吉田一郎「世界飛び地大全 不思議な国境線の舞台裏」社会評論社
…では、なぜ飛び地のような奇妙な国境線が引かれたのでしょう。飛び地をきっかけに国境線や、国境線を明確にすることで生まれた近代国家というものを、改めて考える手がかりになれば幸いです。 --まえがきより
飛び地という特異現象をテコに、ややこしく複雑に絡み合った国際関係を解説した本。現在残っている飛び地だけでなく、かつて飛び地だった所も、有名無名とりまぜ、豊富に例を挙げている。また、飛び地が出来た経緯に加え、今、飛び地に住む人々が、飛び地である事で受ける利害も語っている。素材としては面白くても、ややこしくて堅苦しくなりがちな話題を、著者と編集者が巧みな工夫と細心の努力で、わかりやすく親しみのある形に料理している。
ソフトカバー420頁。文章は今風のくだけた文体で、読みやすさは抜群。飛び地の性格ごとに8章に加え、解説一章の全9章に分かれている。各章は更に数頁ごとに分かれており、読者は興味の赴くまま適当に拾い読みできる。
飛び地が出来る経緯は様々だ。アジアやアフリカで多いのが、イギリス・フランス・スペインなどの植民地獲得競争で、宗主国同士の取引で勝手に国境を決められてしまった場合。インドの多くをイギリスが支配していたけど、所々に残ったフランスやボルトガルの支配地域が飛び地として残っていたゴアやシャンデルナゴルがその例。
かつてソビエト連邦が、連邦内の共和国の境界として適当に引いていて、当時は何の問題もなく行き来できたのが、ソビエト連邦崩壊で深刻な問題に発展してしまった、なんてケースとして、リトアニアに囲まれたロシア領のビスティティス湖畔・エストニアに囲まれたロシア領のドゥブキなどを紹介している。
愉快なのが、ロンドンのクラリッジス・ホテル、スイート212号室。1942年にユーゴスラビアでクーデターが起き、イギリスに亡命したペタル二世が、ギリシャ王室のアレクサンドラ姫と結婚して、212号室で暮らしていた。45年にアレクサンドラ皇太子が生まれた。ユーゴスラビアでは国内で生まれた者にしか王位継承権が認められないため、チャーチルが212号室を一日だけユーゴスラビアに割譲し、皇太子の王位継承権を守った、というもの。無茶苦茶な屁理屈なだあ。
もちろん、アラスカ・香港・マカオ・ベルリン・ガザなど、有名どころはキッチリおさえてあります、はい。
飛び地の生活も色々だ。インドとバングラデシュが入り組むクチビハールでは、通行が阻害されるため、選挙にも学校にも病院にもいけない。税金を納めずに済む反面、インフラ整備や開発援助もない。警察も来ないので、山賊が跳梁する。 かと思えば、マカオのように、カジノと売春でうまいこと稼いでいるところもある。マカオの男は隣の中国領で安く買春し、中国の女はツアーを組み相場の高いマカオで売春する。人間って、逞しいもんです。
法の違いは様々な利権を生む。スペイン内のイギリス領ジブラルタルには、免税品の買い物が目的の観光客が押し寄せ、タバコの消費量が世界一になった。インド内のフランス領ヤナムには、イギリスが幼女婚を禁じたので、それを出し抜くためにヤナムで式を挙げるインド人が殺到した。オランダとベルギーの飛び地が入り組むバールレでは、フェミス銀行が国境線の真上にビルを立て、オランダ・ベルギー両国の税務署職員を締め出し、麻薬取引のマネーロンダリングなどに使った。
ローマ北部のバチカンの電波塔は酷い。付近で白血病患者が多発していることに気がついたイタリア政府は、この塔からイタリアの基準を三倍も上回る強力な電磁波が出ている事を突き止め、バチカンの聖職者を起訴した。しかしバチカンは「治外法権だからイタリアの法を守る義務はない」と反論。おいおい、いいのかよ。
他にも、世界の歴史や文化の違いや、ちょっとしたトリビアが楽しめるのも、この本の魅力。例えば、サウジアラビアの国境が不明確だった理由。住民は遊牧民が中心であり、土地を押さえても住民はすぐ入れ替わる。そこで部族ごとに各王家に帰属させることで、支配を確立していた、という次第。土地に定住する文化と、定住しない文化とでは、支配の方法も全く違うんだなあ。国民党の落人と麻の関係とか、全然知らなかった。京大の植物学者、中村佐助氏がブータンの首都を「発見」するくだりとかは、ちょっと愛国心を刺激される。
などといった内容の充実ぶりはもちろんなのだが、それ以上に、読みやすさ・親しみやすさを追求した、著者と編集者の工夫と努力が素晴らしい。かつて雑誌を編集していた著者の経験が活きているのか、一見、軽く見られる危険を敢えて犯してでも、読者の便宜を図ろうとする姿勢には、ひたすら頭が下がる。
まず、全体の構成。各飛び地ごとに数頁にわけ、改頁して大きな見出しと地図をつけているため、読者は興味のある所だけをつまみ食いできる。また各飛び地に、一行程度の「まとめ」がつけ、興味を引くと同時に、内容を簡単に把握できるようにしている。所々に、2~4頁のユーモラスなコラムを挟んでいるのも嬉しい。
頁のデザインも秀逸で、ノンブルの背景に薄いノイズをつけ、ポップな雰囲気を醸し出している。脚注の使い方も巧い。本文中に入れても差し支えない様な内容でも、頁の下に横組みの脚注として記述することで、版面に変化をもたせて雑誌の様な印象を与え、堪え性のない読者を曳きつける。
文章にも工夫がこらされていて、基本は「だった」「なった」「ようだ」など、説明に適した「だ・である」調でありながら、段落の終わりなどでは「でした」「でしょうね」と「です・ます」調を織り交ぜ、硬くなりがちな印象を巧く和らげている。
極めつけが、製本。内容の充実ぶりと著者の労力を考えればハードカバーでも問題ないだろうに、ソフトカバーにしている。もし、これが「親しみやすさ」を演出するための工夫だとしたら、見事な英断だと思う。
飛び地といえば、この本でも紹介されているベルリン。Barclay James Harvest の Berlin は如何?
| 固定リンク
「書評:軍事/外交」カテゴリの記事
- イアン・カーショー「ナチ・ドイツの終焉 1944-45」白水社 宮下嶺夫訳,小原淳解説(2024.08.19)
- ジョン・キーガン「戦略の歴史 抹殺・征服技術の変遷 石器時代からサダム・フセインまで」心交社 遠藤利国訳(2024.07.07)
- ジョン・キーガン「戦争と人間の歴史 人間はなぜ戦争をするのか?」刀水書房 井上堯裕訳(2024.06.13)
- 楢崎修一郎「骨が語る兵士の最後 太平洋戦争 戦没者遺骨収集の真実」筑摩書房(2024.02.22)
- クレイグ・ウィットロック「アフガニスタン・ペーパーズ 隠蔽された真実、欺かれた勝利」岩波書店 河野純治訳(2023.11.26)
コメント