2024年2月22日 (木)

楢崎修一郎「骨が語る兵士の最後 太平洋戦争 戦没者遺骨収集の真実」筑摩書房

本書は、2011年から2018年まで、私が17回にわたって太平洋地域を中心に派遣された遺骨収集とその鑑定の物語である。
  ――おわりに

いまだに最後の様子もわからない兵士の骨が、戦後70年以上が過ぎた現在も、太平洋地域を中心とした激戦の地、玉砕の島々には数多く眠ったままだ。
  ――はじめに

現時点で大掛かりに遺骨収取に取り組んでいる国は、日本とアメリカの二ヵ国しかない。
  ――第1章 幻のペリリュー島調査

【どんな本?】

 太平洋戦争では、多くの将兵や民間人が亡くなった。海外での戦没者は(硫黄島と沖縄を含め)約240万人とされている。その多くは現地に葬られ、または海に流された。著者は主に厚生労働省の遺骨収集事業に同伴し、人類学者として遺骨の判定を行ってきた。

 というのも。骨が出てきても、必ずしも日本人の骨とは限らない。米軍将兵や現地人、果ては獣骨の場合もあるからだ。

 人類学者は、いかにして骨を見分けるのか。その際に、どんな事柄に配慮するのか。などの学術的な話題に加え、戦没者の遺骨収集の現場の様子を現地で遭遇するトラブルも含めて語る、ちょっと変わったルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年7月15日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組本文約215頁。9.5ポイント41字×16行×215頁=約141,040字、400字詰め原稿用紙で約353枚。文庫ならやや薄め。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、ときどき人類学の専門用語が説明なしに出てくる。日本語の嬉しい性質で、「伸展葬」とかは文字を見ればだいたい意味が分かるのはいいが、寛骨(→Wikipedia、俗にいう骨盤の一部)など、主に骨の名前が多い。

 また、アチコチに地図があるので、栞を多く用意しよう。

【構成は?】

 はじめに~第2章までは基礎知識を語る所なので、最初に読もう。第3章~第6章はそれぞれ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに
  • 第1章 幻のペリリュー島調査
    • 1 遺骨収集へのきっかけ
    • 2 各国の遺骨収集の比較
  • 第2章 骨を読む
    • 1 遺骨は誰が鑑定するのか
    • 2 骨の読み方
  • 第3章 撃墜された攻撃機 ツバル共和国ヌイ環礁
    • 1 現地調査までの困難
    • 2 現地到着から調査開始まで
    • 3 発見
  • 第4章 玉砕の島々
    • 1 銃殺された兵士 マーシャル諸島クェゼリン環礁
    • 2 集団埋葬の島 サイパン島
    • 3 不沈空母の島 テニアン島
    • 4 天皇の島 パラオ共和国ペリリュー島
  • 第5章 飢餓に苦しんだ島々
    • 1 処刑も行われた島 マーシャル諸島ミリ島
    • 2 日本のパールハーバー トラック諸島
    • 3 水葬の島 メレヨン環礁
  • 第6章 終戦後も戦闘が行われた島 樺太
  • おわりに
  • 参考文献/太平洋戦争関連年表

【感想は?】

 著者は人類学者、それも文化ではなく自然人類学者だ。その本領が出ているのが、第2章「骨を読む」。ここでは、人体の骨の構成から性別や年齢や民族ごとの違いなどを、駆け足で語ってゆく。

 骨盤で男女が判るのは有名だが、歯だけでも専門家が見れば多くの情報が得られるのが分かる。

我々アジア人の前歯と呼ばれる上顎切歯の裏は、凹んでいる。
  ――第2章 骨を読む

 とかね。ココを読んだとき、思わず自分の歯を指でまさぐってしまった。この歯による鑑定は、後の章でも日本人と現地人の判別で頻繁に登場するので覚えておこう。

 と書くと、著者は骨の形を見るだけのように思われるが、とんでもない。例えば「第3章 撃墜された攻撃機」では、探すべき陸攻の記録を調べ、一式陸攻ではなく96式陸攻じゃないか、などと当たりをつけている。当時の戦況や部隊の構成など、できる限りの情報を集めた上で現地に赴いているのだ。もはや探偵である。

