2020年1月27日 (月)

バーツラフ・シュミル「エネルギーの人類史 上・下」青土社 塩原道緒訳 2

基本的に、地球上の文明はすべて太陽放射に依存するソーラー社会に他ならない。
  ――第5章 化石燃料と一次電気と再生エネルギー

エネルギーと経済について語ることは、同じことがらを異なる言葉で語るのと同じだ。
  ――第6章 化石燃料文明 かつてないパワーとその利用

オランダ、イギリス、アメリカが連続して経済大国となり、国際的な影響力を獲得したのは、これらの国がいち早く、有効エネルギー一単位をそれほど必要とせずに抽出できる(つまり、エネルギー純利益が高い)燃料を利用していたことと密接に関連している。
  ――第7章 世界の歴史の中のエネルギー 決定論と選択の狭間で

 バーツラフ・シュミル「エネルギーの人類史 上・下」青土社 塩原道緒訳 1 から続く。

【どんな本?】

 かつて人類のエネルギー源は己の筋力だけだった。次いでウシやウマなど獣の筋力も使うようになり、また条件が許せば水力や風力も使い始める。

 その後、蒸気機関により桁違いのエネルギーを手に入れた人類は、更に内燃機関やタービンによって大きな飛躍を遂げる。だが文明の進歩は平等ではなく、21世紀の今日も生物のエネルギーに頼っている人々もいれば、その2桁以上のエネルギーを浪費する社会もある。国単位で見ると、手に入るエネルギー量は必ずしも国民の生活の向上につながるわけではない。

 エネルギーを中心に人類の歴史を俯瞰し、また現代の人類の状況を分析し、未来の展望を描く、一般向けの歴史解説書。

【製鉄】

 上巻では、紀元前から産業革命前までの歴史を辿ってきた。下巻では、いよいよ蒸気機関による産業革命から石油や天然ガスへと主力が移る現代へと足を踏み入れる。

 ここで、まず虚を突かれたのが、鉄の重要性。少し前まで、製鉄量は国家の力を測る大事な指標だった。太平洋戦争の原因として、よく米国による経済封鎖が言われる。特に石油の禁輸が有名だが、同時に屑鉄なども禁じられた。毛沢東も鉄の生産を重視し、農村で鉄を作った。もっとも、こちらは典型的な粗製乱造に陥って大失敗に終わったけど。

 Wikipedia の粗鋼生産ランキングでも、「20年ぐらい前までは、国内経済の重要指標」とある。にしてもトップが小国ルクセンブルグってのは意外。もちろん、今だって鉄は大事だ。

…さまざまな種類の鋼鉄に使われている鉄は、金属の中で支配的な地位を保っている。2014年、鋼鉄の製造は主な四つの非鉄金属であるアルミニウム、銅、亜鉛、鉛をすべて合わせた総生産量の約20倍だった。
  ――第6章 化石燃料文明 かつてないパワーとその利用

 もっとも粗鋼生産ランキングも今は「経済のグローバル化によりほとんど当てにならなくなっている」とか。このグローバル化、世界経済総生産に対する対外貿易の比率は2015年で25%だが、1900年ではたった5%だった。昔は自国内で調達するしかなかったワケで、鉄の生産量は国力に大きな意味があったのだ。この製鉄で大きいのが…

木炭に変わって冶金用コークスが銑鉄(あるいは鋳鉄)の製錬に使われるようになったことは、間違いなく近代最大の技術的革新のひとつに数えられる。
  ――第5章 化石燃料と一次電気と再生エネルギー  重大な移行

 「ゼロからトースターを作ってみた結果」でも鉄を作るのに苦労してたが、現在の製鉄技術はあまりに高度すぎて、素人には何がどうなってるのか見当がつかない。ちょっと調べたら、「FNの高校物理」の「製鉄の歴史」が分かりやすそうだ。うーむ、ジャンルは物理になるのか。そんな風に、歴史・経済・物理と多くの学問に渡っているのが、本書の大きな特徴の一つ。

【ディーゼル】

 やがて主要なエネルギー源は石炭から石油に代わる。ここで楽しいのがルドルフ・ディーゼル(→Wikipedia)の逸話。そう、ディーゼル・エンジンの生みの親だ。今やディーゼル・エンジンはトラック,列車,タンカーとパワフルな大型マシンの印象が強い。だがドルフが望んだのは動力の小型化・分散化により、多くの人が田園生活を満喫できる社会だってのが皮肉。きっとクリフォード・D・シマックあたりと話が合ったろうなあ。

【高圧電線】

 製鉄のコークス同様、著者が高く評価している技術が、変圧器だ。電力は電流=アンペアと電圧=ボルトを掛けた値になる。変圧器は電圧を上げ電流を減らす、または電流を上げ電圧を減らす。なんでそんなのが要るのかというと、発電と送電の効率を上げるため。発電は電圧が低い方が効率がいい。でも送電は電圧が高い方が効率がいい。だから低電圧で発電し、変圧器で高電圧に変え、高圧電線で電気を送るのだ。高圧電線には、そういう意味があったのか。

【数字】

 とかも楽しいが、本書の最大の特徴は、やたら数字が出てくる点だろう。上巻でも農作業と収穫をむりやりワットに変換してたが、それは下巻も同じ。例えば肉に関しても…

 鶏肉は最も効率的に飼料に変換できる(肉一単位で約三単位の濃厚飼料)。豚肉の比率は約9%で、穀物飼育された牛肉は最も効率が悪く、肉一単位当たり最大25単位の飼料が必要となる。――第6章 化石燃料文明 かつてないパワーとその利用

 なんて計算が出てくる。鶏の唐揚げはエコなのだw でもたまには神戸牛も食べたい。まあいい。一般に都市の暮らしはエコじゃないように言われるが、昔は都市生活しようにもできなかったようだ。というのも…

