2017年9月26日 (火)

ホーマー・ヒッカム・ジュニア「ロケットボーイズ 上・下」草思社 武者圭子訳

「サニー、きっといつか、ぼくらここにトロフィーを飾ることになるよ。ぼくらのロケットでね」
  ――6 バイコフスキーさん

「礼だったらな」と、バイコフスキーさんが箱のほうに顎をしゃくった。「そいつを思いっきり飛ばしてくれ。そんでわたしとサニーとでつくったものがどんなにすばらしいか、お父さんに見せてやってくれよ」
  ――7 ケープ・コールウッド

「この世の中に、簡単にできるようなることなんてそうはないからな、サニー。簡単だったら疑ってみたほうがいい。そんなものは、たいした価値のないことかもしれないからな」
  ――9 ジェイク・モスビー

「なにかを学ぶというのは、それがどんなにむずかしいことでも、どうしても知りたいという気持ちが強ければ、そんなにむずかしくはないということだ」
  ――10 ライリー先生

「ねえ、サニー。わたしはあなたにその本をあげるだけ。なかに書いてあることを学ぶ勇気は、あなたがもたなければならないのよ」
  ――13 ロケットの本

「この町のこどもは、みんなのこどもなんだ。それがこの町の不文律だ」
  ――18 落盤事故

「これはまた、ずいぶんと立派なパイプ爆弾のようですね?」
  ――22 理想のロケット

「サニー、だれだって先のことを考えれば怖いのさ」
  ――25 全国大会

【どんな本?】

 1957年10月。ウエストヴァージニア州コールウッドは炭鉱の町だ。人々の話題といえば石炭、そして地元のビッグクリーク高校のアメフト・チームの成績だけ。そんなコールウッドに、新しいネタが舞い込む。ソ連が打ち上げたスプートニク1号がアメリカの上空を横切ったのだ。

 14歳の少年、サニーは決意する。「ぼく、ロケットをつくることにしたよ」。そして同じ高校の仲間たちと組み、かき集めたガラクタを組み合わせた試作品一号は…

 責任感が強い仕事人間の父親、アメフトのスターの兄、鷹揚な理解者の母。憧れの同級生に寄せる想い、背中を押す教師、支えてくれる町の人々。沈みつつある炭鉱の町コールウッドを舞台に、「かつてあったアメリカの小さな町」を鮮やかに描き出し、そこで育つ少年たちの高校時代を綴る、NASA技術者の自伝。後に映画「遠い空の向こうに」も制作された。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ROCKET BOYS, by Homer H. Hickam Jr., 1998。日本語版は上巻2000年1月5日第1刷発行、下巻2000年2月1日第1刷発行。今は草思社文庫から文庫版が出ている。

 単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約281頁+307頁=約588頁に加え、土井隆雄「本書に寄せて」2頁+訳者あとがき3頁。9.5ポイント44字×18行×(281頁+307頁)=約465,696字、400字詰め原稿用紙で約1,165枚。文庫本でも少し厚めの上下巻ぐらいの容量。

 文章はこなれていいて読みやすい。単位系もメートル法に換算してある。内容も特に難しくない。たまに専門用語が出てくるが、わからなければ読み飛ばしても構わない。それより、大事なのはアメリカの入学時期。だいたい8月末~9月です。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  •  上巻
  • 1 コールウッド
  • 2 スプートニク
  • 3 母
  • 4 父
  • 5 クウェンティン
  • 6 バイコフスキーさん
  • 7 ケープ・コールウッド
  • 8 基地の建設
  • 9 ジェイク・モスビー
  • 10 ライリー先生
  • 11 ロケット・キャンディ
  •  下巻
  • 12 機械工たち
  • 13 ロケットの本
  • 14 炭柱の倒壊
  • 15 州警察
  • 16 決断
  • 17 ヴァレンタイン
  • 18 落盤事故
  • 19 再出発
  • 20 オーデルの宝物
  • 21 亜鉛ウィスキー燃料
  • 22 理想のロケット
  • 23 科学フェア
  • 24 インディアナポリスへ着ていく服
  • 25 全国大会
  • 26 打ち上げ準備完了!
  • エピローグ
  •  本書に寄せて 土井隆雄(宇宙飛行士)
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 上質で心温まる青春物語。

