ロバート・S・デソヴィッツ「王様気どりのハエ」紀伊国屋書店科学選書7 記野秀人・記野順訳
人と寄生虫を廻る、ユーモラスな科学エッセイ集。本書の楽しさは、複数の宿主を渡り歩く寄生虫の生態という、科学的な側面のみには留まらない。著者は、WHOの保健衛生のコンサルタントとして、世界中を飛び回った経歴を持つ。アフリカやボルネオなど様々な国で、保健衛生対策を進めていく過程で起きた、地元の文化や生活習慣との軋轢や事件も、本書の大きな魅力となっている。
ハードカバー1段組みで本文約190頁。あの「利己的な遺伝子」と同じシリーズの一冊。訳者は生物学専攻で寄生虫の研究者らしく、所々に横文字で学名が出てくるなど、訳文は少々硬い。とはいえ十数頁のエッセイが14章続く構成で、各コラムはほぼ独立した内容になっているので、適当につまみ食いしながら読めるのも嬉しい。
- 日本語版へのまえがき
- 第1章 寄生虫、進歩、そしてその過去
- 東南アジアでの保健衛生対策から始まり、本書のテーマを概観する導入部。ビルマ田舎では診察を受ける人の75%がマラリアのためである・タイの東北部では下痢が常態化しているなど、衝撃的な現状を紹介する。
アラカンのエピソードが切ない。マラリアの媒介者ハマダラカは、人工池に生える浮き草の陰で繁殖していた。政府は浮き草を刈り取ればマラリアを撲滅できると考えたが、地元民の反対で計画は頓挫した。浮き草は地元の名産物であり、数少ない商品価値のある作物だった。…ご当地の名産も知らない政府関係者って… - 第2章 発汗・進歩・感染の統合説
- ヒトの特徴のひとつは汗をかくことだ。汗は優れた体温調整機構だが、同時に多量の水を必要とする。ヒトは水場の近くで生活せざるを得ず、そのため多くの感染症と寄生虫に悩まされる羽目になった。
…という、ジョー・ワイナーの説の紹介。人の特徴といえば、脳と二足歩行ばかりが多く取り上げられるけど、汗腺の発達と体毛の薄さも大きな特徴だよね。 - 第3章 ニューギニアのサナダムシとユダヤ人のおばあさんのこと
- 豚や魚から感染するサナダムシと食習慣の話。インドネシア政府は、西ニューギニアのエカリを懐柔するために、バリ島から豚を送った。しかしバリ島とエカリの排便習慣の違いが、思わぬ悲劇を巻き起こす。
- 第4章 賢者はいかにしてアフリカへマラリアをもたらしたか
- ケニアはテラピアを養殖するため一万個もの人工池を作ったが、どれはマラリアを媒介する蚊も増殖させてしまった。ガイアナでも、稲作(水田)の導入がマラリアで頓挫した。生態系の変化への充分な注意を怠った開発や産業転換がもたらす悲劇と、その生態学・疫学的な構造を紹介する。
- 第5章 豆と遺伝子とマラリアと
- 鎌状赤血球貧血は劣勢n遺伝病で、適切な医療を受けなければ滅多に十歳以上まで生きられない。ならとっくの昔に絶滅してよさそうなものだが、なぜ生き延びているのか。体質によりソラマメは猛毒となるが、それでも多くの地域で盛んに栽培されている。ふたつの謎はマラリアに関係していた。
- 第6章 王様気どりのハエ
- アフリカで猛威をふるうトリパノソーマと、それを媒介するツェツェバエの話。殺虫剤でツェツェバエを駆除すると、牛が繁殖して牧草を食い荒らす。土地は裸になって日光の反射率が高まり、旱魃を引き起こす。ワクチンで対抗しようにも、トリパトソーマは5~10日で変異を引き起こす…
- 第7章 河川盲目症
- ブユが媒介するフィラリアは、貧しい小作人から視力を奪う。流れの速い川で繁殖するってのが、タチが悪い。
- 第8章 貝のようにゆっくりと住血吸虫をコントロールする
- 貝を媒介者として感染する住血吸虫の話。台湾を攻略しようとした共産軍が、揚子江下流で住血吸虫に襲われ、無力化したエピソードが興味深い。その恨みか、中国は人海戦術で住血吸虫に対抗し、大きな効果を上げつつあるそうな。
- 第9章 宿主と調和した寄生虫
- マラリア感染者は高血圧になりにくい。トリパノソーマに感染したマウスは寿命が長くなった。宿主に益をもたらす寄生虫の話。
- 第10章 喘息と寄生虫