伝統的社会のエネルギー供給源は耕作地や森林で、その面積は居住地の面積の最低50倍、一般には約100倍はなければならなかった…
  ――第6章 化石燃料文明 結果と懸念

 と、昔から都市は森や耕作地を食いつぶす存在だった。これは「森と文明」が詳しい。よく江戸なんて都市を維持できたなあ。これを変えたのが化石燃料で、調理や暖房もガスや電気で賄えるし、化学肥料やトラクターなどで耕作地の単位面積当たりの収穫量が増えた。だけでなく…

1500年から2000年までのあいだ、家庭暖房のコストは90%近く低下し、産業出力のコストは92%、貨物の陸上輸送のコストは95%、貨物の海上輸送コストは98%下がった。
  ――第7章 世界の歴史の中のエネルギー エネルギー利用の主要なパターン

 と、都市化は効率も上げたりする。こっちは「都市は人類最高の発明である」が詳しい。そうなったのも、特に陸上輸送が発達したお陰ってのが大きい。なにせ昔の馬車ときたら…

1800年の時点では、四輪馬車の一般的な速度が時速10km未満で、大型の貨物用馬車はその半分の速さしか出せなかった。
  ――第7章 世界の歴史の中のエネルギー エネルギー利用の主要なパターン

 人間が歩く速さはだいたい時速4kmだから、貨物用馬車は早歩き程度の速度でしかなかったのだ。たまらんね、そりゃ。もっとも、時代が進めば必ずしも効率が上がるわけじゃなくて、M1A1エイブラムズ戦車の燃費がリッター125m~250mなんて数字も出てくる。さすが合衆国、金満だなあw

【大きいことはいいこと?】

 もっとも、調達できるエネルギーが大きければ暮らしが豊かになるとは限らないのが皮肉な所。本書ではその例として、第二次世界大戦後のソ連と日本を引き合いにしている。毎日が買い物の行列だったソ連だけど、油田と炭田でエネルギー産出量は世界トップだったのだ。今だってロシアは世界第二の原油輸出国だけど、それで産業が発達したかと言えば…あなた、ロシアの自動車メーカー、知ってます?

 などとソ連/ロシアはアレだけど、下巻じゃ近年の中国の存在感は大きいんだよなあ。

【おわりに】

 などと、この記事ではエピソードを中心に紹介したが、他にも興味深いエピソードはてんこもりだ。特に下巻は数字が多く、先進国の食糧の廃棄率だの携帯電話の製造に必要なエネルギーだのと、ヲタク大喜びなトリビアがギッシリ詰まっている。農作業をワットに換算したりと、一見奇妙に思える単位の変換も楽しい。マクニールの「世界史」が好きなら、興味深く読めるだろう。

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2020年1月22日 (水)

バーツラフ・シュミル「エネルギーの人類史 上・下」青土社 塩原道緒訳 1

エネルギーは、唯一無二の普遍通貨だ。
  ――第1章 エネルギーと社会

要するに、鎌と犂がなければ大聖堂はできなかっただろうし、ヨーロッパ人の発見の旅もなかっただろうということだ。
  ――第3章 伝統的な農耕 共通性と特異性

一般に季節ごとに必要となる水の総量は、収穫される穀物の質量の約一千倍とされる。
  ――第3章 伝統的な農耕 集約化への道

農耕の根本的な変化という点で、漢に匹敵しうる時代はほかにない。以後の進歩は緩慢で、西暦14世紀を過ぎると、地方の技術はほぼ停滞した。
  ――第3章 伝統的な農耕 持続と革新

【どんな本?】

 文明を維持するにはエネルギーが必要だ。作物を育てるには日光が要るし、畑も耕さなきゃいけない。灌漑するにも水路の建設と浚渫が欠かせない。料理や暖房や照明、移動・輸送・建築にもエネルギーを使うし、金属の採掘や冶金もエネルギーがあればこそだ。

 文明化以前はエネルギーの大半を人力に負っていた。やがてウシやウマなど家畜の力も使いはじめ、風力も帆船などで古くから使われている。単にエネルギーの総量ばかりでなく、利用効率にも進歩がある。野原での焚火はエネルギーの大半が無駄になるが、高炉を使えばエネルギー効率はグンと上がる。

 人類はどんなエネルギーを使ってきたのか。エネルギー源はどこから調達したのか。エネルギーを価値のある仕事に変換するのに、どんな工夫をしいたのか。それぞれのエネルギーの総量はどれぐらいで、変換効率はどの程度なのか。

 ジュールやワットなどの単位を駆使して、人類史をエネルギーの観点から捉えなおす、今世紀ならではのユニークな視点による歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Energy and Civilization : A History, by Valcav Smil, 2017。日本語版は2019年4月10日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで上下巻、本文約370頁+375頁=745頁に加え、訳者あとがき5頁。9.5ポイント45字×18行×(370頁+375頁)=約603,450字、400字詰め原稿用紙で約1,509枚。文庫なら上中下の三巻に分けてもいい大容量。

 文章はやや硬い。まあ青土社だし、そこはお察し。だが内容は意外とわかりやすい。世界中を行き来するので、世界地図か Google Map があると便利だ。またキロ・メガ・ギガなどのSI接頭辞(→Wikipedia)を覚えているといい。よく出てくるのは三つ、キロは千、メガが百万、ギガは十憶。

【構成は?】

 第1章は「本書を読む上での注意事項」みたいな役割なので、必ず最初に読もう。それ以外の上巻は、テーマごとにほぼ独立しているので、気になった所を拾い読みしてもいい。下巻はまだ手を付けてないです。

