2018年4月24日 (火)

マイケル・L・パワー,ジェイ・シュルキン「人はなぜ太りやすいのか 肥満の進化生物学」みすず書房 山本太郎訳

本書はヒトの生物学(ヒューマンバイオロジー)についての本である。(略)
本書は、どのようにすれば肥満を予防できるか、肥満を「治療」できるかといった問題に解答を与えるものではない。ヒトがなぜ、そしてどのように肥満になるかを理解しようという試みなのである。
  ――はじめに ヒューマンバイオロジー、進化、肥満

唾液中に含まれる消化酵素アミラーゼはデンプンを単糖類に分解する。デンプンの消化は食物が嚥下される前から始まっているのである。
  ――第2章 私たちの遠い昔の祖先

肥満と栄養失調は同じ集団のなかで見られるばかりでなく、同一個人においても見られる。
  ――第5章 進化、適応、現代の試練

肥満は同時に、血中の低いカルシフェジオール濃度とも関係しており、それはビタミンD欠乏症のリスクを増大させる。(略)脂肪組織の大きな塊は、過剰なビタミンDや他の脂溶性ビタミンを脂肪組織に貯蓄し隔離してしまう。
  ――第10章 食べるということの逆説

【どんな本?】

 ご存知のように、アメリカ人はやたらと太っている。もっと酷いのは南太平洋の島々で、ナウルでは70%以上の人が肥満と判断された。これは世界的な傾向で、エピデミックと言ってよい。そのためアメリカでは回転ドアや自動車のチャイルドシートも大きくなり、航空機の燃費も悪くなった。

 遺伝子の異常で太る人もいるが、それは肥満者の5%未満だ。今の肥満は、進化の過程でヒトの体に備わった性質と、高カロリー小運動の現代生活とのミスマッチと考えていいだろう。

 と言うと何かわかったような気になるが、具体的にはどういう事なんだろう? 食物を食べ、消化し、エネルギーまたは脂肪に変える際、私たちの体の中では何が起きているんだろう?

 脳は、胃は、腸は、肝臓は、脂肪細胞は、それぞれ何を分泌し、分泌物はどこに作用し、どんな反応を引き起こすのか。そこにはどんな遺伝子のどんな働きが関わっているのか。それぞれの遺伝子は、長い進化の過程で、どんな環境で生き延びるために、どんな役割を果たしてきたのか。

 食物の摂取・消化・吸収・加工・保存・利用のプロセスを、生化学的に細かく調べ、ヒトの体の複雑さ・巧妙さを描き出すと共に、現代科学の先端で行われている研究の成果と不明点も紹介する、一般向けのやや高度な科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Evolution of Obesity, by Michael L. Power and Jay Schulkin, 2009。日本語版は2017年7月18日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約333頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×19行×333頁=約291,042字、400字詰め原稿用紙で約728枚。文庫本なら厚めの一冊分。

 文章はやや硬い。なんたって、みすず書房だし。内容も、かなり難しい。専門書ってほどでもないが、高校卒業程度の化学や生理学の知識か、または知らない化学物質の名前が出てきてもビビらない度胸が必要。だって単糖とかウロコルチンとか弓状核とか、小難しい言葉がしょっちゅう出てくるし。

【構成は?】

 原則として前の章を受けて次の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。

  • はじめに ヒューマンバイオロジー、進化、肥満
  • 第1章 肥満への道
    肥満を測定する/肥満の流行は本当に存在するのか?/世界の肥満者割合/健康上の帰結/健康以外の帰結/肥満の流行に対する理解/肥満と進化/何が肥満を引き起こすのか?/なぜ、太らない人もいるのか?/まとめ
  • 第2章 私たちの遠い昔の祖先
    初期のヒト/大きな体を持つことの利点/食物と適応/進化の歴史における食物の変化/ヒトの消化管/食物の腸内滞留時間/デンプンの消化/私たちの消化機構と現代の食事/「不経済な組織」仮説/まとめ
  • 第3章 食事の進化
    ヒト、食物、食べるという行為/食事とは何か?/チンパンジー、肉食、そして食事/食事と脳/協働と忍耐/チンパンジーとボノボ/協調と公平性/獲物と捕食者/協働と効率/まとめ
  • 第4章 進化、適応、ヒトの肥満
    ミスマッチ・パラダイム/恒常性パラダイム/アロスタティックロード/過去から受け継いだ機械装置/怠けることは、一つの適応か?/旧石器時代の食事/稀なものが貴重になる/ハチミツ/脂肪/脳と脂肪酸/まとめ
  • 第5章 進化、適応、現代の試練
    現代の食事/カロリーを生む液体/フルクトース(果糖)/高グリセミック指数食/カロリー源として以上のもの/外食/一人前のサイズ/身体活動/建造環境/睡眠/栄養転換/ひいマンと栄養失調/肥満は伝染するのか?/まとめ
  • 第6章 エネルギー、代謝、生命の熱力学
    エネルギーと代謝/生命の熱力学/エネルギーを取り除く/「食べる」こととエントロピー/エネルギー支出/エネルギー総支出量/「不経済な組織」仮説の再検討/エネルギー摂取/エネルギーバランス/均衡試験/エネルギーの貯蔵/エネルギー貯蔵組織/エネルギー貯蔵とエネルギー要求性/まとめ
  • 第7章 情報分子とペプチド革命
    進化的視点/情報分子/ペプチド革命/ホルモンと内分泌腺/消化を助ける内分泌腺/脳腸ペプチド/膵臓ポリペプチド/レプチン物語/ニワトリ・レプチンの興味深い例/レプチンの栄養機能/魔法の弾丸か鉛の散弾か/まとめ
  • 第8章 食欲と飽満
    満腹感、飽満、食欲/食欲を制御する信号/脳、食欲、そして満腹ということ/代謝モデル/代謝と肥満/まとめ
  • 第9章 食べるための準備を整える
    パブロフ再検討/脳相反応/制御生理における期待反応の重要性/摂食における期待反応の重要性/脳相反応の証拠/味覚の役割/脂肪に対する味覚は存在するか?/中枢神経の貢献/脳相インスリン反応/まとめ
  • 第10章 食べるということの逆説
    食欲における脳相反応の役割/満腹における脳相反応の役割/情報分子の多様な機能/食欲と飽満、そしてエネルギー収支/まとめ
  • 第11章 脂肪の生物学
    脂肪組織/内分泌系/脂肪組織と内分泌機能/ステロイドホルモンとしてのビタミン/ビタミンDと脂肪組織/ステロイドホルモンと脂肪/レプチン/レプチンと妊娠/腫瘍壊死因子/アディポネクチン/神経ペプチドY/肥満と炎症/中心性肥満と末梢性肥満/まとめ
  • 第12章 脂肪と生殖
    脂肪、レプチン、生殖/脂肪過多における性差/中心性肥満 対 末梢性肥満/性ホルモンが脂肪蓄積と代謝へ与える影響/レプチンとインスリン/脂肪の代謝/生殖における脂肪の利点/太った赤ん坊/脂肪と女性の生殖/脂肪、レプチン、思春期/肥満と出産/肥満、妊娠、出産の結果/まとめ
  • 第13章 肥満の遺伝とエピジェネティクス
    古い遺伝学/新しい遺伝学/一塩基多型/子宮内での代謝プログラミング/貧困、栄養、心疾患/エピジェネティックな要因/倹約遺伝子/子宮内プログラムの機構/倹約遺伝子仮説への批判/ヒトの多様性/体脂肪分布と代謝/ピマ・インディアン/同類婚と肥満の流行/緯度と食事中の脂肪/まとめ
  •  訳者あとがき/表/参考文献/索引

