2019年8月22日 (木)

林譲治「星系出雲の兵站 1~4」ハヤカワ文庫JA

「英雄などというものは、戦争では不要だ。為すべき手順と準備が万全なら、英雄が生まれる余地はない。勝つべき戦いで勝つだけだ。英雄の誕生とは、兵站の失敗に過ぎん」
  ――1巻 p239

「勝てる軍隊とは、凡人を戦力化できる組織なんだよ」
  ――1巻 p362

忠誠を尽くせば、手柄を立てる機会を与えられる。恥ずかしいほどわかりやすい。
  ――2巻 p169

目立たないこと、それこそが有能さの証明だ。(略)真に有能な人間は、全体に目配りし、トラブルの兆候を発見し、それが問題となる前に対処する。
  ――3巻 p77

「権力には責任が伴うということだな」
  ――4巻 p29

【どんな本?】

 遠未来。異星人の侵略を恐れる人類は、多数の播種船を送り出す。播種船の一つは故郷と断絶しながらも出雲星系で文明を築き、他の四つの星系にも進出していた。うち出雲に次ぐ規模の壱岐星系で、異星人のものらしき無人衛星が見つかる。

 二千年来、文明を発達させ、異星人を恐れて軍を維持してきた人類だが、異星人との接触は初めてだ。異星人は高度なステルス技術を持ち、また人類文明の情報を熱心かつ密かに収集していたらしい。

 軍事・経済の主力を担う出雲星系に対し、壱岐星系は独立の気運が育ちつつある。また有力な一族が権力を寡占する状況から、それを脱しようとする中間層の台頭が始まっていた。多くの軋轢を抱えたまま、人類は正体不明の異星人に対処するのだが…

 架空戦記でも活躍したベテランSF作家が、前線から政治そして産業までを俯瞰した視点で描く、ユニークなスペースオペラ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 発行年月日と頁数は以下。

  • 1巻:2018年8月25日 本文約369頁に加え、あとがき2頁。 
  • 2巻:2018年10月25日 本文約359頁。
  • 3巻:2019年1月25日 本文約302頁。
  • 4巻:2019年4月25日 本文約329頁に加え、あとがき3頁。

 文庫本で縦一段組み、9ポイント40字×17行×(369頁+359頁+302頁+329頁)=約924,120字、400字詰め原稿用紙で約2,311枚。文庫で四巻は妥当なところ。

 文章は一見ぶっきらぼうな印象を受けるが、読んでみると実にわかりやすくて読みやすい。つまりは伝わりやすさを重視し余計なモノを削った、ハードボイルドな文章だ。

 内容はサイエンス重視の軍事物なので、中学卒業程度の科学の知識と、多少の軍事知識が必要。科学はわからなくても凝ってる所が見えない程度で済む。が、軍事は登場人物の行動原理に関わるので、少し知っておいた方がいい。特に大事なのが軍政(→Wikipedia)と軍令(→Wikipedia)。スーパーのチェーンなら、軍令は店舗で働く人、軍政はそれ以外の人事や経理や仕入れ元開拓かな?

【感想は?】

 最初にこの本を知ったとき、「これは全巻揃ってから読み始めた方がいいな」と思った。大当たりだ。

 なぜって、そりゃもちろん読み始めたら止まらないからだ。一応、巻で区切っちゃいるが、お話そのものはスンナリと繋がっている。なお、この四巻は第一部で、既に第二部が始まってます。始まってなきゃ困る。

 書名に「兵站」とあるし、兵站に関する話も多い。この作品での兵站は、「必要な時期に、必要な物資を、必要量供給」すること。ついでに付け加えるなら、「必要な場所へ」だろう。実はこの「必要な場所」ってのが、この作品の舞台設定の巧みなところ。

 舞台は、五つの星系から成る。最も歴史の古い出雲星系が社会的な中心であり、軍事・政治・経済・技術・産業共に強力なリーダーシップを持つ。対して異星人?が見つかった壱岐星系は出雲から遠く、力量も出雲に遠く及ばない。にも関わらず、そこそこ地場産業が育っていて、出雲への対抗意識もある。壱岐独自の軍も持ってるし。出雲が徳川幕府なら、壱岐は薩摩藩ぐらいの位置かな?

 その壱岐に異星人らしき存在が見つかった。なら、主な戦場は壱岐の近くになるだろう。この場合、戦闘に必要なモノ一切合切を、出雲から運んでたらキリがないし、そもそも間に合わない。だから壱岐で調達したい。ところが壱岐は経済規模も小さく産業基盤も弱い。しかも異星人?との接触は初めてで、相手の意図も規模も全く分からない。そんな状態で、何をどれぐらい用意すりゃいいのさ。

 と、暗中模索の状況で物語は始まる。もっとも、暗中模索とは言いつつ、相手はコッソリ覗き見してるような奴で、しかもコッチが探りを入れると、徹底的に正体を隠そうとする。陰険な奴だね。異星人に関しては古い言い伝えもあり、だからこそ軍を組織・維持してきたわけで、気配はいかにも物騒だ。

 そんなワケで、序盤では「いつ、何を、どれだけ」の前に、そもそも壱岐の産業基盤の強化から考えなきゃいけなかったり。これが壱岐の社会構造とも密接にかかわってるあたりが、実に渋くてオジサン好みだ。

