつわる自らの人生や、SFおよび科学・ロケット技術の歴史を振り返ったエッセイ集。アスタウンディングとの出会いから、現代までという流れなので、「アーサー・C・クラーク自伝」との副題は間違いじゃないにせよ、微妙に違う…ような気もするけど、面白いから、まあ許す←偉そうだな、俺

 ハードカバー一段組みで330頁ちょい。文章は軽妙で皮肉が利いてる。山高さんのお行儀がいい文章は、クラークのユーモアとすこぶる相性がいい。「うはは」と笑いながら、アッという間に読み終えてしまった。昔から私は「エッセイはアシモフよりクラークが上」と思ってたけど、これを読んで、その理由がわかった。ギャグの波長がピッタリ合致するからなんだ。例えば、こんな一文。

知識人とは、自分の知能を上回る教育を受けた者である。

 いかにもイギリス人なこのセンスがたまらない。ヴァン・ヴォクトの「イシャーの武器店」のテーゼ、「武器を買う権利は、自由になる権利である」にムカついた経験を告白しつつ、こう続ける。

SFの最大の真価の一つは、長年の信条に挑戦し、外界がかならずしも自分の希望や期待と合致するものではないことを、憤怒が静まったあとで読者に認識させるところにある。それは人に考えることを強いる--

 SF者なら、「我が意を得たり!」と盛んに拍手するだろう。有頂天にさせておいて、こう落とすんだからたまらない。

--だからこそ、これほど多くの人に嫌われるのだ。

 この章では、多くの人が共通して持つ思想・信条に対し、見事なアンチテーゼを示し挑発する名人として、ヴォクトの他に、ジョン・W・キャンベルとR・A・ハインラインを挙げている。確かにハインラインは巧い。「宇宙の戦士」の「帝国は拡張し続けなければならない」というテーゼに反論するのは難しい。

 人物評も皮肉が利いている。強力なリーダーシップを発揮した名編集者ジョン・W・キャンベルの紹介は、見事に彼の性格と能力を伝えている。

…実際に編集者としてトレメインのあとを継いだのは1938年5月になってからだという。しかし、おそらく建物に入って約五分後には事実上の編集長になって、1938年1月号に掲載された記事に多少の責任があることはほとんどまちがいないと、ジョンを覚えている誰もが賛成するだろう。

 時代は第二次大戦から冷戦に跨る時期。今でこそSFは世間でそれなりの認識を獲得したけど、当時は蔑まれるパルプ雑誌。そこに、間近に実現する軍事技術、即ちロケットと原爆に関する、あまりに正確な情報が載っているんだからたまらない。キャンベルは秘密漏洩を当局に疑われ、取調べを受けたとか。そこは聡明で傲岸不遜な彼のこと、見事にとっちめたというから爽快極まりない。

 人物伝では、オラフ・ステープルドンが興味深い。「スターメーカー」「最後の、そして最初の人間」という究極のSFをモノにした彼が、「"サイエンス・フィクション" という言葉を聞いたことがなく、SF雑誌を見たことさえなかった」というのが凄い。まあ、下手にSF作家と付き合ったら、何を言われるかわからないから、それで良かったのかもしれない。あんなアイデアもスケールもぶっ飛びの大傑作を書かれちゃったら、次に書くネタが残らないじゃないか。

 かび臭い思い出話ばかりのようだけど、ロケットや原子力利用を夢み、その実現を目の当たりにした人だけに、現代の技術にも新鮮な驚きと喜びを感じている。ここではワードプロセッサとマイクロフィルムだが、今の携帯電話やWWW、そしてGPSに対する、彼のコメントを是非聞いてみたい…最早不可能になってしまったけれど。

 メカーノの話も、他人事ではない。要は組み立て玩具なのだが、クラークが幼い頃から流行っていた。ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル1978年クリスマス号に、"初老メカーノ症候群" なる症状が出ているそうな。裕福な中年層が罹患し、幼い頃の希望が満たされなかった末に、大きなメカーノ・セットを買ってしまうのだそうだ…なんか、どっかで聞いたような話ですね。

 古典SFのブックガイドとしても優秀で、ラヴクラフトやE.E.スミスを魅力たっぷりに紹介している。だが、ひとつだけ欠点がある。アシモフの名前は頻繁に出てくるが、作品の紹介がない。困った爺さんだ。

 ラグランジュ点の話題も少し出てくる。日本の若い男性の多くが、「サイドn」の名でそれに深く馴染んでいると聞いたら、彼はどう思うだろう。この国の将来が楽しみでしょうがない。長生きしなくちゃね。

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2010年10月24日 (日)

ホルヘ・ルイス・ボルイヘス&マルガリータ・ゲレロ「幻獣辞典」晶文社 柳瀬尚紀訳

本書を覗いてみる者は誰しも気付くように、夢の動物学は創造主の動物学よりずっと貧しい。  --1957年版序より

 西洋はもちろん、中国・日本・南米・アラブ・アフリカなどに伝わる、架空の生物を集めた辞典。有名なケンタウロスやスフィンクスは当然、ペリカンや「中国の狐」など実在の動物に変な属性を加えたモノや、饕餮なんてマニアックなシロモノから、「ポオの想像した動物」なんて小説に登場する生き物まで載っている。

 ハードカバーで220頁ほど。それぞれの化け物を、1~2頁で紹介する形になっているので、興味のあるところだけをつまみ食いしてもいい。時折、モノクロのイラストが入っている。ただ、文字が小さいのが年寄りにはキツい。8ポイントかな(普通は9ポイント)?文章はあまり読みやすいとは思えないのだが、不思議とスラスラ読めた。

 いきなりア・バオ・ア・クゥーとか出てきて、なんじゃいと思ったら、千一夜物語に出てくるインドの化け物なのね。鳥坂さんを助けてくれる小人さんはブラウニーって言うのかあ。ケルベロスの頭は、最初は50個だったのに、次第に数が減って3個になったんだ。

 「エルフは北欧の産である。小さくて性悪だという以外、彼らについてはほとんど知られていない」そうなんで、背が高かったり耳がとんがってたり巨乳だったりするのは、以後の作者によるアレンジなのですね。「地上には、神の前にこの世を正当化する使命をおびた正しき人間が三十六人いる、またつねにいた」とあるウーフニックの項は、まんまR.A.ラファティの小説みたいだ。

 中国の四霊獣って、虎と亀と鳳凰と竜だと思ってたけど、これだと一角獣(麒麟)と亀と鳳凰と竜になってる。そういえば、西洋の竜は悪役だけど、中国だと英雄を竜に例えるように、むしろベビーフェイスだよね。しかし麒麟が一角獣かあ、言われてみれば確かにそうだけど。「墨壷の猿」とかの意味不明っぷりは、聊斎志異にもありそう。

 ペリカンは、「これは雛をたいへんに愛し、彼らが巣のなかで蛇に殺されているのをみると、自分の胸を掻きむしり、その血を浴びさせていき返させる」そうな。どこからそんな連想をしたのやら。まあ日本や中国の狐が化けるってのも、人が勝手に付け加えた性質だけど。

 「イギリス生まれの天使は政治好きの性向をみせ、ユダヤの天使は小間物類の商いをしたがる。ドイツの天使は部厚い書物を持ち歩き、何かを答える前にそれを参照する。回教徒はモハメッドを崇拝するので、神は彼らに預言者の姿をした天使を授けた」って、ジョークかい。

 …などと、感心したり呆れたり。我々が良く知っている地震を引き起こすヤツが少し変形してたりして、それもまた楽しい。当然、日本の誇る最強の怪物、八岐大蛇も載っております。SF者としては、異星人辞典が欲しい、などと痛切に思ったのでありました。

 化け物で有名なのはグリフォン。まんま、Gryphon というバンドがあります。英国の民謡風のプログレ。

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2010年10月22日 (金)

山本周五郎「松風の門」新潮文庫

「これみんな、栄ちゃんのために、どうにかするつもりだったの、おっ母さん」
「…悪いと思ったけどねえ、栄もよっぽどのことらしいんで、つい可哀相なものだから…」
「あたしたちはどうなの。栄ちゃんは可哀相で、あたしやたかちゃんは可哀相じゃないの、それじゃあんまりだわ、あんまりだわおっ母さん」  --「湯治」より引用

 時代小説で有名な山本周五郎の短編集。これは全13篇中1篇だけ現代小説が混じっていて、雰囲気にも統一感がない。「人気作家の未収録作品を集めた」感がある。文庫本で本文470頁ほど。文章は多少昭和の匂いがして、それが山本周五郎の味を出してる。

