2017年3月22日 (水)

大谷正「日清戦争 近代日本初の対外戦争の実像」中公新書

「朕素より不本意なり、閣臣等戦争の已むべからざるを奏するに依り、之を許したるのみ、之を神宮及び先帝陵に奉告するは朕甚だ苦わしむ」
  ――第2章 朝鮮への出兵から日清開戦へ

桂第三師団長だけでなく、第五師団幹部も、師団長野津道貫中将、第九師団長大島義昌少将、そして第十旅団長立見少将の三人とも、揃いも揃って、全員が独断と独走の軍人であった。
  ――第4章 中国領土内への侵攻

つまり大本営に、のちの記者クラブにあたる組織を設置したのである。
  ――第5章 戦争体験と「国民」の形成

日清戦争に日本が勝利した理由のひとつは、日本軍が対外戦争のための動員システムを持っていたのに対して、清軍にはそれが欠けていたことである。
  ――第5章 戦争体験と「国民」の形成

その死亡原因は、戦死・戦傷死が約10%、病死が88%で、日清戦争が病気との闘いであったことが明らかである。
  ――終章 日清戦争とは何だったのか

日清戦争は外交で失敗した戦争であり、陸奥は外相としてその責任を負わなければならない。
  ――終章 日清戦争とは何だったのか

【どんな本?】

 1894年~1895年にかけて、文明開化を進める日本と、旧態依然とした清の間で、朝鮮の支配権をめぐる戦いとされる日清戦争。軍事改革が進んだ日本が、旧式装備の清を破ったとも言われる。

 だが、その実態はどうだったのか。なぜ朝鮮の支配権が問題になったのか。焦点となった朝鮮の内情はどうなのか。両軍の装備や軍制はどうだったのか。両国を巡る欧米列強は、戦争をどう見ていたのか。そして、戦争を国民はどう受け止め、関係国をどう変えていったのか。

 朝鮮半島や遼東半島の戦いに加え、1895年以降の台湾での戦いも含め、また当時の日清両国の内情や対外的立場の変化も視野に収めて日清戦争の全貌を描き、コンパクトな新書で日清戦争の概要を掴める、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年6月25日発行。新書版で縦一段組み、本文約253頁に加え、あとがき3頁。9ポイント41字×16行×253頁=約165,968字、400字詰め原稿用紙で約415枚。文庫本なら少し薄めの一冊分。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もあまり難しくない。ただ、朝鮮や中国の地名が多く出てくるので、しっかり読みたい人は地図か Google Map を用意しよう。

