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2010年6月の15件の記事

2010年6月30日 (水)

ナンシー・クレス「ベガーズ・イン・スペイン」ハヤカワ文庫SF 金子司他訳

 ヒューゴー賞・ネビュラ賞をはじめ各賞に輝く話題作を表題にした短編集。遺伝子改変など、生物の改造をテーマとした作品が中心で、テクノロジーを廻る人と社会の葛藤に目をすえて描いている。

ベガーズ・イン・スペイン 金子司訳
近未来の米国。遺伝子改変で生まれた無眠人は生まれながらに睡眠を必要とせず、頭脳明晰で性格も穏やか、肉体も健康で病気になりにくい。あらゆる分野で優秀な能力を示す彼らに対し、合衆国の多くの人は嫉妬と恐怖を感じ…。24時間赤ん坊が泣き続けたら、そりゃカアチャンもキレるわなあ。
眠る犬 山岸真訳
表題作と同じ舞台で、遺伝子改変を受けた犬に関わったがために崩壊した家庭に育った娘が、必死にあがく姿を描く。優れた頭脳を一途に目標へと振り向ける主人公と、少々ユルくはあってもリア充な姉との対比が身に沁みるw
戦争と芸術 金子司訳
はるかな未来。人類は宇宙でエイリアンであるテル人と戦っている。テル人は人類から大量の芸術品を強奪している。149デルタにおける戦闘で勝利した人類は、そこで大量の芸術品を発見した。テル人が芸術品を強奪する理由は?エイリアンとの現実認識の違いというテーマに、人間同士のソレを対比させた、苦い一編。
密告者 田中一江訳
プロバリティ・シリーズの原型となった中篇。村八分に似た措置を受けているエイリアン視点で、異質な世界観を描き出す。
想い出に祈りを 宮内もと子訳
老いていくこと、それを拒否すること。流れる時を受け入れる人と、踏みとどまる人。
ケイシーの帝国 山田順子訳
SF作家を目指すとはどういう事か。いやあ、おとなになるって、切ないねえ。
ダンシング・オン・エア 田中一江訳
私は表題作の次にこれが気に入った。近未来の米国。ナノテクによる肉体改造が実用化されていく中で、積極的にそれを取り入れるバレエ団と、頑なに拒み伝統を守るバレエ団。芸を極めるため手段を問わないダンサーと、生理的な嫌悪感をあからさまに示す人々。一昔前の少女漫画を髣髴とさせるダンサー達の争い。そんな息詰まる展開の中で、一服の清涼剤はエンジェル。遺伝子改造で知能を強化されたシェパードで、プリマドンナのボディガードを勤めている。無垢で一途な彼が、この作品に救いを与えている。

生命の改造という表のテーマの裏に、家族の葛藤というテーマも流れている。我が子がミュータントなら、素直に愛せるだろうか?親が敷いたレールに乗れない子供は?子供が無茶な夢を抱いているなら、親はそれを応援すべきだろうか?全般として、苦い味わいの作品が多い。

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2010年6月29日 (火)

ニラ卵チーズ添えケチャップ味

ニラ卵炒めといえば普通は中華風の味付けだけど、中途半端にチーズが余ってたんで自己流で適当に作ったら、意外とイケた。雰囲気、イタリア風、かな?

1_4 材料:
 ニラ5~6本
 卵一個
 塩少々
 サラダ油少々
 チーズ(ビザ用が使いやすい)少々
 ケチャップ少々
  1. ニラを食べやすい長さに切る。
  2. ニラと卵をフライパンで炒め、塩で軽く味をつける。薄味がお勧め。
  3. 器に盛って、暖かいうちにチーズをふりかける。
  4. ケチャップで味を調える。

熱いうちに食べちゃったけど、冷めたらどうなるんだろう。今度、試してみよう。

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2010年6月28日 (月)

まだとどかない

 書評(というより感想文のレベルだな、私の場合)を書き始めた頃、前田有一の超映画批評 を見習いたいと思っていた。今でもそれは変わらないんだけど、最近は忘れがちなんで自戒のために改めて明記しておく。

 前田氏のサイトの最大の特徴は、「映画を楽しんでもらう」ことを目的としている点。映画を消費されていく娯楽として見て、その上で、なるべく多くの人に映画を好きになって貰おうとしている。人によって映画の好みは違う。当り前といっちゃ当たり前なんだが、素人が書籍や映画などのコンテンツを批評する際には、つい忘れてしまいがち。前田氏はこの辺を常に意識していて、映画を紹介する際には以下のような点の記述を忘れない。

誰向けか。
飛行機代好きな人はトップガンに狂喜するけど、恋愛物が好きな人はローマの休日の方を好むだろう。女性向けの映画を男が見ても、あまり楽しめまい。だたし、女性をデートに誘う場合は別だが。一部のファンには熱狂的な人気があるが、他の人からはソッポを向かれる、いわゆるカルト的な人気の監督もいる。こういった点も考慮して、「○○ファンにはたまらない逸品だが、そうでなければ駄作」などと評したりする。

見はどこか。または、どんな視点で見ると楽しめるか。
これは大抵の映画評論でもよくある記述なんで、前田氏に限った事ではないのだけど。この辺は淀川長治氏が最も上手だったかもしれない。ただ、女優の魅力を伝える点では、前田氏の方が秀でていると思う。本能に忠実というか、官能的というか、正直というか。いやもう文句なしに共感してしまうのですね、はい。