 もちろん、集めるのは帝国陸海軍の情報だけではない。現地の分野や風習なども、遺骨の判定の重要な手がかりとなる。

全員、頭を北に向け、足を南に向けた伸展葬である。現地の人々は逆で、頭は南で足は北だという。
  ――第5章 飢餓に苦しんだ島々

 このあたりは、文化人類学の領域だろう。南洋の島々が多いだけに、ピンロウジュ(→Wikipedia)に染まった歯が決め手になったり。

 かと思えば、分かりやすい証拠として帝国陸軍の手榴弾が出てきたり。かなり危ない作業でもあるのだ。特に切なかったのが、ペリリューの話。

ペリリュー州の法律で、地表から15cmまでしか掘ってはならないという。この15cmの根拠はよくわからないが、地雷や爆弾が埋まっている可能性があるためという説明を後で受けた。
  ――第4章 玉砕の島々

 勝手にやってきた連中が勝手に争ったため、現地の人々が今でも不便な思いをしているのだ。彼らの気持ちは複雑だろう。そのためか、「そこは俺の土地だから金を払え」とゴネられたり。そういった、現地の人々への心遣いも遺骨収集を巧く進める大事なコツ。

現地の人々の共同墓地で発掘調査をする際は、衆人環視の中で説明しながら行うことが重要である。
  ――第3章 撃墜された攻撃機 ツバル共和国ヌイ環礁

 ヨソ者がやってきて俺たちの墓を掘り返すとなれば、そりゃ心穏やかではいられない。たいてい、専門家がやる作業なんて素人には意味不明である。そこで、あらぬ誤解を避けるために、「今は何をしてるか、この作業にはどんな意味があるのか、それで何が分かったのか」を野次馬たちに説明し、理解してもらえるように努めるのだ。こういう細かいことが大事なんだろうなあ。

 それと、もう一つ意外だったのが、遺骨収集団のスケジュールが極めて厳しい点。なにせ南洋の島々だけに、現地にたどり着くまで3日ぐらいかかる。しかも船のエンジンが止まるなど、トラブルに見舞われることもしばしば。にもかかわらず、許された日程が8日ぐらいだったりで、実際の作業に充てられるのが2~3日しかない。せめて一カ月ぐらいかけてもいいんじゃないかと思う。

 かつての戦場を訪れ亡くなった方々の最後を再現する作業だけに、どうしても悲惨な場面を思い起こさなきゃならん場合もある…というか、特にテニアン島やサイパン島は民間人の犠牲者も多いため、なかなか読んでいて辛かった。

サイパン島やテニアン島の洞窟を調査していると、時々、部分的に焼けた焼骨が出土することがある。これらは恐らく、米軍による火炎放射器による犠牲者であると推定される。
  ――第4章 玉砕の島々

 この辺、著者はあくまで学者として冷静な姿勢を保っているが、故人の想いが起こしたかのような奇妙な出来事もあって、オカルトと片づけたくもあるが、そういった所に著者の故人に寄せる追悼の気持ちが表れているようにも感じるのだ。

 終盤、ペレストロイカの影響で入国が許された樺太での活動に続き、最後の「おわりに」で語る著者の、「いつの日か、ビルマに収骨する日が来ることを望んでいる」との想いが切ない。

 人類学者としての遺骨の判別という、いわば単なる事実確認を求められる立場で体験した事柄を書いた本だけに、乾いた筆致を心がけた文章が続く。が、行間には故人を悼む気持ちが滲み出ている。

 遺骨収集とは、過去にケリをつける儀式ではない。まさしく過去を掘り返し、私たちの眼の前に突きつける、厳しい歴史の授業なのだ。

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2024年2月20日 (火)

SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2024年版」早川書房

 今年も出ました年に一度のお祭り本。

 ベストSF2023の国内篇はフレッシュな顔ぶれが多くて、今の日本SF界が盛り上がってるのがよくわかる。海外篇は「やっと出たか」的な作品がアチコチにあるのが嬉しい。あと、竹書房の活躍も期待が高まる。そういやクリストファー・プリーストは…よく間に合ったと考えよう、うん。とか言いつつ、ベストSFに入ってる作品は一作も読んでないんだけど。