【構成は?】

 「終章 日清戦争とは何だったのか」が、巧みに本書を要約しているので、急いで全貌を知りたい人は終章だけ読んでもいい。

  • はじめに
  • 第1章 戦争前夜の東アジア
    • Ⅰ 朝鮮の近代と天津条約体制
      「属国」と「自主の国」/開化政策と壬午軍乱/日清の対応/甲申政変 急進開化派のクーデター失敗/長州派・薩派の対立/天津条約と日清英の協調体制/極東ロシア イメージと実像
    • Ⅱ 日本と清の軍備拡張
      清の軍備近代化 准軍の膨張/北洋海軍の近代化/壬午軍乱以後の日本の軍備近代化/優先された海軍の軍備拡張/陸軍、七個師団体制へ/陸海軍連合大演習/参謀本部の対清戦争構想の形成
  • 第2章 朝鮮への出兵から日清開戦へ
    • Ⅰ 甲午農民戦争と日清両国の出兵
      第二次伊藤博文内閣の成立/伊藤内閣の苦難 条約改正と対外硬派/甲午農民戦争 東学の拡大と蜂起/朝鮮政府の派兵要請/清と日本の出兵
    • Ⅱ 開戦までの日清政府の迷走
      清・日両軍の朝鮮到着/伊藤首相の協調論、陸奥外相の強硬論/第一次絶交書とイギリス・ロシアの干渉/清政府内の主戦論と開戦回避論
    • Ⅲ 日清開戦
      7月19日の開戦決定/豊島沖海戦/朝鮮王宮の武力占領/混成第九師団の南進/成歓の戦い/宣戦詔書をめぐる混乱 戦争はいつ始まったか/明治天皇の日清開戦への思い
  • 第3章 朝鮮半島の占領
    • Ⅰ 平壌の戦い
      戦争指導体制/短期戦から長期戦へ/第五師団本体、朝鮮へ/輜重の困難 「輸送の限界」/第三師団の動員/野津第五師団長の平壌攻撃決意/日清の武器の差/激戦 混成第九師団の正面攻撃/平壌占領と清軍の敗走
    • Ⅱ 黄海開戦と国内情勢
      9月17日の遭遇/勝利 過渡期の軍事技術と制海権確保/明治天皇と広島大本営/大本営御前会議/日清戦争最中の総選挙/第七臨時議会の広島開催
    • Ⅲ 甲午改革と東学農民軍の殲滅
      甲午改革 親日開化派政権の試み/井上馨公使赴任と朝鮮の保護国化/第二次農民戦争 反日・反開化派/東学農民軍へのジェノサイド
  • 第4章 中国領土内への侵攻
    • Ⅰ 第一,第二両軍の大陸侵入
      第一軍の北進と清軍の迎撃体制/鴨緑江渡河作戦/桂師団長・立見旅団長の独走/第二軍の編成 旅順半島攻略へ/無謀な旅順攻略計画
    • Ⅱ 「文明戦争」と旅順虐殺事件
      欧米の目と戦時国際法/旅順要塞攻略作戦/11月21日、薄暮の中の旅順占領/虐殺 食い違う事件像/なぜ日本兵は虐殺行為に出たのか 兵士の従軍日記を読む/欧米各国に対する弁明工作
    • Ⅲ 冬季の戦闘と講和の提起
      第一軍と大本営の対立/山県第一軍司令官の更迭/第一軍の海城攻略作戦/遼河平原の戦闘/講和を絡めた山東作戦・台湾占領作戦の提起/山東作戦による北洋海軍の壊滅
  • 第5章 戦争体験と「国民」の形成
    • Ⅰ メディアと戦争 新聞、新技術、従軍記者
      朝鮮に向かう新聞記者たち/強化される言論統制/国民の戦争支持と情報開示/新技術導入と『朝日新聞』の戦略/『朝日新聞』の取材体制/高級紙『時事新報』の戦争報道/浅井忠と「画報隊」/『国民新聞』と日本画家久保田米僊父子/写真と絵画の差異/川崎三郎『日清戦史』全七巻
    • Ⅱ 地域と戦争
      義勇兵と軍夫/軍夫募集/兵士の動員と歓送/戦場と地域を結んだ地方紙/『扶桑新聞』記者鈴木経勲/盛況だった戦況報告会/凱旋帰国と人々の歓迎/追悼・慰霊 “選別”と東北の事情/福島県庁文書が残す「地域と戦争」/動員と査定 町村長たちの“勤務評価”/日清戦争と沖縄/その後の沖縄
  • 第6章 下関講和条約と台湾侵攻
    • Ⅰ 講和条約調印と三国干渉
      直隷決戦準備/征清大総督府の渡清/李鴻章の講和全権使節就任/交渉開始と李鴻章へのテロ/清の苦悩と条約調印/三国干渉 露独仏の遼東半島還付の要求/遼東半島返還と「臥薪嘗胆」
    • Ⅱ 台湾の抗日闘争、朝鮮の義兵闘争
      台湾総督府と「台湾民主国」/日本軍の増派/南進作戦の遂行への激しい抵抗/「台湾平定宣言」後も終わらない戦闘/閔妃殺害事件/抗日義兵闘争と露館播遷
  • 終章 日清戦争とは何だったのか
    戦争の規模/戦争相手国と戦争の継続期間/だれが、なぜ、開戦を決断したのか/未熟な戦時外交/困難な戦争指導/戦費と日清戦後経営
  • あとがき
  • 参考文献/日清戦争関連年表

【感想は?】

 思い込みが次々と覆され、いっそ気持ちがいい。

 この本は単に軍事だけを扱うのではなく、外交はもちろん内政や国民の反応、そして関係各国の立場の変化までも視野に入れた、総合的な視点で日清戦争を捉えた本だ。新書なので細かい部分は省いているが、それだけに日清戦争の全貌を掴むには適した本だろう。

 ちなみに日本の外交の失敗や軍の暴走も容赦なく書いているので、「日本偉い」が好きな人には向かない。

 話は朝鮮半島から始まる。清の属国か独立国かが曖昧な上に、国内は改革を求める開化派と守旧的な東学派の対立、宮廷内の政権争いに加え、米と豆の輸出が物価高騰を招き庶民の不満が募り…と、物騒かつ複雑な様相。

 全般的に日本の介入は、現地の者が伊藤内閣の意向を無視して強引に独走し、結果として朝鮮の国民感情を逆なでし、更に状況を悪化させていったように書かれている。清との戦いでも前線の師団長が勝手に進軍して戦闘に入ってたり。

 幸か不幸か、師団長の独走は往々にして戦闘の勝利につながり、これが後の関東軍独走へとつながったんじゃないか、とか思ってしまう。もっとも前線指揮官が独走しても結果オーライなら不問って文化は常勝のイスラエル軍も同じなので、当時の日本の未熟さだけが原因じゃないのかも。

 一言で戦争と言っても、敵国の完全支配を目指す全面戦争と、権益や一部地域の支配が目的の局地戦があって、日清戦争は局地戦だと思っていたんだが、一部の軍人は全面戦争も覚悟していたみたいだ。

「作戦大方針」の要点は、黄海・渤海の制海権を掌握し、秋までに陸軍主力を渤海湾北岸に輸送して、首都である北京周辺一帯での直隷決戦を清軍と行うというもので、短期決戦をめざしていた。
  ――第2章 朝鮮への出兵から日清開戦へ

 終戦間際にも直隷平原に陸軍兵力の大半を輸送する計画があって、この野望が泥沼の日中戦争へとつながったんだろうか。同じような悪いクセは他にもあって…

明治期の日本陸軍の最大の弱点は、軍馬の不足と不良であったと言っても過言ではない。
  ――第3章 朝鮮半島の占領

 と、兵站軽視も根が深い。「輜重輸卒は在営期間が短く、日中戦争期までは昇進できず二等兵で終わることが多かった」とかもあるし。なお輜重輸卒は荷を担いで運ぶ人で、馬で運ぶ輜重兵は普通の兵と同じに扱われた模様。