松風の門
 伊予国宇和島に初めて国入りした新藩主の伊達大善大夫宗利は、一通りの引見を終えた。しかし、その中に池藤小次郎の姿はなかった。幼い頃、神童と言われた小次郎を、宗利は妬んでいたが…
 なんとか二人に会話の機会があれば、と思うけど、それを作らないのが周五郎さんの作風なんだよなあ。
鼓くらべ
 絹問屋の娘で鼓の名手と評判の高い十五歳のお留伊。新年の嘉例で城中の鼓くらべへの出場を、師匠からも勧められている。彼女が離れで鼓を打っていると、貧しそうな老人が現れ…
 鼓をピアノやギターに変えれば、まんま今の漫画の原作に使えそうな。
 夜、お城の天守に妖異が出るとの噂。老職の弥佐兵衛は、婿の乙次郎を角のないのがとりえと思っていたが、最近は何か物足りなく感じていた。
 昼行灯が探偵役のミステリ・ホラー。とはいっても探偵役の乙次郎がのほほんとして、いい雰囲気を出している。これも川原泉あたりに漫画化して欲しい。
評釈堪忍記
 庄司千蔵は短気なあくたれだ。叔父の駒田紋太夫の癇癪を面白がって、幼い頃から悪戯してきた。叔父の説教が効いたのか、最近は我慢を覚え…
 関西弁の会話もリズムがあって楽しいけど、江戸のべらんめえ調の会話もスタッカートが効いてていいなあ。蒟蒻玉とか、よくそんな悪態を思いつくもんだ。
湯治
 おしずとおたかの姉妹は、幼い頃から兄の栄二の為に苦労してきた。世直しを気取る栄二は、フラリと家に来ては金品を持って行く。やっとおたかの嫁入りが決まり、姉妹は熱海への湯治に誘われたが、おしずは栄二が現れて話を壊しやしないかと心配で…
 この短編集で、最も心に残ったのが、この一編。倅を贔屓する母親と、無気力な父親の姿は、「毒になる親」略して毒親そのもの。娘の嫁ぎ先に当の娘の失敗談を語る母親のエピソードは、「うわあ、あるある」と思わず頷いてしまう。いるんだよね、子供の足をひっぱる親って。周五郎さん、なんで知ってるんだろう…と思ったら、奥さんがモデルだとか。苦労したろうなあ。実は三部作で「おたふく」という先行作品があるというので、是非読まねば。
ぼろと釵
 居酒屋「川卯」。込む時刻が過ぎ、常連客だけになっても、その男はゆっくり飲んでいた。そこに現れたあまずれのお鶴。
 うん、まあ、幼い頃の思い出ってのは、ねえ。
砦山の十七日
 悪徳城代家老の溝口左仲を討ち取った笈川哲太郎ら七人。だが七人は追われる身となる。同志の新六が江戸に直訴する事となったが、往復に十五日ほどかかり、その間、七人は山中の砦に身を隠す羽目となり…
 当初はのんびりしていた立て篭もりが、意外な乱入者やトラブルで追い詰められ、次第に険悪な雰囲気になる模様は相当な緊張感。始終、落ち着いた孫兵衛がいい感じ。
夜の蝶
これも飲み屋での一幕もの。常連ばかりの車屋台に、旅の者が現れ…
釣忍
 かつぎの魚屋、定次郎と、嫁のおはんは仲のよい若夫婦。相長屋で版木職人の為吉と毎日のように将棋を指している。そこに定次郎の兄と名乗る者が現れ…
 周五郎さん、奥さんが大好きだったんだろうなあ。
月夜の眺め
 また飲み屋の一幕もの。常連の船頭が飲み、浪人の伊藤欣吾が講釈している所に、嫌われ者で十手を持った下っ引の捨吉が飛び込んできた。
 伊藤の講釈にケチつけつつも、続きをねだる平吉のツンデレぶりが可愛い。
 加川鐵太郎は、妻のゆきをの気持ちがわからなかった。何か不満を抱えているようだが、訊ねてもはぐらかされてしまう。
 今でさえ大変なのに、あの時代じゃねえ。
醜聞
 飯は一汁一菜、十二月まで座敷に火を入れない、四角四面の武士、功刀功兵衛。苅田荘平の不正を見つけた彼は、妙なこじきに付きまとわれる。
 まあ相性の悪い人間ってのは、確かにあるよねえ。私も察しの悪い方なんで、功兵衛の気持ちはよくわかる。
失恋第五番
 この短編集で唯一の現代もの。社長の息子で連絡課長の千田二郎。彼は海軍航空隊でで終戦を迎えた。一目ぼれの相手とのデートにいそいそと出かけたが、運悪く戦友に見つかって…
 …ワイルドセブンかよ。秘書の宮田さんを放置てのはヒドい。

 奥付を見たら「平成二十二年 五十二刷改版」とある。五十二刷ですぜ。今でも多くの人に愛されてるんだなあ。なんか版面も今風にスッキリした雰囲気になってて、DTP で版下から作り直したんだと思う。今後も刷を重ねると新潮社は予測しているんでしょう。

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2010年10月21日 (木)

ポール・ロレンツ監修 F.クライン=ルブール著「パリ職業づくし 中世から近代までの庶民生活誌」論創社 北澤真木訳

 夜が明けると、風呂屋の番頭が開店を告げて回る。ビザンチン帝国との交流により公衆衛生が普及していたのである。やがて、魚、鶏肉、生肉に塩漬け肉、にんにく、蜂蜜、玉葱、セルフイユ、サラダ用生野菜、バターやチーズなどの販女(ひさぎめ)らが、ぞくぞくとやって来る。小麦粉に牛乳、桃、梨、林檎、桜んぼ、卵を呼び売りする女たちの声に、服や食器、家具の修理屋の声が重なる。

 書名どおり、中世から近代までの、パリを中心とした欧州にあった様々な職業を紹介しつつ、同時に当時の人々の生活ぶりを描き出した本。冒頭に引用したように、当時のパリは行商人が盛んに声を張り上げながら行きかっており、かなりの喧騒に包まれていた模様。「昔は静かだった」なんて、大嘘ですね。物を売る者ばかりでなく、刃物の研ぎ屋や煙突掃除など保守・修繕に関わる職業や、ガス灯に火を灯す街灯点火夫や死刑執行人などの公務員、釘工などの職人も、給料や勤務時間などの労働条件や特権も合わせて紹介していて、当時の社会構造が垣間見えてくる。

 ハードカバーで本文240頁ほど。文章はややクラシックな雰囲気があるかな。全16章に分かれていて、それぞれが職業ごとに2~3頁程度の紹介文で構成されており、興味のある所だけをつまみ食いできる構成になっている。挿絵も豊富で、眺めているだけでも楽しい。給料や物の値段が具体的な数字で出てくるのはいいけど、リアールやスーなど当時の単位なのが、ピンとこなくてちょっと不親切かな。

 今の日本じゃ行商といえば竿竹に焼き芋ぐらいだけど、当時は行商人が活躍していた模様。商人はランクが三つあって、店舗を構えた商人・露天商、そして行商人となる。各商人は細かく組合に分かれていて、例えば錠前も鉄と真鍮で異なる組合に分かれてたそうな。商店や露天商にとって行商人は天敵で、行商人をパリから追い出すために組合が訴えを起こしたりしてる。

ルネサンス時代の床屋は、村に入るとラッパを吹いた。すると、髭を剃ってもらいたい男たちが三々五々集まってくる。似たような風習はヨーロッパの至る所にあり、とりわけスペインでは盛んだった。

 など、今では店舗を構えるのが当然の職業も、当時は流しが多かったのも意外。庶民向けの木製食器を売る木地屋、ヒースの束で作ったほうきを売るほうき屋、クリーニング屋の元祖?染み抜き屋まで行商するとは。どころか、セーヌ川が汚れてくると、はるばるオランダにまで洗濯物を頼んでいたそうな。中世のグローバル経済、おそるべし。

 奇妙な職業も沢山載ってて、ツケボクロ師なんてのもある。ホクロは肌を白く際立たせるというので、ツケボクロが流行ったのですね。目元は情熱的、口元は色好み、ほおの真ん中は恋する女など、場所によって意味があるのはアクセサリのお約束。形も丸ばかりでなく、星型・三日月・ハート・人物など、様々。女性の装飾にかける情熱は今も昔も変わりなし。ツケボクロ製造にまで独占権が設定されているってのも、当時らしい。
 更に変なのが、移動便器屋。折りたたみ式の便器を持って、大きなコートを着る。コートを広げれば、客の姿は隠れる。客は人に見られず服を脱いで、用が足せる。今、そんな格好をしてたら、ただの変態オヂサンだけど。

 パリの夜警も、最初は自警団のようなモノだった模様。1130年のルイ七世の公布で、五つの同職組合に夜警の義務を負わせている。これが二十年後には、すべての同職組合に人の供出を義務付け、職人が駆り出されて夜警についていた。やがて専門の国王夜警となり、1261年には決まった詰め所に常駐する駐在夜警になる。こういう変化も、民兵が専門化して軍に編成されていくのと似ていて、面白い。

 今はスーパーやコンビニに行けば、大抵の物は揃う時代で、流しの行商人といえば竿竹屋と焼き芋屋ぐらい。織物や釘も工業化され、大量生産が当たり前。夜も電灯で生活に不自由しないし、メールで必要な要件も即時に伝えられる。肉や魚も冷凍すれば問題ない。こういう生活に慣れると、昔の人はよく生きてこられたよなあ、などと妙な感心してしまう。

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2010年10月20日 (水)

デジタルカメラと自転車

 デジタルカメラが壊れた。SDカードを認識せず、「このカードは使えません」とメッセージが出る。幸い保障期限内だった。5年の保障に入っといてよかった。買った店に持って行き、店員さんに相談した。
  「カードを認識しない、壊れたのがカメラ本体かカードか判らない」
 親切にも別のカードで試してくれた。他のカードも認識しない。結局、「カメラ本体がイカれてますね」って事で、修理と相成った。なんか電池もイカれてて、起動に妙に時間がかかる。それも合わせ、3~4週間ほどかかる模様。