事前情報が必要か。
シリーズ物などでは、前作の内容を把握していないと意味不明になってしまう作品がある。また、TVのスピンアウトの場合は、TVシリーズを知らないと楽しめない場合もある。また、政治や社会情勢が絡む場合は、予めニュースなどで状況を把握した方がいいかもしれない。

 加えて感心するのは、「ネタバレしない」事を徹底している点。例え予告編やパンフレットでネタバレしていても、「見ない方がいいよ」と警告してくれてる。ネタバレせずに面白さを伝えるのはかなり難しいんだが、前田氏はその辺が実に巧い。私もフィクションを紹介する際は強く意識しているが、ドキュメント物は逆にあらすじの紹介になっている。ドキュメントの場合は自分の備忘録も兼ねているんで、仕方がないかな、と諦めている。

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2010年6月27日 (日)

チャールズ・ストロス「残虐行為記録保管所」早川海外SFノヴェルズ 金子浩訳

 H.P.ラヴクラフト風ホラー+スパイ・サスペンス+Jargon Files(ハッカーズ大辞典)、加えてディルバートとモンティ・パイソンンを少々。おまけに調理人がチャールズ・ストロスとくれば、そりゃもうトコトンひねくれまくり。一体誰に読んで欲しくて書いてるんだか。ツボにはまる人は滅多にいないけど、ハマっちゃったらもうおしまいという、とことんアクの強い作品。WannaBe なら、とりあえず読んどきましょう。

 そんな感じなんで、文章も凄まじくクセが強い。私の乏しい読書体験では、O’Relly のラクダ本こと「プログラミング Perl」に匂いが似ている。慣れない人には、ちょっと辛いかも。

 時代は現代。この世界には、隠された秘密がある。数学のある部分に踏み込むと、魔術により異世界の何者かを呼び出してしまい、恐るべき災厄を引き起こす。各国は専門の秘密機関を設立し、相互に協力や反目しながら、災厄を防ごうと努力している。

 主人公ボブ・ハワードは英国の機関<ランドリー>の新米職員。深夜勤務を終えた次の日の朝、遅れて出勤するとイヤミな上司から遅刻を咎められる。なんとかやりすごすと、馴染みになっちまった経理の馬鹿からPCトラブルの相談が舞い込む。「そうなんだよねー、なまじPCに詳しいと、職場の汚れ仕事が回ってきちゃうんだよねー」などと同病相哀れむ人も多かろう。そう、トラブルは増殖するのだ。他にもボゴンだの 0xDEADBEEF だのクヌースの四巻だの、その手の人向けのくすぐりが幾つか用意さえてる。

 念願かなって現場配属になり、早速アメリカに飛ぶ。ある大学教授がイギリスに帰国しようとしたのだが、米国の国防に関わるとの理由で出国を拒否されたのだ。ボブは米国の機関との調整のため、教授と接触するのだが…

 日常描写はディルバート&モンティ・パイソン風ドタバタではあるものの、タイトルは決して大げさではなく、クライマックスにはそういう描写もふんだんに出てくる。ラヴクラフトも伊達じゃなくて、日常が少しズレただけで現出する週末の恐怖も充分味わえる。それでも「ゾンビ」というより「バタリアン」な感触になっちゃうのは、やっぱりストロスだからだろうなあ。

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2010年6月24日 (木)

アンドリュー・コバーン&パトリック・コバーン「灰の中から サダム・フセインのイラク」緑風出版 神尾賢二訳

 1991年三月~1999年まで、つまり湾岸戦争の終わりから9.11の2年前までの、主にサダム・フセインを中心としてイラクを描いたドキュメント。筆者は兄弟で、弟のパトリックは湾岸戦争前からバグダットに留まっていたためか、貴重なイラク内部の報告がとても充実している。書名「灰の中から」が示すように、サダム・フセインが強運と敵のミスに乗じて瀕死の状態から蘇る様子が生々しく描かれる。また、イラクに対する欧米、特に米の間抜けっぷりもすっぱ抜いていて、なんともやるせない気分になる。

 本文440頁、翻訳調の文体に加え二重否定を多用する政治発言が多いためスラスラとは読めないが、衝撃的な事実を交えつつイラク問題の根の深さを理解する助けになる。イラク占領以降も治安は安定せずテロが頻発しているが、これを読めばその理由も納得できるだろう。イラクの民衆は、誰も米を信用していないのだ。

 一章「奈落に堕ちたサダム」は、湾岸戦争の敗戦で撤退を続けるイラク軍と、電力や流通の麻痺で第三世界に落ちぶれたバグダットの悲惨な様子から始まる。この時がサダムの最大の危機だった。南部では数百万の市民がバース党の支配に対して蜂起し、北部でもクルドが立ち上がる。サダムはイラク十八州のうち十四州の支配権を失う。
 しかし多国籍軍はこの機を逸し、反乱軍を見捨てた。サダムは最強の部隊、共和国防衛隊を温存しており、多国籍軍の不介入を見て取ると早速反撃に出て、反乱を鎮める。

 二章「サダム・フセインはまだ生きている」では、当時の米の対応を描く。クウェート奪還以上の策、例えばイラク占領などの案を、米は持っていなかった。米政府職員は、イラク内の反体制派との接触を禁じられた。米はクーデターを期待していたが、それは軍やバース党の高官の反乱であり、民衆の蜂起やクルド独立は望まなかった。

