ファンタジーに歯が立たない
ファンタジーは苦手だ。ユーモラスなのはともかく、シリアスな物語には歯が立たない。
今回のネタはピーター・S・ビーグル「最後のユニコーン」金原瑞人訳、学研。続編の中篇「ふたつの心臓」も採録している、ファンタジー好きなら裸ネクタイに正座で読むであろう有名作。あ、若い女性に限り裸エプロンもアリの方向で。
などと茶化しているのにはちゃんと理由がある。敢えて今回はカテゴリも書籍ではなく「日記・コラム・つぶやき」にした。今回は、書評にも感想文にもなりそうもないからだ。
昔からファンタジーは苦手だった。どうも自分にはファンタジーを読み解く能力が根本的に欠落しているらしい。それでも、何回かは挑戦してみた。結果は連戦連敗。ラリイ・ニーヴンが少し解った程度。けど、あの人はファンタジーとしちゃ変り種なわけで、やっぱり解ってないじゃんという不安が残っていた。
「何かに入門するなら、その分野で最高と言われる物から手をつけるといい」という説がある。例えばモータースポーツ観戦ならF1を最初に見るといいそうな。というわけで、満を持して挑戦したのが、この「最後のユニコーン」。ファンタジーが好きな人も、この選択なら納得してくれるんじゃないかと思う。
しかし、わからない。何が起こっているのかはわかる。文章も読みやすいし、詩的で綺麗だ。けど、個々のエピソードの意味が解らない。最初の蝶の正体は?なぜ予言できたの?ミッドナイト・カーニバルは、何だったの?マミー・フォルテューナの正体は?ハルピュイアは何故特別なの?アラクネは何故逃げない?赤い雄牛は何を象徴している?もしかして、そういう事は気にしちゃいけないんだろうか。
続編である「ふたつの心臓」は、なんとなく解る気がする。勇敢で友達想いのスーズは愛らしいし、老骨に鞭打って自らの役割を果たす王は凛々しい。「彼女」がその力を使った(あるいは使わなかった)心情も切ない。けど。この物語は、あまりに巧くまとまりすぎていて、本編である「最後のユニコーン」の奔放さとは味わいが全く違う。そして、「最後のユニコーン」の本当の魅力は、私が理解できない、奔放さにこそある…んじゃないかな、と漠然と感じるのですね。
どうも私にはファンタジーを読む能力が欠落しているらしい。なんかこう、本質的なものを見落としてる気がする。それが悔しい。
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