2021年4月 7日 (水)

ケン・リュウ「生まれ変わり」新☆ハヤカワSFシリーズ 古沢嘉通・幹瑤子・大谷真弓訳

「あなたはもっとも合理的な存在になりたいとは思っていないでしょ」
「あなたはもっとも正しい存在になりたがっている」
  ――ビザンチン・エンパシー

【どんな本?】

 「紙の動物園」で大ヒットを飛ばすとともに、「三体」に代表される中国SFを精力的に紹介し、SF界の台風の目となったケン・リュウの20篇を収めた、日本オリジナル短編集第三段。

 今までと同様に、多彩な芸を活かしたバラエティ豊かな味が楽しめるとともに、著者の思想が最も強く出た作品集でもある。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2020年版」のベストSF2019海外篇で第4位に食い込んだ。

 なお、今はハヤカワ文庫SFより文庫版が「生まれ変わり」「神々は繋がれてはいない」の二分冊で出ている。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年2月25日発行。新書版で縦二段組み本文約499頁に加え、編者あとがき8頁。9ポイント24字×17行×2段×499頁=約407,184字、400字詰め原稿用紙で約1,018枚。文庫なら二分冊が妥当なところ。

 プログラムのソースコードが出てきたり、面倒な数学理論が展開したりするが、面倒くさかったらソコは読み飛ばして構わない。そういうのに拘るのは面倒くさいSFマニアだけです。いや自分のことは棚に上げてるけどw それより、その奥にある著者ならではの情感を楽しもう。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 原題 / 初出 / 訳。

生まれ変わり / The Reborn / Tor.com 2014年1月29日 / 古沢嘉通訳

「都合よくやつらが自分たちのやったことを忘れられるからといって、おれたちも忘れるべきということにはならん」

 地球はトウニン人に侵略された。記憶を失い続けるトウニン人は、歴史を軽んじる。トウニン人に恨みを抱き反乱を企てる地球人もいる。共存を目指すトウニン人は、そんな者たちが持つ恨みの記憶を奪い、別人として生まれ変わらせる。トウニン保護局の特別捜査官ジョシュア・レノンの目の前で、今日もトウニン人と生まれ変わりの地球人を狙うテロが起きた。
 SFとしては、常に記憶を失っていくトウニン人のアイデアが見事。未来志向と言うのは簡単だが、恨みを忘れろってのも無茶な話。なら記憶を消してしまえってのが、本作の重要なアイデア。実は現在のほぼすべての国や政府が、トウニン人でもあり地球人でもあるワケで、トウニン人と地球人に、どの国や政府を当てはめるかが、読者の政治的立場を写す鏡になる。
介護士 / The Caretaker / First Contact : Digital Science Fiction Anthology 2011年 / 大谷真弓訳

介護ロボットには、ひとつ長所がある――ロボットの腕のなかで裸になっても、恥ずかしさや照れはほとんど感じない。

 老いて妻を喪い、脳卒中で体の自由が利かなくなったチャーチは、介護ロボットのサンディの世話になる。最新のAIを搭載しているはずのサンディだが、チェスを知らないなど、微妙に間が抜けたところがある。どころか、信号を待たずに道路を突っ切ろうとするなど、致命的な欠陥すらあった。
 最近になって現場への投入が進みつつある、介護ロボットを題材にした作品。少し前にオンライン・ゲームで似たような話を聞いたけど、その使い方がいかにもケン・リュウらしい。「折りたたみ北京」収録の「童童の夏」に少し味わいが似ている。
ランニング・シューズ / Running Shoes / SQマグ16号 2014年9月 / 古沢嘉通訳
 家族を養うため、14歳のズアンは日に16時間、靴工場で働いている。ヴオン親方はズアンを目の敵にする。蒸し暑い夏の日、フラついたズアンは作業台に倒れ込み…
 これまた生々しいネタを、メルヘンっぽいファンタジイに包んだ作品。近年になって急速に進んだグローバル経済は、国際企業のアジアへの進出を促すが、まあ某社みたいな話もあるワケで。こんな黒い作品も書くんだなあ。
化学調味料ゴーレム / The MSG Golem / Unidentified Funny Object 2 2013年 / 大谷真弓訳

「汝はわたしと言い争うことはできるが、アインシュタインと言い争うことはできん」

10歳のレベッカは、両親とともに宇宙船<星雲のプリンセス号>でバカンスに出かけた。目的地はニュー・ハイファ。地球を出て二日目、神がレベッカに話しかける。「ゴーレムを作り、船内のネズミをすべて捕まえるのだ」
 この神はアブラハムの神、つまりユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神、創造主。10歳ながらも理知的で口が減らないレベッカと、愚痴っぽくて癇癪持ちな神の会話が、やたらと楽しいユーモア作品。フレドリック・ブラウンを現代風に洗練させたような雰囲気が心地いい。
ホモ・フローレシエンシス / Homo Floresiensis / Solaris Rising 3 2014年 / 古沢嘉通訳