 などの兵站の話も美味しいんだが、いささか派手さには欠ける。が、心配ご無用。実はスペースオペラとしての見せ場も、たくさん用意してあるから。互いの意図を探り合う頭脳戦,艦隊同士の撃ち合い,血しぶき舞い散る白兵戦,そしていかにも強そうな新兵器。

 中でも巧いと思ったのは、白兵戦がある所。なにせ恒星系レベルのスペースオペラだ。普通に考えたら、艦隊決戦でケリがついてしまう。射程距離数千km、速度秒速数千kmの世界だし。そんな舞台で、時速ンkm単位の歩兵にどんな仕事がある? この問題をどうクリアしてるのか、お楽しみに。

 とかの白兵戦に始まる戦術レベルのネタも、てんこ盛りだから嬉しい。中でも印象に残っているのが、三角飛びw いやジャッキー・チェンの映画ならともかく、そーゆーレベルでやりますかw

 そういったクレイジーなネタが飛び出すかと思えば、キチンとニュートン力学に沿った戦術もアチコチで見えるからたまらない。というか、その辺の科学的な面を充分に考えているからこそ、三角飛びのマッドさが引き立つんだけど。

 綿密に考え抜かれた科学考証、兵站の難しさを際立たせる舞台設定、アクの強い登場人物、頭脳戦・肉弾戦・新兵器を取りそろえたバトル、そして驚きの異星人の正体。一見地味なタイトルだけど、実は思いっきり重量級かつ見せ場たっぷりの正統派スペースオペラだ。充分に時間を取って一気に読もう。でないと、禁断症状に苦しむ羽目になる。

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2019年8月19日 (月)

ロバート・A・アスキンズ「落葉樹林の進化史 恐竜時代から続く生態系の物語」築地書館 黒沢玲子訳

本書の最終目標は、生態系の普遍的なパターンや、保全問題に幅広く用いることができる解決策を探ることである。
  ――前書き

…この160万年の間に氷期と間氷期は四回ではなく、18~20回も交互に訪れていたことがわかった。
  ――第2章 白亜紀の森

更新世代以前の化石記録を分析した結果では、くり返し訪れた氷河期を生き延びた樹木の属は東アジアでは96%、北米東部では82%あるのに対して、ヨーロッパは29%に過ぎない。
  ――第2章 白亜紀の森

…人類は火を手にしたことで、熱帯アフリカのサバンナの外へ生活圏を拡大することができただけでなく、出ていった先でサバンナを作りだすこともできたのだ。
  ――第3章 人類出現後の落葉樹林

日本の伝統的な建造物にみられる瓦屋根や(檜皮や藁など)樹皮で葺いた屋根、イグサの畳、唐紙の襖といった繊細で優雅な構造は、こうした木材不足の時代に発達したのである。
  ――第3章 人類出現後の落葉樹林

日本の森林は第二次世界大戦中に乱伐されて深刻な被害を受けた。1941年から1945年の間に森林の15%が伐採されただけでなく、化学肥料が手に入らないので、その代わりに落ち葉や下層植生が利用されたため、残った森林の質も著しく低下した。
  ――第4章 自然林の減少と持続可能な森林の創出

動植物の種数は、農地開発や木材用に伐採されてから回復しつつある二次林よりも、原生林の方で生息数がはるかに多い。
  ――第5章 巨木と林内の空き地

日本の京都ではヤマザクラの開花時期について、驚くほど長期間にわたる記録が取られている。このサクラの開花は1000年以上続く恒例の桜祭りの開催を告げる合図になっている。(略)桜祭りの時期は朝廷の記録や日記類に記されているので、サクラの開花時期は9世紀以降の1200年間の60%の時期について推定できる。
  ――第8章 世界的気候変動の脅威

原生自然を重視するアメリカの自然保護運動はおおむねアメリカ独自の運動だった。(略)
ヨーロッパでは、銛でもほとんどが管理された人為的な環境である。(略)
…日本に大規模な自然林がほとんど残されていない最大の原因が国の政策であることは明らかだが、ミニチュアの自然を大事にする伝統も一因になっているのかもしれない。
  ――第10章 三大陸の保全戦略を融合する

【どんな本?】

 北米、ヨーロッパ、そして日本。それぞれ遠く離れた地域でありながら、遠くからみた森の風景は、なんとなく似ている。気候が似ているためだろう。いずれも温帯にあり、降水量も多い。

 と同時に、微妙な違いもある。

 何度も訪れた氷期・間氷期など気候の変化と、海や山脈などの地形。そこに住む動植物などの生態系。そしてヒトの暮らし方と森との付き合い方。

 これらの自然環境や歴史の違いは、現代に生きる人々の自然観や自然環境保護にも影響を与えている。

 それぞれの地域は、どんな歴史を辿って現代に至ったのか。気候の変化や地形、そして動植物などの生態系は、森をどう変えるのか。人の手が入らない原生林は、どのような姿なのか。そして人はどのように森と付き合い、森をどう変えてきたのか。