【感想は?】

 みすず書房の本だけあって、ダイエットの教本としてはからきし役に立たない。なんたって…

肥満は、摂取カロリーが消費カロリーを上回るという驚くほど単純な事実に起因する。
  ――第1章 肥満への道

 と、みもふたもない。得られる教訓は、せいぜい、バランスのいい食事と適度な運動ってぐらいだ。そういう点では、小学校の家庭科の教科書の方が遥かに役に立つ。

 とはいえ、多少は小技的に役立ちそうな事もある。例えば、甘い物だと…

摂取された果糖(フルクトース)は同カロリーのグルコース(ブドウ糖)より摂取の際のインスリン反応が弱い。(略)もし、インスリンが満腹に重要な役割を演じるならば、高果糖のコーンシロップで味付けしたような食物は、潜在的には(単位)カロリーに対して低い満腹感しか示さなくなるだろう。
  ――第9章 食べるための準備を整える

 果糖はカロリーの割に満腹感が少ないので、つい摂りすぎちゃうのだ。「甘い物は別腹」ってのは、本当だったんだね。他に重要な栄養素だと、カルシウムが印象に残る。

習慣的なカルシウム摂取が、ボディマス指数や体重増加、体脂肪量と逆相関することを示す多くの研究結果がある。
  ――第4章 進化、適応、ヒトの肥満

 カルシウムが足りないと運動しても贅肉が落ちにくい、のかもしれない。マウスの実験では、そんな結果が出た。ただしヒトへの影響は分かっていない。また、妊娠・出産・授乳でも大事で…

一般に女性は授乳期間中に、3~10%ものカルシウムを骨から失う。(略)食事中のカルシウムはほとんどこうしたカルシウム代謝に影響を与えない。高カルシウム食は、妊娠期間中に骨カルシウム量を増加させるが、授乳期間中のカルシウム補助食品は、(略)尿からのカルシウム排泄を増加させるだけである。
  ――第12章 脂肪と生殖

 赤ちゃんが育つ時、当然ながら赤ちゃんの骨も育つ。骨の主な原料はカルシウムだ。そのカルシウムは、母乳から得る。その乳のカルシウムは、母体の骨からきている。でも出産後にカルシウムを摂っても手遅れで、オシッコとして出ちゃう。カルシウムは妊娠中に摂らないと意味ないのだ。

 つか、母親ってのは、まさしく骨を削って子供を育ててるんだなあ。もちろん、赤ちゃんは骨だけで出来てるわけじゃない。ガリガリどころか、たいていはプニプニしてる。ヒトの赤ちゃんってのは、哺乳類の中でも異様に脂肪が多いのだ。特に赤ちゃんの脂肪は大事で…

赤子では、エネルギー支出の50%以上が脳代謝のために使用されている。ヒトの赤子の脳のエネルギーコストは、チンパンジーの赤子と比較して三倍か、それ以上に上る。
  ――第12章 脂肪と生殖

 ヒトの脳はバカでかい。デカいだけあって、燃費も悪く、多くのエネルギーが要る。それを賄うためにも、脂肪は大事なんだが、ヒトの乳は意外と脂肪が少ない。だから、体の肉付きが大事なのだ。

 加えて、ヒトの赤ちゃんは、凄まじい勢いで成長する。特に脳の成長は著しい。その脳は、大半が脂肪でできている。だもんで…

ある種の脂肪酸は、脳の適切な成長と発展に必須である。
  ――第4章 進化、適応、ヒトの肥満

 一般に脂っこい食べ物はダイエットの敵だ。重さが同じなら、油のカロリーは炭水化物の三倍もある。だからといって、若い人が油を摂らないと、ヤバい事になるかもしれない。

 と、そんな風に、ダイエット本だと思うと、「どないせえちゅうねん」と暴れたくなるぐらい役に立たない。これはそういう本じゃないのだ。ヒトが何かを食べる時、体の中で何が起きているのか。食べ物として摂ったエネルギーを、ヒトの体はどう使い蓄えるのか。そういう事が書いてある。

 これがやたらと複雑で。胃は胃液で食物を溶かし、腸は吸収し…と、それぞれの臓器は何かの役割を担っている。が、それだけなく、臓器同士は化学物質で連絡を取り合うのだ。例えば…