 三章「サダム・フセインの原点」では、イラクの歴史を駆け足で紹介し、次いでサダムの生い立ちと同時に、「自分と従兄弟以外は敵」というイラクの典型的な部族社会を描く。

 四章「大量殺戮兵器に走るサダム」は、イラクが核や生物兵器開発に邁進していた事実を明かす。化学兵器は既にイラン・イラク戦争で実戦運用していて、毒ガスの弾頭を積んだ長距離ミサイルでテヘランを攻撃する計画もあった。国連査察団(UNSCOM)はCIAと協力するが、イラクはあの手この手で妨害する。

 五章「代価はイラク人が払う」では経済制裁がイラクの民衆に与えた影響を描く。1/4以上の子供が発育不全になり中産階級が壊滅し、経済水準はギリシャ並からマリ並に落ち込む。民衆はサダムではなく米を非難する。そしてサダムの権力は揺らがない。

 六章「ウダイと王族」はサダムの長男ウダイの強欲と残忍性・暴力性・権力志向を暴く。88年にはサダムの副官を、あろうことかエジプト大統領夫人が列席したパーティーで殺している。ウダイの性格は次の文が良く示している。
  ウダイは友達を年中取り替えてはいつも連れ回り、こき使い、二~三ヶ月もするとポイと棄てた。
  「連中は仲間から外されて喜んでいたよ」

 七章「山中の策謀」はアハマド・チャラビ代表のINC(イラク国民会議)とCIAの一職員「ボブ」の暴走、95年の早すぎた決起と、それを見放した米国のちぐはぐな対応を描く。この血気にはやる現場とワシントンの冷淡な対応は本書で何度も繰り返される。

 八章「裏切り者に氏を」は95年8月、サダムの甥であり娘婿のフセイン・カーミル&サダム・カーミルのヨルダンへの亡命で幕をあける。これを機にイラク寄りだったヨルダンは親米に大きく舵を取り、イラクは孤立する。カーミルは国連査察団(UNSCOM)を出し抜く手口も明かす。この手口は私も驚いた。

 九章「サダムの首を持って来い」はクーデターを画策するCIAのドタバタ。指令を伝える暗号通信機をサダムに奪われた上に、計画自体も亡命者が報道陣にペラペラ明かしてしまう。イラク国内のクーデター勢力は一網打尽になり、CIAはキューバのピッグス湾に並ぶ大恥をかく。

 十章「サダム北上す」は96年のクルド反乱と、内輪揉めによる崩壊を描く。ジャラル・タラバニ(現イラク大統領)率いるPUK(クルド愛国同盟)はイランと組み、イラン・クルド民主党の弾圧でイラン情報部に協力する。対するマスード・バルザーニ率いるKDP(クルド民主党)は米の介入を要求するが、中間選挙で忙しいクリントンに無視される。行き詰ったバルザーニは、あろうことかサダム・フセインの助力を仰ぐ。仲介しようとするINC(イラク国民会議)。イラク軍に蹂躙されたINCとPUKのタラバニは米に縋るが、やはり拒否される。

 十一章「ウダイ撃たれる」では96年のウダイ襲撃の内情。犯行はバグダット大学卒業生を中心とした市民組織で、南米の反政府組織を手本にしたそうな。

 最終章「大団円」はUNSCOMとサダムの丁々発止、経済制裁で困窮する民衆を盾にするサダムとそれに煽られる中東諸国、そして硬直した米の対応で幕を閉じる。

 かつての米のイラクは、日本にとっては北朝鮮が該当するだろう。これを読む限り、経済制裁で金王朝の打倒は不可能だよなあ、と思う。じゃ何があるかと言うと…すんません、お手上げです。

 どうでもいいが、p417の誤植は爆笑したぞ。「決意に萌えていた」って、をいw

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2010年6月22日 (火)

ピーター・ブルックスミス「狙撃手」原書房 森真人訳

 書名どおり、狙撃手についてのノンフィクション。比較的網羅的なんで、まあ初心者向けでしょう。ある程度銃に詳しい人なら、更に楽しめるかも、私は自動小銃とライフルの区別もつかないシロウトなんで、銃の機構などの記述は飛ばして読んだ。歴史上で狙撃に使われた銃を、随所にコラムとして紹介している。銃の機構については、この辺がとても解りやすかった。

 実際に狙撃の腕を磨きたい人向けではなく、警察や軍などにおける狙撃手の効用や役割・立場などに加え、狙撃手本人と標的の心理的な面にも重点がおかれている。著者がイギリス在住の為か、イギリス軍関係の例が多く、次いで米軍が多い。怪物シモ・ヘイヘが簡単に済まされてるのはちょっと不満。まあシモ・ヘイヘはルーデルと並んで真面目に書いても冗談にしか聞こえない人だから仕方がない。以降、幾つか印象に残った記述を羅列する。

