2019年3月26日 (火)

宮内悠介短編集「超動く家にて」東京創元社

「俺か。俺はZ80だ」
  ――エターナル・レガシー

十一名いるのだ。
  ――超動く家にて

御厨島は海底隆起によって生まれた新島で、国の領土がわずかばかり増えたという以外はあってないような島であったのが、いつしか各地より海女たちが集まり、海に潜ってメタンハイドレートを探るようになったそうなのだ。
  ――弥生の鯨

【どんな本?】

 「盤上の夜」でデビューして以来、快進撃を続ける宮内悠介の、ギャグ/ユーモア/パロディ作品を集めた短編集。

 雑誌「トランジスタ技術」のバックナンバーをいかに手早く薄くするかを競う男たちが熱い闘いを繰り広げる「トランジスタ技術の圧縮」、Z80を名乗る男と若い囲碁の棋士の短い交錯を描く「エターナル・レガシー」、読者の予想を裏切り続けるミステリ「超動く家にて」など、気分のリフレッシュに最適な作品16編に加え、充実したアフターサービスの「あとがき」も楽しい。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2019年版」国内篇で8位に食い込んだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年2月23日初版。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約280頁に加え、本編並みに笑えるあとがき11頁と、酉島伝法による解説6頁。9ポイント43字×19行×280頁=約228,760字、400字詰め原稿用紙で約572枚。文庫なら普通の厚さの一冊分ぐらい。

 文章はこなれている。内容もわかりやすい。というか、大半はギャグやユーモア作品なので、あまり真面目に読まないように。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 初出。

トランジスタ技術の圧縮 / 電子雑誌「アレ!」VOl.7 2012年3月

 エレクトロニクス総合誌のトランジスタ技術は根強い読者に支えられながらも、異様な厚さがバックナンバーの保存を阻んでいた。その最大の原因である広告頁を取り除けばスリムになり、書棚を節約できる。やがて圧縮技術は競技として競われ、ゴールデンタイムに放送されるまでになったが…

 「トランジスタ技術の圧縮」って作品名からICのことかと思ったら、ソッチかい!って出オチでまず大笑い。そもそもトランジスタ技術を持ち出す時点で理系の人には楽しい上に、その後の展開もどっかで見たような対決物の定石を踏んでいて、ニヤニヤとガハハが止まらない怪作。通勤列車の中で読んではいけません。

文学部のこと / 同人誌「S.E.」2012年5月

 文学。英語圏ではそのままブンガクと呼ばれ、南米では日系人の影響かサクラと言われる。フランスではビュニャークだが、冠詞が男性形か女性形かでもめた。いまのところは日本産が好まれており、原産地などの基礎知識も大事だ。

 これも板面を見ただけでニヤニヤしてしまう作品。なにせ改行が少なく、ビッシリと文字で埋まっている。それぞれの文も無駄に長く、ダラダラと書いている割に特に意味はなかったり。と、いわゆる「ブンガク」をパロってるのかと思ったら、「原産地」なんて意外なモノが混じってきて…。やっぱりソレかいw

アニマとエーファ / 「ヴィジョンズ」2016年10月

 戦後、アデニは景観をウリにして観光客を集めようとする。とはいえ、目ぼしい観光スポットもない。そこで美術館に展示されたのがぼく、アニマだ。いちおう、地元の名士の作品ということになっている。作ったのはセメレ・アファールという爺さんで…

 内戦で荒れた東欧らしき都市を舞台とした、ピノキオみたいな人形の物語。エーファと出合うあたりは、しっとりとしたボーイ?・ミーツ・ガールっぽいんだが、商人のムルカンが登場するあたりから、物語は一気に加速してゆく。作家にとってはありがたいような、疫病神のような。

今日泥棒 / 同人誌「清龍」第11号 2012年11月

 今日も父さんが怒っている。日めくりが明日になっているからだ。出勤前の楽しみなんだ、と言う。そして犯人探しが始まる。ぼくか、妹か、母さんか。

 家族そろっての朝食の席を舞台としたミステリ…というか、お馬鹿ミステリ。確かに日めくりを破るのって、なんか楽しいよね。

エターナル・レガシー / SFマガジン2017年4月号

 葉飛立は囲碁棋士だ。六歳の時に限界を感じ、日本に来た。新人王を獲り有望な若手と言われたが、対コンピュータ戦で負けた。それ以降、どうも気分がすぐれない。そんなある日、奴と飲み屋で出会った。「俺はZ80だ」「こう見えて、宇宙にだって行ったことがあるんだぜ」

 アルファ碁が話題になっていた頃に発表された作品。Z80だのMSXだのと、その手の人には嬉しいクスグリがいっぱい。そうなんだよなあ、掛け算すらできないんだよなあw それでも予め計算しておいて表にしておくとか、当時は色々と工夫したんですよ、はいw にしてもサユリさん、なんで知ってるんだw

超動く家にて / 同人誌「清龍」第10号 2011年11月

 ここはルルウとエラリイ、二人だけの探偵事務所。主に所長のルルウが出かけていき、エラリイは事務雑務を引き受ける。とはいえ、エラリイの仕事はほとんどなく、暇を持て余した所にルルウが謎解きの問題を持ってきた。それはメゾン・ド・マニの平面図で…

 テンポよく、次から次へと読者の思い込みを覆してゆく、お馬鹿ミステリ。わざわざ8個ものイラストまでつけてくれるサービス精神が嬉しい。うん、やっぱり、こういう話は11人いないとねw

夜間飛行 / 人工知能Vol.29 No.4 2014年7月

 飛行任務中の軍用機と、それを遠隔地でサポートするアシスタントとの、会話だけで成り立っている作品。短いながら、いや短いからこそ、基本のアイデアとオチのキレがいい。

弥生の鯨 / 夏色の想像力2014年7月

 海底隆起で生まれた新島、御厨島。メタンハイドレートを採りに海女が集まり、一時は隆盛をきわめた。海女により発展したためか、島は女性中心の社会となった。離島で学校もなく、そんな島で生まれたわたしは海が学校のようなものだった。そして八歳のころ、岩場で弥生と出合い…