 「国書刊行会50年の歩み」って、そんな本が出てたのか…と思ったら小冊子かあ。手に入れるの難しそうだなあ。悔しい。

 科学ノンフィクションは ChatGPT と AI が大暴れ。俺的には大規模言語モデルを AI と呼びたくて、懐かしの論理的なモデルの復活を願うんだが、これも世の流れか。SFコミックも AI やロボットが人気だなあ。

 SFドラマは「全て配信作品になった」。カネのかかるSF物も、配信ならモトが取れるんだろうか。ちなみに全部海外作品。

 そういや漫画や小説の映像化で原作改変が話題になってるが、私は「バーナード嬢曰く。」の実写化なら原作改変というか登場人物全とっかえも許すぞ。例えば舞台は区立図書館で登場人物は近所に勤める男女。これならセットも衣装も金をかけずに済む。いっそ15分番組でドラマ部分は3分程度、残り時間はゲストの芸能人が好きな本について喋る、とか。で、最初のゲストは池澤春菜で。いや別に何も企んでないです、はい。

 第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞を受賞しSFマガジン2024年2月号の冒頭を飾った衝撃作の間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」は3月に書籍化。これを機に多くの人に読まれるといいなあ。 

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2024年2月16日 (金)

デニス・ダンカン「索引 ~の歴史 書物史を変えた大発明」光文社 小野木明恵訳

本書は索引について、つまりは一冊の本を構成要素、登場人物、主題、さらには個々の単語へと細分化したものをアルファベット順に並べた一覧表についての本である。
  ――序文

索引を作ること、しかも小説の索引を作ることは、解釈をすることでもある。将来の読者が何を調べたいと思うか、どういう語を使って調べたいと思うかを予測しようとする作業でもある。
  ――第6章 フィクションに索引をつける ネーミングはいつだって難しかった

【どんな本?】

 索引。主にノンフィクションの巻末にある、キーワードとページ番号の対応表。調べたいテーマ=何について知りたいかが分かっている時に、手っ取り早くソレが載っている所を見つけるための道具。いわば本の裏道案内図。

 私たちが「索引」という言葉で思い浮かべる印象は、散文的なものだ。それは機械的に決まった手続きに従って生成される表であり、コンピュータが進歩した現代なら自動的に作れるはず。例えば、Adobe InDesign には索引自動生成機能がある。

 と、思うでしょ。ところがどっこい。いや、実際、地味で機械的な作業もあるんだけど。

 書物が生まれてから現在の形になるまで、索引はどのような経緯を辿ったのか。それを世の人びとは、どのように受け取ったのか。本が巻物だった時代から写本の時代・グーテンベルクの印刷を経て現代の電子出版まで、索引はどんな役割を期待され果たしたのか。

 書物と共に発達し進歩してきた索引とそれに関わる人々の足跡を辿り、索引の持つ意外な性質と能力を描く、書物マニアのための少し変わった歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Index, A History of the, by Dennis Duncan, 2021。日本語版は2023年8月30日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約290頁+訳者あとがき6頁に加え、索引がなんと3種類で88頁。10ポイント48字×18行×290頁=約250,560字、400字詰め原稿用紙で約627枚。文庫ならちょい厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。当然、本の歴史と密接に関わっているが、必要な事柄は本書内で説明しているので、前提知識がない人でも読みこなせるだろう。自分で蔵書やCDの目録を作った経験があると、更に楽しめる。

【構成は?】

 原則として時系列順に話が進むが、各章はほぼ独立しているので、気になった所を拾い読みしてもいい。もちろん、巻末の索引を頼りにしてもいい。

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  • 序文
  • 第1章 順序について アルファベット順の配列
  • 第2章 索引の誕生 説教と教育
  • 第3章 もしそれがなければ、どうなるのだろうか? ページ番号の奇跡
  • 第4章 地図もしくは領土 試される索引
  • 第5章 いまいましいトーリー党員にわたしの『歴史』の索引を作らせるな! 巻末での小競り合い
  • 第6章 フィクションに索引をつける ネーミングはいつだって難しかった
  • 第7章 「すべての知識に通ずる鍵」 普遍的な索引
  • 第8章 ルドミッラとロターリア 検索時代における本の索引
  • 結び 読書のアーカイヴ 
  • 原注/謝辞/訳者あとがき
  • 図表一覧
  • 索引家による索引
  • コンピュータによる自動生成索引
  • 日本語版索引