 鳥類額と生態学を専門とする著者が、北米・ヨーロッパ・日本の三者の自然環境および歴史を考慮しながら、森が現在の姿に至った経緯を語り、これからの森林保護のあり方を探る、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Swing the World's Deciduous Forests : Ecological Perspectives from East Asia, North America, and Europe, by Robert A. Askins, 2014。日本語版は2016年11月20日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約300頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント49字×19行×300頁=約279,300字、400字詰め原稿用紙で約699枚。文庫本ならやや厚い一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、樹や鳥の名前が次々と出てくるので、図巻かGoogleを見られると便利だろう。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • 前書き
  • 第1章 よく似た風景 ニューイングランドと京都の春の森
    日本と北米の森林が似ているのはなぜか?/森林生態系の一般法則を求めて
  • 第2章 白亜紀の森 落葉樹林の起源
    北極地方の落葉樹林/落葉樹林の恐竜/白亜紀の森林生態系の終焉/新しい森の出現/気候変動と落葉樹林の衰退/落葉樹林の再編成/保全上の意義
  • 第3章 人類出現後の落葉樹林
    落葉樹林に生息する大型哺乳類の絶滅/火災と落葉樹林/農業の発達と森林の縮小/落葉樹林から農地へ/保全上の意義
  • 第4章 自然林の減少と持続可能な森林の創出
    森林保護の起源/ヨーロッパの持続可能な森林管理/日本の木材資源と水源の保護/北米の落葉樹林の衰退と回復/保全上の意義
  • 第5章 巨木と林内の空き地
    ポーランドに残る壮大な原生林/古い森に見られる若木/樹幹のギャップに特殊化した鳥類種/森林の壊滅的被害と新しい森の成長/火災とナラの木/原生林の生態的重要性/若い森の種と、体内の大きな空き地を必要とする種/保全上の意義
  • 第6章 孤立林と森林性鳥類の減少
    北米東部の鳥類が減少した原因/北米東部の鳥類にとって大森林が重要な理由/日本の森林性鳥類/森林の分断化に対する鳥類の一般的な反応パターン/森林の分断化とヨーロッパの森林性鳥類/ヨーロッパの鳥が森林の分断化に強い理由/世界のミソサザイ/ヨーロッパの森林性鳥類の減少/保全上の意義
  • 第7章 オオカミが消えた森の衰退
    失われたオオカミ/日本のオオカミ/オジロジカが変える北米の森/姿を消した下層植生の鳥/オジロジカの最適密度はどのくらいか?/シカの個体数を狩猟で減らす/自然の捕食者によってシカの個体数は減るか?/ヨーロッパの森のシカ問題/保全上の意義
  • 第8章 世界的気候変動の脅威
    急激な気候変動の証拠/生物個体は気候変動にすばやく適応して、その生息地で生き延びられるか?/生物の進化は気候変動についていけるか?/生物は気候変動を生き延びるために、分布域を変えられるか?/樹木の分布に対する気候の温暖化の影響/種の「分散援助」が必要になるか?/気候変動に対する柔軟性の限界/保全上の意義
  • 第9章 もう一つの脅威 海を越える外来種
    重要樹木を脅かす病原体と昆虫/森林に被害をもたらす病原体や昆虫の蔓延を食い止める戦略/持ち込まれた森林の害虫や病原体を駆除する方法/生物的防衛の危険性と将来性/耐性を備えた樹種の品種改良/樹種が失われると起こる長期的変化/他の侵略的外来種/保全上の意義
  • 第10章 三大陸の保全戦略を融合する
    北米の原生自然を保全する/現代の生態学的研究の観点からみた原生自然の保全/人手のはいったヨーロッパの自然環境を保護する/現代の生態学的研究の観点からみた人為的自然環境の保全/ミニチュア的自然 日本の自然保護/日本の自然保護に対する政治的制約/現代の生態学的研究の観点からみた「ミニチュア的自然」の保護/三地域の保全方法を融合させる
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献/注/生物名索引/事項索引

【感想は?】

 京都の紅葉の風景は、人為的に作り出されたものだったのか。

 当たり前だが、紅く染まるのは落葉樹だけだ。特に鮮やかなのはカエデだろう。ところが、「畿内に元々あった森林の優占樹種は落葉樹ではなく、常緑広葉樹や針葉樹だった」。

 ご存知のように、京都は歴史の古い土地だ。そして少し前まで、ヒトの最大のエネルギー源は薪だった。寺や仏像を建てるにも木材が要る。東大寺を建てるには900ヘクタールの原生林が必要だったとの推定もある。3km×3kmの森を潰した勘定だ。伐採で常緑樹や針葉樹が消えたスキに、カエデが侵入したのである。という事は、長く放置したら元の常緑樹+針葉樹に戻ってしまうのか。

 実際、全く人の手が入らない原生林というのは、なかなか手こずるシロモノらしい。本書が最初の例に挙げているのは、ポーランドのビャウォヴィエジャ森林特別保護区。ポーランド王室の種猟場として保護されたのが幸いし、第一次世界大戦後に国立公園として保護されるようになる。

 ここでは、林床の12~15%が倒木や落枝で覆われている。こりゃ移動するのも一苦労だ。それは辛いが、学者には格好の観察フィールドになる。面白いことに、一つの種が一帯を征服するのではなく、幾つもの種が雑然と混在しているのだ。というのも、原生林の中にいろいろな環境があるからだ。

 うっそうと繁っているように見えて、所々に空が見える所がある。本書では「樹冠ギャップ」と呼ぶ。寿命や嵐で巨木が近くの木を巻き添えにして倒れたり、火事で一帯が焼けたりしてできる。こういう所を好む生物もいるのだ。そこを、最初は草や低木が占領する。やがて日向を好み成長の早いサクラやハコヤナギが進出する。

 一般に植林によってできた人工林や皆伐の後にできる二次林は、すべての樹の年齢が同じだ。だから中の環境も似たようなものになる。対して原生林は老いも若きも混在しているので、鬱蒼としたところもあればギャップもある。そしてギャップを好む生物もいる。この本はクロズキンアメリカムシクイやコウモリを例に挙げている。