  •   上巻
  • 第1章 エネルギーと社会
    • 流れ、貯蔵、管理
    • 概念と尺度
    • 複雑さと注意事項
  • 第2章 先史時代のエネルギー
    • 狩猟採集社会
    • 農業の起源
  • 第3章 伝統的な農耕
    • 共通性と特異性
      畑仕事/穀物の優勢/作付けの周期
    • 集約化への道
      輓獣/灌漑/肥沃化/作物の多様性
    • 持続と革新
      古代エジプト/中国/メソアメリカ文化圏/ヨーロッパ/北アメリカ
    • 伝統農業の限界
      達成されたこと/栄養分/限界
  • 第4章 産業化以前の原動力と燃料
    • 原動力
      生物のパワー/水のパワー/風のパワー
    • バイオマス燃料
      木と木炭/作物残渣と畜糞
    • 家庭での需要
      食事の支度/暖房と照明
    • 輸送と建築
      陸上輸送/櫂船と帆船/建造物
    • 冶金
      非鉄金属/鉄と鋼
    • 戦争
      生物エネルギー/爆薬と鉄砲
  •   下巻
  • 第5章 化石燃料と一次電気と再生エネルギー
    • 重大な移行
      石炭採掘の始まりと広まり/木炭からコークスへ/蒸気機関/石油と内燃機関/電気
    • 技術的イノベーション
      石炭/炭化水素/電気/再生可能エネルギー/輸送の原動力
  • 第6章 化石燃料文明
    • かつてないパワーとその利用
      農業におけるエネルギー/産業化/輸送/情報とコミュニケーション/経済成長
    • 結果と懸念
      都市化/生活の質/政治的影響/兵器と戦争/環境の変化
  • 第7章 世界の歴史の中のエネルギー
    • エネルギー利用の主要なパターン
      エネルギーの時代と移行/長期的傾向とコスト低下/変わっていないことは何か?
    • 決定論と選択の狭間で
      エネルギーの必要と利用からの要請/コントロールの重要性/エネルギー説明の限界
  • 補遺
    • 基本尺度
      エネルギー関連の進歩
    • 科学的単位とその倍量および分量単位
    • パワーの歴史
  • 参考文献に関する付記/参考文献/訳者あとがき/事項索引/人名索引

【感想は?】

 理系大喜びの歴史書。

 そう、本書にはワットだのジュールだのといった、力学の単位がしょっちゅう出てくる。しかも「どうやってソレを計算したか」の過程も。数式にこそなっていないが、文章が示すのは加減乗除の計算式だ。数字が好きな人なら、思わずニタニタしてしまう。

 特に喜ぶのは工学系だろう。往々にして工学系は、効率を重んじる。投入するエネルギーや原材料に対し、どれだけの成果が得られるかが、工学の重要なテーマとなる。判りやすい例が、自動車の燃費だ。1リットルのガソリンで、より多くの距離を走れるエンジンを求め、自動車メーカーは日々研究を積み重ねている。

 自動車は判りやすいが、農業に当てはめるとなると、なかなか難しい。のだが、本書ではあの手この手で換算を試みる。例えば、1ヘクタールの畑を耕すのに、何ジュール必要なのか。同じ量のエネルギーを作物から得るには、何トンの収穫があればいいか。

 人間には基礎代謝があるので、その分を必要なエネルギー量に加える。蒔いた種の中には芽吹かぬものもあるので、その分を収穫量から割り引く。また小麦は製粉時に、米も精米時に相当量を失うので、それも割り引く。貯蔵中にカビや虫やネズミに食われるので、その分も勘定に入れる。米と小麦では重量当たりのエネルギー量が違うので、表にして比べる。

 …なんてことを、農業の項では延々とやってたり。ここでは、「どうやって計算するか」も楽しいが、それ以上に「どこから数字を持ってきたか」「その数字の値はどれぐらいか」も楽しい。というか、そういうのを楽しめる人向けの本なのだ。

 ヒトは直感的にこう考える。「投入するモノを増やせば、得られるモノも多くなる」。農業だと、例えば畜獣の利用だ。ウシやウマに犂を曳かせれば、より多くの畑を耕せる。その通りなのだが、ウシとウマでは最大出力も燃費も違う。ウシと比べウマは最大出力が大きいが、燃費が悪い。ウシは藁や籾殻を与えればいいが、ウマには穀物を食わせないと力が出ない。その点、スイギュウは意外と優秀で…

 ってな、単純なエネルギー収支の話も面白いが、ヒトはカロリーだけじゃ生きられない。他の栄養素だって必要だ。また、同じ土地で同じ作物を作り続ければ、土地が痩せてしまう。

 これを補う代表的な方法が、輪作だ。コムギやコメなどの穀物と、マメ類を交互に作る。土地が痩せる最大の原因は、土中の窒素の不足だ。穀物は土中の窒素を消費するのに対し、マメ類(の根粒菌)は窒素を補給する。と同時に、食べればタンパク質も補給できる。ただし単位面積当たりの収穫量だと、マメ類は穀類の1/3~1/2と少ないのが痛いところ。

 そんな風に、ヒトは農業技術を発達させてきた。まあ発達というか、最適化ですね。ところが、最適化にはソレナリのオツリがある。開拓すれば野獣が減り、狩りの獲物が減る。輪作で安定した収穫が得られるなら、同じ作物を延々と作り続ける。豊かになれば、それだけ人口も増える。その結果…

…伝統農業の千年を通じて、一人当たりの食物供給量に明らかな上昇傾向はない…(略)そしてたいていの場合、時代が新しくなるほど食の多様性が薄まっていた。
  ――第3章 伝統的な農耕 伝統農業の限界

 と、マルサスの罠(→Wikipedia)にまんまとはまったのですね。

 などと第3章ではエネルギーの面から農業を計算したのに続き、第4章では燃料・輸送・建築・冶金・戦争などを、やはりエネルギーの面から計算する。ピラミッドの建設方法が現代でもよくわからないってのは意外だった。てっきり斜面を作って石を持ち上げたのかと思ってたんだが、それにしては斜面の遺物が残っていないとか。