 何より、著者が故郷のコールウッドを深く愛しているのが伝わってくる。もちろん、いい所ばかりじゃない。どころか、序盤から相当に差し迫った状況だと予告される。

「コールウッドはもうおしまいなの。死んだ町なのよ」

 これを予告するのが、母親のエルシーってのが巧い。なんたって、炭鉱の町だ。掘りつくせば何も残らない。そうでなくても、海外産の安い石炭が入ってくれば、どうなるかわからない。今までも景気の不沈に左右されてきたように、今後も危うい綱渡りが続くのは見当がつく。

 が、炭鉱の仕事にドップリ浸かった仕事人間の父ホーマーには、そこまで冷徹に事態を見ることはできない。にしても、エルシー母ちゃん、なんでそこまで先が読めるんだ? と思ったら、ちゃんと終盤で種明かしがあった。いろいろと視野が広い人なのだ。

 にも関わらず、この町を出ていくのは難しい。なんとか大学に進む手立てを考えないと、主人公サニーの人生も行き詰まってしまう。そんな先行きの暗い舞台で、話は進んでゆく。

 にしても、ロケットを飛ばすったって、昨日まで中坊だったガキのやらかす事だ。当然、最初は悲惨な結果に終わる。その顛末が、あっという間に町中に広がっちゃうのも、アメリカの小さな町コールウッドならでは。

 ここで登場するのが、頼りになる?助っ人が現れる。同級生のクウェンティンだ。典型的な理系オタクで、屁理屈を並べ始めると長いあたりが、とても他人とは思えないw 

 これを「クウェンティンと話すには、なにかもっと具体的なことを訊かなくてはだめだ」と気づくサニーも、たいしたもの。クウェンティン、賢いには賢いんだが、コンピュータみたいな奴なのだw

 彼が加わったことで、ロケットボーイズのチームBCMA(ボッグクリーク・ミサイル・エージェンシー)が発足、計画は進み始めるが…

 以後、ロケットを設計し、原材料を調達し、それを加工して…とすべき事は山ほどあり、中には大人に協力してもらわなきゃならない所も出てくる。ここで出てくるコールウッドの人たちと、サニーたちの関係も、古き良きアメリカならでは。

 やたら規則を押し付ける人もいれば、ぶっすり顔しつつ陰で手助けしてくれる人もいる。RPGのおつかいクエストよろしく、あっちこっちの利害調整に走り回ることもある。そういう事柄から、少しづつ少年は大人たちの世界を知ってゆく。

 中でも印象深いのは、やっぱり父ホーマーに関するエピソード。どうにも折り合いの悪い父と息子ながら、ジニーヴァとの関係に続き本棚でお宝を発見するあたりは、かなりホロリとくる場面。

 やはりアメリカならではと思わせる話も多い。ガキのお遊びを記事にする地方紙マクダウェル・カウンティ・バナーと、その記者バジル・オーグルソープ。町の騒ぎを丸く収める保安官タグ・ファーマー。密造酒酒場を営むジョン・アイ。密かにBCMAを後押しする小学校「六人組」の女教師たち。

 そして、何度も失敗を繰り返し町に人々に噂の種を提供しながらも、彼らの飛ばすロケットは少しづつ高度を上げてゆく。

 衰えゆく炭鉱の町コールウッドを舞台に、自分の道を見つけようとする少年たちと、それを見守る大人たちの、ちょっとだけ気持ちが温かくなる物語。文章はこなれていて読みやすいし、中学生でも充分に楽しんで読める。と同時に、それぐらいの息子がいるお父さんも、別の視点で楽しめるだろう。

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2017年9月24日 (日)

仁木稔「ラ・イストリア」ハヤカワ文庫JA

重要なのは何が事実かではなく、何が事実と信じられているかだ。
  ――p72

「人間は、物語化する病に冒された種だよ」
  ――p288

【どんな本?】

 著者の未来史シリーズ≪HISTORIA≫の一角をなす作品。時系列的には2番目で、「グアルディア」の前日譚にあたる。時系列に並べると、以下の順。

  1. ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち
  2. ラ・イストリア
  3. ミカイールの階梯
  4. グアルディア