【感想は?】

 マニアックなテーマを扱うマニアックな本だ。書名でピンとくる人には間違いなく面白いが、興味のない人は「なぜこんな本が?」と思う。それでいいのだ。

 まず驚いたのは、索引家なる人たちが居ること。現代では索引作成を職業とする人だが、趣味というか凝り性で索引を作る人もいる。有名なヴァージニア・ウルフもその一人だ。中には自著の索引に凝って新作を書く暇がなくなったサミュエル・リチャードソン(→Wikipedia)なんて作家もいる。意外と索引作成は創造的な仕事なのだ。

 その創造性が身に染みてわかるのが第5章なんだが、ここではイギリス人らしい意地悪さを索引で発揮してる。

 散文的な話では、やはり書物の形や出版方法、そしてモノの考え方が、索引の誕生に関わっているのが面白い。

 たいてい、索引はアルファベット順(日本語ならあいうえお順)だ。ここでは、言葉から意味をはぎ取り、記号の列として機械的・数学的に順序付ける発想が必要になる。言葉からいったん意味を奪うことで、その言葉に関係深い文章へと読者を誘う。面白い皮肉である。

索引は、作者ではなく読者のためのものであり、アルファベットの任意の順序と深く結びついているからだ。
  ――第1章 順序について アルファベット順の配列

 現代の索引は、キーワードとページ番号の表だ。キーワードはともかく、ページ番号は書物が現代の形だからこそ意味がある。パピルスの巻物や、冊子本=コーデックス(→Wikipedia)じゃページ番号そのものがない。それでも、当時の人びとは、目的とする部分を書物の中から見つけやすいように、ソレナリに工夫してきたらしい。

索引は、単独で登場したのではなく、13世紀初頭を挟んで前後20~30年のあいだに現れた読者のためのさまざまなツールという一家のなかの末っ子なのだ。
そして、それらのツールにのすべてにはひとつの共通点がある。
読書のプロセスを合理化し、本の使いかたに新たな効率性をもたらすために作られたという点である。
  ――第2章 索引の誕生 説教と教育

 そのページ番号も、グーテンベルクの活版印刷が普及して暫くは、あまり普通じゃなかった。当時の印刷屋は本文を組むのが精いっぱいで、本文の外にページ番号や柱(→武蔵野美術大学 造形ファイル)をつける発想や余裕がなかったんだろう。

15世紀の終わりの時点でもまだ、印刷された本のおよそ10%にしかページ番号は存在しなかった。
  ――第3章 もしそれがなければ、どうなるのだろうか? ページ番号の奇跡

 さて、そんな索引は、目的の知識への近道でもある。こういう、知識を得る新しい技術が出てくると、それを歓迎する人と否定する人が出てくるのも世の常だ。現代のインターネットをめぐる議論と似たような議論を、ソクラテスが文字や書物をめぐって展開してたり。

印刷技術が誕生してから200年のあいだに作られた本の索引にたいする評価は、今もって、ソクラテスのように、急激に拡大していくテクノロジーにやるせない憤りをおぼえる者たちと、パイドロスのように、喜んでテクノロジーを活用する者たちのあいだで分かれている。
  ――第4章 地図もしくは領土 試される索引

アレグザンダー・ポープ「索引を使った学問では学徒は青ざめず/ウナギのような学問の尾をつかむ」
  ――第5章 いまいましいトーリー党員にわたしの『歴史』の索引を作らせるな! 巻末での小競り合い

 などと索引をめぐる歴史的な話が中心の中で、終盤の第8章は少し毛色が違う。索引が当たり前となった20世紀からコンピュータの助けが得られる現代の物語である。何より嬉しいのは、実際に索引を作る手順を詳しく説明していること。「コンピュータならCTRL+Fでたいがいイケるんじゃね?」とか「出てくる全部の番後にページ番号つけりゃいいじゃん」とかの甘い目論見を、木っ端みじんに粉砕してくれる。