 「木材と文明 」や「森と文明」にあるように、やはり都市は森を食いつぶすようで、本書では冶金での浪費が印象深い。

…燃料となる木材を手に入れられるかどうか、そしてのちには、大型化するふいごやハンマーの動力となる水力を確実に利用できるかどうかが、冶金の進歩を左右する決定的な要因だったのである。
  ――第4章 産業化以前の原動力と燃料 冶金

 薪と木炭ぐらいしか燃料のない時代には、森が主なエネルギーの供給源だったのだ。特に製鉄での木炭は優秀で、単位質量あたりの熱量が薪より40%ほど多いだけでなく、余計な水分がないのでより高い温度を得られる上に、純粋な炭素で硫黄やリンなどを含まないため、鉱物を汚染させない。

 ただし品質には代償があって、「窯で生産された木炭の量は一般に、空気乾燥させた木材の生産量の15%~25%ぐらいしかなかった」。7割以上も量が減っちゃうんですね。その結果…

明らかに、古代の製錬は地中海沿岸地方の森林破壊の主たる原因だったのであり、南コーカサスでもアフガニスタンでも事情は同じだった。そして燃料となる木材が少なくなった結果、その土地での製錬はしだいに縮小せざるを得なくなったのである。
  ――第4章 産業化以前の原動力と燃料 冶金

 現代のアフガニスタンは砂漠が広がる不毛の地みたいな印象があるけど、実はヒトが森を食いつぶした結果みたいだ。

 と、上巻では化石燃料以前の人類史を、敢えてジュールやワットなどの単位を用いて語るという、独特の視点の衝撃が大きい本に仕上がっている。これから読む下巻が楽しみだ。

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2020年1月12日 (日)

マニング・マラブル「マルコムX 伝説を超えた生涯 上・下」白水社 秋元由紀訳

本書の主な目的は、広く語られているマルコムX伝説にとらわれず、マルコムXの人生で実際に起きた出来事を詳しく述べることである。本書はまた、マルコム自身も知り得なかった事実を明らかにする。
  ――プロローグ 伝説にとられえないマルコム

「南部に送り込まれたいんだ。黒ん坊兵士を集めてね、わかる? 鉄砲を盗んで、貧乏白人どもを殺してやる!」
  ――第2章 デトロイト・レッドの伝説

「わたしは南部について何も知らない。わたしは北部の白人によって生み出されたのである」
  ――第5章 「導師なら結婚していなければ」

アメリカにいる2000万の黒人は「自分たちだけで一つの国をつくるだけの数がい」て、その国が成立するために黒人は「自分たちだけの土地が必要」なのである。
  ――第7章 「間違いなく殺すつもりだった」

「…革命家というのは地主に抗する土地を持たない者です」「…革命は破壊的で血にまみれたものです」
  ――第10章 「ニワトりがねぐらに帰るように」

アメリカは暴力を助長してきたのだから、(ケネディ)大統領がその犠牲になったのも驚くべきことではない。
  ――第10章 「ニワトりがねぐらに帰るように」

「これまでのところは黒人だけが血を流してきたが、白人にはそれは流血と見なされていない。白人は白人の血が流れて初めてそれを流血の戦いと見なすのでしょう」
  ――第11章 ハッジで受けた啓示

『わたしとかかわると警察やFBIに悩まされるかもしれませんよ』
  ――第12章 「マルコムをなんとかしろ」

マルコムはわれわれのあるべき姿、黒人としてあるべき姿を体現した人でした!
  ――第16章 死後の生

マルコムが常に伝えようとしていたのは、黒人としての誇り、自尊、自分の受け継ぐ伝統についての自覚を持つことだった。
  ――エピローグ 革命的な未来像とは

【どんな本?】

 マルコムX。1950年代から1960年代前半にかけ、アメリカ合衆国で黒人差別と闘い、同時期のマーティン・ルーサー・キングJr. と並び大きな影響力を持った運動家である。

 差別と闘う点では同じだが、幾つかの点で両者は対照的だ。あからさまな差別が横行する南部出身で、非暴力を訴えたキング。一見進歩的に思える北部の都市部を中心に活動し、より攻撃的な姿勢で話題を呼んだマルコムX。米国の主流宗教であるキリスト教の牧師のキング、米国では少数派のイスラムを学ぶ過程で思想と姿勢を育んだマルコムX。

 1965年2月21日、マルコムXは凶弾に倒れる。しかし、死後も彼を崇めるものは後を絶たず、彼の死の直後に出版された「マルコムX自伝」はベストセラーとなり、1993年にもスパイク・リー監督の映画「マルコムX」が公開されるなど、今なお彼はヒーローであり続けている。

 そんなマルコムXに関する作品は1000点近いが、その大半は「マルコムX自伝」を元にしている。

 「マルコムX自伝」は、マルコムXが自ら語り、それを聞き取った作家アレックス・ヘイリーが整理し編集した作品である。全てマルコムX自身の視点で描かれており、第三者や公的資料による裏取りはされていない。すぐれた文学作品ではあるが、歴史書とは言い難い。

 本書はマルコムX自身の私信はもちろん、関係者へのインタビュウやネイション・オブ・イスラム(NOI)所有の資料に加え、マルコムXをマークしていたFBIの捜査資料までも漁り、マルコムXが知らなかった事柄、例えば周辺にいた潜入捜査員なども含め、より多角的・客観的にマルコムXの人物像と、彼が置かれていた状況を描き出そうとするものである。

 目端の利く悪党デトロイト・レッドの伝説はどこまで本当なのか。いかにしてNOIと出会い、帰依したのか。NOIでは、どのように活動したのか。師イライジャ・ムハマドとの関係は、なぜこじれたのか。なぜ晩年に考えを改めたのか。そして暗殺の真相は。

