2022年9月14日 (水)

SFマガジン2022年10月号

「自由度が高くなりすぎる中で、何を中心にするかだ」
  ――長谷敏司「プロトコル・オブ・ヒョーマニティ」

「ぼくらはいつだって手遅れだ」
  ――上遠野浩平「無能人間は明日を待つ」

(小石は黒い)
  ――T・キングフィッシャー「金属は暗闇の血のごとく」原島文世訳

 376頁の標準サイズ。

 特集は「スタジオぬえ創立50周年記念」。表紙がド迫力。

 小説は9本。

 連載は4本。神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第3回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第44回,村山早紀「さやかに星はきらめき」第5回,夢枕獏「小角の城」第65回。

 読み切りは5本。長谷敏司「プロトコル・オブ・ヒューマニティ」冒頭150枚,上遠野浩平「無能人間は明日を待つ」,小川一水「ツインスター・アピアロンザ・プラネット」後編,ジェイスン・サンフォード「8000メートル峰」鳴庭真人訳,T・キングフィッシャー「金属は暗闇の血のごとく」原島文世訳。

 連載小説。

 神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第3回。模擬戦から11日。日本空軍から派遣された田村伊歩大尉は、半ば監禁状態に置かれている。ジャムと戦うために生まれてきたような人間だと田村大尉自身は思っている。だが、世間的ではFAFは犯罪者の島流し先である。両親に心配をかけて申し訳ない、などと考えているうち、クーリィ准将から呼び出しがきた。

 第五部のヒロイン(?)田村大尉の意外なお育ちが明らかになる回。そういえば妙に屈折した人物が多いこの作品で、桂城少尉と並び屈託の少ないキャラだよね、田村大尉は。いや桂城と同類にされたら嫌がるだろうけどw 彼女がジャムとどんなコミュニケーションを取るのか、今後に期待。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第44回。今回も島でのバトル回。後半の<ビッグ・ショップ>によるウォーターズ・ハウス襲撃が面白かった。目標は厳重な警護で要塞化した豪邸。他のチームならエンハンス能力を振りかざすだろうに、このチームが用いる手段は実にまっとうなのが楽しい。ここだけ別の作品みたいだw

 村山早紀「さやかに星はきらめき」第5回、第3話「White Christmas」前編。災厄で人が消えた地球で、付喪神が暮らしている、そんな話がある。季節は夏、賑やかだった商店街。とある店の前に倒れていた人形が身を起こし…

 月にある出版社『言葉の翼』社の編集部をツナギにして、幻想的なお伽噺を語る構造ですね。今回の主人公は、皆さんお馴染み某揚げ鶏屋の大佐おじさん。あのニコニコ顔が歩き出すというのは、ユーモラスのような怖いような。

 以降は読み切り。

 長谷敏司「プロトコル・オブ・ヒューマニティ」冒頭150枚。2050年代。護堂恒明は27歳で将来を期待されるダンサーだが、事故で右脚を失う。一時は身動きすら出来なかったが、義肢のダンサーを見て再起を決意、友人の谷口裕五を介しベンチャー企業のAI義肢のモニターとなる。生活を立て直しつつ、リハビリと義肢の扱いそして復活に向けダンスの訓練に励む護堂だが、谷口はとんでもない事を目論んでいた。

 一種のサイボーグ・テーマで、AIの絡め方が巧みだ。というと新しいテーマのようだが、同時に新技術に立ち向かう表現者の苦闘という、伝統的なネタでもある。カメラは映画を生み出した。カメラワークやフィルム編集など新しい表現が現れると共に、役者の演技は演劇から引き継いでいる。レオ・フェンダーはエレクトリックギターを作り上げたが、エフェクターやフィードバックを活用する現在の変化自在なギタープレイはジミ・ヘンドリクスに負うところが大きい。筋肉で人を見る恒明の目線などの描写はリアリティを盛り上げ、この記事冒頭の引用の台詞は新技術を使いこなす事の難しさを見事に現わしている。そういう点では、ルミナス・ウィッチーズとも共通するテーマだよね。

 と、冒頭だとそういう印象なんだが、果たして曲者の著者がそういう予想しやすいお話に収めるかどうか。

 上遠野浩平「無能人間は明日を待つ」。2015年2月号から不定期連載が続いたこのシリーズ、ついに最終回。「ブギーポップ」シリーズと同じ世界…というか、統和機構の内幕を描く作品でもあり、シリーズのファン向けな作品ですね。

 小川一水「ツインスター・アピアロンザ・プラネット」後編。、惑星パステルツェ3の仕事を受けたダイとテラ。仕事の内容は雲蠲(ウンジャン)の駆除。姿は全長100m×高さ50mに達する白いガスタンクで、空中を漂う。それだけならたいした問題はないのだが、困ったことに人が多い所に集まってくる。そのためインソムニア号も最初の着陸でアクロバットを演じる羽目になった。

 奇妙な生物?のような雲蠲の正体が、なかなかミステリアス。というか、今後のシリーズを通しての重要なテーマとなりそう。その雲蠲を駆除する場面は、確かにこの二人ならではの技と知恵が炸裂する。というか、ますます某トラコンみたいになってきてるなw

 ジェイスン・サンフォード「8000メートル峰」鳴庭真人訳。上司のロニー・チャイトに引きずられ、ケラーはエヴェレストに登る。ロニーは大金持ちで、ビジネスも私生活も強引だ。最終アタック中、死にかけの男を見つけた。登山者たちは男を見捨ててゆく。ロニーもだ。そこに見知らぬ女が現れ、「わたしが残る」と言う。

 冒頭、どこぞの観光地のように登山者であふれるエヴェレストの風景に驚いた。近未来の話かと思ったが、現代でもこんな感じなんだろうか。極寒で視界すら閉ざされ、その上に呼吸すらままならない高山の描写が怖ろしい。加えて積もってゆく疲労。思考能力も衰えるだろうし、山の怖さがよくわかる。そんな所に現れた女の正体が、これまた意外。確かに、あーゆー所なら棲みつくのに都合がいい。

