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2010年9月27日 (月)

蔵前仁一「わけいっても、わけいっても、インド」旅行人

これらの絵が示す世界は、なんとヒンドゥー教以前の世界であるというのだ。
ヒンドゥー教以前!
この言葉に僕はめまいさえ覚えたほどだ。ヒンドゥー教が成立するのはおよそ1700~2200年年前のことだ。およそ2000年前の文化の痕跡が、インドにはこうやってまだ残っているなんて!

 のほほんとしてペーソス漂う、アジア・アフリカを中心とした海外貧乏旅行エッセイで知られる、蔵前氏のインド旅行記。いつもは特に目的もスケジュールも明確でなく、行き当たりばったり興味と体調の赴くまま、旅先で仕入れたネタを元にフラフラと彷徨う蔵前氏だが、今回は珍しく明確な目的を持って旅立っている。ミティラー画をはじめとする、インドの民俗美術・工芸を見て回る事だ。そのためか、他の著作では随所にあった氏のイラストが、この本には全く載っていない。その代わりに収録されているのが、豊富な絵画・壁画・工芸品、そして風景の写真だ。従来の氏の著作は時系列も場所もランダムだったのに対し、この著作では、ほぼ旅行の時系列に沿った構成になっている。

 とはいえ蔵前氏のこと、相変わらず個人旅行者の立場で各地をウロついているので、その辺はご安心を。一応の目的地はあるものの、スケジュールも適当なら、バスや列車のチケット・宿泊地なども現地調達。肝心の絵画や壁画も、ホテルやチャイ屋での聞き込みで探り当てている。こういった、「単なる旅人と、そこで生活している人」という姿勢が染み付いていて、間違っても政府に交渉して手配してもらおうなどという発想にはならず、あくまでも旅人視線の魅力は全く変わっていない。まあ、それでも、バス停などでたむろしていた人から紹介された相手が、偶然地元の有力者だったりする場合もあって、著者はえらく恐縮しているのだが、それはそれでエキサイティングで面白い。

 ソフトカバー一段組みで280頁ちょい。多くのカラー写真を掲載するためか、氏の他の著作より質のいい紙を使っているのと、トボけた味わいの氏のイラストがないせいか、一見とっつきにくい印象をうける。しかし、文体は、ドミトリーで旅行者同士が交わすような、素直で気取りのない雰囲気で、読みやすさは相変わらずの通常運転です。

 さて。本書の主要テーマは、ネパール国境に近いミティラー地方のミティラー画や、パキスタン国境に近いバンニ地域の土塀のペイント、ムンバイに近いタラサリのワルリー画を求める旅だ。いずれも著名な観光地ではなく、旅行ガイド本でもほとんど扱っていない。とはいえ秘境というわけでもなく、普通の人が普通に暮らしている普通のインドの町や村である。とはいえ文化の坩堝インドでは、「普通」の幅がやたらと広いんだが。ヒンディー語やベンガリー語がほどんど出来ず、日本語と英語しかできない著者が、地元の人にその暴挙をあきられつつ、目的物を探して右往左往する様が、本書の最大の魅力だろう。

著者「わかりました、(朝)七時ですね」
(略)彼が現れたのは八時三十分だった。
某氏「何時から待ってた?」
著者「七時」
某氏「日本人は時間に正確だなあ。ははは、これがインド人」
自分でいってどうする。

 などと、インド人のいい加減さに呆れて内心で突っ込みをかます著者だが。

しかし、カリフォルニアからやってきたというそのアメリカ人は、こんな辺鄙な村へ何をしにやってきたのだろうか。正直いって、ピトラ画がなければ、一日ももたないほど何もないところだが、世の中には物好きな人はいるものだ。

 には爆笑した。「物好きな人」って、お前が言うなw

 肝心のミティラー画やワルリー画については、ミティラー美術館の頁を参考にして欲しい。いずれも専門の画家が始めたわけではなく、主婦などが生活の中で描き続けた絵や壁画が、インド政府や海外の画家の注目を浴びたものだ。本書には、それらの写真が豊富に収録されている。こればっかりは、実際に写真を見ていただきたい。私のつたない文章でその魅力を伝えるのは無理と、きっぱり諦めた。敢えて自分のイラストを排し、写真を掲載した著者の気持ちがよくわかる。

 とりあえず、インドの地方で何かを探すには、チャイ屋の親父に聞けばいいらしい。親父に聞く → 常連客が割り込む → 客同士で相談しあう → 勝手に話が決まって案内役がつく、という風に、インドの田舎の人は異様に親切で人懐っこかったりする。その代償として中学校や高校に授業のゲスト講師として呼ばれ、特別講義という名目で単なる見世物役をやる羽目になったりするけど。

 自然だふれあいだなどと妙な暑苦しさもなく、旅は苦しくて当たり前的な押し付けがましさもない、なにやら偉そうな人の前に出れば恐縮してしまう普通の人でありながら、煩い親父には「人の話も聞けよ」と突っ込みをかます、肩の力の抜けた不思議な魅力の蔵前ワールドにようこそ。

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