機械でスピードアップできることは、ソートやレイアウト、エラーチェックなどスピードアップが可能な作業だけだ。今もなお主題索引を編集する作業はおおむね、人間が行う主観的な仕事である。
  ――第8章 ルドミッラとロターリア 検索時代における本の索引

 でも、最近流行りのLLM=大規模言語モデル(→Wikipedia)なら…いや、ちと工夫が必要だなあ。

 もちろん、細かいエピソードは盛りだくさんだ。私はウィリアム・F・バックリー・ジュニアがノーマン・メイラーに仕掛けたイタズラが好きだ。あと、ペーター・シェイファーの賢い販売戦略も。

 マニアックなテーマだけに、万民向けじゃない。でも、書名に惹かれた人なら、読む価値は充分にある。本、それもノンフィクションが好きで、書棚の空きがないと悩む人には、悩みを更に深める困った本だ。

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2024年2月 8日 (木)

ダニエル・オーフリ「患者の話は医師にどう聞こえるのか 診察室のすれちがいを科学する」みすず書房 原井宏明・勝田さよ訳

本書では、何名かの医師と患者が歩んだ道筋をたどり、一つのストーリーが人から人にどのように伝わるかを考察する。
  ――第1章 コミュニケーションはとれていたか

…患者がその数字をもとに医師を選択するとはかぎらない。患者は、信頼できる医師を選ぶ傾向がある。
  ――第2章 それぞれの言い分

「医学部の授業では、患者に悪いニュースを伝えなければならないときは、その後に大事なことは一切言うなと教わります。悪い知らせを聞かされた患者は聞く耳を一切持たないからです」
  ――第3章 相手がいてこそ

ストーリーを語るという行為は語り手にとってとても治療的であり、そしてそれを聞くことも聞き手にとって治療的である。
  ――第5章 よかれと思って

敬意のこもったふるまいには伝染性がある。
  ――第13章 その判断、本当に妥当ですか?

【どんな本?】

 問診。医師が「どうしましたか?」と問い、患者が「腹が痛くて…」などと答える。それこそ医療が呪術師の領分だった大昔からの、医療の基本だ。

 顕微鏡以来、医学や薬学は長足の進歩を遂げた。レントゲン,CTスキャン,MRIなど、最新技術を駆使した医療機器も充実してきた。だが、基本となる問診は、どうだろう?

 内科医の著者が、自らの経験や先輩友人知人に加え患者への取材、そして師からの教えを元に、問診の重要性とその技術を磨くことの大切さを訴える、医師向けの啓蒙書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は What Patients Say, What Doctors Hear, by Danielle Ofri, 2017。日本語版は2020年11月10日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約275頁に加え、原井宏明による訳者あとがき2頁。9ポイント48字×19行×275頁=約250,800字、400字詰め原稿用紙で約627枚。文庫なら厚めの一冊分。

 意外と文章はこなれていて読みやすい。医学の本だけに専門用語はビジバシ出てくるが、「何か専門的な事を言ってるんだな」ぐらいに思っていれば充分だ。内容も特に難しくない。中学生でも読みこなせるだろう。敢えて言えば、病院に行って「なんかぶっきらぼうだよな」「先生、怖い」などの不満を抱えた経験があると、より切実に感じるだろう。

【構成は?】

 各章は緩やかに結び付いているが、それぞれ独立したエピソードを中心としているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 第1章 コミュニケーションはとれていたか
  • 第2章 それぞれの言い分
  • 第3章 相手がいてこそ
  • 第4章 聞いてほしい
  • 第5章 よかれと思って
  • 第6章 なにが効くのか
  • 第7章 チーフ・リスニング・オフィサー
  • 第8章 きちんと伝わらない
  • 第9章 単なる事実と言うなかれ
  • 第10章 害をなすなかれ それでもミスをしたときは
  • 第11章 本当に言いたいこと
  • 第12章 専門用語を使うということ
  • 第13章 その判断、本当に妥当ですか?
  • 第14章 きちんと学ぶ
  • 第15章 ふたりの物語が終わる
  • 第16章 「ほんとうの」会話を
  •  謝辞/訳者あとがき/出典と註/索引