 カメラを持って外出すると、ついシャッターチャンスをうかがってしまう。そのため、見慣れた風景を少しだけ注意深く観察するようになった。お陰で近所の猫を何匹か覚えてしまった。今度、勝手に名前をつけてみようか。真っ黒なダンディさんがいるんだよなあ。暫くはその楽しみはおあずけ。ちょっと寂しい。

 自転車のタイヤに空気を入れた。空気入れは近所のドンキーで買った安物だが、自転車やに頼まないで済むのは少し気が楽だ。タイヤはちと固めかな、とも思ったけど、かなりペダルが軽くなった。やっぱ、空気圧は大事だよね。

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2010年10月19日 (火)

ジョン・スコルジー「老人と宇宙4 ゾーイの物語」ハヤカワ文庫SF 内田昌之訳

わたしはゾーイに顔をもどした。「ところで、どうやってオービン族からこんなものを手に入れたんだい?」
「最初は説得して、つぎに交換条件をだして、それから泣きついたの。おしまいにはかんしゃくをおこしたわ」  ジョン・スコルジー 老人と宇宙3 最後の星戦 より引用

 まさか「老人と宇宙」シリーズが、ロアノーク青春白書になるとは…と思わせておいて、最後は娯楽SFの王道「爽快で壮大なジュブナイル」に落とす。いやもう、お見事。主人公ゾーイは10代の美少女でお姫様とサービス満点。口は減らないし目つきは悪い、おまけに男を尻に敷くタイプだけど。

 文庫本で約500頁。内田さんの訳は、こういう王道の娯楽SFにはピッタリ。視点は主人公のゾーイ固定、時系列も一直線、舞台もほぼ固定で混乱もなし。シリーズ物の外伝という位置づけではあるけど、必要な背景は本書に説明があるんで、これだけ読んでも充分に楽しめる。ただ、本編の重大なネタをバラしてるんで、これを読んじゃったら本編の楽しみが減ってしまう。できれば素直にシリーズ始めの「老人と宇宙」から読んで欲しい。

 75歳以上の老人だけが志願できる宇宙軍を舞台にし、めでたく3巻「最後の星戦」で完結したジョン・スコルジーの爽快なスペースオペラ・シリーズ、「老人と宇宙」。あの最終巻を、養女ゾーイの視点から描いたのが、この「ゾーイの物語」。今までのシリーズが体だけは若い年寄りを主人公にしているのと対照的に、この物語の主人公は10代前半の少女。それだけに全編に若々しさが溢れてる。

 宇宙は、多数の異星人が会い争う戦場だった。その中で、人類のコロニー防衛軍も必死に戦って生き延びてきた。人類の将兵は遺伝子を操作し、緑色の肌をしている。
 知性はあっても意識を持たないオービン族。人類であるゾーイの父親はオービン族に知性を与えたが、戦乱でゾーイを残し死んだ。オービン族は残されたゾーイを崇め、彼女から「意識」を学んでいる。
 コロニー防衛軍を退役したジョンとジェーンは、結婚してゾーイを引き取り、植民惑星ハックルベリーで過ごしていた。しかし、新しい植民惑星ロアノークへ、指導者として移民する羽目になる。

 全三部構成で、最初の二部は移民船と植民惑星の青春物。主人公ゾーイは親の躾がいいのか(←をい)、とにかく口が減らない。明るく元気で陰謀大好きな少女。彼女の親友グレッチェンも、ゾーイに負けず劣らず頭の回転が早く口が悪い。このゾーイとグレッチェンの息の合ったコンビネーションと丁々発止のやり取りが、この物語の大きな魅力のひとつ。
 ゾーイとカップルになるエンゾは、詩を愛する大人しい少年。もちっと嫌味な奴なら「エンゾもげろ」と言いたくなるんだが、彼の友達思いな所は、どうにも憎めない。ゾーイとの関係も完全に尻に敷かれてて、「まあこれなら許してやろう」って気分になる。エンゾの親友マグディは、血の気が多いトラブル・メーカー。このまんま最後までいい所なしで終わるかと思ったら、一応彼にも見せ場はあった。

 そんな四人の恋と友情と冒険の物語が、全体の7割近くを占める。親が老成しているせいか、仲良しグループじゃゾーイがリーダー格でグレッチェンが副官って感じかな。マグディが反乱軍でエンゾが仲介役。これじゃ男性軍に勝ち目はなく、たいてい女性軍の圧勝で終わる。まあ、出会いがアレじゃ、どう考えても不利だよね。内心も完全に見透かされてるし。

 …などと爽やかな青春物で終わるはずもなく、最後はゾーイの大冒険となる。オービン族との数奇な因縁を背負ったゾーイが、土壇場で下す壮絶な決断。やっぱり、若者が主人公のSFはこうでなくちゃ。

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2010年10月17日 (日)

チェスター・マーシャル「B-29日本爆撃30回の実録」ネコ・パブリッシング 高木晃治訳

私たちは何だか、ひどく傷ついて歯向かうこともできない死にかけた虎の上を飛んでいるような気がした。どうして敵は復讐のために戦闘機の群れを上げて撃ち落しにこないのか不思議だった。われわれを恐れているのだろうか?今、機は高度六〇〇〇フィート(七九三〇メートル)に単機でいるのだから、鴨が座っているのに等しい。防御するにも機関銃だけなのだ。もし、攻撃を仕掛けるのが怖いのなら幸いだ。本当はわれわれこそ戦闘機が怖いのだから。

 副題に「第2次世界大戦で東京大空襲に携わった米軍パイロットの従軍記録」とある。まさしくその通り、B-29のパイロットとして従軍した下級士官の従軍日記。モノクロだが写真も豊富に掲載されている。B-29の機上から撮った写真が多く、上空から見た富士山には、ちょっとした感慨を受けた。

 ハードカバーで340頁ちょい。文章は素人とは思えぬほど読みやすい…と思ったら著者紹介を見て納得、退役後は新聞・出版業界に勤め、退職後は著述に専念とある。プロなのね。納得。訳文も原文のアメリカン・フレイバーをかすかに残す自然な文章で、軍事物にありがちな堅さはない。原文のヤード・ポンド法の距離や重さの記述を、カッコつきでメートル法を補ったのは訳者の配慮だろうか。実にありがたい。時系列も終戦まで一直線だし、視点も著者に固定で、わかりやすい。その気で読み飛ばせば、あっさり読み終えられる…冷静に読めれば。

 私は基本的に娯楽として本を読んでいるんだけど、この本は動揺してしまい、冷静に評価できない。さすがに空襲を体験した世代ではないが、それでも他人事とは思えないんだ。レン・デントンの「爆撃機」も小説とはいえ戦略爆撃がテーマだが、舞台が欧州なので客観的に読めた。舞台が変わり日本が爆撃される側になっただけでこれほど動揺してしまうのは、それだけ私の想像力・共感能力が不足してて、人の身になって考える能力が無いせいか、などと思うと、更に動揺してしまう。

 それもこれも、この本が臨場感たっぷりで、登場人物が生き生きしているのがいけない。内容は、大きく分けて二つのシーンに分かれる。基地での日常生活と、実戦のシーンだ。この日常生活が良く出来ていて、著者や戦友たちが、いかにもイタズラ好きで元気な明るい普通のアメリカの若者らしく、眼前に迫ってくる。

 宿舎の裏手に、溜まり場にするコテージを、仲間と一緒に組み立てる。手投げ弾を海で爆発させ、浮いてきた魚を取って飯のオカズにしようとする。陸兵と航空隊員・陸軍と海軍と海兵隊といえば、組織としてのライバル意識がありそうなもんだが、著者と愉快な中間達は、そういった対抗心と全く無縁で、何の屈託もなく打ち解けている。基地のジープを管理する陸兵には、こっそりB-29の遊覧飛行を提供する代わりに、基地周辺のドライブにジープを調達してもらう。水兵にはウイスキーを提供する見返りに、アイスクリームをせしめる。地元の知り合いの海兵隊の軍医には、若くて可愛い看護婦を紹介してもらい、パーティではしゃぐ。

 残念ながら、そんな平和な日常ばかりではない。基地はサイパンで、著者が到着した1944年には、まだ日本軍の兵が残っている。夜間や明け方には、残った兵が基地に突撃を仕掛けてくる。米兵のフリをして食事の列に並ぶツワモノもいたそうだ。正体がバレた原因が笑ってしまう。米軍の服を着ていたのだが、あまりにキチンと着ていたため怪しまれたとか。空襲もあり、レーダーを避け低空から侵入した一式陸攻が、整備中のB-29を相当数破壊している。著者にとっては怖い空襲だが、日本人読者としては思わず応援したくなる。なまじ著者が普通の若者だけに、どうにも複雑な気分になってしまう。

 肝心の日本本土空襲は、大変な長距離飛行になる。サイパンから日本本土まで2400km。往復で5000km近く、B-29でも二つの補助燃料タンクが必要で、飛行時間は13時間に及ぶ。著者の初出撃の時、硫黄島は陥落しておらず、往復の燃料はギリギリだ。やはり硫黄島で日本軍が頑張っている影響で、戦闘機の援護もない。燃料を節約するため、海上は高度600mの低空を飛び、日本沿岸300~400kmで高度8000~9000mに上昇する。高空は零下34℃で、与圧しなければ呼吸も出来ない。与圧されていない区画で肌が直接金属に触れれば、貼り付いてしまう。