 T・キングフィッシャー「金属は暗闇の血のごとく」原島文世訳。古く見捨てられた惑星に、ひとりの男が住んでいた。男は二体の機械を作り、二体が自らのボディを好きに改造するに任せた。二体は男になつき、くたびれた惑星をめぐって金属をかき集め、ボディを作り変えていった。うあがて男は老いて倒れ、社会の狡猾さを知らぬ二台の将来を憂い…

 「むかしむかし、あろところに」で始まる、メルヘン風の語り口の作品。なのに、ナノマシンやバッファーなどの言葉のミスマッチ感が楽しい。もしかしたら、ロジャー・ゼラズニイの傑作「フロストとベータ」へのオマージュなのかな? 二台が惑星を離れる場面では、Simon & Garfunkel の My Little Town が頭の中で流れた。

 次号はカート・ヴォネガットの特集。楽しみだ。わたしは猫派です。

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2022年9月 9日 (金)

SFマガジン2022年8月号

「私の話に余談はありませぬ」
  ――小川哲「魔法の水」

逢坂冬馬「合理的な意思決定によって戦争を防止した歴史というのは表に出にくい」
  ――特別対談 戦争を書く、世界を書く 逢坂冬馬×小川哲

「雪風は、人口知性体であるまえに、その本質は高性能な戦闘機なのだ」
  ――神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第2回

ぶっちゃけ、出版翻訳家は原理的には食えない。
  ――古沢嘉通「SF翻訳、その現在地と十年後の未来」

「単に、好きになった人が自分だっただけです」
  ――カスガ「汝ら、すべてのゾンビたちよ」

 376頁の標準サイズ。10月号じゃありません。8月号です、はい、いまさら。

 特集は「短編SFの夏」として小説8本+対談やエッセイなど。

 小説は13本。

 特集で8本。小川哲「魔法の水」,斜線堂有紀「奈辺」,ナオミ・クリッツァー「怪物」桐谷知未訳,春暮康一「モータル・ゲーム」,天沢時生「すべての原付の光」,カスガ「汝ら、すべてのゾンビたちよ」,森田季節「殯の夢」,小川一水「ツインスター・アピアロンザ・プラネット」。

 連載は4本。神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第2回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第43回,村山早紀「さやかに星はきらめき」第4回,夢枕獏「小角の城」第64回って、すんげえ久しぶりな気が。

 加えて読み切り1本。上遠野浩平「製造人間は省みない」。

 まず特集から。

 小川哲「魔法の水」。アメリカ出張が決まった。ゲーム「イフ・ユー」のスマートフォン移植版の配信について話し合うためだ。今はアップルとグーグルが配信を牛耳っている。そこにリッケハンド社が新規参入し、初期タイトルには破格の条件を示した。乗るべきか? 燃料廠研究部の岩下少尉の紹介で仲本という男が訪ねてきた。「魔法の水」について話があるという。

 一部では有名な海軍水ガソリン詐欺事件と、スマートフォン用アプリケーションの配信プラットフォームが、どう絡むのか。小説としては見事などんでん返しで唖然とした後に、逢坂冬馬との対談を読むと、更に別の意図を仕込んでたのが分かってまたびっくり。にしても、戦後80年近くたつのに、あの愚かな開戦の原因が未だ定説が定まらないってのは、どうなんだろうね。

 斜線堂有紀「奈辺」。1741年ニューヨーク。白人ばかりのジョン・ヒューソンの酒場に、黒人奴隷のシーザーが入ってくる。酒を飲ませろ、と。客のルーカスがシーザーに銃を突きつけた時、二階で爆発音がして、ケッタイな奴が降りてきた。ジェンジオと名のる男は、銀色の服を着て、肌の色は目の醒めるような…緑色だ。

 銀色のスーツに肌は緑の宇宙人ってあたりで、1950年代のSFの香りが漂い、おもわずニヤニヤしてしまう。いかにも18世紀のニューヨークの酒場らしい荒っぽく猥雑な雰囲気の酒場で、白人と黒人の人種対立に緑色の宇宙人を交えてシェイクした、ノリのいい作品。ソレっぽいせりふ回しも楽しい。

 ナオミ・クリッツァー「怪物」桐谷知未訳。高校二年のとき、セシリーはアンドルーと出会った。趣味が合い、互いに理解しあえる唯一の親友だと思っていた。アンドルーの紹介で、セシリーは同じ趣味の仲間たちとも出会った。そして今、遺伝学者となったセシリーはアンドルーを追って中国の奥地、貴州省に来ている。

 「ニューロマンサー」や「スタータイド・ライジング」に「わかってるじゃん!」と嬉しくなる。他にもセシリーの若い頃の逸話は、SFファンの黒歴史を容赦なくえぐるw ちょい役トムの運命は、この手の話の定番っぽくて、「そうこなくっちゃ」と思ったり。元ネタは「フランケンシュタイン」かな? アンドルー君、ジョージ・R・R・マーティンのワイルドカードあたりで再登場して欲しい。

 春暮康一「モータル・ゲーム」。<ラティメリア>は恒星SCN017をめぐる奇妙な惑星を見つける。惑星017gはハビタブル・ゾーンにあり、軌道の離心率はゼロに近い。しかも公転面と自転軸がほぼ直行しており、季節の移り変わりはない。北緯15度付近に大きなクレーターがあり、ぬかるみになっている。このクレーターに、黴か地衣類のコロニーらしきものが見つかった。

 機械的とすら言えるほど変化が規則的な環境で生まれ滅びてゆく、地衣類らしきモノのコロニー。その生成と消滅の過程は、数学的な正確さで完全に予測できてしまう。それは「生命」なのだろうか? そういう環境を描く筆致のクールさもたまらないが、そこに生きる?コロニーの正体は、この著者ならではの熱いSF魂が伝わってくる。絶品のファースト・コンタクト作品だ。