 これを補うのが、軍夫って制度。輸送任務をこなす人たちで、今なら輸送部隊や民間軍事企業が担う役割で、立場的には民間人。だもんで凍傷を負ったら解雇だし、戦死者にも数えられないし、亡くなっても軍は祀らない。書いてないけど、たぶん恩給も出ないんだろう。酷い話だ。対して民間の態度は…

他所からやってきた第二師団の将校も追悼の対象に含まれたが、主体は戦没した東北の人々であり、軍人と軍夫の差はなかった。
  ――第5章 戦争体験と「国民」の形成

 と、「おらが村の犠牲者」として、区別しなかった様子。こういう兵站軽視は平壌の戦い(→Wikipedia)などで危機的な状況に陥るんだが、清側が勝手にコケる幸運に何度も助けられる。ただ、平壌の戦いの部分では、清側の事情を全く書いていないので、読んでて不思議さにポカンとなってしまった。

 などの軍事的な事柄に加え、「第5章 戦争体験と「国民」の形成 」があるのも、本書の大きな特徴。

 特に「Ⅰ メディアと戦争 新聞、新技術、従軍記者」は、メディアが戦争をどう取材し伝え、その反響はどうだったかをまとめるだけでなく、当時のメディア事情も書き込んで、あの頃はメディアも革命期だったのだな、としみじみ感じさせる。

 基本は文字だが、画像も活用してて、洋画家・日本画家などの絵に加え、写真もガラス乾板とフィルムが混在した状態。これは新聞の印刷でも問題になって…

 大日本帝国の陸軍は出身地ごとに部隊を編成しているためか、出身地方の地方紙は「故郷の新聞は師団長から一兵卒・軍夫までが熟読する故郷の便りであった」なんて風景は、少し前に読んだ「戦地の図書館」を思い浮かべてしまう。

 旅順虐殺事件(→Wikipedia)などの苦い話も盛り込み、兵器の優劣や日本側の外交の不備など教科書で習ったのとは大きく違う話も多く、私にとっては次々と驚きが続く本だった。やっぱり歴史も知識を更新しないといけないんだなあ。

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2017年3月20日 (月)

M・R・ケアリー「パンドラの少女」東京創元社 茂木健訳

すべてのものには、ふたつの面がある。だけどそれを確かめるには、匣を開けるしかない。

兵隊であるパークスが最も得意としているのは、解決策がひとつしかない問題を迅速に処理することだ。

【どんな本?】

 イギリス生まれでアメコミの原作を書いていたマイク・ケアリーが、M・R・ケアリー名義で発表した長編ゾンビ小説。SFマガジン編集部編「SFが読みたい! 2017年版」のベストSF2016海外篇でも、17位に食い込んだ。

 近未来のイギリス、ロンドン郊外。謎の奇病により人類の大半は知性を失いゾンビと化すが、郊外の街ビーコンに立てこもり生き延びた者もいた。奇妙な事にゾンビとなりながらも知性を持つ子供たちが見つかり、ビーコンの北120kmほどの<基地>に集め研究していた。

 しかし<基地>は襲われ、脱出できたのは五人だけ。優秀な軍曹パークス、ヒヨッコ一等兵ギャラガー、熱心な研究者ドクター・コールドウェル、熱血教師ジャスティノー、そしてゾンビ少女のメラニー。ゾンビがうろつくイングランド南部を、120km南のビーコンを目指し五人は進む。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Girl With All The Gifts, M. R. Carey, 2014。日本語版は2016年4月28日初版。単行本ソフトカバー縦二段組みで本文約383頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント24字×20行×2段×383頁=約367,680字、400字詰め原稿用紙で約912枚。文庫本なら上下巻でもいい分量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。ゾンビ化の真相がちと専門的だが、まあハッタリです。

【どんな話?】

 近未来。<大崩壊>をもたらしたのは、謎の奇病だった。罹患した者は知性を失って<飢えた奴ら>=ハングリーズとなり、他の者に噛みつく。噛みつかれた者もハングリーズとなり、人を襲い始める。しかも、ハングリーズは百キロ以上遠くからでも人の臭いを嗅ぎつけ、凄まじい勢いで追いかけてくるのである。

 世界規模で同時に発生した奇病により人類の文明は崩壊、運良く助かった少数の者が郊外の街に立てこもり、対策を練っていた。

 その研究は、ロンドンの北50kmほどにある<基地>で行われている。ハングリーズとなりながらも、なぜか知性を失わない者が見つかったのだ。全て幼い子供ばかり。<基地>では、そんな子供たちを狩り集め、教育を施し、またハングリーズに対抗するための研究が続いていた。

 メラニーは10歳。基地で暮らすハングリーズの一人だ。楽しみはミス・ジャスティノーの授業。授業中は車椅子に縛りつけられ、頭すら動かせない。それでも、ミス・ジャスティノーが教えてくれるお話が大好きだった。いつか、多くの人が住むというビーコンに行きたいと思っている。