「どこであれホモ・サピエンスがやってきたところでは、ほかのヒト属は消えてしまっている」

 鳥を研究する大学院生のベンジャミンは、調査のため一人でインドネシアを訪れた。一万八千以上の島からなるインドネシアには、前人未到の地域がたくさんある。妙なブツを売り込みにきた現地人と剣呑な雰囲気になったとき、現地に住み着いた研究者のレベッカが仲裁に入った。手打ちで買ったブツは小さな頭蓋骨で…
 孤立した部族といえば、インドの北センチネル島(→Wikipedia)が有名だ。インド政府は余計なおせっかいはしない方針だが、先の記事によると、なまじ有名になったためチョッカイを出す輩が増えたとか。
訪問者 / The Visit / オン・ザ・プレミシーズ13号 2011年3月 / 大谷真弓訳
 ある日、453機の探査機がやってきた。異星人のモノらしい。高さ150cm直径30cmぐらいお円筒形で、地面から30cmほど浮いている。人が近づくと離れていくし、音や電波や光による通信の試みは全て失敗した。きままにフラつくような探査機だが、その近くだと人は振る舞いが上品になる。マットとララは、探査機の前でイチャついてみせた。
 誰かに見られていると、人は振る舞いが変わる。プログラマも、公開するソース・プログラムは、ちと綺麗にコーディングする。外国人に自国を紹介する際は、いい所だけを見せようとする。ってことで、情報公開は大事なんですよ、という話なんだと、私は解釈した。いや昔からの持論に引き寄せて解釈しただけなんだけどね。
悪疫 / The Plague / ネイチャー2013年5月15日号 / 古沢嘉通訳
 母さんといっしょに川で魚を捕っているとき、大きな男が水の中に転がり込んだ。ガラスの鉢を頭にかぶり、分厚い服を着ている。ヒャダがない。ドームから来たんだ。母さんは言う。「助けられないよ」「空気も水も、この人たちには毒なんだ」
 先の「ホモ・フローレシエンシス」と、対を成すような作品。テーマは宮崎駿の某作コミック版と通じるものがあるが、5頁と短いだけに、メッセージはより直接的に伝わってくる。
生きている本の起源に関する、短くて不確かだが本当の話 / A Brief and Inaccurate but True Account of the Origin of Living Books / ソロモン・R・グッゲンハイム美術館何鴻殻家族基金中国美術展「故事新編/Tales of Our Time」カタログ 2016年 / 大谷真弓訳
本は変化しなかったが、読者は変化した。
 かつて、本は固定されたもので、生きてはいなかった。そこに命を吹き込もうとする者たちが現れた。また、本を書く機械を作ろうとする者たちもいた。
 ヴァネヴァー・ブッシュのmemex(→Wikipedia)などを引き合いに出しながら、本の進化を描く短編。読むたびに変わる本は面白そうだが、「ふたりの読者が同じ本を読むことはない」のは、ちと寂しい気がする。だって好きな本の感想を語りあえないじゃないか…と思ったけど、シミュレーションゲームのシヴィライゼーションとかは、ファン同士が活発に交流してるなあ。
ペレの住民 / The People of Pele / アシモフ2012年2月号 / 古沢嘉通訳
「われわれは生きている者に義務を負っているのであり、死者に負っているわけじゃない」
 地球から約29光年、主観時間で約30年間かけて、<コロンビア>号は惑星ペレにたどり着く。最初の太陽系外移民船だ。帰りの推進剤はない。冷凍睡眠から最初に目覚めた司令官シャーマンに続き、副司令官のクロウズが起きる。数日して、地球から通信が届く。30年前に発信した指令だ。「周辺の主な天体でアメリカの主権を主張せよ」。ペレでは奇妙な結晶体が見つかった。
 未知の惑星で見つかる異様な現象=結晶体は、SFの古典的な題材。ケン・リュウには珍しく(と言ったら失礼かもしれないが)、ちゃんと真っすぐにSFしてる。と同時に、背景に国家間の対立が深まる地球の情勢と、そこから30光年の空間と30年間の時間を隔てたペレを巧みに絡めるあたりは、しっかりケン・リュウならではの味。
揺り籠からの特報:隠遁者 マサチューセッツ海での48時間 / Dispatches from the Cradle : The Hermit : Forty-Eight Hours in the Sea of Massachusetts / Drowned Worlds 2016年 / 大谷真弓訳
これがぼくらの家なんだ。ぼくらはここで暮らしてる。
 地球は温暖化で海面が上昇し、金星や火星のテラフォームが進みつつある未来。高名なファイナンシャル・エンジニアのエイサは、全財産を現金化し家族とも縁を切り、サバイバル居住キットを買って海に出た。そんなエイサを追ってマサチューセッツ海でかけたわたしは、幸い彼女に客として招かれる。
 温暖化により気候も地形も大きく変わった地球の風景をじっくり描いた作品。ボストンの市街が魚の住処になっている場面が印象に残る。確かに都市は地形が複雑だから、いい人工漁礁(→Wikipedia)になりそうだ。機構や地形が変われば人の集う所も変わるわけで、そういう世界で生まれ育った人にとっては、そこが故郷になるんだよなあ。
七度の誕生日 / Seven Birthday / Bridging Infinity 2016年 / 古沢嘉通訳
つねに技術的な解決方法はあるものだ。
 ミアの七歳の誕生日、パパは凧揚げを教えてくれた。ママは世界中を飛び回っていて、少ししか時間が取れない。パパもママもわたしを愛してる。でもお互いを愛してはいない。
 世界を変えるために忙しく働く母と、家族をないがしろにする妻に納得がいかない父。そんな家族の風景で始まった物語は、壮大な人類史へと広がってゆく。誕生日を迎えるたび、次々と風呂敷を広げてゆく様は、オラフ・ステープルドン を思わせる芸風ながら、いずれの風景も情感が漂うあたりが、ケン・リュウらしい。
数えられるもの / The Countable / アシモフ2011年12月号 / 古沢嘉通訳
 言葉はわかる。意味もわかる。でも、意図を取り違える。そして、人は腹を立てる。デイヴィッドは、そんな問題を抱えていた。どうも、言葉とは違う言語があるらしい。そう気づいたデイヴィッドは、身振りや手振りや表情から法則を見いだし、目立たずにいる方法を身に着けた。
 数学の才能に秀でた高機能自閉症の連れ子デイヴィッドと、バリバリのマチズモな継父のジャック。ただでさえギクシャクしがちな親子なのに、性格の相性も最悪じゃなあ。という児童虐待の問題に、ゲオルグ・カントールによる無限集合の濃度(→Wikipedia)を組み合わせた、野心的な作品。
カルタゴの薔薇 / Carthaginian Rose / Empire of Dreams and Miracles : The Phobos Science Fiction Anthology 1 2002年 / 古沢嘉通訳