 テキトーに開けてりゃいいのかというと、そうでもない。ある程度の規模の森が必要な種もいる。実は鳥にも社会があって、一定規模の群れが維持できないと棲みつかない鳥もいるのだ。

親のなわばりを離れて数週間しか経っていない(ノドグロルリアメリカムシクイの)幼鳥は、さえずりや鳴き声を(CDプレーヤーで)流さなかった対照区よりも、流した場所の方を頻繁に訪れた。この実験結果は、幼鳥はさえずりや鳴き声に惹きつけられたことを示唆している。
  ――第6章 孤立林と森林性鳥類の減少

 若い鳥は、仲間がたくさんいる所に集うらしい。敵に襲われた時に、その方が被害が少ないからなんだろうか。そういえばハトも群れで飛ぶなあ。

 とはいえ、保護にも問題があって。この本では金華山(→Wikipedia)のシカが例として出てくる。聖域としてシカを保護したのはいいが、増えすぎて樹皮まで食べ、また若木も食い尽くし、森が草原に変わってしまった。草原に生えるシバもシカは大好きなので、更に個体数が増える。

 こういう問題はアメリカでもあって、対策の一つは狩猟、もう一つはシカを狩るオオカミの導入だ。ここで昔からの疑問の一つが解消した。ヨーロッパの童話じゃオオカミは恐ろしい悪役だが、私はオオカミにあまり悪い印象を持っていない。むしろ精悍で仲間を大事にする獣、みたいなイメージだ。これは私だけじゃなく東アジア全体の傾向らしい。というのも…

ヨーロッパの伝統文化ではオオカミは否定的に捉えられているが、日本の伝統的な見方や描写は曖昧で複雑であある。(略)
ヨーロッパでは(略)畜産と作物の混合農業が主要だった。(略)草地に放牧されていたウシやヒツジの大きな群れはオオカミのような大型の捕食者に狙われやすかった。
日本でもウマやウシ、スイギュウは重要な家畜だったが、主に交通や耕作の手段として利用されていたので、大きな群れで飼うことはあまりなく、オオカミから守るのも楽だった。
  ――第7章 オオカミが消えた森の衰退

 向こうじゃ、肉を取るためにウシやヒツジを群れで飼う。それを襲うオオカミは害獣だったのだ。でも日本じゃあまし肉を食わないんで、オオカミの害も少ない。だからあまし悪い印象もなかったのだ。ところが…

1730年に日本に狂犬病が持ち込まれた後、日本人のオオカミに対する態度が一変した。
  ――第7章 オオカミが消えた森の衰退

 今、ちょっと Wikipedia で調べたら、やっぱり長崎発祥だった。交易は経済的な恩恵がある反面、こういう危険もあるんだよなあ。ちなみにイギリスじゃ東アジアから持ち込まれたキバノロとニホンジカとキョンが増えて困ってるとか。そういえば千葉でもキョンが騒ぎになったなあ(→千葉日報)。

 外来種にしてもシカみたく大きな生き物はまだマシで、怖いのは虫や病気だ。

気候変動は長期的には大きな脅威かもしれないが、北半球の落葉樹林が直面している最大の脅威は、特定の樹種にとりつく病原体や昆虫の蔓延であり、数年で絶滅や地域絶滅の淵に追い込まれる樹種が生じることがある。
  ――第9章 もう一つの脅威 海を越える外来種

 これもオオカミ同様に捕食者の導入って手もあるが、マングースの例もあるように、適切な役者を選ぶのが難しい。が、ツガカサアブラムシ対策は笑ってしまった。1995年、マイケル・モンゴメリーは天敵を求め中国に赴き、そこで50種のテントウムシを見つけたのはいいが…

そのうちの21種が未記載の新種だった
  ――第9章 もう一つの脅威 海を越える外来種

 中国、おそるべし。恐竜の化石といい、今世紀の生物学者は中国に熱い目線を送ってるんだろうなあ。

 などの自然の話もいいが、北米・ヨーロッパ・日本を対比させているのも楽しいところ。気候や地形の違いもあれば、それぞれの土地での自然との付き合い方の違いもある。また、自然保護の理想についても、それぞれで考え方が違う。野生の北米、田園のヨーロッパ、鎮守の森の日本とでもいうか。

 にしても、つくづく林学の本は地質学から古人の日記までと視野がやたら広くて面白い。これからも、のんびりこっちの方面も読んでいこうと思う。

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2019年8月15日 (木)

S・J・モーデン「火星無期懲役」ハヤカワ文庫SF 金子浩訳

「で、そこはどこなんだ? 七人の囚人を送り込んで刑務所を建てさせ、そこに死ぬまで閉じ込めようっていう場所は?」
「火星だ」
  ――p18

フランクの命は息の数で勘定できた。体を動かせば動かすほど、残りの数が少なくなった。
  ――p198

「…やつらはおれたちを、資源としか思ってないんだ」
  ――p257

「働け。おれがおまえらに求めるのはそれだけだ」
  ――p288

おれはどんな事故で死ぬんだろう? スーツの故障? 空気に問題が発生する?
  ――p432

【どんな本?】

 21世紀半ば。フランクことフランクリン・キットリッジは51歳。工務店を営んでいたが、今は120年の懲役で刑に服している。息子に麻薬を売るバイニンを殺したのだ。

 そんなフランクに、取引が持ちかけられた。民間企業が火星に基地を作ろうとしている。まず監督官と七人の囚人を送り込み、基地を建設して居住環境を整える。次に科学者を送り、囚人たちは基地の保守や増築を担う。基地建設の初期は最も厳しく危険な工程だ。エリートを使えば費用がかさみ、被害者が出れば大きな非難を浴びる。そこを囚人に任せれば、費用を節約できて失敗時の炎上も小さくて済む。