脳と消化管は多くの脳腸ペプチドで結ばれている。(略)たとえば胃で産生される腸ペプチドであるグレリンは、下垂体に働き成長ホルモンの分泌を促す。また、食欲を刺激する。
  ――第7章 情報分子とペプチド革命

 そんな風に、腹が減ったら食欲が増え、たくさん食べたら食欲がなくなるのも、当たり前だと私たちは思っている。でも、そのメカニズムを調べると、胃や腸と脳が連絡を取り合い、調整し合っている。このメカニズムは体の具合にもよって、寝不足だと食欲が増えたりする。当然、肥満も影響して…

ヒトやラットには、強固な脳相インスリン反応が存在する。食物の咀嚼や味覚情報に反応して、膵臓は素早くインスリン分泌を開始する。(略)
肥満した人では、脳相インスリン反応が欠如しているか減弱していることが多い。
  ――第9章 食べるための準備を整える

 などと、太ることで消化能力が変わったりもする。気分も関係あって、例えば苦しみや悲しみや恐怖を感じると、胃腸はウロコルチンや副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモンを出す。これは食欲を減らし、「直腸運動を促進する」、と書くと偉そうだが、つまりは漏らすのだ。

 お陰で体は軽くなり、胃腸に回ってた血は脳や筋肉に回るんで、判断も動きも速くなる。これは「[戦争]の心理学」にもあったなあ。この現象、ちゃんと生理学的にも解析されてたんだね。

 ってな具合に、胃腸だけでなく脳や膵臓、そして皮下脂肪に至るまで、私たちの体は化学物質による情報ネットワークで繋がってて、盛んにメッセージをやりとりしているらしい。脳を中心とした神経系によるトップダウンのネットワークってイメージは、これでガタガタと崩れてゆく。

 SF者としては、なんかワクワクする話だよねえ。とすると、AIによるシンギュラリティってのは、やっぱり無理で、身体が必要なのかも、それならそれで、IoTが突破口に…ってな妄想は置いて。

 体の話に戻ろう。それぞれの化学物質と、それが意味する情報や命令は、必ずしも一対一に対応しているわけじゃない上に、タイミングや位置によってメッセージの意味は違い…

 と、肥満をネタにしつつ、その実はヒトの体が秘めた複雑怪奇な化学物質駆動型の情報ネットワークの一端を解き明かし、また環境の変化に応じて動的に平衡のバランスを変えてゆくアロスタシスなる概念を紹介するなど、体が持つダイナミックな性質を語る、現代科学ならではの興奮に満ちた本だった。

 ただし、文章は硬いし、専門用語も容赦なく出てくるので、相応の歯ごたえがあるのは覚悟しよう。

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2018年4月22日 (日)

津久井五月「コルヌトピア」早川書房

 信じている。この現実に隣り合うようにして、目を覚まそうとしているもうひとつの現実があることを、同時に、全く同様に信じながら。
  ――p7

【どんな本?】

 2017年第五回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作「コルヌトピア」を加筆訂正した、長編SF小説。

 2084年。改造した植物=フロラを、計算資源として使う技術が発達した。東京は、直径30km・幅500m~3kmの緑地帯=グリーンベルトで周囲を囲い、巨大な計算資源として使っている。更に、フロラが使う電力用に、植物の根に集まる微生物を利用する緑地発電システムの活用も始まっていた。

 フロラの開発・設計・運用改善を請け負う企業の調査室に勤める砂山淵彦は、グリーンベルト内で起きた小規模火災の調査に駆り出される。ボヤは起きたのは、緑地発電システムの試験運用区域だ。同じチームにいた折口鶲(ひたき)は、多くの植物種をフロラ化した実績を誇る植物学者で…

 緑に囲まれた未来の東京を舞台に、ヒトと環境の関係を描く、長編SF小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2017年111月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約176頁に加え、「第五回ハヤカワSFコンテスト選評」6頁。9ポイント40字×16行×176頁=約112,640字、400字詰め原稿用紙で約282枚。文庫本なら薄い一冊分。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。庭いじりが好きな人と、東京またはその近郊に住む人は、ニヤリとする場面が多い。

【感想は?】

 なんか悔しい。

 なんといっても、舞台の風景がいい。コンクリートジャングルの大都会・東京が、大きな森に囲まれている。だけでなく、そこに建つ建物にも、盛んに緑が生い茂っている。

 似たような風景は、池上永一の「シャングリ・ラ」にもあった。が、「シャングリ・ラ」だと、温暖化の影響もあり、かなり荒々しくて猛々しく、ヒトの手に負えない緑だった。

 対してこの作品では、もともと計算資源として使うため人工的に造った緑地帯なだけに、手入れの良さを感じる。というか、実際、かなり細かく手入れしてるんだけど。主人公の砂山淵彦がボヤの調査に赴く場面でも、ヒトが森を丁寧に管理している様子がうかがえる。

 今のインターネット&コンピュータは、大雑把に言って、三種類の計算資源から成り立っている。一つは、大量のサーバを集めたデータセンター。もう一つは、皆さんが使うパソコンやスマートフォン。その間に、企業全体や部署のネットワークやファイルを管理する小規模のサーバ。

 そのデータセンターに当たるのが、東京を囲むグリーンベルトだ。これも魅力なんだが、小規模サーバに当たるシロモノが作り出す風景も、実にユニークで面白い。

 データセンターがフロラ化しているように、小規模サーバもフロラ化してる。もちろん筐体は植物だ。ってんで、あなたが勤めるオフィスにも、緑が生い茂っている。当然ながら、植物には日光が必要だ。だから、フロラに光を与えるために建物にも工夫が凝らされ…

 そんなわけで、表紙にもある新宿の風景が、私にはとっても楽しかった。表紙が描いているのは西口の都庁を中心とした高層ビル群で、これをいかに効率的にフロラで覆うかの工夫も楽しい。