「肉体はまさにもっとも重要なサバイバル用品だけど、弱くて、不完全なの。いつだって持ち主を裏切るの」
 幼い頃から妹のリズは衝動的で無計画だったが、明るくて機転が利きいた。しょちゅうトラブルを引き起こしたが、アドリブで切り抜ける才能を持っていた。大学を卒業すると、リズは北米最大のAIコンサルティング会社に入り、世界中を飛び回る。従来のAIと違い、想定外の事態や不慣れな状況でも、なんとか切り抜けられる、そんなAIを目指す企業だ。
 いるよね、リズみたいな人。つくづく羨ましい。いわゆる「人格アップロード」の問題点を、実に見事に指摘している。そうなんだよなあ、脳科学の難しい点は、生きたヒトの脳を充分な精度で観察できないことなんだよなあ。商業誌デビュー作とはとても思えぬほどの才気を感じさせる作品。
神々は鎖につながれてはいない / The Gods Will Not Be Chained / The End is Nigh. Book Ⅰ of the Apocalypse Triptych 2014年 / 幹瑤子訳
神々は殺されはしない / The Gods Will Not Be Slain / The End is Now, Book Ⅱ of the Apocalypse Triptych 2014年 / 幹瑤子訳
神々は犬死はしない / The Gods Have Not Died in Vain / The End Has Come, Book Ⅲ of the Apocalypse Triptych 2015年 / 幹瑤子訳
現実の世界は野蛮な戦いに満ちている。
 父を喪い転校したマディ―は、女王きどりのクラスメイトに目をつけられ、教室でもネットでもイジメにあっている。その日、入ってもいないチャット・サービスから、絵文字だけのメッセージが届く。絵文字だけのメッセージには思い出がある。よく父と絵文字を使いピクショナリー(→Weblio)で遊んだ。相手をしてみると、どうも謎のチャット相手は敵じゃないようだ。
 先の「カルタゴの薔薇」を書き直したような作品。三つの短編というより、一つの中編を三つに分けて発表した感じで、物語は素直に繋がっている。やはりテーマは「不完全な人格アップロード」で、ちょっとイーガンの「ゼンデギ」に似ている。主人公マディーのキャラ作りが巧い。プログラミングが得意な賢い女の子。そりゃSFオタクは入れ込んじゃいます。
 抒情的な作品が多いケン・リュウだが、本作におけるコンピュータの描写はなかなかのもの。第二部で炸裂する最終兵器とかは、思わずうなってしまった。一種の焦土作戦というか自爆装置というか。第三部で出てくる LAMBDA 式も、ごく一部のマニアは大喜びだw 連中がちゃんと仕事してりゃ、CSS も JavaScript も HTML も、全部S式でイケたのにw
 他にも「不気味の谷」を手慣れた感じで使うあたりもいい。将来、ロボットの顔はミクさんになるかもね。何より「AIに肉体は必要か?」って問題に、鮮やかな解を示してるのに参った。そうきたかあ。
闇に響くこだま / Echos in the Dark / Mythic Delirium, Issue 0.1 July-September 2013 / 大谷真弓訳
自国の民を外国の砲艦から守りもせず、むしろ虐殺する支配者がどこにいる?
 清朝末期、上海。南北戦争に従軍したわたしは、水道技師の従兄弟に警備担当として招かれた。近郊を見回る際、太平天国の乱の生き残り、“飛翔する蝙蝠”こと蔡強圀の一味に攫われる。連れていかれた彼らのアジトは、崖の下にあり四方を壁で囲んである。そこに清朝の兵が襲い掛かってきた。
 図やグラフを大胆に使ったSFならではの作品。一般に攻城戦は籠城側が有利とはいえ、それは充分に考えて築いた守りの堅い城での話。砦とすら言えぬ塀に囲まれただけのアジトで、兵力・装備ともに劣る蔡強圀の一味が、どう戦うかが読みどころ。もっとも、バトル系の漫画が好きな人は、見当がつくだろうけど。加えて、同じ現象に対する中国とアメリカの考え方の違いが著者のオリジナリティだろう。
ゴースト・デイズ / Ghost Days / ライトスピード2013年10月号 / 大谷真弓訳
 銀河の反対側で立ち往生した人々は、救援が来るのを諦め、ノヴァ・パシフィカで新しい世界を築き始めた。環境も生態系も異なる異星で生き延びるため、次世代の子どもたちは現地に適応するよう遺伝的な改造を施す。そんな子供たちは、親の世代が熱心に語る地球の歴史に意味を見いだせない。
 ここでも、いきなり LISP のコードが出てきたのにビックリ。SFでも、これほどS式に拘る人は珍しい。未来の異星・1989年のアメリカ・1905年の香港、三つの物語で親と子の考え方の違いを描きつつ、受け継がれてゆくものと変わってゆくものを浮かび上がらせる。そういえば私も若い頃はあまし歴史に興味がなかったなあ。
隠娘 / The Hidden Girl / The Book of Swords 2017年 / 古沢嘉通訳
「拙僧は命を盗んでいる」
 朝廷の権力が衰え、封建領主である節度使が相争う八世紀初頭の唐。将軍の娘は謎の比丘尼に才能を見込まれ、攫われて隠娘の名を与えられ、暗殺者としての訓練を受ける。姉弟子の精精児・空空児と共に修業を積んだ娘は、六年後に初任務へと向かうが…
 ファンは「良い狩りを」でニヤリとするところ。舞台こそ唐時代の中国だが、日本人としては忍者物の香りを嗅ぎ取ってしまう。彼女らが使う「忍術」に、ちゃんとSFな理屈をつけてるのも楽しい。ただ、お話としては、短編というより、長いシリーズ物のプロローグっぽいんだよなあ。漫画家と組んでシリーズ化して欲しい。
ビザンチン・エンパシー / Byzantine Empathy / MIT Technology Review's Twelve Tomorrows 2018年 / 古沢嘉通訳
「機械は司法制度よりはるかに透明かつ予測可能なのです」
 中国との国境近くのミャンマーでは、少数民族の反政府勢力と政府軍が争い、多くの難民が死んでいる。その記録VRを「視」たジェンウェンは衝撃を受た。だがアメリカも中国も政治的な理由で黙殺しており、NGOも介入を拒んでいる。事態を変えようと考えたジェンウェンは、暗号通貨/ビットコインを基盤としたエンパシアムを開発するが…
 これまたグレッグ・イーガンの「失われた大陸」と共通したテーマ。まずVRの使い方に感心した。そういう使い方もあるんだなあ。同じ救済運動でも、人々の感情つまり共感を重要視するジェンウェンと、合理性を重んじ専門家による組織で働くソフィア。作中の「これは苦痛の商品化だ!」と同じ理由で、私の考えはソフィアに近い。北朝鮮人民が飢えても、「しょうがない」で済ます。だが、奴隷制でやられた。そうなのだ。こういう運動を生み支えるのは、合理性じゃなくて感情なんだ。どう折り合いをつければいいのか、というと、うーん。

