ベルナール・ヴェルベール「星々の蝶」NHK出版 山本知子訳
"最後の望み、それは逃げること"
戦争や環境汚染などで崩壊寸前の地球を飛び出し、全長32kmの光子帆船に14万4千人を乗せ、世代を重ねながら千年間の旅を続け、二光年先の恒星系に移住する。この壮大な、いや狂った計画を実現するために、数人の男女が集った。
少々ニューエイジ系の香りがする、寓意に満ちた神話。
ソフトカバーで360頁ほど。原作は恐らくフランス語なんだろうけど、文章は極めて読みやすく、ジュブナイルと言っても差し支えない。ただし、性的な描写が所々にあり、かつ重要なテーマに関わっているんで、一応お断りしておく。この辺、日本とフランスのお国柄の違いもあるのかもしれない。
著者の履歴を読むと、科学ジャーナリストの経験がある。にしては、科学・工学の部分は穴だらけだ。宇宙船の形は建築物としてすぐに崩壊するだろうし、建設の手順も地上で作るなんてありえない。また、主要人物の言動も矛盾だらけで、「んな事も気がつかんのか」「おまえがソレを言うか」と、突っ込みどころ満載。
などという粗探しは、野暮だろう。表紙を裏返して見ると、メビウスによる流麗なイラストが目に入る。これを「ありえない」と見るか、「綺麗だな」と見るか。イラストの帆のサイズは工学的にあり得ない(小さすぎる)んだけど、現実的な大きさにすると、イラストとしての美しさが損なわれてしまう。つまり、力学より美学を、論理より感覚を優先した作品であり、「綺麗なんだからいいじゃん」で流せる人向きですよ、そうイラストで宣言しているんだと私は解釈した。
科学的・論理的な矛盾に目をつぶると、全く評価が違ってくる。まず気がつくのが、心地よいリズムを刻む、まるで詩のような文章。特に冒頭の数十頁は、そのままミュージカルになりそうなほど、気持ちの良い緩急に溢れている。とてもじゃないが翻訳物のレベルではない。ちょっと冒頭の三行を引用しよう。
はじめに風があった。
強い潮風だ。
その風が、果てしない大海にヨットを滑らせていた。
以後、少しづつ文章は加速して、急激に読者を物語に引き込んでいく。短気な読者を数頁で没入させる、現代の小説作法のお手本のようなオープニングだと思う。これを見事に日本語に移し変えた、訳者の山本氏のセンスにはひたすら感服する。冒頭の数小節はみなこんな感じに、短いパラグラフで始まり次第に段落が長くなる形式に揃えてある。これがいかにも組曲風で、そのままハリウッド映画のシナリオになりそうなほど、娯楽作品としての完成度が高い。
もう一つの魅力は、いかにもフランス風に気の利いた会話の数々。まずは主人公イヴと、父ジュールの会話。
イヴ「痛みはどうしてあるの?」
ジュール「行動を変えるためだよ」
物語の構造上、ジュールの出番は少ないのだが、その分、イヴの友ガブリエルが素敵な台詞を連発してくれる。
「何か新しいことをしようとする者は誰でも、三種類の敵に立ち向かわなくてはならない。ひとつ目は、反対のことをしなければならないと考える者。ふたつ目は、同じようなことをしようとしていて、自分のアイデアを盗まれたと思い、きみを撃ち落したとたんに、いそいそときみのまねをする輩。そして三つ目は、なにもせずに、変化や目新しいものをとにかく嫌がる連中だ。三つ目の敵が最も数が多く、きみの計画をなんとかして阻もうとするはずだ」
「人間には嫌われるタイプがふたつある。成功する者と失敗する者だ」
もうひとつだけ、やはりイヴと深く関わるエリザベートの台詞。
「人間の脳の半分は詩的、半分は数学的にできているのと同じよ。半分はアナログ、半分はデジタル。つまり、半分は夢見る人のため、半分は技術者のためのゾーンよ」
物語は終末に近づくにつれ、次第に神話的な色合いを濃くしてゆく。まあ、登場人物の名前や移住計画の内容から、かの有名な世界一のベストセラーの影響は明らかなのだが、開き直ったようにあからさまなエピソードが頻出する。ここに至り、鈍い私もやっと「なるほど、SFじゃなくて神話なのね」と腑に落ちた次第。ああ情けない。
出版社が出版社なだけに、アニメ化するんじゃないかという期待と不安が入り混じってしまう。仮に映像化するなら、動力には「スピンデイジー」と名づけて欲しいなあ。それなら、口煩いSF者も「スピンデイジーじゃしょうがない」と、野暮な突っ込みを遠慮するだろうから。あ、それと。
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