- 寄生虫と免疫系の話。寄生虫は喘息を防ぐ・喘息を起こす・無関係の三説があるそうな。タータン博士のエピソードが面白い。実験で定期的に鉤虫の幼虫が必要になった博士は、自分を供給源とした。その二年間、博士は花粉症に苦しまずに済んだ。
- 第11章 ナンタキットのあぶない妖精
- 避暑でナンタキット島を訪れた金持ちに流行したバベシア。なぜ金持ちが多く感染するのだろう?バベシアを媒介するのはダニだ。ダニはシカやネズミに食いつく…
研究者が感染ルートを特定する過程の紹介。彼らはナンタキット島の歴史と、その生態系の変化を辿る。 - 第12章 板前さん、刺身に虫がいます
- 日本人には馴染み深い、刺身とアニサキスの話。「ケッ、虫が怖くて寿司が食えるかい」と息巻く方も多かろう。私はシャコが好きです。
- 第13章 ジアルジアについて
- 飲み水から感染し、下痢を引き起こすジアルジアの話。スキーヤーはジアルジアに感染しやすいそうな。
- 第14章 似つかわしくない行動
- 保健衛生対策にはトイレ対策がつきもの。ソマリアにトイレを導入する計画は、なぜ頓挫したかというと…
見知らぬ土地で、排便習慣まで調べるってのは、結構骨だよなあ。サモアで成功したフィラリア対策キャンペーンの話が面白い。予防薬は時として頭痛などの副作用を引き起こすので、人々に嫌われる。まずはヘルスワーカーが直接配ったが、人々は受け取るだけで飲んでくれない。次に語り部の力を借りたが、やはり失敗。ヤケになった彼らは、人類学者に相談し、アドバイスに従った。
あの板が2ちゃん最強といわれるのが、よくわかる。 - 注・訳者あとがき・参考文献
優れた寄生虫物が往々にしてそうであるように、この本も、読んで暫くは寿司が食べられなくなる…人がいるかもしれない。でも、やっぱり、食欲には勝てないよね。
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コメント
寄生虫とはい一体何者なのか、古代から未来永劫動物界の生態系に組み込まれているサイレントキラー、
ー著者が世界中の寄生虫感染地域に飛び込んで格闘する姿がありありと目に浮かびます。
人間にどれほど深く入り込み、どれほどの深い害を与えているのか、寄生虫に対する啓示を与えられました。
「エイズ患者の最終的に死に至らしめるのは通常ウイルスではなく寄生虫である」、
「エイズで人間がすぬ時必ずそばにカリニがいる。一体なぜ寄生虫カリニが側にいるのか」、
たしか40年前、私は弘前大学の寄生虫教室のを訪れ、
先生から、もう寄生虫では食えないよ、
これからやるならアニサキスをやれと言われがっかりして帰りました。
新潟の寄生虫教室に行く夢をやめて、弘前城の桜を見ていました。
その後、日本中から寄生虫教室がなくなっていったであろう30年前、
この本と出合いました。
私の愛読書
WHOコンサルタント・デビット氏の言葉が耳の底深く残っています。
私は中学1年生で寄生虫の陽性になり、大田原の寄生虫病院(通称)で虫下しを飲み快活になりました。
その後貧血になり、三度寄生虫病院に通いました、その都度、体が軽くなりました。
その病院の高橋先生に、自分で書かれた文書を小冊子にまとめ贈呈しました
それをもとにあっちこっちの寄生虫を読みました。
その後、野口記念館で寄生虫雑誌を読み漁りました、楽しい時間でした。
私がかかっていた寄生虫、東洋毛線虫に関する資料でした。
寄生虫の勉強に深い関心を寄せてきました。
40年前、弘前の寄生虫教室に伺った時、寄生虫ではもう食えないよ
寄生虫をやるならアニサキスをやりなさいと言われがっかりし、
新潟大学の寄生虫教室には行かず、弘前城の桜を見ていました。
野口英世記念館は数年前再訪しましたが
安倍政権の下で、は多くのマンションを取有してるとかで財団法人の資格を失い、
慶応病院の後ろの医学雑誌の記念館は、撤去されて、福島へ帰ってしまいました。、
福島の記念館にはいつ行けるのやら、
コロナが世界中を席捲している現在、寄生虫の学問がもう一度復活する夢を見ます
夢ではなく、人類の敵コロナ・それはウイルスではなく「寄生虫」
デヴィット先生の言葉に今こそ耳を傾けてほしいです。
ぱらさいと・おおうち2020、4・27
投稿: 大内 治雄 | 2020年4月27日 (月) 04時25分