 生命科学の発達は、人工子宮や使役用の亜人種・妖精を生み出す。しかし22世紀末、キルケー・ウイルスが暴走、ヨーロッパを中心に荒廃が広がり社会は混乱、人々はいがみ合い殺し合う。

 2256年、バハ・カリフォルニア。アロンソは案内人だ。北米アングロアメリカから中米の新エスパニャに、密入国する者たちを手引きする。その多くは、かつて北米に移民した者の子孫だ。

 アロンソを拾い養ったマリベルが亡くなってから、アロンソが大黒柱として稼いでいる。医術の心得はあるが世間知らずの30男クラウディオ,寝たきりで無反応の少女ブランカ,車椅子生活の少年フアニート,家事に忙しい少女スサナ,幼いイザベリータ。みんなマリベルに拾われた者たち。

 困ったことに、最近は仕事が少しづつ減っている。移民は疫病を運ぶと信じられており、ティファナの新司令官が密入国を厳しく取り締まっているからだ。そればかりか、ついにアロンソの住む町サンタ・ロサリリータにまで兵を差し向けてきた。凶暴な兵たちから家族を守るため、クラウディオは…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年5月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約384頁に加え、香月祥宏の解説「ゆるやかな連鎖が織り成す力強い物語」8頁。9ポイント39字×17行×384頁=約254,592字、400字詰め原稿用紙で約637枚。文庫本としては少し厚め。

 文章は比較的にこなれている。実はこのシリーズ、かなり設定が凝っていて、とっつきにくい作品が多い。その中では、この作品が最もとっつきやすく、スンナリと作品世界に入っていけた。私が設定に慣れたせいもあるが、人間ドラマが面白いためかも。

【感想は?】

 どう考えても表紙は詐欺だw なんたって主人公はアバタ面のアンチャンだし。

 主な舞台は細長いカリフォルニア半島の真ん中あたりの太平洋岸、サンタ・ロサリリータ。ほぼ無人の半島で、密入国の手引きで食ってる、小さな町。

 そこに住むのは、短気で荒っぽく、教養もなければ後先も考えない連中ばかり。そんな物騒な町で、肩を寄せ合うように助け合って生きる身寄りのない子どもたち。ってな感じの舞台設定だが、この著者じゃ、わかりやすいお涙頂戴の話になる筈もなく。

 確かに子どもたちが身を寄せ合って生きちゃいるんだが、そんな中にも、それぞれの想いや緊張がある。それを、陽光のもとに容赦なく晒し、描き出すのが、この作品の面白いところ。

 その中でも、最もわかりやすいのが、語り手の一人アロンソ。16歳の若者だが、今の世の中、ナメられたらやってけない。ってんで、せいぜい落ち着いて無口を装い、タフな運び屋として稼ぎ、「家族」を養っている。

 もう一人の語り手が、クラウディオ。30過ぎのオッサンだが、世間知らずで頼りない。お陰で、アロンソから見ると、扶養家族の一人ってことになる。ただし、単なるニートってわけじゃなく、失われた旧文明の知識の一部も引き継いでいて。

 クラウディオ同様、守られる立場なのが、車椅子の少年フアニート。そろそろ年頃で、寝たきりの少女ブランカに惹かれている。荒っぽい町では、弱者への配慮なぞあり得ない。家の中で銃を持つ兵が暴れても、ブランカを守る力もない。己の無力を思い知らされた彼は…

 いかにも「助け合って生きている孤児たち」な雰囲気で始まった物語だ。

 が、家族の中での立場は、それぞれ違う。幼いイザベリータと意識のないブランカはともかく、フアニートには厄介者じゃないか、みたいな負い目がある。やはりクラウディオも無駄飯食らいに近い。対して大黒柱を自認するアロンソ。

 しかし、この関係は、新司令官が兵を差し向けた事件をキッカケに、少しづつ変わってゆく。

 この家族の関係の変化がもたらす空気、特にアロンソとクラウディオの間に漂う緊張が、なかなか不吉かつ不穏。これを微に入り細をうがち、本人すら気づかぬ本音まで掘り下げて描き出すあたり、実に意地が悪い所でもあり、読み応えのある所でもあり。