 激動の60年代を代表する人物を、膨大な取材と資料によってリアルに蘇らせ、伝説の真相を明らかにする、現代の歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は MALCOLM X : A Life of Reinvention, by Manning Marable, 2011。日本語版は2019年2月5日発行。単行本ハードカバー縦一段組みの上下巻、本文約370頁+303頁=673頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×20行×(370頁+303頁)=約619,160字、400字詰め原稿用紙で約,1548枚。文庫なら上中下に分けてもいい大容量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も私のような年寄りには分かりやすいのだが、若い人にはつらいかも。

 というのも、背景にある60年代合衆国社会や国際社会の説明を、かなりはしょってあるからだ。とりあえず公民権運動(→WIkipedia)は軽く押さえておきたい。ケネディ暗殺や第四次中東戦争に加え、当時のアフリカ・アラブ情勢も知っているとなおよし。

 また、「マルコムX自伝」も頻繁に引用しているので、できれば読み比べたい。マルコムX自身が創り上げた人物像と、現実のマルコムXの違いが見えてくる。その違いにも、マルコムXの強い個性と、当時の米国の黒人の文化や思想が現れている。ちなみに私は20年以上前に抄訳版を読んだだけなので、この記事では勘違いがあるかもしれない。お気づきになった点があれば、ご指摘ください。

【構成は?】

 ほぼ時系列で話が進むので、素直に頭から読もう。ご覧の通り、晩年ほど解像度が高くなる。

  •  上巻
  • プロローグ 伝説にとられえないマルコム
  • 第1章 「巨大な民よ、立ち上がれ!」 1925年~1941年
  • 第2章 デトロイト・レッドの伝説 1941年~1946年1月
  • 第3章 そして「X」になる 1946年1月~1952年8月
  • 第4章 「導師のような方は類まれ」 1952年8月~1957年5月
  • 第5章 「導師なら結婚していなければ」 1957年5月~1959年3月
  • 第6章 「ヘイトが生んだヘイト」 1959年3月~1961年1月
  • 第7章 「間違いなく殺すつもりだった」 1961年1月~1962年5月
  • 第8章 モスクから街頭へ 1962年5月~1963年3月
  • 第9章 「かれは勢いが強すぎた」 1963年4月~11月
  • 用語集/原注
  •  下巻
  • 第10章 「ニワトりがねぐらに帰るように」 1963年12月1日~1964年3月12日
  • 第11章 ハッジで受けた啓示 1964年3月12日~5月21日
  • 第12章 「マルコムをなんとかしろ」 1964年5月21日~7月11日
  • 第13章 「尊厳を求める闘争」 1964年7月11日~11月24日
  • 第14章 「そんな男には死がふさわしい」 1964年11月24日~1965年2月14日
  • 第15章 「死はしかるべきときに来る」 1965年2月14日~21日
  • 第16章 死後の生
  • エピローグ 革命的な未来像とは
  • 注記及び謝辞/用語集/訳者あとがき
  • 参考文献/原注/人名索引

【感想は?】

 著者は歴史家として客観的であろうとしている。が、どうしてもマルコムXへの憧れが漏れ出てしまうのが、ちょっと可愛い。

 やはりアレックス・ヘイリー著「マルコムX自伝」との違いに目が行く。まず気が付くのは、マルコムXが人を惹きつける強い魅力を持っており、それを自分でもわかっていて、巧みに使っていた点だ。

 つまり彼はスターであり、かつ自らの敏腕プロデューサーでもあった。そういう点で、矢沢永吉と似ている。曲も作らないし歌も歌わないが、ライブ=講演で観客を盛り上げる鮮やかな手腕を持っていた。例えば、後輩にこんな指導をしている。

…マルコムは忠告した。必ず最初に講義の主題を提示するのだ。「マルコムはいつも、最後に主題に戻って聞き手に話の要点を思い出させるのを忘れてはいけないと言っていた」。
  ――第9章 「かれは勢いが強すぎた」

 まるで「10分でわかるプレゼンテーションの基礎」みたいな本に出てきそうな話だ。デトロイト・レッドの二つ名でヤンチャしてた頃にショウ・ビジネスと関わったので、その頃に覚えたコツかもしれない。ともっとも、プレゼンテーションの方向性はホワイトカラー向けじゃない。貧しい黒人にウケるように工夫している。

全体としてマルコムは自分をできる限り悪そうに見せようと努めた。そうすればムハマドが伝えるお告げが持つ力によって人の人生が変わることがはっきりと示されるからである。
  ――第9章 「かれは勢いが強すぎた」

 とあるので、「ワルが立ち直った感動話」みたいな印象を受ける。が、それほど単純じゃない。同じワルでも、ただのチンピラと二つ名を持つ有名人じゃ格が違う。自伝では「デトロイトじゃちったあ知られたワル」みたいな空気が漂っているのに対し、本書ではポン引きとセコいペテン師の兼業みたいな感じだ。つまり、なるたけ大物のワルに見せようとしているのだ、マルコムXは。

 こういうあたりや、イザとなれば暴力も辞さない攻撃的な姿勢は、今でもヒップホップ、特にギャングスタ・ラップが受け継いでいる。つまり、そういう市場をマルコムXは狙い、開拓し、そして見事にブレイクしたのだ。

 とかの細かい違いや演出はあるものの、政治活動をする者の著書としては、「マルコムX自伝」は意外と事実に忠実なのも本書で分かる。

 もう一つ意外なのが、現代のヒップホップ・スターと比べ、マルコムXの暮らしがかなりつつましい、どころかむしろ貧しいこと。例えば1964年にマルコムXはメッカ巡礼=ハッジに行くのだが、その旅費1300ドルを異母姉のエラに借りている。このエラ姉さんも面倒見のいい人で…ってのは置いて、この巡礼でマルコムXは大きな転換点を迎える。

 宗教的にはカルトなNOI(ネイション・オブ・イスラム)から主流のスンニ派へと変わる。また政治的にも強固な人種分離主義から「白人にも話の分かる人はいるんじゃね?」的な疑念を抱き始める。やられたらやり返す方針は変わらないけど。これがNOIとの確執になるのは自伝と同じ。が、もっと大きいのが、巡礼での出会いだ。