【感想は?】

 「患者は医師にどう語るべきか」な本だと思ったが、まったく違った。医師向けの本で、「医師は患者の話をどう聞くか」みたいな内容だ。

 じゃ医療と関係ない人には役立たないかというと、そうでもない。

 というのも。医師と患者の関係は、平等じゃない。たいていの場合、医師が圧倒的に強い。なんたって、患者は命を握られているのだ。専門知識だって、ない。血液検査の結果を見たって、チンプンカンプンだ。というか、様々な検査をするが、その意味や役割すら分からない。

 おまけに、医師は忙しい。一日に何十人もの患者を診る。患者からすればたった一人の医師だが、医師にとっては沢山の患者のうちの一人でしかない。

 そんな、いわば権力の勾配がある両者で、キチンと会話が成り立つのか?

 そう、往々にして、成り立っていない。いや強い側つまり医師は成り立っていると思っているが、患者はそうじゃない。医師の言葉が理解できなかったり、「ちゃんと話を聞いてくれない」と不満を抱いたりする。

イギリスの二人の心臓専門医が、自分たちの病院の患者にアンケートをとったところ、その多くが、心不全、ステント、心臓弁からの漏れ、エコー、不整脈といった、循環器病棟で常用される用語を正しく定義できていないことがわかった。
  ――第12章 専門用語を使うということ

 本書では医師と患者の関係だが、似たような関係は世間でよくある。上司と部下・教師と生徒・役人と民間人など、「強く忙しく大勢を相手にする側」と「弱く頼るしかない側」での会話だ。

 この勾配が、事態をややこしくする。医療で必要な事柄が、必ずしもちゃんと聞き出せるとは限らない。

診察でいえば、一人の医師の平均的な診察日に、診察の主目的まで容易に到達できない患者が数名いるということだ。
  ――第11章 本当に言いたいこと

 まあ、こういうのは、計算機屋も往々にして経験している。「それ、先に言ってよ~」って奴だ。もっとも、大抵の場合、権力勾配は計算機屋が圧倒的に弱いんだがw そういう経験をした計算屋は、次の言葉に深く頷くだろう。

患者は最良の教師だ。
  ――第14章 きちんと学ぶ

 計算機屋との共通点は、他にもある。最近になって、便利なツールが爆発的に増えた。楽になったようだが、そうでもない。というのも、それぞれの案件について、選択肢が増えすぎて最適なツールを選ぶのが却って難しくなってきたからだ。結局、使い慣れた道具に頼ったり。

過去半世紀の間に医学の知識と治療の選択肢は爆発的に増えたが、すべてをやりとげるのに使える時間は昔と変わらず15分程度である。
  ――第16章 「ほんとうの」会話を

 そんなワケで、計算機屋でも聞く技術の重要性は増してるんだが、それを体系立てて教える教程って…あるのかなあ。まあいい。少なくとも医学界では、幾つかの抵抗にあいながらも、ジワジワと広がっているらしい。

 その抵抗する気持ちも、ちょっとだけわかる気がする。

何世紀も前からシャーマンが使用している技術が、100万ドルをかけた大規模臨床試験の裏づけがある医薬品と同じくらい効果的であるという話には、(医師は)なにか漠然と不愉快さを感じる。
  ――第6章 なにが効くのか

 計算機屋なら、「そんな暇があったら新しい言語を学ぶ」みたいな感じ? とまれ、医師がじっくり話を聞くことの重要性を、認めた政府もあるのだ。

最近、オランダ政府は、傾聴の医療保険コードを承認した。つまり医師は、処置や検査と同じように、診察の一部として堂々と患者の話を聞けるということだ。
  ――第7章 チーフ・リスニング・オフィサー

 他にも、医療以外で役立つ話は結構ある。やはり計算機屋が苦しむのが、トラブル対応だ。計算機屋が集まってガヤガヤやっているが、肝心の顧客は置いてけぼり、なんてケースも昔は珍しくなかった。