 いきなり「海女がメタンハイドレートを採る」で大笑い。いやちゃんとタネも仕掛けもあるんだけどw ボーイ・ミーツ・ガールかと思ったら、うん、確かにボーイ・ミーツ・ガールではあるんだがw

法則 / 小説トリッパー2015年夏号

 使用人としてオーチャードに仕えたのが最大の間違いだった。幸か不幸か、最初に訪ねた時、当時は高校生だった娘のジェシカに気に入られ、住み込みで働き始めた。やがてジェシカと親しくなったのはいいが、オーチャードにバレて…

 ミステリ・ファンにはお馴染みの「ヴァン・ダインの二十則(→WIkipedia)」をネタにした作品。なんだが、そう使うかw

ゲーマーズ・ゴースト / WebマガジンMATOGROSSO 2013年2月・3月

 駆け落ちだってのに、これじゃロマンチックさの欠片もない。そもそもライトバンだし。おまけにナナさんは途中で妙な奴を拾っちまった。欧米人ヒッチハイカーのレドモンドにチェロ弾きのアキオ。二人とも妙にノリがいい。おまけに、黒塗りのライトバンが後をつけてくる。

 なんじゃい「駆け落ち力」ってw シド・アンド・ナンシーだのボニー・アンド・クライドだのと、駆け落ちに変な思い入れたっぷりな語り手「ダンナ」,やたら心の広いナナさん,宿無しヒッチハイカーのレドモンド,追われる身のアキオ。能天気で脱線しまくりな四人の会話が楽しい。

犬か猫か? / 小説すばる2013年1月号

 友達からアリスがもらったぬいぐるみ。アリスはそれを犬だといい、エルヴィンは猫だと言い張る。ここイギリスでもファシストの黒シャツ隊が気勢を上げている。

 最後の参考文献で「おお!」となる作品。私は狸だと思ったw

スモーク・オン・ザ・ウォーター / Webサイト JTスモーカーズID 2016年

 八重洲に隕石が落ちた。幸い深夜なので、道路に穴が開いただけで済んだ。すかさず妹はバイクで出かけ、欠片を拾ってくる。業病で寝たきりとなり、鉱物コレクションが唯一の趣味な父のため、ペンダントにするのだ。父も喜んでくれた。ところが…

 仲の良い家族、奇妙な事件の連続、意外な謎の真相、そして心地よいオチと、お話の進み方は良質のジュブナイルそのもの。なんだけど、ネタがネタなために、お子様や若者にお薦めできるかというとw なんでこういうサイトにこういう話を書くかなあw

エラリー・クイーン数 / 同人誌「清龍」第9号2010年12月

 日本語版 Wikipedia の記事のパロディ。あくまで Wikipedia であって、アンサイクロペディアじゃないあたりが、作家の矜持というかw 

かぎ括弧のようなもの / 読樂2013年8月号

 「かぎ括弧のようなもの」を凶器とした殺人事件をネタにした、ミステリ仕立ての作品。ヴォネガットなのか。私はてっきり筒井康隆だと思った。たぶん虚航船団のせいだろうなあ。

クローム再襲撃 / 書き下ろし

 その晩、僕は相棒のボビイのロフトでクロームを襲った。僕たちは<ジェイズ・バー>で出会った。二人とも落ち目で、そろそろカイボーイをやめ引退を考える年頃だ。そこに万能札、巻き毛のリッキーが現れた。

 ウィリアム・ギブスンの「クローム襲撃」を村上春樹が書いたら、という思い付きをキッチリ短編に仕上げた作品。ギブスンのファンより村上春樹のファンにウケると思うんだけど、どうなんだろw やれやれ。

星間野球 / 小説野生時代Vol.109付録 野生時代読み切り文庫15 2012年

 既にたいした機能も果たさず、とりあえず保守しているだけの宇宙ステーション。駐在しているのは二人、杉村とマイケルだけ。暇を持て余した二人は、古い人工衛星を拾う。中から出てきたのは、子供たちのタイムカプセル。その一つが野球盤で…

 いい歳こいた野郎二人が、宇宙で野球盤に盛り上がる話。いくら歳を重ねても、男ってのはしょうもない生き物で。たかが野球盤、されど野球盤。お互い知恵を振り絞り秘技を繰り出し…って、をいw

 冒頭の「トランジスタ技術の圧縮」から、強烈なギャグで笑いっぱなし。ばかりか、最後の「あとがき」にまで、色々と仕込んでくれるサービス精神が嬉しい。疲れた時にこそ楽しく読めて気持ちをリフレッシュできる、そんな作品集だ。

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2019年3月24日 (日)

リチャード・H・スミス「シャーデンフロイデ 人の不幸を喜ぶ私たちの闇」勁草書房 澤田匡人訳

この本はシャーデンフロイデ、つまり人の不幸を喜ぶなんて恥ずべきものであるにもかかわらず、私たちの多くが抱く感情について書かれている。
  ――序章

自分が劣っていると嫌な気持ちになるように、優れていると良い気持ちになるものだ。
  ――第1章 優越の恍惚

私たちは、誰かが苦しんでいるのを見ると不快感を抱くのが普通だ。ところが、(略)自分たちが苦しいとき、自尊心の危機に直面したとき、あるいは、慢性的に自尊心が低いとき(略)、自分と同じくらいか――もしくは、よりいっそう不運な人と比べると、気力を取り戻す効果をもたらす。
  ――第2章 下を向いて上向こうよ

ほとんどの場合、不公平に(自分が)有利な状況は、不利な状況よりも問題にならない。
  ――第4章 自己と他者

悪い輩が相応の報いを受けるのを見るのは、とても愉快なのだ
  ――第5章 相応しい不幸は蜜の味

妬みを感じている人たちは、自分を犠牲にしてでも相手を貶めるのだ。
  ――第7章 屈辱エンターテインメント

シャーデンフロイデは人間の性質に反するものでなく、むしろ共存している…
  ――第11章 リンカーンだったら?