 日本人にとってB-29は超高空から侵入してくるので手が出せないように思えるが、意外とそうでもない。対空砲は盛んに着弾するし、邀撃の戦闘機もされる側からすれば恐ろしい。屠龍・飛燕・鍾馗・月光など、次々と襲いかかってくる。機銃ばかりか、体当たりまでしてくる。この辺も、日本人としては、実に複雑な気分になる。焼夷弾による市街攻撃は上昇気流を引き起こし、爆撃機の飛行も不安定にさせる。人肉の焼ける匂いがした、と著者は書いている。

B-29が計画的に都市や工場を破壊し、人を数千人単位で殺戮しており、これによって日本人の継戦意思はきっと沮喪するはずだ。

 と、著者は自分が何をやっているのか、充分自覚している。が、しかし、文章はあくまで冷静に、事実を記す事に徹している。多くの戦友を失っているが、悲しみに浸る部分は少ない。勝手な想像だが、著者は意識して人生の明るい面に目を向けるタイプなのかも。そうでなければ、生き延びるのは難しかっただろう。

 戦略爆撃を指揮するカーチス・ルメイの方針により、飛行高度は次第に低くなり、爆撃機隊の任務は過酷になっていく。それでも、30回の出撃で生還すれば退役できる、という希望にすがり、著者を含めた11名のクルーは出撃を繰り返す。

 付録の「ハローラン航空士日本訪問記」が、この本の大きな救いになっている。日本上空で墜落し、捕虜として終戦を迎え、後の2000年に来日して当時の関係者と面会した、B-29搭乗者の記録だ。これを付録としてつけた、訳者と出版社の気配りに感謝したい。

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2010年10月16日 (土)

眉村卓「消滅の光輪 上・下」創元SF文庫

「それは、多分かつての、司政官にそれだけの栄光と権力があった、そんな時代の話なのでしょうね。(略)現代ではおそらくそれは伝説の一種なのではありませんか?司政官なるものの、その背後にあった光輪が消え尽きようとしている今では…」

 新任の司政官、マセ・PPKA4・ユキオの任地は、植民惑星ラクザーンだ。そこには、穏和な先住民がいるが、一千万近い人類の植民と、大きな争いもなく共存している。しかし、大きな問題が控えていた。ラクザーンは、恒星の新星化により、近い将来に居住不能となるのだ。既に司政官には、かつての栄光と権勢はない。翳りゆく司政官の権威を背に、マセは全住民の避難計画に着手する…。巨大プロジェクトの顛末を首長の視点で描く、眉村卓独特の官僚SF大作。

 文庫本で上下共に500頁近い大作。とはいえ、身構える必要はない。ジュブナイルで鍛えたベテラン作家らしく、文章の読みやすさはさすが。おまけに時系列もほぼ一直線で、視点も主人公マセ・PPKA4・ユキオに固定なので、お話の混乱もなくスラスラ読める。大作に相応しく前半は大きな動きがないが、後半に入ってから大きなイベントが連続して起こるので、途中で本を閉じるのに苦労する。

 遠い未来。人類は多くの恒星系に進出し、千を超える植民星を開拓している。植民計画を統括するのは「連邦」だ。連邦は各植民惑星に司政官を派遣し、惑星の開発を先導してきた。いくつかの植民惑星には、先住の知的生物がいて、時には問題が起こる事もある。大抵、司政官は単身で赴任し、多くのロボット官僚が司政官を補助する。かつては大きな栄光と権威を誇った司政官だが、各植民惑星の開発が進むにつれ、次第にその権威は凋落していった。

 …などという背景は、本文にほとんど書かれていない。ほとんど私の想像だが、大筋はあっていると思う。特に謎として伏しているわけでもないので、ネタバレにもなるまい。読み進むにつれ、だいたい判ってくる仕組みになっている。

 惑星全住民の移住という巨大プロジェクトを取り仕切る、誠実な新任首長の熱意と苦闘の物語、というとプロジェクトXばりの暑苦しいお話を思い浮かべるが、そうはいかないのが司政官シリーズ。マセは確かに真面目で熱心なのだが、根性一点張りの熱血君ではない。新任とはいえ官僚、ハッタリをかまし先回りし、時には放置プレイで周囲と渡り合う。感情を表に出さない、知的で計算高いタイプだ。今思いついたんだけど、細い銀プチ眼鏡が似合いそうだなあ。あの時代に眼鏡なんてオールド・テクノロジーが生き延びてれば、だけど。

 そんなマセ君、司政官といえば昔なら独裁者として思うがまま権力を振るえただろうに、今や植民星着任すらマスコミに軽く流される凋落した存在。ナメられちゃイカンと、とりあえずは司政官の権威復活に努力する。記者会見に望む際も制服を工夫し、地方巡視からの帰還時には、ちょっとしたパレードを演出して権威を強調する。これが単なる見栄なら「嫌な奴」なんだが、全住民移住プロジェクトを仕切れるリーダーシップを確立するためとあれば、読者も彼の苦労に共感してしまう。

 連邦も官僚組織、縦割り行政の例に漏れず、横の連携は全く取れていない。進駐している連邦軍は協力するどころか情報すら寄越さず、参謀本部から派遣された高級軍人も鳴りを潜め、なにやら独自に活動を始めている。開発営社の支店も、移住計画で大金が必要だって時に、特産品の利益の独占を目論む。地元の大手交通会社は、新路線開発協力の依頼を持ち込んでくる。まあ、これは、新星化を知らないんだから仕方がないけど、移住計画が明らかになれば協力してもらわにゃならんので、あまし冷たくあしらうわけにもいかない。とにかく金が必要なんで、増税しなきゃイカンのだが、巧くやらんと住民の反発も必至だ。そもそも新星化を素直に信じる者ばかりとも限らない。信じても、「司政官は○○を贔屓してる」「俺は素寒貧、逆さに振っても金は出ない」などと言い出す者も出てくるだろう。

 …と、まあ、前半はシムシティ的な問題山積の中、マセ君は着々と手を打っていく。全体を通して大きなアクションも少なく、マセの内省や状況説明が大半なので、波乱万丈とは言い難い。反面、会見の部屋の選択で相手にそれとなくメッセージを伝える、またがマセが相手のメッセージを読むなど、いかにも「組織の人」らしき配慮をじっくり書き込んでいて、それがこの作品の大きな魅力になっている。

 さて。そんな司政官シリーズの、もう一つの魅力はSQ1を筆頭としたロボット官僚たち。本書は登場人物の外見の描写が少なくて、ロボット官僚も明確に記述されていない。わかるのは「人目でロボットと判る外見である」「SQ1は固定型で移動できない」「それ以外は歩ける」「マセはSQ1Aの足事を聞き分けられる」「LQシリーズは飛べる」ぐらい。なら、てんで、勝手に各ロボットに AA を当てはめてみた。

SQ1
         ..... -- .
        .. '          `ヽ
      /     ,          lヽ
     /    .::. /   ..:  ノ  :::.. l /l 、
    l / ..::::::../l  ..:::: /l   ::::::.l\l 
    レ  .:::::::/ ̄l ..::::フ` l   ..:::::l∠、 l
     l:: :::::::l ● \厂 ●/  ノ:://   l .ト 、
     .ヽ:::::l       ∠. ィ  l .l   /::.l::::⊥..     
   , ' :::トl    ヽ_フ    l  ::::>ヽ__/::::↓ 〃....`ヽ
  /  ο゜ゝ-‐‐ー、     ..::l :::/ `::::::l ::::::::キ:´oО:::::.l
  レ ・ ´   ..::..、  l┬=:::~フレ   :::::l::::::::::::::::\б:::/
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   ∠ο〇::⌒〇ο:つ:;ヽ  、O:::::::の
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SQ2A~SQ2F

                rへ __  __
くヽ  l^ i         /: : : : : : : : Y: :ヽ
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    \\     / l: :/ ○ 丶l ○ l: : :ハ: : : :',   報告しまちゅ~
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          \:/    l:::::::l |::::::::::l   ヽ:: : : : /

LQ系
                              ト、
                               /  \  / ̄}
       ト、__    \           |   , `Y´  /
        |: : : : : :`l_    )ヽ       人 〈 、 ノ , /
        |: : : : : : :r' ̄\ノ__ノ        / : >==○=‐く`ヽ
    __|: : : : : : : :‐‐、: : : く   xー=彡': : : : ̄ ̄`ヽ、 \:.\
    \__: : : /`: : : : : :\从}     ̄/.イ : : ハ : _: : : : :\ ヽ: |
    / __: : l: : : : : : : : : :ハ: }      |: /=+/  く〃ュ: : : : \l: :|
    ムイ/入: : : |\\: `ヽ_}     | |Fフ    `´く: \: : ゝハ|
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     /人   し、_ノ   ノ`‐´       /人   し、_ノ    人 ̄ ̄¨
     ヾっ`>----‐‐く         ヾっ:>-----‐‐く\__|
         ,く`l》、,ム彳ハ }         ムイ /|\l_// ̄lil
       `、≧ |r| /{==ノ          //|/`x入.  | |
        | | | l | ハl ハ           |/└x人≦==ヘ_|
        | u | | レ  |            /ニニニヾ≧=-、
        x__レ'___|              <___入__ノ‐'⌒丶
       〃彳: : : : : |              | |  | |
       j/ |_i|_ノ                  | |  | |
            V レ'                    レ   レ
              オラオラ~税金払え~