 などといったミクロな人間関係も楽しいが、その背景にある中米の歴史も、著者ならではの意地の悪い設定。

 なんたって、移民の流れが逆転してるって所が皮肉だ。しかも壁を作ろうとするあたりは、トランプ大統領を予言してる感すらある。また、純潔を求める北米と混血を受け入れる中米を対比させ、双方に災いをもたらすキルケー・ウイルスの性質が、これまたアレで。

 終盤に描かれる、コルテス海ことカリフォルニア湾の航海の場面も、グロテスクかつ壮大で、なかなかの迫力。あまり近くにいたくはないけど、やっぱりデカいモンが暴れる絵はカッコいいよなあ。

 二重三重に仕掛けられた設定の罠と、表向きとは全く異なった家族間の緊張関係。人間ドラマあり、イカれたSFガジェットあり、凄惨な暴力場面ありと、波乱に富んだストーリー。中米のコッテリした社会を、残酷なまでにクールな世界観で描いた、この人ならではの21世紀の日本SF。

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2017年9月21日 (木)

権二郎「インドまで7000キロ歩いてしまった」彩流社

神戸電鉄と北神急行と神戸市営地下鉄とJR東海道山陽線と赤穂線と両備バスを乗り継いで牛窓に到着したのは10時だった。なんと4時間半もかかっている。こんなに乗り物に乗って、その目的が歩くことなのだからけっさくである。
  ――2002年1月~2003年1月 山陽路を歩く

要するに湖南料理では唐辛子は香辛料ではなく、それ自体が食材だったのである。
  ――2005年8月~2006年8月 華南を歩く

ミャンマーの地図にはロクなものがなかったからである。
人は西に行くほどよくなっているが、地図はひどくなっていた。
  ――2008年12月~2009年1月 ミャンマーを歩く

このときを除けばカレーばかりの毎日だった。
  ――2009年11月~2009年12月 バングラデシュ インドを歩く

【どんな本?】

 2002年1月。天気のよさにつられ、45歳のオヤジが散歩に出る。神戸の自宅から有馬温泉まで6km、温泉を楽しみ電車で帰ってきた。次の休みに有馬から甲陽園まで17kmを歩く。その次には甲陽園から三宮まで19km。

 なんとなく始めた散歩は、やがて泊りがけとなり、次には国境を越え韓国・中国へと伸びてゆく。歩きなだけに、一日で動ける距離は限られ、滅多に外国人が来ない所にも入り込む。ラオスやミャンマーなど、私たちには馴染みのない人々の暮らしを横目で見ながら、オヤジは着々と歩を進めてゆく。

 奇想天外な旅を、特に気負いもなく淡々と綴った、オッサンの一風変わった旅行記。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年8月12日初版第一刷。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約379頁に加え、あとがき3頁。9ポイント43字×17行×379頁=約277,049字、400字詰め原稿用紙で約693枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。その気があれば、GoogleMap などで足跡を辿りながら読んでもいいだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • 2002年1月~2003年1月 山陽路を歩く
  • 2003年2月~2003年7月 韓国を歩く
  • 2003年7月~2004年5月 華北を歩く
  • 2004年8月~2005年5月 華中を歩く
  • 2005年8月~2006年8月 華南を歩く
  • 2006年8月~2007年1月 ヴェトナムを歩く
  • 2007年1月 ラオスを歩く
  • 2007年8月~2008年1月 タイを歩く
  • 2008年12月~2009年1月 ミャンマーを歩く
  • 2009年11月~2009年12月 バングラデシュ インドを歩く

【感想は?】

 力みも気負いもない文章が心地ちいい。

 この手の旅行記は、「心のふれあい」だの「素朴な温かみ」だのといった、妙にウェットな感傷が絡みがちなのだが、この本にはほとんどない。ただ、淡々と歩き、その途中で起きた事柄を記録しているだけだ。

 お断りしておくと、一度の旅でインドまで歩きとおしたわけじゃない。キリの良い所まで歩いたら、いったん航空機などで日本に帰る。しばらくしたら再び同じ国を訪れ、前回のゴールまで列車やバスで戻り、そこから歩きはじめる、そんな風に続けた旅だ。