 天沢時生「すべての原付の光」。取材のため、記者は暴走族のアジトを訪ねる。吹き抜け二階建てのガレージにいたのは二人。いかにもな田舎ヤンキーと、縛られて電動横行昇降機に吊り下げられた中学生。イキがった中学生をヤンキーが捉えたらしい。他には工具箱やスペアタイヤやカスタムパーツが転がる。そして中心に鎮座するハイエース三台分ほどの巨大なリボルバー。

 たいていの事は気合いで解決してしまう不良と、あまりにミスマッチな巨大メカ。いったい、どう話が転ぶのかと思ったら、更にとんでもない方向へとスッ飛んでいく。リボルバーなんだから、てっきりシマを争う他チームとの抗争に使うんだろうか…なんて想像を遥かに超え、もっとヤバい奴を相手にしてた。確かにヤバい短編です。

 カスガ「汝ら、すべてのゾンビたちよ」。三年前、生体時間転送が実用化された。18歳のわたしが大学で出会ったのは、過去への留学生に選ばれた7年後のわたし。彼女の姿は、まさに理想のわたしだった。わたしはわたしに恋をした。

 2022年第4回 pixiv 百合文芸小説コンテストSFマガジン賞受賞作。どうやって自分を脅すのかってのは、難しい問題だよねw タイム・パラドクスの扱いも標準的なもの。だからこそ、この結末が活きていると思う。

 森田季節「殯の夢」。ここオオムロの里は強い。馬がたくさんいるからだ。12歳のクルヒは、その馬の身体を洗う。オサの一族で、二つ年上のテオシベと一緒に。そんな里に、侵入者がきた。近くのオミやハイバラやクビキじゃない。服は派手だし態度も図々しい。ヤマトだ。

 古代日本の信州を舞台としたファンタジイ。小さな村の少女を語り手として、覇権国家ヤマトの侵攻を描く…のかと思ったら、ショッキングな場面から意外な方向へ。幾つかの有名なホラー映画や、某ベテランSF作家の有名なシリーズを思わせる巧みな仕掛けだ。

 小川一水「ツインスター・アピアロンザ・プラネット」前編。テラとダイは、惑星パステルツェ3の仕事を受けた。半径6060km表面重力0.85Gで自転周期は50時間、汎銀河往来圏の隅っこ、要は田舎だ。仕事は地表から算土(カルサンド)を軌道に運び上げること。その算土がやっかいで…

 初めての地表に騒ぎまくるテラがかわいい。というか、地表に降りた経験がないのに、この仕事はいささか無謀ではw それだけに、緊張しっぱなしの大気圏突入と降下のシーンは迫力満点ながら、肝心の着陸は…こんな宇宙船の着陸は斬新すぎてw 某トラコンでも、ここまではやらんと思うw

 特集はここまで。続いて連載。

 神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」第2回。ジャムの地球に侵入したとの仮定に基づき、フェアリイで特殊戦を率いるクーリィ准将はアグレッサー部隊を発足させる。フェアリイを訪れたジャーナリストのリン・ジャクスンは、雪風への搭乗を望むが…

 深井零はもちろんクーリィ准将,リン・ジャクスンそして日本海軍の丸子中尉といったアクの強い連中の中にいながら、相変わらずマイペースで飄々とした桂城少尉が、意外な活躍?を見せる回。言われてみれば、長生きしそうなキャラだよねw そして最後にクーリィ准将が爆弾発言を。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第43回。今回もマルセル島での派手な戦闘が続く。イースターズ・オフィスの出番は少なく、クィンテット vs マクスウェル一党の衝突が中心。<ミートワゴン>のカーチス・フェリンガーが暴れるあたりは、妖怪大戦争の趣が。

 村山早紀「さやかに星はきらめき」第4回、第2話「虹色の翼」後編。新人賞に応募する原稿を仕上げながらも事故で命を失った涼介は、「お化け」として意識を取り戻す。同じ部屋で、子どもが文章を読みあげている。

 血と麻薬と硝煙の匂いが渦巻くマルドゥック・シティの次にこの作品ってのは、落差が凄いw 「お化け」って言葉を選ぶあたりも、この著者ならではの芸風。歴史上の有名人ならともかく、普通の人の消息なんてすぐに分からなくなっちゃうんだよなあ。涼介がコンピュータを使えない場面はクスリと笑ってしまった。そりゃ無理だわw

 そして読み切り。

 上遠野浩平「製造人間は省みない」。ウトセラ・ムビョウの誘拐を機に動き始めた事件を機に、ブギーポップから続く統和機構のスターたちが続々と登場する。ファンには続々と登場する合成人間たちが嬉しい。

 SFマガジン2022年10月号の記事も、近いうちに書きます、たぶん。

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2022年7月19日 (火)

アイニッサ・ラミレズ「発明は改造する、人類を。」柏書房 安部恵子訳

本書では、材料が発明家によってどのように形作られたかだけでなく、そうした「材料」がどのように「文化を形作った」かを紹介していく。
  ――まえがき

神経科学者の発見によれば、私たちは出来事の最中には時間の流れが遅くなっていくようには知覚しないけれども、出来事の想起は、時間の流れが遅くなったと自分に思い込ませるという。
  ――第1章 交流する

私たちの知っているクリスマスは、企業の重役会議室で生まれ、鋼鉄に保護されたといえる。
  ――第2章 結ぶ

電信の発明者サミュエル・F・B・モールスは、国じゅうに情報を伝えるワイヤーによって、「この国全体が一つの近隣地域」になると予測していた。
  ――第3章 伝える

初期の風景写真が困難な仕事だったのは、重い装置類のためだけではなく、薬剤と技術はほとんどが自家製だったからだ。
  ――第4章 とらえる

ポール・ボガード「昆虫類のほぼ2/3は夜行性だ」
  ――第5章 見る

(初の商用ハードディスク)RAMACは大きさが冷蔵庫二台分、主さは1トンを超え、データを500万バイト、すなわち5メガバイト保存できた(略)。
  ――第6章 共有する