  • 軍の狙撃手は敵に極端に恐れられ憎まれるため、敵に捕らえられた時は即座に殺される場合が多い。だけでなく味方からも疎んじられる。味方から疎んじられる理由は、狙撃手が戦争の倫理的な面をあからさまに見せ付けるからだ。歩兵は「仲間と共に戦う」という認識でそれを覆い隠せるが、狙撃手はまさしく「敵を殺す」事を生業とする。また狙撃手は単独または少人数での作戦行動が多く、孤独になりがちであり、それに耐えられる者でなければ勤まらない。
  • 対して警察の狙撃手はチームの一員として働くため、孤独にはならない。軍の狙撃手が少人数の長距離射撃が多いのに対し、警察はチームと連携した短距離射撃が多い。軍の狙撃手が数日間単独で任務につくのに対し、警察はコンディションを維持するため複数の狙撃手が交代で任務を担当する。その分、警察の狙撃手は人質の巻き添えを防ぐなど一撃で決めねばならず、高い精度を要求される。軍の狙撃手が「人を殺す」という倫理的な苦しみを克服しなければならないのに対し、警察の相手は凶悪犯であるため比較的苦しみは少ない。
  • 優秀な狙撃手は幼い頃から猟に親しんだ者が多い。職業的な猟師は毛皮を傷つけずに獲物を仕留める能力に長けているので、優秀な狙撃手になりやすい。
  • 現代の狙撃手は狙撃だけでなく、斥候(情報収集)の役割も要求される。むしろ斥候が主目的の場合も多い。
  • 狙撃手には射撃術,フィールド・フラフト,戦術の3つの技能が必要だ。いわゆる「銃を撃つのが大好き」なタイプは、意外と狙撃手に向かない。強い忍耐力が必要。

 最後に、ベトナム戦争で活躍した米海兵隊のカルロス・ハスコック一等軍曹の経験を紹介する、シカゴ・トリビューンのジム・スペンサーの記事を引用。

 彼の軍服の中には何百匹というアリが入り込み、その汗ばんだ皮膚に食いついた。下着をつけたまま放尿せざるをえなかったため、彼は悪臭を放っていた。(略)この72時間の間に口に入れたのは(略)2,3杯の水だけだったのだ。(略)腕や腰、ひざが一面水ぶくれになり、それが地面を這っていく間にすりむけた。

 将来的には無人攻撃機が狙撃手にとって代わるのかなあ。完全な置き換えは無理にせよ、役割の幾つかは引き継げるかもしれない。

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2010年6月20日 (日)

山田正紀「神獣聖戦 Perfect Edition 上・下」徳間書店

 完結編というより、セルフ・カバー。もしくは新旧の山田正紀による合作。旧作にも大きく手を入れ、全く異なった味わいになっている。いや旧作はほとんど覚えてないんだけど。

 人類は物理的手段に頼らず宇宙に進出する手段を得た。牧村孝二の脳が発する航宙制御ホルモン(FISH)が非対称航行を可能にしたが、人間には絶えられず、鏡人=狂人(M=M)となる措置が必要だった。そして、鏡人=狂人(M=M)に対立する悪魔憑き(デモノマニア)も、人類から生まれていた。鏡人=狂人(M=M)と悪魔憑き(デモノマニア)の永い戦いの中、人類はひっそりと滅びていく。

 …えー、何のことか全くわからないと思いますが、最近のライトノベルじゃこの程度は珍しくないよね。とはいえ肝心の鏡人=狂人(M=M)と悪魔憑き(デモノマニア)の戦いの直接描写はほとんどなく、その影が現代に投影したような形で物語りは進む。中心となるのは牧村孝二と、その運命の恋人、関口真理。この二人が様々な世界・時代ですれ違う。運命の恋人などと大きく出たわりに、恋愛小説的な要素は極めて控えめ。

 かわりに作者の拘りを感じさせるのが、ソビエト連邦の崩壊。社会主義という体制の崩壊を、ダーウィン進化論における種の滅亡や、量子論で有名なシュレディンガーの猫と重ねあわせ、幻想的なビジョンを提示する。

 作中に出てくる歌、A-Ha の Take On Me のプロモーション・ビデオは一見の価値あり。「なるほど、そういうお話なのね」って解釈でも、いいと思う。

 以下、余談。確か「顔のない神々」だったかな?作中に漂う貧乏旅行者テイストがとても魅力的だったんだけど、あとがきに「若い頃に中東を貧乏旅行した経験があり、イスラエルのキブツで暫く生活した事もある、ネタが枯れたら、その経験を書く」みたいな記述がありまして。それは楽しみ、いつ枯れるかな、などと不届きな事を考えてたらとんでもない、幻想小説・冒険小説・時代物・ミステリと手を広げ筆は冴える一方。いつまでたっても枯れそうにない。いい加減、出し惜しみは止めて、そろそろ旅行エッセイを出してくれないかなあ。

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2010年6月18日 (金)

大人の○○

 電車に乗ってて、こんな看板を見つけた。
  「大人のコンビニ」
 なんとなく18禁な雰囲気が漂ってる。色々な名詞に「大人の」とつけると、どうなるんだろうか。試してみよう。

  • 大人の図書館
    いいねえ。紳士が集まりそう。真偽は不明だが、神楽坂に会員制の図書館がある、という噂を聞いた事がある。大人の映画館・大人のゲームセンター・大人の学校など、多くの人が集まる場所はソッチ系の印象になるのかな。
  • 大人のblog
    うわ、スパム多そう。大人のSNS・大人のTwitterなど、ネット関係は出会い系を思わせる雰囲気になるなあ。
  • 大人の体操
    子供に見られたパパとママの言い訳みたいな感じかな。大人のサッカー・大人のバレーボールなど、スポーツ関係はいかにもアレな雰囲気になってしまう。
  • 大人のパソコン
    じゃあ子供のパソコンはあるのか、みたいな感じになる。大人のデジカメ・大人のラジオなど、AV機器は微妙かな。なんか大型で本格的っぽい雰囲気が出るのかも。やたらボタンやスイッチが多い感じ。
  • 大人の冷蔵庫
    同じ電化製品でも白モノは意味不明になるなあ。大人の炊飯器・大人の洗濯機…うーん、いまいち面白くない。
  • 大人の水筒
    中に入ってるのはカクテルかブランデーか。大人の弁当箱だと、保温機能付のランチボックスを連想する。
  • 大人の時計
    あれ?なんかちょっと違う。大人のシャツ・大人のスラックスなど、身につける物だと、「落ち着いた」とか「フォーマル」とか、「素材と仕立てに拘りました」的な好印象に変わる。