 また、地域によっては、ロクな宿がない所もある。そんな時は、まず大きめの街に宿を取り、そこから歩き始める。適当に歩いたら、バスや乗り合いタクシーなどで街に戻る。そして次の日に、昨日のゴールまでバスなどで移動し、再び歩を進める、そんな風に旅程を稼ぐのである。

 別に誰かに押し付けられたわけじゃなし、律儀に守らんでもいい決まりだとは思うが、始めちゃったからには続けたいよなあ、そんな気分で守り続けた自分ルールなんだろう。実際、このルール、ミャンマーでは規制が厳しく断念するしかなかった。

 と、途中で断念はしたものの、当時の軍事政権下のミャンマーを歩こうなんて発想も大胆だし、それを実際にやっちゃった実行力もたいしたもの。お陰で、貴重なミャンマーの内側も少し覗けたり。バンコックでヴィザを取る過程も、意外な展開に「やっぱり東南アジアだなあ」と変に感心してしまう。

 そのミャンマー、軍政下だけに役人は小うるさいが、人々はおおらかなもの。店先で休んでると、ワラワラと人が集まってきては、楽しいおしゃべりが始まったり。

 アジアの平和な田舎ってのは、どこでも似たようなもんなんだろう。というのも、バングラデシュやインドでも、チャー屋で休んでると同じような状態に陥ってるし。

 こういった小休止の場所や、飲み食いするものが、少しづつ変わっていくのも、ゆっくりした旅行の面白い所。バングラデシュとインドでチャーの淹れ方が違うとは知らなかった。ワラワラと集まってくる面子まで違うのは、やはりお国柄といった所か。

 食事のマナーもお国それぞれ。韓国じゃ「ご飯はスプーンで食べ、おかずは箸で食べる」のがマナーだそうだが、やはり面倒くさがり屋はどこにもいるようで。中国の定食屋はおおらかで、「注文するときは厨房に入っていって並んでいる材料を指せば」いいってのも大胆だなあ。

 などの食べ物ばかりでなく、旅装も一部は現地調達だ。さすがに靴は日本であつらえたようだが、読んでて欲しくなったのはベトナムのノン(→Wikipedia)。帽子のように、頭にかぶる傘だ。これの何がいいかって…

笠を被って歩いてみると涼しくて快適だった。帽子のように蒸れることがなく、日除けはもちろん、雨除けにもなり、逆さにすればカゴのような使い方もできた。

 そう、帽子って、蒸れるんだよなあ。傘って一見、奇妙な形だけど、ちゃんと現地の気候に合ったデザインなんだね。ってんで、暫くはノンを被って歩く著者、お陰でバングラデシュやインドではヴェトナム人に間違われたり。

 徒歩だけに、ゆっくりと風景や食べ物、そして人々が変わってゆく。国境沿いでは両国の人々が入り混じり、様々な物を売り買いしている。かと思えば、何もない船着き場だったり。じっくりと歩くからこそわかる道標などの事情も楽しい、ちょっと変わった旅行記だ。

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2017年9月20日 (水)

ピーター・ワッツ「エコープラクシア 上・下」創元SF文庫 嶋田洋一訳

血はすべてその子宮の外にある。
  ――上巻 前兆

もちろん、今の世界にはゾンビがいる。それを言うなら吸血鬼も。
  ――上巻 原式

「何かが――隠れている。名状しがたいものが」
  ――上巻 寄生

「この世界には、武装した者たちの暴力があまりにひどくて、意識ある生命として存在することをやめたくなるような場所もある」
  ――上巻 獲物

「…われわれは哺乳類が核兵器を作ったあとも生きている。きわめて単純なOSで動いていて、たいていどんな環境でも作動する。われわれは考える肉体のカラシニコフなのだ」
  ――下巻 猛獣

今、全裸でこの文章を打っている。
  ――下巻 参考文献

「…それはあなたの目の前にあって、あなたがそれを正視していないだけよ」
  ――下巻 大佐

【どんな本?】

 前作「ブラインドサイト」でSF界に大騒ぎを巻き起こしたカナダ出身の海洋生物学者による、前作の続きとなる長編SF小説。

 2082年、65536個の人工物が地球を取り巻き、消える。これを異星人の偵察と考えた人類は探査船<テーセウス>を建造、選び抜いたクルーを乗せ太陽系外縁へと向かう。彼らは異星の知性体と接触するが、消息を絶ってしまう。