 …やめときゃよかった

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2010年10月13日 (水)

池内紀「幻獣の話」講談社現代新書

たとえば一寸法師だが、それはしばしば権力者のかたわらにいる道化として、ふつうの人間の及びもつかない特権を享受してきた。お伽噺にはいろいろなフリークスが出てくるが、彼らはたいてい、夢のような幸運にめぐまれる。あるいは畸形のおかげで並の人間には閉ざされている世界へと入っていける。いいかえれば「選ばれた者たち」であり、地上のもうひとりの王なのだ。

 古より人が想像で作り上げてきた、怪物や妖怪・化け物・珍獣などの紹介を中心に、それを創り上げた人や、伝えられた過程などをからめたエッセイ。幻獣が登場する書物や、畸形に拘った作家なども随所に出てきて、ちょっとしたブックガイドとしても楽しめる。

 新書版で約200頁。多少、文章が硬い部分もあるし、古典の引用もあるが、テーマがテーマだけに、あまりスラスラと読めてはかえって雰囲気が壊れるだろう。図版も多く、ほぼ独立した全10章に分かれているので、気に入った部分だけを拾い読みしてもよい。

1.一角獣 --マルコ・ポーロが見たもの
2.アジアとヨーロッパ --幻獣という知の遺産
3.不思議な生きもの、不思議な人 --狂気と文学のあいだ
4.幻獣紳士録Ⅰ
5.幻獣紳士録Ⅱ
6.百鬼の奇 --日本の幻獣
7.霊獣たちの饗宴 --日光東照宮の場合
8.中国の宝の書 --「山海経」入門
9.私という幻の獣 --寺山修司の夢
10.ゴーレムからロボットへ --二十世紀の幻獣

 いきなり冒頭からマルコ・ポーロの伝える怪物のネタをあっさりバラし、「なるほど」と読者を納得させて、幻獣の世界に引き込む仕掛けは見事。「長さ15メートルの大蛇で頭部近くに二本の短い脚がある。脚には脛がなく三枚の爪がある。爪は獅子やタカの爪に似ている。頭は巨大で口も人を丸呑みできるぐらい大きく、歯もまた巨大」。はてさて、この怪物の正体は?
 次は少し簡単かな?スマトラの一角獣。象より小型。毛が水牛に似て足は象に似る。額の中央に大きな黒い角がある。泥沼が好きで、大抵は泥にまみれている。ヨーロッパで信じられている一角獣とは大違い。…足が象に似て水辺が好きな一角獣。判りますね。

 6章、二本の幻獣の項に出てきた、二人の画家が印象に残る。
 一人は高井鴻山(こうざん)。信州小布施の人で1806~1883。豪商の家に生まれ多趣多芸。一方家業でも財を保ち、天保の飢饉では自家の蔵を開け窮民を助ける。幕府や明治政府にも、地に足の着いた堅実な視点で建白書を多く送る。70才を過ぎてから妖怪変化ばかりを描く。
 もう一人は小川芋銭(いもせん)、人よんで「カッパの芋銭」。カッパを好んで描き、自分でも信じていたらしい。四十を過ぎて日本画らしきものを描き始め、くり返し旅に出た。終始、時流から逸れて傍流の画家だった。

 もうひとつ、やっぱり興味深いのが7章の日光東照宮。眠り猫と鳴き龍と逆柱ばかりが有名だけれど、実は八百あまりの霊獣が刻まれているそうな。家光と家康の因縁なども語られていて、オカルトなシロモノが歴史のド真ん中で大手を振ってまかり通っていたんだなあ、などと妙な感慨に浸ってしまった。

 読了後、思わず近所の図書館の蔵書データベースでホルへ・ルイス・ボルヘスの「幻獣辞典」を探してしまった。ちゃんと登録されてる。今度、借りてこよう。

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2010年10月12日 (火)

船戸与一「蝶舞う館」講談社文庫

「ハノイやホーチミンとはべつの論理が働くんだよ、辺境ではね。中部高原はベトナム国内で形成された最前線だ。そういうところじゃ国家は容赦しない。人権だの何だの言ったところで何の意味もないんだよ」

 現代のベトナムで、民族紛争を抱える中部高原地域を舞台に、圧倒的な力の前に抗い流され利用する男たちを描く、船戸与一お得意の国際ハードボイルド小説。

 菱沼大介は、ベトナムで旅行代理店を営んでいる。日本人向けに、ベトナムでの宿やチケットの手配・当局との交渉に当る仕事だ。今、彼は、日本のTV番組制作会社が企画した、ベトナム戦争終戦30周年記念番組の手配に携わっている。番組制作は始まったばかりだが、どうも波乱含みだ。特別リポーターの元アイドル、知念マリーは高慢でいう事を聞かず、製作会社社長の宮永はマリーの顔色を伺うばかり。ディレクターの瀬戸とは意気投合したものの、根拠不明の自身を漲らせている。

 ダクラック省の省都バンメトートの公安局第二課長のグエン・タイ・ハイは忙しい。中部高原地域は多様な少数民族が多く住み、多数派であるキン族との諍いが絶えない。最近はキリスト教プロテスタントの福音主義派を中心にして、ベトナム国家によるモンタニャール(少数民族)弾圧を、民族破壊として世界に発信し、それに人権団体が呼応して大騒ぎする。ハノイは世論の顔色を伺って「手荒いやり方は控えろ」と言うが、ヌルいやり方じゃ中部高原地域は収まらないってのが、わかってないんだ。

 文庫本で約670頁。ハードボイルド調のクセはあるものの、読みにくいわけじゃない。ただ、前半は、見慣れないベトナムの人名を覚えるのに苦労した。分量に相応しく登場人物も多い上に、それぞれが複雑な背景を持っているんで、多少の覚悟は必要。とはいえ、冒頭に主要登場人物の一覧があるんで、あまり気にする必要はないかも。後半に入って主な登場人物が集まりだすと、物語は一気に加速するんで、あっという間に読み通せるだろう。

 船戸与一は、現代史のひだを描く作家だ。大国同士の戦争や発展しつつある新興国の陰で展開される、血生臭い少数民族独立運動や階級闘争、世代間の対立など、表立って大きく報道される事のない軋轢を、エネルギッシュに書き続けてきた。
 今回、彼が舞台に選んだのはベトナムの現代史。一般には、資本主義 vs 共産主義・アメリカ vs ソビエト・南ベトナム vs 北ベトナムという判りやすい対立構造が知られている。ベトナム戦争当時の報道は、悪辣なアメリカ軍と、それに抵抗するベトナム解放戦線という構図が多かった。ところが、それほど簡単に割り切れるモンじゃないんだよ、と著者は警告する。

「ベトナムが解放されたあと、処刑された連中はべつとして、再教育キャンプに送られたのは南ベトナム政府軍の兵士たちの次に、北ベトナムやベトコンに好意的だった知識人たちだよ。物乞いや犯罪者たちはそういうところに押し込められはしなかったんだ。つまりな、北ベトナムやベトコンに好意を示した知識人たちは敵視された」
「戦争をやってたんだ、奇麗ごとばかりはありえない。しかし、南ベトナム政府や米軍のでたらめに激怒してた知識人たちは北ベトナムやベトコンに過度の希望を抱いてた。サイゴンが陥落すると、その期待は失望に変わる。そういう失望はどのような回路を辿って組織化されるかわからない。共産党はそれを畏れて知識人たちを再教育キャンプに送った。その体質はいまも変わらないと思う」

 現在、ベトナムはドイモイ政策で順調に経済成長を遂げていて、日本からの投資も盛んであり、海外旅行先としても人気を集めている。しかし、本質的には共 産主義国家であり、かつ民族対立を抱えている。ハノイやサイゴン(ホー・チ・ミン)はともかく、地方では報道規制が厳しく、胡散臭い外国人は公安に監視さ れる。というのも、国内、特に中央高原部では、多数を占めるキン族と、多様な少数民族の軋轢があるからだ。冒頭に引用した台詞が、それを象徴している。

 フランスやアメリカに対し、民族の自治を求めて毅然と立ち向かう北ベトナム。その構図が、ここではひっくり返って、ベトナム国家という強大な力に対し、民族の誇りをかけて挑むモンタニャールという形になる。かと言って、アメリカやフランスを擁護しているわけでもない。フランスやアメリカもまた、自国の利益のためにモンタニャールを利用した。モンタニャールも一枚岩ではなく、アメリカに協力する者もいれば、ベトコンに与する者もいる。そもそも、モンタニャールというのは総称で、各民族同士で言葉が違うため、会話にはベトナム語を使う必要がある。

 などというややこしい背景も魅力だが、私はディレクターの瀬戸明広が気に入った。無根拠な自信家で、山師根性旺盛。特ダネのために自ら隠しカメラを抱え、サイゴンの商売女を買って体当たり取材する。現実に傍にいたら迷惑極まりないけど、こういう奴がいると物語りにメリハリが出て盛り上がるんだよね。

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2010年10月11日 (月)

アルフレッド・ベスター「ゴーレム100」国書刊行会 渡辺佐智江訳 ジャック・ゴーガン絵

 「ワシのごとくたくましく!ハゲタカのごとくすみやかに!行け!行け!ゴー!ゴー!死体(ネクロ)カルチャー!」

 思いっきり下品で猥雑で変態。途方もなく混乱したゴミと宝石の混合物。絶倫的な想像力とテクニックを誇るアルフレッド・ベスターのプロデュースによる、読者の体力と生命力を試す、サービス満点な悪夢のマラソン障害物競走。正直に言います。私は200頁程度で息切れしました。なんとか最後まで到達したけど、果たしてベスターの真意の何%を理解していることやら。