 フランクは取引に応じた。同僚となる囚人たちは気難しい奴もいるが、人の良さそうな奴もいて、なんとかやっていけそうだ。だが監督官はいけすかないし、訓練場の様子もおかしい。それでも訓練の内容は生存と建設の技術を磨く相応しいながらも厳しいもので…

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は ONE WAY, by S. J. Morden, 2018。日本語版は2019年4月15日発行。文庫本で縦一段組み本文約517頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント40字×17行×517頁=約351,560字、400字詰め原稿用紙で約879枚。上下巻に分けてもいい分量。

 文章はこなれている。内容も分かりやすい。科学考証はしっかりしているが、楽しむ分には特に気にしなくてもいい。敢えて言えば、火星の大気は地球の1/100未満で、しかも二酸化炭素ばかりって事ぐらい。要は空気がないも同じなんです。

【感想は?】

 解説によると、出版社からは「火星の人」の二番煎じとして注文を受けたそうだ。確かにそういう部分はある。

 似ているのは、火星でのサバイバルということ。この点で、特に技術面における迫真性は、「火星の人」とタメを張る。大きな違いは、生存者が万能のエリートではなく、それぞれが専門技能を持つ囚人である点と、複数である点だ。また、主催が民間企業なのも大きい。

 お陰でマーク君のように多様な創意工夫の才はないし、生き残るための資源も大量に必要になる。その分、SFとしては技術面での面白さがグッと増えた。人が頼りない分、それを補佐するメカの役割が大きくなっている。

 最初に頼もしく感じるのは、バギー。火星じゃ空気がないから、もちろん内燃機関は使えない。電動車である。ロケットで運ぶんで、軽くなくちゃいけない。ってんで、タイヤとエンジンをシャーシで結びつけただけみたいな、武骨なシロモノになる。もちろん、気密はない。宇宙服を着て乗る。しかも速度はせいぜい時速16km程度。地上なら渋滞してるかのようなスピードだ。

 にもかかわらず、序盤から中盤にかけては、このバギーが実に頼もしく思えてくる。まさしく命綱の役割を果たすのだ。

 バギーから始まって、彼らが自分たちの生存環境を整えていくあたりは、次から次へと想定外のトラブルが降りかかり、緊張感がまったく途絶えない。これには主催が民間企業である点も手伝って、けっこうセコい理由でピンチが訪れたりする。特に厳しいのが電力で、これの確保には最後まで苦労する。

 などの自然相手の苦労に加え、チームならではの問題も持ち上がる。何せ囚人だけに、チームワークを築くのが難しい。だけでなく、一人また一人と死んでゆく。

 というと犯人捜しのミステリのようだが、そこは巧みにヒネってある。けっこう早いうちに犯人の目星がつくのだ。これは、彼らにはわからないが読者にはわかるよう、作中にヒントを散りばめているため。おかげで誰が何のために犯行を重ねるのか、ミステリが苦手な私でも、だいたいの見当がついた。

 じゃつまらないかというと、逆だから憎い。奴の目的がアレだとすると、彼らは極めてヤバい状況にある。しかも、環境が整うに従って、むしろヤバさは増してしまう。読者はわかるが、彼らはわからないし、わかっても対策がない。このサスペンスは最後まで続き、読者を引っ張ってゆく。

 などに加え、個人的には主人公フランクがオッサンなのが嬉しい。

 なにせ51歳、いい歳である。囚人仲間には、もっと齢を経た者までいる。おまけに長い刑務所暮らしで、体がナマっている。にも関わらず、孤立無援の火星で生き延び、基地まで建設しなきゃいけない。だもんで、訓練で感じる厳しさもひとしお。この辺は、SFが歴史を経て年配の読者が増えたからこその描写だろう。いやホント、ランニングの場面は実に痛々しかった。

 真空に近い環境での作業に伴う困難や危険を描く場面では、意外な問題を指摘してSF者を唸らせつつ、巧みに捻った設定と小説ならではの構成でサスペンスを盛り上げ、最後まで読者をグイグイと引っぱってゆく、今世紀ならではの本格的なSF娯楽大作だ。

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2019年8月14日 (水)

ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡」紀伊國屋書店 柴田裕之訳 3

最初の詩人は神々だった。詩は<二分心>の誕生とともに始まった。古代の精神構造における神の側はたいてい、いやことによるとつねに、韻文で語っていたのだ。
  ――第3部 <二分心>の名残り 第3章 詩と音楽

…音楽を聞いて味わうときにも人は脳の右半球を使っている…
  ――第3部 <二分心>の名残り 第3章 詩と音楽

<二分心>を持つ人間は空想などしない。経験するだけだった。
  ――第3部 <二分心>の名残り 第3章 詩と音楽

時代とともに性質が移り変わるという事実は、催眠が所定の刺激に対する決まった反応ではなく、時代の期待や先入観に応じて変化することを如実に物語っている。
  ――第3部 <二分心>の名残り 第4章 催眠