 その7年後、地球。

 人類は過去から吸血鬼を蘇らせ、研究所に隔離していた。高い知性と優れた運動能力を持つが、人類とは全く異なる思考をする、人類の亜種にして天敵。だが吸血鬼のヴァレリーは監視の裏をかき、脱出を果たす。

 それとは違った形で高い知性を得た者もいる。両球派。メンバーの脳を緊密なネットワークでつなぎ、一つの集合精神にまとめあげる。両球派は人里離れた土地に修道院を築き、他の人とは接触せずに暮らしていた。

 現生人類で生物学者のダニエル・ブリュクスは、サバティカルを利用しオレゴンの砂漠にフィールドワークに出かける。だがタイミングが悪かった。戦闘用ゾンビを従えた吸血鬼ヴァレリーが、両球派の修道院を襲う所に居合わせてしまい…

 人類を遥かに超えた知性同志の出会いと、それに居合わせた現生人類の戸惑いを、奇想天外なアイデアを思いっきり詰めこみながらも、クールな文体で描く、サイエンス・フィクションの極北。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Echopraxia, by Peter Wats, 2014。日本語版は2017年1月27日初版。文庫本で上下巻。本編の「エコープラクシア」が上巻約302頁+下巻約180頁=482頁に加え、特別収録短編「大佐」40頁を収録。おまけに渡邊利通の解説10頁と、参考文献が豪華44頁。8ポイント42字×18行×(302頁+180頁+40頁+10頁+44頁)=約435,456字、400字詰め原稿用紙で約1,089枚。上下巻は妥当な所。

 前作の「ブラインドサイト」同様、かなり読みにくい。前作同様、主な登場人物の思考様式が人類とは大きく違う上に、最新の科学の成果を使ったSFガジェットが大量に出てくる、とても濃い作品だ。並みのSFでは満足できないスレッカラシ向けなので、覚悟して挑もう。

 なお、解説はとても親切にネタを説明してくれているが、同時にネタっばたしにもなっているので、要注意。もちろん、ちゃんとその由を警告しているけど。

【感想は?】

 そう、この作品は、とっても濃い。

 なんたって、凄まじいガジェットが次から次へと出てくる。冒頭の吸血鬼、伝説から復活させた人類の天敵ってのも相当なもんだが、それにちゃんと「十字架が苦手」なんて弱点も与えるだけでなく、そこにキチンと理屈と仕掛けがついてるあたりも、タダモノではない。

 この理屈と仕掛け、いちいち「説明しよう」なんてやってたら、それだけで数頁を費やしてしまいそうな凝ったシロモノなため、アッサリと流しちゃってるのが憎い。この手の話に詳しい者にはたまらない美味しさなんだが、慣れない人には何の事だか見当もつかない。

 例えば、この世界の情報ネットワークを示す「クインターネット」。名前からしてインターネットの進化版で、量子コンピュータや量子ネットワークを使ったモンなんだろう、と当たりはつく。が、作品中では名前が出てくるだけで、なんの説明もなく話が進んでゆく。

 じゃどうでもいいネタなのかというと、そうでもない。この作品の大事な登場人物?である両球派が成り立つために、どうしても必要になる基礎技術の一つでもある。

 なんたってヒトの脳が発する信号を、ほぼリアルタイムで、多くの脳で共有しようなんて話だ。要求される通信容量は桁違いである。これを捌くには新世代の通信技術が必要で、となれば量子ネットワークだろうなあ。

 なんて所まで、たった一つの言葉「クインターネット」に押し込めちゃってる。実に手ごわい。

 その分を、豪華44頁もかけた参考文献で補っている…のはいいが、一部の文献は2055年や2072年や2093年だったりと、なんとも意地が悪いw

 さて、その両球派。高度な技術を投入した結果、出来上がった集合知性はたいしたもので、「特許局の仕事の半分を占領」するほど。とはいえ、その代価も高い。なんたって脳をいじっちゃった結果、「現実世界では、手助けがないと道路も横断できない」。ある意味おバカでもあったり。

