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2010年6月24日 (木)

アンドリュー・コバーン&パトリック・コバーン「灰の中から サダム・フセインのイラク」緑風出版 神尾賢二訳

 1991年三月~1999年まで、つまり湾岸戦争の終わりから9.11の2年前までの、主にサダム・フセインを中心としてイラクを描いたドキュメント。筆者は兄弟で、弟のパトリックは湾岸戦争前からバグダットに留まっていたためか、貴重なイラク内部の報告がとても充実している。書名「灰の中から」が示すように、サダム・フセインが強運と敵のミスに乗じて瀕死の状態から蘇る様子が生々しく描かれる。また、イラクに対する欧米、特に米の間抜けっぷりもすっぱ抜いていて、なんともやるせない気分になる。

 本文440頁、翻訳調の文体に加え二重否定を多用する政治発言が多いためスラスラとは読めないが、衝撃的な事実を交えつつイラク問題の根の深さを理解する助けになる。イラク占領以降も治安は安定せずテロが頻発しているが、これを読めばその理由も納得できるだろう。イラクの民衆は、誰も米を信用していないのだ。

 一章「奈落に堕ちたサダム」は、湾岸戦争の敗戦で撤退を続けるイラク軍と、電力や流通の麻痺で第三世界に落ちぶれたバグダットの悲惨な様子から始まる。この時がサダムの最大の危機だった。南部では数百万の市民がバース党の支配に対して蜂起し、北部でもクルドが立ち上がる。サダムはイラク十八州のうち十四州の支配権を失う。
 しかし多国籍軍はこの機を逸し、反乱軍を見捨てた。サダムは最強の部隊、共和国防衛隊を温存しており、多国籍軍の不介入を見て取ると早速反撃に出て、反乱を鎮める。

 二章「サダム・フセインはまだ生きている」では、当時の米の対応を描く。クウェート奪還以上の策、例えばイラク占領などの案を、米は持っていなかった。米政府職員は、イラク内の反体制派との接触を禁じられた。米はクーデターを期待していたが、それは軍やバース党の高官の反乱であり、民衆の蜂起やクルド独立は望まなかった。

 三章「サダム・フセインの原点」では、イラクの歴史を駆け足で紹介し、次いでサダムの生い立ちと同時に、「自分と従兄弟以外は敵」というイラクの典型的な部族社会を描く。

 四章「大量殺戮兵器に走るサダム」は、イラクが核や生物兵器開発に邁進していた事実を明かす。化学兵器は既にイラン・イラク戦争で実戦運用していて、毒ガスの弾頭を積んだ長距離ミサイルでテヘランを攻撃する計画もあった。国連査察団(UNSCOM)はCIAと協力するが、イラクはあの手この手で妨害する。

 五章「代価はイラク人が払う」では経済制裁がイラクの民衆に与えた影響を描く。1/4以上の子供が発育不全になり中産階級が壊滅し、経済水準はギリシャ並からマリ並に落ち込む。民衆はサダムではなく米を非難する。そしてサダムの権力は揺らがない。

 六章「ウダイと王族」はサダムの長男ウダイの強欲と残忍性・暴力性・権力志向を暴く。88年にはサダムの副官を、あろうことかエジプト大統領夫人が列席したパーティーで殺している。ウダイの性格は次の文が良く示している。
  ウダイは友達を年中取り替えてはいつも連れ回り、こき使い、二~三ヶ月もするとポイと棄てた。
  「連中は仲間から外されて喜んでいたよ」

 七章「山中の策謀」はアハマド・チャラビ代表のINC(イラク国民会議)とCIAの一職員「ボブ」の暴走、95年の早すぎた決起と、それを見放した米国のちぐはぐな対応を描く。この血気にはやる現場とワシントンの冷淡な対応は本書で何度も繰り返される。

 八章「裏切り者に氏を」は95年8月、サダムの甥であり娘婿のフセイン・カーミル&サダム・カーミルのヨルダンへの亡命で幕をあける。これを機にイラク寄りだったヨルダンは親米に大きく舵を取り、イラクは孤立する。カーミルは国連査察団(UNSCOM)を出し抜く手口も明かす。この手口は私も驚いた。

 九章「サダムの首を持って来い」はクーデターを画策するCIAのドタバタ。指令を伝える暗号通信機をサダムに奪われた上に、計画自体も亡命者が報道陣にペラペラ明かしてしまう。イラク国内のクーデター勢力は一網打尽になり、CIAはキューバのピッグス湾に並ぶ大恥をかく。

 十章「サダム北上す」は96年のクルド反乱と、内輪揉めによる崩壊を描く。ジャラル・タラバニ(現イラク大統領)率いるPUK(クルド愛国同盟)はイランと組み、イラン・クルド民主党の弾圧でイラン情報部に協力する。対するマスード・バルザーニ率いるKDP(クルド民主党)は米の介入を要求するが、中間選挙で忙しいクリントンに無視される。行き詰ったバルザーニは、あろうことかサダム・フセインの助力を仰ぐ。仲介しようとするINC(イラク国民会議)。イラク軍に蹂躙されたINCとPUKのタラバニは米に縋るが、やはり拒否される。

 十一章「ウダイ撃たれる」では96年のウダイ襲撃の内情。犯行はバグダット大学卒業生を中心とした市民組織で、南米の反政府組織を手本にしたそうな。

 最終章「大団円」はUNSCOMとサダムの丁々発止、経済制裁で困窮する民衆を盾にするサダムとそれに煽られる中東諸国、そして硬直した米の対応で幕を閉じる。

 かつての米のイラクは、日本にとっては北朝鮮が該当するだろう。これを読む限り、経済制裁で金王朝の打倒は不可能だよなあ、と思う。じゃ何があるかと言うと…すんません、お手上げです。

 どうでもいいが、p417の誤植は爆笑したぞ。「決意に萌えていた」って、をいw

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