【どんな本?】

 シャーデンフロイデ。最近になってよく見聞きする言葉だ。ソレの中身は誰もが昔からよく知っている。「人の不幸は蜜の味」、ネットの俗語なら「メシウマ」。そんな風に、誰かの不幸を喜ぶ気持ちだ。卑しいとは思うが、やっぱり私たちはメシウマが好きなのだ。

 だが、なぜ私たちは人の不幸を喜ぶんだろう? 人が不幸になって、どんな得があるんだろう? 餌食になって美味しいのはどんな人で、どんな人がそれに食らいつくんだろう? ソレにはどんな性質があるんだろう? 使い道はあるんだろうか? なんとなく邪悪だと感じているけど、それは何故なんだろう? どうすれば防げるんだろう?

 シャーデンフロイデ研究のパイオニアが、一般向けに著した、心理学の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Joy of Pain : Schadenfreude and the Dark Side of Human Nature, First Edition, by Richard H. Smith, 2013。日本語版は2018年1月20日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約255頁に加え、訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字×20行×255頁=約229,500字、400字詰め原稿用紙で約574枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれている。実は出版社が勁草書房ということで覚悟していたんだが、拍子抜けするほど読みやすい。内容もわかりやすい。何せ肝心のテーマが「メシウマ」だ。誰だってそんな気持ちを持っているし、餌食になったこともある。

 ただ、アメリカ人向けに書いているため、例がゴルファーのタイガー・ウッズやアニメのザ・シンプソンズなど、アメリカの有名人・有名タイトルなのが難と言えば難かも。ましてマーサ・スチュアート,「プレデターをやっつけろ」,ジミー・スワガートなんて日本じゃまず馴染みがないし。もっとも、どんな人/番組かは、ちゃんと本文中に説明があるので、ご心配なく。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • 日本語版への序文/謝辞/序章
  • 第1章 優越の恍惚
  • 第2章 下を向いて上向こうよ
  • 第3章 余人しくじるべし
  • 第4章 自己と他者
  • 第5章 相応しい不幸は蜜の味
  • 第6章 正義は人の為ならず
  • 第7章 屈辱エンターテインメント
  • 第8章 エンヴィーに首ったけ
  • 第9章 妬み転成
  • 第10章 解き放たれた邪悪な喜び
  • 第11章 リンカーンだったら?
  • 終章
  • 訳者あとがき/注/事項索引/人名索引

【感想は?】

 ブログをやっていると、炎上が怖い。「ネット炎上の研究」では、誰が煽るのかを分析していた。ここでは、それに加えて、なぜ煽るのか・餌食になるのは誰かについても、少し見えてくる。

 シャーデンフロイデなんて耳慣れない言葉より、メシウマの方が私にはシックリくる。

 まずは、美味しいのはどんな獲物か、だ。ジャイアンツの主力選手が怪我をすれば、阪神タイガースの熱狂的なファンは喜ぶだろう。この気持ちは合理的に説明がつく。ジャイアンツが弱くなればタイガースが有利になる。だが、それだけじゃ説明がつかない部分が、「メシウマ」にはある。

 例えば、菜食主義者だ。正直言って、私も彼らが気に入らない。彼らが肉を食べようが食べまいが、私には何の関係もない。なのに、なぜ気に入らないんだろう?

彼ら(菜食主義者)の存在そのものが、肉を食べる人からすれば道徳的にイライラさせるのだ。
  ――第5章 相応しい不幸は蜜の味 

 そう、彼らの「私は道徳的に優れています」的な態度が気に入らないのだ。いや別に菜食主義者が気取ってるってわけじゃない。私が勝手にそういう気配を感じているだけだ。自分は道徳的に劣っているんじゃないか、そう感じるのである。だから気に入らない。

 最近のニュースだと、神父による児童性虐待のニュースがメシウマだった。改めて考えると、子供が被害に遭ってるのに喜ぶとは酷い話である。だが、このニュースは実に都合がいい。だってメシウマと言わなくていいんだもん。子供の味方を装って神父を叩けばいい。

 ここに「メシウマ」の怖さがある。菜食主義者も神父も、「道徳的に優れている」と世間では思われがちな立場だ。それが失墜するのが心地いい。そこにあるのは、妬みだ。私だって、いい人と言われたい。でも現実にはウスラハゲのオッサンにすぎない。だから妬む。ところが、妬みってのは厄介なモノで…

一般に妬みを感じていることを私たちは否定する(略)妬んでいると認めることは、(略)自分の方が劣っていると認めるに等しい。
  ――第9章 妬み転成

 そう、たいていの人は、自分が妬んでいるとは認めない。そもそも、「妬みを感じていても、(略)それに無自覚である」。自分でもハッキリとは気づかない。そして、無意識のうちに…

妬みというのは、まず嫌悪に転成し、続いて、そこから高潔で正しい「相応しい」憎悪へと変貌を遂げる。
  ――第10章 解き放たれた邪悪な喜び

 「なんかアイツ気に入らねえ」的な気持ちになる。そこに動かぬ証拠なんてモンが出てきたら、錦の御旗を手に入れたようなものだ。それこそ大喜びで…。

 これを組織的に煽ったのがナチスで、餌食になったのがユダヤ人だ、と著者は説く。実はこの辺、ちと強引と感じた。いや結論が間違いってワケじゃない。そこまでの過程が怪しい。「本人が認めないからこそ、そうなんだ」って理屈なら、どんな無茶でも通ってしまう。とまれ、これを厳密に実証したら、それだけで数冊分になりそうだけど。

 まあユダヤ人虐殺は昔の外国のことだから、なんて他人事と思いがちだが、いじめや児童虐待やパワハラなど、私たちの身近で起きる騒動や小さな意地悪にも、その根底に妬みがあるケースが多いって気がする。

 その他にも、私たちが陥りやすい勘違いのメカニズムを教えてくれるのは嬉しい。

 例えば「公正世界信念」だ。Wikipedia では公正世界仮説となっている。不幸な人に対し、私たちは自業自得だと思い込みやすい。強姦の被害者を叩くのが、ありがちな例だろう。また「成果バイアス」なんてのもある。

他者は実際よりも悪い結果をコントロールできるはずと、私たちは見てしまう傾向にある
  ――第6章 正義は人の為ならず

 被害者はどんな状況でも冷静沈着で意思が強く理性的・合理的に思考・行動できるはず、と思い込みやすい。まあ、これは他者に限らず、往々にして「未来の自分」の意思の強さも過大評価しがちなんだけど。ありませんか、「後で運動するから一口だけ」とか「明日やればいいや、今日は寝ちゃおう」とか。私はしょっちゅうです。

 もう一つ、ありがちなのが「根本的な帰属の誤り」。この本では、病院の待合室で、看護師に食ってかかる男が出てくる。著者の最初の反応は「嫌な奴」だ。でも彼の妻が救急で運び込まれ、その後なんの連絡もないとしたら、どうだろう? 落ち着けという方が無理じゃないか?