 ハードカバーの一段組みで約480頁。分量もさることながら、文章も濃厚かつ奔放で、とてもスラスラ読めるシロモノではない。「虎よ!虎よ!」の頃から言葉遊びに凝っていたベスターが、この本では溜まったモノを吐き出すかのように、タイポグラフィーから譜面やイラストと、やりたい放題やっている。これを訳した渡辺氏もさることながら、編集・組版した国書刊行会と明和印刷の苦労がしのばれる。

 時は22世紀。場所はガフ。無秩序に拡張したニューヨークが、ボストンからアトランタまでを侵食した、悪徳の栄える未来のソドムとゴモラ。水が貴重品となったガフには悪臭が立ち込め、それを誤魔化すために香水産業が躍進する。街路には貧民が群れてスプロール化し、強姦・殺人・薬物犯罪は日常茶飯事。しかし上流階級は安全なマンションで、有り余る財力にモノをいわせ、安全とあらゆる贅を貪っている。

 事の起こりは、そんな金持ち向けのマンションの一室。女王リジャイナと友人、合わせて8人の美女が集った。暇を持て余した彼女たちは、悪魔を呼び出す儀式を試す。ラテン語で、中世フランス語で、ヘブライ語で。祈祷文を、典礼文を、誓約の言葉を唱える…が、何も起きない。少なくとも、彼女たちの部屋では。

 その頃。ガフの街では、一人の女がゴミの中で壮絶に命を奪われていた。警察が現場に駆けつけた時、彼女は縄で手足を縛られながら、カツオブシムシの大群に、生きながら食われていく。彼女が絶命した時、縄とカツオブシムシは忽然と消え、死体だけが残っていた。

 次々と起こる奇怪な殺人事件と、それを追う三人の男女。街の治安を預かる敏腕警察官インドゥニ。躍進した香水企業 CCC でヒット商品を次々と開発する天才化学者、フレイズ・シマ。シマのスランプ脱出を依頼された黒人女性の精神工学者、グレッチェン・ナン。

 …という連続殺人事件の謎が本筋ではあるけど、そこはベスター。お話はアッチに飛びコッチに脱線しで、複雑怪奇に絡まりあう。というか、場面を転換するゴトに出てくる、ガフの風景のビジュアルが、ひたすらマッドで唖然としっぱなし。冒頭の8人の美女が集う、リジャイナの部屋の淫靡で背徳的な場面から一気に引き込まれてしまった。すんませんね助兵衛で。グレッチェンがPLOのオフィスを訪ねるシーンも、凄まじい論理のアクロバットが展開され、気がついたらトンデモな社会情勢に素直に納得している。極めつけはガフのお祭り、オプスウィーク。ただでさえ混乱を極めているガフで、人々が日常の役割から解放され、ひたすら享楽を求め歌い踊り飲み食い交わり、エクセレント・カンパニーの重役達は甲斐甲斐しく屋台の親父を勤める。

 混乱と狂乱の果てに到達した結末は、これまたとんでもない大風呂敷。「イデの怪物」は伊達じゃありません。「半端なSFじゃ満足できない、思いっきり濃縮したアイデアをガブ飲みしたい」と壮語する、飢えたすれっからしの読者向けです。繰り返しますが、私は途中で白旗を揚げました、はい。

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2010年10月 9日 (土)

図書館に返した本、借りた本

以下6冊を返してきた。

んで、借りてきた本。返却期限は2010/10/22。

スコルジーの「老人と宇宙」シリーズの新刊、「ゾーイの宇宙」が出てるんだよね。いつ買おうか。

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2010年10月 8日 (金)

蔵前仁一「シベリア鉄道9300キロ」旅行人

ウラジオストクからモスクワまでのシベリア鉄道全線に乗って、旅の一部始終をご紹介しようというのが本書の目的である。そして旅はモスクワからサンクト・ペテルブルグ、さらにロシアを越えてフィンランドのヘルシンキまで続く。大河、森林、草原が続く長い鉄道の旅を、読者にお楽しみいただければ幸いである。

 旅するイラストレーター蔵前仁一氏による、ウラジオストクからモスコワを経てフィンランドのヘルシンキに至る、2005年5月のシベリア鉄道搭乗記。いつもは細かい計画もなく気の向くままフラフラと漂う蔵前氏だが、今回は元社会主義国ロシアとあって、予め搭乗切符や宿泊するホテルなどを全て日本で予約している。そうしないと、ビザが下りないのだ。「わけいっても、わけいっても、インド」同様に、今回も氏のイラストはなく、そのかわりに写真を豊富に掲載している。確かに綺麗だけど、氏のユーモラスなイラストが好きな私としては、少し寂しい。

 ソフトカバーで本文240頁ちょい。カラー写真を豊富に掲載していて、読むというより、見て楽しむ本だろう。

 文章も写真も時系列に沿っていて、シベリアの閑散とした風景から、次第に都会的な風景に変わっていくのが興味深い。ウラジオストクなど極東ロシアの町並みは、西洋の影響が少ないせいか、逆にロシア的センスのエッセンスを蒸留した感があって、「ああ、ロシアって、こういうセンスだよね」というのが判りやすい。建物はレンガ造りでガッチリしているのだが、ボストンやブリュッセルのような重苦しさはない。かといって新宿の様に未来的でも、大阪のよう生活感あふれる雰囲気でもなく、ロシア的な伝統センスが溢れている。その理由の一つは色使いだろう。青や赤などの明るい原色と、白の組み合わせが巧みで、幾何学的な几帳面さ・重厚さと、ファンシーな可愛らしさが同居した、不思議な魅力がある。

 車窓から見た風景も、まばらな白樺の林から、次第に畑が多くなって、モスクワ近辺では都市的な風景になっていく。シベリア近辺で見かける木造の粗末な小屋が、西に向かうに従って次第に減っていく。やっぱり、ロシア国内でも東西の経済格差があるんだろうか。木造小屋の屋根に、白くて丸い衛星TV受信用のパラポラ・アンテナがあるのは、ちょっとシュール。

 旅行記とはいっても、基本的に昼は列車に乗っていて、たまに大きな町でホテルに一泊する、という形なので、大きな事件やトラブルもない。そのせいか、文章の1/4~1/3ぐらいは、ロシア/シベリアの薀蓄で占められている。具体的なホテル名や値段も明記されている上に、「食事は食堂車で取るより駅や街のお惣菜を買ったほうが安くて美味しいよ」とか「ロシアじゃ白タクは珍しくないよ、あまし勧めないけど」などと、旅行ガイドとして役に立つ情報も、少し載っているのが、蔵前氏の著作にしては珍しい。いや、あくまでも少しであって、これ一冊でシベリア鉄道に乗るのは無茶だけど←そんな馬鹿やるのは俺ぐらいだ

 街の紹介を見ると、「石油採掘で繁栄した」とか「金鉱で栄えた」など、地下資源の開発で出来た町が多い。または「シベリア鉄道開発の基地として建設された」なんてのもあって、ロシアという国は、本当に地下資源で持っている国なんだなあ、と感じる。

 薀蓄としては、シベリア鉄道開拓悲話が印象に残る。バイカル湖を横断するために冬の氷上に線路を敷くとか、えらい無茶をやっている。それだけ開通に苦労したんだから、維持にも相当のコストがかかっているだろうに、あまり遅延もなくキチンと運営しているのは、さすが大国ロシアの意地というか。

 社会主義体制が崩壊したとはいえ、今でも鉄橋や駅を写真に撮ると警官に咎められる事があるそうで。そういう秘密主義的な部分は、なかなか払拭が難しいんだろうなあ。

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2010年10月 6日 (水)

佐藤哲也「妻の帝国」ハヤカワSFシリーズJコレクション

そしてこれもわたしの想像なのだが、たいていの人間は自由を失うその日まで、自分が自由であったことを知ることがない。

 なんとも奇妙でトボけた味の、現在の日本を舞台としたディストピア小説。

 「わたし」は30代前半の普通のサラリーマンだ。結婚しているが、子供はいない。結婚当初は共働きだったが、すぐに妻は勤めを止めた。妻には、すべき事が沢山あるので、勤めているヒマはないのだ。妻は、最高指導者だ。彼女は、直感による民衆独裁による国家を構築する目標がある。そのために、毎日、大量の手紙を書き、また読まねばならない。手紙の中身は、こんな感じだ。

「指令第一号。しかるべく監視を開始すること。来るべき選別の準備を開始すること。追って指令があるまで一切を秘密とし、敵にいかなる警告も与えないこと。下部組織にも以下の指令を徹底すること」

 手紙には、具体的な住所も受取人の名前も書かない。あて先は肩書きだけだ。それでも、出せば、しかるべき者に確実に届く。覚醒した民衆の直感が、それを可能にするのだ。目覚めれば、それがわかる。今はまだ目覚めた者は少ないが、少しづつ増えている。直感的に共有した民衆の意思による独裁、それが妻の望む社会だ。

 ソフトカバー330頁程で一段組み。文章は淡々として読みやすく、すんなりと読み通せる。頁が進むに従って残酷な描写が増えてくるが、語り手の「わたし」が優柔不断で事なかれ主義の、ありがちな気弱な男のせいか、あまり扇情的な感じがしない。