 芸幅の広い人だとは思っていたが、「ランニング・シューズ」のように、黒い面が見れたのは収穫だった。「化学調味料ゴーレム」の軽快なユーモアも楽しい。最後の「ビザンチン・エンパシー」には、ヘビー級のボディブローを食らった感じ。ちと編者の悪意を感じるのは、被害妄想だろうか。相変わらず芸幅の広さと中国文化の奥深さを見せつけながらも、底にある姿勢は人類普遍のものであり、著者の作品集の中でもソレが最も強く出ている。

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2021年4月 1日 (木)

デイビッド・ウォルトナー=テーブズ「排泄物と文明 フンコロガシから有機農業、香水の発明、パンデミックまで」築地書館 片岡夏実訳

世界保健機構とユニセフ(国連児童基金)の報告によれば、毎年150万人の五歳未満の子供が下痢で死んでいる。これはマラリア、麻疹、エイズの合計よりも多い。下痢は必ずといっていいほど、食品や水が糞便で汚染されることで起きる。
  ――第5章 病へ至る道 糞口経路

【どんな本?】

 私たちはみんなウンコを出す。そして下水道の整備は都市計画の重要な問題だ。にもかかわらず、ウンコについて大っぴらに語られることは少ないし、ウンコの話は往々にして下品でくだらないこととされる。これは現代日本だけに限らず、多くの文化で共通している。

どの文化でも、古代ローマ(そこでは市の主下水道、クロアカ・マキシマを戦争捕虜が掃除していた)から18世紀のイングランド(汚水溜めの清掃人は夜働くことを命じられた)まで、みんなのために糞を扱う人は、もおっとも尊敬されない労働者のカテゴリーに入れられている。
  ――第6章 ヘラクレスとトイレあれこれ

 だが、科学的にも社会的にも、ウンコは充分に研究に値する。健康診断では検便があるし、生態系の維持には動物の糞便が欠かせない。糞便の不適切な処理は伝染病を蔓延させるが、鳥の糞の奪い合いは時として戦争にまで発展する(→Wikipedia)。

 やっかいではあるが、否応なしについてまわり、時として役に立つウンコについて、「国境なき獣医師団」創設者でもある疫学者が、幅広い視点でユーモラスに語る、一般向けの科学・社会解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Origin of Feses : What Excrement Tells Us About Evolution, Ecology, and a Sustainable Society, by David Waltner-Toews, 2013。日本語版は2014年5月20日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約211頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント46字×17行×211頁=約165,002字、400字詰め原稿用紙で約413枚。文庫ならやや薄めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容もわかりやすい。ただし、当たり前だがウンコの話てんこもりなので、潔癖症や想像力豊かな人には向かない。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 序章 フンコロガシと機上の美女
  • 第1章 舌から落ちるもの
  • 第2章 糞の成分表
  • 第3章 糞の起源
  • 第4章 動物にとって排泄物とは何か
  • 第5章 病へ至る道 糞口経路
  • 第6章 ヘラクレスとトイレあれこれ
  • 第7章 もう一つの暗黒物質
  • 第8章 排泄物のやっかいな複雑性とは何か
  • 第9章 糞を知る その先にあるもの
  •  参考文献/訳者あとがき

【感想は?】

 くり返すが、想像力が豊かな人には向かない。また食事中に読むのも薦めない。わざわざ、そんな事をする人は滅多にいないだろうけど。ご想像の通り、本書は「ウンコ」の連呼だ。訳者あとがきに曰く「訳者がこんなに『ウンコ』を連発したのは小学生のとき以来かもしれない」。

 「解剖男」もそうなんだが、一見キワモノに思われるシロモノを研究してる学者は、敢えてそれを芸にしたがる傾向がある気がする。本書も、著者が夫婦でタンザニアに旅行した際、ガイドを独占して動物の糞を探し、同行者や奥さんに呆れられる場面で本書は始まる。そうか、野生の肉食獣の糞は白いのか。一つ勉強になった。

 もちろん、ふざけているワケじゃない。ただ、著者は仕事柄、ユーモアの大切さが身に染みてるんだろう。なにせ…

ウンコは社会学者と科学者がやっかいな問題と呼ぶものである。
  ――第1章 舌から落ちるもの

 ここで社会学者と科学者の二者が出てくる点に注意しよう。今、まさに問題となっている新型コロナが示すように、疫学とは、科学と社会の双方が密接に絡み合う学問なのだ。それだけに、著者の視野は広い。ミクロな視点では…

成人の便1mm3には、10の11乗(略)前後のバクテリアがいる。(略)このようなバクテリアは500から1000ほどの異なる種からなり、大部分はあまりよくわかっていないものだ。
  ――第2章 糞の成分表

 と、ウンコの中身を分析する。にしても、「大部分はあまりよくわかっていない」とは。もちろん、対象はヒトばかりじゃない。

いくつかの種では、糞食は健康を増殖し病気を防ぐ意味を持つ。ウサギはタンパク質と水溶性ビタミンを摂取する。ハツカネズミはビタミンB12と葉酸を糞を食べて摂取していると言われる。実験用ラットに糞を食べさせないようにすると、うまく成長せず、ビタミンB12とビタミンKの欠乏症を起こす。
  ――第4章 動物にとって排泄物とは何か

 そして、ヒトと動物との関わりにも目を配る。それも世界的な視野で。

牛糞は木とほぼ同じ発熱量を持つ(ただしどちらも灯油が生成する熱の半分に満たない)。リャマの糞もウシのものとほぼ同じ熱量を持つ。全世界で一年間に燃料として利用される牛糞の40から50%はインドで燃やされている。
  ――第9章 糞を知る その先にあるもの

 更に、時間的にも遠くを見通そうとする。

新石器時代の定住地では、排泄物を定住地の中と周囲に、恐らく堆肥として置いていた痕跡がある。
  ――第6章 ヘラクレスとトイレあれこれ

 そうか、ヒトは大昔から排泄物が植物の成長を促すと知っていたのか。まあいい。こんな風に、ウンコについて遠大な時空を見渡すと、どこかの禅僧みたいな悟りの境地にまで至る。

すべてを包みこむ生命系(=生態系)を思い描けるなら、このように想像できるだろう。ウンコは存在しない。
  ――第3章 糞の起源

 まあ、要は、動物の排泄物もバクテリアが分解して植物の養分になる、みたいな話なんだけどね。自然界じゃ、そんな風にすべてがリサイクルされているのだ。もっとも、その循環に、困った奴も乗り合わせてくるんだけど。