 それ以上に、今のゴミゴミガチャガチャした東口の変貌が、もうねw 実に斬新だよなあ、こんな新宿。新宿がコレなら、渋谷や池袋や浅草はどうなる事やら。秋葉原は、フロラ市場と化すんだろうか。石丸電気も高層の温室に建て替えたりしてw

 などと脱線したが。このフロラ化の理屈も、「アレをそう使うか!」と盲点を突いたもの。最初はちょっと無理があるかな…と感じたのだ。が、読み進むうちに、どうも私の早とちりではないかと疑惑が沸いてきた。

 実はもっと細かい設定はあるんだけど、それ書いちゃうと早口でしゃべるオタクみたいでウザくなり、小説としてのバランスが取れない。そこで敢えて控えたんじゃないか、と。

 これが悔しい。だって「フロラ」って発想が、滅茶苦茶に面白いんだもん。

 今のコンピュータは、ハードディスクの一画が壊れたら、普通はデータを失う。この作品では、冒頭からボヤでグリーンベルトの一画を失っている。が、それで、データを失ったわけじゃなさそうだ。

 たぶん、現在のRAIDみたいな形で、同じデータのコピーを幾つかの区画に置き、保険をかけてるんだろう。焼け落ちた区画は試験運用区域なんで、より慎重に保険をかけていた、または保険のためのコピー用区画だったと考えれば、辻褄はあう。

 演算速度もちと不安があるんだが、これも大量の計算資源を動員した並列処理で、モノによっては補える。例えば、ORACLE など高価な商用DBMSで管理する大規模なデータベースで、多くの表を組み合わせる負荷の高い問い合わせなどは、フロラと相性がいいと思う。

 作品中では全く別の使い方をしてるけど、Oとかのオーダーで爆発的に演算量が増えてくって点は同じだから、そういうモンだと思ってください。

 とか長々しく語っちゃったけど、今なら「クラウド」の一言で表せるから便利だ。いや私もクラウドの意味、よく分かってないけど。で、そういう「隠した設定」を、たった一言で済ましちゃってるあたりが、とっても悔しいのだ。そういう所が美味しいのに。

 とか思ってたら、終盤に入って話は意外な方向に広がる可能性を示唆して終わる。選評では、「受賞後に大胆な書き換えを試みた」が「出版には間に合わなかった」とか。それもまた悔しい。すんげえ読みたいぞ、その風景。

 新宿駅東口のゴチャゴチャした風景を見慣れた人にお薦め。あの風景がこう変わるかー、と驚くだろう。

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2018年4月20日 (金)

ケン・トムソン「外来種のウソ・ホントを科学する」築地書館 屋代通子訳

本書は、在来種と外来種、さらには外来侵入種産業と呼べるほどに膨らんだ分野にかかわるあらゆる問いと、その陰にある意味とを精査しようとする試みだ。
  ――序 ラクダはどこのものか

今日のニュージーランドの植物学者は全員が、人間からの直接または間接の作用を排除すれば、在来植物は常に外来種に優位を保っていられるという意見だ。
  ――第2章 在来種のわずかな歴史

2007年末の時点で、連邦共和国としてのアメリカ合衆国からも、アメリカのどの州からも、外来種との競争で失われた植物種がひとつでもあるという証拠は皆無なのだ。
  ――第6章 生態学の講義を少々

生物防除のために導入された生物のうち、定着するのは三例にひとつで、そのうちのおよそ半数(つまり、導入された全体の約16%)だけが狙った標的の駆除に成功している。
  ――第8章 制御不能

【どんな本?】

 昨年はヒアリが大きな騒ぎになった。セイタカアワダチソウはあまり騒がれなくなったが、最近はアライグマが話題だ。ブラックバスも嫌われ者だし、異国から入ってくる生物は、ロクなもんじゃない

 …と、決めつけられたら困る。なんたって、アメリカ大陸からやってきたジャガイモもトマトも大好きだし。牛や豚や鶏だって、今どきはイギリスやアメリカからの輸入種か、またはその混血種だ。

 昔の外人レスラーよろしく、とかく悪役にされがちな外来種だが、本当にそうなのか。

 英国シェフィールド大学の生物学・生態学者が、イギリス・アイルランド・ニュージーランド・ハワイなどの島・島国や、オーストラリア・ヨーロッパ・アメリカ合衆国など大陸も見渡し、外来種がはびこる理由・その悪行の実態と興亡・悪評の原因などを追究し、環境保護活動に疑問を呈する一般向け解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Where Do Camels Belong? : The Story and Science of Invasive Species, by Ken Thompson, 2014。日本語版は2017年3月3日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約277頁、9ポイント45字×18行×277字=約224,370字、400字詰め原稿用紙で約561枚。文庫本なら普通の厚さの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。た舞台は世界中を飛び回るので、世界地図があると便利。