互いに敵意を抱いていたのは、科学と宗教ではなく、科学と教会なのだ。
  ――第3部 <二分心>の名残り 第6章 科学という占い

意識と認知は別物で、この二つははっきりと区別されるべきだ。
  ――後記

紀元前1000年以前の人々は、けっして罪悪感を抱かなかった。
  ――後記

 ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡」紀伊國屋書店 柴田裕之訳 2 から続く。

【どんな本?】

 ヒトが意識を獲得したのは、約三千年前だ。
 それ以前、人は<二分心>に従っていた。神々の声を聞く心と、それに従う人間の心である。

 本書は、この大胆かつ独創的な仮説を唱え、歴史の遺物や文献によって検証し、現代にも残る名残りを挙げてゆく。

 この記事では、現代の名残りを挙げる「第3部 <二分心>の名残り」を中心に紹介する。

【はじめに】

 第3部で<二分心>の名残りとして挙げているのは六つ。宗教,憑依,詩と音楽,催眠,統合失調症,そして科学とエセ科学だ。なお、最後の「後記」は、本書の初版に寄せられた批判への反論が中心となっている。

 どうでもいいが、私が最近に読むノンフィクションは、よくダニエル・デネット(→「解明される宗教」,→Wikipedia)が出てくる。こっちの世界じゃ有名な人なんだと、いまさら思い知った。

【宗教】

<二分心>の名残りをひときわ色濃くとどめるとりわけ大切なものと言えば、複雑な美しさを備えた多種多様な宗教の伝統だろう。
  ――第3部 <二分心>の名残り 第1章 失われた権威を求めて

 という事で、最初の名残りは宗教だ。神の声を失った人々は、それに代わるものを求めた。すべての人が一斉に神の声を失ったワケじゃない。数少ないながらも、神の声が聞こえる者もいた。そういう人が、神託を受けたのだ。文化人類学だとシャーマンと呼ばれる人たちだね。現代日本の霊能者も、この系譜なんだろう。

 ここで面白いのはイエス・キリストの話。彼はユダヤ教を改革しようとした。その理由を、こう説明している。ユダヤ教は<二分心>向けだ。意識を持つ人間には、新しい宗教が必要だったから、と。

 ちなみに Wikipedia によると釈迦は紀元前5世紀、老子は紀元前6世紀、孔子も紀元前5~4世紀なので、もしかしたら東洋の方が先に意識を獲得したのかも。

【憑依】

憑依が初めて現れたのはいつだろうか。(略)
少なくともギリシアにおいては、(略)『イーリアス』にも、『オデュッセイア』にも、ほかの初期の詩にも、憑依はもとより、憑依をわずかにでも匂わせる場面はいっさい出てこない。(略)
<二分心>が消えた後を受けたのが憑依だった。
  ――第3部 <二分心>の名残り 第2章 預言者と憑依

 悪魔憑きや狐憑き、そして恐山のイタコがこれだろう。でも「首尾よく神を呼び寄せるには、霊媒が純朴で垢抜けていないほうがよい」って、ヒドスw。あ、そういえば、~の霊言とか自称する人もムニャムニャ。

 ここではウンバンダ(→コトバンク)なんてオカルト心をくすぐるネタも出てくるが、それ以上に面白いのが異言(→Wikipedia)。知らない筈の言語を喋る、という現象なのだが、これには特徴があって…

ホメロスの叙事詩に非常によく似た、強勢の有無の規則的な変化と、上がっていって最後に下がる抑揚は、信じ難いことに、異言を語る者の母国語が何語であっても変わらない。
  ――第3部 <二分心>の名残り 第2章 預言者と憑依

 共通する独特のリズムとビートを持っている、というのだ。それって、もしかして…

【詩と音楽】

 そのホメロスのイーリアス、ギリシア語の朗読が Youtube にある。いかにも上品だが、このリズムってもしかしたらラップになるんじゃね?と思ったら、やっぱりやってる人がいた(→Wikipedia)。ラッパーとは現代の詩人だと思うこともあるんだが、その確信が強まる動画だなあ。

 長い文章などを覚えるには、リズムや抑揚があると覚えやすい。「古代の詩ははるかに歌に近かった」とあるが、そうでない詩は忘れられたのかも。それはともかく、歌に近いとなると、ますますラップに似てくる。著者がヒップホップを聞いたら、どう思うんだろう? まあいい。問題は、詩と二分心にどんな関係があるのかって事だ。

詩は、<二分心>の神の側が語る言葉として始まった。<二分心>が崩壊すると、まだ神の言葉を聞くことのできる者が預言者として残る。(略)また一部は詩人という特別な職業について、神が語る過去の出来事を人々に伝えた。
  ――第3部 <二分心>の名残り 第3章 詩と音楽

 詩人が言う詩神とは、二分心時代の神の声の再降臨だ、というわけ。詩神の正体が無意識の叫びだとすれば、現代のヒップホップがアレなのも当然だよね。

【催眠】

 催眠状態とはどういうものか、私は知らなかった。この本にはわかりやすい例が出てくる。催眠にかかったフリしてる人と、本当に催眠にかかった人の違いだ。

 部屋の端から端まで歩けと命じ、途中に邪魔物になる椅子を置く。そして「椅子などない」と告げる。すると…

 ニセモノは、椅子にぶつかる。が、ホンモノは、椅子をよけて歩くのだ。よけてるんだけど、それを自覚していない。そういえばオリバー・サックス(だったかな?)の著作に、自分の足が動かないことを認めない人、というのが出てきた。「そうである」事を、自覚できないのだ。ヒトの脳は、時としてそういう働きをするらしい。