ガラスは「見る」という科学的方法の心臓部に存在する。
  ――第7章 発見する

「テキサスにシリコントランジスタがあるぞ!」
  ――第8章 考える

【どんな本?】

 時計,鋼鉄,電信,写真,電灯,情報記録媒体,ガラス,半導体。これらが普及する前、人々はどのような暮らしだったのか。どんな人が、どんな目的で、どんな経緯で発明したのか。そして普及によって、人々の暮らしはどう変わったのか。

 など、発明とそれに伴う暮らしの変化の物語に加え、本書は少し毛色の変わった趣向も語っている。

 多くの人々に知られている発明者の物語ばかりでなく、その影に隠れあまり語られることのない様々な工夫をなした人々や、ちょっとした偶然で有名になり損ねた人たちも丹念に調べて拾い上げ、その時代を生きた人の物語として語ってゆく。

 材料科学を修めた著者による、一般向けの歴史と科学・技術の楽しい解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Alchemy of Us : How Humans and Matter Transformed One Another, by Ainissa Romirez, 2020。日本語版は2021年8月2日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約325頁に加え、あとがき4頁+訳者あとがき4頁。9ポイント47字×19行×325頁=約290,225字、400字詰め原稿用紙で約726枚。文庫ならちょい厚め。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も分かりやすい。数式や化学式は出てこないので、数学や理科が苦手な人でも大丈夫。むしろ必要なのは世界史の知識だろう。といっても、特に構えなくてもいい。19世紀以降の欧米の歴史を中学卒業程度に知っていれば充分。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

クリックで詳細表示
  • まえがき
  • 第1章 交流する
  • 第2章 結ぶ
  • 第3章 伝える
  • 第4章 とらえる
  • 第5章 見る
  • 第6章 共有する
  • 第7章 発見する
  • 第8章 考える
  • あとがき
  • 謝辞/訳者あとがき/図の出典/引用の許可/参考文献/注/索引

【感想は?】

 逸話を拾う著者の腕の巧みさが光る。

 最初の登場人物ルース・ベルヴィルの物語から、一気に本書に引き込まれた。1908年の彼女の商売は、正確な時刻を売ること。当時は正確な時計が普及していない。でも鉄道や銀行や新聞そして酒場など、正確な時刻を知らなければならない業務は多かった。そこで彼女は…

 「パリ職業づくし」や「アンダーグラウンド」もそうなんだが、世の中にはいろんな商売があるんだなあ、と感心してしまう。

 続く登場人物ベンジャミン・ハンツマンは18世紀半ばの時計職人。彼が求めたのは、均一なばね(ゼンマイ?)。素材にバラツキがあると、速くなったり遅くなったり、酷い時には折れたりする。そこで彼は鉄の製造工程から改善に挑み、るつぼを発明する。

 製鉄技術の進歩を、正確なばねを求めた時計職人がもたらしたのだ。発明ってのは、意外な人の意外な目的から始まってたりする。

 続く「第2章 結ぶ」の主役は、ベッセマー製鋼法のヘンリー・ベッセマー(→Wikipedia)。彼の製鋼法が生みだす鋼鉄が鉄道のレールとなり、アメリカを一つの国に結び付けていく。

 「小説家になろう」の異世界物に凝ってる私は、当時(18世紀末~19世紀初頭)の馬車の旅の逸話も楽しかった。一日の旅程は約29km、朝は3時に起こされ宿につくのは夜の10時。なんちゅう厳しい旅だ。

 これが鉄道により州間の交易が盛んになり、各地の産業は特産物に特化し、単なる年末休暇だったクリスマスも…

 「第3章 伝える」はサミュエル・F・B・モールスにスポットが当たる。そう、あのモールス信号のモールスだ。元は画家ってのが意外。電信の伝達速度は距離より文字数で決まる。そのためか、モールスが the の代わりに t を使うなど、省略表現を産み出していくのに笑ってしまう。

 「第4章 とらえる」のテーマは写真。19世紀末の写真家の手作りぶりに驚く。20世紀後半でも現像は手作業だったが、19世紀は感光用の薬剤まで手作りだったのだ。ここではコダック社がフィルムの感度を白人の肌がきれいに映るよう調整していたが為に起きた社会問題を暴く。今でも色調整は職人芸に近くて、特に人の肌は難しいんだろうなあ。いやヒトって肌の色には敏感だから。

 「第5章 見る」は電気照明。かのエジソンの功績は有名だが、夜が明るくなることで私たちの身体や社会にどんな変化が起きているかは、あまり語られない。光害は有名だが、それだけじゃないのだ。なお日本海は「地球上でも極めて明るい地点になっている」とか。

 「第6章 共有する」でも、再びエジソンが登場する。ここのテーマは録音とハードディスクだ。グレイトフル・デッドのファンなら、カセットテープの偉大さをよく知っている。かと思えば、イスラムの過激派がカルト思想を広めるのに使ったり。IBMのジェイコブ・ハゴビアンが見つけた、ハードディスクに磁性体を均一に塗る方法には、ちょっと笑ってしまう。

 「第7章 発見する」で取り上げるのはガラス。最初のヒーロー、オットー・ショットはガラス開発のために生まれたような人。なにせ実家はガラス工場ながら化学を志したのだ。19世紀当時のガラスは「泡や筋、しわ」が入ってたり「曇っていたり、濁っていたり、渦模様があったり」と、科学で使うにはアレだったのだ。こういう不具合を知ると、逆に身の回りにある技術の凄さを思い知るんだよなあ。