 私たちは、他人の行いについて、「あの人はそういう性格」と見なしがちだ。そういう状態だ、とは思わない。冷静に振舞う男と、いきりたつ男。そんな二人を見たら、思わず冷静な男に味方したくなる。だが、本当は? 

 ウェブ炎上で済んでいるうちはともかく(いや自分が餌食になったらヒトゴトじゃ済まんけど)、最近のヘイトスピーチの風潮などからは、甘く見てると大変なことになりかねないって危機感がつのることがある。でもメカニズムを知れば、少しは落ち着いて考え直せるかもしれない。親しみやすく読みやすいわりに、心に深く突き刺さる本だ。

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2019年3月21日 (木)

シルヴァン・ヌーヴェル「巨神覚醒 上・下」創元SF文庫 佐田千織訳

科学者というのは子どものようなものだ。彼らは常にあらゆることを知りたがり、そろってやたらと質問ばかりして、けっして指示を守ろうとしない。
  ――上巻P36

守るべき理想がなければ、私のような人間になにができるでしょう?
  ――下巻p53

闘うのはやめるのです。あなたがたに勝ち目はない!
  ――下巻p110

【どんな本?】

 ロンドンの中心部に、何の前触れもなく巨大なロボットが現れた。

 形はヒトの男に似ているが、身長は約70mもある。その姿は、あのテーミスを思わせる。かつてサウスダコタで見つかった巨大な掌を先駆けに、世界中から部品を集め組み上げたテーミス。ロンドンのロボットは、今は何もせず、ただ茫然と立っているだけ。だが、テーミスと同じテクノロジーで作られているなら、ひとたび暴れはじめれば人類の手には負えない。

 世界中の話題になり、野次馬も集まってくるが、多くのロンドン市民はいつも通りの暮らしを続ける。軍と科学者たちは観察を続けるが、ほとんど収穫はない。具体的な対応を迫られた英国議会は…

 話題を呼んだ「巨神計画」に続く、巨大ロボットを描く娯楽SFシリーズ第二弾。SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2019年版」海外篇12位。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は WAKING GODS, by Sylvain Neuvel, 2017。日本語版は2018年6月22日初版。文庫本の上下巻、縦一段組みで本文約356頁+319頁=約675頁に加え、堺三保の解説6頁。8ポイント42字×18行×(356頁+319頁)=約510,300字、400字詰め原稿用紙で約1,276枚。上下巻は妥当なところ。

【感想は?】

 ノリが大事な作品だ。だからノレるか否かが評価を左右する。

 異星人がもたらした(と思われる)、オーバーテクノロジー満載の巨大ロボット。最初は操縦法すらわからない。どうにかこうにか動かすことはできたが、マニュアルがあるわけでもない。いろいろ試してはみるが、時として思わぬ惨事すら招く。

 わはは。マジンガーZかいw まあ、そういうノリだ。ただし、ドクター・ヘルのような、分かりやすい敵がいるわけじゃない。前巻では、部品を集めて組み上げ、パイロットを揃えてなんとか動かすまでを描いた。なお、パイロットは単独じゃなく、特定の適性を持ったペアってのも、この作品の特色。パシフィック・リムかよw

 そういうお馬鹿なクスグリは、この巻でも健在だ。にしても、子供の名前で遊ぶなよw まあ、それ以外は大事に育てたみたいだからいいけど。

 この上下巻では、いきなり「別のロボット」が現れる。しかも、ロンドンのド真ん中に。すわ敵かと思いきや、たたヌボーッと突っ立っているだけ。何もしなけりゃ無害と思えそうなモンだが、既に人類は巨大ロボットと出合い、身の毛もよだつほどの威力を知っている。

 手探りで操縦法を身に着けた素人パイロットですら、都市を破壊しかねない威力を持つ。しかも謎の装甲で、傷をつける事すら難しい。他にどんな武器を備えているのかもわからない。そんな巨大ロボットに、プロのパイロットが乗っていたら…

 などと怯える者もいれば、ピクニックがてら能天気に見物に出かける野次馬もいたり。そりゃそうだよね。私だって異星人の巨大ロボットなんてあったら、きっと見に行っちゃうだろう。

 そんな素人連中をよそに、科学者たちは何とかコンタクトを取ろうと試みるが…。そう、これはファースト・コンタクト・テーマの一種でもある。パイロットの一人、ヴィンセント・クーチャーが、最初の巨大ロボットのテーミスを「動かそう」と試みるあたりは、意外とちゃんと考えてるなあ、と感心したり。

 なまじ設定がおバカなだけに、こういう細かい所でキチンと考察してると、一気に嬉しくなってしまう。やはり途中にある、時間旅行の難しさを語るあたりも、「よくぞ書いてくれた!」と感激してしまった。

 さて。得体は知れず、底知れない力を秘めているらしい、正体不明の巨大ロボットに対抗するには、やっぱり巨大ロボットだろう、ということで、テーミスにもお呼びがかかる。が、果たしてソレは、ファースト・コンタクトの方法として賢いやり方なのか。言われてみれば確かに、な理屈でもある。

 などと感心する暇もあらばこそ、物語は二転三転、とんでもない方向に転がってゆく。素直にバトルで必殺技を繰りだしたりしないあたりが、著者の曲者っぷりだよなあ。

 果たして異星人の目的は何か。いきなり姿を現したローズ・フランクリンは、どこから来たのか。正体不明の「インタビュアー」と、何かを知っているような「バーンズ」の正体は。果たして人類は生き残ることができるのか。

 この巻では、多くの謎を解き明かしつつも、終盤でまたもやアサッテの方向にスッ飛んでいくからたまらないw ちゃんと続きも刊行されているそうなので、期待して待とう。

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2019年3月18日 (月)

