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2010年9月15日 (水)

岡崎正孝「カナート イランの地下水路」論創社

…このように作付面積と作物は、用水供給量の多寡に左右された。これらは水の関数であった。

 カナートとは、イランなどに見られる人工的な地下水路で、カレーズとも呼ばれる(Wikipedia の記事)。乾燥地帯を灌漑するために作られる。イラン東部などの乾燥した平野部の地下水は、塩分を多く含んでいて利用価値が少ない。そこで地下水が清浄な山麓部に井戸を掘り、そこから横に平野部まで地下に水路を築き、塩分の少ない水を耕作地まで導く。深さは2~30mほど、長さは2km程度の短いものから、80kmを超えるものもある。水路に沿って20m~30mおきぐらいに竪穴が掘られている。

 縦に井戸とは異なり、カナートの建設には大規模な工事と高度な技術が必要である反面、カナートの利権を握った者は、耕作地における強大な権限も保持する。本書は、現在のイランにおける水とカナートの価値から始まり、その歴史・技術を掘り起こし、イランという国家の基礎をなす農業・農村の社会・権力構造までも、カナートを通して垣間見せてくれる。

序章 イランの水文化
第一章 沙漠とカナート--沙漠開発の主役・カナート
第二章 カナートの技術と文化--キャラジーの水書『地中に潜在する水の開発』を中心に
第三章 水の論理と土地制度
第四章 カナートとイラン社会の構造
第五章 水利開発の思想と歴史
イラン史主要事項
カナートに関する文献
カナート研究の現状

 ハードカバーで約270頁。内容は専門的で、著者はペルシャ関係の学者だが、文章は比較的こなれていて読みやすい。一部に数式が出てくるが、分からなければ無視して構わないだろう。歯応えのある中身の割には、興味深いエピソードが多いので、意外とスイスイ読めた。全般的に具体的な数値が多いのが特徴で、地主と小作人の収入の配分など、まず滅多に紹介されないであろう数値までも出てくるのが嬉しい。

 まず序章で、カナートの水量を保障するために、未亡人を「カナートの妻」として選ぶ風習などを紹介し、イランにおける水やカナートの重要性を印象付ける。水を表す単語の豊かさが、乾燥地域における水の重要性を示している。

 二章では、カナートの歴史を探り、掘削に使われた技術や、技術者集団の社会と収入までも掘り起こす。遅くとも紀元前700年代には始まっていたというから驚きだ。掘削技術では、測量の工夫、特に水平を測る技術・工夫が楽しい。ここでも、水路の傾斜が約6kmに0.5mという高精度を実現している。後半では工期と工賃までも、具体的な数値を示している。使用機器や人数、土壌条件などにもよるが、一年から二年ほどかかるようだ。

 三章は、イランでの水配分の制度から始まり、具体的な村ターレハバートを例にとって、独特の共同耕作制度ボネ制を解説する。この村ではカナートなしには耕作が不可能で、カナートを中心に人工的に作られた村だ。カナートは地主が握っており、雰囲気的に一族経営の会社組織に似ている。ターレハバートは300ヘクタールほどで、規模としては中小地主だが、その程度でも地主の収入が小作人の90倍を越えるというから、貧富の差は凄まじい。

 四章は、カナートを基礎としたイランの農村社会を構造を考察する。カナート建設には巨額の投資が必要だが、収益性は高く、毎年10~25%の利益を上げる。カナートを建設できる程度の資力があれば、一地域で絶対的な権力を振るえるため、小権力が乱立する羽目になり、国家全体を把握する絶対的な権力は育ちにくい。カナートは保守にも相応の投資が必要で、これがパハラヴィーによる農地改革のつまずきの原因となる。

 第五章では、イランの王の義務として、水利管理が重要視されてきた歴史を語り、歴史上の水利工事を紹介する。

 生臭いとも言える、ターレハバートの利益分配や住民移動の経緯を具体的に挙げており、それがこの本の迫力を増している。水が潤沢なカスピ海近辺では、作物の選択など小作人の裁量に任される部分が多いために、パハラヴィーの農地改革は比較的成功した。しかしカレーズによる灌漑が中心の東部では様子が違った。ある地主は、小作人に割り当てる水を減らした。別の地主は深井戸を掘って地下水を汲み上げ、カナートの保守を怠った。カナートは用水供給量が減ったり、酷い場合には枯渇し、いずれにせよ、小作人の収穫量は減ってしまった。

 恐らく、これはイランだけの現象ではなく、水が貴重な中東全域に共通した問題だろう。冒頭に引用した文章が、乾燥地域における水の重要性を見事に表現している。私は鳥井順氏の著作などで中東に興味を抱いた素人だが、水が社会構造に与える影響の大きさを、つくづく実感した。

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