 最後の「第8章 考える」は、電話交換機からトランジスタそして現代のコンピュータへと向かう。ここで最も印象に残るのが癇癪もちの葬儀屋アルモン・ストロウジャー。電話を交換手がつないでいた時代、自分の店に電話で注文が入らないのは交換手の嫌がらせだと思い込んだストロウジャー、意地になって自動交換機を開発するのだ。クレーマーもここまでくれば尊敬に値する。

 終盤ではコンピューターとインターネットが私たちの脳や思考に与える影響を考える。確かに Google や Wikipedia は便利だが、この本を読まなければ私はルース・ベルヴィルやアルモン・ストロウジャーを知らなかっただろうし、ホウ素を調べようとも思わなかっただろう。未知のジャンルやキーワードを知るには、本の方が向いているのだ。とりあえず、今のところは。

 テクノロジーが暮らしや社会をどう変えたか、またはそれ以前の人びとの暮らしがどうだったかを知るという点では、私が好きな技術史の面白さがある。それ以上に、ベンジャミン・ハンツマンなどの、あまり有名でない人物に光を当て、その人生を描く物語としての楽しさにも溢れている。過去の人びとの暮らしに興味がある人なら、きっと楽しめる。

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2022年7月17日 (日)

酉島伝法「るん(笑)」集英社

本人だって、ちょっと憑かれているだけ。
  ――千羽びらき

【どんな本?】

 独特のセンスによる造語を駆使してグロテスクな未来を描く「皆勤の徒」で衝撃的なデビューを果たした新鋭SF作家・酉島伝法の連作中編集。

 オカルトや疑似科学や迷信が蔓延した近未来の日本。科学的な考え方や知識は普通の人々から嫌われるばかりでなく、公権力からも排斥の対象となる。まっとうな手段では薬すら手に入らない。そんな社会を疑問にも思わず暮らす、普通の人びとの生きざまをSFならではのデフォルメたっぷりに描く、悪意に満ちた作品集。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2022年版」ベストSF2021国内篇で堂々の2位に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2020年11月30日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約238頁。9.5ポイント41字×18行×238頁=175,644字、400字詰め原稿用紙で約440枚。文庫なら普通の厚さ。

 酉島伝法なので覚悟していたのだが、文章は拍子抜けするほど普通で読みやすい。いや独自の造語はソレナリに出てくるけど、「皆勤の徒」に比べれば極めて普通。SFといっても数学や科学の難しい理屈は出てこないので、理科が苦手でも大丈夫。いや別の意味で難しい(というか理解不能)な理屈が次々と出てくるんだが、理解できないのはあなたの精神が理性的で健全で正常だからです。

 ただし、著者の悪意がたっぷり入っており、かなりSAN値を削られるので、心身ともに健やかな時に読もう。不調な時に読むとヤバいです、いろいろと。

【収録作は?】

 それぞれ作品名 / 初出。

三十八度通り / 群像2015年4月号
 ここ二カ月ほど、続き物の夢を見る。夢の中では、東経38度沿いに、北極点から南極点へ向かって歩いている。最初は震えるほど寒かったが、今は砂丘のなかで暑さにあえいでいる。同じころ、38℃の微熱に悩み始めた。この程度の熱じゃ仕事は休めない。閼伽水(アクア)を注ぎ限りなく薄めた癒水を飲む際に、解熱剤を持っていたのが妻の真弓にバレた。
 東経38度は、モスクワのちょい東~クリミア半島の東~ヨルダン東部~メッカの西にあたる。
 「人との交わりを豊かにするチェック柄の寝間着」だの「気を封じた」だの「霊障」だのと、ソレっぽい言葉が次々と出てきて、「家族がそういうのに凝ると大変だよなあ」などと呑気に構えてたら、それどころじゃなかった。他にも思考盗聴とか心縁とか前世とか、ヤバい単語が続々と。もっとも、ヤクザイシには思わず笑ってしまった。まるきしヤクのバイニンみたいな扱いだし。
 ただでさえ悪夢のような世界なのに、語り手が微熱に悩む男であるため、どこまでが事実でどこからが妄想なのかハッキリしないあたりも、更なる気持ち悪さを感じさせる。
 気色の悪い酩酊感に囚われたままたどり着いた最後のオチで、著者の悪意に打ちのめされた。いやマジ体調の悪い時には読んじゃダメです。
千羽びらき / 小説すばる2017年9月号
 主治医の話では、重篤な末期の状態だそうだ。体重は35kg、一時期の半分近く。十日ほど前から階段を上れなくなった。息子の博之も娘の真弓も心配してくれる。丙院食にヨーグルトが出た。楽しみだったけど、真弓に取り上げられた。牛乳は良くないらしい。子供のころ、猫を飼いたいと父にねだったことを思い出す。結婚して一戸建てに移り、ディアを飼い始めた。
 これまた末期状態で入院した女の一人称で語られる物語。半ば夢うつつの状態なので、思い出と現在が自由自在に入れ替わり、どこまでが現実でどこからが妄想なのか判然としない。そんなぼんやりした描写から浮かび上がる世界は、やはりアレなのが蔓延した社会で。
 丙院食のヨーグルトもそうだが、作品名の「千羽びらき」も恐ろしい。いずれも善意なのだ、やってる側は。一人二人ならともかく、それが集団で環のように自分を取り巻いている。そして語り手も逃れようとは思わない。当たり前の感情も、生まれることすら許さない社会。実に怖い。
 書名の「るん(笑)」に込もる、著者の悪意が思いっきり突き刺さる作品。
猫の舌と宇宙耳 / 小説すばる2020年1月号
 まだ真っ暗で寒い空の中、白いランドセルをしょって学校へ行く。丸山くんがきた。赤ちゃんのときに受けた整体のため、丸山くんの首は曲がったままだ。四年二組の教室には机と椅子が二十五人分あるけど、生徒は七人だけ。朝礼では校長先生の合図で国旗を掲げる。隣りの席の井口さんは、髪の真ん中の分け目が真っ白だ。
 これも一人称。語り手は小学四年生。一般に一人称の小説は語り手を疑いながら読むのが作法らしい。その点、この作品集は親切だ。「三十八度通り」は微熱に浮かされた男、「千羽びらき」は末期の病の老女、そして本作は子供。いずれも読み手は自然と語り手を疑いながら読む羽目になる。そこからうっすらと浮かんでくる情景は、実におぞましい。
 作中の「させていただく」、だいぶ前から若い人がよく使っていて、私のような年寄りには気色悪さを感じる。でも本作の語り手のような子供は最初から何かをやらされる際に使うわけで、彼ら以降の世代はは「やらされる」意味でうようになるんじゃなかろか…もっとも、彼ら以降の世代があれば、の話だけど。
 他にも漢字の書き順やら歴史の伝えられ方など、現代の学校教育のヤバさを思いっきりデフォルメした世界が、とっても気味悪い。教科書が教師の手書きなあたりから、どうも特殊な環境じゃないかと思っていたら…