 合衆国じゃ旅費にも困る暮らしなのに、旅先じゃなんとサウジアラビアのファイサル王子から国賓として迎えられている。同年、再び中東とアフリカを訪れ、ファイサル王子をはじめエジプト・ケニア・タンザニアなどから、賓客としての扱いを受ける。中にはパレスチナ民族評議会ハッジ・アミン・フセイニ(→Wikipedia)なんてヤバい奴までいる。

 これを機にマルコムXは外圧の利用を考え始めるんだが、中国の共産主義革命を持ち上げてたりと、冷戦当時に左派が抱いていた共産主義への幻想に惑わされているあたりは、今になって読むとかなり苦い。他にもエジプトのナセル政権とムスリム同胞団の双方に取り入ろうと苦労してるのも、ちょっと笑っちゃったり。いや両者の深刻かつ暴力的な対立を考えると、笑い事じゃ済まないんだけど。

 こういった細かい他国での日程が、ちゃんとわかるのは、FBIやCIAが他国でのマルコムXの行動を監視していたため。それほどマルコムXを危険と見なしていたのだ、合衆国の治安機関は。当然ながら、そういう情報は「マルコムX自伝」には出てこない。だってマルコムX自身が知らないし。

 やはり当局との関係で笑っちゃうのが、ニューヨーク市警察の特別捜査局BOSSの若き刑事ジェリー・フルチャーの話。父譲りの保守的な人種差別思想の持ち主だったジェリーは、マルコムXが作った政治組織OAAUの盗聴を担当する。「やつらは警察の敵だった」と思い込んでいたジェリーだが、マルコムXの生声を聞くうち…

『…[黒人に]職に就いてほしいと言っている。教育を受けてほしいと。制度に加わってほしいと。それのどこがいけないんだ?』
  ――第12章 「マルコムをなんとかしろ」

 マルコムX自身が何も知らないうちに、当局の者を洗脳していたのだ。

 とかに加え、「マルコムX自伝」の成立過程が見えるのも面白い。てっきりNOIを離れてから取材を始めたんだと思っていたが、実際はNOIにいた頃から取材が始まっていた。マルコムXの考え方が大きく変わる、まさにその時のマルコムXの声なのだ、あの本は。辻褄を合わせるのに苦労しただろうなあ。

 ここでは締め切りを伸ばす手口に長けたアレックス・ヘイリーの口八丁が楽しい。もっとも、出版社もソコはお見通しで…

「書き直しをすればするほど本の完成から遠のくことを忘れないでください」
  ――第12章 「マルコムをなんとかしろ」

 なんて釘をさされてたりw その後のマルコムXの運命を考えれば、締め切りを伸ばした甲斐はあるよね。

 NOIを離れてから、マルコムXは二つの組織を作る。宗教組織MMIと政治組織OAAUだ。いずれもマルコムX自身が改心の途中であるため、根本的な活動方針をハッキリ示していない。加えて、マルコムXの死後は二つともアッサリと空中分解している。つまり、いずれの組織も、実態はマルコムXファンクラブだったんだろう。こういう点も、マルコムXは強いカリスマを持つスターだったんだなあ、と感じるところ。

 彼は議席も役職も持っていなかった。にも関わらず、没後半世紀を過ぎても、彼の影響は生き続けている。デトロイトのチンピラから、多くの人々の指導者に成り上がり、国際的な運動へと向かう途上で倒れた男の生涯を、圧倒的な解像度で描く熱い歴史書だ。

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2020年1月 1日 (水)

2019年に面白かった小説3つノンフィクション3つ

 今回も思い付きで選んでます。

【小説】

小野不由美「白銀の墟 玄の月 1~4」新潮文庫
 諸国の協力を得て戴麒は見つかったものの、王である驍宗はいまだ姿をくらましたまま。しかも戴麒は角を失い、麒麟としての能力も封じられている。状況は絶望的ながら、それでも李斎と戴麒は戴へと帰り、行方不明の驍宗を探す旅に出る。二人が降り立った戴は予想通り荒れており、村は賊を恐れ門戸を固く閉ざす。なぜ阿選は反乱を起こしたのか。驍宗はどこで何をしているのか。そして戴国の行方は。
長らく中断していてファンをヤキモキさせたファンタジー・シリーズの(たぶん)完結編。いやきっと2020年に短編集が出るだけど、それは長いエピローグみたいなもんで。「魔性の子」からの伏線もちゃんと回収し、見事に完結させてくれたことが嬉しい…って、完全に主観だけで全く紹介になってないな。
大森望監修「カート・ヴォネガット全短編」早川書房
 「プレイヤー・ピアノ」「猫のゆりかご」「タイタンの妖女」「スローターハウス5」などで有名なアメリカの作家カート・ヴォネガット。だが、彼の本領は短編にこそある、と評する人は多い。もちろん、私もその一人だ。そんな彼の全短編が、 「バターより銃」 「バーンハウス効果に関する報告書」 「夢の家」 「明日も明日もその明日も」の四分冊として出た。 やはり私はSFっぽい作品に目が行ってしまうが、作家としての努力が伺える初期作品が読めるのもファンとしては嬉しかった。
東京創元社「ランドスケープと夏の定理」高島雄哉
 数学専攻のネルスが卒業論文で発表した「知性定理」は、大きな話題を呼ぶ。あらゆる知性とは会話が可能であるとする定理だ。ネルスの姉のテオは22歳で教授になった宇宙物理学の天才であり、第二執筆者には彼女も名を連ねている。テオは今、月の向こう側、L2で共同研究者の青花とともに研究に勤しんでいる。そんなテオに呼び出されたネルスが、彼女の研究室でみたものは…
 キャラクター的には姉ちゃんのテオがひときわ輝いている。天才かつ強引で理不尽、姉とはかくも恐ろしい存在なのだw つか、なんちゅうモンを隠してるんだ姉ちゃんw なども楽しいし、新人ながら最新のサイエンスに真っ向勝負を挑んだ芸風も嬉しくてしょうがない。ジェイムズ・P・ホーガンが好きな人には、自信をもってお薦めできる稀有な作品。