 ただ、タイトルで見当がつくように、いくらか政治的な主張を含んでいる。そのため、意見が合わない人もいるだろう。

【構成は?】

 全体は穏やかにつながっているので、できれば頭から読もう。

  • 序 ラクダはどこのものか
  • 第1章 移動する種
    • 生物種と大陸
    • 残存種、避難圏、そして氷河時代
    • 渡り、海や鳥を伝う分散
    • 人の手による分散
    • どれほど長くて不思議な旅だったことか
  • 第2章 在来種のわずかな歴史
    • 「在来」とは何か
    • 戦争と平和
    • 在来であることの価値
    • 急を要する保護
    • 金の力
    • 本書の今後
  • 第3章 まずは悪いニュースを少々
    • ミナミオオガシラ グアムの在来鳥類減少事件
    • カワホトトギスガイ 五大湖イシガイのミステリー
    • ギョリュウ アメリカ南西部の砂漠化植物
    • エゾミソハギ 大惨事を引き起こす湿地の侵入者
  • 第4章 訴状の通り有罪か?
    • エゾミソハギ 目立ちすぎが災いする?
    • ギョリュウ ほんとうに水を使いすぎているのは誰か?
    • カワホトトギスガイ 恩恵を受ける生き物たちもいる
    • それはわかった。だがミナミオオガシラはどうなんだ?
  • 第5章 いいものなら在来種に違いない
    • 英国固有の植生
    • ノウサギ、アナウサギ、ザリガニ
    • 英国のビーバー
    • 誤解されるディンゴ
    • カリブのアライグマ
    • コガタトノサマガエルのこんがらがった物語
    • 攻撃される在来性
  • 第6章 生態学の講義を少々
    • ニッチ理論を少し
    • ニッチ理論を検証する
    • ニッチと侵入
    • コラム 「島の生物地理学」理論
    • 外来種と地球規模の生物多様性
    • コラム カウリの物語
    • 歴史から学ぶ
  • 第7章 悪いやつを探せ
    • 勝者と敗者
    • どちらかといえば的外れな理論ふたつ
    • 少しはましな理論
    • コラム ロードデンドロン・ポンティクム 在庫一掃セール、1000株につき105シリング
    • 順化協会
  • 第8章 制御不能
    • 外来種と島
    • 大陸ではどうか 「悪魔の爪」の例
    • 有用な外来種
    • 生物防除とふたつのカタツムリ
    • 外来種と法律
  • 第9章 後戻りなし
    • 外来種を最大限に利用する
    • 長い見通し
    • 外来種の進化
    • 侵入された側の進化
    • 氷山の一角
  • 第10章 競技場を均すには
    • 意図的導入 ナミテントウの奇妙なお話
    • 園芸家の世界
    • イタドリ 救世主シラミ見参
    • 移住支援
    • コラム 英国に移転させるべき生物候補六種
  • 第11章 侵入にまつわる五つの神話
    • 神話その1:外来種による侵入が生物多様性を損ない、生態系の機能を失わせる
    • 神話その2:外来種はわたしたちに多額の損害を与える
    • 神話その3:悪いのはいつも外来種
    • コラム ハイタカとカササギ 現行犯?
    • 神話その4:外来種はわたしたちを狙って野をうろついている
    • 神話その5:外来種は悪者、在来種はいい者
  • 第12章 わたしたちはどこに向かうのか
  • 謝辞/訳者あとがき/写真クレジット/参考文献/索引

【感想は?】

 いきなり、冒頭から足元をすくわれた。ラクダだ。原産地はどこだろう?

 北アフリカでもアジアでもない。なんと、「4000万年ほど前に北アメリカで進化した」。北米産かい。ちなみに眷属は「リャマ、アルパカ、グアナコ、ビクーニャ」。アルパカってラクダに近いのか。言われてみると、微妙にユーモラスなところは似てるかも。

 ってのはおいて。

 今、北米に野生のラクダはいない。オーストラリアにはいるらしいが。でもラクダで想像するのは、アフガニスタン・パキスタンなどの中央アジアや、シリア・アラビア・エジプトなど中東だろう。時とともに、ラクダの住む所も変わってきたのだ。

 とすると、在来種と外来種って、どうやって区別するんだろう?

 この問いは、日本のような島国だと、さらに深刻になる。主食のイネをはじめ、たいていの生物種は、中国や東南アジアから来た種だし。

 そういう点では、著者が島国のイギリス人なのも、日本と似た視点を持っていて、ちょっと親しみが湧く。近くに大陸(ヨーロッパ)があるのも似ているし、かつての大帝国(ローマ)の遺産が大きいのも、中国の影響を受けた日本と似ている。

 もちろん、違う所もある。特に大きいのが、イギリス連邦の遺産なのか、オーストラリアとニュージーランドの資料が多いこと。いずれも外来種と在来種のせめぎあいが激いが、大陸オーストラリアと島国ニュージーランドの違いもあって、科学者にとっては格好の比較材料だ。例えばオーストラリアは…

こと哺乳動物に関しては、地球上でもオーストラリアが絶滅集中地点だ。ヨーロッパ人が入植して以来、18種が絶滅していて、これは同じ期間中に世界中で絶滅した全哺乳類のほぼ半数にあたる。主な原因が、持ち込まれた捕食動物――キツネと野生化したイエネコの子孫であるのはまず間違いない。
  ――第5章 いいものなら在来種に違いない

 と、希少種の保護に関心が深い人にとっては、注目の土地だ。しかも、ソコの外来種は、たいていイギリス人が持ち込んだもので、著者にも馴染みが深い。そんな著者の主張は、いささか極端に聞こえる。

外来種を排除したければ――究極の目標が在来種森林の再生ならば――無視するのが一番だということだ。
  ――第9章 後戻りなし

 つまり、「ほっとけ」だ。一時的に増えて在来種を駆逐するように見えるけど、たいていはすぐに勢いが衰えて在来種と共存するよ、と。もっとも、「すぐ」ってのが、学者さんの時間感覚で、50年とか100年とかなんだけど。

 と、かなり悠長なことを言っているようにも見えるが、厳しい指摘もある。例えば私たちの思い込みだ。昔のプロレスじゃ外人レスラーは悪役だったように、たいていヨソ者は悪者扱いされる。何か悪い事があると、ヒトはヨソ者を疑う。おまけに、目立つヨソ者ならなおさらだ。

外から持ち込まれる生物が共通して持っているものは何なのかを、最初の一目で見抜くのは難しい。ただ実際にはどれもが、目には定かに見えないが、ある一つの共通項を持っている。人間の近くで栄えるという点だ。
  ――第10章 競技場を均すには

 新顔で、しかもヒトのそばではびこる奴は、どうしたって目立つ。そういう奴は、どうしても悪役を押し付けられやすい。

 が、たいていは、宅地開発など、ヒトによる変化が原因だったりする。環境が変わったため、新しいニッチができて、そこにそかさず新種が入り込んだ、そういう事だ。

英国でもどこでも、そして在来種でも外来種でも、繁栄する植物は変化があったことの指標であって、それ自体が変化を推進するものではなく、彼らはただ、人間が自然環境をこんな風に変えてくれてうれしいよ、と言い続けているのだ。
  ――第7章 悪いやつを探せ

