マイケル・バー=ゾウハー&アイタン・ハーバー「ミュンヘン オリンピック・テロ事件の黒幕を追え」早川文庫
原題は「The Quest for the Red Prince」。1972年9月のミュンヘン・オリンピック・テロ事件を頂点とするパレスチナのテロ組織「黒い九月」の興亡と活躍、それを追うイスラエル軍および情報部の暗殺部隊の追走劇。ノンフィクションの筈が、まるで小説の様な盛り上がりと興奮に満ちている。プロローグも72年5月のハイジャック事件の緊張感溢れる場面から始まっていて、小説家でもあるマイケル・バー=ゾウハーの構成の妙が光る。ファタハをはじめパレスチナ側抵抗組織はとことん悪し様に書かれていて、そういう意味では完全にイスラエル寄り。
Red Prince は「黒い九月」の首領ハサン・サラメの事。380p中、冒頭の160p近くは彼の父で同名のハサン・サラメの生涯を中心に、イスラエル独立前後のパレスチナ人の生活と抵抗運動を生々しく描く。貧しい村に生まれ、チンピラとして愚連隊を率いる立場になり、アラブの大蜂起の波に乗って農民を率い、ユダヤ人のみならず穏健派のアラブ人すら餌食にしてのし上がっていく。1948年にイルグンとの戦いの中で彼は命を落とし、パレスチナの抵抗運動のふたりの指導者のひとりとして記録される(もう一人はアブドゥル・カーデル)。長くなったけど、子ハサンが Prince と呼ばれる所以は、彼の父が偉大な英雄だからなのですね。Red は…うん、ご想像のとおり。
第二部になって、やっと主人公のハサンが登場。粗野で野蛮な雰囲気の父とは対照的に、知的で線の細いハンサムでスマートな、やや陰のある青年に描かれている。お洒落なのは父譲り。アラファトの寵を得て酷薄で優秀なテロリストとして成長し、PLOの隠然たる保護の下に過激なテロ組織「黒い九月」を成長させ、次々とテロを成功させていく。黒を愛用するお洒落なセンスに享楽的で華やかな生活、ホテルを泊まり歩いてスポーツカーを飛ばす。しかし慎重で注意深く身元を隠し、世界各地を飛び回ってモサドから逃れ続ける彼の姿は、まるきしジェームズ・ボンド。対するモサドの面々を完全に食っちゃってる。作者はモサドの活躍を書きたかったのか、書いてるうちにハサンの魅力に取り憑かれたのか、どっちなんだろ。
父ハサンの章でわかるんだが、早期に軍の体裁を整えたイスラエルと異なり、パレスチナ側は多数の武装組織が合い争い、虐殺と復讐で無駄に戦力を消耗していく。この内情が実に面白い。武装組織というより暴力団の抗争に近い雰囲気に描かれていて、「そりゃ確かに正面戦闘じゃイスラエルに勝てん、こりゃテロしかないわなあ」と納得させられる。
著者あとがきはむしろ最終章というか次回予告というか。解決は遠いなあ。
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