 結論。名詞に「大人の」とつけた場合の印象変化は、大きく分けて3種類ある。一つはピンク色に変わる。二つ目は本格的または落ち着きを感じさせる。三つ目は意味不明になる。

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2010年6月14日 (月)

ファンタジーに歯が立たない

 ファンタジーは苦手だ。ユーモラスなのはともかく、シリアスな物語には歯が立たない。

 今回のネタはピーター・S・ビーグル「最後のユニコーン」金原瑞人訳、学研。続編の中篇「ふたつの心臓」も採録している、ファンタジー好きなら裸ネクタイに正座で読むであろう有名作。あ、若い女性に限り裸エプロンもアリの方向で。

 などと茶化しているのにはちゃんと理由がある。敢えて今回はカテゴリも書籍ではなく「日記・コラム・つぶやき」にした。今回は、書評にも感想文にもなりそうもないからだ。

 昔からファンタジーは苦手だった。どうも自分にはファンタジーを読み解く能力が根本的に欠落しているらしい。それでも、何回かは挑戦してみた。結果は連戦連敗。ラリイ・ニーヴンが少し解った程度。けど、あの人はファンタジーとしちゃ変り種なわけで、やっぱり解ってないじゃんという不安が残っていた。

 「何かに入門するなら、その分野で最高と言われる物から手をつけるといい」という説がある。例えばモータースポーツ観戦ならF1を最初に見るといいそうな。というわけで、満を持して挑戦したのが、この「最後のユニコーン」。ファンタジーが好きな人も、この選択なら納得してくれるんじゃないかと思う。

 しかし、わからない。何が起こっているのかはわかる。文章も読みやすいし、詩的で綺麗だ。けど、個々のエピソードの意味が解らない。最初の蝶の正体は?なぜ予言できたの?ミッドナイト・カーニバルは、何だったの?マミー・フォルテューナの正体は?ハルピュイアは何故特別なの?アラクネは何故逃げない?赤い雄牛は何を象徴している?もしかして、そういう事は気にしちゃいけないんだろうか。

 続編である「ふたつの心臓」は、なんとなく解る気がする。勇敢で友達想いのスーズは愛らしいし、老骨に鞭打って自らの役割を果たす王は凛々しい。「彼女」がその力を使った(あるいは使わなかった)心情も切ない。けど。この物語は、あまりに巧くまとまりすぎていて、本編である「最後のユニコーン」の奔放さとは味わいが全く違う。そして、「最後のユニコーン」の本当の魅力は、私が理解できない、奔放さにこそある…んじゃないかな、と漠然と感じるのですね。

 どうも私にはファンタジーを読む能力が欠落しているらしい。なんかこう、本質的なものを見落としてる気がする。それが悔しい。

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2010年6月11日 (金)

米本和広「カルトの子 心を盗まれた家族」文芸春秋

 親がカルトに嵌った家庭の子供に焦点をあてたドキュメント。宗教を扱った本は多々あれど、子供を扱った本は少ない。どころか、私はこれ以外知らない。もしあれば是非教えて欲しい。このテーマを選んだ著者のセンスはズバ抜けている。「センスで選んだんじゃねーよ」と著者は言うかもしれないが。

 とにかく怖い。下手なホラーより、遥かに怖い。小説ならいいのに、と思いつつ読んだ。ドキュメントなんだ、悲しいことに。正義感が強く行動力に溢れた人、敏感で落ち込みやすい人、共感能力豊かで人の痛みを自分の事のように感じる人には勧めない。こんな現実が今の日本に存在する事に耐えられないだろう。

 扱う集団はオウム・エホバ・統一教会・ヤマギシ会、最後に少しだけライフスペース。質・量ともにヤマギシ会が最も充実している。いや充実して欲しくないんだけどね。それだけ多くの子供たちが深く苦しんでるって事だから。著者はどんな顔をして取材したんだろう。本書を読めば、著者がカルトに強い怒りを抱き、子供たちを救えない自分の無力さに呆然としているのは明らかだ。取材にその気持ちを抑えて臨んだのは確かで、この辺はさすがプロというか。

 まず、オウム。主に扱っているのは、親が出家したため教団施設で育った子供たち。親と離され、子供たちだけの集団となり、それを世話係が監視する。修行以外は、ほとんど野放し。特に体罰が厳しいわけでもない。とはいえマトモな教育は小学生で一日1~3時間。酷いのは食事で、一日二食。肉や魚どころか野菜もなく、途中からは米すらなくなった。当然、菓子類もなし。衛生状態も劣悪で、捜査員は「土足でなければ入れなかった」と証言している。よって子供たちの発育は悪く、53人中47人が平均身長未満。

