パトリック・コバーン「イラク占領 戦争と抵抗」緑風出版 大沼安史訳
「まともな政府がないから、イラク人は互いに憎みあってしまうんだ。」
「そして憎みあっているから、まともな政府が出てこない。」
原作は2006年10月出版。英国誌「インディペンデント」の記者による、占領下のイラクの実態報告。読了感はひたすら重く、暗い。怒りと恐怖と絶望に満ちたイラクの現状、そしてブッシュJr.&ラムズフェルドの無知無策無責任への怒りが、ひしひしと伝わってくる。
著者は湾岸戦争時からバグダットに滞在しており、経済制裁下のイラクについても「灰の中から サダム・フセインのイラク」(私の書評)で詳しくレポートしている。広いコネと闊達な行動力で、バグダットはもちろん北部のクルド地区からスンニ派が治める南部、そしてあのファルージャまで駆け巡り、グリーンゾーンの要人・クルドの軍司令官・シーア派の指導者・怪我人を治す医師・レストランの主人・子供を誘拐された貧しい家族・スンニ派の村の族長など、あらゆるイラクの人々の声を聞く。
ブッシュJr.はイラクの占領計画を、何も持っていなかった。サダムを倒せば、イラクの民衆は諸手を挙げて米軍を歓迎し、やすやすと植民地支配に甘んじると思っていた。イラクの実情についても、何も知らなかった。ブッシュJr.の傀儡である亡命政治家や元将軍に、イラクの民衆がひれ伏すと楽観していた。イラク暫定統治機構(CPA)のポール・ブレマー三世も同じだ。彼はバース党員を追放したが、それによって病院長や学校長が不在となり、病院や学校が閉鎖の危機を迎えた。
イラクはスンニ派・シーア派・クルドのモザイクであり、それぞれの派閥も内紛を抱えていて、しかも民衆は当然のように武装している。イラクの民衆の多くは、欧米に深い恨みを抱えている。それについては前著にも詳しく書かれている。誤解を恐れずに要約すれば、多くのイラク人にとって、自分の村の一族以外は、全て敵なのだ。サダムも、米軍も。そこにサウジアラビアを中心にシリア・ヨルダン・エジプトから、米のイラク侵攻に怒るイスラム原理主義が雪崩れ込んでくる。
人口の50%を占めるシーア派には親イラン派とイラク派がいるが、なんとか統一を保っている。少数派に転落したスンニ派は自爆でシーア派を攻撃する。バグダットのパン屋で働く男は大抵シーア派なので、いい標的になる。パン屋はAK47で自衛を始めた。スンニ派の殺し屋はクルド地区の病院にも潜り込んでいた。医師の一人が、入院した傷病兵や警官を、意図的な医療ミスで殺していた。
バグダットでは略奪と誘拐がビジネスになっている。自宅近くに見知らぬ車が止まっていたら要注意だ。誘拐犯かもしれない。警察に訴えても無駄だ。現役の 警察幹部が誘拐犯の一味の場合がある。
汚職も酷い。ブレマー指揮下のCPAでは88億ドルが行方不明になった。バスラの製油所の警備担当のオーストラリア人は、イラク・イスラム最高評議会(SCIRI)の密売に気づき、事務所を閉鎖した。SCIRIは英国に抗議し、オーストラリア人は解雇された。イラク政府軍構築のため国防省に割り当てられた兵器調達費用10億ドルも、どこかへ消えていた。
著者がバグダットの古本屋街を訪ねる場面は、当書で唯一の楽しいシーンかもしれない。著者は書店主から、自著(灰の中から)のアラビア語訳の売れ行きの好調ぶりを聞く。勿論、海賊版のコピー本。どんな気分なんだろ。
残念ながら日本の自衛隊の話は全く出てこない。この本を読む限り、サマワで陸上自衛隊が受け入れられたのは奇跡と言っていい。地元の有力者と充分に話し合い、巧みに利害調整し、かつ隊員も規律が取れていたのだろう。初代の佐藤正久隊長の卓越した手腕がうかがえる。
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