 加えて、ヒトには判官びいきな傾向もある。

一般的に言って、わたしたちは、愛らしくてわれわれに厄介をかけない動物や植物が好きだ。さらに言えば、生息数が減少している生き物が好きで、彼らになりかわって頑張ってしまうことさえしばしばある。
  ――第5章 いいものなら在来種に違いない

 トキなど絶滅しそうな生き物は、ついつい応援したくなるのだ。また、ヒトは、昔からある慣れた脅威より、目新しい脅威に注目しがちだ。デング熱がいい例だろう。交通事故の方が2~3桁ほど被害は大きいのに、マスコミは大騒ぎした。なんたって…

在来種は外来種ほどニュースバリューがないのだ。
  ――第11章 侵入にまつわる五つの神話

 そう、マスコミは見慣れた事柄を取り上げないのだ。だって手あかがついてて面白くないし。といった、ヒトの心理的な盲点を突いてくるのも、この本の特徴だろう。で、実際問題として、外来種は益と害、どっちが多いのか、というと…

生態系には数多くの機能があり、どの機能を測定するかでも話は大きく変わってくる。しかし実際に測定されたたくさんの機能のうち、ほとんどが外来種の影響を被っていなかったし、生産性、微生物の活動、土壌の炭素、窒素とリンの総量、利用可能な窒素量に関しては、外来種が存在することでむしろ増えていた。
  ――第11章 侵入にまつわる五つの神話

 と、全体的には、生態系を活発にして、しかも種の多様性を豊かにする傾向が強いとか。逆に言うと、雑草が増えるって事なんだけど、それが損か得かはヒトの都合によるから、ヒトってのは勝手なもんです。

 著者の主張はマスコミの論調と大きく違うし、そこに違和感を持つ人も多いだろう。でも、一般にマスコミの報道はヒステリックになりがちなものだし、冷や水を浴びせるような主張は報じない。落ち着いて考えるために必要な、新しい視点を与えてくれる本、ぐらいに考えて読んでみよう。

 どうでもいいが、Ken Thompson って名前、IT系の人は一瞬ギョッとするけど、もちろん別人です。

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2018年4月18日 (水)

ニーヴン,パーネル,バーンズ「アヴァロンの戦塵 上・下」創元SF文庫 中原尚哉訳

水はグレンデルを意味する。
  ――上巻p221

「どこを見ても、どこへ手をのばしても、そこには新しい動物や新しい植物がいるんだ」
  ――下巻p40

「ここはおれたちの場所なんだ。このすべてがだ。キャメロットでもない、サーフスアップでもない。ここがおれたちの土地なんだ」
  ――下巻p116

「あの土地はあいつらのものさ。おれたちではなく」
  ――下巻p179

「おれたちはすべてを捨て、ただ旅立ちたいと願った人間の集まりなんだ」
  ――下巻p200

「理由はいろいろだろうが、夢はひとつだった。未来を切り拓くことさ」
  ――下巻p244

「グレンデルのことは理解したと思っていたのに、じつはそうでなかった」
  ――下巻p324

【どんな本?】

 「神の目の小さな塵」で有名なラリイ・ニーヴンとジェリイ・パーネルのコンビが、売り出し中のスティーヴン・バーンズと組んだ、SF長編「アヴァロンの闇」の続編。

 地球から10光年、鯨座タウ星系第四惑星、通称アヴァロン。160名の移民団は、この惑星の島キャメロット島に植民地を築く。彼らは全人類から選りすぐった者だったが、人口冬眠の副作用で脳の一部が「凍りつき」、多くの者が鋭敏なはずの頭脳を失ってしまう。

 それでもアヴァロンは楽園のような土地だった。しかしそこには、恐るべき敵がいた。グレンデル。体長数メートルに成長する肉食の両生類。主な武器である突進は、わずか三秒で時速110kmに達する。その際に発する熱は凄まじく、時として自らも焼き殺すため、体を冷やす水が豊かな所にしか棲めない。

 獰猛なグレンデルの襲撃により、一時は壊滅の危機に陥った移民団だが、多くの犠牲を払った末、ついにキャメロット島からグレンデルを駆逐する。

 それから20年。

 植民地は発展し、新しい世代も育ってきた。食物連鎖の頂上に立つグレンデルが絶滅したためか、キャメロット島の生態系にも変化が現れはじめる。

 島で生まれ育った若者たちは、広大な本土への進出を望む。しかしグレンデルの脅威を忘れられない第一世代は、慎重な姿勢を崩さない。そんな時、本土にある無人採掘場で事故が起きる。何かが爆発したらしいのだが…

 フロンティアの暮らしと世代間の対立を背景に、奇想天外なエイリアンの生態と、見えざる敵の脅威を描く、長編パニックSF小説。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Beowolf's Children, by Larry Niven, Jerry Pournell, Steven Barnes, 1995。日本語版は1998年10月30日初版。文庫本の上下巻、縦一段組みで本文約379頁+423頁=802頁に加え、堺三保の解説5頁。8ポイント42字×18行×(379頁+423頁)=約606,312字、400字詰め原稿用紙で約1,516枚。文庫本としては上中下の三巻でもいい大長編。

 文章は比較的にこなれている。驚異のダッシュ力を誇るグレンデルをはじめ、多種多様で奇妙奇天烈な異星生物の生態が楽しい作品なので、そういうのが好きな人向け。ちなみにケッタイな性質も一応はソレナリの理屈がついているので、生物学や生態学、それと化学を少し齧った程度だと、更に楽しめる。

 同じトリオによる長編「アヴァロンの闇」の続きだが、必要な設定は要所で説明しているので、前を読んでいなくてもだいたいは理解できる。私も「アヴァロンの闇」はだいぶ前に読んだけど、中身をほとんど忘れていた。が、それでも楽しめたので、これから読み始めても大丈夫だろう。