 警察の手入れで子どもたちは児童相談所に保護される。以後、マトモな食事を取ってから、急激に身長が伸びている。躾もなっちゃない。箸を使えず、風呂で体も洗えず、トイレも使えずパジャマに着替える習慣もない。そういった解りやすい部分だけでなく、子供として素直な感情表現が出来なくなっているのも怖い。以下、引用。

   泥んこ遊びをしているときに「楽しいか」と聞くと、楽しくな~い!
   おやつを食べているときに「おいしいか」と聞くと、おいしくな~い!
   「親に会いたいか」と聞くと、会いたくな~い!
  矢崎はこれを「三無い主義」と名づけ、「三無い」がなくなったときに、教義の呪縛は解けると直感した。

 教義に縛られて、素直な感情表現ができない。これに対する矢崎氏の対応は実に見事で、さすがプロと感心してしまう。最初は受動的にアニメを見ていた子供たちも、最終的には「○○を借りてきて」とリクエストを出すようになる。矢崎氏をはじめとする児童相談所の対応は、このままマニュアルにしていいぐらい素晴らしいと思う。

 次にエホバの証人=ものみの塔。ベルトや定規で叩くなど過激な体罰が有名だが、全ての家庭でなされるわけではない。地域により違い、体罰を積極的に勧める地域もあれば、控えるように指導する地域もある。とはいえ著者が会った9人中8人が殴られている。うち四人は「それほどひどくない」というが、それでも定規で1~2ヶ月に1回。子供を叩くよう周囲が親に圧力をかける地域が多い。

 学校に入った子供は友達と遊びたがるが、戒律が邪魔をする。クリスマスや七夕、年賀状すらご法度。クラス委員選挙も選挙だからダメ。プロレスごっこ、ロックやジャズもだめ。バレンタインデーも不許可。しかも仲間の前で「私はエホバだからできない」と「証をたて」ないといけない。自然と学校でも孤立し、いじめの対象になる。子供時代に友達と遊べないなんて、とんでもない話だよなあ。

 しかし、児童虐待だけが問題なのではない。エホバから離れても、子供たちの心はハルマゲドンの恐怖に囚われている。自由に遊んでも、罪悪感から逃れられない。そして、エホバから離れるほど、信者である家族とは疎遠になっていく。家族か自分の人生か、どちらかを取らなければならない。家族から離れても、なかなか社会に馴染めない。歌手も競馬も野球も知らない。共通の話題がないのだ。「楽しいから旅行に行く」という感覚もない。「なんでそんな必要があるんだ」と。

 次に統一教会。キリないんで、簡単に引用。克子が母親、好美が娘で五歳。

 母「あの頃は統一教会の影響を国会にも広げようと自民党の国会議員の選挙応援を熱心にしていましたので、泊り込みで四十日間も選挙カーで走ったりしていた。」
 子の保育を担当した人「好美ちゃんは日中保育所にいるとき、(お母さんの帰りを待ちわび)いつも玄関に座り、靴をなめていますよ」

 結婚の自由もない。文鮮明が決めた相手と結婚しなければならない。親が相手を呼びつけ、包丁で脅して交際をやめるように迫る。

 最後にヤマギシ会。ここが最も著者の力が入っている部分なんだが、読んで最も怖いのもここ。申し訳ないけど私の気力が尽きたんで、簡単に。一言で言えば強制収容所。親から隔離され、子供たちと「世話係」による集団生活。世話係は暴君として振る舞い、子供たちに際限なく暴力を振るう。食事は一日二食。映画「キリング・フィールド」の世界だと思っていただければ結構。なんで、こんな無茶がまかり通ってたんだろう。

 以降は、私の妄想。カルトに限らず、親が特定の宗教や思想に極端に入れ込み、子に強制した場合は、いつでも似たような事が起こるんだろうと思っている。条件付の愛情で子供を縛り、子供が子供らしく素直に感情を表現できなくなる。多様な友達と遊べなくなり、社会に適応できなくなる。家庭内が冷たくなり、子供が自分の感情を閉じ込める。カルトは組織的にやっていて、教義も極端に浮世離れしているために、被害を受ける子供も目立つ。カルトという目立つ共通の属性でまとまっているから解りやすいだけで、似たような状況で育つ子供は他にも沢山いるだろう。秋葉原通り魔の加藤智大がそうだった。

 信仰の自由や親権の問題もあって、急激な変化は期待できないけど、国や自治体による児童虐待対策の充実は一つの対策になるだろう。一度、犯罪者の家庭の宗教環境を調べて欲しい。邪魔が入るのは確実で、とても難しいと思うけど。

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2010年6月10日 (木)

林譲治「進化の設計者」ハヤカワSFシリーズJコレクション

油断ならん人だ。

 「なるほどねぇ。PADSの脚は大事なんだ」
 「そうなんです。飾りじゃありません。技術に暗い偉い人なんかは、そういうことはわかんないですけどね」

 麦茶返せ。表紙見ればボウルみたいだけど、雰囲気的にズゴックを想像してしまう。けど乗るのはセイラさん。クライマックスは「逆襲のシャア」みたいだし、詳しい人がよく読めば細かいネタがもっと見つかるかも。

 「記憶汚染」で扱ったような、ユビキタス・コンピューティングが実現しつつある近未来。えっとつまり、色んなモノにマイコンが埋め込まれてて、自動車が自動運転できたり(未開発でできない道路もあるけど)、指紋認証で買い物できたり、人やモノにICタグ埋め込んでいつどこいにるか把握できたり、そういう世界です、はい。ID論(賢い誰かさんが生物の進化を制御したって暴論)を元に、弱者は死ね的で優生主義的な主張を掲げる世界的な組織「ユーレカ」の陰謀に巻き込まれた人たちの物語。