寄生虫のライフサイクルは排泄物のライフサイクルなのだ。
  ――第7章 もう一つの暗黒物質

 だた、現在のグローバル社会は、このサイクルが大きく変わりつつある。この変化を描く第7章以降は、なかなかの迫力だ。例えば、動物の肉は多くのリンを含む。そしてアメリカやアルゼンチンは、牛肉を大量に輸出している。肉の元を辿れば、飼料のトウモロコシに行きつく。土中のリンがトウモロコシに移り、それが牛に行き、太平洋を渡って私たち日本人が食べ、ウンコとして出す。

 私たちは意識しないうちに、太平洋の向こうからリンを輸入していたのだ。なんか得した気分だが、それもウンコを再利用すれば、の話だ。特にアメリカ産の牛は難しい。アメリカでは大企業が多くの牛や豚や鶏を狭い所に閉じ込め、大量生産方式で育てている。伝染病の蔓延を防ぐため、多くの抗生物質を与える。これがウンコにも混ざり、抗生物質に耐性を持つ菌が繁殖してしまう。

 本来、牛糞は処理次第で優れた肥料になるし、先に挙げたように燃料にもなる。そういえば「大地」でも、牛糞を拾う場面で、ヒロインの阿蘭の勤勉さを描いてたなあ。ってのは置いて。

 アメリカの牛は抗生物質漬けで育ってるから、その糞にも抗生物質や耐性菌が入っていて、再利用が難しいのだ。まあ、それもやりようなんだけど。

炭素、窒素、酸素(適切なバクテリアの繁殖を促す)がちょうどよく混ざり、うまく作られた堆肥の山では、温度が54~66℃に達することを研究者は示している。これは鳥インフルエンザウイルスを十分殺せる温度だ。
  ――第9章 糞を知る その先にあるもの

 そんな風に、著者は幅広い視野と深い知識を持ちつつも、肝心の解決策については、万能の策はない、と慎重だ。その場に応じ、関係する様々な人々の話を聞いた上で、慎重に考えましょう、と。

我々の技術がどんなに優れていようと、それが効果を発揮し役に立つのは、適切な社会-生態学的背景に合わせて設計され、その中で使われるときだけだ。
  ――第9章 糞を知る その先にあるもの

 こういったあたりは、「世界文明における技術の千年史」とも通じる考え方だなあ。他にも…

現実世界の理解に近づくための唯一の方法は、できるだけ多くの視点を集め、全体像を作ろうと努力することだ。
  ――第8章 排泄物のやっかいな複雑性とは何か

 なんてところは、計算屋には身につまされる話だよね。組織の上長と、実際に操作する人とじゃ、話がまったく違うとか、よくあるケースだし。

 科学と社会学が交わる疫学者として、世界中を飛び回った著者だけに、話題は幅広く、視点もバクテリアから国際貿易に至るまで、バラエティ豊かだ。もっとも、すべてウンコにまつわる話なんだけど。また、現場をよく知っている人らしく、特に終盤では現実社会の面倒くささも滲み出ている。イロモノ的な題材ではあるが、エンジニアを含め問題解決に携わるすべての人にお薦め。

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2021年3月29日 (月)

サム・キーン「空気と人間 いかに<気体>を発見し、手なずけてきたか」白揚社 寒川均訳

私が望んでいるのは、本書によってあなたが抱いていた気体のイメージが修正されることだ。
  ――はじめに 最後の息

隣人と出会うとき、気体分子は互いに衝突し、四方八方に跳ね返る。(略)その速度は、たとえば摂氏22度の空気の分子であれば、平均して時速1600キロにもなる。
  ――第1章 初期地球の大気

それ(約6億年前)以降の数億年の酸素濃度は、15%まで下がったと思ったら35%まで上昇といったように、酔っ払いの千鳥足のようにふらふらと推移した。
  ――第3章 酸素の呪いと祝福

平均的な大人であれば、常に20トンの力が体の内側に向かってかかっている。
  ――第5章 飼いならされた混沌

水の温度を一度上げるのと、100度の水を蒸気に変えるのでは、必要とする熱量に5倍もの差があるのだ。
  ――第5章 飼いならされた混沌

固体や液体の場合、ものが違えば共通点はほぼない(略)。だが気体は、お互いに信じられないほど似通っている。化学的にそうであるとは言えないとしても、少なくとも物理的には、すべての気体は同じようにふるまうのだ。
  ――第6章 空に向かって

近年、ハリケーンで死亡する確率が1900年の1%にまで減ったのは、気象学者のおかげである
  ――第8章 気象戦争

温室効果ガスがなければ、地球の平均気温はマイナス18度、氷点を下回る。
  ――第9章 異星の空気をまとう

【どんな本?】

 空気。約78%の窒素、約21%の酸素、約1%のアルゴン、そして二酸化硫黄・硫化水素・二酸化炭素・アンモニア・メタン・エタノールなどの微量成分を含む。

 日頃から特に意識もせずに吸い込み吐き出している空気は、いつ・どのように出来上がったのか。空気が含む様々な成分は、それぞれどこから生まれ、どんな性質を持ち、どんな働きを担っているのか。いつ・だれが・どうやって、空気の成分を見極めたのか。

 原始地球の大気から化学肥料と毒ガスの発明、人体発火現象からロズウェルのUFO、おなら芸人から最新天文学による異星探索まで、気体にまつわる科学と歴史の面白エピソードを集めた、一般向けの楽しい科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Caesar's Last Breath : Decoding the Secrets of the Air Around Us, by Sam Kean, 2017。日本語版は2020年12月21日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本約446頁。9.5ポイント44字×18行×446頁=約353,232字、400字詰め原稿用紙で約884枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれている。科学系の本の中でも、かなり親しみやすい部類だ。内容も易しい。出てくる数式も一つだけだし、単純な比例式だ。化学式はたくさん出てくるが、単純なものが大半な上に、わからなければ読み飛ばしても差し支えない。中学生でも理科にアレルギーがなければ楽しんで読めるだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しいているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに 最後の息
  • Ⅰ 空気を作る 最初の四つの大気
  • 第1章 初期地球の大気
  •  幕間 爆発する湖
  • 第2章 大気のなかの悪魔
  •  幕間 危険な武器を溶接する
  • 第3章 酸素の呪いと祝福
  •  幕間 ディケンズより熱く
  • Ⅱ 空気を手なずける 人間と空気の関係
  • 第4章 喜びガスの不思議な効能
  •  幕間 フランスの「放屁狂」
  • 第5章 飼いならされた混沌
  •  幕間 悲劇に備える
  • 第6章 空に向かって
  •  幕間 夜の光
  • Ⅲ 未知の領域 新しい至福の地
  • 第7章 放射性降下物の副産物
  •  幕間 アインシュタインと庶民の冷蔵庫
  • 第8章 気象戦争
  •  幕間 ロズウェルからの轟音
  • 第9章 異星の空気をまとう
  •  謝辞/注と雑録/参考文献