チャールズ・スペンス「『おいしさ』の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実」角川書店 長谷川圭訳

食の喜びは心で感じる、口ではない。
  ――アミューズ・ブーシュ

オックスフォードとケンブリッジの研究者たちによると、皿やボウルのサイズを小さくすると、私たちが実際に口にする量はカロリーにして平均およそ10%(160カロリー)低下する。
  ――第3章 見た目

食の世界ほど思い込みに惑わされている分野も珍しい
  ――第4章 音

食べ物は手で食べたほうがほんとうにおいしい、と多くの人が私に報告してくれている。特にインド出身の人々のその傾向が強い…
  ――第5章 手触り・口当たり

BGMにクラシック音楽を流せば、人々が散在する傾向が強くなることもわかっている。
  ――第6章 雰囲気

食べ物を共有するというのは、人間という生き物にとって普遍的な現象だとされていて、考古学では一万二千年前に祝宴が行われていた証拠が見つかっている。(略)
最近の調査では、ともに食事をすることで、人は他人の意見に同意しやすくなることもわかった
  ――第7章 ソーシャルダイニング

…飛行機内の空気はだいたい高度1800mから2500mぐらいの大気と同じぐらいの圧力にあるように調整されているのだが、そのような条件下では甘さや酸っぱさ、あるいは苦さを感じるのが難しくなる。
  ――第8章 機内食

【どんな本?】

 著者は2008年度イグ・ノーベル賞栄養学賞の受賞者だ。ボテトチップスを食べる際、パリパリ音を強調すると、より新鮮に感じる、そんな研究である。

 先の研究が示すように、料理のおいしさには様々な要素が関わっている。味はもちろん、香り・食器や盛り付けや色・音・口当たりなどだ。レストランは店の飾りつけに凝るし、ケーキ屋は丁寧にケーキの形を整え、食品メーカーはパッケージ・デザインに気を配る。いずれもちゃんと理由がある。

 それぞれ具体的には、どんな要素がどのように影響するのだろうか? それぞれの要素に個人差はあるんだろうか? どんな料理にどんな食器が相応しいのだろうか? 食欲を増すには、または少ない量で満足するには、どんな工夫をすればいいんだろうか?

 オックスフォード大学の研究者が、数多くの実験に加え、一流シェフに協力を仰ぎ、さらに世界各国のレストランを食べ歩いたフィールドワークの成果を結集した、おいしくて楽しい一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は GASTROPHYSICS : The New Science of Eating, by Charles Spence, 2016。日本語版は2018年2月28日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約365頁に加え、訳者あとがき7頁。9ポイント41字×16行×365頁=約239,440字、400字詰め原稿用紙で約599枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれている。内容も難しくない。出てくる食品や料理は欧米の物が多いので、ソッチに詳しい人ほど楽しめるだろう。ただし、体重が気になる人は、夕食後に読んではいけない。

【構成は?】

 大雑把に分けて二部に分かれている。第6章までは基礎編、第7章以降は応用編だ。基礎編では、何がどうおいしさに関わるかを語る。応用編では、それを受けてシェフや企業がどんな工夫をしているかを紹介する。

  • 序文 ヘストン・ブルメンタール
  • アミューズ・ブーシュ
    ガストロフィジックス 新しい食の科学/ガストロフィジックスとは?/“クロスモーダル”と“マルチセンソニー”/皿から口へ ナイフとフォークがいちばん便利?/直感のテスト/雰囲気はどのくらい影響する?/オフ・ザ・プレート・ダイニングとは?/おいしいものはおいしい?
  • 第1章 味
    それは味?それともフレーバー?(そんなことどうでもいい?)/期待に応える/どんな名前?/大きな期待/値段、ブランド、名前、ラベルの影響/味の世界/「味以上の味がある」
  • 第2章 香り
    バニラの香りは甘い?/背景としての香り/嗅覚をつくる/どうすればフレーバーの効果を拡大できる?/嗅覚ディナーパーティー/香りと感性
  • 第3章 見た目
    色を味わう?/形を味わう?/皿を味わう?/“フードポルノ”の歴史と今後/“卵黄ポルノ”とは?/マクバン/フードポルノの欠点は?/自宅でガストロポルノ?/消費のイメージ/醜いフルーツ/食という名のポルノ
  • 第4章 音
    調理の音/すべてはポテトチップスから始まった/食べ物の音/サクサクとパリパリ/昆虫を食べる?/ポテトチップスは袋もうるさい?/ザク、パリ、ポン/自宅の食べ物はどんな音?/「えっ、何?」/ディナーと騒音/音響強化フードとドリンク
  • 第5章 手触り・口当たり
    味とフレーバーに対する触感の影響?/マリネッティの触覚ディナー/最初に味わうのは手?/冷たくて滑らかな金属はお好き?/でこぼこのスプーンを使ってみたい?/重さは何かの役に立つ?/毛皮のカトラリー?/手で食べる/食べ物を口に運ぶ楽しさ?/感情の腹話術
  • 第6章 雰囲気
    ビートに合わせて/快適さは必要?/白いキューブの中で食事がしたい?/試飲イベント/<シングルトン・センソリアム>/<カラー・ラボ>/レストランにおける環境のコントロール/雰囲気の未来
  • 第7章 ソーシャルダイニング
    どうして一人で食事をする人が多いのか?/一人で食事をするのは悪いこと?/気が散る食事/一人の食事は楽しい?/ソロ・ダイニング/タパス化/どうして外食するの?/テレマティックディナー
  • 第8章 機内食
    過去の機内食/有名シェフは一万メートルの上空でも才能を発揮できるか?/飛行機の騒音とトマトの関係/超音速調味/空気圧/サービスのための簡単なヒント/マルチセンソリー体験のデザインは飛躍できる?
  • 第9章 記憶
    食の記憶/選択盲/“スティックション”とは?/何を注文したか覚えている?/何を食べたか覚えている?/忘れられた食事/食の記憶のハッキング/忘れないで……
  • 第10章 個人食
    みんな個人化が大好き/“自己優先化効果”とは?/レストランにおける個人化/誰もがあなたの名前を知っている場所/初めて訪れた客人をもてなす方法/個人化の未来/シェフのテーブルにて/選択の問題/“イケア効果”/ケーキづくり/「ちょっと塩とコショウをちょうだい」/カスタマイズする料理としない料理の違いは?/私の個人的な考え
  • 第11章 新しい食体験の世界
    芝居がかかった食事/凝った演出の盛り付け?/“そのほかの要素”/テーブル・パフォーマンス/テーブルで紡ぎ出される物語/テーブル劇場/食べ物を使ったパフォーマンスアート/食体験の未来
  • 第12章 デジタルダイニング
    3Dフードプリンター?/デジタルメニューで注文?/タブレットの味/火星でチーズケーキはいかが?/拡張現実ダイニング/「サウンド・オブ・ザ・シー(海の音)」を聞いたことがある?/びっくりスプーン/デジタルフレーバー/震えるフォークで素敵な食事?/電気味覚/食風景を変えるデジタル技術/ロボットの料理人は優れたシェフになれるか/
  • 第13章 未来派への帰還
    未来派料理 分子ガストロノミーは1930年代に発明されていた?/未来派パーティーを開こう!/食の未来の展望/ビッグデータと食べ物/共感覚体験のデザイン/「ゲザムトクンストヴェルク」とは?/より健康で、より持続可能な食の未来のために/最後に 健康な食生活とは?
  • 注釈/図の出典/謝辞/訳者あとがき