【感想は?】

 まず目立つのが、世代間の対立。これを引き立たせる設定が巧みだ。

 普通の社会には、様々な年齢の人がいる。世代間の対立ったって、ハッキリ分かれてるわけじゃない。三十路もいればアラフォーだっている。

 現実には明確な区切りなんかないんだけど、それじゃわかりにくいし面白くない。だから、マスコミが中間の世代を無視して、オッサン・オバサン vs 若者って図式に作り上げて報じる。

 でも、この作品では、本当に世代の断絶がある。アヴァロンは移民の地だ。第一世代は、10光年の遥かな旅を経てこの惑星にやってきた。対する第二世代は、第一世代の子供たち。その間には、20歳以上の年齢の隔絶がある。年齢的に、クッキリ分かれているのだ。

 育った環境も違う。第一世代は地球で生まれ育った。当然、地球をよく知っている。だが第二世代は、アヴァロンの開拓地で生まれ育った者たちだ。世界観が全く違う。

 加えて、グレンデルの恐怖だ。第一世代は、グレンデル相手に、一時期は絶滅の恐怖を味わった。だが第二世代は、そんな事を知らない。

 ダメ押しになっているのが、人口冬眠不安症。10光年を旅する間、ずっと起きているわけにはいかない。そこで人口冬眠するんだが、その副作用でオツムが多少イカれちゃってる。おかげで第一世代は自分の判断が信用できない。だもんで、何につけても慎重になる。

 対して第二世代には、そんな心配がない。そうでなくても若者はリスクを恐れないものだ。そんな若者たちの前には、開拓を待つ広い未踏の大陸が広がっている。

 狭いが安全なキャメロット島に閉じこもる第一世代と、何が潜むか分からない広い大陸を切り拓こうとする若者たち。両者の対立が、人間側のストーリーの軸となる。

 が、それ以上に面白いのが、奇妙奇天烈なアヴァロンの生物たちだ。

 だいたいグレンデルからして意地が悪い。人間の文明は大河のほとりで育った。ヒトが生きていくには、淡水が欠かせない。その水源には、最も危険な天敵グレンデルがいる。小さな島のグレンデルにさえ、人類は壊滅の危機に追いやられた。大陸ともなれば、どれほど恐ろしい奴がいることか。

 この予想は裏切られず、冒頭の地図からして「老グレンデル」「ダムをつくるグレンデル」「雪のグレンデル」と、個性豊かな強敵の大盤振る舞いだ。

 私が最もシビレたのは、彼らグレンデル視点の語り。

 彼らの最大の武器は、「スピード」による猛ダッシュだ。3秒で110km/hに達する、ぶっちゃけチートだよね。が、それだけに、制限もあればツケも溜り…。これを「いつ」「どこで」「どのように」使い、ツケをどう払うか。だけでなく、水に棲む生物だけあって、世界の認識方法も、ヒトとは大きく違う。

 これをエイリアンの立場で描くあたりは、パク人やモート人を生み出し、化け物を描かせればピカ一のSF作家ニーヴンの腕が冴えわたるところ。

 ばかりでなく、当然ながら、グレンデルに劣らぬケッタイな生物が、次々と出てくる。序盤に出てくるウナギもどきの生態からしいて、異境の雰囲気たっぷりだ。もちろん、グレンデルを超える恐ろしい敵も出てくるので、乞うご期待。

 広大な新天地へ踏み出す人類に襲い掛かる試練を描く、正統派の秘境冒険SF。リラックスして楽しもう。

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2018年4月15日 (日)

スティーヴン・ウィット「誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち」早川書房 関美和訳

「なんでこのことを今までだれにも話さなかったんだ?」
「ああ、だって聞かれなかったから」
  ――イントロダクション

音楽トレンドを理解することはすなわち黒人音楽を理解することだった。
  ――3章 ヒットを量産する

「自分がなにをやってのけたか、わかってる?」最初のミーティングのあとにアダーはブランデンブルグに聞いた。「音楽産業を殺したんだよ!」
  ――4章 mp3を世に出す

mp3の不正コピーをなくすには、そmの代わりになる合法なやり方を提示するのがいちばんだった。
  ――7章 海賊に惚れ込まれる

ナップスターのブームは音楽産業の史上最高の2年間と重なっていたし、(ダグ・)モリスでさえしばらくの間はナップスターのファイル共有がCD売上を押し上げたと考えていた。
  ――9章 法廷でmp3と戦う

1999年から2009年にかけて北米のコンサートチケット売上は3倍になった。多くのミュージシャンがレコーディングよりツアーから多くの収入を得るようになってきた。
  ――18章 金脈を掘り当てる

2011年には、蓄音機の発明以来初めて、アメリカ人は録音された音楽よりもライブにおカネを落としていた。
  ――エピローグ

【どんな本?】

 私はラジオで育った。ラジオから流れる曲をカセット・テープに録音し、ウォークマンで持ち歩いた。今は iTunes でリッピングした曲を iPod nano で聴いている。自宅のパソコンに向かう時は、インターネット・ラジオや Youtube で音楽を流している。

 Youtube はいい。昔ならお茶の水や新宿の輸入レコード屋にあしげく通い、埃にまみれた中古版や海賊版を漁り、それでも数カ月で手に入れば幸運なんてレアな音源が、今は Youtube で検索すればスグ出てくる。

 動く Paul Kossoff がいつでも見られるとは、なんていい時代だろう。おお Randy Meisner, 昔はスマートだったなあ。つか Gryphon, Treason なんてアルバム出してたのか。長く幻のバンドだったってのに、ライブの映像まであるぜウヒャヒャ…

 などと恩恵を受けているのは、年寄りばかりじゃない。どころか、ポピュラー・ミュージックの主な聴き手である、若者こそが最大の恩恵を受け、ボーカロイドなどネット環境ならではの新しい音楽も生み出した。そして、世界的に、音楽ビジネスは大きな変革を迫られている。