【感想は?】

 いくつもの科学系の本から、美味しい所を拾い集めたような本だ。

 例えば「第2章 大気のなかの悪魔」。ここで主役を務めるのはフリッツ・ハーバーとカール・ボッシュ。そう、化学肥料のハーバー・ボッシュ法を切り拓いた二人だ。彼らは何を成し遂げたのか。

今日でさえ、ハーバー・ボッシュ法に関連して消費されるエネルギーは、世界全体のエネルギー供給の1%を占める。また人類は毎年1憶7500万トンのアンモニア肥料を生産しているが、その肥料で世界の食糧生産の半分をまかなっている。
  ――第2章 大気のなかの悪魔

 現在の人類の半分は、彼らが支えているようなものだ。だが、両名とも無条件に称えられることはない。フリッツ・ハーバーは毒ガスを生み出して第一次世界大戦の戦場を地獄に変え、カール・ボッシュは合成ガソリンを生産してナチス・ドイツの戦線を支えた。それでもハーバーは、職場のユダヤ人を追い出すようナチスから圧力をかけられた際に…

フリッツ・ハーバー「40年余、私は自分の共同研究者を彼らの知性や性格に基づいて選んできました。彼らの祖母が誰だったかで選んだことは断じてありません」
  ――第2章 大気のなかの悪魔

 と断り辞任しているんだが、今でも両名の評価は功罪相半ばといったところだろう。両名のドラマは「大気を変える錬金術」が詳しい。傑作です。なお、ここでは、同じ研究者でも大学のハーバーと企業のボッシュ、その両者の対比も読みどころ。新聞に出る科学・技術ニュースの読み方も少し変わるかも。

 この章で両者を取り持つのが、窒素だ。大気の78%を占め、不活性に思える窒素だが、実はかなりヤバいシロモノでもある。そのヤバさを象徴するのがダイナマイトであり、ダイナマイト誕生の悲話を描くのが「第5章 飼いならされた混沌」。

 この章では「馬力」誕生の意外な真相も楽しいが、私が最も面白かったのは、火薬と爆薬の違い。爆薬の方が圧倒的に反応が速い(約千倍)のは「火薬のはなし」で知っていたが、同時に体積の膨張率も一桁高いのだ。また、現代の兵器に欠かせない雷管の誕生の物語にも驚いた。兵器マニアよ、アルフレッド・ノーベルを崇るべし。

 爆薬より更に物騒なのが、核兵器。原爆の開発プロジェクトであるマンハッタン計画は有名だが、アメリカはその後も熱心に核兵器の開発を続けた。その熱意を示すのが、1946年7月の核実験クロスロード作戦(→Wikipedia)だろう。

それには4万2千人の人員と、データ収集のために2万5千個の放射線検出器および45万7200メートルの長さのビデオテープ(当時における世界の供給量の約半分)が必要だった。
  ――第7章 放射性降下物の副産物

 ビデオテープの消費量の凄まじさが、当時のアメリカの熱意と同時に、科学力・産業力の底力を感じさせる。この物騒なエピソードで始まる「第7章 放射性降下物の副産物」は、核に対する世間の認識が、1940年代から現代まで、どう変わってきたかを物語ってゆく。1940年代だと、核はむしろ歓迎されていたのだ。

 その認識が変わったのは、放射性降下物の恐ろしさが伝わってから。切ないことに、広島と長崎の被害状況からでは、ない。キッカケはフィルム・メーカーのイーストマン・コダック社。インディアナ州産のトウモロコシの皮から作った包装材に、放射性物質がついており、これによりフィルムが台無しになってしまった。この放射性物質は、核実験の産物だ。

人々を核兵器信奉から脱却させたのは、ほかのどんな危険よりも、放射性降下物だったと言ってよい。
  ――第7章 放射性降下物の副産物

 これが切ないのは、世論を変えた原因が、他人である広島・長崎の原爆被害ではなく、「俺にも害があるかもしれない」放射性降下物だって点だ。「他人の痛みなら幾らでも我慢できる」なんて言葉がフト思い浮かんでしまう。

 そんな物騒なネタに対し、妙にユーモラスなのが、麻酔を扱った「第4章 喜びガスの不思議な効能」。ここでは、19世紀末に笑気ガス(N2O)を求めるボヘミアンがブリストルに集う様子が、ヒッピーの根城だった1960年代のサンフランシスコに似ていて、少し笑ってしまう。いつだってドラッグを求める輩はいるんだなあ。

 その元凶となったハンフリー・デービー(→WIkipedia)、間抜けにも笑気ガスの「痛みを感じさせない」効果を見逃し、麻酔の発明者の名誉を逃してしまう。

 その名誉をかっさらったのが、エーテル(C2H5-O-C2H5)をひっさげたウィリアム・モートン。その麻酔効果で特許を申請するも…

歴史を見渡しても、これ(ウィリアム・モートンによるエーテル麻酔)ほど広く侵害されさらにそれが問題視されなかった特許はない。
  ――第4章 喜びガスの不思議な効能

 と、酷い扱いを受ける。あまりの有用さに拒まれたってワケじゃない。彼自身の胡散臭さが原因だ。Wikipediaには「歯科医」とあるが、本書じゃ「ペテン師」と散々な評価。その実体は、まあ実際に読んだうえで判断してください。

 終盤の「第8章 気象戦争」では、SFファンお馴染みカート・ヴォネガットの兄ちゃんバーナード・ヴォネガットもチョいと顔を出し、アーヴィング・ラングミュアとヴィンセント・シェーファーによる降雨実験の顛末を描く。これも「気象を操作したいと願った人間の歴史」に詳しい。更にSFファンなら見逃せないのが、アイス・ナインの話。