 そんなわけで、砂漠の真ん中に修道院を建て、そこに閉じこもっているんだが、楽しいのは修道院の防衛システム。なんとも奇想天外なシロモノながら、ある世代の日本人には妙に懐かしかったり。そう、砂の嵐に守られているのだ。わはは。

 賢いながらも、ある意味おバカな両球派、これを俗な言い方をすれば「賢さには代価が要る」で終わりそうだが、その代価がオーディンの片目(→Wikipedia)のようにわかりやすい形じゃないのが、この作品のテーマの一つ。

 何より、物語で重要な役割を果たす者たちが、主人公のブリュクスより賢い奴らばかり、という構造が皮肉だ。

 先の「ブラインドサイト」では、意識が重要な主題だった。それはこの作品でも同じで、意識なき知性の脅威が、主にヴァレリーを通して何度も繰り返し強調される。と同時に、語り手が現生人類である点も、小説としての工夫の一つ。

 両球派や吸血鬼に、いいように小突き回され、それでも連中の裏をかこうと工夫を凝らすブリュクスのあがきは…

 最新科学の成果を駆使した大量のガジェットをブチ込み、異様な世界の中で異形の者たちに囲まれた主人公の恐怖で追い打ちをかけて読者の脳をオーバーヒートさせつつ、冷徹かつ壮大な世界観へと導く問題作。時間をかけ、頭を冷やしながら、じっくり読み解こう。

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2017年9月17日 (日)

ギルバート・ウォルドバウアー「食べられないために 逃げる虫、だます虫、戦う虫」みすず書房 中里京子訳

陸地と淡水にすむ肉食動物にとり、昆虫は抜きん出て豊富に存在する動物性食物源だ。
  ――プロローグ

昆虫は、優秀な生化学者だ。
  ――第八章 身を守るための武器と警告シグナル

【どんな本?】

 昆虫は、あらゆる所にいる。しかもたくさん。単位面積あたりの総重量でも、昆虫がトップを占める。それだけに、昆虫は他の生物の重要な食料でもある。植物から肉食動物に至る食物連鎖でも、植物と他の生物をつなぐ役割を担っている。

 とはいえ、昆虫も黙って食われるわけにはいかない。群れ、隠れ、逃げ、騙し、脅し、刺し、毒を盛り、食べられないために様々な工夫を凝らす。食べる方も必死だ。餌で釣り、罠を仕掛け、他の生き物を利用する。

 食う者と食われる者の不思議で巧みな戦略を紹介しながら、生き物たちの驚きに満ちた生態を語り、生物学の面白さを伝える、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How Not to Be Eaten : The Insects Fight Back, by Gilbert Waldbauer, 2012。日本語版は2013年7月23日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約259頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×259頁=約209,790字、400字詰め原稿用紙で約525枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。虫に抵抗がなければ、中学生でも楽しめるだろう。ただ、馴染みのない虫や鳥が続々と出てくるので、その度に Google などで調べていると、なかなか先に進めない。特に擬態のあたりは要注意。唖然としてそのままネットの海に入り込む危険が高い。

【構成は?】

 一応、頭から順に読む構成になっている。が、面白エピソードを並べる形で話が進むので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • プロローグ
  • 謝辞
  • 第一章 生命の網をつむぐ昆虫
  • 第二章 虫を食べるものたち
  • 第三章 逃げる虫、隠れる虫
  • 第四章 姿を見せたまま隠れる
  • 第五章 鳥の糞への擬態、さまざまな偽装
  • 第六章 フラッシュカラーと目玉模様
  • 第七章 数にまぎれて身を守る
  • 第八章 身を守るための武器と警告シグナル
  • 第九章 捕食者の反撃
  • 第十章 相手をだまして身を守る
  • エピローグ
  •  訳者あとがき/主な引用文献/索引

【感想は?】

 そう、一応は一つの流れがあるのだが、あまり気にしなくていい。

 この本の面白い所は、次々と紹介される昆虫やそれを食べる捕食者たちの生態だ。テレビの自然ドキュメンタリーを楽しむ気分で、気楽に読もう。

 いきなり「そうだったのか!」と気づかされたのは、蝶や蛾の鱗粉。単なる模様かと思っていたが、とんでもない。生き延びるための工夫だった。ネバネバするクモの巣に捕まっても、鱗粉がはがれるだけで、本体は逃げおおせることができる。そういう意味があったのか。