 この変革は、どこから始まったのか。どんな者が、どんな役割を果たしたのか。mp3 を創り出したカールハインツ・ブランデンブルグ,CDプレス工場で働くデル・グローバー,そして米国音楽界を牛耳るダグ・モリスの三者を軸に、音楽産業の革命をドラマチックに描く、エキサイティングなドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

原書は How Music Got Free : The End of an Industry, The Turn of the Century, and the Patient Zero of Piracy, by Stephen Witt, 2015。日本語版は2016年9月25日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約334頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×17行×334頁=約244,154字、400字詰め原稿用紙で約611枚。文庫本なら少し厚めの一冊分。

 文章はこなれている。というか、少し最近のネット文体の香りがする、くだけた文体。内容も特に難しくない。技術的な話も少しは出てくるが、わからなければ読み飛ばして構わない。というか、少々怪しい所もある。それより、2000年以降の音楽、それもヒップホップ系に詳しいと、更に楽しめる。

【構成は?】

 話は時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

  •  主な登場人物
  • イントロダクション
  • 1章 mp3が殺される
  • 2章 CD工場に就職する
  • 3章 ヒットを量産する
  • 4章 mp3を世に出す
  • 5章 海賊に出会う
  • 6章 ヒット曲で海賊を蹴散らす
  • 7章 海賊に惚れ込まれる
  • 8章 「シーン」に入る
  • 9章 法廷でmp3と戦う
  • 10章 市場を制す
  • 11章 音楽を盗む
  • 12章 海賊を追う
  • 13章 ビットトレント登場
  • 14章 リークを競い合う
  • 15章 ビジネスモデルを転換する
  • 16章 ハリポタを敵に回す
  • 17章 「シーン」に別れを告げる
  • 18章 金脈を掘り当てる
  • 19章 海賊は正義か
  • 20章 法廷で裁かれる
  • エピローグ
  •  情報源についての注意書き
  •  謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 若い人には歴史だろうけど、オッサンには懐かしい話がいっぱい。

 なんたって、MS-DOS の時代から話が始まる。今をときめくmp3も、当時は絶命寸前ってのには驚いたし、AACとの関係も全く知らなかった。

 ブランデンブルグの目の付け所もいい。mp3は圧縮率の割に音質がいい反面、処理に時間がかかる。将来、CPUの性能はガンガン上がるので、処理時間は問題じゃなくなる。が、回線速度は上がりにくいので、圧縮率がネックになる。

 ここで最初の利用者が全米ホッケーリーグってのも、意外ではあるが納得。確かにスポーツ中継はライブじゃないとね。細い蜘蛛の糸一本で生きながらえたmp3は、お堅い研究者には思いもよらぬ形で市場を制覇してゆく。

 などの開発者に続き、登場するのがCDプレス工場で働くデル・グローバー。メカ好きではあっても研究者ではなく、ありがちなコンピュータ・オタク。職場じゃ真面目に残業をこなしつつ、やがては音楽海賊シーンの隠れた大物になってゆく。うんうん、当時は「パソコン通信」だったねえ。

 彼を中心に描かれるのは、ネットの中で繰り広げられる、胡散臭いコミュニティーの群雄割拠と栄枯盛衰。得体のしれない連中が寄り集まっては別れ、栄誉を求めて競い合うあたりは、「あの頃」のカビ臭い香りが漂ってきて、オジサンはちょっと遠い目になったり。

 グローバーや仲間たちが、発売前の音源を盗み出す多彩な手口も、驚くやら呆れるやら。日本版のボーナストラックって、案外と価値あるのね。

 そして最後に登場するダグ・モリスは、米国音楽界の大物ビジネスマン。彼を中心に描かれるアメリカのミュージック・ビジネスは、音楽好きな者に複雑な気持ちを湧きあがらせる。なんたって、CDの価格が安い。$16.98でも「強気の価格」とは。ちなみに原価は$1未満。

 彼が新人を発掘するあたりも、アメリカの音楽シーンの豊かさを物語る。例えばカレッジ・チャート。向こうの大学には(たぶんFM)ラジオ局があって、独自の番組を作って放送している。

 これはたぶん電波法の違いが大きいんだろうけど、お陰で大学に限らず有象無象の小さなラジオ局がウジャウジャあるのだ。競争が激しいため、カントリーばっかしとかラップだけとか局ごとの個性も豊かで、ご当地スターも沢山いる。そういう所から、新しいミュージシャンが次々と生まれるのだ。

 大物ミュージシャンも若者の発掘に熱心で。日本だと小室哲哉とつんく♂ぐらいしか知られていないけど、例えば KISS のジーン・シモンズはメタル系を、プリンスもファミリーを組みシーラ・Eなどを育てている。ごめんね、例えが古くて。

いやこの本に出てくるのはヒップホップ系が多いんだけど、私はソッチをよく知らないのよ。時代的にヒップホップが市場を呑みこんでいく頃を描いているため、出てくるのも2パックやジェイ・Zなど、そっちの人が多く、彼らが津波のように米国音楽界を席巻していく様子も生々しく描かれる。

 などと並行して、大企業病に冒された日本の家電企業とイケイけな韓国企業の対比、ラジオ局とレコード会社の薄暗い関係、海賊とFBIのチェイス、アップルの殴り込み、そしてもちろんナップスターなど、「あの頃」の楽しい話題がいっぱい。

 今の時代がとってもエキサイティングな事を再確認させてくれる。とっても楽しくて少し懐かしい本だ。

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【どうでもいい話】

 ところで。ラジオがテーマの曲っていうと、何を思い浮かべます? 私はこんな所かなあ。

  • カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」
  • ジャーニーの「レイズド・オン・レイディオ」
  • バグルスの「ラジオスターの悲劇」
  • RCサクセション の「 トランジスタ・ラジオ」
  • スティーリー・ダンの「FM」

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«デイヴィッド・フロムキン「平和を破滅させた和平 中東問題の始まり 1914-1922 上・下」紀伊国屋書店 平野勇夫・椋田直子・畑長年訳 7