ベンソン夫人は、文字通りの意味でも比喩的にも、廊下に取り残された。
  ――第10章 害をなすなかれ それでもミスをしたときは

 まあ、往々にしてしょうがないんだけどね。少なくとも原因が判明するまでは。でもって、イライラしてつっけんどんな対応しちゃったり。

医学は、私たちが期待するよりずっと不明瞭だ。だから、質問の紙が広げられたときから、自分があいまいな表現に終始することが――そして相手を失望させてしまうことが――予想できてしまう。私もそうだが、患者もいらいらするだろう。
  ――第4章 聞いてほしい

 また、要求仕様の確認とかだと、最近はキチンと文書でやりとりするんだろうけど、急ぎの仕事だと口頭でやりとりしたり。

事実を手短かに言いかえたいときは、最初に「きちんと理解できているかどうか確認させてください」と言えば簡単だ。このフレーズは、事実をはっきりさせるのに適した方法であるのみならず、本当に話を聞いているという、患者への確かな合図にもなる。
  ――第9章 単なる事実と言うなかれ

 もっとも、異様に気が短い相手だと、こっちが復唱してる時に口をはさんできたりするんだよなあ。なんなんだろうね、あれ。まあいい。

 他にも、人を説得する際の技術がちょっとだけ書いてあったり。

事実を繰り返し叩き込む戦略によって望ましい結果が得られることはほとんどない。
  ――第5章 よかれと思って

 どないせいちゅうねん、と思った方は、本書を読んでください。

 そんなワケで、「患者が気を付けるべきこと」ではなく、「医師が心がけること」の本であり、医師向けの本である。ではあるが、医療に素人の私でも楽しく読めた。エピソードは医療に限っているが、これはヒトとヒトとの会話の本なのだ。コミュニケーションに興味がある人や、オリヴァー・サックスのファンにお薦め。

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2024年2月 4日 (日)

SFマガジン2024年2月号

2123年10月1日ここは九州地方の山おくもうだれもいないばしょ、いまからわたしがはなすのは、わたしのかぞくのはなしです。
  ――間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」

 376頁の標準サイズ。

 特集は「ミステリとSFの交差点」として短編4本+座談会&作品ガイド。

 小説は10本。うち連載は5本、特集「ミステリとSFの交差点」で4本、加えて第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作「ここはすべての夜明けまえ」一挙掲載。

 連載5本。神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第11回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第51回,飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第21回,吉上亮「ヴェルト」第一部第四章,夢枕獏「小角の城」第73回。

 読み切り5本。特集「ミステリとSFの交差点」4本で、荻堂顕「detach」,芦沢央「魂婚心中」,大滝瓶太「恋は呪術師」,森晶麿「死人島の命題」。そして間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」。

 連載小説。

 神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第11回。深井零の代わりに、エディス・フォス精神科軍医の診察を受ける羽目になった桂城少尉。だが、診察とは名ばかりでビールを飲みながら雑談することに。

 今回も桂城少尉にスポットが当たる回。田村大尉とは違った意味で、桂城少尉のメンタルの強さが光る回。雪風もその辺を判ってるみたいなのが、なんともw そしてジャムの正体について、なかなか面白い考察が。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第51回。ハンターの選挙運動は好調だ。しかしシルヴィアと共に共感を失い暴走したラスティは、自分が元凶ではないかと悩む。共感は失っても忠誠は残っているのだ。この事態は更に悪化し…

 ハンターを中心としたクィンテットの描写が多いこの作品、今回もハンターの目論見が語られる部分では、「コレはコレでアリじゃね?」な気分になるから怖い。だってさ、もしハンターがもっと恵まれた環境にいたら、クィンテットの面子はだいぶ違ってたし、それに伴って手段も合法的な方法を取っただろうし…って、ソレはソレで怖いなあ。

 飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第21回。なんの因果かランゴーニに輿入れする羽目になったラーネア。嫁の役割りは何かと思えば、意外とラーネアの性分に合った…