 農家にとってイモムシは敵かと思ったが、そうでないイモムシもいる。カイガラムシ類を食べるイモムシだっているのだ。二万五千種のうち50種だけだけど。もっとも、実際に生物農薬として使われるのは、テントウムシが多いようだ。

 やはり知らなかったのが、蚊柱。いかにも刺されそうだが、あれオスだけの群れなのね。だから刺さない。あまりビビる必要はなかったのか。そうやって群れていれば、鳥やトンボが襲ってきても、群れの外側にいるはぐれ者が食われるだけで、他の者は食われずに済む。群れには意味があるんだなあ。

 かと思えば、化学兵器で反撃する者もいる。今の日本で話題のヒアリも出てくるが、ホソクビゴミムシ(俗称ヘッピリムシ)も凄い。なんと摂氏100℃の液体を尻から噴射するのだ。

 彼らの腹には燃料タンクが二つあって、それぞれ過酸化水素水とヒドロキノンが入ってる。この二つを混ぜて高熱のベンゾキノンを作り、噴射管から発射する…って、まるきしロケット・エンジンだね。

 などと強力な化学兵器を持つ昆虫は、ヒトにも生物・化学兵器として利用されたり。なんと古代ギリシアからローマ帝国の時代にまで遡れるというから、業が深い。つまりはミツバチの巣を投石器で敵の城に投げ込むのだ。怒ったミツバチは周囲のヒトを刺しまくり…。ひええ。

 とはいえ、食う方も黙ってやられちゃいない。ゴミムシダマシも似たような手を使うが、バッタネズミは一枚上手だ。捕まえたゴミムシダマシの腹を砂の中に埋め、「分泌物を無駄に砂の中に噴射させてしまう」。インスタント泥抜きかい。その上で頭から食べ、邪魔な「腹部先端は食べ残す」。賢いなあ。

 毒抜きには他の手もある。

 バッタの一種ラバー・グラスホッパーは、食われそうになると臭い泡を胸から出す。お陰で多くの鳥やカエルは逃げ出すが、勇者もいる。アメリイカオオモズだ。捕まえた「バッタをイバラのトゲに刺し、一~二日経って、バッタの化学的防御物質の一部が分解してから食べる」。モズのはやにえは、天日干しの毒抜きって意味があるのかも。

 とかの虫や鳥の生態は面白いが、それを追う人間の生態も面白い。

 男の子なら、カブトムシやクワガタムシを捕まえるため、特製のジュースを樹に塗り付けた事があるだろう。似たような事を大人になってもやってる人たちがいる。ただし彼らの獲物は甲虫じゃなく、蛾だ。日没前に特製ジュースを樹に塗り、夜に見に行くのだ。皆さん秘密のレシピがあるとか。

 このジュース、ビールやラム酒を混ぜるためか、蛾や蝶も「酩酊してまっすぐ歩くこともできず」って、虫もアルコールに酔うんだなあ。

 コウモリが超音波で「見る」のは有名だが、これが判明する過程も、ちょっとした物語。

 18世紀末までは「魔力だと思われていた」。18世紀末にラザロ・スパランツァーニは、コウモリに目隠したり目を取り去ったりしたが、やっぱり影響なし。コウモリも災難だなあ。次いでチャールズ・ユリネがコウモリの耳に耳栓をしたら、効果てきめん。どうやら音が大事らしいと判明する。

 謎を解いたのはドナルド・グリフィン、1950年代になってから。磁気テープのアメリカでの普及が1950年代(→Wikipedia)だから、そのお陰かも。にしても、よくもまあ、超音波だなんて思いついたねえ。

 などと、この本だけでも面白いが、Google で画像を漁ると、もっと楽しめる。特にビックリするのが、スズメガの一種ビロードスズメの幼虫(→Google画像検索)。是非、ご覧いただきたい。あ、でも、心臓の弱い人は要注意。

 と、食べられないための虫の工夫も面白いし、それを狩る鳥やネズミの賢さも楽しい。それ以上に、彼らを調べる動物学者たちの生態も可笑しい。虫を中心とした、バラエティ豊かな「どうぶつの本」。リラックスして楽しもう。

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