飛浩隆「ラギッド・ガール」ハヤカワSFシリーズJコレクション
道徳も肉体も超越した、SFだがけが記述しえる新分野の官能小説←褒めてます。「SFが読みたい!2007年版」ベストSF国内部門首位に相応しい作品だけど、健全な未成年にはお勧めできません。
三部作「廃園の天使」の第二部をなす五編の短編集。仮想空間のリゾート地、<数値海岸(コスタ・デル・ヌメロ)>。そこには多数の区界が用意され、区界ごとにリゾート地に相応しい様々な工夫がなされている。区界には多くのAIが住み、訪れる人々(ゲスト)を歓待していた。しかし<大途絶(グランド・ダウン)>を境にゲストの訪問が途絶えた。AI達は今まで通りの暮らしを維持していたが、数値海岸には様々な変化の兆しが現れる。
全短編が前作「グラン・ヴァカンス」の前日譚。冒頭を飾る「夏の硝視体」は前作と同じ「夏の区界」を舞台として、若い男女AIの出逢いと大途絶後のAI達の暮らしを描く。一見、おしゃれなフランス映画みたいな雰囲気が漂っている。表題作でもある「ラギッド・ガール」は現実の世界が舞台とした数値海岸の誕生にまつわる話。作者の変態振りと底意地の悪さがよくわかる。続く「クローゼット」は「ラギッド・ガール」と対をなす作品で、重要な伏線を張っている…んじゃ、ないかな。このシリーズが完結すれば、の話だけど、飛さんの事だから次巻がでるのはいつになるやら。「魔述師」は現実と区界をいききしながら、大途絶の真相を描く。ここでも作者の変態振りと底意地の悪さが光ってる。最後の「蜘蛛の王」は前作の敵役、蜘蛛の王ランゴーニの誕生の物語。
官能SFというと、森奈津子と牧野修はいくつか読んだ経験がある。いずれも「常識」や「正常」に叛旗を翻してるけど、コレに比べたらはるかにマトモ。結局は「常識」なり「正常」なりの概念が既にあるという前提で、それに対するアンチとしてあーゆー作品を書いてる。二人とも色々と肉体を弄ぶけど、「肉体を弄ぶのは不道徳である」という前提を読み手に期待しているし、それだけ肉体に拘っているともいえる。
ところが飛氏はまさしくSFらしい発想の飛躍を果たし、とんでもない方向に着地する。官能だけがあればいいんだと割り切って、肉体をあっさりと捨ててしまう。その結果、全然肉感的でも色っぽくもないけど、ひたすら気持ちいい(または気持ち悪い)感触だけが残る。
私が数値海岸のアイデアを思いついたら、きっと肉体的な技能習得を考えるだろう。タイピングとか楽器の習得とか格闘技とか、地味な繰り返しの練習が必要な、けど有用な技能習得の努力を分身に任せ、本人は遊んでいる。分身にヴァカンスを楽しませるって発想に、飛氏の官能へのこだわりを感じる。
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