【感想は?】

 書名がうまい。「『おいしさ』の錯覚」だ。「『味』の錯覚」じゃない。

 本当は、みんな気づいてる。「おいしい」は、味覚だけじゃない。カレーやコーヒーは香りが大切だ。トーストはサクサクがいい。お好み焼きの上で鰹節が躍るとワクワクする。

 そう、「おいしい」には、味覚以外のものが関係している。豊かなにおい、歯触りや噛み応え、見た目の美しさや躍動感、そしてポテトチップスのパリパリ音。嗅覚・触覚・視覚・聴覚。「おいしさ」は、五感すべてが関わって創り上げる、総合的な感覚なのだ。

 そこまでは、誰でも気づいている。では、具体的に何がどう関わっているんだろう? 経験的に知っている人はいる。料理人や食品メーカーの開発者だ。店の飾りつけや炭酸飲料の色あいは、売り上げを大きく変える。

 ただ、彼らの知識は断片的で偏っている。高級レストランのシェフはジャンクフードを知らないし、ポテトチップスのメーカーは食器を気にしても仕方がない。そこで学者の出番だ。

 著者は各国のレストランを食べ歩いては(まったくもって妬ましい!)シェフと語らい、食品メーカーの開発者の相談に乗りつつネタを集め、そして時には研究者として実験を企画・実施してはデータを集め論文を書き、その結論をシェフや技術者に伝え…

 などの活動の成果がこの本だ。

 その結論は意外でもあり、また同時に「そうじゃないかと思っていた」ような所もある。例えば、何をおいしそうと感じるかは、人によって大きく違う。これは育った環境による部分もあれば、体質によるものもある。

 関西で生まれ育った人は、納豆が苦手な人が多い。著者も、日本の抹茶アイスで味わった「苦い」思い出を語っている。あの色からミントを期待して食べたが…。「おいしい」には、思い込みや期待も大切なのだ。当然、これは育った環境で変わる。私たちは「抹茶」の名で苦さを、著者はクールさを期待したのだ。

ところで抹茶アイスって原料は牛乳と卵と砂糖と抹茶だよね。日本人は茶に砂糖やミルクを入れるのを邪道と感じるけど、実はイケるんじゃね?

 こういった文化・社会的な要因もあるが、体質も関わってくる。塩味・甘味・酸味などは、人によって感度が違う。超味覚者と呼ばれる人もいて、そういう人の舌先には「普通の人の16倍もの味蕾がある」。特に違いが大きいのが苦味だそうだ。子供は私たちより苦味を強く感じるのかもしれない。

 もちろん、「おいしい」には匂いも大事だ。ところが、匂いの感じ方も人により大きく違う。「人口のおよそ1%は、バニラの香りを感じることができない」。匂いの元となる物質は星の数ほどあり、それぞれ人によって感度が違う。つまり…

人はそれぞれ違う味の世界に生きている
  ――第1章 味

 のだ。人により食べ物の好みが違うのも、当たり前なんだなあ。

 この匂いを巧みに使ったのが、食品メーカー。チョコレート味のアイスクリーム・バーに、ちょっとした工夫をした。本来、チョコレートは凍らせると香りが出ない。そこでメーカーは、パッケージの接着剤に、合成したチョコレートの香りを加えた。パッケージを開けると、チョコレートの香りが広がる。いいのかw

 訳者あとがきにもあるんだが、妙に和食・日本食の工夫を連想する記述が多いのも、この本の特徴の一つ。

 例えば、サンディエゴのレストラン≪トップ・オブ・ザ・マーケット≫の総料理長アイヴァン・フラワーズ。シェフに、カウンター席の客と会話するようにした。これ、寿司屋や屋台のおでん屋の親父がやってる事だよね。

 また、「イケア効果」なるものもある。

人は自分でつくったものは、ほかよりも価値が高いと感じる傾向がある。
  ――第10章 個人食

 何かをつくる趣味がある人なら、わかるだろう。私も、このブログの記事はとても面白いと思っている。これは料理も同じだ。少しでも自分の手が入っていれば、おいしく感じるのだ。これを巧みに取り入れたのが、お好み焼きだろう。焼くだけなんだけど、それでもおいしく感じるのだ。バーベキューも、そうなのかな?