 ラングミュアはアイデアをH.G.ウェルズに売り込むがアッサリと捨てられ、同じアイデアをカート・ヴォネガットが拾って結実したのが「猫のゆりかご」。マジかい。ちなみにヴォネガットのファンには猫派と妖女派がいるそうだけど、私は猫派です。

 そんなSFファンが思いっきり楽しめるのが、最後の「第9章 異星の空気をまとう」。今世紀に入ってから太陽系外の惑星を見つけた、しかも大気の組成までわかった、なんてニュースが次々と飛び込んでくるけど、どうやってソレを調べたのかって話がやたら楽しい。テラフォーミングのネタも飛びだして、SFファンとしては思わずアンコールを叫びたくなるところ。

 気体に焦点を絞りつつ、おなら芸人や人体発火現象やロズウェル事件など一見キワモノなネタで野次馬根性を満足させ、また要所では理想気体の状態方程式(→Wikipedia)などカッチリした科学の所見を示す、親しみやすくてわかりやすい理想的な一般向け科学解説書だ。

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2021年3月21日 (日)

山田正紀「戦争獣戦争」東京創元社

「また大きな戦争が始まる……」
「蚩尤が現れる、黄帝が出現する……」
  ――p66

【どんな本?】

 圧倒的なアイデアで読者の脳を激しく揺さぶるベテランSF作家の山田正紀が、太平洋戦争以降の極東を舞台に描く、長編本格SF小説。

 26歳の蒔野亮子は、IAEA=国際原子力委員会の特別査察官として、北朝鮮の使用済み核燃料保管施設を訪れる。使用済み核燃料貯蔵プールは酷い状態だった。水は濁り藻が繁殖し、底では体長15~6cmほどのムカデのようなものまで泳いでいた。

 1950年、広島。地元の暴力団は二つの派閥に分かれ、激しく争っていた。石嶺夏男は争いを煽り、双方に拳銃を流してあぶく銭を稼いでいる。バレればただじゃ済まない。事実、刺客に襲われ…

 身に宿した刺青獣による異能力を持つ四人の異人と、高次元に生息する戦争獣を鍵として、想像を絶する世界を創り上げた本格SF。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2020年版」のベストSF2019日本篇で11位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年10月31日初版。単行本ソフトカバー縦二段組みで本文約404頁。9ポイント24字×21字×2段×404頁=約407,232字、400字詰め原稿用紙で約1,019枚。文庫なら上下巻ぐらいの容量。

 文章はシリアス・モードの山田正紀。内容も、本格SFモードの山田正紀、それもかなり濃い目なので期待しよう。

【感想は?】

 戦後の東アジアの歴史が色濃く出た作品。

 冒頭、北朝鮮の使用済み核燃料貯蔵プールの場面もなかなかショックだ。考えてみりゃ、使用済み核燃料貯蔵プールを清潔に維持するのは、かなりの手間だ。学校のプールだって、半年もすれば水は藻で緑色になる。初夏にデッキブラシでプールを掃除した経験があれば、藻の繁殖力は見当がつくだろう。

 対して使用済み核燃料貯蔵プールは、さすがに室内だから藻は入りにくい。とはいえ、使用済み核燃料は熱を出す。そして温かければ藻の繁殖は勢いを増す。かといって、まさか底をデッキブラシで磨くわけにもいくまい。定期的に水を替えるにしても、使用済み核燃料を浸した水をタレ流したらオオゴトだ…とか考えると、福島第一原子力発電所の汚染水をどうしても思い浮かべてしまう。

 続く広島の場面は、オジサンたちの胸を熱くする広島抗争(→Wikipedia)が背景となる。そう、あの「仁義なき戦い」の舞台だ。

 さすがに核兵器に比べると、地回りヤクザ同士の抗争は、いささかスケールがショボい。が、どこか遠い世界に思える核に対し、ヤクザは身近なだけに、その暴力性は皮膚感覚で伝わってくる。この舞台で主役を務める石嶺夏男のトボけたキャラクターを、更に際立たせるのが広島弁だ。この辺、若い人は、是非とも映画版「仁義なき戦い」を観てほしい。各場面の解像度がぐっと上がるから。

 ちょっと分かりにくいのが、華麗島。読んでいけばだいたい見当がつくんだが、これは台湾を示す。叛族のモデルは台湾の高山族(→Wikipedia)、俗にいう高砂族だろう。出草とかは、私も知らなかった。

 他にも朝鮮戦争の開戦間もなくの1950年6月28日の起きた漢江人道橋爆破事件(→Wikipedia)など、太平洋戦争の後遺症とも言える事件を幾つも織り交ぜ、架空の歴史に生々しさを注ぎ込んでゆく。

 こういった芸風は船戸与一が得意とするものだが、山田正紀がソコで終わるはずもなし。

 我々が住む三次元の世界に加え時間までも移動できる高次元生物「戦争獣」だけでもSFとして楽しいのに、黄帝・蚩尤・女媧など中国の神話を加え、死雷・虚雷・死命などの造語を交えて、高次元時空を戦場とした、まさしく「神々の戦い」が展開してゆく。

 もっとも、その神々の姿は神々しいどころか、ハッキリ言って気色悪いんだけどw 特に蚩尤の姿は、ゲーム「地球防衛軍」の巨大ムカデを連想したり。アレ、千切れても節がヒョコヒョコ襲ってくるから、えらくタチ悪いんだよな。

 圧倒的な力をもつ戦争獣の戦いに巻き込まれ、互いに核を向け合う大国同士の火花が散る極東で、四人の異人の運命がもつれ合い、世界の様相を大きく変えてゆく。

 生々しい極東の現代史を舞台としながらも、奔放なアイデアで読者の想像力の限界をブッチ切り世界の認識を塗り替えようとする、SFならではの驚異を詰め込んだ作品。濃いSFをお求めの人にお薦め。

 なお、エラ・フィッツジェラルドの「時すら忘れて」はこちら(→Youtube)。

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2021年3月16日 (火)

SFマガジン2021年4月号

「いまのところ雪風が本ミッションを拒む様子は認められない」
  ――神林長平「戦闘妖精・雪風 第四部 アグレッサーズ」 第5話

「そのときはリリー・クレマンという登場人物はいなかったけどね」
  ――飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第7回