 この著者だから、ある程度は覚悟していたものの、近未来の日本を舞台にしても、やっぱり酉島伝法だった。安部元首相襲撃事件の直後でカルト団体の話題が盛んな今だからかもしれないが、ガリガリとSAN値を削られる、とっても危険な作品集だ。心身ともに調子を整えて挑もう。

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2022年5月27日 (金)

レイ・フィスマン+ミリアム・A・ゴールデン「コラプション なぜ汚職は起こるのか」慶應義塾大学出版会 山形浩生+守岡桜訳

本書の目的は、汚職から抜け出せない人たち、そして汚職を許せないと思う人たちに、汚職がもたらすジレンマを理解してもらうことだ。
  ――第1章 はじめに

【どんな本?】

 汚職まみれの国もあれば、滅多にない国もある。賄賂で交通違反をもみ消す警官など身近で末端の公務員による汚職もあれば、閣僚や国会議員が絡む事件もある。シンガポールは専制的だが汚職は極めて少ない。対してインドは民主主義だが賄賂社会だ。チリは貧しいが汚職は少なく、イタリアは豊かだが汚職が横行している。

 なぜ汚職が起きるのか。その原因は何か。政治体制か、豊かさか、文化か。なぜ汚職スキャンダルにまみれた政治家が再び議席を得るのか。規制だらけの社会で迅速に起業するには鼻薬が効くから賄賂は必要悪なのか。そして、どうすれば汚職は減るのか。

 ボストン大学の行動経済学者とカリフォルニア大学LA校の政治学教授という、異分野の二人がタッグを組んで送る、一般向けの政治/経済の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は CORRUPTION : What Everyone Needs to Know, by Ray Fisman and Miriam A. Golden, 2017。日本語版は2019年10月30日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約300頁に加え、溝口哲郎の解説「反汚職のための冴えたやり方」11頁+山形浩生の訳者あとがき8頁。9ポイント45字×18行×300頁=約243,000字、400字詰め原稿用紙で約608枚。文庫ならちょう厚め。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もかなり分かりやすい。敢えて言えば、世界中の国や都市が出てくるので、Google Map か世界地図があると、迫真性が増すだろう。