 手を入れなくても、「自分の物」だと思うだけで、やはり価値が高いと感じる「授かり効果」なんてのがある。ボトルキープなんて習慣は、これだろう。脚注にも食品サンプルの話があったりするので、なかなか油断できない。

 後半では、レストランのシェフや食品メーカーなど現場の話が増え、特に終盤ではかなり過激な演出の食事会を紹介していて、シェフたちの創意工夫と新奇さを求めるヒトの欲望にアングリしたり。またダイエットに役立つ情報もチラホラあって、なかなか役立つネタも多い。

 ただ、楽しみながら学べるのはおおいに結構なんだが、出てくるメニューがとにかく食欲を刺激するのが困りもの。読むなら食前にしよう。間違っても夕食後の深夜に読んではいけない。

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2019年3月15日 (金)

スティーブン・ジョンソン「世界を変えた6つの『気晴らし』の物語 新・人類進化史」朝日新聞出版 太田直子訳

本書の歴史は、あまり実用性のない楽しみの話である。楽しそうだとか、びっくりするようなものだという事実のほかに、明らかな理由もなく生まれた習慣や環境の話なのだ(略)。
  ――序章 マーリンの踊り子

彼らを(地中海から)外洋へとおびきだした最初の誘惑は、単純な色だったのだ。
  ――第1章 下着に魅せられた女たち ファッションとショッピング

紀元前2000年、世界中の人間社会のほとんどは、まだ言語のための表記方法を発明していなかった。ところがどういうわけか、古代シュメール人はすでに楽譜をつくっていたのだ。
  ――第2章 ひとりでに鳴る楽器 音楽

紀元900年ごろのイスラムによる香辛料貿易の地図は、今日の世界中のイスラム教徒人口を示す地図に、ほぼぴったり合致する。
  ――第3章 コショウ難破船 味

熱帯地方におもしろい香辛料があるのは、基本的に熱帯地方にはあらゆるものがたくさんあるからだ。
  ――第3章 コショウ難破船 味

リチャード・アルティック「好奇心はつねに万民を平等にする」
  ――第4章 幽霊メーカー イリュージョン

私たちはゲームを、統治形態や法律、あるいは純文学小説ほどは深刻に受け止めないかもしれないが、どういうわけか、ゲームには国境を越えるすばらしい能力がある。
  ――第5章 地主ゲーム ゲーム

…メソアメリカの人々は、グッドイヤーが実験を始める数千年前に、加硫の手法を開発していたのだ。
  ――第5章 地主ゲーム ゲーム

私たちの脳は、世のなかの何かに驚かされると、注意を払うようにつくられているのだ。
  ――終章 驚きを探す本能

【どんな本?】

 現代社会は、幾つものテクノロジーに支えられている。歯車やピストンなどの機械工学、貿易を支える船と航海術、自動車のタイヤのゴム、そしてコンピューター。いずれも私たちの暮らしを便利にし、面倒な手間や苦労を省いてくれる。

 それらは役に立つ。だが、ルーツをたどると、最初は全く違った目的のために作られた技術や、考え出されたしくみ・制度も多い。役立たせるためではなく、人を驚かせ、または楽しませる、要は「面白さ」のために生み出されたものだ。

 ファッション・音楽・香辛料・幻影・ゲーム・娯楽施設など、いわゆる「気晴らし」のために生まれ発達したモノや考え方が、私たちの世界をどう変えたかを綴り、「遊び」の効用を再評価する、一般向けのちょっと変わった歴史のウンチク本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は WONDERLAND : How Play Made the Modern World, by Steven Johnson, 2016。日本語版は2017年11月30日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約371頁、9.5ポイント43字×17行×371字=約271,201字、400字詰め原稿用紙で約679枚。文庫本なら少し厚い一冊ぐらいの文字量。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。世界史や技術史に詳しいと更に楽しめるが、疎くても「そうだったのか!」な驚きをたくさん味わえる。特に、この本が扱う6つのテーマのいずれかに興味があれば、更に楽しめる。ただし、受験用の歴史学習にはほとんど役に立たないと思う。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、興味のある所から読んでもいいだろう。私は第2章の音楽と第4章の映画、そして第5章のゲームが特に楽しかった。

  • 序章 マーリンの踊り子
  • 最古のテクノロジー
  • 機械時計から生まれた初期ロボット
  • 屋根裏の美しい踊り子
  • 「気晴らし」の種はヨーロッパ以外で育つ
  • 「気晴らし」を探れば未来が見える
  • 第1章 下着に魅せられた女たち ファッションとショッピング
  • ティリアン・パープルへの欲求
  • 買い物が手段で無くなった日
  • 店舗ディスプレイと産業革命
  • 羊と羊の闘い
  • 木綿ビッグバン
  • 木綿が引き起こした史上最悪の出来事
  • ファッションは社会に挑む
  • 商業の大聖堂
  • 「百貨店病」の流行
  • 「売るための機械」が落とした影
  • ウォルト・ディズニーのイマジニアリング
  • モールか、モールなしか?
  • 第2章 ひとりでに鳴る楽器 音楽
  • 旧石器時代の音楽
  • 音楽は異質な音から生まれた
  • プログラムできる音楽
  • 音楽が模様をつくる
  • メディチ家の結婚式
  • 鍵盤からタイプライターへ
  • 音楽なくしてテクノロジーなし
  • 「バレエ・メカニック」のとっぴな「オーケストラ」
  • 自動演奏ピアノの軍事利用
  • 世界最古の電子楽器
  • 図形を音に変換する装置
  • 音楽はコンピューターの母だった
  • 第3章 コショウ難破船 味
  • 味覚のグローバル化
  • 世界を変えた香辛料
  • 世界最強の通貨
  • 盗賊になった宣教師
  • 銀と等価だったバニラビーンズ
  • 革命を起こした12歳の少年
  • 中世貴族に使えた香辛料師
  • ヨーロッパ人の誤解
  • エリザベス一世が伝えた神意
  • 香辛料のメッセージは「火事だ!」
  • 第4章 幽霊メーカー イリュージョン
  • ホラー映画を生んだ霊媒師
  • 幽霊ショーとマルクス
  • 階級の垣根を越えた、だまされる喜び
  • 視覚はだまされる
  • 360度の眺望を描く
  • パノラマが生んだ疑似体験
  • イリュージョンを駆逐した映画
  • 映画を芸術に持ち上げた欠点
  • ディズニーの『白雪姫』
  • 「1秒12フレーム」から疑似友人へ
  • 第5章 地主ゲーム ゲーム
  • 修道士が著した風変わりな本
  • チェス盤上に示された社会の有様
  • チェスと人工知能
  • 知られざるモノポリーの祖先
  • 神話化される偽のゲーム発明者
  • 社会を変えた「運」のゲーム
  • 運を確率論で説明した男
  • サイコロのデザインと統計学
  • コロンブスが出会ったゴムボール
  • ゴムのイノベーション
  • コンピューターゲームの誕生
  • 「スペースウォー!」とジョブスのつながり
  • カジノで使われた初めてのウェラブル
  • 人間にもっとも近い「ワトソン」の未来
  • 第6章 レジャーランド パブリックスペース
  • 人種の境界なき酒場の悲劇
  • 民主主義はバーで生まれた
  • もし歴史から飲み屋が消えたなら
  • LGBTにとってのバーという場所
  • 居酒屋のハチドリ効果
  • 人間とコーヒーの物語
  • トルコ人の頭
  • コーヒーハウスの使われ方
  • 奇妙なコレクションのあるコーヒーハウス
  • 詩人も地主も起業家も科学者も
  • 自然を楽しむというイノベーション
  • モンブラン踏破とダーウィンの進化論
  • 人間の楽園に変わった自然
  • 初めての動物園のおしゃれなオランウータン
  • 野生動物商人がつくった巨大テーマパーク
  • 世界は狭まり「遊び場」が生まれる
  • 終章 驚きを探す本能
  • 謝辞/原注/参考文献/クレジット