【ノンフィクション】

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ「セカンドハンドの時代 『赤い国』を生きた人びと」岩波書店 松本妙子訳
 東欧崩壊に続き、ソ連も崩壊した。だがそれでも人々の暮らしは続く。かつては世界の両極の一方だった大国が、ただの大国に滑り落ちた。それを機に荒稼ぎした者もいれば、取り残された者もいる。壁の向こうで、彼らはどう暮らしていたのか。政府は何を伝え、何を伏せていたのか。そして世界を震撼させた激動の中心にいた人々は…。 ノーベル文学賞作家スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが、旧ソ連の人々の生の声を伝える、迫真のドキュメンタリー。
 「戦争は女の顔をしてない」で私をKOしたスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの、もう一つの代表作。旧ソ連の様々な人びとへのインタビュウ集だ。ロシア軍内の新兵イビリ、ソ連崩壊後の内戦、外国人労働者のモスクワでの悲惨な暮らし、旧ソ連時代の孤児院の実態、天使と噂される女の生き方、逆にひたすら金と地位を求める女…。ノーベル文学賞だからと、尻込みする必要はない。週刊誌の犯罪者記事や、新聞の三面記事を期待し、野次馬根性全開で読んでほしい。きっと「もうお腹いっぱい」な気分になれる。
ロイ・アドキンズ「トラファルガル海戦物語 上・下」原書房 山本史郎訳
 かのホレイシオ・ネルソンが救国の英雄となったトラファルガル海戦。その戦闘の様子と影響を描く作品。と書くと軍ヲタ向けの本のようだし、実際にそうなんだが、本書の面白さは圧倒的な「細かさ」にある。水兵はどこでどんな者をどうスカウトしたか、将兵は何を食べていたか、排泄はどうしたか。こういった船上生活の隅々まで、著者はエグいほどの解像度で描き出すのだ。帆船物語は読み物としちゃ楽しいが、その舞台は凄まじい臭いが充満して…
 あ、もちろん、肝心の戦闘の様子も迫力満点。当時の砲の威力はもちろん、それを撃つまでの手順までキッチリ描き、また戦術面ではネルソン・タッチのねらいまで鮮やかに明かしてくれる。当時の情勢と技術、そして両軍の性質を考えれば、実に理に適った戦術なのがスンナリと納得できるのが有り難い。書名に「物語」とあるだけに読みやすさも抜群で、初心者にお薦めの作品だ。
オーウェン・ジョーンズ「チャヴ 弱者を敵視する社会」海と月社 依田卓巳訳
 チャヴ。イギリスで低学歴の貧乏白人を揶揄する言葉だ。日本なら、ヤンキーが近いかも。定職に就かず、就いても賃金の安い非熟練労働。公営住宅に住み、ジャージで街をウロつき、飲んだくれで、ケンカッ早く、嬉々として暴動に加わる、ロクでもない奴ら。そんなイメージだ。それは本当なんだろうか?
 かつてのイギリスじゃ労働者は誇り高かった。労働党は力を持ち、労働者たちの声を国会に伝えた。なぜ、誇り高い労働者がチャヴと蔑まれるようになってしまったのか。
 この本の舞台はイギリスだ。政党も保守党と労働党だし。しかし、私にはどうしても日本と重なって見えた。この本が描くチャヴは、日本の派遣労働者の姿そのものだ。
 そう、これは極めて政治的な本だ。それも左派の。だから政治的な立場によって、感想は大きく分かれる。あなたが左派なら、間違いなく興奮する。だが、それ以上に、貧しい人こそ読むべき本だ。あなたの両親は、働くことに誇りを持っていた。労働者とは、誇り高い者なのだ。そしてあなたも誇り高く生きられるはずだったのだ。あなたの誇りを誰が奪ったのか、その答えは本書にある。

【終わりに】

 実は「トラファルガル海戦物語」と「スペイン無敵艦隊の悲劇」、どっちを選ぶか悩んだのだが、先に目についた方を選んだ。他にも「イスラエル軍事史」や「ドキュメント 戦争広告代理店」など、軍事関係は興奮する本が多かった。

 また科学では「バッドデータ ハンドブック」がプウログラマあるあるで苦笑いが止まらない。「『おいしさ』の錯覚」は人生を少し「おいしく」してくれる。「『殺してやる』 止められない本能」は、読み終えてしばらくドキドキが止まらなかった。

 と、2019年はノンフィクションで収穫が多かったなあ。

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2019年12月25日 (水)

チャールズ・L・ハーネス「パラドックス・メン」竹書房文庫 中村融訳

「…とりわけ、ソラリオン9でトインビー21の純化されたエッセンスが見つかるものと期待しています――つまり、自殺したくてたまらない30人の狂人が」
  ――p103

「…マインドとは何者なんだ?」
  ――p168

おまえはだれなの?
  ――p316

【どんな本?】

 アメリカのSF作家チャールズ・L・ハーネスが1955年に発表し、ヴォクトの諸作を彷彿とさせるスリリングでスピーディーな展開と壮大でマッドなアイデアの奔流にブライアン・オールディスが「ワイドスクリーン・バロック」の称号を与えた話題作。

 2177年、アメリカ帝国。宰相バーン・ヘイズ=ゴーントが事実上の支配者として君臨し、奴隷制を敷く退廃する社会となった。学生時代からヘイズ=ゴーントのライバルだった科学者のキム・ケニコット・ミュールは、10年前に消息を絶つ。