【統合失調症】

…本書の仮説によると、前2000年期より前は誰もが統合失調病だった…
  ――第3部 <二分心>の名残り 第5章 統合失調症

 と、大胆な仮説で始まるこの章、中身は皆さんのご想像通り。もっとも、私は統合失調症について全く分かっていない事を思い知らされた。例えば、こんな事とか。

統合失調症患者は通常の意識的なやり方では想像できないので、役を演じたり、見せかけの行動をしたり、架空の出来事について話したりすることが不可能なのだ。
  ――第3部 <二分心>の名残り 第5章 統合失調症

 演技ができないいのだ。だから、「もし医者だったらどうするかと訊かれても、自分は医者ではないと答えるだろう」。これと似たようなやりとりを某匿名掲示板でやった事があるんだが、相手は患っていたのか、単に面倒くさがってたのか。たぶん後者だろうなあw

【科学】

 最後のまとめとなる章だ。ここでは簡潔に、人類の歴史をまとめてある。

前2000年期に、人間は神委が身の声を聞くのをやめた。
前1000年期には、まだ神の声が聞こえた人たち、つまり宣託者や預言者もまた、徐々に消えていった。
紀元後の1000年期には、かつて預言者が言ったり聞いたりした言葉の記録された聖典を通して、人々は自分たちには聞こえぬ神の言いつけを守った。
  ――第3部 <二分心>の名残り 第6章 科学という占い

 そして、神託にも聖典にも頼れぬとわかったヒトは、他の確実なものを求め、科学やオカルトやエセ科学に頼るのだ。

【最後に】

 正直、読み終えた今でも半信半疑だ。特に第3部は、ちと突っ走りすぎの感がある。第2部も、根拠が地中海周辺に偏っているのが気に入らない。はい、感情的になってますw でもやっぱりヴェーダ(→Wikipedia)にも触れて欲しいじゃないか。特にリグ・ヴェーダは Wikipedia によると「紀元前18世紀ころにまで遡る歌詠を含む」とあるし。いや読んだことはないけどw

 というか、この本を真剣に検証しようとすると、ヴェーダ語から学ばなきゃいけない。つくづく、学問の道とは遠く果てしないものだ。

 それはともかく、ピーター・ワッツの諸作品(「ブラインドサイト」「エコープラクシア」「巨星」)を読みこなすには、必須の一冊だろう。SF者としては、読んでおいて損はない。また、歴史上の人物は私たちと全く違う考え方をしていた、なんてのは当たり前ではあるけど、それをキチンと考慮するのはいかに難しいかを実感させてくれる本でもあった。

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2019年8月13日 (火)

ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡」紀伊國屋書店 柴田裕之訳 2

文明とは、全住民が知り合い同士でないほどの広さの町々における生活術を指す。
  ――第2部 歴史の証言 第1章 神、墓、偶像

神々は誰かの想像から生まれた虚構などでは断じてなく、それは人間の意志作用だった。神々は人間の神経系、おそらくは右大脳半球を占め、そこに記憶された訓戒的・教訓的な経験をはっきりした言葉に変え、本人に何をすべきか「告げた」のだ。
  ――第2部 歴史の証言 第2章 文字を持つ<二分心>の神政政治

神々の崇拝において祈りが中心的な位置を占める行為として顕著になるのは、もはや神々が人間と(「申命記」第34章10節の言葉を借りれば)「面と向かって」話さなくなってからだ。
  ――第2部 歴史の証言 第4章 メソポタミアにおける心の変化 

ごく最近まで、偶然という概念はいっさい存在しなかった
  ――第2部 歴史の証言 第4章 メソポタミアにおける心の変化

以上、前兆占い、籤占い、卜占、自然発生的占いという占いの四つの主要な型を見てきた。ここで注意したいのは、それらは思考や意思決定が、自己の精神の外側からもたらされる方法だと考えられる点と、それらはこの順番で意識の構造にどんどん近づいているという点だ。
  ――第2部 歴史の証言 第4章 メソポタミアにおける心の変化

意識の特徴である時間の空間化がなければ、歴史は誕生しえない
  ――第2部 歴史の証言 第4章 メソポタミアにおける心の変化

意識の出現は、(略)聴覚的な心から視覚的な心への転換と解釈できる。
  ――第2部 歴史の証言 第5章 ギリシアの知的意識

『イーリアス』には隠し事がない。
  ――第2部 歴史の証言 第5章 ギリシアの知的意識

意識と道徳は一体となって発達する。
  ――第2部 歴史の証言 第5章 ギリシアの知的意識

旧約聖書とは本質的に、<二分心>が失われ、残存するエロヒムが穏やかに沈黙の中へと後退し、それに続いて混乱と悲劇的暴力が起こり、預言者たちの中に神の声を再び得ようと空しく探したあげく、ついに道徳的規範にその代用品が見出されるまでを描いた物語なのだ。
  ――第2部 歴史の証言 第6章 ハビルの道徳意識

 ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡」紀伊國屋書店 柴田裕之訳 1 から続く。

【どんな本?】

 約三千年前まで、人類には意識がなかった。

 それまで、人類は二つに分かれた心<二分心>で生きていた。片方は神のように語る=命じる心であり、主に脳の右半球が担っていた。もう一つは神の言葉を聞く=従う心であり、主に脳の左半球である。

