川端裕人「The S.O.U.P.」角川文庫
「ハッカーというのは、もともと技術の高さと情熱の強さを言う言葉であり、クラッカーというのは、技術を悪用する者のことを言う」
かつて仲間と組み S.O.U.P. という傑作オンラインRPG を作った男、周防巧。今は Linux のカーネル改良などオープンソース関係に貢献する傍ら、個人でセキュリティ・コンサルタントをしている。能力はの評価は高く、日本では数少ないリアル・ハッカーと呼ばれ、ホワイトハウスに攻撃を仕掛けたクラッカーを FBI と協力して追い詰めたこともある。その周防の元に、経済産業省の小杉玲子から依頼が入る。意見募集の掲示板が EGG なる者から攻撃を受け、ウェブページが書き換えられた、と。
「ネットの秩序は、ネットより生まれる。あらゆるネットワーク規制にわれわれは反対する --EGG。」
文庫本で本文440頁ちょい。妙に文体に凝ったが多いサイバー物にしては珍しく、いつもの川端氏らしい読みやすい文体で、肩肘張らずに読める。流石にテーマがテーマなので unix やネットワーク関係の専門用語は出てくるが、下手な入門書より遥かにわかりやすく説明しているので、あまり構える必要はない。仮に解らなくても、テキトーに読み飛ばして結構。
「ハッカーとクラッカーの対決物にオンラインRPGを混ぜてみました」というと、いかにもお手軽でありがちな印象を受けるが、そこは川端氏、細かい技術的な部分も決して手抜きせず、キッチリ誠実に描いている。最近は流石に素人も ping ぐらいは使えるし、気の利く人なら traceroute ぐらいは知っているだろう。しかし SNMP によるネットワーク管理や、ftp のバッファオーバーフローのセキュリティ・ホールとなると、「お、案外とやるじゃん」と唸ってしまう。出てくる OS もSolaris, IRIX など、ツボを突いている。G4キューブの登場には感涙にむせんだよ、あたしゃ。
などと技術的な部分だけでなく、ハッカー文化への深い造詣も、本書の読みどころ。ハッカーの指輪物語へのこだわり、プログラマとグラフィッカーの反目、直感型プログラマーと几帳面なプログラマーの対比、米国プログラマーの Grateful Dead への拘り、BSD 原理主義者と Linux ユーザの対立、政府による規制を出し抜く暗号自由主義者の戦い、バザール形式の開発手法、「ハッカー」を悪者扱いするネットワーク管理者とプログラマーの軋轢など、とても門外漢とは思えぬ博覧強記ぶりには恐れ入る。ネットワーク・コミュニティに関しても、初期からいる生え抜きユーザが、後から怒涛の如く押し寄せる「一般人」に圧倒され、コミュニティが崩壊していく様などは、それなりに経験のあるネットユーザなら身につまされるだろう。
とまれ、プログラミングを齧った身としては多少居心地が悪い小説であるのも事実。主人公やグラフィッカーの心理描写は、門外漢でなければ書けない手厳しさがある。ピントが外れてれば「川端氏も所詮はここまでか」で笑ってすますのだが、なまじ身に覚えがあるだけに余計に腹が立つ。オトナってのは図星を指されると怒る生き物なんです。
それとは別に、本作は川端氏が SF に向けたラブレターでもある。私は終盤になって、やっと気がついた。なんだよ、ラリー・パーネルとジェリー・ニーヴン、アーシュラ・ティプトリーって。竜の卵とか、きっと、楽しみながら書いたんだろうなあ。
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