 正直、どんな小説なのか、よくわからない。大まかなストーリーは、「民衆意思」を盲信する民衆の狂気により、現代の日本が国家と社会が崩壊していく過程だ。代わって出現する社会は、クメール・ルージュが恐怖によって支配した、かつてのカンボジアを思わせる。自分達の信条に共感しない者を「個別分子」と呼び、密告制度によって虐殺していく過程は、いかにも恐怖政治そのもので、読んでいて恐ろしいとは思うのだが、そこに著者の政治的なメッセージがあるようには思えない。

 「わたし」は、社会の変貌などという大げさな事柄より、妻のご機嫌を伺い夫婦喧嘩を避ける事に汲々としている。メンヘル妻の暴走を止められない「わたし」を、少々情けないと思いながらも、なんだか共感してしまう。肝心の最高指導者である妻も、理念だけは強固に持っているようだが、組織作りなどの具体的な事には全く不慣れだ。例えば、当初は末端にまで自分で手紙を書いて指令を伝えているために、膨れ上がった作業量に圧迫されていて、見かねた「わたし」が、組織の階層化を示唆する始末。

 そういった、妻の理念と現実の齟齬は次第に拡大していき、やがては社会の崩壊と組織的な虐殺へと至る。だが、それを間近で見る「わたし」は、自分の生活に精一杯で、妻を諭すでもなく、政治的に動き始めるわけでもなく、民衆の一人として埋没していく。

 もうちょい、明るいお話にするか、思いっきり馬鹿馬鹿しい法螺話だったら、楽しめるんだけどなあ。

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2010年10月 5日 (火)

P.W.シンガー「ロボット兵士の戦争」NHK出版 小林由香里訳

「ずっと信じていた。私たちが世界を変えるんだ、って」  --アイロボット社会長 ヘレン・グレイナー

 P.W.シンガーは、「戦争請負会社」「子ども兵の戦争」と、現代の戦争が孕む問題点を、鮮やかに、だが決して扇情的にならず冷静かつ学術的に、かつ素人にもわかりやすい形で描き出してきた。そんな著者が今回選んだテーマは、無人航空機や爆弾処理ロボットなど、主に米軍が戦場に投入しつつある、ロボット兵器だ。相変わらず丹念な取材で、具体的な人名やエピソードはてんこもり。話題そのものもホットで興味深く、書籍としては文句なしにエキサイティングだ。前著では冷静だった著者の筆も、今回は自らのSF読書歴を披露するなど、興奮を隠せていない。本書によれば米軍の現場に急激に普及しつつあり、それが軍組織の性質や戦争そのものの意味合いすら変えつつあるそうで、その熱気と不安が否応無しに伝わってくる。

 ただ、肝心のロボット兵器の普及そのものが現在進行形で、それがいつまで続きどこに行き着くのかも判らない、先の見通しが全く立たない状況にある。いい加減な著者なら適当にインパクトのある予言をして〆る所を、著者は素直に「不安だよね、現場の将官もそうだよ」と告白して終わりにしている。読者としては問題を突きつけられた形で、なんとも落ち着かない気分だ。まあ、それが著者の誠実さであり、私が彼の著作を楽しみにする所以なんだけど。

 ハードカバー630頁一段組み。訳は堅すぎず崩しすぎず、テーマにあってちょうどいい感じ。とまれ、さすがにこの量は圧巻。最近のSFシリーズ物のような水増し感があるならともかく、質的にも重くシリアスなので、読み応えは充分。

序文 なぜロボットと戦争の本なのか
第一部 私たちが生み出している変化
 第1章 はじめに--ロボット戦争の光景
 第2章 ロボット略史--スマート爆弾とノーマ・ジーンと排泄するアヒル
 第3章 ロボット入門
 第4章 無限を超えて--指数関数的急増傾向の力
 第5章 戦場に忍び寄る影--ウォーボットの次なる波
 第6章 いつも輪のなかに?--ロボットの武装と自律性
 第7章 ロボットの神--機械の創造主たち
 第8章 SFが戦争の未来を左右する
 第9章 ノーと言うロボット工学者たち
第二部 変化がもたらすもの
 第10章 軍事における革命(RMA)--ネットワーク中心の戦争
 第11章 「進歩的」戦争--ロボットでどう戦うのか
 第12章 アメリカが無人革命に敗れる?
 第13章 オープンソースの戦争
 第14章 敗者とハイテク嫌い--変わりゆくロボットの戦場と新たな戦争の火花
 第15章 ウォーボットの心理学
 第16章 ユーチューブ戦争--一般市民と無人戦争
 第17章 戦争体験も戦士も変わる
 第18章 指揮系統--新技術が統率に及ぼす影響
 第19章 誰を参戦させるか--科学技術が紛争の人口構造を変える
 第20章 デジタル時代の戦時国際法をめぐって
 第21章 ロボットの反乱?--ロボットの倫理をめぐって
 第22章 結論--ロボットと人間の二重性

 第一部は、ロボットに密着した視点で描いている。ロボットとは何か、どんなロボットがあるか、どんな事が出来るのか、それは戦場でどう使われているか、普及の具合はどうか、どんな人が作っているのか、軍の予算配分はどうなっているか、などだ。
 第二部では、やや視点が離れ、ロボットが与える影響が中心だ。ロボットが戦場や戦争をどう変えているのか、軍の組織に引き起こす変化と軋轢、そして政府の戦争決断に与える影響を予測している。

 第一部でわかるのは、米軍ではロボットが急激に戦場に普及しつつある事。それも、上からの押し付けではなく、現場の将兵が欲しがっているのが興味深い。歴戦の兵士は実績もない新奇な兵器を嫌うだろうに、急速に海兵隊や陸軍の将兵の信頼をかちえている模様。IED(即席爆弾)処理ロボットを作るアイロボット社には、兵士から「きょう、あなたはいくつもの命を救ってくれた」と書かれた葉書が届くそうな。陸軍第10山岳師団のロジャー・ライアン一等軍曹曰く。

「戦場で眠りに就こうとしているとき、プロペラ機と芝刈り機の中間みたいなプレデターのエンジン音が聞こえてくると、安心する。どこかで見張っててくれてるって思うんだ」

 軍の予算削減要求はロボット導入にむしろ追い風というのも意外だった。無人システムは購入予定車両の約半数だが、コストは計画の15%。未解決の技術的な壁の27件の大半は有人車両に関するもの。海軍では艦載機を無人機に置き換える事で搭載機数を増やし、打撃力を強化する予定とか。

 そんなロボットが、軍や政府に与える影響を描くのが第二部。「誰もがロボットを欲しがるけど、教義(ドクトリン)がないぞ」と冷や水を浴びせる。とにかく変化が速すぎて、組織が追いついていない状態だよ、と。空軍でも、戦闘機パイロットと無人機パイロットの軋轢がある。イラクでは無人機の方が大きな戦果を挙げているにも関わらず。とまれ、大学を出てT38に始まり厳しく金のかかる訓練課程を経てF-22にたどり着いた者としては、高校中退の20歳の若造にデカいツラされるのは穏やかではあるまい。でも海兵隊の退役大佐は「いやプレイステーション2は大したもんです、アレのお陰で訓練時間を大幅に短縮できる」と感謝してたりするけど。

 前著までは国連など国際的な立場で書いていた著者だが、今回は完全に米国人として書いている感が強い。また、戦争と言った際にも、ロシアや中国などの大国の正規軍を相手にした戦争ではなく、現在イラクやアフガニスタンで展開している、非対称戦を主眼に置いているようだ。この辺、最近尖閣諸島がキナ臭い日本人としては、やや不満かな。それでも、「イスラム世界における科学技術への投資は、世界平均の17パーセントで、欧米ばかりかアフリカやアジアの最貧国にさえ遅れをとっている」などという報告は、「ああ、やっぱりね」と思いつつ、なんか切なくなってしまう。

 C130を無人機の母艦にする計画とか、「利ざやが少ないから」という理由で無人機に多様な機能をつけて値をつりあげる大企業体質、孫にビデオの操作を頼めばならぬ機械オンチの年寄りがラッダイトに走る傾向など、面白エピソードもてんこもり。歯応えはあるけど、その分、充足感も文句なしに味わえる力作。


 以降は、本書の紹介から逸れた妄想垂れ流しなんで、忙しい方はお構いなく。

米軍は、ロボットは敵に驚愕と恐怖を与える、と考えているそうな。どうも、これは、米国人自身の発想を単純に敵に当てはめたんじゃないかな、と。日本人だと、ロボットといえば鉄腕アトムだったり鉄人28号だったりドラえもんだったり。アレな人はちぃだったりマルチだったりユリア100式だったりしますが、まあそれは特殊例という事で。

 本書ではサイボーグの話にも触れられてるけど、今から思えば石森正太郎氏は偉大だったなあ。「原始少年リュウ」にはロボット兵に守られた都市が出てくるし、ロボットの倫理と葛藤は人造人間キカイダーで扱ってる。あのラストは切なかった。サイボーグって単語はサイボーグ009で覚えたし、機械化された者の悲哀も、ハインリヒが語ってるよね。そして何より、仮面ライダー。不完全なライダーであるライダーマンの苦悩とか、シリアスなネタを子供向けによく扱ったもんです。