 ユビキタスな社会は魅力的だけど、ガジェットとしてはいささか地味。活躍するのは冒頭にあるPADS。小型潜水艇に両手をつけて細かい操作を可能にし、姿勢制御に短い脚をつけている。風景としては超大型船(というより都市)のムルデカが魅力。

 書名でわかるとおり進化を扱っているけど、そこはユビキタス林。色々と捻ってある。ええ、当然、猫ですよ猫。猫は重要です。ジェイムズ・P・ホーガンの傑作とシオドア・スタージョンの名作がですねえ…

 しかしこの人、テロリストが好きなんだなあ。いやテロが好きって意味じゃなくて、テロリストとの戦いを書くのが。

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2010年6月 8日 (火)

田中啓文「UMAハンター馬子 完全版2」ハヤカ文庫JA

 そこのけそこのけ大阪のオバハンが通る。

 曾我家馬子。年齢不詳。ケバい化粧にド派手なシャツ、山道だろうとヘップ(サンダル)で通す。気まぐれで身勝手、口は減らない反省しない、問い詰められりゃ可哀相なアテクシを気取る。お肉大好きお魚嫌い、金に汚いが後先考えず浪費しまくり。迷惑極まりないオバハンだが、独特の芸「おんびき祭文」は全ての聴衆を魅了する。

 その弟子、蘇我家イルカ。年齢は…えっと、いくつだっけ?15ぐらいにしとこ。馬子の「おんびき祭文」に心酔している。馬子の無茶な注文にコキ使われ、文句は腹の中で押し殺す。けなげです。

 そんな二人のドサ回り珍道中。馬子は金に汚いわりに、全く儲からない仕事を時折引き受ける。どうも不老不死に関係あるらしい。書名の通り、各章では未確認生物が登場する。二巻ではヒバゴン・グロブスター・チュパカブラ・クラーケン、最終章では…

 大阪らしいベタなタッチが田中啓文の魅力。いかにもオバハンな馬子が、旅館の女将や土地の村長などにつけるイチャモンや厚かましい要求などの会話は実に楽しい。バトル・シーンなどでのグロ描写も特徴で、生暖かい粘液のしたたるシーンをとことん下品に描ききる。忘れちゃいけないのが地口で、これはもう作者の病気。私は最近、快感になってきた。もうダメかも。

 最終章は完結編。馬子の正体など、キチンとケリをつけ見事に風呂敷をたたんでいる。しかも田中節全開で、某ドラマの感動の名シーンも、田中啓文にかかると凄まじいシロモノに変わってしまう。いやこれ2ちゃんの某板でネタ元と比較したら、祭り間違いなしのヒドさ。どうヒドいかというと、つまり田中啓文です。彼の芸風と会わない人は、やめといた方がいいです。お互いの心の平和のためにも。まあなんというか、とにかく知的でも上品でもありません、はい。

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2010年6月 6日 (日)

浅倉久志「ぼくがカンガルーに出会ったころ」国書刊行会

 SFの翻訳で有名な浅倉久志氏のエッセイ集。とはいうものの、純粋なエッセイに加え、今まで訳した小説の「訳者あとがき」や、SFマガジンで連載した海外SF紹介のコラム「SFスキャナー」、彼が編集を担当した短編集の紹介文なども含んでる。

 エッセイは日本人らしくシャイで控えめな人柄が随所に現れてて、とても微笑ましい。海外に一度も出た事がないというのは意外だった。「ぼくの好きなSF作家たち」の章ではハリイ・ハリスン、ジャック・ヴァンス、R・A・ラファティ、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、ジョージ・アレック・エフィンジャー、コードウェイナー・スミス、ヘンリー・カットナー&C・L・ムーアを紹介し、フィリップ・K・ディックとカート・ヴォネガットは別格扱いされ多くの頁数を割いている。作家のゴシップはSFマガジンでも読まない限りあまり触れる機会がないんで、貴重な文章…と思ったけど、浅倉さんの本を読む人には常識レベルかもしれない。

 最大の欠点は。この本で触れられてる海外作家の小説はとっても魅力的にレビューされてて、「読みたい!」と思わせるのに、その多くが入手困難なこと。まあ浅倉さんのせいじゃないんだけど。宇宙兵ブルースを買い損ねたのが今でも悔やまれる。

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2010年6月 5日 (土)

藤崎慎吾「鯨の王」文芸春秋

 平成のモビー・ディック、または海洋冒険怪獣物語。いや実は白鯨を通読してません、ごめんなさい。

 出だしはホラー仕立て。合衆国海軍の攻撃型原子力潜水艦ツーソンで事故が起きる。背筋に寒気を感じたクルーが、怪現象によりバタバタと倒れ始める。ある者は顔中の穴から血を流し、ある者は頭を焼かれ、ある者は頭が爆発する。

 怪現象の犯人は早めに見当がついちゃって(つか既にネタバレしちゃってるけど)、後は追いかけっこになる。主な追跡者は三派。まず海洋生物学者の須藤秀弘。アル中の中年で学会の嫌われ者。嫁と娘に愛想をつかれ、大学でも爪弾きになりつつある。それでも普通は読むに従っていい所も出てきそうなもんだが、コイツは最後までいけすかないダメ男で、「そりゃ嫌われるよ」と納得しちゃったりする。いいのか、こんなのが主人公で。でも面白いから許す。