【構成は?】

 基本的に前の章を受けて次の章が展開する形なので、なるべく頭から読もう。各章の末尾に1~2頁で「第〇章で学んだこと」があるのも嬉しい。

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  • 序文/謝辞
  • 第1章 はじめに
    • 1.1 この本の狙いは?
    • 1.2 なぜ汚職は大きな意味を持つの?
    • 1.3 汚職を理解するための本書の枠組みとは
    • 1.4 腐敗した国が低汚職均衡に移るには?
    • 1.5 汚職について考えるその他の枠組みはあるの?
    • 1.6 この章の先には何が書いてあるの?
    • 第1章で学んだこと
  • 第2章 汚職とは何だろう?
    • 2.1 汚職をどう定義しようか?
    • 2.2 汚職はかならずしも違法だろうか?
    • 2.3 汚職はどうやって計測するの?
    • 2.4 政治汚職は官僚の汚職とどう違うのか?
    • 2.5 汚職は企業の不正とどうちがうのか
    • 2.6 利益誘導は一種の汚職か
    • 2.7 恩顧主義と引き立ては汚職を伴うか
    • 2.8 選挙の不正は汚職を伴うか
    • 第2章で学んだこと
  • 第3章 汚職が一番ひどいのはどこだろう?
    • 3.1 なぜ汚職は貧困国に多いのだろう?
    • 3.2 どうして低汚職国の国でも貧しいままなのだろう?
    • 3.3 国が豊かになるとどのようにして汚職が減るのか
    • 3.4 どうして一部の富裕国は汚職の根絶に失敗しているのだろう?
    • 3.5 20年前より汚職は減ったの――それとも増えたの?
    • 3.6 政府の不祥事は、汚職が悪化しつつあることを示しているのだろうか
    • 3.7 反汚職運動は政治的意趣返しの隠れ蓑でしかないのだろうか?
    • 3.8 先進国は政治と金で汚職を合法化しただけだろうか?
    • 3.9 どうして世界の汚職の水準は高低の二つだけではないのか
    • 第3章で学んだこと
  • 第4章 汚職はどんな影響をもたらすの?
    • 4.1 汚職は経済成長を抑制するだろうか?
    • 4.2 汚職は事業への規制にどう影響するだろうか(またその逆はどうか)?
    • 4.3 汚職はどのように労働者の厚生に影響するだろうか?
    • 4.4 公共建設事業における汚職は何を招くか
    • 4.5 汚職は経済格差を拡大するか
    • 4.6 汚職は政府への信頼をそこなうか
    • 4.7 ある種の汚職はとりわけ有害なのだろうか その1:集権型汚職対分権型汚職
    • 4.8 ある種の汚職はとりわけ有害なのだろうか その2:不確実性
    • 4.9 ある種の汚職はとりわけ有害なのだろうか その3:汚職によって事業を止めてしまう
    • 4.10 天然資源は汚職にどう影響を与えるか また汚職は環境にどう影響を与えるか
    • 4.11 汚職に利点はあるだろうか?
    • 第4章で学んだこと
  • 第5章 だれがなぜ汚職をするのだろうか?
    • 5.1 なぜ公務員は賄賂を受け取るのか?
    • 5.2 なぜ政治家は賄賂を要求するのだろうか?
    • 5.3 贈収賄のモデルに道徳性を組み込むにはどうすればいい?
    • 5.4 政治家たちが官僚の間に汚職を広める方法
    • 5.5 どうして個別企業は賄賂を払うの?
    • 5.6 どうして企業は結託して賄賂支払いを拒否しないの?
    • 5.7 普通の人は汚職についてどう思っているの?
    • 5.8 汚職が嫌いなら、個々の市民はなぜ賄賂を支払ったりするの?
    • 第5章で学んだこと
  • 第6章 汚職の文化的基盤とは?
    • 6.1 汚職の文化ってどういう意味?
    • 6.2 汚職に対する個人の態度は変えられる?
    • 6.3 汚職の文化はどのように拡散するのか?
    • 6.4 汚職は「贈答」文化に多いのだろうか?
    • 6.5 汚職は宗教集団ごとにちがいがあるのだろうか?
    • 6.6 汚職に走りがちな民族集団はあるのだろうか?
    • 第6章で学んだこと
  • 第7章 政治制度が汚職に与える影響は?
    • 7.1 民主主義レジームは専制政治よりも汚職が少ないか?
    • 7.2 専制主義はすべて同じくらい腐敗しているのだろうか?
    • 7.3 選挙は汚職を減らすか?
    • 7.4 党派的な競争は汚職を減らすか?
    • 7.5 一党政治は汚職を永続化させるだろうか?
    • 7.6 汚職を減らすのに適した民主主義システムがあるだろうか?
    • 7.7 政治が分権化すると汚職は減るだろうか?
    • 7.8 任期制限があると汚職は制限されるのか それとも悪化するのか?
    • 7.9 選挙資金規制は汚職を減らすか? それとも増やすか
    • 第7章で学んだこと
  • 第8章 国はどうやって高汚職から低汚職に移行するのだろうか?
    • 8.1 どうして有権者は汚職政治家を再選するのだろうか?
    • 8.2 有権者が汚職政治家を再選させるのは情報不足のせい?
    • 8.3 どうして有権者は調整しないと汚職政治家を始末できないのだろうか?
    • 8.4 外的な力はどのように汚職との戦いを引き起こすのだろう?
    • 8.5 政治的なリーダーシップが汚職を減らすには?
    • 第8章で学んだこと
  • 第9章 汚職を減らすには何はできるだろうか?
    • 9.1 汚職を減らす政策はどんなものだろうか?
    • 9.2 段階的な改革は「ビッグバン」改革と同じくらい効果的だろうか?
    • 9.3 汚職対策に最も効果的なツールは何だろうか? 汚職問題をハイテクで解決できるだろうか?
    • 9.4 規範の変化はどのように起こるのだろうか?
    • 9.5 いつの日か政治汚職が根絶されることはあるだろうか?
    • 第9章で学んだこと
  • 解説 反汚職のための冴えたやり方 溝口哲郎
  • 訳者あとがき/注/索引

【感想は?】

 難しいテーマに正面から挑んだ意欲作。

 難しいと言っても、理解しにくいとか難解とか、そういう意味じゃない。実態を掴みにくいって意味だ。

 何せ汚職だ。やってる連中は隠したがる。本当に汚職が酷い国じゃ、まず汚職はニュースにならない。実際、ロシアじゃジャーナリストが次々と亡くなってる。逆にシンガポールなら、連日大騒ぎだろう。汚職が話題になってるから酷いってワケじゃない。腐りきってるなら報道すらされない。だもんで、まっとうな手段じゃ現状の把握すら難しい。

 確かにトランスペアレンシー・インターナショナルは腐敗認識指数(→Wikipedia)を公開してる。でも、「盲信しちゃダメよ」と本書は釘をさしてる。第2章なんて早い段階で「結局、あまし信用できるデータはないんだよね」と音を上げてるあたり、逆に信用できる本だと思う。

 そんなワケで、本来のテーマも面白いが、ソレをどうやって調べたのかってあたりも、本書の魅力なのだ。

 例えば、第4章では、社会学者が世界の各国で新事業を立ち上げ、それに要した工程と日数を調べてる。カナダは2工程で2日、モザンビークは17工程で174日。中国では、政府高官にコネがある企業とない企業の労災死亡率を調べてる。結果、コネがあると2倍死ぬ。ひええ。

 中でも感動したのが、コネの価値を測る第5章。ここでは、インドネシアに君臨したスハルト元大統領のコネの価値を測る。方法が巧い。1969年、スハルトはドイツで健康診断を受けた。この時、息子が所有するビマンタラ・シトラ社の株価の動きを調べたのだ。

 インドネシアの株価全体は2.3%下げた。対してシトラ社は2日間で10%近く下げてる。両者の差がスハルトのコネの価値ってわけ。政治家が入院した時は、株価に注目しよう。

 などと、「どうやって調べたのか、その数字はどう計算したのか」って楽しみもあるが、本来のテーマももちろん面白い。

 日本はどうなんだろうって関心は、少し安心するけど先行きは不安な気分になる。まずは安心材料。

2011年に科学誌『ネイチャー』で発表されたとある研究によると、過去30年間に地震で倒壊した建物で死亡した人の83%は「異常に」腐敗した(つまり所得のみをもとにした予測より腐敗した)国にいたという。
  ――第4章 汚職はどんな影響をもたらすの?