 確かに、人類はその歴史のどこかで意識を獲得したんだろう。だが、三千年前とは、いささか新しすぎるのではないか。なぜ三千年前だとわかるのか。三千年前に、何が起きたのか。また、意識の代わりが<二分心>とは、あまりにオリジナリティがすぎるのではないか。

 第2部では、これらの疑問に答え、根拠を示すべく、様々な遺跡や文献を漁り、また歴史上の出来事を挙げてゆく。町の形、偶像、そして『イーリアス』と『旧約聖書』。

 独動的で大胆かつ奇想天外な仮説を、膨大な知識によって裏付ける、圧倒の第2部。

【はじめに】

 今は第3部の半ばぐらいまで読み終えたところだ。正直、著者の仮説はちと怪しいと思い始めている。が、だとしても、SFや伝奇小説は、敢えて騙された方が楽しい。そういう姿勢でこの記事を書いている。

【衝突】

 三千年前とは言うが、全世界で同時とは言っていない。

 そう、所によって早かったり遅かったりした。だから、<二分心>の社会と意識の社会が衝突する事もある。1532年11月のスペイン人とインカ帝国の出会いがソレだ。

 インカ帝国滅亡の原因を探る説としては、なかなか斬新だと思う。もっとも、私はブライアン・フェイガンの意見を聞いてみたい(→「水と人類の一万年史」)。

【物的証拠】

 さすがにモノから心を探るのは難しい。が、それでも都市の形や絵画などから、著者はなんとか根拠を見いだそうとする。

 中でも気になったのは、神像や偶像の目比率だ。これは 目の直径/頭の長さ の数字である。要は目がデカい。これは目力とでもいうか、神の権威を強調したもの、としている。

 人間の目は約10%なのに対し、シュメールの遺跡やエジプトの神殿から発掘された神像は、目比率が18~20%に及ぶ。インダス文明も20%超える、とあるが、今Google画像検索でざっと見ると、確かに大きいけど切れ長の目が多いなあ(→画像検索)。

 それより私が連想したのは、遮光器土偶だ。Wikipedia によると遮光器土偶は「縄文晩期のものが多い」とあるので、著者が主張する三千年前とほぼ合致する。

 実はもう一つ、「ねんどろいど」を思い浮かべたのだが、これが将来に発掘された時、果たしてどう解釈されるのやらw

【神々の戦い】

 神話の解釈にはいろいろある。その一つに、様々な神は、有力な部族を象徴している、とするものだ。これに<二分心>を当てはめると、実に面白い構図が出来上がる。つまり、部族同士の争いは、まんま神同士の戦いになるのだ。少なくとも、当時の人にとっては。

 エジプト神話で解釈が難しい「カー」も、二分心仮説なら理屈が通る。つまり脳内の声がカーだ。おお、すげえ。とすると、守護霊ってのは、<二分心>の残響なんだろうか。

【変化】

 では、何が<二分心>を消したのか。

 著者は七つの原因を挙げている。うち四つは<二分心>より意識の方が有利だ、とする理由だ。だが、それは、生存競争に勝った事を示すだけで、なぜ意識が出現したのかは説明しない。

 なら、何が意識を生んだのか。

 一つは文字だ。これで神の声が弱まった。例えばハンムラビ法典だ。脳内の声に従えばいいなら、法律は要らない。文書化とは、脳内の声を外に出すことだ。これにより、脳内の声を超える権威ができてしまった。

 次に大災害。BC1628のデラ島(→Wikipedia)の火山噴火により、地中海周辺地域は壊滅的な打撃を受け、難民が近辺にも押し寄せた。難民は神に見捨てられたと感じただろう。

 そして最後に、難民や交易などを通じた異民族との接触。他者を理解するには、脳内の声だけでは不充分だ。特に交易では、異民族を理解しなきゃいけない。

相違を観察することが意識のアナログの空間の起源になるかもしれない。
  ――第2部 歴史の証言 第3章 意識のもと

 それ以前からボチボチと現れていた意識を、これらの要素が育てていったのだ。

【懐古】

 去っていった神を、人々は探し求める。

世界の諸宗教に共通する大テーマが、ここで初めて問われている。なぜ神々は人間のもとを去ってしまったのか。
  ――第2部 歴史の証言 第4章 メソポタミアにおける心の変化

 これを補うために、ヒトは様々なモノを生み出す。祈り、占い、そして道徳。

『イーリアス』に出てくる、神々の操り人形である人間は、道徳的判断ができない。
  ――第2部 歴史の証言 第5章 ギリシアの知的意識

 昔は道徳がなかった、というのも衝撃的だ。第2部第6章では、旧約聖書を元に仮設の検証を企てる。旧約聖書には残酷で理不尽な場面が多いが、それを道徳の欠如として解釈するとは、なんとも大胆だよなあ。

 ちなみに第2部第5章は『イーリアス』での検証だ。私は旧約聖書もイーリアスも読んでいないので何とも言えないが、いずれもアレな説のネタとしては鉄板なだけに、なんか怪しいと感じると共に「巧く料理したら面白い物語が書けるかも」などと思ってしまう。

【最後に】

 などと、色々と茶化しつつ読んだのだが、そうでもしないと著者の世界に引きずり込まれるという危機感を抱いたからだ。幸か不幸か私は古典も歴史も教養に欠けるため、キチンとした検証はできないが、できれば反論の書も読んでみたいと思う。そういう毒消しがないと、洗脳されそうな気配になっている。

 などと危ぶみつつ、次の記事に続く。

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