 今までグロテスクな描写が多かったこの作品、今回もグロテスクな場面もあるが、絢爛豪華なシーンも少々。そしてトボけた爺さんかと思われたニムチェンが意外と…

 吉上亮「ヴェルト」第一部第四章。デロス島へ向かった聖船使節はアテナに帰ってきた。もはやソクラテスの処刑は逃れられない。最後の面会へと赴くプラトンに、ソクラテスは問答を持ち掛ける。

 今回はこの問答の場面が読みどころだろう。<テセウスの船>(→Wikipedia)を足掛かりとして、ソクラテスが世界観を広げてゆくあたりは迫力がある。

 特集から。

 荻堂顕「detach」。<柩>を守るかのように囲む6人の男女。互いの名も知らず、だが目的は一致していて、それぞれ武装している。目的地は14kmほど先。雨の中、推奨されたルートを辿り彼らは陣形を組んで進む。住宅地を通るが、人影はない。やがて雨は別の物に変わり…

 長編の冒頭部分。ミステリと言うよりホラーの雰囲気だ。最初はゾンビ物か?と思ったが、登場人物たちの脅威となるのはもっとおぞましいシロモノみたいだ。人間は滅びかけていて、登場人物たちは数少ない生き残り、という以外、世界設定はまだ明らかになっていない。

 芦沢央「魂婚心中」。配信の切り忘れの14秒で、私は浅葱ちゃんハマった。浅葱ちゃんを中心に暮らしのすべてが回り始めた。幼い頃は珍しい風習でしかなかった死後結婚だが、アプリ Konkon の普及とアップデートにより、フォロワー数がステータスとなる。浅葱ちゃん情報を嗅ぎまわり解析した私は、浅葱ちゃんの Konkon アカウントを突き止め…

 SNS や Youtuber と冥婚(→Wikipedia)を組み合わせた、ホラー風味の作品。初めてコメントを投稿する時の緊張と興奮とかは、自分でも覚えがあるだけに、とても生々しく感じた。

 大滝瓶太「恋は呪術師」。三人目の被害者が出た。みな心臓を鉄の矢で撃ち抜かれている。最初の犯行現場は繁華街で次は混雑した飲食店。だが目立ちそうな弓を持つ者を、誰も見ていない。担当となった刑事の地上歩は三件目の監視カメラを調べ、弓を背負う男を見つけるが、同僚には男が見えない。

 犯人も刑事も、疲れた勤め人ばかりなのが切ないw それに比べ、とっくの昔に仕事を辞めた某の、なんとのびのびしていることかw 出勤が辛い時の通勤電車では読んじゃいけない作品。

 森晶麿「死人島の命題」。抹殺された難民たちの中で、レノア・サノとアッシャーのただ二人だけが生き残った。その日、レノアはヴァシュターと名のる男に頼まれる。「<死人島>に関する命題を解いてほしい」

 アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」を意識した作品なのは分かるが、すんません、クリスティは「春にして君を離れ」しか読んでないです。

 最後に、第11回ハヤカワSFコンテスト特別賞受賞作「ここはすべての夜明けまえ」一挙掲載。

 間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」。101年前に亡くなった父の望みで、主人公は家族史を書き始める。病の苦しみから逃れるため融合手術を受けた主人公は、老いずに長い時を生きた。母は主人公を産む際に亡くなる。家族と呼べるのは、父、兄一人、姉二人、そして姉の息子一人。

 読み始めは「ひらがなばっかしで読みにくい」と思ったが、読み進めるに従い物語に引き込まれ、読み終えた後は暫く他の物語を読まず妄想に浸った。SFというより、文学として強烈なパワーがある。幾つかの点で、主人公はフリーレンに似てる。引きこもりで長命な割に幼く人の心の機微に疎い…と思ってたら。最後、主人公は大きな選択を迫られる。主人公の決意を、私は成長への望みと受け取った。前号の選評を読み返すと更に味わいが深まる。この作品を特別賞に推した選考委員を讃えたいし、ハヤカワSFコンテストに応募した作者にも感謝したい。読者によって多様な感想を抱く作品だ。

 ということで、間宮改衣「ここはすべての夜明けまえ」だけで充分以上に満足できた号です、はい。

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