 地震大国の日本なのに、建物の倒壊で亡くなった人は全体に比べれば少ない。酷い国はコネで査察が入らなかったり、役人に鼻薬が効いたり。日本は違法建築に厳しい、つまり役人はコネで見逃したりしないし、賄賂も効かない。一安心…とはいかない。本当にひどい所は…

通常は賄賂が最も一般的な部門を挙げてくださいというアンケートでは、医療が筆頭にくる。
  ――第5章 だれがなぜ汚職をするのだろうか?

 病気や怪我の時でさえ、賄賂を渡さないと治療してもらえない。腐敗ってのは、イザという時の命にかかわる、というか、弱った時にこそタカリにくるのだ、腐敗役人は。

 もっとも、そういう国は、もともと医療リソースが貴重だったりする。つまり…

汚職と国家の繁栄水準には明確な負の相関がある。
  ――第3章 汚職が一番ひどいのはどこだろう?

 貧しい国ほど腐ってるのだ。とまれ、これは相関関係であって因果関係じゃない。貧しいから腐るのか、腐ってるからまずしいのか、その辺は難しい。警官や兵士でよく言われるのが、給料じゃ食ってけないからって理屈。これには一理あって…

公務員給与と汚職との直接の相関はマイナスだ。言い換えると、データのある世界の多くの国では、公務員給与が高ければ汚職水準も低い。
  ――第9章 汚職を減らすには何はできるだろうか?

 じゃ給料を払えば…と思うが、そうはいかない。同時にすべきこともある。ちゃんと見張り、汚職役人は処分しないと。

高賃金が汚職低下に役立つ見込みが高いのは、もっと監視と執行を強化した場合だという見方を支持している。
  ――第9章 汚職を減らすには何はできるだろうか?

 つまりアメとムチを同時に使えってことです。

 日本は比較的に豊かだし、医師や看護師に袖の下を求められることも、まずない。とはいえ、年に一度ぐらいは贈収賄がニュースになるし、ここ暫くは経済も停滞してる。にも関わらず、自民と公明は与党に居座ってる。野党は醜聞を盛んに追及するけど、最近の野党はジリ貧気味だ。これは、だいぶ前から現象が現れてる。

政治家が腐敗しているとわかった有権者は、結集して不誠実な役人に対抗しようとはしない。研究によると、むしろ政治に関わること自体を思いとどまるらしい。
  ――第4章 汚職はどんな影響をもたらすの?

 投票率の低下だ。どうも「だれに投票したって同じ」って気分になっちゃうんですね。こうなると、固定票を持つ候補者は強い。その結果…

悪行に関わった政治家は、データのある世界中のあらゆる国で再選される可能性のほうが高いのだ。
  ――第8章 国はどうやって高汚職から低汚職に移行するのだろうか?

 なんて奇妙な現象が起きる。テレビは選挙の特番を流してるけど、投票率はなかなか上がらない。みなさん、無力感に囚われてるんだろうか。

 他にも、ヤバいな、と思う兆候はあって。

役人の汚職というしつこい仕組みは、このように政治家が役人の任命、昇格、配置、給料について不当な影響力を行使する状況で生じやすい。
  ――第2章 汚職とは何だろう?

 内閣人事局ができて、内閣の役人への権限が強くなった。これが「不当な影響力」か否かは議論が別れる所だけど、長期政権じゃ癒着が強まるだろうってのは、常識で予想できる。つまり…

公職に指名されたのが政治的なボスのおかげであるような人物は、すぐに圧力に屈して、手持ちのリソースを使って、そのボスが再選を確保できるように手伝う
  ――第5章 だれがなぜ汚職をするのだろうか?

 政治家と役人が一体となって、今の体制を守ろうとするんですね。他にも最近の傾向として、税負担の問題がある。

腐敗した国は富裕層に課税しない傾向があり、また社会福祉に出資しない傾向がある。
  ――第4章 汚職はどんな影響をもたらすの?

 貧乏人に厳しい消費税は増やそうとするけど、所得税の累進率は下げようとしてる。なんだかなあ。

 日本に限らず、誰だって汚職は嫌いだ…少なくとも、賄賂を受け取る側でなければ。にも関わらず、なかなか汚職は減らない。この膠着状態を、著者たちは「均衡」で説明する。

本書では汚職を、社会科学用語でいう均衡として考える。つまり、汚職は個人の相互作用の結果として生じるもので、その状況で他人がとる選択肢を考えれば、ある個人が別の行動を選択しても状態を改善できない状況で発生する。
  ――第1章 はじめに

 他のみんなと同じようにしてるのが最も得な状態、それが均衡だ。著者は道路の右側通行/左側通行で説明してる。みんなが右側通行してるなら、あなたもそうした方がいい。汚職も同じ。誰もしないなら、しない方がいいし、みんなしてるならやった方がいい。じゃ、どうすりゃいいのかっつーと…

汚職の文化を改革するには、どのように行動すべきかというみんなの信念を、どうにかして一気に変えなくてはならない。
  ――第9章 汚職を減らすには何はできるだろうか?

 一人で変えるのは難しい、みんなが一斉に変えるっきゃない、ってのが本書の結論。今更だけど、政治ってのは、大勢を動かすのがキモなのだ。

 とかの総論的な部分も興味深いが、個々のエピソードも楽しい話が満載だ。特に第9章に出てくるコロンビアのボゴタでパントマイムを使って汚職を減らしたアンタナス・モックスの方法は、ユーモラスかつ巧妙で舌を巻く。なんと数年で殺人が70%も減ったとか。

 政治学って、なんか胡散臭いと思ってたけど、本書で印象が大きく変わった。汚職という実態の掴みにくい問題に果敢に挑み、知恵と工夫でデータを集めるあたりは、ボケた写真から天体の実像に迫ろうとする天文学者に似た、迸る学者魂を感じる。「政治学なんか興味ない」って人こそ楽しめる本だろう。

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