 376頁の普通サイズ。

 特集は「小林泰三特集」と「追悼:佐治嘉隆」。

 小説は9本。

 まず「小林泰三特集」で4本。「単純な形」,「虹色の高速道路」,「きらきらした小路」,創作落語「時の旅」。

 連載は4本。神林長平「戦闘妖精・雪風 第四部 アグレッサーズ」 第5話,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第35回,飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第7回,藤井太洋「マン・カインド」第15回。

 加えて読み切り1本。高野史緒&佐々木淳子「桜の園のリディア」。

 では「小林泰三特集」から。

 「単純な形」。イラストレーター藤原ヨウコウ「このとはの海 カタシロの庭」とのコラボレーション。わたしは単純な形が好きだ。だから、次元潜水船の製造を頼まれた時は、正八胞体にした。

 正八胞体? へ? と思ったら、二次元だと正方形、三次元だと立方体、なら…ということだろう。しょうもないオチが楽しいw

 「虹色の高速道路」。二年ほど前倒しで、俺は祖父から「操りの儀式」を引き継ぐ羽目になった。七面倒くさい計算を山ほどしなくちゃならん。だが、やらないと天地の均衡が崩れるらしい。嫌になって神社の裏山に逃げ出した俺は、幼馴染の貞子に会う。

 儀式に目盛りやら算盤やら計算尺やらを使うってあたりで、「おお、キタキタ」と盛り上がってしまう。こういう、落人部落っぽい因習が残る村って舞台と、妙にサイエンスっぽいネタの組み合わせの妙も、小林泰三ならではの味。とか思ってたら、なんじゃい銀色のボディスーツってw

 「きらきらした小路」。幼い僕に、親はこう言い続けた。「絶対に脇にそれてはいけないよ」「死んでしまうからね」。普通にしていれば、路からそれることはない。それると、暗い穴の中に落ち込んでしまう。

 童話風に語る本格サイエンス・フィクション。「覗くな」と言われると覗き、「入るな」と言われれば入ってしまうのがお話のお約束。「僕」も、お約束にたがわず…。擬人化って点じゃ「はたらく細胞」なんだけど、これは「BLACK」の方かな?

 「時の旅」。どんな仕事についても長続きしない留さん、今日は「いい金儲けを思いついた」とご隠居に相談にきた。ご隠居は「どうせロクでもない話だろう」とは思いつつ、留さんの話を聞けば、「まず、タイムマシーンを用意させてもらいます」などと言う。

 SF創作落語。新作落語でも、やっぱり留さんやご隠居が出てくるのかw まあ、これは様式ってもんだろうなあ。SF落語ならではのオチが見事w

 「小林泰三特集」はここまで。

 神林長平「戦闘妖精・雪風 第四部 アグレッサーズ」 第5話。アグレッサー部隊としての初任務が始まる。雪風には新機能ATDS=注目対象表示システムが加わった。雪風のコンピュータを調べ、各機能の消費エネルギーを示す。多くのエネルギーを食っている機能が、雪風が注目している機能だろう、そういう発想のシステムだ。

 零もブッカー少佐も、「雪風がミッションを拒む様子は…」「雪風のいまの気持ちが…」と、雪風を単なる機械ではなく生き物のように扱っているのが感慨深い。ATDSもまるきしfMRIだし。そんな緊張感をマイペースで吹っ飛ばす桂城少尉が素敵w いよいよ田村大尉と対決か…と期待させて、いけず。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第35回。救出されバロットと再会したのも束の間、再びウフコックは潜入を試みる。目的はブルーの行方を突き止めること、潜入先は<誓約の銃>のアジト、小型貨客船<黒い要塞>。イライジャの眼鏡にターンしたウフコックは、静かに聞き耳を立て…

 時系列をシャッフルしながら進む本作品、今回は衝撃的な場面で幕を開ける。誰が登場するかではなく、誰が登場しないかに注目してしまう。うーん、どっちなんだ? 今回も懐かしい名前が出てきたが、そうきたかあ。

 飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第7回。「クレマンの年代記」を読みふける小野寺早都子に、美術部長の遠野暁が声をかける。小野寺は遠野が苦手だ。早坂の<止体>を平気でスケッチする無神経さが気に入らない。その遠野も「クレマンの年代記」を読んだが、リリー・クレマンは登場しなかった、と言う。

 「同好会棟」なんてのがあるあたりで、かなり偏差値の高い学校なんだろうなあ、と感じたり。こういう風に生徒の自主性を認めるのは、学校側も相応に生徒を信頼しているからで、底辺校じゃこうはいかない。それに加え、ケッタイな同好会がウジャウジャある所は、ちょっと「究極超人あ~る」を思い浮かべた。秘密基地にも粉砕バットが転がってるんだろうか。

 藤井太洋「マン・カインド」第15回。三角州を戦場として、イグナシオ率いる<テラ・アマソナス>が守り、軍事企業<グッドフェローズ>が攻める、公正戦が始まる。それを中継する迫田。

 森林の中を高速で<マスチフ>が突っ走る場面が強い印象を残す。「落葉樹林の進化史」で知ったんだが、ヒトの手が入っていない森は、倒木や落ち葉に覆われていて、移動するのも一苦労だ。こういう所をマシンで移動するには、車輪より脚の方が都合がいい。とはいえ、上下左右にガタガタ揺れるから、迫田も苦しいだろうなあ。

 高野史緒&佐々木淳子「桜の園のリディア」。帝政ロシア末期の1905年8月。ピョートルは26歳になっても家庭教師や翻訳で食いつなぎ、各地をフラついていた。気まぐれに辺境の駅で降りたピョートルに、15,6歳の少女が声をかける。「私よ、アーニャよ」。だがピョートルがこの地に来たのは初めてだ。強引にピョートルを家に招くアーニャ。彼女の家族はみなアーニャにそっくりだった。

 高野史緒お得意のロシア物で、元ネタの一つはアントン・チェーホフの「桜の園」(→Wikipedia)…って、読んだことないけど。沈みゆく地主一族の物語に、エドガー・アラン・ポーを思わせる「不気味な館」物の香りを添え、この時代ならではのヒネリを加えた作品。

 次号は冗談から出た駒で樋口恭介編集の「異常論文特集」。この調子で裏SFマガジンを立ち上げて欲しい。編集は各SF作家の持ち回りでw

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«ポール・シャーレ「無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争」早川書房 伏見威蕃訳