 ときどき、何の前触れもなく子供が消える事がある。最初はヴェロニカだった。次にリアムとマルシア。そして、メラニーの番が来た。

【感想は?】

 まず発想がおかしい←ほめてます。なんたって、視点がゾンビだ。

 主人公はゾンビ少女のメラニー10歳。いやゾンビではなく作中では<飢えた奴ら>=ハングリーズとなってるけど。にも関わらず、なぜかメラニーは人としての意識は保ち続けている。

 ゾンビの性質も、俗説とは少し違う。タフでなかなか死なず、人を襲い、噛まれて伝染するのは同じなんだが、イザとなった時の運動能力はチーター並み。幸いお馬鹿なのも俗説と同じなんだが、稀にメラニーのような子供ゾンビもいる。

 で、ゾンビ少女のメラニー視点で始まるあたりが、とってもおかしい。

 このメラニー、なかなか賢い子なんだけど、<基地>以外の世界を全く知らない。かなり酷い扱いを受けてるんだが、そこしか知らないから恨みもへったくれもなく、素直にミス・ジャスティノーを慕うあたりが、実に泣かせます。

 そんなメラニーに嫌われるドクター・コールドウェルが、これまた見事なマッド・サイエンティストで。過去の因縁もあってか、世界で最も大切なのは己の研究と信じて疑わず、一切の感情を排して研究に向き合う姿は、まさしく研究者の鑑。当然、実験動物の気持なんか全く斟酌しません、はい。

 そんなわけで、メラニー視点で描かれる彼女の姿は、コールドを含む名前もあって、あまし芳しいもんじゃないけど、終盤で彼女が見せるプロ意識は、なかなか感動的だったりする。

 やはりプロに徹しているのが、基地を守る兵をまとめるパークス軍曹。なぜか将校が来なくなった基地を、指揮官としての優れた手腕でまとめあげ、また若く頼りない部下たちに対しても、厳しいながら加減を心得えた的確なもの。失敗した部下に対しても、無駄な叱責はせず実用的なアドバイスを教えるあたり、理想的な下士官でもある。

 そんなパークスも、前半じゃ謹厳実直で脳筋な石頭に見えるんだが、旅を続けるに従い次第に印象が変わってくるのが、ちょっとした読みどころ。

 この印象を変える役割を受け持つのが、ヘタレ一等兵のギャラガー。軍に入ったいきさつもあり、パークスを心の芯から敬う若者。いろいろと頼りない所もあるけど、煩悩を持て余す年頃でありながら、なんとかパークスに認められようと頑張るあたりは、ちょっと可愛かったり。

 そしてメラニーに慕われる教師のミス・ジャスティノーは、主人公の補佐役に相応しいホスタビリティあふれるいい人。著者も教職の前歴があるためか、教え子を思いやる教師の気持ちがしみじみと伝わってくる。それが行き過ぎて困ったことになる時もあるんだけど。

 などの五人組が、ゾンビだらけのイングランド南部を突っ切る旅が、このお話の中心。

 なんだが、怖いのはゾンビだけじゃないあたりが、ヒネリの効いた所。<廃品漁り>=ジャンカーズと呼ばれる連中だ。人間でありながらビーコンへは移らず、群れをなし弱肉強食の世界で生きている。つまりはヒャッハーな連中です。彼らが単なる敵役だけじゃないのも、この作品の巧妙な所。

 基地での日々を描く冒頭はややモタつくけど、五人が旅に出てからの中盤以降は緊張と驚きの連続で飽きさせない上に、旅の中でそれぞれの人物像が次第に変わってゆくのも面白い。そしてもちろん、アッと驚くエンディングも。

 ゾンビ物だけあって、肉体が蹂躙されるエグい場面も多いけど、ゾンビの真相はよく考えられてるし、なんたってゾンビ視点ってのがユニークな上に、エンディングもセンス・オブ・ワンダーを感じさせる優れもの。なお、既に映画化されていて、Youtube で予告が見られます。

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2017年3月19日 (日)

スチュアート・アイサコフ「ピアノの歴史」河出書房新社 中村友訳

 本書はピアノにまつわる物語だ。演奏者、発明家、巨匠に自称巨匠、教師に生徒、後援者、批評家、プロモーターたちが登場するが、みんなピアノの芸術性追求に生涯を捧げている人たちだ。これらの人たちの力が合わさって、かつて人間が作り出した最も重要な楽器の興味深い物語が誕生した。
  ――第一章 伝統の蓄積

ムスティスラフ・ロストロボーヴィチ「ぼくらはパイロットじゃないんだからね。間違ったところで、みんな死にはしないよ」
  ――第五章 巡業する演奏家たち

ジャズは遠心力、つねに、境界線を外に押し広げようとする力だ。
  ――第九章 リズミスト

どういうわけか、練習は苦痛を伴うものだという認識が、19世紀においては一般的になった。
  ――第十四章 世界進出への鍵

【どんな本?】

 紳士淑女が集うクラシックのコンサートで、酔客がたむろし紫煙漂う酒場で、子供たちが歌う音楽教室で、ピアノは音楽を奏でる。小鳥の軽やかなさえずりから、力強く進む列車、そして嵐の咆哮まで、ピアノは音で描き出す。