 その辺も含め、自衛隊はロボット兵の導入に拒否を示す人は少ないだろうし、米とは違った展開を見せるんじゃないかな、と思ったり。予算は桁違いに少ないんだけど。

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2010年10月 3日 (日)

アンドルー・チェイキン「人類、月に立つ 上・下」NHK出版 亀井よし子

「われわれは月への道を選ぶ!われわれは60年代のうちに月へ行き、それ以外にもさまざまなことをする道を選ぶ--それが容易だからではなく、困難であるがゆえに」 --1962年9月12日 ジョン・F・ケネディ

 トム・ウルフの「ザ・ライトスタッフ」の続編と言っていいだろう。アメリカ合衆国が激動した60年代の最後に残された希望、有人月飛行を目的としたアポロ・プロジェクトの全貌を描くドキュメンタリー。宇宙飛行士をヒーローと崇める人々を読者として想定しているらしく、物語の中心はニール・アームストロングなどアポロに搭乗した宇宙飛行士を中心に据えた群像ドラマだ。ロケット・マニアが期待する技術的な詳細は控えめで、間違っても数式などは出てこない。その分、「実際に月に行った24人中の、存命中である23人にインタビューした」とあるように、宇宙飛行士たちの英雄的な姿は存分に堪能できる。全般的に英雄譚というか、プロジェクトXっぽく勇ましく感動的な雰囲気が漂っている。

 ハードカバー上下巻、共に400頁を超える大ボリュームでずっしりと読みごたえがある。やや固めの文章だが、ドキュメンタリーの翻訳書にしては、専門書や戦争物に比べればかなり読みやすい。ただ、著者の補注が異様に多くて、しかも各巻の末尾にあるのは不親切かも。つまらない注なら読み飛ばせるんだけど、下手すると本文以上に面白いから読み逃せない。編集の手間は増えるけど、頁の下か端に置くなどの配慮が欲しかった。

 上巻は冒頭にあげたケネディの演説から始まり、理知的でクールなヒーロー、ニール・アームストロングのアポロ11号をクライマックスとして、アポロ12号のピート・コンラッドと愉快な仲間たちで終わる。下巻は悪夢のアポロ13号で幕を開け、計画の再生を架けた14号へと続き、予算の都合で打ち切りが決まり最後のアポロとなった17号の残照を描き、最後に各宇宙飛行士の現在の姿を紹介して終わる。

 時は1962年、冷戦たけなわの時代。宇宙開発でソ連の後塵を拝した合衆国は、デカい花火を打ち上げる。「60年代中に有人月飛行を実現させる」と。空軍・海軍・海兵隊から選りすぐりのテスト・パイロットを集め、始まったのが有人宇宙計画マーキュリー・プロジェクト。その詳細はトム・ウルフの「ザ・ライトスタッフ」に詳しい。それを引き継ぐジェミニ・プロジェクトを経て、ついに始まったのが月を目指すアポロ・プロジェクト。

 上巻は悲劇で幕を開ける。1967年7月27日、アポロ1号の火災で三人の宇宙飛行士の命が失われたのだ。アポロ計画のトラブルだと、後は悲劇の13号ぐらいしか知られていないが、他にも細かいトラブルが多数発生していた事が、この本でわかる。例えば月着陸の手順。目視とレーダーの併用で地面との距離を測るのだが、月の表面は細かい粉塵で覆われている。これが着陸船のロケット・エンジンの噴射で舞いあがる。月には空気がない分、早く収まりそうなもんだが、なにせ重力が地球の1/6なので、なかなか粉塵が地面に落ちず、ほとんど目視が効かない状態で着陸していたそうな。ニール・アームストロングの着陸でも、着陸に適した平坦な地形を見つけようと予定より長くエンジンを噴射したため、残る燃料は20秒分しかなかったとか。

 アームスロトングの着陸シーンは他にもトラブル頻発で、実に手に汗握るシーンの連続だ。制御コンピューターはコード1202の警告を表示する。飛行士にコードの意味なんか解るはずもない。ちなみに1202の意味は「仕事が多すぎて計算が追いつかない」だそうで、動画再生ならコマ落ちする状態ですね。笑っちまうのが着陸の瞬間。着陸船の足には着地を感知するための針がついていて、これは着地の衝撃で引っ込む設計だったのが、アームストロングの着地があまりになめらかであったために、引っ込まなかったとか。巧すぎるのも考えモンです。そんな完璧超人のニールに続くのが、ホットなピート・コンラッドと愉快な中間たち。

「これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな一歩だ」 --ニール・アームストロング
「やったぞ。いやあ、ニールにとっては小さな一歩だったかもしれないが、ぼくにとっては長い一歩だ」 --ピート・コンラッド

 下巻の冒頭は、映画にもなった悲劇のアポロ13号から始まる。おりしも合衆国はベトナムの泥沼に足を取られ、NASAにも予算削減の波が押し寄せてきた。徹底した情報公開で、失敗を「偉大な勇者達の冒険譚」に変えたとはいえ、失敗は失敗。20号まで予定されていたアポロ計画も、17号で打ち切りが決まった。月行きのチケットが減り、宇宙飛行士同士の競争にも熾烈さに拍車がかかる。それに割り込もうとしたのが、地質学者を代表とした科学者たち。今まで宇宙飛行士は軍上がりの敏腕テスト・パイロットばかりだったのに対し、フィールド・ワークに長けた科学者を飛ばせ、と異議を唱えたのだ。

 ここまで読んで始めて気がついたのだが、アポロ計画の目的が極めて政治的である、という点だ。科学の進歩のために飛ばしていたのではなく、まさしく「アメリカが人を月に送る」という、国威発揚の生臭い目的なのである。よって、調査を重んじる科学者より、「とにかく安全に飛ばして帰ってくる」事を目的とした工学者やプロジェクト・マネージャーと、マシンを巧く扱えて危機の対応に長けたパイロット出身者が主導権を握っていたのだ。とまれ、着陸船やルナ・ローバーなどの機器も大きく進歩していて、月での探索時間やペイロードが飛躍的に伸びていく様は、ガジェット大好きな私にはたまらない展開だった。

 「政治的目的なんかでやっていいのか」という疑問はあるにせよ、明確な目標があれば組織は一丸となる。子供の頃に月着陸に熱狂した私は、「科学は人類の明るい未来を切り開く」という感覚を、もはや本能に近い部分で持ち続ける事ができた。「宇宙開発は子供に夢を与える」なんて言葉は使い古されているけど、今から思えば、それは案外と真実だったな、としみじみ感じている。これが過去の物語であるのが悲しい。日本の子供たちのために、「映画はやぶさ物語」でも作って欲しい…って、本当は私が見たいんだけど。

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2010年10月 1日 (金)

キマシタワ~

 図書館に頼んでた P.W.シンガーの「ロボット兵士の戦争」が届いた。ハードカバー640頁超えで、版面率が高い…って何だよ版面率って。えー、版面率とは、紙面中の本文の面積が占める割合の事でして。これが高いと、文字がぎっしり詰まってる雰囲気になるんですな。情報誌とかだと、「情報がぎっしり詰まってますよ~、おトクですよ~」という印象を持たせるため、意図的に版面率の高いデザインにしてたりします。

 って、何の話だっけ。ああ、そう、「ロボット兵士の戦争」の版面率ね。普通はハードカバーなら紙の端から左右に15mmぐらいの空白を取るんだけど、コレは6mmぐらい。行数にして一頁に一行ぐらいしか稼げないんだけど、見た目の印象はだいぶ違う。おまけにウエイト重めのフォントを使ってるっぽくって、紙面が黒いんだわ。威圧感が凄い。

 …って、何だよウエイトって。えー、ウエイトというのは、文字のデザインの話でして。例えば数字の1。縦棒の太さを太くすれば字が重く見えるし、細くすれば軽く見えます。まあ、そんなトコです。本文用の文字を、太くすれば紙面が威圧的て堅い雰囲気になって、軽くするとモダンでオシャレな雰囲気になります。

 ってんで、今、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」を見たんだけど、これ、普通よりウエイト軽めのフォントを使ってるっぽい。紙面が白っぽい方がオシャレで取っつきやすい雰囲気があるんで、洋物の文学書はたまにこういう手口を使います。もっと極端なパターンで流行物だと、行間を大きく取ったりね。

 などと、今気がついた事をアドリブで言ってますんで、真面目な方は本気にしないように。あ、版面率とウエイトの意味は真面目にやってますが、デザインの話はアドリブです。いやあ、適当にジャーゴン混ぜると、なんか説得力増すんだよね。とりあえずDNAとか言っとけば、なんか生物学っぽくて科学っぽい雰囲気出るし。

 って、何の話だっけ。あ、そうそう、ロボット兵士の戦争。P.W.シンガーは「子ども兵の戦争」も「戦争請負会社」も内容が専門的なわりにやたら面白かったんで、コレも期待してます。テーマもホットで興味シンシンだし。パラパラとめくったところ、ジョー・ホールドマンの「終わりなき平和」やオーソン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」なんて文字列を見つけちゃって、「ふふふ、ついにSFも一般教養に仲間入りだぜい」などとのぼせ上がっとります。

 なんか人気あるみたいで、予約してから1ヶ月ほど待たされたんで、なるたけ早く消化するつもりではあるけど、とりあえず今読んでる「人類、月に立つ」と、借りてる「妻の帝国」「シベリア鉄道9300キロ」も片付けにゃいかんしなあ。

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