 同じころ、記憶を失った男アラールは、二人の大学教授マーカ・コリップスとジョン・ヘイヴンに救われる。アラールは二人に誘われ<盗賊結社>に入り、<盗賊>として稼いだ富で多くの奴隷を解放してきた。しかし帝国心理学者および芸術愛好家のシェイ伯爵の館に忍び込んだ際に…

 技術も社会も歪な世界で、巨大な陰謀に<盗賊>が勝ち向かう、サービス満点の娯楽SF長編。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 1953年発表の際は Flight into Yesterday だが、後に The Paradox Men の名で再版され、高い評価を受ける。日本語版は2019年9月19日初版第一刷発行。文庫で縦一段組み本文約320頁に加え、「訳者あとがき 元祖ワイドスクリーン・バロック」15頁。9ポイント38字×17行×320頁=約206,720字、400字詰め原稿用紙で約517枚。普通の文庫の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。ワードスクリーン・バロックと言われるとナニやら難しそうだし、原著が1953年なので古臭そうな印象がある。が、心配ご無用。確かにデジタル関係はアレだが、それ以外は根本的なスケールがイカれ切っていて読者の思考能力を麻痺させてしまう。またお話も危機また危機のスリリングな展開で読者を惹きつけて離さない。リラックスしてお楽しみあれ。

【感想は?】

 これぞ正当なヴォクト「スラン」の後継者。

 「ワイドスクリーン・バロック」なんぞと大げさで難しそうなラベルがついているから、人によっては敬遠しちゃうかもしれない。だが、それは大変な勘違いだ。これは、とっても楽しい娯楽冒険活劇なのだ。しかも、緻密に構成を考えてある。

 「スラン」も主人公は次から次へと危機に陥り、そのたびに激しいアクションと意表を突くアイデアで切り抜ける物語だった。その点はこの作品も同じ。

 ただし、ヴォクトは全体構成をアドリブで作っていた。破綻もあるのだが、あまりの目まぐるしさで読者に気づかせない、そういう力技の作品である。対して、本書は構成をキッチリと考え、アチコチに見事な伏線をはり、終盤で鮮やかに回収してみせるのだ。

 漫画に例えるなら、篠原健太の「彼方のアストラ」の構成で舞台やガジェットは寺沢武一の「コブラ」みたいな。いやアストラはアニメしか見てないけど。

 なんにせよ、そういう、個々の場面では個々のアイデアに「そんなんアリかい!」と驚きつつワクワクし、主人公のピンチには「どうなるんだろう?」と期待を膨らませ、終盤には「こんな大風呂敷をどうやって畳むんだ?」と不安を抱かせながら、最後に「おお、あれがこうなるのか、ヤラレタ!」と脱帽する、そんな作品なのだ。

 なんといっても、ハッタリが効いてる。これには舞台設定の工夫がいい。なにせ合衆国が帝国になっている。しかも宰相が仕切り、奴隷制もある。実にグロテスクだ。でもって主人公アラールは<盗賊>ときた。その盗賊の仲間は大学教授である。正邪がひっくり返ってるだけでなく、大学教授と盗賊なんていうミスマッチがたまんない。

 これが単に奇をてらっただけでなく、ちゃんと裏付けがあったりするのだ。冒頭でだいたい見当がつくんだが、実は…

 加えて、<盗賊>のスタイルが、なんとも時代がかってるのも楽しい。銃社会のアメリカのはずなのに、なんと主な武器はサーベルだ。しかも攻守ともに。これについても、ちゃんと種も仕掛けも用意してある。

 もちろん盗賊だけあって、逃亡用の七つ道具だってあるし、それぞれ奇想天外なクセにちゃんと理屈がついてるのも嬉しい。

 そんな次から次へと出てくるガジェットに加え、やたら悪役が個性豊かで魅力的なのも、この作品の読みどころ。

 まあずは最初に出てくるシェイ伯爵。美食でデップリと太った芸術愛好家だ。私は最初ヘルマン・ゲーリングを思い浮かべた。そう、ナチス・ドイツで空軍を指揮した貴族趣味の奴。これはけっこういい線いってた。

 ただしシェイ伯爵の肩書は帝国心理学者。軍人ではなく、人の心を操る陰険な奴である。実は陰険なだけでなく、心底アレな人なのが中盤以降で明らかになるので、期待しよう。私はこういう人として完全に壊れている変態学者さんが大好きだ。

 対して力押しの脳筋野郎が保安大臣のターモンド。つまりは<盗賊>の天敵、警察の親玉である。いや捜査の指揮は見事なのだ。でも武闘派で、大事な場面じゃ本人がお出ましになるのが困ったところ。もちろん、それに相応しくバトル能力は万全なんだけど。

 そしてラスボスが帝国宰相バーン・ヘイズ=ゴーント。隠れた主人公キム・ケニコット・ミュールに対し、学生時代から因縁を抱えてる執念深い奴。学業で負け女を取られ、恨みを恨みを晴らすため権力を握る、実にわかりやすい悪役ですね。ただ、それだけに、権力闘争では阿漕なまでの巧みさを見せ、最後の最後まで粘りに粘るしぶとい奴です。でもなぜかペットは黒猫じゃなくてメガネザルw

 そしいてもちろん、冒険SFに欠かせないガジェットもてんこもり。重力屈曲性計画だのトインビー21だのミューリウムだの、謎めいてハッタリが効いた言葉が妄想マシーンに燃料くべまくりだ。

 一見、古臭いし、ワイドスクリーン・バロックなんて言われるとマニア向けの難しい作品みたく感じるけど、心配ご無用。まあ実際マニアを夢中にさせる要素も多いが、お話はスリリングでスピーディーで豪快な冒険娯楽活劇だ。リラックスして楽しもう。

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«Geoge T. Heineman. Gary Pollice, Stanley Selkow「アルゴリズム クイックリファレンス 第2版」オライリージャパン 黒川利明,黒川洋訳