 先祖のハープシコード(チャンバロ)から、どのような経過を辿ってピアノは生まれたのか。ピアノはどのように普及し、受け入れられたのか。歴代の演奏家や作曲家は、ピアノの可能性と表現力を、どのように押し広げていったのか。そして現代の演奏家や作曲家たちは、どんな挑戦を続けているのか。

 モーツァルトからオスカー・ピーターソンまで、綺羅星のごとく並ぶ音楽家たちと共に、ピアノとピアノ曲の歴史を辿る、一般向けの音楽史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A Natural History of the PIANO : The Instrument, the Music, the Musicians--from Mozart to Modern Jazz and Everything in Between, by Stuart Isacoff, 2011。日本語版は2013年5月30日初版発行。

 単行本ハードカバー縦一段組みで本文約425頁に加え、青柳いずみこの解説6頁。9.5ポイント44字×19行×425頁=約355,300字、400字詰め原稿用紙で約889枚。文庫本なら上下巻にわけてもいい分量。

 文章はこなれている。内容は特に難しくないが、出てくる作曲家・演奏家はクラシックの人が多いので、クラシックが好きな人ほど楽しめる。私はクラシックはからしきなので、ちょっと辛かった。ピアノの演奏技術を語る部分も多いが、別にピアノを弾けなくても、「鍵盤は左が低音で右が高音」程度にわかっていれば、雰囲気は掴める。

【構成は?】

 だいたい時系列順に進むので、素直に頭から読むのが無難だが、随所に有名な音楽家のエピソードを綴るコラムが入るので、そこを拾い読みしてもいい。贅沢を言うと、人名索引が欲しかった。

  • 第一章 伝統の蓄積
  • 第二章 ピアノ誕生
  • 第三章 ピアノ界のスーパースター誕生
  • 第四章 ピアノ熱
  • 第五章 巡業する演奏家たち
  • 第六章 四つの音
  • 第七章 燃焼派
    • 第一部 新約聖書
    • 第二部 火は燃え続ける
  • 第八章 錬金術師
    • 第一部 化学
    • 第二部 ショックと畏敬
  • 第九章 リズミスト
    • 第一部 アメリカの冒険の始まり
    • 第二部 オール・ザット・ジャズ
    • 第三部 揺るがぬリズム?
      それとも危ういリズム?
  • 第十章 メロディスト
    • 第一部 心に正直に
    • 第二部 わが道を行く
  • 第十一章 洗練と土着
  • 第十二章 ロシア人たちがやってくる
  • 第十三章 ドイツ人とその親戚
  • 第十四章 世界進出への鍵
  • 第十五章 最前線で
  • 第十六章 温故知新
  • 補遺:補足事項
  • コラムに登場する人物紹介
  • 謝辞/解説 青柳いずみこ/出典その他

【感想は?】

 引用したい文や台詞がいっぱいある。

 オスカー・ピーターソンの「これがぼくの治療さ」から始まって、ルイス・モロー・ゴットシャルクの「詩はしばしば美徳と対立する」とか、ビリー・ジョエルの「わたしは、自分で作曲したクラシックの作品をロックンロールに編曲している」とか。

 お堅いと思っていたクラシックも、実は守旧と革命の歴史なんだなあ。そもそも、肝心のピアノ自体が、次第に進化してきた楽器だし。

 ピアノの親はハープシコード(チェンバロ、→Wikipedia)。見た目はピアノに似てるし、弾き方も近いが、音の出し方が違う。ハープシコードは爪で弦をひっかくので、音に強弱がつけられず、どうしても単調な感じになる。

 これを改造したのが、なんとフェルディナンド・デ・メディチ(→Wikipedia)と、職人バルトロメオ・クリストフォリ(→Wikipedia)。ハープシコードが弦をひっかくのに対し、ハンマーが弦を叩くようにした。と共に、自動的にハンマーを元の位置に戻す「アクション」(→Wikipedia)も発明している。一種のカムかな?

 と言っちゃえば簡単だが、やたら部品が多くて精密かつ頑丈でないとマズい機構で、こんなん鍵盤の数だけ用意するとなると、それなりに腕のいい職人を集め相応の手間暇かける必要があって、そりゃ大公子でもないと資金が続かないだろうなあ。

 もっとも弦をハンマーで叩くって発想には先達がいて、クラヴィコード(→Wikipedia)がそれ。ただ音が小さいのが弱点。これはリュートがギターに駆逐された経緯に似てるなあ。でも最近は電気化されクラヴィネットとしてスティーヴィー・ワンダーの迷信とかで活躍してるね。

 ピアノに戻ると、音も「今より乾いた感じで、より小さく、よりきびきびした響きを持っていた」。たぶん構造材の制限で、減の張力をあまり強くできないのも原因の一端なんだろう。他にも様々な効果をつけるペダルなどの発明で、ピアノの表現力は次第に広がってゆく。

 今でもポップ・ミュージックの音楽家たちはシンセサイザーをいじくりまわしたり波形エディタを使ったりして新しい音を探してるけど、こういう新しい音を求める気持ちってのは、昔からあったのね、と変に感心したり。