 次に合衆国海軍調査研究所のドナルド・ライス博士。少々線が細い感はあるが、海洋冒険物語の主人公に相応しいマトモな人。活躍してるんだけど、周囲の連中のアクが強すぎてイマイチ目立たない。

 最後は合衆国海軍原子力潜水艦艦長エイブラム・オールト。まさしくエイハブ船長に相応しく執念の人。弟をモビー・ディック(仮)に殺され、己の立場を利用して復讐に賭ける。その狂気っぷりはいっそ清清しい。やっぱ大海獣相手のバトルは、こういう人が出ないと。

 どうも藤崎さんの小説からは「俺は、海が好きだ~!」という心の叫びが聞こえてるように感じるのは、気のせいだろうか。藤崎と、相棒のパイロットのドツキ漫才も面白いけど、読みどころは深海の風景。初頭に出てくる鯨骨生物群集の生態系も魅力的だが、熱水噴出孔の風景はまさしくセンス・オブ・ワンダー。

 当然、モビー・ディックといえば主役はアレなんだけど、「鯨の王」という書名に相応しい威容と実力を備えております。アレとオールトのバトルが一つのクライマックス。巨体と正体不明の武器で迫るアレに対し、現代の最新鋭兵器を駆使するオールト。この最新鋭兵器も本書の魅力のひとつ。

 しかし加藤秀弘教授(須藤秀弘のモデル)も心が広い。私なら、こんなダメ男に捏造されたらブチ切れるw

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2010年6月 3日 (木)

鳥井順著「イラン・イラク戦争」第三書館

 イラン・イラク戦争の概要を掴むには、文句なしの逸品。ハードカバーで600頁を越えるため、読み通すのはかなりホネだけど。

 主に報道や政府発表などの公開記事を元に著者なりの解説を加え、噛み砕いて説明するというスタイルを取っている。要所ではジェーン年鑑など民間の調査機関の資料やロイズ保険などで裏をとり、矛盾がある場合は表で比較するなど、正確さや信頼性には細心の注意を払い、眉唾な数字には「眉唾ですよ」と釘をさすのも忘れない。

 というとお堅く無味乾燥な本になりがちなんだが、著者の文章はこなれていて読みやすい。翻訳物にありがちなとっつきにくさもなくて、やはり日本人の書いた本はいいよね、と思った次第。

 八年間に渡る戦争だけに内容は盛りだくさんな上に、著者の視点が幅広いんで、内容の充実ぶりは凄まじい。個々の戦闘に関しても、まずイランやイラクの政治状況から始まって米ソの思惑や周辺諸国の出方など、舞台背景をキッチリ描いている。戦闘に使われた武器の輸入元や資金調達法までしっかり調べている。当然、部隊編成やその問題点、兵器の稼働率など現場の情報も忘れない。

 イラン空軍のトムキャットの稼働率が常時10%程度だったりして、そりゃもう涙もんです。装備じゃ圧倒的に劣勢なイラン軍が健闘した理由の一つは戦場。南部は湿地帯なんで大規模な戦車戦が難しく、人海戦術でもそれなりに対応できてしまった。北部は山岳地帯で、もともと大部隊を展開するのが難しい。もう一つはイラクの国内状況で、北部じゃクルド人が独立を求めて騒いでる。イランが煽ってる部分もあるけど。シリアも背後を突こうと虎視眈々と狙ってるんで、イラクも戦力を割かなきゃいけない。国内で多数派のシーア派はイランに同情的とまではいかなくても、戦意はナッシング。

 対するイラク空軍は装備が優秀な割りに活動は不活発だったり高高度爆撃に拘って充分な戦果をあげられなかったり。指揮系統の問題で(全て最高指揮官のサダム・フセインを通さなきゃいけない)陸軍の要請に空軍が応えられなかったり、空軍の偵察情報が陸軍に渡らなかったり。その分、陸軍のヘリは活躍してるんだけど。エアランド・バトルの概念があれば、イラクの圧勝だったかも。とはいえ、戦力を統合して運用できるほど、フセインの立場は安定してなかったって事なんでしょう。

 反面、直接のインタビューや取材がない分、映画の脚本としては向かない。ラピエール&コリンズとは対照的な手法ですね。生の声が聞きたい人には物足りないかも。

 出版がイラクのクウェート侵攻の直前なんで、そっちには触れてない。けど、そっちまで書かれたら、ダンベル並の重さになっちゃうよなあ。

 笑えるのがイスラエル。どっちに味方しても地獄とはいえ、イランに都合したTOWが大活躍してるんだよね。その余力をかったイランはレバノンのヒズボラに肩入れして、イスラエルに跳ね返ってきてる。なんともはや。

 以降、ただの愚痴、というか言い訳なんでそのつもりで。

 本は読んでるんだけど、なんとなく文章を書くのが億劫になってて、書評、というよりブログそのものを書かなくなってしまった。これじゃイカンと思い、出来は無視してとりあえず書くようにしよう、ってんでこんな具合になってしまった。内容の具体例を出して書こうにも、なにせ内容が充実しすぎてオツムがオーバーフローを起こしてる。暫くはリハビリって事で意味不明な内容が続くと思う。ご容赦下さい。

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