【感想は?】

 歴史はセンス・オブ・ワンダーでいっぱいだ。

 著者はソレを「ハチドリ効果」と呼んでいる。他の目的のために生まれた発想や技術が、全く別の分野に応用され、発展して世界を席巻してゆく、そんな現象である。

誰かが明確に一つの目的を持った装置を発明するが、その装置をより広い社会に導入することで、発明者が想像もしていなかった一連の変化が起こるのだ。
  ――第6章 レジャーランド パブリックスペース

 歴史の視点には大きく分けて二つの型がある。一つは人物に焦点を当て、王朝や英雄の活躍を語るもの。昔から物語のネタとしてよく使われた。もう一つは技術や産業の伝播や発達を追うもので、ウィリアム・H・マクニールの「世界史」が代表だろう。

 この本は後者、すなわち技術や産業や概念の伝播と発達、そして変化や成長を追うタイプだ。ただしマクニール的に技術を追うタイプでも、「それが何の役に立つのか」が説得力の基礎をなす。だが、この本では、何の役にも立たないモノを主役に据える。

 この本が扱うのは、ファッション・音楽・香辛料・幻影・ゲーム・娯楽施設などだ。いずれも、現代では重要な産業を成している。が、無くなった所で文明が崩壊するわけじゃない。それでも、この本を読むと、こういった「遊び」こそが文明の発展の原動力なんじゃないかと思えてくる。

 上にあげた6つのテーマのうち、たいていの人なら一つぐらいは興味を惹くものがあるだろう。そこから読み始めてもいい。

 私が最も惹かれたのは、第2章の音楽だ。ヒトの音楽にかける執念は、パイプオルガンを見ればわかる(→「パイプオルガン 歴史とメカニズム」)。あのとんでもなく精密で大規模なメカニズムを、心地よい音を響かせるためだけに作ったのだ。この音を求める欲求は洞窟に暮らしていた頃からのものらしい。

旧石器時代の洞窟遺跡で発掘された骨笛のなかには、音を出せるぐらい無傷のものもあり、多くの場合、骨にあけられている指孔は、現在、完全四度および完全五度と呼ばれている音程を出す間隔になっていることを、研究者は発見している(略)。
  ――第2章 ひとりでに鳴る楽器 音楽

 音楽理論なんざ欠片もなく、狩りと採取で暮らしていた頃から、ヒトは「心地よいメロディー」を求めたのだ。幸い骨だからモノが今も残っているが、皮は残らない、考古学者によると、皮で作る太鼓は10万年以上の歴史があり、「音楽の技術は狩猟や体温調節のための技術とおなじぐらい古い」。樋口晶之のドラム(→Youtube)で血が騒ぐのは、そのためか。

 時は流れ9世紀。バグダッドのハイテク・エンジニア兄弟、バーヌ・ムーサは自動オルガンを作る。笛の穴を、指で塞ぐのではなく、シャフトで塞ぐ。シャフトはカムで上下する。カムというより太い円筒で、理屈はオルゴールに似ている。

 この発明の凄い所は、円筒を取り換えれば別の曲を奏でられること。つまり「プログラム可能だったのだ」。ハードウェアとソフトウェアが分かれたのだ。一種の万能機械といえよう。バーヌ・ムーサは得意絶頂だったろうなあ。ところが、この偉大なる発明は…

800年にわたって、人間はプログラム可能性という変幻自在の手段を手にしていながら、その期間、その手段をもっぱら心地よい音波のパターンを空中に発生させるために利用していたのだ。
  ――第2章 ひとりでに鳴る楽器 音楽

 と、音楽とからくり人形だけにしか使われなかった。これを変えたのがジョセフ・マリー・ジャカール、産業革命のきっかけとなったパンチカード式の自動織機である。このパンチカードはチャールズ・パペッジの解析機関へと引き継がれ、やがて現代のコンピューターへと発展してゆく。

 この章では、成功した発明だけでなく、消えていった発明も扱っている。中でも是非復活してほしいのが、ダフネ・オラム(→Wikipedia)が発明した楽器、オラミクス・マシン。発想が素晴らしい。オシロスコープは波形を画像にする。なら画像を波形、すなわち音にできるんじゃね?

 残念ながら当時のテクノロジーじゃ使い勝手が悪い上に、世間も電子音楽を受け入れる土壌が育ってなかった。でも現代なら、彼女が考えたインタフェースはシンセサイザーやDTMで実現できるだろうし、かなり面白いモノになると思う。

 終章では、なぜ遊びがイノベーションに重要かを解き明かしてゆく。遊びは気持ちをリラックスさせて想像力を刺激し、珍奇なアイデアを受け入れる心の余裕を広げるのだ。確かにギスギスした雰囲気だと面白い発想は出てこないしねえ。

 この記事では明るい話だけを取り上げたが、本書では胡椒や木綿が引き起こした惨劇もキチンと描いている。またクロード・シャノンの意外な人物像など、ドラマとして面白いネタも多い。ファッションが、音楽が、映画が、ゲームが好きな人に加え、エンジニアにもお薦めできる一冊。

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