 Journey が Wheel in the Sky で演奏ツアー暮らしの厳しさをボヤいてるけど、昔のドサ周りはもっと厳しかった様子。神童と呼ばれたモーツァルトも父レオポルドに連れられ欧州ツアーに出かけたが、どの道中はレオポルド曰く…

「通行不可能な道、乗り心地の悪い馬車、惨めな宿、強欲な宿屋の主人、堕落した税関検査官、旅人を狙う追いはぎ」

 と、半端なくシンドい道中だった様子。19世紀ロシアのアントン・ルビンシテインも、「239日間で215回のコンサート」なんて無茶なアメリカ・ツアーをやってる。たんまり稼いだのはいいが、やっぱり懲りたようで、「ただ機械的に演奏するだけのロボットになってしまう」と、次の誘いは断ってる。

 音そのものに加え、演奏法や曲も、1889年のパリ万博で披露されたガムランに衝撃を食らったり、アメリカじゃアイルランド移民が持ち込んだダンスに影響を受けたりと、クラシックも常に新しい物を求めてるってのは、意外な発見だった。

 全般的に高名な作曲家や演奏家の話が多いけど、普通の音楽好きな人の話も楽しい。

 例えば自動ピアノ。ロール紙に曲を記録し、それを別の自動ピアノに設定すれば、演奏を再生する。これ、19世紀末~20世紀初期に流行ったモノで、どうやらちょっと前のレコードや CD の役割を果たしていたらしい。つまり、家庭で好きな曲を楽しむための機械ってわけ。

 やはり人が音楽を求める想いの強さを感じさせるのが、GIピアノ。第二次世界大戦中、なんと米軍は戦場にピアノを飛行機から投下してたとか。そのため、スタンウェイは専用のタフなピアノを開発しましたとさ。なんちゅう贅沢な。そういえば「イワンの戦争」でも、赤軍がドイツ軍に楽譜をねだるエピソードがあったなあ。

 などと、ピアノに疎い私でも楽しめるエピソードがいっぱい。ピアノに限らず、音楽好きには美味しく味わえる本だ。ただ、出てきた曲やピアニストの演奏を Youtube で漁り始めると、なかなか読み進められないのが欠点w

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2017年3月15日 (水)

吉田エン「世界の終わりの壁際で」ハヤカワ文庫JA

 西の空。そこには<壁>があった。
 かつて、山手線と呼ばれた鉄道の沿線に築かれた巨大な壁。その見渡す限り果てのない黒い壁の内側には、美しく、整った、まるで天国のような街があると、片桐を育ててくれた孤児院の住職が言っていた。

【どんな本?】

 2016年の第4回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作を、加筆訂正した作品。

 近未来の東京。数十年後に迫った大異変に備えるため、山手線をなぞるように巨大な壁が築かれている。壁の中の者は異変を逃れ、豊かで安全に暮らせるという。

 だが壁の外でも、人々は暮らしていた。抜け目なく立ち回れば、貧しくともなんとか生きてはいける。片桐音也は、有り金はたいて装備を買い集め、ゲーム<フラグメンツ>で勝ち残り一攫千金を狙うが、軽く蹴散らされてしまう。桁違いの金をかけた身体改造者、壁の中の住民が対戦相手だったのだ。

 素寒貧になった音也は、旧友の保坂に誘われ、ヤバい仕事に手を出す羽目になる。勢力拡大に熱心な新興組織ブラザーフット絡みだ。嫌な予感は当たり、音也はトラブルに巻き込まれるばかりでなく、正体不明で物騒なモノを背負い込む羽目になり…

 ゲーム,ボーイ・ミーツ・ガール,貧しい少年の野望など、娯楽作品の定番を揃え勢いのあるアクションで引っ張りながら、骨太なアイデアに支えられた世界観を示した、勢いのある長編SF小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2016年11月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約382頁。9ポイント40字×17行×382頁=約259,760字、400字詰め原稿用紙で約650枚。文庫本としては少し厚め。

 文章はこなれている。内容は、一部のガジェットを除き、かなり親切。難しそうな部分もあるが、理屈はわからなくても、ストーリーに絡む重要なツボは感覚的に伝わるよう、巧く書き方を工夫している。

【感想は?】

 バトル・アクションを中心とした娯楽小説として、新人とは思えぬ巧さ。こう言っちゃなんだが、電撃文庫で電撃向けの味付けで出したら、もっと売れると思う。

 出だしからして見事。ゲームでのし上がろうと野望を抱く貧しい少年が、全財産をかけ揃えた装備で一発勝負に臨むが、圧倒的な資金を誇る金持ちプレーヤーに一蹴される。ちょっと古臭い感はあるが、少年漫画の王道を感じさせる導入部だ。

 壁で区切られた世界で、その壁を乗り越えようと足掻く少年は、ヤバい橋を渡る過程で曰くありげなシロモノを手に入れ、また不思議な少女と出会い…

 と、幾つもの謎を示した上で、更なる冒険を予感させる、多少古臭くはあるけど少年漫画の安定感ある王道を感じさせる開幕。当然、そういった読者の期待は裏切られることなく、主人公の片桐音也は次々と危機に見舞われ、その度に激しいアクションが展開する。

