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2010年7月26日 (月)

グレッグ・イーガン「TAP」河出書房新社 奇想コレクション 山岸真編訳

 テッド・チャンと並び現在最もホットなSF作家、グレッグ・イーガンの短編集。意図してかしてないのか、この作品集は大きく二つの系統に分かれている。ホラーとSFで、SFは「脳科学の進歩と社会の軋轢」をテーマにした作品が多い。

 ヒトは世界をどう認識しているか、その部分にテクノロジーが進出した時、社会にどんな軋轢が起きるか。ヒトは長く抱えてきた業を潔く切り捨てるのか、子孫へ荷を受け継がせるのか。この短編集は近未来を舞台にした作品が多く、それだけ「今、ここにある問題」として、厳しく読者に問いを突きつける。

 ソフトカバーで一段組み、本文約350頁。テーマ的にはチャールズ・ストロス同様に最先端でディープなSFでありながら、文章はアクも強くなく、不必要に専門用語が混じる事もない。テーマの性質上、「インプラント」など、どうしても必要な言葉は出てくるけど。

新・口笛テスト

…1960年代に某レコード会社が、ある曲をリリースするかしないか決めるのに、会社のビルの掃除夫-たいてい老人だったという-をいいくるめて、その曲を聞かせていた。もしこの、ロックンロールに反感を持っているであろう保守的な年寄りが、いちど聞いただけでそのメロディを口笛で吹けたなら、その歌はレコード化する価値がある…

その昔、某音楽雑誌の投書欄で見た傑作。
 「竹田和夫さん、試験中に勝手に僕の頭の中でスピニング・トウ・ホールドを弾きまくらないで下さい」
視覚
臨死体験の一つに、幽体離脱がある。魂が肉体から離れ、ベッドに寝ている自分の姿を天井近くから見下ろす、という体験だ。その現象をイーガンが扱うと… ちなみにホラーじゃありません。猫の首輪にカメラを仕込み、散歩する猫の視点で撮った動画があった。視点が地面に近く、狭い所も遠慮なく潜り込むためか、幼い頃に自分が見ていた風景を思い出した。
ユージーン
ヒトの遺伝子改変技術が発達した時代。我が子にはできるだけ優れた能力を授けてあげたいと考える人もいるし、自然のままが最善と考える人もいる。では、音楽の好みや、性欲の傾向まで制御できるとしたら?というシリアスな問いを突きつけた挙句に、なんだこのオチはw
悪魔の移住
シドニーに聳え立つ医療総合ビル。あらゆる専門医が揃い、最先端の研究が行われる未来的な医学のモニュメント。しかしそこに潜む怪物は…
散骨
ブラッドベリの「10月はたそがれの国」を思わせるホラー。幼い頃に見た殺人鬼。その貧相な姿に心を囚われた少年は、カメラマンとなって殺人事件のニュースのスクラップを集め続け、現場に出かけては写真を撮り続ける。彼の心に住み着いた幻影は、少しづつ彼をたぐりよせ…
銀炎
ウイルス性の伝染病、銀炎。ウイルスは皮下結合組織の繊維芽細胞を暴走させ、患者の皮膚を内側から剥ぐ。麻酔を与えられなければ、患者は全身を生きながら焼かれる感覚を味わう。未だ感染経路も特定できず、適切な治療法も見つからない。1980年代にラジオ伝道師がAIDSを「神の御業」と称したように、銀炎も神秘的な解釈をする者達がいた。その銀炎の感染経路に見えた、かすかなパターンを追う主人公。追跡劇の形態を取りながら、偶然のパターンに神秘的な解釈を捨てきれない人間の業を描く。
自警団
正義を掲げ、ガーディアン・エンジェルを気取る奴らと、連中が契約した凶暴な怪物。契約に縛られながらも、怪物は犯罪者を餌食にして己の欲望を満たす。怪物が契約に縛られてる事を承知で、怪物をからかい挑発する少年。怪物は時を待ちながら、少年を毒牙にかける機会を伺い… 怪物の一人称で語られるホラー。
要塞
その強姦事件には奇妙な特徴があった。強姦は事実であり、犯人のものとおぼしき精液もある、どころか精子すら生きていた。しかし、DNA指紋法で見つかったのは、被害者のDNAだけ。
大洋の侵食により太平洋の島々は陸地を失った。オーストラリアに押し寄せる難民に対し、極右勢力はもちろん、リベラル派まで拒否反応を示し始める。
人種差別問題と遺伝子テクノロジーが鮮やかに結合した掌編。
森の奥
銃を持つ60過ぎの男と、彼の銃に脅され森の奥へと追い詰められる若者。取引を持ちかけ、金で釣り、同情をひいて、老人の銃から逃れようとする若者。しかし老人は何も聞き入れようとしない。やがて人気のない所へ来て、老人はある要求を若者に突きつける…
TAP
TAPインプラント。科学が実現したエスペラント、またはテレパシー。あらゆる概念・精神状態・感情を伝達でき、人間のすべての体験を表現・伝達・理解できる。TAPの使い方には大きく分けて二つの側面がある。「単語」を分析的に理解する「スキャン」、体験的に味わう「プレイ」だ。そのTAPの最年長ユーザが死んだ。製品の不良による事故か、または何者かによる事件なのか。
「プレイ」だけなら、従来のSFで何度も扱われているし、私も使い方を思いつく。釘宮病パンデミックのいい温床となるだろう←をい。「スキャン」を加えたのがこの作品のミソであり、いかにもイーガンらしい展開を見せる。そりゃ困るわなあ、あの手の商売やってる人には。

 相変わらずイーガンは冒涜的というか身も蓋もないというか。延々と作り上げたヒトの尊厳ってやつを、鮮やかに覆してくれる。イーガンには長編もあるけど、アイディアが剥き出しになる分、短編集の方が彼の思想性・先鋭性が明確に出て、イーガンという作家の本質がわかりやすい。

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