 このバトル・アクションの書き方が、これまた少年漫画の王道で。それぞれの闘いに、「なぜ闘うのか」「誰と闘うのか」「どう闘うのか」が、キチンと意味を持っているのだ。お陰で、バトル突入の唐突感がない上に、読み進めるほど伏線が効いてきて、読者は本を閉じるキッカケが掴めなくなる。

 しかも、主人公が若いだけに、少しづつ変わっていくのもいい。最初はゲームで成り上がる事しか考えてないチンピラな音也が、それぞれの闘いや出会い、そして世界の仕組みを知るにつれ、冒険物語のヒーローに相応しい人物に育ってゆく。こういうのが、とっても気持ちがいいのだ。

 そうやって育ってゆくのが、主人公だけじゃないのも、電撃向きな所。音也が彼女を変えてゆき、彼女も音也を変えてゆく。ただ、誰がメイン・ヒロインかは、読者によって意見が分かれるだろうなあ。ほんと、途中からグッと可愛くなるんだ、彼女。

 対して、オトナたちは、それぞれが確固たる性格を持ってて、あまり変わらないのも、オジサンには厳しいけど若い読者にはウケそうだし。

 SFとしても、最近流行りのアレについて、ちゃんと理論的な基礎から現在技術の延長に至るまで何歩か先を見通して設定を築き上げてるんだけど、そういった舞台裏はサラリと流して、理科や数学が苦手な人にも伝わるようになってる。

 でありながら、マニア向けのクスグリも、本筋に関係ない形でさりげなく散りばめているのが嬉しい。「不具合じゃなくて仕様」とかw

 と、とっても面白い作品だし、特に終盤はガンガンと盛り上がって、速く読み進めたくなるんだが、ここで決め台詞が、ちょっと。

 いや決め台詞はカッコいいんだ。ただ、読者は盛り上がってるから、気持ちが逸ってて、「ど、どうなるんだ!」と早く続きが読みたくてしょうがない。そこに決め台詞が、あまし目立たない形で入っちゃってる。これがとってももったいない。私はサラリと読んじゃって、「あれ、今のかなりカッコよくね?」と逸る心を押さえて頁を戻すと、やっぱりカッコいいんだな。呼び方だけなのに。

 のし上がろうとする少年が、大きな運命に飲み込まれ、様々な人々と出会い、生き延びるために闘い続ける中で、世界の姿を知り、成長してゆく、鉄板の娯楽アクション作品。たぶんSFじゃなくても商業的に成功しそうな気配がする著者だけど、SFも書き続けてくださいお願いします。

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2017年3月14日 (火)

フランク・スウェイン「ゾンビの科学 よみがえりとコントロールの探求」インターシフト 西田美緒子訳

マニサにあるジェラルバヤル大学のコル・イェレリ教授は幅広く調査を行い、トルコの交通事故の多くは、実際には市民の脳に侵入した寄生生物によって画策されていることを発見した。
  ――第6章 感染プログラム

【どんな本?】

 ゾンビ。ハイチに伝わる、歩く屍。歩いて動き回るのなら、それは生者とどう違うんだろう? そもそも死者と生者の違いは? ゾンビは本当に存在するんだろうか? ヒトをゾンビにする方法はあるんだろうか?

 一見お馬鹿な疑問のようだが、生と死の狭間にある溝を越えようと足掻いた者は多く、また生物界には恐るべき精密さで宿主を操る寄生生物もいる。医学の歴史から最新の神経科学、奇想天外な寄生生物の生態から諜報機関の怪しげな計画まで、サイエンス・ライターの著者が不気味で魅力的なエピソードをたっぷり交えて送る、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は How to Make a Zombie : The Real Life (and Death) Science of Reanimation and Mind Control, by Frank Swain, 2013。日本語版は2015年7月25日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約219頁に加え、本書出版プロデューサー真柴隆弘の解説2頁。9.5ポイント44字×19行×219頁=約183,084字、400字詰め原稿用紙で約456枚。文庫本なら標準的な厚さの一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。ときおり見慣れない生物や化学物質や脳の部位の名前が出てくるが、「そういうモノがあるのね」程度に思っておけば充分。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • プロローグ 眠れなくなるような真実
  • 第1章 ゾンビの作り方
    • 本物のゾンビを追って
    • 棺のなかの釘
    • 教授とブギーマン
    • 脳のスイッチをしばらく切る
    • 眠れない人口冬眠
  • 第2章 よみがえりの医療
    • 死の境界から連れ戻す
    • 生命の電気
    • 死んだロシア人がやってくる
    • シーソーに揺られて
    • 柔道の「活」は動物に効く?
    • 臨死への冒険
    • 青に埋もれる
  • 第3章 マインドコントロールの秘密兵器
    • 脳が腐る
    • 洗脳されたスパイを育てる
    • 身も心もリクルートされて
    • 服従してしまう心理
    • 信じることが見えること
  • 第4章 行動を遠隔操作する
    • すべては脳の中に
    • 隠れ家に踏み込む
    • 心を取り除く
    • 喜びを生む機械
    • 昆虫偵察機
  • 第5章 脳を操る寄生生物
    • 生きた備蓄食料兼育児室
    • 奴隷になった乳母
    • 考える帽子
    • ゴルディオンの結び目
    • 体が戦場
  • 第6章 感染プログラム
    • キスで封印
    • 憂鬱の汚れた空気
    • 激怒に感染する
    • ネコからヒトへ乗り移る
    • 統合失調症の原因?
  • 第7章 人体資源
    • 生命エネルギーを取り出す
    • 冷たい血の中で
    • 臓器のサプライチェーン
    • ヒューマン・ヴェジタブル
    • 死者から授かった子ども
    • 格別のごちそう
  • エピローグ あなたもゾンビだ
  • 謝辞/注/参考文献/解説

【感想は?】

 キワモノっぽいタイトルだし、各頁も真っ黒に縁どられてて、とっても怪しげ。

 だもんで、「どうせアレな本だろう」などと思い込んで見逃したら、もったいない。実は真面目な、でもってとっても楽しい科学エッセイ集だ。アイザック・アシモフやスティーヴン・ジェイ・グールドのエッセイが好きなら、読んで損はない。もちろん、ゾンビが大好きな人も。

 ただし、ネタがネタだけに、結構エグい所はある。それは覚悟しよう。

 中でも印象に残るのは、ロシアの科学者セルゲイ・ブリュコネンコの実験。なんと犬を首だけで生かす事に成功し、その様子の映画を1943年に公開している。今でいう人工心肺装置を作り上げたわけだが、当時はキワモノのように思われていた模様。

 これが犬だけで済んでりゃよかったが、そのうち人間で試してみようって人も出てきて…。このあたりは、科学エッセイというよりホラーに近い。

 死体を動かすのは無理でも、生きてる人間なら操れるんじゃね? と考える奴もいる。そこでまず出てくるのが薬物。有名な暗殺組織アサシンはルーキーに大麻を与えて洗脳したとされるが、「どうやらおもしろおかしい作り話にすぎないらしい」。いけず。

でも現実はもっと過酷で、例えばシエラレオネ内戦じゃ少年兵をヤク漬けにして使い捨てにしてる。「アメリカン・スナイパー」でも、イラクのテロリストは麻薬を使いハイになった状態で戦っているとか。

 操れないまでも、正気を失った者は色々と使い道がある。女を酔い潰してムニャムニャなんてのは常道で、海外旅行先で貰った飲み物に変な薬が入ってて、なんてのもありがち。どころか、薬も使わず電話だけで若い娘さんにストリップさせたエピソードも出てくる。

 もちっとハイテクを使う方法だと、脳に電極を埋め込む話も出てくる。さすがに思考までは操れないけど、腹立つとか心地いいとかの気分は操れるらしい。ヤバくはあるけど役にも立って、狂暴な男の小脳に電極を差し、「五分おきに怒りを鎮めるパルスを送」ったところ、見事に症状が改善したとか。困ったことに、こういう装置に興味を持つのは医療関係者ばかりとは限らず…

このあたり、著者はアッサリ流しちゃってるけど、実は難しい問題を投げかけてるんだよね。例えば暴行や傷害で服役してる人の何割かは、感情にブレーキが利かない人なわけで、こういう措置を講じれば再犯の恐れはなくなると思うんだけど、果たして世間はそれで納得するんだろうか?

 ハイテクの次はバイテクとばかりに、寄生生物の恐ろしい戦略も実に恐ろしい。今でも約二億人が犠牲になっているマラリア、これに感染した人は、蚊に狙われやすくなるというから怖い。マラリア原虫が、汗や息のにおいを変えちゃうのだ。ただし、どうやってるのかは、今でも不明。原虫のくせに。

 狂犬病もおっかない上に、歴史も古い。なんと四千年前のメソポタミアで法律ができてる。曰く、「狂犬病にかかったイヌをちゃんと管理していなかった飼い主に重い罰金を科す」と。18世紀のロンドンは犬にとって受難の街で…

 とはいえ、現代日本じゃまずもって狂犬病に罹る事はないんで一安心なんだが、思いもよらぬ所から侵入者はやってくる。その名もトキソプラズマ(→Wikipedia)。猫好きは納得しがたいだろうけど、猫から感染する時もある。もっとも一番多いのは「生焼けの肉を食べる社会ほど感染率も高い」。

 Wikipedia にもあるように、成人は感染しても大した自覚症状は出ない。ちょっと体の調子が悪いかな、って程度。でも性格が変わっちゃうのだ。これは男と女じゃ影響が違って…

男性は軽率になり、ルールを無視する傾向が強く、「より功利主義的で、疑い深く、独善的」にもなる。(略)女性は「より心温かく、社交的で、誠実で、粘り強く、道徳的」になる。

 加えて運動能力も低くなり、交通事故を起こしやすくなるばかりか、統合失調症とも関係がありそう。もっともこれは、「あんま関係ないみたい」って結果が出てる実験もあるんだけど。

 他にもラフガディオ・ハーンが出てきたり、毒ハチミツで戦争に勝つ話とか、プルシアンブルー誕生秘話など、トリビアがいっぱい。読み終えた後は思わず手を洗いたくなるのが、唯一の欠点かも。

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